第8話 目覚め
試合は二回表、先頭の大筒さんがツーベースを打つも後が続かず2アウト三塁。ここでわたしの打席を迎えた。先制のチャンス、チームの作戦はファーストストライク狙い打ち。今シーズンどころか通算0安打のわたしにも積極的な指示は変わらずに出ていた。
「ボール!3ボール!」
意外なことに投げ辛そうだ。まさかわたしのなかに眠る強打者の資質を見抜いたのかな?ミルルトのエース大川、超一流は超一流を知るってことか……そんなわけない。最初の2球、際どいところが入らなかった時点で考えを切り替えただけだろう。わたし相手に申告敬遠はプライドが許さないとしても万が一を考えて勝負をやめたみたいだ。
「アホ―――っ!状況考えろボケ!無理にでも打てや―――!!」
結局フォアボールを選んだわたしに対しスタンドからの声は辛辣だった。最後はもう大きく外に逃げる球でストレートのフォアボール。打ちようがないというわたしの反論はお構いなしだ。それもそのはず、次は8番だけどピッチャーのヒュウズだからだ。
(……8番投手……今日のところはまず失敗か。ボールになったとはいえ2球目はいけたかもしれないな。これでこの回は無得点か。ヒュウズの打撃はお世辞にも……)
わたしが顔をしかめていたときだった。ミルルトの捕手がボールを三塁側ベンチに向かい軽く投げて転がしている。それをコーチが受け取ってスタッフの人に渡していた。
「………ああ……そうか、これがわたしのプロ入り初の四球だから……ですか。四球でボールを欲しがるなんて……だったらエラーや三振でも何でもいいんですかね?」
「いや、さすがに悪い記録のほうはいらないって言われているわ。確かにここまで熱狂的なファンって不気味だけど……プレーには何の関係もないことだから」
それもそうだ。余計な考えのせいでポカをしたらばかだ。試合に集中しなくちゃ。ヒュウズはあっさり三振して3アウト。二回裏、もう一度4番の村下からだ。今日はサインをぜんぶヒュウズ任せにしてあるけれど村下だけはわたしが出す。木谷さんに話した通り、全球内角攻めを指示するつもりだ。若い強打者のバッティングを狂わせる。
昨日の試合では村下は最後の打席、申告敬遠で一塁へ歩いた。こんな点差でどうして申告敬遠なんだとピッチャーの藤枝さんも木谷さんも露骨に不満そうな表情を見せた。だから木谷さんがわたしの意見通りにしたかはわからずじまいだった。
『4番!ファースト!村下~~~貴音~〜!』
わたしよりも年下なのにずっと落ち着いているしすでに風格がある。それを崩すための内角攻め、ヒュウズのコントロールにかかっている。今日どころかこの先のシーズンにも影響を与えるような打席にしたい。ここだけ全神経を使って投げ切ってと願った。
『ファール!これは厳しいボール!避けたらバットに当たってしまいこれで0-2!』
順調だった。ぶつけるかもしれないくらいでちょうどいいと思っていた。ミルルトのベンチから何やらヤジが飛んでいるけれど気にしない。ここで日和ったら台無しだ。
村下もわたしをなめている。これだけ内角を攻められているのに外角で仕留めるための伏線としか思っていないのか、踏み込んで流し打とうという足の力の入り方だ。
(…………)
わたしのサインにヒュウズが頷いた。そして勝負の球、最後まで内角に投げ込んだ。
「…うわっ!こいつら……!」
本気で潰しに来ているのか、と村下は大きく後ろに仰け反った。でも、残念だったね。
「ストライク!バッターアウト!」
「えっ!!」
本人は直球をバシバシ投げるほうが好きらしいけど、変化球のキレは絶品だ。カミソリのようなシュートが決まって三球三振。ここまで狙い通りとは嬉しい誤算だった。
「………」
ヒュウズを、そしてわたしを睨みつけながら下がっていった。それくらいでビビるもんか。次もその次もひたすら内角を攻め続けてやる。そう強い気持ちで臨んでもやっぱり神経は使うものだ。ほっと一息ついた……それがいけなかった。
『打った―――――っ!!これは大きい!ライトの中園、一歩も動きません!入った!ライトスタンド中段に叩き込みました!ガイエス、先制の第10号ホームラン!』
村下を打ち取って安心しちゃったのはヒュウズも同じだった。次の打者への初球がホームランバッターなら絶対見逃さないところに入ってしまった。ミルルトの5番、カナダ人助っ人、『アーバンシー・ガイエス』の一撃にやられた。
(……一息入れるべきだった。今年のミルルトは6番までは打線に切れ目がない)
これまでわたしが一軍の舞台でマスクを被ったのは終盤、すでに試合が決まっている場合だけだった。相手の打者も雑なバッティングになっていることが多く、わたしにとってはやりやすい状況だった。今日はそうじゃないと手痛い一発で思い知らされた。
その後は両チーム無得点が続く。出塁を許したりもしたけれど相手はもう盗塁を仕掛けてこなくなった。作戦がハマっただけなのにわたしの肩を過大評価してくれているらしい。
わたしたち横浜の攻撃は三回の先頭打者倉木さんが初球を打ってライト前ヒット、でも併殺で結局三人で攻撃は終わった。円陣を組んで早打ち作戦をやめても大川を打てず四回は三者凡退、そして五回、1アウトランナーなしで打席に立ったわたしは、
『フォークにバットが止まりません!7番太刀川、三振に倒れました』
ワンバウンドする球を空振りして三振。打席数が少ないということもあって、これが一軍では初めての三振だった。コーチの言葉通り、そのボールはキャッチャーから内野に回され、横浜ベンチに届けられることはなかった。8番ヒュウズも三振して試合は完全に膠着状態になった。何らかのきっかけがないとこのまま動かないぞ。
『ガイエス打った、これは平凡なショートゴロ……ああ―――っと!倉木弾いた!』
ヒュウズはランナーを出しながら粘ってきた。ところが六回裏の先頭ガイエスの打球を倉木さんがファンブル。弾いたところが悪く一気に二塁まで到達された。
『6番ライト、夕子』
今日はまだヒットがない6番の夕子を迎えた。登録名夕子、本名『高見 夕子』。わたしと同じ投手から野手に転向した選手だ。むこうはドラフト競合の大物で、投手としても何勝かしているのだから全く格の違う選手ではあるけれど。
(ベンチからの守備位置の指示は…なし!まさかのわたし任せ!?)
まだノーアウトだ。前進も後退もさせず、引っ張りにだけ警戒させた。ヒュウズの直球についてきているぶん強い打球が一、二塁間を襲うと考えたからだ。
(ストレート…球威は落ちていないしいいか。甘くならなきゃ大丈夫かな)
川又と同じでこの夕子も積極的に打ってくる。厳しいコースに投げたら打ち取れる。そろそろ球数も今日の交代目安に定められた100に届きそうだ。早めに勝負をつけたい。
「……!セカンド!」
右寄りの守備位置が正解で、石河さんが正面で捕ってセカンドゴロとした。2球でアウトにできたのはよかったけれど、ランナーも進んで1アウト三塁となった。
(……あんな球でも振ってくれたんだ。三振を取りにいくべきだった………)
ブルペンではもうリリーフ陣が準備をしている。ヒュウズになんとかこの回まで投げ切らせてあげたいという願いが裏目に出た。継投が早いラメセス監督も自分の気に入っているヒュウズに白星をつけるためにまだ我慢してくれている。わたしもどっしり構えて夕子を三振に仕留めるリードをしなきゃいけなかった。
『これは犠牲フライには十分な飛距離!ボールもホームには帰ってきません!ガイエス、ホームイン!2-0、ペンギンズが貴重な追加点です!』
『今日の大川は2点あれば大丈夫でしょう。横浜バッテリーもエラーで出てしまったランナーですから仕方ありませんが…もう少し慎重に勝負してほしかったですね』
簡単に犠飛を打たれてしまい、連敗中のチームには今日もダメかというムードが漂う。
「は~…挽回するチャンスもないし……もったいなかった」
六回で2失点。この数字だけならまずまずだけど、防げる失点だった。これで今日の仕事は終わり、とつぶやいていると木谷さんが厳しい口調でわたしに喝を入れる。
「何を言っているの?まだ試合は終わっていない。あなたの打席も……」
あと一回か二回は回ってくると言いたいのだろう。でもそれはない。
「この回は3番の中園さんからだから二人出たらわたしに回るよね。でもチャンスなら当然代打でしょ。打順が来なきゃヒュウズといっしょにバッテリーごと交代だよ。つまりどう転ぼうがあとは木谷さんか戸場さんに任せることになるね」
ヒュウズの専属捕手なのだから降板と同時にわたしも交代させられるだろう。さすがに初先発だし6回までだ。むしろよくここまで引っ張ってくれた。
「まあいい勉強になったよ。来週も一軍に残れるかわからないけど……」
へへへ、と締まらない笑いが出た。すると木谷さんは怒りを込めてわたしに迫った。
「まだ終わっていないと言っている!情けない顔で笑うな!」
「……お、おおぅ、そうだよね。いくら自分の出番が終わってもあと3イニングある。だらけてないでちゃんと応援しないとね。反省しなきゃ…」
「違う!今日のあなたの出番は終わっていない!必ずチャンスはある!」
そんなばかな、と言い返せる雰囲気じゃなかった。わたしの代打で出場するとしたら木谷さんが最有力なんだから準備したら、とも言えない。とはいえあと少しすればわたしのほうが正しかったとむこうもわかるだろう。
………と思っていたのに、信じられない事態が起きた。わたしが間違っていた。
『7番キャッチャー、太刀川。キャッチャー…太刀川』
いや、わたしは間違っていないはずだ。スタンドの反応はわたしと同じ意見だ。
「ふざけてんのかラメセス――っ!代打を出せ―――っ!!」 「木谷を出せ!」
七回表、2アウト一、三塁。誰がどう考えても代打…なのにバッターボックスにはわたしが立っていた。マウンドに集まっていたミルルトの選手たちですら困惑しているのがわかる。助かったけれどわけがわからないといった顔が並んでいた。
「これで無失点は確実ですけど……私たちの知らないところで八百長でもやってんじゃないでしょーね?この時代に野球賭博なんか一発で追放ですよ。逮捕されるかも」
「どうだろうなぁ。そんな大きな問題じゃないんじゃない?ラメセスは人とは違う変わったことをするのが大好きだって話だし、100%代打ってところでそのまま元の選手を打席に送る、そんな奇策に走る自分に酔っているだけだと思うわ」
わたしがバッターなら大丈夫と言わんばかりに早々に内野陣は解散した。マウンドの大川は危機は去ったという安堵の様子が隠せていない。まさかこれが監督の狙い?代打を出しても今日絶好調の大川が本気を出せば誰も打てない。だったらわたしが油断しきった大川からプロ初ヒットを打つ可能性のほうが高いという作戦か。
(……よし!だったら初球打ちだ!甘い球をセンター返しだ!)
三塁に中園さん、一塁に2アウトから内野安打、気迫のヘッドスライディングで出塁した石河さんを置いてゲーム再開。その初球、中途半端な球速の球が内角に来た。
「ここだ―――っ…………ありゃ!?」
気を抜いていたから遅かったんじゃない。直球に見える変化球だった。
『あ―――っと空振り!沈む球が全く見えていないのでしょうか?』
そして2球目、迷いが生まれていたわたしを嘲笑うかのように真ん中に直球。
「ストラ―――イク!」
振るんだったらこっちを振れよ、と自分を叱っても後の祭りだ。カウント0-2。球場の全てが『このまま三振だな』という空気に満たされた。ミルルトベンチやそのファンからは自信や喜び、安心感が、横浜側からは失望や落胆、憤怒の感情がこれでもかとわたしに突き刺さる。チャンステーマの合唱もどこか悲しげだ。
(ふ―――……参ったな。やっぱりダメだったじゃないか……)
セオリー通り代打を出せばよかったのに、と心のなかでボヤいていた。すると、
「そんな覇気のない顔で打てるわけないだろ―――っ!!」
ベンチからヤジが飛んできた。でもミルルトじゃない、なんと横浜ベンチからだ。自分のチームの選手に罵声を飛ばすなんて前代未聞だ。しかもその声の主は大声など決して張り上げない……いや、寮で二人きりのときやはりわたしを貶しまくった、木谷さんがベンチの最前列から周りなんて気にせずにわたしに向かい叫んでいる。
「だからあなたの四年間は無駄だと言ってやったんだ!こんな腐れたチームのベンチにずっと座り続けていたせいですっかり負け犬だ!さっさと三振して横須賀に帰れ!」
横須賀というのは二軍の本拠地がある地名だ。一軍を去れと言いたいんだ。ベンチの先輩たちが木谷さんを抑えようとしていたけれど止まらなかった。
「それが嫌ならあなたの輝いていた日のことを思い出せ――――――っ!私を虜にしたあの日……あの神宮での最後の打席のあなた自身を―――っ!!」
あの最後の打席……九回裏2アウト、4-0で負けている状況。初回に4点取られた時点で終わっていたのだけど、高校三年のわたしは諦めていなかった。それまでの打席、ソロホームランを打つよりも走者を溜めたほうがいいと考えて出塁を最優先に考えていた。でも最後の最後、もはや一発を狙っていい場面になっていた。
(……そうか……あのホームランが令嬢実業の西東京大会唯一の失点だった。あとはぜんぶ完封、だから悔しくて覚えていたんだ。わたしはすっかり忘れていたなぁ。二軍でもホームランは打っていないからあれが最後のホームランだったのに)
いまはパ・リーグでプレーしている大岩から打ったっけ、バックスクリーンに。金属バットだったけれどあの手応えは凄かったな。あんなのはずっと……。
このとき、わたしはハッとした。忘れていたのはあの日の記憶、失ったのはあの頃の技術と勢いだけじゃない。希望や情熱、負けてたまるかという心だ。
自分はこんなもの、二軍の試合成立要員や第三捕手としてできることをやればいいやという甘い考えや、クビになったら食べていけないという消極的な姿勢がわたしを退化させていたんだ。
「…………」
深く目を閉じてからもう一度しっかりと開くと、これまでとは何かが変わっていた。いまこの打席で打てる打てないの話とはまた違う、それ以上の変化があった。
『さあこの試合の勝負所、0-2から大川……投げましたっ!!』
この球をフルスイング、それしかないと決めていた。ヤマが当たって直球を続けてきた。
「その球はダメ!」 「止めて~~~~っ!」 「釣り球だ!」
「いけぇぇえええ――っ」
ランナーやコーチ、ベンチからの声なんて入っていない。ストライクゾーンを大きく外れた高め、わたしの顔の高さほどの球を全力で振り抜いた。
『打ちました―――――っ!!だ、打球の行方は!?』
ホームランバッターは打った瞬間その場でガッツポーズをしたり華麗にバットを投げたりして喜びを表現する。よくそんなことできるなぁ、わたしはどれだけ特大のホームランを打とうがきっと全力で走り出すよ、そう思っていた。でもいま、わたしはバッターボックスの中、バットを持ったまま一歩も動かずにいた。
『打球は……れ、れ、レフトスタンドだ!入った入った!ホームラン、ホームランです!太刀川、今シーズン…いや、プロ第1号となる逆転3ランホームラ―――ン!』
マウンドに崩れ落ちる大川、何かを騒ぎながらホームに戻ってくる中園さんを見てわたしも現実に帰ってきた。初ヒットがホームラン、それも大好きな神宮で。
相手への敬意は大事だ。だから小さなガッツポーズもせずにダイヤモンドを速くもなく遅くもないスピードで一周した。隠しているだけでとても興奮しているからベースの踏み忘れには注意してホームイン。待ち構えていた中園さんと石河さんにヘルメットの上から頭を何度も叩かれたり抱きしめられたりして祝福されながらベンチに戻った。
「やった――――っ!」 「みっちゃん最高!」 「ミラクルバッティング!」
皆とハイタッチ。ラメセス監督は特にご満悦の顔だった。データだったのか、それとも勘だったのか、わたしを信じて打席に送ってくれたことに感謝しかない。代打を出せばよかったのになんて心のなかで采配批判してごめんなさい。
そしてもう一人、恥を忍んでわたしを目覚めさせてくれた木谷さんにもお礼がしたい。わたしを怒らせるようなことを言って刺激を与えた、あれがなければ打てなかった。でもハイタッチの列の中にその姿はなかった。ベンチ内のどこにもいない。
「あれ…?木谷さんは?」
「そういえばいないわね。みっちゃんがホームランを打った瞬間はいたのに」
「あの子…みっちゃんのことを相当見下していたからね。自分より先にホームランを打たれたのが悔しかったんだわ。ハイタッチも拒否するくらいだもの」
そう…なのかな?それは違うと思ったけれどわたしも木谷さんのことはよくわからない。ほんとうにわたしが嫌いならあんなことはしないはず。その本心が聞きたくなった。
大川 (外苑ミルルトペンギンズ投手)
ペンギンズのエース投手。右投右打。圧倒的な武器こそないが調子がよければ相手投手に関わらず勝てる。まだ若いがスタミナに難ありなので、リリーフ陣の出来が彼女の成績にも影響する。
元になった人物……近年稀に見るハイレベルな新人王争いを制したこともあるヤクルトの右のエース。ここ数年は最多敗、防御率最下位などワースト記録に名を連ねる年が続く。
倉木 (横浜ブラックスターズ内野手)
ラメセス監督の指導により打撃開眼、遊撃手としてレギュラーの座を手にした。右投左打。追い込まれる前に早打ちというラメセスの教えを固く守るが、追い込まれてもファールで粘る。チームでも一、二を争うラメセス信者。
元になった人物……ベイスターズ日本シリーズ進出の年にフルイニング出場したあの選手。ファンもアンチも多いところは彼の憧れるWWEの大スターと同じ。2020年は課題の守備こそ安定していたが、存在感は薄くなっている。




