第九話 左右対称病
世の中には、いろんな病気がある。且ついろんな人がいる。でも、世にも恐ろしいこの病気に掛かった人物に遭遇するとは誰も夢にも思ってはいない。
ある夏の暑い日、びっくり屋に一人の男性が入ってきた。見たところ若手サラリーマン風だ。店内を見渡し、隅のテーブル席へ座る。
「日替り焼き魚定食をください。今日は何の魚があるの?」
「はぁ~、今日は秋刀魚だよ」とはぁ~爺が答える。
「じゃ、それ頂戴」
「はぁ、かしこまりましたぁ」はぁ爺は注文を受けると、厨房のかみさんへ伝えた。「秋刀魚焼き一丁~」
びっくり屋は一人暮らしの若者に人気がある。魚系のメニューが豊富なことが理由の一つのようだ。焼き魚、煮魚、そして刺身を揃えている定食屋はなかなか無い。しかもびっくり屋は格安である。
しばらくすると店内に香ばしい魚を焼いている匂いが漂ってきた。
「秋刀魚あがったよ」厨房からかみさんの声がした。
「はぁ、おまちどー」はぁ~爺がテーブルの上へ秋刀魚定食を運んできた。
若手サラリーマン風の客は皿の上に盛ってある大根おろしへサッと醤油を掛けた。「秋刀魚焼きには大根おろしが一番」と横からはぁ~爺が一言そえた。若手サラリーマン風の客は箸筒から割り箸を取り、二つに割った。そしてもう一本の割り箸を取り、また二つに割った。
これはどういうことじゃ はぁ~爺は不思議そうに眺めていた。まぁ割り箸の一本や二本はサービスしてやるか。
若手サラリーマン風の客は最初に割った割り箸を右手に持ち、秋刀魚をつついている。口に運び満足気に食べ始めた。すると今度は、二本目の割り箸を左手に持ち、秋刀魚をつついて口に運んで食べた。で、今度は右手の箸で三口目を食べた。その次はまた左手で食べた。はぁ~爺は、器用なもんじゃなぁ、両利きじゃなと思いながら、観察を続けている。
最初は右手と左手と交互に食べていたのだが、ついに両方の箸を使って、秋刀魚をつついている。両手の箸を器用に使い、細かい骨も取り除いているようだ。その光景は、まるで蟹のようである。蟹が両手のハサミを使い、餌をほうばっているのにそっくりだ。
はぁ~爺は思わず厨房のかみさんを手招きし、近くへ呼び寄せ一緒に見入ってしまっている。「このお客さんは初めての人じゃよなぁ?、なんとも器用なもんじゃ」「ほんとですねぇ、なんか蟹男みたいですねぇ」とかみさんも調子に載って、はぁ~爺の耳元へささやく。
若手サラリーマン風の客は快調に箸を進めている。茶碗のごはんも両手を使って器用に食べている。そして右手の箸を置き、テーブルの隅に置いてあった醤油ビンへ右手を伸ばした。秋刀魚へ醤油を掛け、醤油ビンを元の場所へ戻す。そして体をひねるようにして左腕をお冷グラスへ付けた。
「ありゃまぁ」これを見ていたはぁ~爺とかみさんは不思議な物を見るような顔になった。今の左腕の動きはなんじゃ・・・。
その後も、蟹のように秋刀魚を食べ続けている。なんとも軽快な箸さばきである。
右箸でたくわんを掴み口へ運ぶ。そして左箸ではくさいを掴んで口へ運ぶ。なんか一定の法則がありそうだ。右箸で食べると次は左箸で食べる。単純に交互に食べているようであるが、更に何かが隠されているようだ。
「ばぁさんや、交互に食べているが、なんか規則正しく見えるのう」
「ほんとだねぇ、私もさっきからそう思っていたんだよ」とかみさんが答える。
「なんか鏡に映したようじゃ」
「おじいさん、それですよ、鏡ですよ。左側と右側が対称なんですよ。」とかみさんが言う。
「この前、昼のワイドショーで太古に発生していた『左右対称病』が最近、日本でも流行ってきているって話でしたよ。なんとも、エジプト旅行から戻ってきた人から感染しているらしいですよ」
「そんなケッタイな病があるのかい」とたまげた顔をして、はぁ~爺が言う。
そのまま二人で観察を続けていると、また体をひねるようにして左腕をお冷グラスへ付けた。
「見たかい? 爺さん」
「あぁ、見た見た。今のは、左腕をお冷グラスへ付ける前に、右腕の同じ所が、お冷グラスに当たっていたのぉ」
「そーですよ」とかみさんも驚いた表情だ。かみさんが続けた。
「正確に言うと、右腕がお冷グラスに当たったから、左右のバランスを整えるために、左腕をお冷グラスへ接触させたんですよ」
「うんうん、そーじゃ、まさに左右対称病に掛かっている」とはぁ~爺が言った。
若手サラリーマン風の客は、観察されていることには気づかず、秋刀魚を食べ続けている。というか、自分が左右対称病に感染していることに気付いているのだろうか。無意識の内に左右のバランスを整える、所謂『左右対称病』である。本能的な動作という学説もあり、そのバランスを保とうとする動作を妨げられると、『動きたい動きたい病』へ変化することもあるらしい。その方がかえって危険である。
秋刀魚定食をきれいに平らげ、満足気な若手サラリーマン風の客がいた。「ごちそうさまー」と言う声に我に帰るはぁ~爺とかみさん。
「580円なりー、珍しいものを見せてもらったんで、サービスしといたよ」とはぁ~爺が言った。なんの事やら訳の判らない若手サラリーマン風の客は、一瞬戸惑ったが、財布から600円を出し、手渡した。
「毎度」とはぁ~爺は受け取った。さすがはぁ~爺、気が利くではないか、おつりの20円を10円づづ、右手と左手につまみ、「はい、おつりの20円だよ。」と言って差し出した。若手サラリーマン風の客は、それに同調して右手と左手の両方を差し出し10円玉を一枚づつ受け取った。そしてさも満足気な顔をして店を後にした。
その次の日から、はぁ~爺の食事も二刀流になったのである。二対の箸で、しかも左右のバランスを保ちながら・・・。




