第7話 初スタメン
プロ五年目、初スタメンの日。試合前練習の時間には先輩たちがたくさん話しかけてくれた。
「いままで腐らずに頑張ってきたかいがあったね、みっちゃん!ファイトだよ!」
「二軍の試合と大して変わんないって、ほら、リラックス、リラックス!」
予告先発ですでに投手はヒュウズが先発することが明らかになっている。でも我らが監督、A・ラメセスは試合の三時間前に早々にサプライズを記者に知らせてしまった。
「今日の先発マスクは太刀川。彼女が一番ヒュウズの力を引き出せる。経験の浅さは問題にならない。昨日の木谷の活躍に彼女も黙っていないだろう。チームは連敗中だが連敗の後には必ず連勝がくる。その初日が今日になると約束するよ」
話を聞いていた記者たちは揃って驚きを通り越して呆れの表情だった。この女がまーた奇策に走ったと。昨日の試合を見ていたら投手が誰だろうが捕手は木谷さん一択だ。あえてありえない選択をすることで目立ちたいだけだと結論している。
わたしも最初はそう思った。ヒュウズがわたしを指名したところでそんなわがままな要求ができるほど彼女の立場もよくない。一蹴されて終わりになるのが普通だ。
これはわたしへのテストだ。二か月間一軍にいたけれど何もしていないわたしがこの先も必要かどうか、今日の試合でラメセス監督は見極めようとしている。
(第三捕手の必要がなくなっちゃったから当然だ。チャンスをもらえただけありがたい)
そう、木谷さんは若くて強打者だ。チャンスで代打を出す必要はないし、大差がついても経験を積ませるためにそのまま試合に出るだろう。捕手は二人で十分だ。
木谷さんはわたしに勝つために横浜に入ったと言った。全てにおいて自分が上であるとわたしに見せつけて敗北感と絶望の海に沈めると。早くもわたしを追い詰めている。ま、今日結果が出せずに二軍に落ちたとしてもそのくらいでへこたれるほどわたしは弱くないけどね。体も心も打たれ強い、それが自慢なんだ。
「はい……ありがとうございます。いつ呼ばれてもいいように準備するだけです」
その木谷さんはというと、監督以上にたくさんのカメラやマイクに囲まれていた。なかには元プロ選手の姿もあった。スポーツニュースや朝の番組に出演している人たちで、初出場でいきなり2安打1打点の活躍を見せた規格外の新人を取材したいんだ。
「あっ……!あの婆さんは………ハリーじゃないか!自ら取材にくるなんて!」
「ほんとうだわ。変な打撃指導でもして木谷の調子が狂わなきゃいいんだけどね」
ずっと昔の選手とはいえこの人を知らないプロ野球選手はいない。日曜朝のニュース番組、スポーツコーナーの主役が『張田 伊佐美』、張さんとかハリーって呼ばれている。3000本以上のヒットに加え、数々の大記録を残した歴史に残る大打者だ。何やら木谷さんと雑談をしているようだ。こっそりそばを通って聞いてみることにした。
「最近は打てる捕手がいなくなっているからね、慢心せずに練習に打ち込んでほしい」
「……ありがとうございます」
「しかしまともなチームに入れなかったのが不運だね。私の所属していた球団でもあるゴールデンゴーレムズなら新人王は確実だった。ラメセスなんかが指揮するせいで今日は聞いたこともない変な捕手がスタメンだっていうじゃないの。あなただって不満があるでしょ?放送じゃ使わないから本心を言ってごらんなさいな」
これまで何の実績も残せなかったわたしを非難した木谷さんだ。張田さんの言葉に同意して監督への、それ以上にわたしへの文句を口にするだろう。それでも言われたところで試合に出るだけです、という優等生のコメントをきっと最後に添えて。
もうこの場にはいたくなかったから気がつかれないようにして静かに離れた。興味本位で近づいたことを後悔した。気持ちを切り替えなくちゃいけない。試合の結果でしか評価を覆す方法はないし、誰にどう思われているかなんていちいち気にしていたらとてもプロの世界では生きていけない。特にわたしみたいな選手は。
『先攻のブラックスターズ、1番、センター荒川!センター、荒川。背番号…』
場内へ予定先発オーダーの発表が行われた。選手の名前が呼ばれるごとにファンの声援とトランペットの演奏が鳴り響く。もちろんわたしたちの間ではもうわかっているし、実はファンもこの発表よりも早く今日確実に出場する選手と欠場する選手の情報を手に入れることができる。
今日は監督がわたしを使うと言ったニュースがすでに流れているみたいで、スタンドはどこか白けてしまっているのがよくわかった。
『7番、キャッチャー、太刀川!背番号60』
すでに知っているファンからはため息、知らなかったファンからはどよめき、それでも形通り応援しなきゃなって感じのコールとどこか寂し気なトランペット。予想通りの反応だったけれど、ついにわたしの名前が試合開始からスクリーンに載っている、その日が来たんだとしみじみ眺めていた。
子供のころからの思い出の球場の神宮で思い出に残る瞬間を迎えられたと思うとうれしさから自然と笑顔になっていた。
「記念に一枚、センターを背に写真でも撮っておく?みっちゃん」
「あはは……それじゃあほんとうに思い出作りみたいで縁起が悪いからやめときます。まるで明日二軍に落ちる選手の最後の花道……これから珍しくなくなりますから!」
8 荒川
3 セト
9 中園
7 大筒
5 長崎
4 石河
2 太刀川
1 ヒュウズ
6 倉木
そうだ、今日がテストだというのなら合格してやるだけだ。学校のテストでは散々な出来だらけだったわたしでも、実技はいつも花丸合格だったんだ。
「じゃあ今日も前回組んだときと同じようにそっちからサインを出すということで。さすがに今日はコースもあらかじめ教えてもらえるとうれしいなって…」
「OK、OK!この間は好き勝手やらせてもらって悪かった、私も心に余裕が持てたからちゃんとサインを出すよ、と言っています。監督にも許可は貰っていると」
ヒュウズ、そして通訳さんと握手をして試合前の打ち合わせは終わった。先発転向の調整はうまくいったみたいで、二軍で2試合登板、4回無失点と5回1失点。今年は打線が絶好調のミルルトにぶつけるのだからラメセス監督もヒュウズの力を信じている。もしくは連敗中の悪い流れを断つために未知の力に頼らざるをえなかったか……。
(初回に5点くらい先制出来たら楽なんだろうけどなぁ…今日は厳しいかもな)
外苑ミルルトの先発投手は大川。一昨年の新人王で、文句なくエースピッチャー。たまに序盤から崩れてくれることもあるけれど、いまはわたしたちのチーム状態が最悪だ。ホームランが出たとしても連打できないから得点力が低い。
(ま、そこはわたしの気にすることじゃないか。しっかり捕らないと!)
配球もヒュウズが自分でやってくれるし、わたしは逸らさないことだけ考えたらいい。それにランナーが出た場合の対策はすでに話し合い済みだ。試合開始直前になっても皆が心配するほどわたしは緊張していなかった。なるようになるだけだ。
「ストラ~~~イク!」
『見事なストライク!今日の始球式は長年ペンギンズの熱狂的ファンでもある作詞家、おさやまきたむさんでした!いま一度盛大な拍手をお願いいたします!』
始球式が終わり、ミルルトナインが大歓声に迎えられてフィールドに散っていく。サイン入りの記念ボールを何球か投げ入れてから軽い守備練習、連係確認。そして午後6時、試合開始時刻となった。主審のプレイボールの声によってゲーム開始。いつも通り声を出して応援だ。2アウトになったら準備をしなきゃ………。
「………ってもう2アウトか!急がないと………えっ!?」
初回のブラックスターズの攻撃、僅か5球でスリーアウト、チェンジ。ラメセス監督が今日はというか今日『も』というか、ファーストストライクを狙えという指示を出した。選球眼のいい荒川さんと中園さんも早打ちになってあまりにも速すぎる攻撃終了。
「応援団も拍子抜けって感じだったわね。やっぱりこの作戦はダメだって……」
「でも逆らうと使ってもらえなくなるし…しょうがないわよね」
先輩たちが愚痴をこぼしながらそれぞれの守備位置に向かう。なんとか大急ぎで準備を終えたわたしもホームに向かおうとしたら、わたしの横にぴったりとショートの倉木さんがいた。普段あまり話さない人だけにびっくりした。
「く、倉木さん……何か?」
「みっちゃん…あいつらの言うことを聞いちゃいけないよ。ラメセス監督の指示は常に的確で最高のものなんだから。凡退したのはあいつらの技量が足りないだけのこと。最高の指揮官である監督のお考えを理解できない人間に未来はない」
「は、はぁ……」
倉木さんはラメセス監督の打撃指導で才能が開花してレギュラーを勝ち取った。それですっかり監督を女王様…いや、女神様のように賛美している。ラメセス派のなかでも特に過激な人で、同じ派閥に属する戸場さんたちからすらも距離を置かれているらしい。
「じゃあ…その監督に今日のスタメンに選ばれたわたしは自信を持っていいと…」
「もちろん。そして監督への感謝を忘れずにプレーするように。その結果どんなお言葉を頂くとしても、その一語一句を噛みしめて今後の糧にするようにしなさい。間違っても疑ったり軽んじるということがないように……」
この人なりの励ましなのか、それとも試合途中に出される監督の指示には絶対に従えということか…。ひとまずあまり気にせずにプレーに集中することにしよう。
『ペンギンズ1回裏の攻撃は…1番センター!赤木~~~宜子~~~~っ!!』
本拠地のペンギンズは映像つきの派手な紹介でバッターが打席に入る。わたしも数年前まではあのライトスタンドで大きな声を出して名前を叫んで応援歌を歌っていた。この赤木の応援歌の歌詞も正確に覚えている。つい歌わないようにしないと。
「……どうも、よろしく」
「は、はい!こちらこそよろしくお願いします!」
去年までアメリカで活躍して、今年から古巣ミルルトに帰ってきた赤木は本物のスーパースター。ベテランになったいまでもちっとも打撃は衰えていない。
(………ああ、そうか……ヒュウズはアメリカで対戦してたんだ)
弱点のない強打者をどうやって攻めるか悩んでいただけに、ピッチャーからサインを出してくれるのは助かった。直球中心でいきたいと言っていたけれど内角のカーブから入るつもりのようだ。数年間の対戦で苦手を見抜いているのか、それとも相手も同じ考えだろうと見越してこれまでのイメージとは違う投球で惑わすつもりなのか。
『ファール!2球で追い込んでカウント0-2!一つ外すかそれとも3球勝負か!?』
狙い通りの展開だ。ここでストレート、失投しない限り最初の打席はヒュウズの勝ちだ。
「ストラ~イク!バッターアウト!」
まさか3球、しかも直球勝負とは、と驚いた顔で首を傾げながら帰っていった。前回の広島戦と同じやり方だけど、あのときはリリーフで、打順は一回りで終わった。今日は先発として長いイニングを投げるのだから違う攻め方も考えないといけないな。
『2番サード!川又~~~雪絵~~~!ゴーゴー!ユキエ―――っ!』
次のバッター川又、この人もまた天才だ。ケガさえなければタイトルはもちろんチームの優勝すらありえると言われている。ちなみにルックスも完璧で、イケメンであり美少女でもあるから男性人気も女性人気もとても高い、ファンの多い選手だ。
どんな選手にもファンはいるだろうと思うかもしれないけれど、わたしの場合はファンというよりは『マニア』らしい。チームメイトが言うにはロリコンや小動物好き、もちもちしたものを愛する人間からの支持を集めているとかなんとか。ちっともうれしくない。
『初球、低めのストレート打ちました!これはセカンド石河への平凡なゴロ!』
天才だけあってバットが届く範囲が広い。その代わりボール球にもよく手を出してくる。ヒュウズの力のあるストレートなら今日の川又は安パイかもしれない。二人の左打者を抑えたところで更なる強敵、4番の村下よりも怖いかもしれない右の主砲がやってくる。
(……『川田…三久』。トリプルスリーが狙える超万能型選手。それでいて川田には選球眼という武器もある。先の二人が早打ちなのに対し、際どいところは見送る……)
「………ボール、フォア!」
開幕直後にホームランを打たれているのが記憶に残っていたのか、簡単に四球を許した。トリプルスリー、つまり本塁打30本以上、打率3割以上、そして盗塁30個以上。外人投手にプロ初スタメンのよくわからない捕手を相手に盗塁を仕掛けないはずがない。
「いつでも行っていいよ。失敗したところで痛くない場面だし」
「失敗…?冗談でしょう。うちの今年の成功率、コーチもご存じでしょ。それであのキャッチャーを見てくださいよ、ボーナスステージやないですか」
早速試す機会がやってきた。球種に関わらず初球から走るに決まっている。ヒュウズもその気配を察しているようで、それでも作戦通り牽制球は投げなかった。
(ここまでやればわたしでも盗塁王を刺せる……かもしれない)
ただ外しただけじゃ刺せない。弱者なりにバカな頭で考えたアイデアを使う。
『ちょっとランナーへの警戒が甘い気もしますが…あえて気にしないということなんですかね?バッターに集中すれば得点されないと。しかし盗塁阻止は諦めるにしてももう少し注意を払わないとリードし放題ですよ、あれでは』
『そうですね……その初球!ランナー川田、やはり走った……おおっ!?』
ランナーのスチールによるものとは別のどよめきが起きた。投げたと同時にヒュウズがマウンドに両手をつき、うつ伏せ寸前の体勢になったからだ。足を滑らせた?まさか故障発生か?いーや、ぜんぶ計算通り。これで二塁までの軌道ががら空きだ!
「うりゃ~~っ!」
ヒュウズの背の高さも問題なくなった。わざわざ援護しなくても平気だと思ったか村下も悠然と見送った。わたしの肩と敵の足、わたしが有利な一騎打ちに持ち込めた。二塁に倉木さんが入って、送球を捕り走りこんでくる足にタッチする構えになっていた。
「………あれ?」
「…………うそやん。まさか……」
二塁ベースの手前、スライディングもせずに川田は立ち尽くしていた。滑る必要もないほど完璧にアウトのタイミングだったからだ。危うく空振りしそうになった倉木さんが慌ててランナーの胸にタッチしてアウト。ヒュウズの協力のおかげで川田を仕留めた。
『ス、スリーアウト!盗塁失敗!か、川田…今シーズン初の盗塁失敗でチェンジです!キャッチャーの送球を助けるために限界まで倒れこんだヒュウズのファインプレー!』
手とユニフォームが汚れるのを承知で動いてくれたヒュウズに頭を下げると、笑顔で肩をぽんぽんと叩いてくれた。そしてベンチに戻る途中で倉木さんにも声をかけた。
「ありがとうございました。ちょっとショート側に逸れたのに…助かりました」
「いや……すごい作戦を考えたものだね。でも凄い送球だった。これなら何もせずに普通に投げてもアウトにできたかもしれない。小細工抜きでも川田を刺せた」
すると石河さんが近づいてきて、わたしの送球の秘密について種明かしした。
「そりゃあそうでしょ。そうか、あんたは知らなかったか。みっちゃんはもともとピッチャーだったから肩の力はうちの捕手陣じゃ一番なのよ。肩を壊して投手をやめたわけじゃないからいつか役に立つとは思っていたけど」
倉木さんはプロ三年目、わたしの二年後に入団したからわたしがもともと捕手だと勘違いするのも当然だ。年齢は大学、社会人野球を経ている倉木さんのほうが年上で、その倉木さんより三つ上、今年で30歳を迎えるのがチームのキャプテン石河さんだ。
「なるほど……その捕手転向はラメセス監督の意向で?」
「いいえ、監督は特に。当時のコーチと編成の人たちがわたしに勧めたんです。ところでどうしてまだボールを?グラブに入ったままじゃないですか」
「え?ああ、だってみっちゃんが初めて盗塁を刺した記念のボールじゃないか」
またか。確かにこれが初の盗塁阻止だった。でもこんなものまで記念にするなんて普通はありえない。初ヒットや節目の記録くらいのものだというのに、しかもわたし本人がいらないと言っているのに何者かが回収するように依頼しているらしい。
「……倉木さん、それ、誰から頼まれているんですか?」
「さあ。私は知らない。スタッフから言われているだけだから。そのスタッフも上から伝えられたことをそのまま私たちや相手チームに言ったように見えた」
相手チームにまで根回ししているなんて、相当の『太刀川マニア』がいるんだな。しかもそれが許されるほどの影響力の持ち主……少し怖くなってきた。
ベンチに帰り、重装備を外してタオルで汗を拭く。すると今日も隣にいる木谷さんが立ち上がり、裏に下がってしまった。わたしが戻ってきてから一言もなかった。
「……そんなに汗臭くないはずだけど……それともライバル心?いやいや、まさかね。わたしが盗塁を刺したくらいで不機嫌になるわけが……」
おさやまきたむ (作詞家)
ミルルトファンの有名な作詞家。昭和のフォークソングの名曲の数々にこの人あり。
元になった人物……ヤクルトファンの作詞家、きたやまおさむ氏。あるラジオ番組で、応援しているチームが負けっぱなしのときにファンはどうすべきかという話題になり、きたやま氏は球場に行くべきではないという意見だった。
選手のプレーが見られたら負けてもいいというのは、野球そのものか選手が好きなだけで真にチームのファンではない。チームにやる気がないのなら危機感を持たせるためにも球場で応援などするな、そんなことを言われたのを覚えている。
一方で弱いときだからこそ支えるべきという意見を述べる声もあった。皆さんはどうでしょうか。
張田 伊佐美 (解説者)
現役時代は3千本安打を筆頭に様々な大記録と偉業を残す。解説者として活動を続け、若い世代との衝突を繰り返す。
元になった人物……小さな獅子唐?喝だ、喝!




