第75話 泥試合
ゴールデンウィーク最終日、満員のスタジアム。コアラーズファンは常に拍手と大歓声を飛ばし、歓喜しながらハイタッチ。応援団も次から次へとチャンスで流される曲を演奏し、皆で歌う。コアラーズを応援する人たちにとって最高の休日になった。
その一方で、ホームチーム、横浜ブラックスターズのファンはというと…………。
「……………」 「…………」 「……」 「」
「全員レズレイプしてやるわ―――――!!」
ごく一部の熱心なファンを除いて、ヤジすらも出ない。一塁側スタンドはお通夜のように静まり返っていた。
「うひゃっ!」
「ストライク!バッターアウッ!!」
わたしはこの日3つ目の三振。チームとしては16個目。満員御礼のハマスタが白けきっていた。
『八回が終わって13ー0!ブラックスターズ、今日もいいところがありません!』
広島でわたしが十二回完投した試合の後、まだチームは1勝しかしていない。昨日のわたしの登板試合も負けてしまった。八回無失点で、その裏の攻撃で先頭打者として二塁打を打ったところで代走を送られて退いた。
完投できるスタミナは残っていたけど、0ー0という状況では1点を取りに行くために鈍足のわたしを下げるのは当たり前だった。結局無得点に終わってわたしは勝ち負けつかず、九回から投げた抑えの川崎さんがあっさり3点取られて終わった。そして今日も大敗………気がつけばチームは最下位まで落ちていた。
「ロメックの好調も一瞬だけだったしフォックスはまだ二軍から上がってこないし………」
「フォックスなんて上がってこなくていいでしょ。ただでさえダメな打線がますますゴミ溜めになるだけだわ!」
わたしとみやこは打率3割以上をキープ、わたしはここまでホームラン8本、打点29。みやこはホームラン6本で打点24。いい数字だと思うけどチームを勝たせることができないなら意味がない。新浦監督も日に日に元気がなくなっているように見えた。
「まだ五月の頭だよ。最後まで持つのかな?」
「さあ。私たちはできることをするだけ。みちも私も今のところ十分な成績を残しているのだから問題ない」
プロレスごっこを終えてから、二人でベッドのなかで抱きあいながらこれからのことを考える。みやこはこのままでいいと思っているみたいだけど、わたしは違った。
「……真のエース、真の主砲……そして真のスターなら最下位のチームを復活させられるはず。一人で戦うってわけじゃない。みんなに力を与える存在になれるって意味だよ」
「………確かに」
みやこが好きな昔の野球マンガでも、野球部員が一人しかいないところから部員を集めて甲子園優勝した天才、弱小東狂大学のエースとしてチームを引っ張ったど根性投手……そんなヒーローたちがいた。わたしもみやこのヒーローなら、自分の個人成績がそこそこ優秀だからって満足していられない。
「チームを勢いづける何かができれば………」
「う〜ん、具体的にどうすればいいのかな………」
毎試合決勝ホームラン?サイクルヒット?20奪三振とかの圧巻のピッチング?何がチームを奮起させられるんだろう。
「みんなやる気はあるからね。勝てないだけで」
そんなわたしにその機会が訪れたのは東京ゴールデンゴーレムズとの試合、ゴーレムズの主催する福島の球場での試合だった。直前まで大雨が降っていて、中止になる寸前で雨が弱くなって、一時間遅れで始まった波乱のゲームだ。
8 上里
7 関
9 中園
3 奈村
4 石河
6 大和
5 柴山
2 木谷
1 太刀川
長打には期待せず、誰にでも送りバントを指示できるような打線が組まれた。意外と連打や粘っての出塁がある、うまく繋がれば得点を重ねられるオーダーになっていた。ゴーレムズの先発は井上、ブラックスターズを去って二年目ともなると特別な感情はなかった。
チームが浮上するきっかけをつくれたらいい、そう臨んだこのマウンド。ところがそれどころじゃなくなった。
「うわっ………このマウンド………!」
表の攻撃のとき、井上がやけに投げにくそうにしていたのを見て嫌な予感はしていた。すぐにスパイクが泥だらけ、ぬかるんでいて力が入らないマウンドだ。一年に一度しかない地方での試合じゃなかったら中止間違いなしだ。
足腰をしっかり鍛えているわたしでも苦戦するんだから他の投手はもっと大変そうだ。しかも今日の試練はこれだけじゃなかった。
「ボール!フォアボール!」
「うっ………!」 「……………」
みやこが主審を睨みつける。でもそれは逆効果だ。今日はとにかくストライクゾーンが狭い。コントロールには自信のあるわたしだけど、今日に限っては四隅を狙うのはダメだ。
「甘くなったら打たれるかも……でもフォアボールばかりじゃ試合にならない。真ん中に集めよう」
「……ええ。ボールそのものは素晴らしい」
ストライクゾーンを9分割にして狙ったところに投げられる、その武器を封印してもっと大ざっぱ、4分割に考えた。
「ストライク!バッターアウト!」
『二者残塁!3番四角、4番田沼に連続四球とした太刀川でしたがどうにか無失点の立ち上がりです』
『今日はピッチャーにとって厳しい一日になりますよ』
不幸中の幸いだったのは、ゴーレムズ贔屓の審判というわけではなく、両チームに公平に極悪ストライクゾーンだったこと。二回表、井上もどうにか2アウトまできたものの、8番みやこに対して際どいコースをことごとくボールの判定にされて、
『木谷、よく見ました!フルカウントから選んでフォアボール!井上もこの回3四球、二死満塁としてバッターは太刀川です』
「………ちっ………」
井上の舌打ちが聞こえてきた。もう苛立ちを隠せずにいる。天然タイプで宇宙人みたいなキャラだと言われている井上。でもかつてチームメイトだったわたしは知っている。実はプライドが高くてすぐに怒ることを。
「またボール……ハハッ!ならこれは文句ないでしょ!?」
いろいろ考えるまでもない。キレてしまい、当て付けのように露骨など真ん中。それでいて球威はない、こんな球を待っていた。
「だぁ――――――っ!!」
「がっ!!」
試合前の打撃練習のような球だった。打ってくださいと言うのなら遠慮なく振り抜くだけだ。面白いように打球は飛んでいった。
『こ、これは超特大の満塁ホームラ―――ン!太刀川が甘い球を見逃さず!雨を切り裂く一発で井上を粉砕しました!』
「………」
ゴーレムズベンチから投手コーチが出てきた。戦力が有り余っているゴーレムズは序盤からの継投を躊躇わない。
『ピッチャー、井上に代わりまして田仲豊美!』
FAで入団して二年目の今年も井上は結果が出ていない。この試合を最後にもう一軍には戻ってこないかも。次の投手、田仲は育成枠から支配下登録を掴んだ選手で、ゴーレムズには試したい選手がたくさんいる。脱落した井上の代わりの座を狙う若手たちが。
「もはや復活のチャンスなどない落ち目のベテランに引導を渡す最高の一撃だった。井上もあなたほどの超一流に介錯されてむしろ幸せでしょう」
「………それはどうかな………でも反面教師にはなったよ。雨が降るなかでボール判定が続いても辛抱強く粘らないと勝てない」
二回裏も相変わらずだった。真ん中に投げたつもりでもストライクコールはなく、またしてもピンチを迎えた。これじゃあせっかくの4点がいつまで持つか………。
「うお―――――――――っ!!」
「くっ……」
今日は1番に入った梶田のバットが空を切る。フォアボール2つ、そのまま打席に入ったピッチャー田仲にランナーを進める内野ゴロを打たれて2アウト二、三塁。どうにか梶田で抑えた。
「二回で球数45……今日はもう仕方ないか。太刀川の登板日ではあるが中継ぎを準備させないと……常識的に考えて」
「……そうですね。長いゲームになりそうです」
ピッチャー交代、グラウンド整備、そして四球地獄……一時間遅れで始まったこの試合、終わりが何時になるか誰も予想ができなかった。
「沖縄でゲームをしていたときを思い出すよ。19時プレイボールなのに天気が不安定で………暗黙の了解で凄いスピード感ある試合になった」
「いろいろしんどかったですね、あれは」
本拠地ハマスタにお客さんが集まらない時期は新潟や沖縄の地方ゲーム、地元では相模原の球場も使い、いろいろやっていたみたい。いまは平日でも満員だ。とはいえ最近の不甲斐ない戦いぶりをずっと続けていたら昔に逆戻りなのは目に見えている。
緊張感溢れる痺れるプレーを見せないと!
「あ〜あ…………すっぽ抜けた」
わたしの投げた球はふんわりと山なりに、田沼の背中にぶつかった。バッターは全然痛くない、ぶつけたほうが痛いと言い切れるスローボール死球だった。
「ごめん」
「いえ、こちらこそ避けなくてすいません。普段なら簡単に避けられるんですが………」
なぜか田沼のほうが苦笑いしながら謝り、緊張感のかけらもなかった。バッターボックスもぐちゃぐちゃで、いつものように避けたら背中か前か、どちらかが泥で汚れて着替えなくちゃいけなくなる。ユニフォームの控えも限られているから無駄に汚したくないのは皆同じ考えだ。
「最悪の試合ですね……でもノーゲームにしてほしいなんて言いませんよ。私たちが逆転しますから」
「………楽しみにしてるよ。わたしは満塁ホームラン打ったからノーゲームは絶対いやだけどね、アハハハ!」
「ナイスホームランでした、太刀川さん。私も太刀川さんのようにここぞという場面で打てるように精進します」
さすがは爽やかな若大将、田沼侑。皆に愛される人気者だ。あの笑顔、振る舞い……ゴーレムズにはもったいない選手だと思う。一塁に向かう彼女の姿を見送っていると、わたしの両肩にとても重い何かがのしかかった。
「…………みち」
「なんだ、みやこか。いまのは抜けただけ、肩や指は問題ないよ。次のバッターはちゃんと………」
「そのことではない。あの女とやけに楽しく話していた……その理由が、意図が、いまのあなたの感情が知りたいだけ」
え?あれくらいの会話もアウト?こりゃ浮気なんかしたらわたしの命がアウト、ゲームセットだな。まあわたしを恋愛対象にするのは古今東西老若男女みやこだけだからそうはならないんだけどね。他は誰も寄ってこない。
「わたしはデッドボールを謝っただけだよ。田沼のほうから話しかけてきたんだ。無視してもよかったけど自分から近づいて無視っていうのもわけがわからないし………」
「なるほど。冷静に振り返ってみるとそうだった。余計な話をしてごめんなさい。試合に集中する」
みやこは納得してホームに戻っていった。2アウトランナー一塁、田沼のリードは少し大きかったけど、このグラウンドコンディションじゃ盗塁なんかしないだろう。牽制球は投げずにバッターをしっかり抑えるつもりでいた。
『ピッチャー太刀川、ランナーを気にせず5番の岡戸に初球、投げましたっ!!』
要求通り、かなり高めのボール球。岡戸は当然手を出さずボール。今日は球数が増えているからこんな無駄なボールを投げる理由がわからなかった。それでもみやこの構えたところに投げて、さあ次は……なんて考えていると、みやこは素早く一塁に送球した。
「…………!!」
「……アウト!」
田沼のリードを見て、みやこは遠慮せずに一塁に投げて見事に刺した。結果的に今日初めて三人で攻撃を終わらせることができた。
『これはキャッチャー木谷のファインプレー!悪天候、悪条件で敵も味方も集中力が切れかかっているなか、冷静に田沼を牽制死させました!田沼のほうはアウトになってしまったうえに頭から戻ったせいでユニフォームは泥だらけ、最悪です!』
「……太刀川は投げてこないと思ったけど………そうか、木谷を忘れていた。失敗した………」
ベンチでいまのプレーを称えると、アウトにできそうだから投げたというよりは田沼への嫌がらせのつもりで送球したとみやこはぽつりと言った。ユニフォームが汚れ水が染みるのが嫌で死球になった、その彼女に追い打ちをかけた。
「あれは確かに私の誤解だった。だからこれくらいにしておく。しかしみち、あなたが魅力的で誰もがあなたに惹かれるのはわかっていたけれどここまでとは………試合中すら油断できない」
それはみやこや田沼みたいな美人の話で、わたしの場合は逆にみんな逃げていくと思う。わたしたち以心伝心のバッテリーでもこういう考えのズレは珍しくなかった。
部員集めから始めた天才 (マンガ)
元になったマンガ……水島新司先生の作品の主人公。ドカベンクラスの打撃力を誇る。水島シリーズ最強の二塁手。
ど根性投手 (マンガ)
元になったマンガ……水島新司先生の作品の主人公、ただし原作者が別にいる。どアホウは水島シリーズ最強の投手……だと思うが人によって意見は分かれると思う。ドカベンが最初柔道をしていたのはこの作品をライバル誌で連載していたから。




