第13話 コンバートのススメ
今週から交流戦が始まる。明日からの三連戦はホームゲーム、だから今日は休日だ。その代わり金曜からは札幌でジャパンハムとの試合で、移動が忙しくなる。でも週末を北海道で過ごせることを多くの選手たちは喜んでいた。
「もう二年に一度だもん、北海道に行けるのは」
「しかも週末……思いっきり遊んじゃお!」
日曜の試合後に皆でジンギスカンを食べに行く、それはすでに決まっている。その後どこに行こうか、一部の人たちの気持ちは早くも北海道に飛んでいた。わたしもこのままいけば初の北海道遠征で、今から楽しみだった。わたしの先発出場試合も土曜日だから、今週は後半にイベント目白押しだ。
逆に最初の三連戦は一度出番があればいいほうだ。わたしが出るということは大差で負けている展開なのでチームとしては嬉しくない話だけれど。
「……おはよう、みち。約束通り来てくれてよかった」
「おはよう、みやこ!こう見えてわたしは寝坊も遅刻もしないよ」
昨日までとは全く違うわたしたちの接し方、互いの呼び方、距離。みやこがいったんこの場を離れたところでみんながわたしに近寄ってきた。
「み、みっちゃん?いつの間に木谷とあんな仲良しに?」
「人を寄せつけないあの女をどうやって……?」
わたしもどうやって、と聞かれてもうまく説明できない。みやこのほうからわたしを食事に連れて行ってくれたり二人での練習を申し出てくれたり……とんとん拍子にこうなっていたとしか……。最初の苦手意識は完全になくなったけれどまだまだ謎が多い存在だから、これから少しずつ知ることができればと思っている。
「まだ内容すらわかりませんがいまからトレーニングです。見ていきますか?みやこが許可してくれるかどうかわかりませんけど……」
「いや、やめとくわ。ゲーム大会で忙しいから」
「私たちもこの間知り合ったファンの子と会う約束があるしねぇ」
飛び入り参加も観客もいない、予定通り二人きりの練習となった。二軍施設の見学者も今日は来ないから、邪魔されずに特訓に励める。とはいっても誰にも見られてはいけない秘密のトレーニングなんかじゃない。わたしも少しは期待していたけれど、劇的に別人になれるような改造はいくらなんでも無理みたいだ。
「あなたの眠っている力……というよりは四年間の無駄な時間で失われていた力を再び蘇らせる。もともと持っていないものを得るというのは期待しないでほしい」
「ははは……だよね。でも失われた力っていうのも……覚えがないなぁ。最初が大した能力じゃないんだから取り戻したところで大した結果にはならないんじゃないかな」
「…………」
「いや、みやことこうして練習できるのはうれしいよ。わたしなんて相手にされてないってついこの間までは思っていたから。甲子園春夏連覇、大学野球の頂点、日本代表にも選ばれて大活躍した雲の上の選手!それがいま……」
するとみやこは人差し指を自分の唇に当てて、わたしに黙るように促してきた。
「私たちの関係は平等だと昨日確かに言った。アマチュアでの実績など意味はない。それにその時代の話をするなら私はあなたに負けている。都大会準々決勝……」
「たまたまだよ。みやこだって人間なんだから、調子が出ない日くらいあるって。でも結局すぐに捕手にされたとはいえ……あの試合がなかったらわたしがプロになることもなかった。ま、思い出はほどほどにして、始めよっか」
チームの練習の時と同じように入念なウォーミングアップから始める。わたしが唯一これは球界ナンバーワンだと誇れる、決して怪我しない身体。柔軟やジョギングなしでも大丈夫な気もするけれど、こういう慢心が全てをパーにする。後になってから手抜きしなきゃよかったと悔やむくらいなら今この瞬間、やれるべきことをやる。
それにわたしだけならいいけれど今回はみやこもいっしょだ。彼女をケガさせたら100……いや、200%クビになる。日本の宝を傷つけた罪は償いきれない。
「まずはキャッチボールから……それが終わったら近距離ノックをする」
「近距離ノック!?キャッチャーフライとかバント処理じゃないの?」
やっぱりこのまま捕手を続けてもみやこには勝てないから早いうちに別のポジションに移ることが試合に出る最善の道、というわけか。ラメセス監督の新しい方針だとわたしは一週間に一度しか出番がないことがほぼ確定、今まで以上にベンチウォーマーだ。
「三塁か一塁、どっちも強い打球が飛んでくる。高校生のときやったことはあるからカンを取り戻せたらいけるかも。ああ!これが失われた力を取り戻すってこと?」
「……確かに今年の残り試合、数多く出場するためには三塁か一塁に入れるのは理想。三塁の長崎はピークに比べて明らかに守備が劣化しているし一塁を守る外国人は次々に故障している。今日にもセトが抹消されるだろうからかなり層が薄い」
昨日の試合でチームの主砲の、『ネレイデ・セト』が右足を痛めている。長崎さんも最近は速い打球を取り損ねるシーンが増えたし、世代交代の流れに傾いてもおかしくない。最下位なのにセトの離脱でますます苦戦が予想されるとなるとシーズンの中盤で育成路線に切り替わるかもしれない。わたしも競争に参加するチャンスがある。
「ミルルトとの三連戦、全試合出場できたうえに三試合連続で打点をマークできた。捕手以外でも守備が無難にこなせることを証明できれば……」
「あなたの考え、半分は正しい。というのもこれは今年限り。来年からは本来の守備位置で本格的にプレーすべき。それまでの繋ぎにすぎない、そう思ってほしい。何よりこの訓練の目的はその来年以降を見据えて、ということも覚えていてほしい」
「………?う~ん……まあいいや、いまはノックを受けたらいいんだよね」
打球への恐怖心はない。あとは慣れと技術だ。みやこのノックはコーチたちと同じかそれ以上の腕前で、お金を払ってでも受けたいレベルだった。
「よしっ!正面で捕れた!」
「お見事。やはりあなたはセンスがある。どのポジションでもすぐこなせる」
確かに全ての守備位置の経験はある。だけど実際に公式戦でやるとしたら捕手、それと三塁が限界だろう。セカンドとショート、それにセンターは足が遅いから無理、ライトとレフトは選手が余っているのでわざわざわたしを使う理由はない。どれだけ外野の層が薄いチームでもわたしを外野で使おうというところはまず一つもない。
「わたしがもう少し背が高ければファーストもありえたけどなぁ」
こんな小さな一塁手じゃみんな投げ辛い。ちょっとでも高く逸れたら悪送球だ。小さいからってショートバウンドを捕るのがうまいわけでもなく、これからの成長に期待するしかない。今年23歳、この先身長がぐーんと伸びることがあるのかどうか……。
「今シーズンを全てトレーニングに費やしてサードの練習に専念すれば来年の頭にはレギュラーを奪えるはず。あなたの打撃も守備も送球も……そのうち長崎よりも上になる。実戦を数多くこなすことが条件になるけれど」
「長崎さんより上!?一昨年の首位打者、ゴールデングラブ賞も取った人だよ。それはわたしを過大評価しすぎじゃないの?」
「……私から見ればあなたは己を過小評価していると思うけれど……どちらが正しいか論じ合っていても時間の無駄。次はそこで打球を受けて」
みやこはマウンドを指さし、わたしに移動するように言う。マウンド?その意図がよくわからないけれど、みやこの目的や狙いはきっとすべてが終わるまで理解できない。意味が掴めなくてもわたしのために練習内容を考えてくれていることは確かなのだからいまは言われた通りにしてみるのがいいだろう。
「絶対に素手で捕りにいかない!足を差し出すのも駄目!」
基本的な教えだけど、実際にピッチャー返しが飛んでくるとついやりたくなっちゃう。プロの投手でもそれで長期離脱に追い込まれる選手もいるくらいだ。でもいまはこのアドバイスはいらない。場所こそマウンドだけどわたしは投手じゃない。野手として練習しているから抜かれそうでも素手や足で止めようとは考えないからだ。
「ふ~……久々に投手用のノックを受けたよ」
「………あなたの体力はほんとうに無尽蔵ね……」
それからしばらくノックは続き、みやこのほうが先にギブアップした。頑丈さともう一つ、体力もわたしがみやこに勝っているところだ。それ以外は何もかも惨敗だ。
「ときどき気分転換でピッチングはするけれど守備まではやらないし、楽しかったよ」
このとき、空気の流れが確かに変わった。座り込んでいたみやこが突然立ち上がると、
「みち、それは本当!?いまでも投げているというのは!?」
わたしの両肩を掴みながら迫ってきた。間近で見るとやっぱり美人だなぁと思う。顔で勝負する世界じゃないけどここでも大差で負けか……。それはまあいいとして、
「…う、うん。でもキャッチャーもつけてない、ただの息抜きだよ」
「いや、定期的に投げているというのが重要!これなら………」
みやこは興奮している。疲れもどこかに吹っ飛んでしまったようだ。
「昼食を終えたら私のキャッチング練習に付き合ってもらう!」
「え?わたしじゃなくてみやこの?ちゃんとしたピッチャーにやってもらったほうが」
「午前中はあなたのための時間、だから午後は私……断るというのは筋が通らない」
わたしの目から見れば昨日までの試合で捕球に問題は全くなかった。天才の悩みは凡人とは違うと言うけれど、本人がやりたいならわたしも喜んで協力するつもりだ。断る気なんて少しもない。昼休憩が終わると、わたしはマウンドに立った。
「まずは軽く……」
高校時代、わたしの最高球速は140キロだった。プロに入って通用する変化球はカーブくらい。150を連発する投手でも指名漏れするこの時代でわたしはきっと運がよかった。偶然みやこの絶不調の日に当たって、それを横浜のスカウトが見ていた。
甲子園でも毎試合活躍した木谷を唯一抑えたのだから何かを持っている、そんな理由でドラフト指名されただけでなく一年目のシーズンが始まる前に捕手に転向して五年目の今年、ついに初ヒットをホームランで飾った……なかなか面白い野球人生だと思う。
「……変化球はまだ投げられる?無理はしなくていいけれど」
「じゃあ試しにカーブを投げてみる。あとはスライダーくらいかなぁ」
どちらも最近はほとんど投げていない。球種が少ないうえに大して曲がらない、こんな球を投げたところでみやこの練習になるのか疑問だったけどこれでいいらしい。
「あなたの長所は変化球ではない。私との対戦では全く使わずに抑えたくらいだもの。コントロール、それに球速以上に勢いのあるフォーシーム、何よりキレやノビという言葉では説明できない特殊な力が最大の武器なのだから……」
「みやこ、わたしのピッチング練習じゃないんだよ。いいって、そういうのは」
叱ったり指摘したりするより、褒めて伸ばすタイプとは意外だった。けっこう辛辣な言葉を口にするみやこだけに、ここまで褒め殺しされるとうれしさよりも驚きが先行する。
「………そうだった。でも私たちのチームの投手もこんな投手が多い。セットアッパーのエスバーンはスライダーしかまともな変化球はないし抑えの川崎も落ちるツーシームが通用しなくなったら終わり。川口や二吉なんてコントロールは酷い、ムラが激しい、変化球は全て直球のための見せ球にしか使えない……勝ち試合で投げている投手ですらこれなのだからあなたの球を受けるのもいい練習になる。さあ、続けて」
他に誰もいなくてよかったと心から思う発言ばかりだ。さすがに本人たちに直接このまま言うとは考えられないけれど、いつかポロリとこぼして喧嘩にならないか不安だ。
「これだけ球速が出ていればじゅうぶん。時々やっていたというだけはある」
「他のスポーツの選手や芸人でも速い球を投げる人はいるからね。これくらいは」
「ええ。あなたの本気は実際に打者を立たせてその闘志が燃え滾らないと見られない。肩慣らしは終わったでしょう?ここからは私の打撃練習の相手をしてもらう!」
ホームベースの後ろに素早くネットを用意し、右打席に立つみやこの表情を見てわたしは何となく今日の練習の目的がわかった気がした。すべてはこのときのためだったんだ。
(野球人生唯一の汚点……あの日をやり直したかったんだね、きっと)
子どもっぽい負けず嫌いな一面なのか、それとも天才ゆえの完璧主義なのか、はっきりした理由は木谷都という人間をもっと知らないとわからない。でもみやこがあの日の5タコをいまだに引きずっているのは確かだ。だったらわたしの役目はそこから解放することだ。
「……え~…西東京大会準々決勝、都立今和野高校のピッチャー太刀川!ここで迎えるは令嬢実業の4番、甲子園で大活躍!この夏の大会でも勢いが止まらない木谷都!ここが試合の行方を左右する大事な勝負になりそうです!太刀川、投げた―――っ!」
わざとらしい実況のまねと同時にわたしは振りかぶって投げた。真ん中高め、絶好の打ちごろの直球をみやこは難なくジャストミートしてフェンス直撃の打球を飛ばした。
「あ~~っ、やっぱり完璧に打たれた。次こそは………」
「…………」
打たせるための接待、つまり手加減はしていない。それでも快音は響くし打球はよく飛ぶ。コンバートから四年、打撃投手程度の力しかないのか何を投げても面白いくらい打たれる。ただのバッティング練習になりつつあった時間にみやこもうんざりしたようで、
「……もういい。あと3球で終わりにする」
打ち切りを申し出てきた。こんなに簡単に打ててしまうからリベンジ成功の喜びも薄いようで、このままでは二人での練習も初回の今日で終わりだ。まずいな。
(せっかくの機会……簡単に逃したくない!まだまだみやこと……!)
やる気を出してどうにかなるのか、とは思わずに腕に力を入れる。打ち取ってやるという気持ちが足りなかった。手抜きはしなくてもどこかで気分よく打たせてあげようと遠慮して投げていた、そんな自分の甘さを反省しつつ深呼吸する。
「高校時代の雰囲気を演出するなら……あのときの気持ちで投げないとだめだった!」
細かい計算も終わった後のことを考える必要もない、ただこの一球に全てをこめて。
「……そう、この感じ……これだ――――――っ!!」
球速はさっきと変わらないかもしれない。でも簡単には打たれる気がしない。
「…………!!」
今日初めて空振りを奪った。わざわざ用意されたネットもようやく初仕事だ。そして間を空けずに投げた二球目は力のないファール。これで追い込んだ形になる。カウントがある勝負じゃないけれど、次が最後だ。昔からわたしは遊び球を投げない。
「いくよ、みやこ!これがわたしの全力!うおお――――――――!!」
もちろん決め球は直球。これを打たれたら仕方がない、いや…絶対に打たれない!意識せずに自然と心が昂ったとき、わたしは誰にも負けなかった。
「くっ……うあっ!」
バットが真っ二つに折れた。そのバットよりも勢いなく打球がころころと転がる。ピッチャーゴロ、ボールを拾って一塁に投げるふりをした。
「は――――――っ……ようやく抑えられた。どう?わたしもやるときはやる……」
これでまたいっしょに練習してくれるね、と言うつもりだった。ところが、
「…………」
折れたバットを持ったまま、みやこは声を出さず静かに泣いていた。
長崎 敏子 (横浜ブラックスターズ内野手)
首位打者を獲得した中距離打者。右投右打。守備が若干劣化気味だが、年齢的に衰えるには早く、現に打撃は健在。サヨナラの場面に強い。
元になった人物……ハマのプーさんとして愛されるあの選手。三振マシンばかりのチームで三振率の低い打者だがそのぶん鈍足右打者の宿命か、併殺が多い。自分がかわいいと自覚しているようだ。
ネレイデ・セト (横浜内外野手)
日本の4番大筒以上のホームランバッター。右投右打。守備位置も一塁、二塁、右翼とこなせる。チームの主砲だが故障がちで作品中にもしばらく登場しない。
元になった人物……嵐のカリビアン、本塁打王2回を誇るあの選手。2020年限りで退団確実かと思われたが奇跡の複数年契約で残留。守備位置と打順を固定すれば成績は上がるはずなので、本塁打王を雑に扱ってはいけない。