第57話 山奥の別荘
ようやくベイスターズが初勝利したので連載再開です。
「みち、明後日からこの家を離れ自主トレに向かう。家のことは信頼できる人間に管理をお願いするからあなたも準備をしてほしい」
「自主トレ………そうだね」
このマンションにみやこと二人で暮らしてから一ヶ月が過ぎた。いまは年末、来シーズンに向けてそろそろ準備を始めないといけない。軽いトレーニングはしているけれどこの程度だとキャンプの激しい練習についていけない。
「わたしと二人きりでよかったの?せっかくのチャンス、もったいない気もするけど………」
みやこはチーム内外のいろんな選手から合同自主トレのお誘いを受けていた。大学の先輩の佐藤優李や同じ捕手の木森、オリンピックのメダリストからもいっしょにジムで鍛えませんかと招待があった。それを全て断ってわたしとのトレーニングだ。
「敵チームの選手との馴れ合い、みちは嫌いでしょう?チームメイトや他競技の選手だとしてもせっかくのオフシーズン、二人だけの時間を邪魔されたくない」
「ははは……うれしいね。だけどどの練習施設やグラウンドで練習するにしても人はいるよ?えっ、まさか………海外?」
家を離れるってそういうこと?ハワイとかグアムとか名前だけはわたしでも知っている。ブラックスターズの先輩たちのなかにもシーズンオフにオーストラリアやメキシコの野球リーグに参加した人もいる。偏見かもしれないけど海外は怖いから嫌だなぁ。
「いいえ、国内のとある場所。ここからは距離があるから日帰りは効率が悪い」
「国内………よかった。ちょっとした旅行だね」
「新婚旅行………ふふっ、確かに」
遊びに行くわけじゃないけど年明けの自主トレはどこか緩いイメージがある。敵チームの選手と仲よく練習したり、サッカーや卓球みたいな野球とは関係ない運動を練習の一つだと言ったり。わたしはあまり好きじゃない風潮だった。でもいざ自分が友だちを見つけたら旅行気分……人間って弱いな。
「母校のグラウンドとか地元でトレーニングするパターンもあるよね。でもわたしたちは二人とも東京だし、日帰りが難しいってことは……どこ?」
「周りに練習の妨げとなるものがない土地がある。自主トレに専念できる素晴らしい環境で調整できる。明後日の朝に車が迎えに来るから場所の心配はいらない」
「車か……車で行けるなら九州や北海道はないね。楽しみに待ってるよ。去年までは寮で黙々とやってるだけだったから」
そして当日、チームの先輩たちの車よりも上のランクの高級車がマンションの前にいた。みやこが言うには、シーズン中も関東圏の球場へはこの車で移動するらしい。中は広くて、乗っていて疲れるということはなさそうだ。
「凄い車だね………怖いから値段は聞かないけど」
免許を持っていないわたしが運転する機会はないけれど乗り降りするときも気をつけないと。傷なんかつけられないぞ。
休憩を含めて三時間くらいで目的地に到着した。ほんとうに周りに何もない、山奥の大きな別荘みたいな場所だった。
「いや、ただの別荘かと思ったらこれは……!」
最新の筋トレ器具やマウンドにピッチングマシン、小さな温泉にプールまであるとんでもない施設だ。
「何もかもが黒星寮以上に充実している!」
「車もこの建物も私の金で用意した。どうせ税金に消えるのだからこんな形で必要経費とすればいい。維持費やスタッフの給料、それも税金対策になっている」
なるほど。難しいことはみやこに任せておけばいいと安心していたけどますますその気持ちが強くなった。わたしは野球に専念すればいいって話だ。
「みやこのことだからほんとうに二人だけになりたいとばかり……スタッフさんがいたのは意外だったな」
「施設の管理、食事などのサポート、三人以上必要な練習など人手は必要。ただしそれ以外の場面では離れた場所にいてもらう。特に夜は絶対に………ふふっ」
「………大きなベッドが………一つしかないね」
こんな大掛かりな別荘はすぐにはできないはず。わたしとみやこが二人で暮らそうと決める前から、もしかしたら練習パートナーになる前のほとんど会話もないときから準備していたと思うと………そのころからわたしとこうなるのを予見していた?
「あなたとここまでの親密な仲になれなかったら一人で使えばいいだけ。ベッドは一つでよかった」
「……う~ん、納得できたようなできないような」
ほんとうにこんな豪華な別荘を一人用で?いや、みやこの家なら十分ありえるか。
「ただ、この広さで一人では……いや、他に人がいようがあなたがいなければとても寂しい空間になっていた。こうして自主トレの期間もあなたと共にいられることはとても幸せ」
この笑顔を見るとわたしも幸せな気持ちになるし、みやこのためにも頑張るぞという熱い闘志も湧いてくる。
「温泉もあるんだし少し汗を流そうかな。軽く走ってキャッチボールくらいはしようよ」
「ええ。本格的なトレーニングは明日からにしましょう」
スタッフさんはみんな女性だった。食材を用意し、必要なときは料理の形にしてくれるのは三原さんという明るい人で、機械や施設の整備は眼鏡をかけた鈴木さん、洗濯や掃除などはフランス留学経験もあるという山本さんにお願いすればいいみたいだ。
「じゃあ今日は私は参加しなくてもいいですか?」
「ええ、キャッチボールは私たち二人でやる」
練習を手伝ってくれるのは井上さん、わたしよりも小さくて、おそらくここにいる誰よりも若い。さすがに働いているわけだから中学生ってことはないだろう。あとは外に警備員の人がいた。現役の女子プロレスラーだから強そうだ。
「こんな場所で練習できるなんて最高だね。いいのかなって気もするけど……」
「躊躇う必要はない。環境を整えるところから勝負は始まっている。いままでのあなたは劣悪な環境でよく頑張ってきた。これまで発揮しきれなかった努力の成果が今年明らかになる。私はそれが見てみたい!みちの真の力が開放されるとき、野球界の歴史が動く!」
いくらお金を稼いでも自分の体やトレーニング器具に使わないで変なことに浪費したり、税金対策だけのはずが副業にのめり込みすぎたりする選手もいるから、正しいお金の使い方と言えるんだろうな。結果が出たら、だけど。
「明日は走り込みをしようかな。まずは10キロくらい走りたい。この周りは急坂だからちょうどいいよ」
「走り込み?体力や下半身の強化ならもっと効果的な方法がある」
「体力っていうより根性づくりだよ。来年からピッチャーもやるから、しんどい、つらいって感じるときに走り込みのときを思い出して、あれよりは楽だなって感じられるようにする。限界を超えてからの踏ん張りに関わると思うんだよ」
これも古い考え方なのかもしれない。準備運動のランニング程度にして他のトレーニングをしたほうがいいと主張する人たちもいる。もちろん筋トレや最新の練習方法も取り入れるつもりだ。
古いものと新しいもの、いいと思ったものはどっちもやりたいという欲張りな気持ちがある。ぜんぶやってみて成果が出なかったら諦めがつく。まずはやらないと。
「いや……みちの場合はもう十分に根性も体力もある。そんなことをしなくても問題ない。それよりも技術面を磨いたほうがいい」
「あっ………そういう話だったんだね」
「ふふっ、そういえばあなたと親しくなる前にもこんな会話をした記憶がある。基礎練習よりも実戦に近い練習をするようにと。寮の大浴場だった」
効果のあるなしじゃなくて優先順位の問題か。日本のプロ野球はいま、最長で延長十二回まで。しかも先発投手が最後まで投げることはまずない。九回を投げる体力があればいい。ラメセス前監督なんて五回か六回、球数は100程度で構わないと言っていたほどだ。
先発投手を長く投げさせる方針の新浦監督でも極端に変わったりはしないはず。延長の終わりまで完投させたり中3や4という厳しいローテーションを組んだりはしない。週に一度の登板、100球くらい投げるだけならわたしの場合はまず疲れないだろう。息が上がってもう限界、とはならない。
「いや、でも待てよ。この間の秋のキャンプや高校野球の試合とプロ野球の一軍公式戦はレベルが違う。想像以上に体力と精神の消耗は早いんじゃないかな?」
「……それは否定しない」
「やっぱり走らないと。他の練習は減らさないから、ちょっとだけわがままを聞いてくれてもいいよね?」
「そこまで言うなら止めはしない。私と井上で5キロずつ分担してあなたと走る。一人で走ると道に迷うかもしれないから」
迷子になる?そんなばかな………でも周りは何もない、目印がないとなると確かに一人は危ないな。初めての場所だしね。
「よ、よし!GPS発信機がいい仕事をしたぞ!ついにスクープゲットのチャンス!あの木谷都が太刀川を連れて行った先で何をしているのか……こんな山奥、ただの自主トレ以上の何かがありそうだ」
普段からわたしを追う狂スポではなく、週間憤終の記者がわたしたちの後をつけていたらしい。別荘のすぐ近くまで迫っていたようだ。
「人なんか来ないはずの場所にたった一人とはいえ警備員?しかもあの女はレスラーのリキクイーン!隠しておきたい秘密があるのは明らかだな」
普段からわたしたちの周りで張り込んで、みやこ絡みのスキャンダルを探していた。写真さえ撮ってしまえば適当な文をつけて記事にできる。
正面から潜入するのを諦めた記者は、どこかいい裏口はないかと道を外れて森に入っていった。ところがそれが大失敗だった。スクープになるぞと大喜びしていたせいで冷静さを失い、深くまで入ったせいであっさりと迷ってしまった。
「………あれ?さっきもここを歩いたような」
わたしはこの記者に気がついていなかったけど、みやこはマンション暮らしを始めた早い段階で張り込みを見破っていたとのことだ。だから今日、わざとここまでおびき寄せて、『迷いの森』に誘って罰を与えた。
「やっぱり携帯は圏外だよな……日が暮れて何だか寒くなってきた。もしかするとまずいな」
この人がどうなったのか、わたしは知らない。その存在すら知らなかったんだから当然だ。みやことスタッフさんたちならわかると思う。興味があるかは別にして。
「いや〜……テレビがあるだけで他に気を散らす物はなにもない。ほんとうにトレーニングに専念できる場所だね」
「オフシーズンの自主トレだけでなく、故障離脱した場合のリハビリ施設としても使える。離脱するような負傷をしないに越したことはないとはいえ、一応覚えていてほしい」
この新鮮な空気のなかで温泉に入って傷を癒やし、プールで落ちた体力を戻す……確かにそんな使い道もあるな。
「そして他に娯楽がない大きな理由がある。詳しくは今日の夜、教えてあげるから、ふふふ…………」
「………………」
みやこが言いたいことがわかっちゃうのが我ながら苦笑いだ。やっぱりそれが目的だったか。まあいいや、明日の練習に支障が出ない程度にいっしょに楽しむとしよう。
井上、三原、鈴木、山本、リキクイーン
別荘のスタッフたち。それぞれ他に職を持っている。このトレーニング施設兼別荘には招かれた者以外誰も入れない。
名前の元ネタ……「ポケピ」と呼ばれる生き物に言葉を教えるお話ゲームのキャラクターから。スマホアプリゲームとして蘇ったが2021年5月で終了が決定。ただただ悲しい。
第三章の展開(予定)
当初はぶっちぎり優勝、チームもみっちゃんも順風満帆な無双モードを考えていました。しかし実際のベイスターズの無様な戦いぶりを見てしまったことで、チームは大苦戦みっちゃんは孤軍奮闘の展開になる方向に変わりそうです。登場選手はすでに引退した選手やオリジナルキャラクターがこれまでよりも登場します。




