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第三捕手のみっちゃん  作者: 房一鳳凰
第一章 前半戦
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第4話 木谷 都

「あ~あ、これだけツイてないんじゃそりゃ勝てないっつーの」


「さすがに今日は不運が続きすぎですよ。連敗中だと流れも敵のモノですね」


 試合が終わった瞬間、負けたわたしたちは次々とベンチを後にする。確かに今日はツキに見放された一日だった。何でもないスライディングを併殺崩しの危険行為で守備妨害にされるし、こっちのホームランは長いビデオ判定の末ファールにされた。挙句の果てには雨天コールド負け。これから八回裏の攻撃だったというのに。


「……まあ惜しくはないんだけどね。14-3、攻撃しても無駄っていう」


「怪しい判定も大差がついた後の話ですからね。どうしようもないですよ、このチーム」


 来週から交流戦。借金独占状態こそ脱出したけれどいまだ最下位に苦しむ我ら横浜ブラックスターズ。何が原因か、専門家もファンも多すぎて困っているほどだ。


 先発が早々にKOされる、接戦で中継ぎにつないでもここ数年の勤続疲労のせいかエス子以外の投手にキレがない。九回にリードしていても抑えがそれを守れない。抑えは川口さんからわたしの一つ年上、大卒でプロ二年目の川崎さんに交代した。いまのところうまくいっているけれどどこまで続くかわからない。



 捕手のリードが悪い、内野守備の動きが鈍い、外野手のフライ処理が下手、走塁は手を抜いているし打撃も一発を狙いすぎて雑、どうでもいい時にしか打たない…。采配がダメ、コーチが力不足、金をケチっているせいで裏方の数が足りない……。世間の声であって決してわたしの意見じゃないということだけわかってほしい。


『ラメセス監督解任か!?』『チームは分裂、崩壊寸前』『オフに大量解雇か』


 低迷が続けばあることないこと書かれても仕方ないのがプロだ。気が滅入るからこういった記事は見ないようにと注意されている。球場のヤジにも耳を貸すなと。ちなみにわたしへの批判や罵声はない。そのぶん称賛や応援もないけれど。ほとんど出番がないんだから当然といえば当然の結果だ。試合に出たいなぁ。



「…現実がこれだけ酷いんだから夢の世界に逃げちゃうのが一番でしょ!」


「その通り!寮までの移動中にたっぷり見るぞ~~っ!」


 わたしの周りではいまネット小説が流行している。異世界やファンタジーの空間に浸ることでセ・リーグ断トツ最下位という地獄にいる事実から目を背けるのだそうだ。わたしも勧められて読んでみたけれど、すぐにやめてしまった。読んでいるうちにあまりにも自分のことを考えすぎて、息抜きの時間なのに疲れてしまったからだ。


『お前みたいな役立たずはもう我々のパーティに不要!クビだクビだ!出て行け!』


『君よりも素晴らしい聖女が見つかった、よって婚約は破棄、国外追放だ!』


 今年でプロ五年目、目立った実績と活躍0ながら今年は630万円、しかも年俸が『一軍最低保証年俸』とやらに届かないわたしはベンチに座っているだけで毎日お小遣いが支給される。ほんとうは試合前に試合中、いろいろ忙しいんだけど無駄にお金を払っているように思われても仕方ない。わたしより優秀な選手は今年の木谷さんだけじゃない、この後も毎年入団してくることだろう。


 小説の世界ならチームを追い出された…つまり戦力外になったわたしの真の実力を見抜いた他のチームがわたしを拾ってわたしもそのチームも大活躍と勝利の連続となるわけだけど、わたしの秘められた力って何だ?そんなものないよ。


 魔法の才能はなかったが剣の才能はあった!野球しか取り柄のないわたしが今から別の道に飛び込める?いや、ドッジボールは得意だったな。男の子も女の子も年上も年下も次々とアウトに……ドッジボールのプロなんてなかったはずだ。


(勝負の年なのはわかっているんだけど…やれることをやるしかない!)


 わたしは寮に帰ると、時間もだいぶ遅くなっているけれどすぐにトレーニングルームに向かった。ネットでも印刷されたものでも、小説を読んでいるとそのうち片手でダンベルか握力を鍛える道具を手にして、やがて両手でトレーニングしてしまう。とにかく身体を動かすのが好きなんだ。だから読書は続かない。


「わたしにとってはプロ野球選手でいられるいまが夢の世界なんだ!少しでも長く夢を見るためにも今日は日付が変わるまでスペシャルを……」


 筋トレのフルコースを数セット繰り返す、わたしの『スペシャル』。ちょっとでも悩んだり弱気になったときはコレで忘れるに限る!そう思って走り出したときだった。



「……筋トレばかりでなくバランスのよい練習をするようにと以前言ったはず……」


「うわっ!き、木谷さん!?何でこんな場所に!?いつもならもう部屋に…」


「たまに部屋を出るのがそんなにいけない?明日も試合があるのにこの時間からスペシャルとやらに励もうとするあなたよりは問題ないと思うけれど?」


 木谷さんはわたしより20センチ以上背が高いし、スラっとした理想的なスタイルだ。それでいて長打力もあるまさに『完璧』な存在。ライバルだなんて呼ぶのも失礼だ。流行している小説本ではなく、細かい数字がたくさん書かれている資料を手にしていたけれど詳しい内容までは見えなかった。辞典のような厚さのファイルだった。


「今日の試合……惜しかった。確かにチャンスはあった」


「惜しい?試合を見ていなかったんですか?大惨敗だったんですよ」


「敬語はいらないと前も言った。惜しいというのはチームではなくあなたのこと。雨が強くなったから八回から守備についた…その裏には打席が回ってくるはずだった。点差が開いているせいで相手の投手のレベルはかなり落ちていたし実際にあなたが昨年二軍戦で得意にしていた投手がマウンドに向かおうとした。プロ初ヒットが生まれる可能性は高かっただけに惜しかったという言葉になった」



 わたしはとても驚いた。試合をちゃんと見ているというのはもちろん、わたしの去年の二軍のデータまで持っていることに衝撃を受けた。まだ木谷さんがプロ入りする前、しかも一軍に定着しているとは言い難い選手同士の対戦成績まで把握しているなんて。


 これならスター選手たちの情報やクセはもっと掴んでいるはずで、プロの捕手として負けを認めるのは簡単だったけれど悔しいからごまかすようにしてわたしは言った。


「へへへ…まさか球界を代表する捕手になることが約束されている木谷さんにマークされる、つまりライバルだって認識されていたなんてわたしもまだまだ捨てたものじゃないなこりゃ。ほかのチームに入団したとき用に調べていたってことだよね」


 この冗談に乗ってくれるかどうかでこれまでの苦手意識がなくなるか、今後うまく付き合えるかどうかがわかる。へらへら笑いながらその返答を待っていると、


「……何を勘違いしているの?あなたをライバルだと思ってはいない」


 冷たい視線からのお世辞抜きの答えが返ってきた。そりゃあそうだ。同じチームで同じポジション、わたしのほうが四年早くプロの世界にいるとはいえ競争相手ですらないというのは誰から見ても当たり前の話だもんなぁ。すでに勝負がついている。



「ライバルではなく私はあなたを………」


 追い打ちをかける言葉が続くかと思われたところでわたしの下半身がぶるぶると震えた。ポケットに入れておいたスマホ(球団支給)がわたしを呼び出したのだった。


「はいもしもし……あっ!光莉さん!え、いま寮のそばにいるんですか!?はい、もちろんすぐに行きます!外の門のところですね、わかりました!」


 わたしをかわいがってくれる優しい先輩でありチームの正捕手、光莉さんがわたしに来てほしいという。ここから逃げ出すチャンスという意味でも最高にうれしかった。ちなみに光莉さんはずっと前に寮を出て今は奥さんとマンションで暮らしている。


 ん?光莉さんは女なのに結婚相手を奥さんって呼ぶのは変だって?この物語の世界では普通のことだからそれは黙って納得して受け入れてほしい。



「じゃ、じゃあ木谷さん、そういうわけで!」


「…………」


 まだ話は終わっていないという目をしていたけれど気がつかないふりをして外へ出た。門のすぐそば、何度も乗せてもらったことがある高級車が止まっていた。その運転席から出てきた光莉さんは何度も辺りを見回すと、誰もいないことを確認してから車のドアを閉めてわたしに微笑んだ。


「こんな時間にごめんね、みっちゃん。試合の後というわけにも明日というわけにもいかなかったからこうさせてもらったよ。人がいたら車の中で話そうと思ったけれどさすがに私たち以外いないからここで……構わないかな?」


「あ、はい!わたしはどこでも……光莉さんこそ寮の中に入らなくていいんですか?」


「うん、ここでいい。でもみっちゃん、不思議に思わなかった?試合が終わった直後、しかも明日も試合がある。そんなときにわざわざ直接呼び出して、ほかの誰にも聞かれないようにしているなんて…普通じゃないと感じなかった?」


 言われてみればそうだ。用事があるとしてもあのまま電話で話せばいいし、だんだん怖くなってきた。表情こそ穏やかだけど、悪いことを伝えに来たように見える。もしかしたら明日から何もかもが変わってしまうような重大な事実が―――――。



「まあ簡単に言うと……明日から私は二軍に合流することになった。そしてそれから一か月…交流戦が終わるくらいかな?トレードでどこかの他球団に行くのも決まった。いろいろ準備もあるし、お互い遠征もあるし、言うなら早いほうがいいと思って」


「………え?二軍?光莉さんが?しかもトレードで他のチームに?」


 今日までチーム最多のスタメンマスク、誰もが認める正捕手の光莉さんが突然の二軍降格。とても信じられない話だけど、そうなる気配が0というわけじゃなかった。その理由はただ一つ、ラメセス監督との関係が日に日に悪化していることだった。


「………監督と喧嘩したんですか?それしか考えられません」


「喧嘩…私はそんなつもりじゃなかったんだけどね。中継ぎ投手が次々と潰れている、私たちバッテリーに確認もしないで申告敬遠をするせいでピッチャーが戸惑っている、ピッチングコーチたちの意見ももっと聞き入れて采配を見直してほしい、そうお願いしただけ。このままだとチームが完全に壊れちゃうのは明らかだったから……。それが造反とか批判と言われたら仕方がない。私は自分に正直に行動した」


 すっきりした顔でそう語った光莉さん。自分を犠牲にチームを守ろうとしたんだ。


「………光莉さん……」


「そんな顔をしないで、みっちゃん。私にだってメリットはある。監督と対立した選手なんて普通は飼い殺しにされたままクビだけど、いまパ・リーグのチームが二つか三つ捕手不足なのは知っているでしょう?意地になって干すくらいならそことトレードして中継ぎ投手を連れてくるに決まってる、このチームは」


「……横浜が嫌になっちゃったんですか?」


「それは違う。監督のことだって心から憎いってわけじゃないもの。そこはもう一つ理由があって、いまこのタイミングでチームを出ないと私のキャリアは終わる。木谷…都。あの子は凄い。今年中に私は必ず競争に負けて二番手捕手になる。そうなるとFAがまだ先の私はずっと控えとして過ごすことになっちゃうからね」



 去年はセ・リーグの代表としてオールスターにも出場した横浜の扇の要、井藤光莉にそこまで言わせるなんて、やっぱり木谷さんは誰もが認める十年に一人の逸材だ。


「光莉さんですら降参なら……わたしなんか絶対勝てないじゃないですか」


 わたしが弱気になるのも当然だ。でも、光莉さんはそんなわたしの両肩に手を置いた。



「いや…トバや他の二軍の子たちじゃ確かにどう転んでも勝ち目はない。でもみっちゃん、あなたには何か不思議な魅力がある。うまく言えないけれど、私や木谷にはない別の武器が秘められている。それさえモノにできれば……あなたは成功できる!」


 気休めや慰めじゃない、本心からの言葉だというのがその熱を通して伝わってくる。


「それが打撃なのか守備なのかリードなのか…私にはわからない。あなた自身もまだ気がついていない眠った素質が覚醒する日を楽しみに待っているね」


「……ひ、光莉さん……!」


 涙は流さなかった。大げさに抱擁もしない。力強い握手が別れの挨拶だった。



「ん…電話だ。トバからだ。あいつも聞いたのかな。あ~もしもし…そうそう、明日からチームをよろしく、あんたがしっかりチームを引っ張っていくんだ、これからはね。みっちゃんのこともこれまで通り面倒をみてあげてね」


 これから光莉さんのもとにはたくさんの電話がかかってくるだろう。そのなかでも最初は同じ捕手仲間の戸場さんだった。光莉さんは反ラメセス監督派で、戸場さんは親ラメセス派だったけれどだから仲が悪いというわけじゃなかった。それでチームが分裂しているというのは週刊誌やネットのニュースが作った真っ赤なうそだ。圧倒的最下位だというのに雰囲気がいいというのも問題かもしれないけれどね。



「……え、それは……うん、さすがに読めなかった。そうなるとトバとみっちゃんには思っていた以上にずっと悪いことをしたなぁ……頑張ってとしか言いようがない」


 最初は和やかに話していた光莉さんの様子が急変した。戸場さんに何かを言われて明らかに驚いている。予想外の出来事が起きたのは確かだ。戸場さんのほうも光莉さんが降格する以上の衝撃的な展開に、かなり大きな声がわたしのところまで聞こえてきた。


 やがて電話が終わると、光莉さんは明るかった顔を厳しくさせながらわたしに頭を下げた。



「………みっちゃん、大きな誤算だった。みっちゃんにも謝らなくちゃいけない」


「まさか降格しなくてもよくなったんですか?それならむしろうれしい…」


「違う。私が下に落ちるのは変わらない。私の代わりに上がってくる人間が問題だ。てっきり亀岡さんあたりが昇格するものだと思っていた。だからトバが正捕手に、みっちゃんが二番手に、そうなるという考えが甘かった」


 ベテランの亀岡さんは二軍コーチも兼任している。亀岡さんが今のわたしのポジションに入って、わたしは自動的に立場がよくなるはずだったそうだ。でもこのチームが現在とても苦しい状況にあることで、上の考えが大きく変わってしまった。




「前半戦は二軍でしっかり鍛えるはずだった…木谷を明日一軍に上げるんだって。もうそんな余裕もないってことか。下手したら途中で解任だもんね、監督」


「中途半端に戸場さんと併用するだけだろうに…どうにでもなれってことかしら?これで二軍の試合が満員だった日々ともお別れかぁ。寂しいようなほっとしたような」


 寮に戻ってみると、すでにこの情報はみんなに知れ渡っていた。こうなるのはわかっていたとはいえ一番にわたしに伝えておきたかったという光莉さんでも、木谷さんが絡むことでここまでの騒ぎになるとはと申し訳なさそうにしていた。



 リラックスルームにはまだ木谷さんが一人でクッションに座って資料に目を通していた。


「木谷さん!明日から一軍だって聞いたよ!よろしくお願い……」


 明らかに浮かない顔をしていた。昇格を望んでいないのは確かだった。


「あれ?うれしくない?それとも緊張してる?」


「……いまの一軍は技術を学べる環境にない。井藤さんがいないとなると残りの捕手は監督の言いなりになっている下らない人間と素人だけ、コーチの腕も二軍のほうが優秀となると…喜べるわけがない。言われた場所でプレーするだけではあるけれど」


 予想以上に辛辣な言葉だった。戸場さんが監督に忠実で、ピンチになるとベンチに一球ごとに指示を仰ぐことを非難しているのだろう。そしてわたしは素人呼ばわり。木谷さんから見ればわたしの技術と実績なんてそれで片づけられる程度のものなんだ。


「………そういうのは口に出しちゃだめだよ。わたしのことはいいとして……いや、やっぱりムカッとするよ!こんなんでも一応プロとしては四年先輩なんだよ?一軍の雰囲気とかベンチのルールとかいろいろ教えてあげられることも……」


 教えるのはプレーじゃないのかよ、と自分で自分に心の中で突っ込みを入れていると、ぶ厚いファイルを持っていた木谷さんが突然立ち上がり、床にそれを叩きつけた。無表情ながらその瞳には灼熱の炎のごとき怒りが込められ、わたしは怯んだ。



「な……何かお気に召さないことでも?とてもお怒りのようで……」


「素人を素人と言って何が悪いの!あなたは紛れもないキャッチャーの素人だ!プロに入ってから転向したくせに先輩面?恥ずかしくないの!?」


 いつでもどんなときでもクールが売りの木谷さんがわたしの胸ぐらをつかむ。


「投手としての競争を早々に諦めて、いざとなれば壁になれるとかいう甘い考えで第三捕手に甘んじる……そんなあなたに会うために私はプロになったんじゃない!」



 わたしが投手だったことまでデータに入って……いや、彼女は覚えていたんだ。わたしのことなんて記憶の片隅にもないと思っていたけど……あの日のことを。高校三年、最後の夏。わたしにとって幼い日からの夢の舞台だった神宮球場での試合を。

 石河 武美 (横浜ブラックスターズ内野手)


 チームの中心的存在。右投左打。横浜と結婚した女。セカンドを守ることが多いがショートやファースト、外野も守れる。気迫あふれるヘッドスライディングなど、不器用ながら全力プレーがファンを魅了する。チームの裏事情にも詳しい。


 元になった人物……栄冠掴むその日まで恐れずベースへ飛び込むあの選手。2019年は1千本安打達成、十連敗脱出のホームランなど少ない出番で存在感を示したが2020年はまさかの一軍出場なし&退団。横浜一筋だと思われただけに衝撃が走った。


 大筒 嘉恵 (横浜外野手)


 誰もが知る日本の4番。右投左打。ここぞの場面で豪快な一撃を放つ。地元高校出身グループのリーダー。オフにアメリカ挑戦志望。


 元になった人物……横浜の空高くホームランかっ飛ばすあの選手。念願のメジャー移籍が叶ったが、速球への対処をどうにかしないと厳しい。怪我も怖い。

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