第89話 肩透かし作戦
『横浜ブラックスターズ、初の交流戦優勝が目の前です!ブラックスターズの勝利は絶対条件、それでいて福岡スーパーコンドルズが引き分け以下であれば逆転優勝!』
球団史に残る偉業のチャンス。とにかく勝たないことには1パーセントの可能性もない。
『その大事なマウンドを託されたのはここまで12勝2敗、交流戦でも3戦全勝の背番号18、太刀川みち!』
ローテーション通りとはいえ、こんな大事な試合を任されるなんて……いやいや、九月十月にはリーグ優勝をかけた試合やクライマックスシリーズ、日本シリーズがあるんだからこんなの大事でもなんでもない、それくらいの気持ちでいかないと。
『一方の仙台フェニックスは根津智絵理、東北のジェリーが先発!昨シーズン後半はスランプで二軍暮らしが続きましたが今年は復調!7勝4敗、開幕からずっとローテーションを守っています』
みやこへのライバル心は異様な執着へと変わり、みやこの隣りにいるわたしに対する怒りと憎しみに満たされていた根津。マウンドに立っているだけですでにベンチ内からの殺気を感じている。
(もうわたしやみやこのことなんかどうでもいいって思ってくれているはずなのに……)
根津は開幕直後に入籍した。お相手はブシテレビの吉野和歌子アナウンサーだ。二人とも『どん底』のときに知り合い、慰めあうようにして関係を深めたんだとか。
「ジェリーは木谷がみっちゃんに奪われたとわかった日からずっと精彩を欠いていた。目的を失ったんだろうね」
「吉野アナもスキャンダルがバレて人気のクイズ番組も降板……全てを失った。みっちゃんに興味を示していたくらいのロリコンだからジェリーもストライクゾーンだよ」
新婚で幸せたっぷりのはず、それなのにまだわたしたちをターゲットにしている。相当の恨みだな。
さて、根津はわたしとみやこに対して燃えている。その闘争心を削ぐためにわたしたちは再び下位打線に戻っていた。
4 石河
6 大和
5 奈村
3 フォックス
9 中園
8 荒川
7 楠
2 木谷
1 太刀川
わたしが投手のときも上位で打つことを解禁したはずが早々に元通り。根津がどんな形であれやる気を失ってくれることを狙っていた。
(ふふふ……ボク相手じゃ点は取れないって最初から諦めて守りに専念?わかっているじゃないか、自分たちの実力が!)
逆に乗せてしまっていた。これだけ警戒されている自分は凄い投手なんだぞ、弱気な横浜打線なんて怖くない……そう上機嫌にしてしまった。
『打ちました!レフトへの巧いヒット…あっ、楠がファンブルしています!しっかり見ていたバッターの藤山は二塁に到達!』
初回にいきなり得点圏にランナーを置いてしまった。今日から一軍合流のバッター藤山はベテラン内野手、かつてはブラックスターズに在籍していた。とはいっても、フェニックスにトレード移籍したのはわたしが入団して最初の年、会話をした記憶もほとんどない。
「ナイスバッティングです、一美さん。相変わらずお元気そうで………」
「ああ武美、あなたこそかわいいままじゃない、それでいて立派なキャプテン……武美武美武美、試合後は思い出の店でディナーを楽しみましょうね」
「いいですよ、楽しみだなぁ」
塁上で二人が話している。あの藤山一美は石河さんに対して単なる友情や後輩をかわいく思う気持ち以上の感情を抱いているって中園さんたちが言ってたけど大丈夫かなあ。まあいいや、試合に集中しよう。
『深村、太刀川の速球に力負け!そこそこ飛距離はありますがそのぶん平凡なライトフライ。中園が捕りました』
一死二塁からのライトフライ。これは三塁に行かれるなと思っていたら、藤山は最初からスタートすら切らず、セカンドベースに残ったままだった。
「あ、あれ?ラッキーだった」
『藤山はなぜ三塁へ走らなかったのでしょう?おそらくセーフだったと思いますが』
『元ブラックスターズなんですから中園は送球が下手なこともわかっているはずですよね。打球の行方も見ているのに………』
軽率なプレーはしない藤山だけに、敵味方関わりなく首を傾げるワンシーンだった。とはいえ理由がわかってしまえば納得……いや、納得はできないかな……。
「どう?武美もそろそろ密会デートしてる相手がいるんじゃない?」
「イヤイヤ、いませんよ。週刊誌に載ったときにはもう別れてたあの人が最後ですよ」
「……それはよかったわ!横浜と結婚するとか言ってたものね……なら遠慮なく………」
石河さんのそばに長くいたいから二塁に残っているだけ。とんでもない話だった。
「うお―――――っ!!」
「………あっ……!」
『しかし4番の間内、太刀川の渾身のストレートに手が出ず見逃しの三球三振!スリーアウトとなりました』
深村は次の打席のとき全力で投げないと打たれるかもしれないけれど間内は平気そうだな……なんて考えていると間内にホームランを打たれそうだから余計な計算はやめよう。
「ナイスピッチング、楠のエラーで広がったピンチ、よく抑えてくれたよ」
「しかし藤山……珍しい凡ミスだったな。ランナーが三塁にいたらみっちゃんのピッチングも変わっていただろうに、助かった」
ベース上で仲間に帽子やグラブを持ってきてもらうのを待っている藤山。彼女もチームの得点を犠牲にしてまで自己中心的な行動をしたわけではなかったようだ。
(どうせ太刀川は大事な場面で暴投なんかしない。木谷も太刀川のときは…特にピンチでは絶対に逸らさない。間内じゃ本気の太刀川相手には内野安打もムリ!だから私が武美とじっくりコミュニケーションしても問題はなかった)
石河さんや昔の後輩たちの活躍を見るためにブラックスターズの試合映像をよく見ているという藤山ならではの判断だった。このへんの話は翌日、藤山によって朝帰りすることになった石河さんが教えてくれた。それ以外に何があったのかは誰も聞けなかった。
さて、根津の投球は去年以上の迫力があった。150オーバー連発、変化球もキレていて、野本はもちろん昨日の中雅子よりも打てそうにないかもと皆厳しい表情だった。
「ジェリーの弱点はメンタルや。何かあるといきなり崩れだす。完封か話にならんクソピッチングか……序盤じゃ判断できんわ」
「やはり攻略の鍵はみっちゃんと木谷でしょう。去年みたいにいきなり降板はしないまでも、苛立たせるか心を折るかすれば……」
気性が激しい、浮き沈みの極端な投手だ。何もしなくても勝てるのならそれでいい。どうしても打ち崩せないとなったら皆の言う精神攻撃か………。
三回裏、先頭の楠さんの打席。今シーズンは打率1割、そもそも打席数がここまで10しかない楠さんが根津を打つのはさすがに厳しいかと思われた。ところが、
「………か、快音!?」
右中間を破る二塁打になった。どんな球を打ったのかまでは見えなかったけど、理想のヒットとはこんな感じ、といういい打球だった。
しかし、これには根津の思惑があった。藤山に続き、根津も自分の欲求が第一のようだ。
「ハハハ………!ノーアウト二塁!熱い場面だ!ここでバッターは木谷都、そしてゴキブリと続く!ボクは自分を奮い立たせるためにわざとザコに打たせてピンチを演出したのさ!」
「………バカじゃないの、あいつ」
「脳味噌がネズミレベルしかないのかしら」
高笑いする根津を見る周囲の目は冷ややかだった。これで失点して試合に負けたら二軍落ちの懲罰は避けられない。
「さあ、決着をつけよう、木谷都!去年の四球みたいな寒い結末は二度はない。そしてゴキブリ、今度こそ駆除してやるよ。お前はプロ野球界にいらない存在だ」
根津にとっては一年待った舞台……力が入って暴走するのも無理はないのかもしれない。みやこも今年は真っ向勝負で応えるだろう。
「いくぞ!木谷都!これがお前を倒すために磨きあげたボールだ――――――っ!!」
「………」
初球から出し惜しみなし、全力の投球だ。すると次の瞬間、みやこはバットを寝かせ、コツンという音と共にボールが転がった。
「………え?」 「は?はぁ?」
「あああああ〜〜〜っ!?」
ランナー二塁のときはこうやってバントするんだという、お手本のような三塁線への送りバントが決まった。1アウトとなりランナーは三塁へ。去年は四球、今年は犠打……みやこは徹底して根津を無視した。
『お、送りバント成功です……開幕戦でも木谷は太刀川のバットに期待して犠打を決めていますが……それだけ今日の根津からは1点を取るのが難しいという判断でしょうか』
『しかし木谷はいまセ・リーグの首位打者ですよ?本人の考えにしてもベンチの指示にしても消極的すぎませんか!?』
新浦監督たちからサインは出なかった。これはみやこの独断だ。マウンドから根津があれこれ騒いでいるのを全く相手にせずみやこはベンチに戻っていった。
「クソが〜………どこまでコケにしやがるんだ、木谷都!それならお前の大事な太刀川にこの恨みの全てをぶつけてやる。圧倒的な実力差で惨敗し醜態を晒す汚いゴキバエの姿はいい見せ物になるっ!」
「………」
「太刀川みち!お前と関わったせいでボクも和歌子も転落と挫折、失意を味わった。今度はお前が地の底で絶望する場面だ」
ほんとうにこの根津は逆恨みばかりだ。また今年もホームランを打ってやれば少しは大人しくなるだろうか。どっちがただ迷惑なだけの害虫みたいなやつなのかはっきりわかるだろうか。
(……う〜ん、危なかった。わたしが熱くなってどうする。根津をもっと怒らせないといけないのに)
深呼吸してから打席に入った。でも一つだけ疑問があった。いまでさえこんなに荒れている根津がこれ以上怒ったら大変なことになるんじゃないかと………深くは考えないようにした。
『ランナーは三塁、バッターは太刀川!フェニックス、前進守備といきたいところですが長距離砲、しかも強烈な打球が多い太刀川相手にそれはできません!』
根津は三塁ランナーの楠さんを一切見ず、常にわたしを睨みつけている。楠さんの足の速さは普通だけどこれならリードし放題だ。
「…………」
「…………」
「…………」
三塁コーチ、わたし、楠さんの三人の間でサインが交換され、全員頷いた。
「いくぞーっ!ゴキバエ―――っ!!」
『ジェリーが吼えながら投げた!これは低いか……ボール!』
初球は見送ると決めていた。頭に血が上っていきなりど真ん中なんて失敗はいくらなんでも二年連続で繰り返したりはしないはずだ。
「ふふ……ボクの球が見えているのかな?いや、手が出なかっただけか………」
「………」
まだ冷静さが残っているようだ。となると次も失投しない限りは厳しいコースを突いてくる。それも長打警戒で低めに。
『さあ、闘志むき出しのジェリー!その第2球、すぐにサインが決まって……投げました!』
低めストレート、セットポジションからコントロール重視で投げたせいで球速は最速とは程遠く、ボール球にするつもりだから気合いも乗っていない球……あれをやるには最高の条件が揃った。
「……えいっ!」
「……………ハ?」
うまく転がってくれた。完全に無警戒のフェニックス内野陣を出し抜いた。
『スクイズ――――――っ!ファーストの鈴川、反応が遅れている!』
「ク、クソクズが―――――――――っ!!」
『いや、ジェリーが素早くキャッチ!無理な体勢からバックホームだ!』
一塁に投げてくるはずだからどさくさ紛れにわたしにぶつけようとしてくるかもと少し心配だったけど、そこは根津のピッチャーとしての本能が勝ったみたいで、恨みよりもプレーを優先した。ただし、冷静じゃなかった。
『これは間に合わな……あっと!?送球が逸れてキャッチャー捕れません!楠ホームイン!この間に太刀川も二塁に走ります!』
タイミングは絶対セーフ、追いついただけで満足するべきなのに上半身の力だけで強引にホームへ送球。根津にとっては最悪だ。
「ぐ………ぐぐぐっ!」
『記録はスクイズ!それに根津のフィルダースチョイスと悪送球、太刀川には打点がついてリーグトップを快走です!』
藤山 一美 (仙台フェニックス内野手)
元ブラックスターズ、打撃も守備もレベルが高いベテラン。右投左打。石河武美が大のお気に入り。
元になった選手……横浜からトレードで楽天へ、見事に横浜を出る喜びを味わった一人でもあるあの選手。かつてファン感謝デーのクイズコーナーで、この人と石川雄洋さんはとんでもないバカっぷりを披露した。




