第14話 収穫
ただのバッティング練習のつもりで始めたのに真剣勝負の流れになって、その末にわたしが勝った。そしてみやこが泣いた。本職の投手ではないわたしに打ち取られたのが相当ショックだったんだろう。勝利の喜びを噛みしめている場合じゃなくなった。
「……そんなに落ちこむことないって!どんなバッターでも必ずいつかは打ち損じるし!ほら、プロは率が重要なんだから。わたしが抑えたのは最後だけ、残りは……」
こんなことでみやこが調子を崩したら最悪だ。余計なことを考えずにリベンジ成功をアシストすればよかったのかな。でも外野に強烈な打球を飛ばし続けた間、みやこはずっと不満そうだった。現時点でのわたしの本気の球を求めていた。だからわたしが責められる筋合いはない……んだけど、将来有望な日本の宝を躓かせたとなるとどうだろう。
「たった一回の負けでそこまで沈んでたら一年持たないよ?何なら延長戦を……」
どうすれば泣き止んでくれるかもわからない。勝ったわたしが慰めても余計に惨めな思いをさせるだけで、かといって黙ってここから離れるわけにもいかないし……。とりあえずバッターボックスに近づくと、みやこはまだ泣いている。でも同時に笑ってもいた。まるで理解不能、と思われたところでみやこから説明があった。
「………私は悲しみや悔しさのせいで涙を流したわけじゃない。これは……喜びの涙」
「……へ?」
「ずっと憧れていた……もう見られないかもと諦めかけていたものが確かにいま、わたしの目の前で輝いていた。あなたの球は色あせずにあのときのまま……」
みやこはバットを地面に置くと、わたしに抱きつくようにして言葉を続ける。
「みち、私は初めて出会ったときからあなたの虜になっていた」
「……虜?5打席ノーヒットのせいでわたしをライバル扱い?」
「ライバル……違う。ファン、というのが正しい。先週の木曜の夜の私の発言は全て偽りだった。あなたに勝つためではなく……あなたの活躍を最も近い場所で見たいからこのチームに入った。停滞しているあなたをどうにか目覚めさせるためにも」
高校、そして大学の野球で頂点に立ち、プロの世界でもあと数年もすればトップ選手になると誰もが予想する木谷都が冴えない第三捕手、戦力外待ったなしのわたしのファン?
冗談にしか思えない告白だけど、みやこの目は本気だった。
「えっと……どのへんが?そのきっかけは……」
「間違っても恵まれているとは言えない小さな体を目一杯に使っての全力投球、劣悪な環境と不運を恨まずに不器用に前進し続ける姿……何より私を負かしたこと。私が小さいころから憧れていたヒーローそのものだった。剛速球でも魔球でもなく、生まれ持っての天賦の才や血統によるものでもない、努力と根性の結晶!」
「…………う~ん……だったらプロに入ってからのわたしは期待外れだったでしょ」
「そこは今後のあなたのためにも否定しない。でもプロ初打点となったサヨナラ死球の打席や昨年の二軍戦での数試合など、眠っていた闘志が燃えかけていた瞬間はあった。私が好きになった太刀川みちは死んでいない!そう確信することができた」
さっきからわたしはずっとみやこの胸に包まれている。あれだけ汗を流したのにどうしてこんなにいい匂いがするんだろうと顔を埋めながらぼんやり考えていた。これまでの全てがわたしへの好意からだったという事実に頭が追いついていなかった。
「私が持っていた資料……あれは一冊丸ごとあなたのことだけが載せられている」
「………はい?」
「あなたのトレーニングや入浴……いつも遠くからじっと見つめていた」
……なるほど~~~~っ。最近感じていた謎の視線の正体がわかった。すっきりしたね!…………この件について深く考えるのはまた今度じっくり、いまは後片づけをしよう。
「あの年の甲子園、まさにみやこのためにあったようなものだった。準決勝の金手農業、エースの根津……あの人のほうがわたしより実力は上、しかも雑草魂が……」
「ああ…あまり覚えていないけれどそんな投手もいた。でも彼女から私は二打席連続でホームランを打った。世間が言うほどの好投手ではなかった」
「今年はパ・リーグの仙台フェニックスでもう6勝してるのに散々な評価だね。それじゃあ決勝の北海道HTB学園との激闘もそこまで思い出に残ってない?」
「あなたの高校との試合に比べたらまあ……たくさんあったうちの一つとしか」
いまだにTVで取り上げられることも多い、みやこの活躍した甲子園での二試合。それすらも大したことではないみたい。ちなみにいま、わたしのほうから野球の話題をあえて選んでいる。あの流れで他の話をしたら取り返しのつかない事態になるかもという予感があった。外野に飛んだボールを二人で拾っている間、わたしは集中力を欠いていた。
「でもあの試合、九回表までは………うわっ!?」
「えっ……きゃっ!」
この広いグラウンドでちょうどそこだけ整備できていなかった。くぼみに足を取られてバランスを崩したわたしはみやこにぶつかった。別の方向を見ていたみやこにとっては不意を突かれたせいでわたしを受け止めきれず、勢いに負けて二人で転んだ。
「あはは、参ったなぁ。みんな練習しないからずっと放置されてたのかな……」
みやこを押し倒す形になっていた。わたしは小さいけれど重いからすぐにどかなきゃ、そう思って起き上がろうとした。すると、みやこの顔が真っ赤になっていた。
「みやこ!まさかわたしの頭がぶつかった?この悪い石頭が……痛くない!?」
わたしの呼びかけにも聞き取れないほどの小声で何かをぶつぶつ呟いているだけだ。
「……み、みちのほうから迫ってくるなんて……こういうことには疎いと思い込んでいた。た……『太刀川』の名前の通りだった。タチの前では『木谷都』の私はこの体を好き放題に貪られるだけの非力な雌猫…………」
「…………だいじょーぶ?頭を打ってはいないはずなんだけどなぁ」
その日の練習はこれで終わり、みやこも少し休んだらすぐに回復した。訓練の成果は来年に発揮されると言われたけれど、やっぱり早いうちから結果が欲しい。交流戦が始まり、試合前の守備練習ではキャッチャーに加えてサードでもノックを受けた。不動の正三塁手の長崎さんがニコニコしながらわたしを見ていたのも、まだライバルと思われていない証。少しずつその笑顔を真顔に変えてやるのが後輩の役目……。
『試合終了!ブラックスターズ、連勝はなりませんでした!大阪のエース本山が高い壁!』
火曜日、6-1で負けた。ラメセス監督は、連敗の後は必ず連勝が来ると豪語していた。でもあっさりと敗戦、大阪タヌキーズの本山の前に何もさせてもらえなかった。
8番打者を申告敬遠したせいで次の回はトップバッターから始まったケースが二度もあって、いずれも失点した。投手の今中さんと捕手のみやこが監督への不満と苛立ちを隠さずにいて、ベンチの空気も最悪だった。わたしの出番はなかった。
『試合終了!最後は川崎が締めました!横浜、今日は投打が噛み合っての快勝!』
このままズルズル沈むのかと思いきや、翌日は10-0で圧勝。タヌキーズの新外国人が早々に大量失点して序盤で勝敗は決まった。昨日はプロ入り初のノーヒットだったみやこも二安打、残りの打席は四球で全打席出塁。先発野手全員がヒットを放った。そうなるとわたしの出番が回ってくる展開にはならず、この日も最後までベンチだった。
そして今日、わたしたちの先発前橋さんが三回でノックアウトされ、昨日とは真逆のゲームになった。五回を待たずしてすでに逆転は厳しい状況だ。でも監督の方針で大差がついてもみやこは試合の終わりまで使うことになっているので今日もきっと出場はないだろう。同じく暇な控え捕手、戸場さんと二人で話していた。
いまは攻守交替の途中で、マスコットやチアガールたちが飛び跳ねて踊っているところだ。
「そういえばみっちゃん、木谷と二人で練習したそうじゃない。どうだった?」
「う~ん……ミルルトとの三連戦後にも感じたことですが、もっと試合に出たい、その気持ちがますます強くなりました。いままでは与えられた役目を無難にこなせたらそれでいい、ほとんど出番のない第三捕手だとしても……そう思っていたんですけど」
一度試合で活躍してしまったら現状に物足りなくなる。そして何よりこんな身近にわたしの大ファンがいたんだとわかったら……このままじゃいけないと強く思う。
「おっ、燃えてるね。それで三塁挑戦も始めたってわけだ」
「それだけじゃないです。こういう時間の意識も変えました。情けない話ですが、これまでは暇なときは球場中を見渡して、もしクビになって再就職するとしたらどの仕事だったら野球以外は何もできないわたしでもできるかな、なんて考えたりしていました」
例えばビールやジュースの売り子、器用で要領がよくないとできない。体力に自信があるとしてもわたしには厳しい。警備員や売店の店員……ついつい試合が気になって仕事に集中できる自信がない。だったらいまグラウンドで踊っているパフォーマンスチームに入れてもらう?ダンスはできてもルックスで悪目立ちするからお呼びがかからないだろう。
「でもそんな後ろ向きな気持ちじゃダメです。あと二十年は現役を続けて、引退後も野球に関わる仕事で一生食べていく、そんな強い気持ちが必要だったんです」
「素晴らしい決意表明だね。木谷はモチベーターとしても超一流か……規格外だな。ところでこういう時間の意識も変えたって言うけれど具体的には?」
「ええ、余計なことを考える代わりにトレーニングを。いまは動体視力の訓練です。じーっと見つめるんです。するとダンスメンバーのパンツが一瞬だけ見え……」
そのときだった。わたしの両目が覆われて何も見えなくなった。背後から二つの手がバチンという音を立てるほど強い勢いで視界を奪ってきたのだ。
「あだっ!く、暗っ!痛いし暗いし………どうなって!?」
「……………」
悶えるわたしが解放されたときには、すでにショーは終わっていた。
「……突然何が起きたんですか!?だ、誰がこんないたずらを!?」
「………」 「…………」 「……」
誰も答えてくれない。でもいたずらに成功してニヤニヤしているわけでもなく、言ったらまずい、私に聞かないでくれ、周りの人たちはそんな深刻な顔をしていた。ちなみにみやこは少し離れたところにいたけれど、いつもより守備につくのが遅れていた。打席が回ってきたわけでもないのに、珍しい光景だった。
試合は八回裏まで終わり、9-2で大量ビハインド。長崎さんで攻撃が終了した。おそらくもう打席は回ってこない。するとラメセス監督は長崎さんを呼び止めた。最終回は別の選手がサードを守るということだ。何となくその予感はあったけれど……。
『守備の交代をお知らせします。長崎に代わりましてサード、太刀川。背番号60』
スタジアムはどよめいていた。あるところからは失笑やため息、別のところからは驚きの声。大差がついているとはいえいざ初の実戦となるととても緊張した。投球練習の間に何度かファーストから投げられたボールの捕球と送球を繰り返す。ここでは問題なくできたけど実際に打球が飛んできたとき練習通りの動きができるかはわからなかった。
(……ちょっとちょっと……いくらこんな展開だからってサードに素人を入れるなんて。ラメセスのやつ、まーた試合で遊んでる。ただの敗戦処理でも私にとっては大事な登板、今日失点したら二軍落ちもありえる状況なのに………)
リリーフ左腕の小原さんは心のなかでそうボヤいていたと後で教えてくれた。サードに飛ばされたら記録にならないエラーを連発されるだろうと思っていたら先頭打者にはストレートの四球、続くバッターには初球を叩かれてノーアウト一、三塁の大ピンチだ。
『タヌキーズ追加点のチャンス!今日猛打賞の足立がバッターボックスに入ります!』
ここで1点失っても、乱暴な言い方をしたら『どうでもいい』。だから失点を何としても防ぎにいく前進守備の指示はなかった。一か八かのバックホームをするよりは併殺を狙って早くスリーアウトに、ということだった。普段通りの位置と動きで構わないというのは、まだ三塁守備に慣れていないわたしにとってはとても助かった。
「………あっ!」
投げた瞬間、小原さんのしまった、という悲鳴が聞こえた。失投だったんだろう。それを足立は見逃さず、前の打者に続いて初球攻撃してきた。鋭いスイングだった。
『打った―――――っ!三塁線!強烈なライナー………』
それはみやことの練習の賜物だったのか、それとも偶然だったのか。横っ飛びしたわたしが伸ばした腕の先のグラブに吸い込まれるようにしてボールが入った。
「やった………あっ!」
そのまま三塁ランナーにぶつかった。でも月曜日にみやことやらかしたような衝突ほどの勢いはなく、ボールを持ったグラブが最初に相手の体に触れた。だからプレーの一つとみなされる。そして起き上がると、一塁走者が飛び出していてまだ塁に戻っていなかった。
「………ファースト!」
「オッケー……うわっ!!」
ピッチャー、そしてキャッチャーで鍛えた強肩。わたしと同じく主力が下がった後に一塁に入っていた佐々野さんは予想よりも速い送球に、何とか捕った後で尻もちをついた。それでもアウトはアウト。初めての三塁守備を無難にこなせてよかった。
「ア……アウト!アウト!チェンジ!」
へ?チェンジ?とわたしがぽかんと口を開けていると、スタジアムはわたしが登場したとき以上に大きなどよめきに包まれた。外野から大筒さんたちが戻ってきている。
『これは珍しいプレーになりました!トリプルプレーです!スリーアウト、チェンジ!』
ようやく状況が整理できた。ああ、そうか。タッチして送球もして、どっちもアウト。ライナーを捕ったからぜんぶ足せばスリーアウト、トリプルプレーの完成だ。
「凄いよみっちゃん!これなら三塁の守備固めいける!」
「ありがとう、みっちゃん!内心不安だったの、ごめんなさい!」
石河さん、それに小原さんに頭や肩をグラブで優しく叩かれながらベンチに戻った。ベンチのみんなからも祝福を受け、寒い試合だったけれど最後にいいものを見せてくれた、そう褒められた。わたしもいい気分になり、今なら打席に入ればヒットが打てそうだ。
打者一巡しなければ回ってこないという厳しい条件だけど、勢いは引き寄せた。相手の投手も大差がついたとき用のピッチャーだからじゅうぶんに連打のチャンスが……。
「中園、小原の代打で出るように。それに音坂、もし打線がつながったらあなたの出番。5番に入っているみっちゃんのところで使うから準備をしておきなさい」
「はい」 「わかりました。素振りしてきます」
………まあこれはしょうがない。わたしのところまで回ってくるということは同点、それに逆転サヨナラのチャンスになっているというわけだから、代打が出るのは当たり前だ。一回ラッキープレーをしたくらいじゃ信頼は勝ち取れない。打撃と関係ないしね。
結局九回裏は無得点、あっさりゲームセットとなった。大阪との三連戦は1勝2敗、わたしの出場機会はサードの守りについた、これだけだった。ちなみにわたしの奇跡の三重殺のボールはやはりベンチに届けられた。そのボールをみやこが持っている。
「……みやこ、わたしのボールを集めている人はこんなプレーでもいいわけ?」
「もちろん。あなたの記念すべき初のサードでの守備機会、トリプルプレーでなくても回収を要求していた。私たちの練習が早くも実を結んだ瞬間であるのと同時に、あなたと私が初めて守備でも並んでフィールドに立った記念すべき証……。私の部屋に飾るには十分すぎるほど理由が…………」
みやこはそこまで言って沈黙すると、すぐにわたしのそばからいなくなった。お風呂やトレーニングルームでの謎の視線に加えて、ボール収集騒動の犯人も明らかになった、この三連戦での数少ない収穫だった。
「……わたしが何かしたわけじゃないけど…明日からどうしたものかな。いろいろ知っちゃった以上、これまで通りってわけにもいかないしなぁ……」
今中 (横浜ブラックスターズ投手)
エース候補のサウスポー。安定感のあるピッチングが特徴。ラメセスとの相性はイマイチで、余力があるのに早々に代えられたり意味のない申告敬遠にイライラしている。
元になった人物……投げる哲学者と呼ばれるあの選手。彼の調子がチームの順位を左右し、不振や故障で離脱するとAクラスを逃してしまう。
小原 (横浜投手)
中継ぎサウスポー。ワンポイントがメイン。左のリリーフというだけで酷使されがち。小原だけでなく多くのリリーフが調子を落としている。
元になった人物……新人の年に71試合に登板しプロ野球記録を作ったあの選手。その年は東日本大震災が発生した2011年で、3時間半ルールでイニング数が少なかったのにチームは継投人数の新記録達成。この投手は常軌を逸したマシンガン継投の象徴だった。




