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第三捕手のみっちゃん  作者: 房一鳳凰
第二章 後半戦
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第47話 引退試合の奇跡(前)

 神宮球場は試合開始二時間前だというのにもうファンが席をほぼ埋め尽くしている。昨日リーグ優勝を決めた外苑ミルルトペンギンズのレギュラーリーグ最終戦だった。わたしたちは明後日ハマスタでコアラーズ相手の試合が残っている。すでにセパ十二球団全ての順位が確定していた。


「あーあ、今日まで優勝争いしてたなら目の前で胴上げ見られたのにな……」


「優勝できれば、の話でしょ。それに優勝を決めてくれたおかげで木更津の最後のピッチングが見られるわ」


「そうだった。いまから泣いちゃいそうだなぁ」


 客席から聞こえる声も、もちろんほとんどミルルトファンだ。レフトスタンドまで溢れかえっている。こんな感じなら昔のわたしも肩身が狭い思いをしなくてすんだのに。



 小学生のころ、『ブンブン姫』と呼ばれたバッター、池田の引退試合に来たはいいけれど、外野自由席のライト側は全く空席がなかった。だから広島ファンのいるレフト側に紛れていた。でも池田とは全く関係ないミルルトの選手のホームランのときについ立ち上がって喜んじゃってバレた。意外とレフトスタンドのミルルトファンは多く、それ以降はみんな堂々と応援した。


「こんな近くから見られるなんて……ラッキーだった」


 あれから十年以上過ぎた。いま、こうして選手として大ファンだった憧れの存在がグラウンドを去る瞬間を見届ける。


「みち、これまでもその経験はあったのでは?」


「二軍でね……しかも最終戦で一気に何人も、だから。仕方なく引退する人も他球団で現役続行希望の人もひとまとめだしセレモニーもないし相手チームもそんな感じだし……一軍の実績があるしっかりした引退試合は初めてなんだ。しかも……」


「あなたが最も好きだったという投手が………」



 木更津さんの記者会見を見た。肘や肩はボロボロで、これ以上手術できない、次痛めたら日常生活に支障が出ると言われ引退を決断したそうだ。度重なる故障のせいで通算100勝にも届かなかったけれど、何度でも復活する姿に励まされてきた。


「みち……念のため聞いておく。私と木更津……」


「どっちが好きかって話でしょ?安心してよ、木更津さんはもう結婚してるしわたしの好きはそういう意味じゃないから。選手として好きなだけだよ」


「………まだ全て言う前にわかるなんて……!あなたと私の絆の深さ、特別な関係だという証………うふふっ」



 幸せそうだったからそのままにしておいた。そのみやこは規定打席には到達しなかったけれど打率は3割6分、本塁打16本、打点65という凄い成績を残した。安定感や勝負強さ、捕手の守備を考えたら新人王になれる見込みは十分にあった。


「来年は最初からフルで出る……どんな成績になるか楽しみだよ。大崩れしないから首位打者はいける!」


 セ・リーグの打撃タイトルもほぼ決まっていた。ゴーレムズの20歳、田沼が打点王と本塁打王濃厚、最高出塁率も彼女だ。ペンギンズの川又が首位打者で田沼の三冠王を阻止した。やはりペンギンズ、盗塁王の川田はトリプルスリー達成。打者も投手も上位二チームがタイトルを独占して、ブラックスターズは何もなかった。


 石河さんの通算1千本安打は達成されたし、退団するけどペロスの日本だけの出場試合数や安打数の区切りの記録も無事達成。ブラックスターズにとっては完全な消化試合だった。




「いままでありがとう、ラメちゃん」

 

「オツカレサマ!こちらこそ!」


 試合前、木更津さんが挨拶にきた。ミルルト時代にいっしょにプレー、ラメセス監督がゴーレムズに移籍してからは何度も対戦していた。元ミルルトがいない、ベテラン野手もいないわたしたちのベンチで木更津さんが話したい相手は監督と一部のコーチくらいしかいなかっただろう。


「来年はどうするか決まってるんですか?私は今年でコーチをクビになっちゃうんですよ。球団内の他の仕事もなかなか見つからなくて」


「厳しいね……まずは体を休ませたいけど……」


 コーチの一人と話していた木更津さんが突然歩き出した。遠くから様子を見ていたわたしはこっそり視線を送っていたのがバレないように下を向く。でも木更津さんはわたしのそばまできて、ぴたりと立ち止まった。そして首を傾げながら言う。



「うーん……きみ、どこかで見たような……」


 その呟きをそばで聞いた先輩が笑った。


「木更津さん、そりゃそうですよ。この子は今年一年ずっと一軍だったんですから。ファームの試合やオープン戦で対戦したこともあるんじゃないですか?」


 わたしははっきり覚えている。木更津さんと対戦したことは一度もない。プロになってからはこんなに近づいたのも今日が初めてだ。まさか………。


「いや、そういう感じじゃない。もっと前の話……横浜の帽子のせいかな?あと一歩で思い出せないんだ」


 

 わたしはうれしくなって立ち上がった。ほんの少しでも覚えていてくれたことに。緊張と喜びで変な声になっちゃったけど、


「あ、あの!実はわたし、ずっとペンギンズが好きでファンクラブに入ってたくさん神宮に来てました!木更津さんが最多勝を獲った年も学校が終わってから電車で………」


「そうだったんだ!ああ、思い出したよ!あのころとあまり見た目が変わらないね、きみは!なんでわからなかったんだろうなあ……記憶力が衰えてしまったかな?」


「そのときサインを頂いて………いまでも大事に持っています。宝物です」


「うん、確かきみはスタンドからの応援は元気だったけど球場の前では色紙を持ってもじもじしていた。他の選手からサインがもらえなくてかわいそうだったから書いてあげたんだ」


 

 恥ずかしい思い出まで語ってくれた。でもあのサインのおかげで辛いときも頑張ろうって思えた。自分がプロになったいま、あの日の木更津さんのように内気で後ろの方にいる子にもこっちから近づいてサインをあげようと決めている。問題はわたしのサインを欲しがるファンが少ないせいでそんなケースはないってことだけだ。


「最多勝の年……あれがピークだったな。それ以降はフルシーズン戦えた年はなかった。ペンギンズは優しいから今日まで現役でいられたけど普通のチームだったら二年前でクビだった。太刀川さん、きみもいつ何があるかわからない。悔いのないように一日一日を大事にするんだよ」


「………はい、ありがとうございます!」



 最後の最後にこんな機会があるなんて。握手までしてもらって感激しているうちに木更津さんは横浜ベンチを去っていた。この一年一軍に残り続けたご褒美をもらえたなと笑顔で余韻に浸っていると、みやこが唇を切って血がこぼれ、しかも息遣いも荒い異常な様子でいることに気がついた。


「み、みち………はぁ、はぁ。あなたが木更津へ向ける感情の種類、事前の説明を信じてどうにか我慢できた。でもあと三十秒でもあの時間が続いていたら………耐えられなかった」


「そ、そう……。とりあえず水でも飲んで落ち着いたら?」




 試合は木更津さんの娘さんが始球式をして始まった。もう小学四年生、今日がどういう日なのかわかっていた。


『ミルルトは予定通りの継投!大川は三回まで、四回からは沢田が登板。今後のテストを兼ねた調整です』


 クライマックスシリーズ、その先の日本シリーズが待つミルルトは野手も序盤から積極的に交代、いろんな選手を起用している。わたしたちは一応レギュラー勢がスタメンだった。


 大筒さんは夏場に離脱がありながらホームランは29本、見栄えよくあと一本を狙っていた。長崎さんは打率3割を切りそうになったら交代、投手陣は先発の前橋さんが五回くらい投げたら継投、来シーズンの契約が微妙な投手たちを試すようだ。



「あともうちょいでスタンドだったわ。あれが入らないんじゃ今年はもう打ち止めかしら」


「よし、いまの盗塁で今年10個目!9と10じゃ評価が全然違う!ぎりぎり間に合った!」


 タイトルには関係ないところでの一喜一憂、これも昨日ミルルトが優勝を決めて気楽な試合になったからだ。もし勝てば優勝負けたら2位って状況だと、昨日の東京ドームみたいに殺伐とした感じになっていた。わたしが医務室にいるとき、今季最終戦を終えてのセレモニーの様子が映っていたけれど厳しい空気だったなあ。


 明後日はわたしたちも十二球団最後の本拠地ラストゲーム、今年のセパ公式戦の大トリだ。温かい拍手に包まれるか大ブーイングで収拾がつかなくなるか……いまから怖いな。Bクラスに終わったわたしたちが悪いんだから仕方ないとはいえ、真夏のイベントと違って途中で逃げられないし………。




 今日もベンチスタート、いまのところ2ー1で負けている。ミルルトは本気の継投じゃないけど横浜も大振りしているから雑なバッティングになって得点が入らなかった。するとここで試合に関係ないところで大歓声が響く。一塁側、ブルペン近くのほうがその出どころだった。


『さあ、ついに木更津が最後のブルペン!一時期リリーフに転向していた時期もありました。今日は打者一人に対しての登板と発表がありましたが、しっかりと準備をしています』


 今日の主役がブルペンで肩を作っていた。引退選手用の登録ではないとはいえ今後も一軍に残ってクライマックスシリーズや日本シリーズに登板するとは考えられない。これが最後なんだ。



『下田の打球はピッチャーゴロでスリーアウトチェンジ!七回終わって外苑ミルルトペンギンズ、1点リードのまま、八回は遠藤が登板します!』


 この回は打順よく3番から、最終戦まで試合に出るというセト、やはり最後までファンの前でプレーするという大筒さん、そしてあと2回凡退したら打率3割を切っちゃう長崎さんの順だ。みやこは6番、つまりこの回わたしの出番はない。


「あるとしたらピッチャーに回る最終回!」


 セトと大筒さんは二人とも三振だった。ホームランだけを狙っていたところを遠藤にうまくかわされた。そして2アウトランナーなし、長崎さんのところでミルルトの『三鶴(みつる)愛花(まなか)』監督が、そして投手コーチが出てきた。



『ペンギンズ、ピッチャーの交代をお知らせします。遠藤に代わりまして、ピッチャー……木更津!ピッチャー、木更津。背番号25』



 満員札止めの神宮が揺れる。大勢のミルルトファン、それに僅かな横浜ファンも大きな拍手と歓声で木更津さんを迎えた。木更津さんの最後の対戦相手は長崎さんだ。ところがマウンドで投球練習が始まるなか、長崎さんはネクストからベンチに戻ってきた。



「……?どうした?バットにヒビでも見つけた?」


「いや………その、ここで打席に立つと明日はホントに代打でしか出られなくなるというか、私はあまり演技はうまくないというか」


「ハッキリしないわね、要するに代えてくれってことでしょ。三振しないといけないから打率が落ちる、それが嫌だと。まったくしょうがない……監督に伝えるわ」


 コーチが通訳さんに、それからラメセス監督に伝えられる。監督は苦笑いしながら長崎さんに下がるように言うと、わたしの背中を軽く叩いてグラウンドを指さした。



「みっちゃん、ゴー!」


「…………わ、わたし……ですか?」


「昌子の最後の舞台はあなたが相手をするべきだと監督は言っています。ファンだったのでしょう?」




『ブラックスターズ、選手の交代をお知らせします。バッター長崎に代わりまして、太刀川。バッターは太刀川、背番号60』



「……おっ、きみか!こんなことがあるんだね」


「…………よろしくお願いします」


 

 もし打順が一個でも前後にズレていればわたしは出てこなかった。サービス精神に満ちた大筒さんは喜んで三振しただろうし、引退試合の暗黙のルールなんて興味もないみやこは普通に相手をしていただろう。



「これも運命かな……棒球がきたら構わず打っていいよ」


「…………はい」


 わたしは足場を固め、ヘルメットを深く被った。

 木更津 昌子 (外苑ミルルトペンギンズ投手)


 長年ミルルトの中心選手だったベテラン投手。右投右打。みっちゃんがミルルトファンとして神宮に足を運んでいたときが全盛期で、みっちゃんのプロ入り後は故障に悩まされる。引退を決断し、最後のマウンドに立つ。


 元になった選手……200針に迫る縫い目の跡が残り、手術マスターとも呼ばれるあの選手。無援護のせいで3勝12敗の年もあったがその二年後には最多勝に輝く。優勝した2015年に一瞬だけ復活した。



 ヤクルトの長所でもあり短所でもある点として、ある程度以上の実績がある選手なら、普通のチームなら引退勧告や育成落ちになるような怪我人を最後まで支配下で面倒を見るところがある。ピークを過ぎたベテランにも優しい。だから選手たちが安心してプレーできる反面、チーム強化に使える金と選手枠が使い物にならない選手で圧迫されてしまう。


 一方で横浜という球団はとにかく回転が早い。活躍すればすぐに給料が上がり減俸スピードも鈍いが、ベテランに厳しい。生え抜きだろうが功労者だろうがすぐに切るため35歳以上の選手などほとんどいない。これが健全なチーム運営と言えなくもないが、そんなことばかりしていると主力選手にFAで逃げられてしまう。少しでも長く現役でいるためには横浜を出るべきだと。



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