番外編③ ブラックスターズ狂①
彼女の勤める会社は、理想的な職場だった。夕方五時が終業時間、それがまず素晴らしかった。人の少ない小企業なので金にならない残業や休日出勤もあったが、個人の予定や自由は最大限尊重された。
家族のために今日は早く帰りたい、政治活動のための集まり、宗教の勉強会がある………家庭や信条、趣味を理由とした定時上がり、有給休暇が自由だった。犯罪に関わることと他者にしつこく仲間になれと押しつけることさえしなければどんな政党や宗教に属していても、人に言えない趣味を持っていてもよかった。
「じゃあ、お先に失礼します」
「お疲れさまでした」 「また明日〜」
彼女はこの日、早々に職場を後にした。仕事の少ない余裕のある日ではあったが、一刻も早く去りたいといった様子だった。
「ああ………今日から横浜スタジアムだったか」
「シーズンオフは私たちの代わりに進んで仕事を引き受けてくれますからね。別に構わないんですが……」
同僚たちも彼女のことは知っている。勤務態度は極めて良好、人間関係も問題なし、優秀で模範にすべき社員だ。
「野球は詳しくないんですが……確かあの人の応援しているチームって……」
「お世辞にも強くはないな。セ・リーグで一番優勝から遠ざかっているチームだしな。地元ではあるが私も贔屓はゴーレムズだよ」
彼女は一人、ハマスタに向かう。球場に到着したときにはすでにユニフォームに着替えていた。時間は五時半。このハマスタまでの所要時間も考えて勤務場所を選んでいた。
物心ついた日からの横浜ブラックスターズファンクラブ会員、熱狂的なブラックスターズファン、チームが強い時期も弱い時期も、親会社が変わったり主力選手が大量にいなくなったりしてもチームを愛し支え続けた。
「かっとばせ―――っ!た・け・み!」
『厚木 星菜』。彼女にとってブラックスターズは生活のすべてだった。選手たちの言葉はどんな政治家や哲学者の話よりも心に入りこみ、熱いプレーの数々は何よりも彼女を感動させた。世界に数多いるどの神々もブラックスターズ以上に彼女の専心を奪えない。
「いけ―――っ!入れ!入れ!」
仕事中からは想像もつかないくらい大声で、感情むき出しの応援スタイルだ。ライト側外野席、周りなんか気にしなくていい応援団のそばでチームの勝利を叫びながら願い求める。もちろん全選手の応援歌を正確に歌えた。
「木谷―――!木谷―――!」
その声援のおかげかは知らないが、ブラックスターズは幸先よく初回に先制。3番打者、木谷のソロホームランはペンギンズのベテラン投手、福井から打った貴重な一打だ。
「さすがは木谷だわ!ブラックスターズが常勝チームになるためのキーパーソン!」
ユニフォームは『ハマの女番長』と呼ばれる新浦監督のものを着て、複数の選手の名前入りタオルを振り回す。言うまでもないが、自宅にはまだまだ応援グッズが控えていて、その日の気分で誰のユニフォームで参戦するか、何枚タオルをもっていくかを決める。
「木谷が不動の正捕手としてチームを引っ張り、強力な中継ぎ陣がいる………ショートの大和の守備のおかげで内野陣は締まりがある。武美がリーダーシップを発揮して……今年はもう優勝しかないじゃない!」
先発投手はほとんど壊滅、打線は下降気味、新外国人は外ればかり。問題点も多々あるチームだが舞い上がっている彼女の頭からはネガティブな考えは徹底排除されている。
「後は今中が六回くらい投げて勝利の方程式で決着!楽な試合だったわ」
勝利を確信し、ジュースを飲んで喉を潤す。もう大丈夫と思っても応援の手を抜くことはない。そもそもまだ二回の表だ。たった1点のリードで試合が決まるわけがない。
「………は?」
ミルルトペンギンズの4番、村下がすぐに同点弾。一瞬で振り出しに。
「…味方が点を取ってくれた直後に失点……一番やっちゃいけないことじゃないの。だからいつまでも真のエースになれないのよ………」
ぶつぶつと呟きながら大きなため息を何度もつく。どんなトラブルにも冷静に、常に先を見て対応する普段の彼女はどこへやら。この急激な上がったり下がったりは日常茶飯事だった。
そして試合はだんだんとペンギンズが攻撃する時間が長くなり、ブラックスターズは小刻みな継投策で凌ごうとするも勢いで完全に勝る敵を止めることはできず………。
「アウト!ゲームセット!」
終わってみれば6ー2。連打で理想的に得点したペンギンズに対し、ブラックスターズは3番と4番のソロホームランが出ただけ。五月の終わり、日によっては夜はまだ冷える季節に寒い試合を見せつけられた。
「あ〜あ………負けかぁ」
「中身もつまんねー負け方だったな」
ペンギンズの選手のインタビューが始まる前に次々と席を立つブラックスターズファンたち。そんななかで、無様な敗北を演じた一塁ベンチの者たちまではっきり聞こえるほどのヤジが飛ばされた。
「レズレイプしてやるわ――――――!!」
場内アナウンス、ペンギンズファンの賑やかな歓声を斬り裂いて、魂の叫びが響き渡る。
「徹底的にレズレイプしてから裸で横須賀に放置してやるわ――――――っ!!」
物騒で卑猥なヤジを飛ばす彼女に対し、警備員は何も動かない。ブラックスターズファンはもちろん、ペンギンズファンですら見慣れた光景、聞き慣れた声だった。
「ま〜た始まったよ」
「ハマスタ名物ですね……。たまに神宮や東京ドームにも出没しますが」
厚木星菜、気のすむまで一通り叫んだ後、翌朝も仕事が控えていることを思い出しとぼとぼと帰路につくのだった。
厚木 星菜 (会社員)
ブラックスターズを人生の中心に据える熱狂的なファン。彼女にとって支持政党はブラックスターズ、信じる宗教はブラックスターズ、家族はブラックスターズである。試合に勝つと横浜優勝などと叫ぶが、負けると発狂しレズレイプしてやると罵声を飛ばす。




