少女の願い
日が落ちきっていない夕暮れの街を抜けて。どうやってここまで来たのか覚えていなかった。夢中だった。
暗い室内で豪華な装飾の椅子に1人で座っていた。レースがふんだんに施されたくすんだピンク色のワンピースを着た女の子が上質な装飾がなされたカップを持って来て俺の前に置いた。小さな手でポットを傾け、紅茶を注ぐ。
「ありがと」
そう言うと女の子は軽く頭を下げた。目に生気がなく、遠くを見ているようだ。そのまま何も言わずに去って行った。俺は湯気が立つのを眺めながら、男が来るのを待っている。奥から姦しい声が聞こえてくる。
「見るだけじゃ嫌だよハデス、ねえねえ」
「わけてよハデス。ねえ〜」
「お小遣いは渡したでしょう」
「ふたりでひとつだなんて、そんなのズルイよ」
「駄目ったら駄目です。人を待たせてるんですから」
「包帯のお兄ちゃんでしょお?友達だもん」
「だもん〜」
例の双子がまた来ていたところに俺が来てしまったのだ。店主になにやらおねだりしているようだ。あったかい紅茶を啜った。
「じゃあ先に君たちのお友達の用件を済ませますから待っててくれますか?」
「だってさ。どうするルチア」
「どうしようかアンリ。もうすぐお仕事よ」
「また今度?」
「また今度ね」
「わかりました。2人なら私よりよっぽど上手にできるんですから、少しは多めに見てください。ほら、飴をどうぞ」
「ありがと〜ハデス」
「ハデスありがと〜」
「はいはい。玄関まで見送りますよ」
双子の後ろに店主も並んで出て来た。店主も双子もこの前と同じ変わった服に身を包んでいる。店主は変わらず細い目で常に笑っていた。小さな2人と目が合うと黄色の目が4つ、同じようににんまり笑った。
「包帯のお兄ちゃん」
「また会ったねお兄ちゃん」
「やあ。ふたりはいつも一緒だね」
「私たち仲良しなのよ。双子なの」
「お兄ちゃんは何しに来たの?」
まだ幼くて可愛いふたりの大きな目が見つめている。脳裏によぎる思い出に顔が歪むが、首を振って取り払った。
「服を取りに来ただけだよ」
カップを置いて、微笑んで答えた。
双子の笑顔が消えた。
「そう。そうなの……残念だわ。ねえアンリ」
「そうだね。とっても残念だよルチア」
「どうする?」
「どうしようか」
顔を寄せ合って気落ちした様子で話している。不思議な人達の心を読みとる力は強い。考えていることがこの子達にわかっていたとして、店主に伝えるだろうか。嫌な方向に物事が進まなければいいのだが。
「内緒にしてくれると嬉しいなあ」
「何も言わないよ。ねえルチア」
「ええ、アンリ。私たちはお兄ちゃんのことも気に入ってるもの」
「それは、光栄だな」
この双子が何をしている子供達なのか、俺は知らないけど。同じ匂いがする人達を俺は知っている。そういうものに俺が惹かれてしまうことも。
「お兄ちゃんとはまた会える気がするわ」
「会えるよ。絶対。だからまたね、お兄ちゃん」
「うん、またね」
店主は先に扉を開けて雑談が終わるのを待っていた。双子は振り返ってそちらに向かった。
「では2人とも。また今度」
「さよなら、ハデス」
「ばいばい、ハデス」
扉を閉める音が部屋にバタンと響く。2人が大人しく帰って行った事に安心した。誰にも知られない方が気が楽だ。
店主の溜息が聞こえた。
「どうもすみません。注文の服を取りにいらしたんでしたね」
「はい。もうできてますか?」
「ええ、もちろんですよ。お待ち下さい」
そう言うと机の上にある銀のベルを振った。それを合図に奥の方で物音がし始めた。パタパタと慌ただしく走る足音。それが止んだかと思うと、トコトコと小さな靴の音が近づいてくる。さっきの女の子だろうか。
「さっきの子、随分小さいですけど。ハッターさんのお子さんですか?」
「いいえ。私は結婚していないんです。親戚の子達が遊びに来てるのですよ」
「他にもいるんですか?」
店主は頷くと、足音のする方を見て呼びかけた。
「ペルセですか?入って良いですよ。持って来てください」
彼の言葉を聞いた途端、心臓がズクンと妙な動きをしたあと鼓動を早くし始めた。彼はペルセと言った。ペルセと呼んだ。別の誰か?偶然同じ名前の女の子?
そんなこと、あるわけない。
彼女を見つけるために彼と同じ方を向いた。扉がゆっくり開いていく。
彼女の姿がその隙間からゆっくりと現れた。
またお姫様みたいなひらひらのドレスを着ている。抱えている大きな白い布は注文の品、死神の拘束着だ。布で半分隠れている顔は、彼女が布を渡してからやっと確認した。長いキャラメル色の髪は分かれる前と変わらないふわふわのくるくるだった。大きな赤い瞳はちゃんと瞼の下に収まっている。顔色は少し悪い。ちゃんと食べていなかったのだろうか。一緒に暮らしていたときは俺が居ないと全然食べないとエリーが零していた。今もそうだったらどうしよう。でも、どうして帰ってこないのだろう。
「ペルセ……」
積もっていた全ての思いが彼女の名前になって口から洩れた。ペルセは何も反応してくれなかった。何も見ていない。虚ろな目はさっきの女の子のように、どこか遠くを見ていた。
俺の言葉に反応したのは店主の方だった。
「この子をご存知なのですか?」
こんな感情を俺は知らなかった。
「ペルセは俺が預かってた子なんです。ずっと探していたんですよ、ハデスさん」
「……それは、それは」
ハデスは読めない表情のまま、静かに言った。
「ペルセ、おいで。家に帰ろう。無理矢理連れてこられたんだよな。もう大丈夫だよ。もしかして自分の意思でここにいる? 働かなくちゃって思ったのかな。そんなこと気にしなくて良いんだ。ソルはたんまりお金を持っているんだから。子供が働く必要なんてないんだよ。それともエリーにいじめられるのが嫌だったのかな。でも、エリーもペルセを心配していたよ。彼女はあれで普通なんだ。気にしなくていいんだよ。それでも嫌なら、俺が絶対助けてあげるから」
ペルセは動かない。喋らない。
視線を合わせようともしない。
「ねえ、どうしたの?帰らない?ここが気に入ったの?黙ってたらわからないよ。どこか痛い?」
「無駄ですよ。それは私の命令しか聞きません」
さっきより温度の下がった冷たい声で店主が言った。俺は無視してペルセに話しかけ続けた。説得しなければならないと反射的に思い込んでいた。見苦しいとでも言うような店主の溜息が耳に入る。
焦る。名前も知らない感情が俺を突き動かす。
右目が、疼く。
「ペルセ!」
口から飛び出した声が思いのほか悲鳴の様で、自分が傷ついていることを知る。唇を噛み過ぎて血が出ているのに気がついた。
「なっ……」
店主の驚いた声がして、血を舐めるのを止めてペルセを見た。小さな手が助けを求めるようにこちらに差し伸ばされていた。顔は無表情のままだけど、悲痛な声が聞こえるような。
混乱していた。
記憶だと思う。何時ぞやの、千切れた世界の切れ端の中にいた。
鬱陶しくなって、包帯を乱暴に取り払った。
気付かせてくれ。名前を呼んでくれ。
偽物でも良いから——
「ウラミ」
少女の弱い声がした。ハッとして振り返る。
そこにいた。ゆらゆらと。揺蕩うように。
「ペルセ……?ペルセなの?」
ふんわり浮かぶ彼女は透けて、向こう側が見えていた。
バラバラの紙切れが舞う。
「ペルセ。しゃべる。あのね」
「うん?」
「もういない。からだだけ。あの人がとったの」
「……うん」
「とられたまま。こまる。あたらしいところに行けなくて」
「返してもらわなきゃいけないんだね」
「もどれないからもういらない。あの人がじゃま」
「そっか。じゃあ、俺の仕事はやっぱりそれなんだね」
「ウラミ」
「うん?」
「ゴメンネ」
蝋燭の灯火が消えるようにふ、と温もりが消えた。
現実世界だ。戻ってきた。取り去った包帯を片手に握りしめて、俺は立っているだけだった。氷に触れているような冷たさを感じた。
この世界は違う。もう彼女に会う事はない。
置き去りの、身体以外には。
「ペルセ。君は悪くない。悪いのは……」
閉じていた目を見開いた。
「こいつだ」
ハデスを見た。常に微笑んでいた顔には驚きと焦り、怒りも混ざった表情が浮かんでいた。彼の細い目もついに開かれていて、俺は笑った。
赤い目だった。
呪われた悪魔の魂を持つ最後のひとりだ。
「5番目の苦悶。【悪魔の子】、そうだね?」
「あなたは……」
「俺はウラミ。それ以外の何者でもないよ。ペルセを返して」
彼は帽子を脱いで首を振った。無理ですよ、と胸に帽子を当てながら言う。
「私の力で抜いてしまった魂は戻らない。身体が死ぬまで私の生き人形になるのです。もう成長もしない。美しい姿のまま」
「じゃあ、やっぱりあんたを殺すしかないんじゃないか。俺、人殺しはしたことないのに」
涙が伝う。泣いていた。情けないと思う。こんなところでも泣けるなんて。
ハデスは愉快そうに顔を歪めた。
「同じ穴の狢じゃあないですか」
「一緒にしないで欲しいよ」
右目が燃えるようだ。熱い。痛い。けど、ペルセの痛みはこんなものじゃなかっただろう。
薬を飲まされて、祭壇の上。魂を抜かれるってどういうことなんだろう。絶対痛かったよね。大丈夫。もう大丈夫だよ。俺が必ず助けてあげる。
「座れ」
「はい?」
「『椅子に座れ』って言ってるんだ」
何を言うんだ、という表情は恐怖の表情にすぐに変わった。
ハデスは逆らえない。拒絶する心と従う心が鬩ぎ合い、身体がぶるぶる震えていたが、最後にはどすんと椅子に座った。
どんなに意識で拒絶しようとも、その本質が俺の『命令』に逆らえるはずがない。
「何故……」
「気付いてるだろ」
死神から借りたまま、否。ソルから借りたままと言った方が正しい。ソルの拳銃のグリップを彼に向けて差し出した。
「はい。どうぞ」
「……」
全力で拒絶している。彼の唇からも血が垂れた。彼の力が赤い目の鋭い視線で人を刺せるものだったら、俺はもう何度も死んでいるはずだ。震える手で彼がそれを受け取るのを見守る。
「米神に当てるんだよ。手伝ってあげる」
拳銃を握った彼の手に、被せるようにそっと手を添えた。迸るような怒りは静まっていた。今はこの手に愛おしさすら感じていた。妙な気分だ。どうしてかな。
口に出ていたらしく、ハデスは嫌悪を含んだ声色で「知りませんよ」と言った。
俺は笑った。
「俺が『引け』って言えばそれだけで君は死んじゃうんだけど、それだけじゃあ可哀想だから一緒に引いてあげるよ」
「……人でなしの糞野郎だったんですね、あなたは」
「ロリコンの変態野郎に言われたくないなぁ」
彼の息が乱れてきた。ヒューヒューと空気が漏れる音がする。もう解放してあげないと。
耳元でそっと最後の言葉をプレゼントした。
銃声が店内に響き渡った。




