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第三捕手のみっちゃん  作者: 房一鳳凰
第二章 後半戦
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第48話 引退試合の奇跡(後)

 令和3年3月4日に総合評価334ポイントを突破しました。


 こんな偶然は珍しいですね。支援ありがとうございます。334とは何のことかわかりませんが、何やら有名な数字のようですね。霧、虎、千葉、甲子園………さっぱりわかりません。

 代打としてわたしの名前が告げられると場内からはなかなかの歓迎ムードで迎えられた。ミルルトファンから拍手や感謝の言葉が飛んできた。


「太刀川―――!昨日はありがと―――!!」

「ペンギンズ愛は伝わってるぞ―――っ!!」


 昨日のゴーレムズ戦でのわたしのプレーが理由だった。延長十二回表ツーアウトから先制ホームラン、その裏はフェンスに激突してファールフライをキャッチ、三塁ランナーも刺して一気に試合終了。ゴーレムズの息の根を止めたからだ。



『ここでブラックスターズは代打の太刀川みち!思えばこの太刀川、六月のペンギンズ戦でプロ五年目にして初ヒットとなるホームラン!その後は限られた機会で活躍し打率は3割3分1厘、ホームラン9本、打点38!』


 神宮でもよく打ったから本来は嫌われているはずなのに昨日の試合が与えた影響は大きかったみたいだ。でもこれは後になって冷静に振り返ってみただけで、この瞬間のわたしはそんなことどうでもいいというよりはそこまで意識が向かなかった。



「…………」


 木更津さんがキャッチャーの赤村に対して頷く。そしてサイドスローとスリークォーターの間のようなフォームから第一球が投じられた。フルスイングしたけれど高めのボール球だったみたいで、空振りしてしまった。


「ストライク!」


『初球空振り!まずは1ストライク!球速は134キロ……全盛期を知っている身としては物足りなく感じますが』


『何度も手術をしたというだけでなく次痛めてしまったら重い後遺症が残ってしまうと言われての引退決断ですからね。全力投球はできません。しかし何と言いますか………』


 このとき、スタンドや両軍のベンチでは笑いが起きていたらしい。わたしは気がつかなかったけど、ばかにするというよりは和やかな笑いだったそうで………。



「うふっ……いやいや、みっちゃん……」

「下手すぎるでしょ。人選大失敗ね、これは」


 あまりにもタイミングがズレた、バットとボールの距離も離れた空振りのせいだった。引退する木更津さんに花を持たせるためにわざと空振るのはわかるけどもうちょっとうまくやれないのか、不器用だなあ……と皆で笑っていたみたい。



「ふふっ、協力してくれてありがとう。でももっと自然にやってくれないと………」


「……………」


「……太刀川?」



 ヘルメットをこれまで以上に深く被る。そしていつも通りの構えで投球を待つ。棒球なら打っていいと言われている。念願の木更津さんとの勝負だ。しっかりと球を見て………。


『木更津、2球目を……投げましたっ!!』


 ああ、だめだ……打てないや。遠慮とか忖度じゃない。この神宮のライトスタンドから木更津さんを応援していたことやその懐かしい日々の他のいろんな思い出でいっぱいになって………前が全然見えないんだ。


 またしても豪快な空振り、球が見えないせいで的外れな空振りが2球続いた。ヘルメットが吹っ飛ぶほどのスイング、追い込まれて次がラストボールになった。



「…………」


「ほら、ヘルメット………え?」


 赤村に、そして木更津さんに見られた。わたしのほうが引退するかのような、鼻水まで垂れた情けない号泣顔を。



『空振り!これで2ストライク!今のは外角低めでした。しかし太刀川は高めを豪快にスイング!』


『………こ、これは…………』


 一つの青春が終わる気がした。戻りたくてももう戻れない。



「……みっちゃん、何だか変じゃないですか?」


「そうだな……あまりにも露骨な空振りだ。引退試合の暗黙の了解への抗議なのか、それとも体を痛めている?そうじゃなきゃあんな空振り、いくら演技が下手だからって………」


 周りが心配になるくらい合っていないスイング、でもそのときのわたしはそこまでズレているなんて考えていなかった。ただ視界が悪いから球が見辛くてタイミングだけでも合わせようと思っていた。




「……うふふ……なんて空振り」


 この試合からしばらく後のある日、わたしは木更津さんと直接話をする機会があった。わたしが激しく泣いている顔を見て木更津さん自身の涙は引っ込んでしまったようだ。わたしに気を遣わせちゃって悪いな、と苦笑いだったと。


「真剣勝負でいいとは言ったけど……ここまで駄目な球じゃその気にもならなかったかな?さあ、いよいよ最後か」


 何を投げようがわたしが空振りすると皆が思った。だから次の球が現役生活に別れを告げる一球になる。


「ストレートを高めに投げて終わり………」


 ここで木更津さんは一度プレートを外した。わたしの姿を見ると、少しだけ目元を拭いているようだった。



『木更津、じっくりとボールを見つめています。サインが合わないか、なかなか投げません』


『この場面でサインなんかないでしょう。次が最後ですからね。マウンドを降りたくないのかもしれませんね』


 そのとき全てわかった、木更津さんは言った。



(……あの子のめちゃくちゃな空振り……その正体がわかってしまった。コースはともかくタイミングは………わたしの全盛に合わせている!あの子がよく球場に来ていたときの球速なら!)



 わたしのなかで木更津さんはあのときのまま、夢や希望を与えてくれたまま生きていた。何度も手術を乗り越える姿からも勇気をもらっていたはずだけど、失われた球のノビや球威、スピードのことは頭から抜けていた。



(その期待になんとか応えてあげたい!ここでファンの望みを叶えられないで何がプロ野球選手だ!このままじゃこれまでの全部が無駄になる!)


 投げられなくなったから引退じゃない、あと一回故障したら後が大変だから引退する。そこまでボロボロになったのなら完全燃焼だと皆が言う。でも木更津さんの炎は消えていなかった。


(私はまだ投げられる!後悔を残したくない………この打席だけならできる力はあるはず……一生腕が上げられなくなったとしてもこのまま終わるよりずっといい!)


 ピークを過ぎてから何年も経つ。なのにそれが投げられると信じたのは選手としてのわたしの話を思い出したからだ、と振り返っていた。



(ヒュウズ、江頭、渡久地、砂川…全員終わっていた投手。それが太刀川という第三捕手と組むことで復活、戦力外確実から一軍の主力になった。対戦しただけの佐藤優李、あれも太刀川に打たれた試合以降変わった……というより復活して今年10勝!)


 ならば私も、と思ったそうだ。今日一日だけでも、そう願ったとき、木更津さんの体が輝いていた。




「さあこれが木更津昌子、現役生活集大成の一球か!先程までの2球よりも大きく振りかぶる……投げたっ!!」



 ちょうどその瞬間だけだった。わたしの目がしっかり見えるようになって、木更津さんの最高のストレートにタイミングがバッチリなのを確かめられたのは。



「たあ――――――――――――っ!!」 



 無心で弾き返した。ライナー性の打球がセンターに飛んでいく。


『え………?』「えっ………?」「えええっ?」


 センターの下田は打球に反応しない。いや、球場全てが何が起きたかわからないって感じだ。なぜならわたしもそのなかに含まれていたのだから。



「う、打った!?と、捕らないと………」


 下田が足を動かしたときには、すでに神宮のセンター奥に二つある、フェンス真上の小さいほうのバックスクリーンに打球が突き刺さっていた。



「あ………あああ…………」


『こ、これは………ホームラン………ですか。太刀川のホームラン。第10号、ソロホームランですが……しかし……』



 熱気が一変、静まり返って沈黙に包まれた神宮。わたしは涙を拭きながらセカンドあたりに到達したあたりでようやく自分が何をやらかしたか知った。



「ああっ!!し、しまった!!」


 もう遅かった。ブーイングと罵声の嵐が神宮の夜空に響き渡る。引退試合ぶち壊しホームランを打ってしまった。


「アホ―――!!」「空気読めバカタレ!」


 いまはゴーレムズにいる町田がやはり引退試合を台無しにするホームランを何度か打って、しかもそのうち一本は甲子園。石河さんは町田といっしょにヘラヘラ笑っていたけど中園さんは生きて帰れるか本気で不安だったと言っていた。まさかわたしが同じことをするなんて………。



「ちょ、ちょっと!あんた!これはいったい」


 ホームインと同時に捕手の赤村が叫ぶ。でも次のバッター、みやこがスッと入ってきてその叫びをかき消した。 


「みち、ナイスホームラン!これで試合は振り出し、貴重な一打だった。ど真ん中の甘い球を逃さず打てた素晴らしいホームラン、見事としか言いようがない」


「………お、お前!」


「ん?みちが何か変なことでも?これは公式戦、実力の足りない投手の引退試合……どうしても打たれたくないのなら宮崎の教育リーグか来年のオープン戦でやるべきだった。それともわざとアウトになれと八百長を強要している?永久追放になる可能性が高いのに大胆な真似をする………」



 まさに火に油。赤村やそばにいた野手の怒りは限界を超えそうになっていた。それをなだめたのは木更津さんだった。



「ははは!木谷の言う通り!ナイスバッティングをした選手を責めるなんてそんなもの野球じゃない。私からも言わせてもらうよ、最高のスイング、最高のホームランだった!」


 わたしの頭に軽く手を置いてくれた。そしてバックスクリーンを指さす。153キロという球速表示にミルルト内野陣は驚きを隠せずにいた。


「う、うそ!153って………」


「そう、私の最速タイ記録。この子が全力で向かってきてくれたからこの球が投げられた。肩も肘も痛みはない。ただ形だけの三振を奪うよりずっといいマウンドになった」


 爽やかな笑顔だった。この数年、思うようなピッチングができず、今年の優勝も蚊帳の外だった木更津さんが久々に球場で心から笑えた瞬間だったという。



「………あの日のシャイなペンギンズファンの少女、いまはブラックスターズの立派な一軍選手。そして未来の野球界のスーパースターになれるきみに……ほんとうにありがとう」


 

 一度は落ちついたはずのわたしの感情、だけど木更津さんにヘルメットを取って直接頭を撫でられて、わたしは涙が止まらなかった。どんな辛くても泣いてたまるか、その気持ちで戦い続けた五年分の涙だった。周りも気にせず泣き続けた。


「きさらづしゃん………」


「私が果たせなかった夢はきみに託したよ………」


 

 会話の中身までは聞こえなかっただろうけど雰囲気でわかったんだろう、ブーイングはなくなって拍手と歓声でいっぱいになった。ミルルトの選手にももらい泣きしている人たちもいるなか、木更津さんはベンチに………いや、マウンドに戻った。



「…………え?」「終わり……じゃないんですか」


「馬鹿!まだ2アウトでしょう!続投に決まってる。さ、みんな守備位置に散った散った!試合はここからなんだから!」


 わたしは審判や木更津さんに促されてベンチに帰った。あまりのことにハイタッチはなかったけどそれでよかった。真の最後のピッチングをじっくり見たかったから。




 みやこはわたしの代わりに凡退してあげようなんて気は微塵もなく、連続ホームランを狙っていた。でも続投を不安に思う球場全体の空気はすぐに変わった。



「うっ!」 「フ、ファールボール!」


 抉るようなシュートに打球が前に飛ばなかった。この鋭いシュートが木更津さんの武器だった。


「ストライク!0ボール2ストライク!」


 フォークボールに空振り。さすがのみやこでもたった1打席で対処するのは無理だ。わたしは木更津さんの投球ビデオを何千回と見ている。それでもど真ん中じゃなかったらきっと打ち損じていた。遠くから見つめる外野席の観客たちでもその球の質が確かに全盛期のものだとわかるほどだった。



「ぐっ!!」


『152キロだ―――っ!!木谷のバットが真っ二つ!力のない一塁ゴロ!3アウトとなりました!ホームランを打たれてはしまいましたが木更津!有終の美を飾る圧巻のピッチングでした!』



 蘇った最多勝投手の投球に木更津コールはいつまでも収まる気配がなかった。

 町田 (東京ゴールデンゴーレムズ内野手)


 元ブラックスターズ、FAで黄金軍に移籍したホームランバッター。右投右打。移籍後も活躍を続けていたが、成績が下降した今年で契約切れ。チームが優勝を逃し、若返りの方針にチェンジしたため退団という噂もある。


 元になった選手……ある時は『動けデブ』、ある時は病院で静かに息を引き取り、ある時は牛島組長に恫喝された、横浜暗黒期を代表するあの選手。引退試合クラッシャーとして知られ、特に阪神・矢野の引退試合で藤川からホームランを打った後のベンチでの表情は必見。とはいえヤクルト・鈴木健の引退試合ではファールフライを落球してあげたりもしている。



 下田 (外苑ミルルトペンギンズ外野手)


 主に守備固めや代走で出場。なのにつまらないミスが多い。


 元になった選手……山田の知人男性と書かれたあの選手。2020年のヤクルト最終戦、最終回に併殺を打ち最後の打者となるとそのまま戦力外通告、引退となった。この選手、比屋根、飯原……バレンティンの代わりに出てくる外野手たちはみんなしょうもないミスを繰り返した。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今回の話、感動しました……。でもみやこのセリフで涙引っ込みました(笑)
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