09
それは突然の出来事だった。大まかな作戦を決めて、いざアカイアネさん救出に乗り出さんと宿をあとにしたところで、街の至る所から悲鳴が上がったのだ。
原因はすぐに判明した。
魔物だ。脅威に感じる気配は少ないが、軽く探知した限りでも千はいる。しかもその数は毎秒ごとに増しているようでもあった。
「ちょっと、冗談でしょ!? ここ人域なんだぞ!」
驚愕と恐怖をない交ぜにした表情で、ミミトミアが叫ぶ。
その大声の所為かは判らないけれど、儀式の時までは宿で待機する事になっていたセラさんが外に出てきて、そこで魔物の存在に気付いたのか息を呑んだ。
周囲にいる人たちも似たような反応を見せていて、見事なほどに混乱が渦巻いている。
「……近づいてくる気配もなく、突然現れたな。このような芸当が可能なのはイル・レコンノルンあたりだが、さすがに理由がないか。彼ではない。とはいえ人為的ね」
口元に手を当てて、レドナさんが静かに呟いた。
「人為的って、誰かがやったっていうの? なんのために?」
臨戦態勢に入り周囲を警戒しながらミミトミアが訪ねる。
「異世界侵略の尖兵として招いた……にしては彼等の動揺も大きい。そちらの差し金でもなさそう。だとしたら、考えられるのはルーゼあたりだが、その場合は少し厄介だ。ここまでの事が可能な人間は、こちらでも把握していない。――貴女の方は、どう?」
不意に、レドナさんの視線がこちらに向けられる。
どうして俺にそんな事を、という疑問が一瞬過ぎったが、ルーゼ以外の線で考えれば確かに俺にも一人候補がいた。
ネムレシアだ。動機は不明だが、人外の彼女であるならばこのようなデタラメも可能だろう。或いは、その背後にいる者の力なのかもしれない。もしそうだとしたら、尚更簡単な事なんだろうが……なんにしても、そのあたりの事を説明するのは色々と面倒だ。
「……そう、貴女にも判らないか。ナアレ・アカイアネ関連でまだ何かあると思っていたんだが」
無言を徹すと、彼女はそう受け取って小さく吐息を零した。
なるほど、それ絡みでの読みだったようである。その事に納得出来たのは幸いだったが、
「ナアレさんの事を、なんであたしじゃなくてこいつに訊くわけ?」
想像通りというべきか、ミミトミアが判りやすく不機嫌になったのは、これはこれで面倒な話だった。
それを、これ以上ないくらい清々しく無視して、レドナさんは言う。
「いずれにしても状況が変わった。このまま予定通りに事を進めるか、少し様子を見るか」
「あんたの話が事実なら、敵にとっても予定外の事が起きてるんだろう? だったら今以上の機会なんてない! 今行くべきよ!」
重要な内容プラス、アカイアネさんの事となれば、些末な不満なんてものをつついている暇はないという事か、ミミトミアは強い口調でそう言った。
それには俺も同感だったんだけど、レドナさんは少し違うようで、
「あぁ、私もそう思う。だがそれは、この街の冒険者として正しい姿ではない」
と、彼女は妙に断定的な口調で返しつつ、一瞬だけ視線をミミトミアから外した。
その先にいたのはセラさんだ。今、どうして彼女に意識を向ける必要があったのか。なんとなく気になって俺もそちらを見ると、そこには鎮痛とはまた違う、決意を宿したような表情があった。ただ、何故そんな貌をしているのかは判らなくて――
「それって、どういう意味?」
微かな苛立ちと不安を込めた声で、ミミトミアが訪ねる。
「レフレリは冒険者の都市。それは、これまでの歴史の中で、貴族ではなく冒険者たちが都市の窮地を救ってきたからこそ云われているものだ。そしてナアレ・アカイアネはその象徴とも言える。そんな彼女が、この状況で優先するものはなんなのか。それが少し気になった。仲間である貴女が、それを選んでもいいものなのか、とね」
どこまでも淡々とした口調で、レドナさんは答えた。
そういった事はまったく考えていなかったんだろう、ミミトミアは一瞬きょとんとした表情を浮かべたのち、微かな迷いを見せ、しかし結局結論は変わらなかったのか、反発を示すように眉間に縦皺を刻んで――
「私、儀式場に行く」
そのタイミングで、セラさんが先に口を開いた。
まるでそれを待っていたかのように、レドナさんの唇が綻ぶ。
「……行ってどうするんですか?」
先程の決意の理由がそこにあるんだろうという予感を覚えながら、俺は訪ねた。
すると彼女は自分の喉を左手で軽く擦ってから、深呼吸を一つし、
「貴女たちが言ってる儀式場から、嫌なざわめきが広がってる。魔物がこの街に入ってきている大きな要因は、それだと思う。だから、上手く鎮める事が出来たら、全部とはいかないだろうけど、増える数は減らせると、思う。……だから、私に歌わせて欲しい」
とても透き通った声と、どことなく拙い言葉遣いで、ミミトミアに向けて懇願した。
怖いくらいに真摯な眼差しだった。まるでライブをしていた時みたいに、別人に見えた。
「でも、あたしは……」
そこで、ミミトミアは言葉を途切れさせてしまう。
迷いが生じた証拠だ。大勢の安全の確保か、大事な一人の安否確認および救出か……客観的な立場から言わせてもらえば、前者を取るべきだろう
なにせ緊急性が高いのはこっちだ。アカイアネさんの方は、今すぐ助けなければならない状態にあるとは思えない。
とはいえ、彼女の状態をはっきりと確認したわけではないので、ここには楽観も含まれている。
結局は他人事だからこそそう思えているだけで、身近な人間なら万が一を考えるが当然だろう。だから、ミミトミアにこちらの都合を押し付けるつもりはない。どちらかを彼女が決めればいいと思う。
ただ、あまり待てる時間がないのも現実だ。そういう意味では早く選んでもらう必要があって……
「……レドナさん、今アカイアネさんの方の動きはどうなっていますか?」
少し考えて、俺はそう訪ねた。
「大半が外に出た。魔物の対処を優先するようだ」
「という事は手薄なんですね?」
「あぁ、戦闘を避けて目的を達成する事も出来るかもしれないな。なんにしても、この機会に優位性を確保する事は十分可能だろう」
「じゃあ、そっちに戦力は必要なさそうですね。それなら、セラさんの護衛は私一人で引き受けます。その方が楽そうですしね」
この物言いに反発して一緒に来るか、好都合だとレドナさんと共に行動するか、それとも柊さんたちと一緒に残るか……
「……あんた一人で、どうにかできる数じゃないでしょう? 自惚れてんじゃないわよ」
ぼそりとそう言って、ミミトミアは先陣を切って駆けだした。
その後ろ姿に確かな変化を覚えながら、俺はセラさんに向き合う。
「じゃあ、行きましょう。出来るだけ私の傍から離れないようにお願いします」
「わ、わかっ、た。……あんまり、動かない。張り付いてる」
「いや、そこまでガチガチじゃなくても大丈夫ですけどね」
そうして、進路の邪魔になりそうな魔物たちを蹴散らしながら進んでいくミミトミアの後を不自由なく追いかけて、俺たちは下見をした儀式場が視界に入るところにまで辿りついた。
と、そこで一際巨大な魔物に遭遇する。
天井スレスレの高さに、家三軒分くらいの横幅をもった、アリクイのような顔にクマの体躯をした魔物。長大な爪は、俺の身長ほどもあり、切れ味もなかなかにありそうだった。
手強そうな相手。まずはこれを処理してから周りの雑魚を――なんて考えたところで、そいつの身体は縦に真っ二つに裂けて二等分にされ、噴水のように夥しい血液を放出しながら、背後にいた存在を露わにした。
魔物の返り血で真紅に染まった老人。
「――っ、ゼラフ・ガッドナイド!?」
「なんだ、腰巾着か。そう言えばまだ生きていたのだったな」
「どうして、こんなところにあんたがいんのよ!」
「愚問だな。都市の財産が危機に晒されているというのに、動かぬ貴族などありはしない。そんなものは常識だろうに」
つまらなそうに言ってから、異世界侵略の首謀者の一人は手にしていた槍を軽く振り払って、刃についた血を落とし、
「ひとまず休戦だ。手を貸せ」
と、槍の切っ先をこちらに向けながら、そう言い放ってきたのだった。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




