第27話 最後の投手
「カ・ワ・サ・キ!カ・ワ・サ・キ!」
九回表、川崎さんがマウンドに上がるとスタジアムが大歓声に包まれた。横浜の本拠地であるということ以上に、皆が川崎さんをセ・リーグを代表する抑え投手として認めた証だ。負け試合なのが残念だったけど大盛り上がりの最終回だった。
そのまま試合は終わり、オールパシフィックの勝利。二本ホームランを放ったスーパーコンドルズの柳葉が最優秀選手として300万円を獲得した。そして敢闘選手、負けたセ・リーグは一人しか選ばれない。その一人にみやこが選ばれた。
「凄いねみやこ!100万円だ!今度そのお金でまたおいしいものを食べに連れてって……えへへ」
「こんな金がなくてもそのつもり。それより今日は私の日だった。だから明日はあなたの番」
今日は地元ブラックスターズの選手で唯一出番がなかった。でもスターたちの夢の対決を見たり監督たちに囲まれたり、オールスターの雰囲気そのものを楽しんでいるうちに自分のことなんて忘れていた。
オールスターは真剣勝負じゃないからつまらないという人もいる。投手はもっと変化球を投げろ、野手は真剣に点を取りにいけと。確かにお遊びに見えるかもしれない。でもほんとうのところ、後半戦に向けての勝負はここからすでに始まっている。
ピッチャーは手の内を隠している。全球直球では後ろで見ている同リーグの野手たちは攻略の参考にならない。川崎さんのようにシーズン中は絶対に投げないナックルを投げたりする投手もいるくらいだ。バッターも自分の弱点やクセがバレないように注意している。和やかな裏でバチバチと火花が散っていた。
「昔は敵チームの選手に嘘のアドバイスをする人もいたらしいわ。いまはみんな仲良しだからそんなのはいないだろうけど」
「それ以外にもいろいろめちゃくちゃなエピソードがあるみたいね。確かハリーが……」
セ・リーグの豪華スターたちがシャワー室に集結している。女しかいないんだから誰も前なんて隠さない。そのお風呂に関わる話を他の選手たちがしているのをみやこが聞いていた。でもその輪には入らず、わたしのところに近づいてくるのだった。
「ハリー……確かあの老害のあだ名。どんな話か知っている?」
「え?うん、けっこう有名だよ。数十年前のオールスター、試合後のお風呂で張田さんだけが毎年タオルを巻いているから、悪い選手たちがそれを剥いじゃおうとしたんだ」
髪を洗っている無防備な瞬間を狙われた。張田さんの裸が露わになった。それを見た犯人の一人が、
「あれ、あんたそんなに胸が小さかったっけ?確かいつもは」
「〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
詰め物や下着で大きく見せていた秘密がバレた張田さんは顔を真っ赤にして涙目でお風呂から逃げていったという。
「で、この話は続きがあるんだ。それから数年後、大打者になった張田さんの勢いを止めるためにその言葉が飛び出したんだ。あの犯人は捕手だったからね、打席で呟いたんだ」
ハリー、あんた態度はデカイけど胸はぺったんこだな、と。見栄を張っても私たちは全部知っているんだぞと囁いたそうだ。その打席は集中力を乱されて凡退、でも次の打席で怒った張田さんは捕手の頭を空振りのフリしてフルスイング!
「……ふふっ。プライドだけは高いあの老害らしい話ね」
「みやこも気をつけてよ。昔ほどじゃなくても気が荒い選手もいるからね」
先輩のチームメイトや佐藤優李をバッサリと斬り捨て、根津相手にも配慮は一切なく厳しい言葉を浴びせる。みやこは意外とトラブルメーカーになりかねない存在だった。全てわたし絡みだというのは考えないことにしよう。
土曜日、甲子園での第二戦。この日も試合前のホームランダービーからわたしはベンチ内で一人盛り上がっていた。我ながら選手というよりは特等席で観戦するファンのようだった。
「いけいけ―――!二塁いける――っ、よしっ!」
「元気だねぇ。私も純粋だったころを思い出すよ」
セ・リーグの選手たちのほとんどがわたしに近づいて話しかけてくれた。その流れで今日はベンチスタートのみやこにも声をかけていくからみやこと他球団選手の交流の機会をわたしがつくることに成功した。
でもそれが目的で騒いでいたわけじゃない。オールスターを心から楽しんでいただけだった。今日は点の取り合いで、満員の甲子園が常に大歓声で満たされた。八回の表が終わって7ー6、オールセントラルが一点だけリードしていた。
『この回から捕手はブラックスターズの木谷です!期待のルーキーは九回に打順が回るところに入りました』
関西でもみやこは大人気だった。すると原田監督が来て、
「もし彼女がいない他球団ならもっとスタメンの機会があるのに、そう思わないかい?自由に移籍できるとしたらすぐにでも、そんな願望は?」
「ははは、わたしの意思じゃどうにも……」
昨日に続いて横浜から出るよう煽るようなことを言う。
「いや、できるわね。トレード志願すりゃええ」
「正捕手だった井藤を簡単に放出するチームだ、太刀川くんがその気なら応じるさ。投手との交換で話を進めるだろうね」
金木監督まで話の輪に入ってきた。苦笑いするわたし、だけどこれで終わらず、今度は今日スタメン捕手だったミルルトの赤村が来て、わたしの目の前に立った。
「……まさかミルルトなら簡単にレギュラーになれる、そう思ってはいないわね?木谷と争うより楽だと……」
「い、いえいえ!赤村さんがみやこより下だなんてこれっぽっちも」
「わかっているならよろしい。私が新人に負けてるわけがない」
正直なところ、みやこのほうがすでに赤村よりほとんど上だと思うけど口に出すわけがない。わざわざ怒らせる真似はしない。
「いや……完敗してると思うけど。少なくとも人気では」
「あ………あああああ〜!!」
ベンチの誰かが余計なことを言った。赤村も気にしていたみたいで、涙目になりながらなぜかわたしのほっぺたをむにむにし始めた。
「くそ〜!オールセントラルのファン投票で選ばれたんだぞ、私は!なのに酷いわ、あの声援の差!」
「うにゅ〜……わらひにあたらないれくらひゃい……」
「あれ!?この子の弾力……凄い!うわ、病みつきになる!」
赤村の叫びに何だ何だとミルルトの仲間たちが、ついには他の選手まで集まってきてベンチはわたしを中心にパニックになった。
「………何をやっているの、みち……」
「ああ、助かったよみやこ。やっと解放された〜……」
八回の終わりにようやくわたしを囲む群れは解散した。生まれて初めてのモテ期、全く嬉しくなかった。
『打った〜!左中間を破る!木谷、二塁打になりました!』
みやこは今日も打った。そのまま二塁に残塁したからみやこの準備ができるまでわたしが西宮の抑え投手、ドリルの球を受ける。シーズン中の第三捕手としての役割と同じだ。そろそろ投球練習も終わりというところでみやこがフィールドに来た。
「ナイスツーベースヒット!さ、後は任せたよ!」
「………いや、私のことよりみち、あなた………」
「え、何か言った?時間がないし試合が終わった後聞くよ!」
わたしがベンチに戻ってもみやこはずっとわたしを見ている。でもプレーが始まっちゃうしもう遅い。後でいいや。
「あと三人!ファイト―――――!!」
ベンチから大きな声で声援を送る。みやこだけじゃなくてパシフィックのベンチもわたしをジロジロ見てくるけど気にしない。最後の回なんだ、遠慮なんかしないで応援だ。
このとき敵ベンチがわたしに注目していたのは別な理由があったと知るのはまだ先だった。ネット上のファンたちも同じ理由で騒いでいたみたいだけど、わたしたちは全く気がついていなかった。
「アレ?あの太刀川って……まだ一度も出てませんよね?九回裏の守備にもつかずに……故障したんでしょうか?」
「まさか。だったらあんな元気でいるはずがない」
変に存在感をアピールしたものだからセ・リーグの皆はもうわたしが出場したものと勘違いして、わたし自身は自分が選手だというのを忘れて球宴を楽しんでいた。みやこしかわかっていなかった。
(……うわ〜……この子を出すのを忘れてた!でもいまさら出しても私の失態がバレる!ケガしたことにしてもらおう)
実は原田監督も気がついたらしいけれど、すでに2アウト、今からファーストあたりで使ってもファンに馬鹿にされる、そう考えて言い出せないでいたと後で認めた。
『ドリルどうした?あと1アウトから連続四球!』
すんなり終わるかというところで雲行きが怪しくなった。急に制球を乱して、嫌な予感がすると誰かが呟いた。そして昨日のMVP柳葉への初球、サヨナラ負け以上の悲劇が起こった。
「アアアアア―――――!!」
強烈なピッチャー返しがドリルの右足に命中、その場に倒れ込んでしまった。内野安打で二死満塁、しかもドリルは肩を借りながらマウンドを降り、ベンチ裏ヘ消えていった。
「……続投は無理です。あとは精密検査しないと」
こんなところで守護神を失った金木監督は頭を抱えていた。後半戦に大ダメージ確実だ。当然ドリルのことは皆心配しているけれど、今の問題は誰がこの後投げるか、だ。抑えようが打たれようが彼女が正真正銘最後の投手だった。誰も準備していない。
(西宮の投手なんだから西宮が代わりを用意しなさいよ)
(総監督のチームから出してくれないかな)
緊急登板でケガしたくないし、中途半端な仕上げじゃ打たれてしまう。パシフィックの4番、大仁田が次の打者だ。今日は先発投手として二回を抑え、その後はライトに回ってホームランも打っている。ここで打てば間違いなく最優秀選手だ。
「………で、誰を登板させるんですか?いまだに一人もブルペンで投げていませんが……」
「ムムム………ん?」
みやこもベンチに戻ってきた。まさかみやこも体を痛めた?さっきわたしに何かを言いかけていたのは……いや、痛いなら痛いって言うよね。わたしじゃなくて監督たちに。
「どうしたの?」
「次の投手が決まらないようだから進言に来た」
そのまま三人の監督たちのもとに行き、みやこは語り始めた。
「あなた方は無能極まりない。しかし結果的にそれがいい結果になるから世の中わからない。投手が一人残っていた」
「………え?」 「いや、どこに……」
「…………」
みやこが指差した先には他でもないわたしが……冗談?
「ああ!みっちゃんは昔ピッチャーだったね」
「確か入団会見で言ってたわ、少し投げれば肩ができるのが長所だって。いけるんじゃない?」
ラメセス監督、大筒さんも続いた。ここまできてようやくわたしも他の皆も気がついた。わたしがまだ試合に出ていなかったと。ちょうどいいじゃないかと無責任にわたしの背を押す。最後に原田監督が両肩に手を置いてきて、
「ここは任せた。初めてのオールスター、頑張って」
「は、はひ」
『オールセントラル、ピッチャー、ドリルに代わりまして…………太刀川?えーと……ピッチャー、太刀川。横浜ブラックスターズ』
甲子園が揺れたように感じた。ハマスタの比ではない数の大観衆がとにかく動揺し、驚き、戸惑っている。
「原田に金木にラメセス!どいつも目立ちたがりの自称名将!」
「ありえない……ヤバくなってきたわ、最後の最後で」
塁上にいるパシフィックのランナーたちもびっくりして、これから何が起きるかわからず焦っている。もちろん守るナインはもっと精神的に追い詰められている。
こうなると不思議なことにわたしの緊張や不安はきれいさっぱり消え去ってしまった。周りがあたふたし過ぎているせいで自分は冷静に、他人事のようにマウンドに立っていた。
「サインはどうする?どうせストレートしか投げないけど」
「コースだけ指示する。嫌なら遠慮なく拒否してほしい」
みやことの話し合いの結果、見せ球でも変化球は使わないことに決まった。暴投やすっぽ抜けの死球が怖いからだ。
「肩は問題ないとして……問題は相手だな」
投球練習が終わり、全パの4番大仁田が打席に入る。規格外の二刀流はわたしに聞こえるようにして言った。
「あ~あ……せっかくの見せ場だというのに酷い仕打ちだ。まさかこの私を相手に野手が登板するなんて!こっちも仕返しで適当なピッチャーを代打で出せばよかったんだ……」
「………」
「間違いでオールスターに選ばれてベンチではしゃいでいただけのゴミを相手に打ったところで何になるんだ。スピードガンは壊れているし散々な一日だ」
日本人最速記録更新を狙った大仁田。初回、その初球だった。
『おお―――っ!!球速は255キロ!史上最速ぅ……?』
最初から機械が故障していて、最後まで正確な球速が表示されなかった。その鬱憤を大仁田はバットで晴らしていた。
「間違っても頭にはぶつけないでよ、私とは住む世界が違うとはいえそれくらいはわかるでしょ?ああ、かわいそうな私……」
わたしは大仁田が何を言おうが無視するつもりだった。でもみやこは違った。
「ええ、あなたはとても気の毒。敵ながら同情する」
「わかってくれるんだ!さすが天才捕手の木谷……」
「この大観衆の前で醜態を晒し大恥をかくことになる。みちの前に完全敗北を喫し、真のヒーローと比べいかに自分が凡庸な存在だったかを知るのだから気の毒と言う他ない」
大仁田の動きが止まった。みやこの鋭い言葉のせいだ。
「………何を言っているのかわからないな」
「あなたのような汚物がみちに勝てるわけがないと言った。あなたこそはっきりしてほしい。頭が悪いのか耳が悪いのか」
まずいまずい、乱闘になっちゃうよと思ったけれど審判がわざとらしく咳をすると大仁田はそれ以上何も言わなくなった。代わりに視線でわたしに言う。絶対に打ってやると。
(年下なのに凄い威圧感だ……大活躍も頷ける。でもこの大仁田でも3割そこそこしか打てない。半分以上は凡退するんだ)
『さあ、試合再開です!大仁田と太刀川の二刀流?対決!今年のオールスターもクライマックスを迎えました!』
川崎 (横浜ブラックスターズ投手)
横浜の抑え投手。大卒二年目、24歳ながら強心臓の人気者で二年連続オールスター出場。右投右打。ストレートと独特な変化のツーシームだけで相手打者を翻弄する。目立ちたがり。
元になった人物……日本一の抑えだったあの選手。球場を支配するジャンプ封印のせいか、それとも開幕が遅れ調整失敗したせいか2020年に大不振、ストッパーの地位を失う。体つきだけは目標のメジャー投手たちみたいになってしまった。
大仁田 心 (ジャパンハムベアーズ投手、野手)
投げて一流、打って一流の二刀流選手。右投左打。米球界挑戦が確実視されていて、何をしてもうまくいく日本の野球に飽き飽きしている。
元になった人物……二刀流といえばあの選手しかいない。投手一本に絞れという意見が多かったが、怪我などもあり打者メインに。恐らく今後も指名打者での起用がほとんどだろう。




