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「……人間風情が、どこまでいい気になれば気が済むのかしら?」
嘆くように目を瞑り、ネムレシアは片翼をはためかせて、その身をゆらりと中空に浮かび上がらせる。
それに合わせるように、少女の身の丈以上のハルバードが、ぎぎぎ、と歯切りしのような音を立てて、周囲により強い魔力を津波のように広げ始めた。
その途端、セラさんの魔法によって生み出された空気に淀みが生じる。
だが、それは一瞬の事でしかなく、すぐさま継続されている歌声によって元の状態へと戻った。
「ふざけているわ。どうして掻き消せないの? 人間の魔法なんかが……」
苛立ちを露わにしながら、ネムレシアは鋭い視線をセラさんに向ける。どうやら、一番の障害を彼女と認定したようだ。
まあ、俺を殺すわけにはいかないんだろうから、それは当然の判断なんだろうけど、さすがに余所見が過ぎる。
完全にこちらから意識を外した瞬間を狙って、俺は横薙に剣を振り払った。
甲高い衝突音が響き、それに纏わりつくように巻き添えで死んだ魔物たちの血飛沫の音が鼓膜に届く。
「……本気で勝てると思っているの、私に?」
こちらの斬撃をハルバードで受け止めたネムレシアが、侮蔑を露わに吐き捨てた。
莫迦らしい驕りだ。気にせずそのまま攻撃を続ける。
続けながら、お返しとばかりに俺は嘲笑を浮かべてみせた。
「なにが可笑しいの?」
不快そうにネムレシアは眉を顰める。
このやや過剰な反応からして、自身の言葉を盲目的に信じているわけではなさそうだ。
でも、侮っていた人間風情に慎重になるのはプライドが許さない。だから、懲りずに傲慢を曝けだしている。そんな感じだろうか。
なら、こう言えば、きっと彼女はこちらを標的にするだろう。
「それ、アカイアネさんを相手にした時も思っていたんだろうなって。可愛い人だね、貴女。まるでニワトリみたいだ。……信頼、されてないでしょう?」
「――」
ネムレシアの眼の色が露骨に変わった。
正直、セラさんを集中して狙われたらかなり厳しかったので、この挑発を徹すのは最低条件だったんだけど、これは思った以上に刺さってくれたようだ。
「……私が控えるのは殺さない事だけ。吐いた言葉、後悔させてあげるわ」
言うや否や、ネムレシアが滑るように動いた。
瞬き一つで零になる距離。
「――くっ!」
身構えてなお、虚を突かれるほどの速度から放たれた横薙の一撃は、両手を空にすると同時に瞬時に具現化させた大剣をもって受け止めた俺の身体を軽々と吹き飛ばすだけの威力をもっていた。
剣の腹を抑えていた義手から肩まで凄まじい衝撃が伝わり、数秒ほど痺れが残る。
柄を握りしめていた右手は手首を柔らかくしていたので、そこまでの負荷はやってこなかったが、下手な受け方をしていたら骨が折れていたかもしれない。
「中距離が私は得意なのよ。離れていいの?」
くすりと微笑を浮かべながら、ネムレシアは魔力を奔らせて、俺を取り囲むように周囲の空間に孔を開けた。
その孔から、圧縮された魔力の弾槍が襲ってくる。
文字通り四方八方から同時で迫る攻撃。全てを回避するのは不可能だろう。
だったら、とネムレシアに向かって地を蹴りながら、踏み込んだ踵から天井高くに壁を具現化させて背後の攻撃を全て防ぎ、前方から迫っていた二つの刃を義手で払い、右手に握りしめた大剣を大上段から振り下ろす。
前進のエネルギーを上手く乗せた渾身の一撃。
だがそれを、ネムレシアは造作もなくハルバートを振り払う事で相殺してみせた。
刃と刃が弾け、その反動にお互いの身体が僅かにブレる。
一瞬の硬直。
先に動いたのはネムレシアだった。
力任せに突き出されたハルバードが、胸元に迫る。
追い払う事を目的とした一手だ。言葉通り近距離よりも中距離で戦いたいんだろう。なら、もう少しこの距離に固執するのも悪くない。
俺は半身を逸らしながら自身の武器を消し、空いた右手でハルバードの刃の手前部分を掴んで、思い切り引っ張った。
「――っ!?」
下がるか左右に避けるものだとばかり思っていたのか、ネムレシアは息を呑みつつ腰を落として抵抗を試みてくるが、少し遅い。
そうして踏ん張りが足りずに前のめりに大きく姿勢が崩れたところに、俺は具現化をもって爪の部分をより鋭く伸ばした義手を振りぬいた。
浅い手応え。中指の爪が首筋を掠め、一本の線が刻まれる。そこから伝う血は、人間と変わらない赤色だ。母が殺した父と変わらない血の色。
……頸動脈に届いていたら、ちゃんと致命傷になってくれただろうか?
そんな事を、自分でも驚くほどに冷徹に考えながら、間髪入れずに右手に再び顕した大剣を振り下ろす。
ネムレシアは慌てた様子でハルバードを引いて防御し、それと同時に自身の背後の空間に無数の孔を開けて、そこから魔力の槍を撃ち出してきた。
こちらの背後ではなく自身の背後に展開したのは、これもまた俺との距離を維持するため――いや、そういう思惑というよりは、単純に近づかれるのを嫌がってと捉える方が正確だろうか。
それなら、尚更ごり押しするまでだ。
右手に大盾を具現化して、それで前方の攻撃を防ぎながら、相手の顔面を押しつぶす勢いで肉薄を試みる。
「しつこい!」
魔力の槍の衝撃音に混じって、怒声が届いた。素直な反応。
俺は攻撃を防いだところで盾を消して、険しい表情を浮かべながら大きく飛び退いていたネムレシア目掛けて、具現化したナイフを投げつけて回避を誘導し、その回避先に先回りするように直進した。
おかげで再び距離が縮まるが、思ったよりも遠い。こちらの追い足よりも、向こうの逃げ足の方が若干速かったのだ。
その事実に思わず眉を顰めたところで、側面から魔物が突進してきた。
かなり嫌なタイミング。狙っていたのだとしたら相当不利な状況になっていたかもしれない。だが、ネムレシアは特にその機会を活かす事もなく、むしろ突然の好機を前にして戸惑ったあげくに、何もしないという無様を晒していた。
どうやら魔物を使役しているというわけではなく、単純に認識されないような細工をしているだけのようだ。或いは、もともと魔物には認識されない性質なのか。……まあ、どちらにしても、この場に溢れる魔物という存在は上手く扱う必要があるだろう。
それを早速実践するべく、迫ってきた魔物の影に隠れるようにして突進を回避しつつ、同時に魔力を出来るだけ抑えて、相手の出方を窺う事にする。
……即座に射撃をしてくる様子はなし。かなり警戒して身構えている。
という事は、感知能力はそこまで高くないという事だ。こちらの正確な位置を今見失っている。
それを確認したところで魔物がこっちを向いたので、その視線から逃れるようにすり抜けつつ、俺は低空を滑るように踏み込んだ。
ネムレシアは慌ててこちらに正対するが、その時にはもう間合いに入っている。
さらに上段からの振り下ろしをフェイントにして放った本命の前蹴りも、綺麗に突き刺さってくれた。けれど、ネムレシアは動きを止めることなく、遅らせて振りおろした大剣をハルバードで受け止めて――
「――っ!?」
全身に鳥肌が立った直後、漆黒の片翼がまるで蛇のようにうねり、喉元を噛み千切るような勢いでこちらにむかって尖った羽を伸ばしてきた。
咄嗟に左手で守るが、触れる直前に翼は放射状に広がり、防御を掻い潜って肩や胸に突き刺さり、更に刺さった瞬間に発生した衝撃波によって、地面に叩きつけられながら十メートル以上吹き飛ばされる。
激痛と衝撃で視界がぐらついた。重力に従って伝う血液が気持ち悪い。呼吸が上手く出来なくて、手足にも力が入らなかった。
「ふ、ふふ、思い知った? もっと後悔出来るように、次は煩わしい手足を撃ちぬいてあげる」
「……」
顔をあげると、こちらを取り囲むように複数の孔が点在していて、合図一つで魔力の槍を放つ用意が出来ていた。
だが、余計な言葉を並べて攻撃の合図を遅らせた所為で、その機会はあっさりと失われてしまう。
ガッドナイドさんの投擲した槍が完璧な不意打ちとして、ネムレシアのこめかみを捉えたのだ。
とはいえ致命傷には程遠く、皮膚を深く裂くだけにとどまり、槍の刃先の方がへし折れるという始末ではあったが。
「まったく、私一人では手に余る化物だな。……まだ抗えそうか?」
その問いを聞いた時にはもう、こちらもネムレシアの射線からは退避していた。
視界の方も正常。手足にも力が戻った。動きに支障はない。
「ええ、そうですね、そちらが上手く補佐してくれるなら」
と、やや皮肉を交えた言葉を返しながら、俺はそこでいつのまにかミミトミアの姿が消えている事に気付いた。
もしかして逃げたのだろうか? ……その可能性がないとは言えないが、多分違うだろう。でも、だとしたらどこに行った?
あまり余裕はないけれど、それを知ることは重要だと判断して感知に意識を回す。結果、彼女が今、ある場所に向かって移動しているのが判った。それも誰かと一緒にだ。
「力を貸すのは私一人だ。他の者では戦力にもならんだろうからな。適材適所。優先順位は正しく把握しろ。冒険者諸君は邪魔になりそうな魔物の排除に当たれ、元凶と思われる障害は我々が排除する」
敵の強さを間近で味わったにしては、ずいぶんと余裕をもった揺るぎない声でそう言って、ガッドナイドさんがサブに持参していた剣を腰から引き抜く。
ずいぶんと含みのある物言いだった。特に「適材適所」と「優先順位は正しく把握しろ」という部分。あれは、どうやら俺に向けたもののようで…………なるほど、そういう事かと、理解が波紋のように広がった。
彼は、俺とネムレシアが戦っている間に、ミミトミアをアカイアネさんの元に向かわせたのだ。
彼女を捕まえた元凶が、魔物をまき散らす元凶に対処するために、彼女を解放しようとしている・……。
「ずいぶんと良い性格してますね。そういうの、嫌いじゃないですけど」
苦笑を浮かべつつ、俺は彼の前に立ち背中を預ける事を示した。
先程の彼の誠意への意趣返しというわけではないけれど、消極的な協力から積極的な協力に切り替えたという意志表示だ。
「正しく貴族的だと評価してもらいたいものだな。それが大貴族に対する最低限の礼儀というものだぞ、小娘」
どこか愉しげにそう言って、彼は大きな跳躍から脳天目掛けて降ってきた魔物を両断し、見事な露払いをしてくれた。
今だけではあるが、信頼関係は成立だ。
ここからが本番。足止めだけで済んでくれればいいが、アカイアネさんが此処にちゃんとやってこられる保証はまだないのだから、処理できるのならこちらで処理するに越した事はない。
幸い、今の攻防で勝機は見えた。
俺は深呼吸を一つして、右手に小回りに利く細剣を具現化し、不意打ちを食らい涙を滲ませてこちらを睨みつけているネムレシアに向かって、出来るだけ優しい声で言う。
「痛いのは怖いみたいだね。だったら、今すぐ魔物をけしかけるのを止めて消えるといい。そうすれば、死ぬほどの痛みを味わう事は無くなるよ」
「……なにそれ、脅しのつもり? 追いつめられてるのはそっちでしょう? 私じゃない! なんなの、大して強くもないくせに、莫迦にして! 人間なんかが、私を莫迦にしてっ!」
鬼の形相と共に魔力を展開して、ネムレシアは槍を放つ。
とんでもなく速いけれど、これ以上ないくらいに読みやすいタイミングの攻撃。
それに合わせて俺はもう一度深く踏み込み、二対一の戦況に身を投じる事にした。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




