06
ぼんやりとする頭が体調の悪さを如実に伝えてくる中、ミーアはゆっくりと目を覚ました。
治癒の魔法が外傷以外で機能するなら、このような事態に陥る事もなかったのだろうが……まあ、外科が内科の仕事まで望んでも仕方がない。
(……今は、何時?)
体内時計を信じるなら、夕刻前といったところか。
身体が渇きと飢えを覚えている。それを解消したいという欲も健全に機能していた。眠る事に集中していたおかげで、酷い状態はもう通過したと考えてもよさそうである。
ただ、思った以上に時間が経過していた事はいただけない。
こうなるのなら、昨夜のうちに自分の状態とその対処法を伝えておけばよかった。そうすれば、この体たらくの所為で誰かを煩わせたかもしれない、なんて心配をする必要もなかっただろうに。
(レニさまは、こんな私を見てどう思っただろう……?)
当たり前の不安が込み上げてくる。
そのレニは今どうしているのか、という考えが過ぎったところで、視界を覆っていた自分の右腕の先が掴んでいたものに気付いた。
気付いて、凄まじい動揺に襲われる。
まったく信じられない事に、自分はどうやら無意識のうちに、しかもこの右手の疲労具合からしてかなりの時間、レニの左腕に負荷を掛けていたようだった。
(な、なんてこと……)
睡眠を優先しすぎた所為だ。
恥ずかしい。これではまるで、一人になる事を不安がる幼子のようではないか。
ミーアは恐る恐る右手を離しつつ、レニの様子を窺う。
「……」
ベッドの隅に腰かけていた彼女は、右手だけで器用にページを捲りながら文庫本サイズのパンフレットを読んでいた。
本を読んでいる時の彼女はとても自然というか、周囲を意識していない感じがして、感情を読み取りやすい気がする。……まあ、あくまで気がするだけなのだが、今の所は特に不機嫌というわけではなさそうだ。なら、言い訳の為にこの子供じみた行為を自分から蒸し返したりするのは、あまりいい選択とは言えないだろう。
ここは、たった今目覚めた事にして、普段通り挨拶をすればいい。
簡単な事だ。何一つ問題はない。……と、そんな風に自分に言い聞かせている時点で、簡単ではない気もするが、このまま寝たフリ入りを続けるわけにはいかないのだ。
ミーアは意を決して身体を起こし、
「……おはようございます」
と、ややぎこちない挨拶を交わした。
「おはよ。体調はどう?」
「はい。……もう、大丈夫です」
上体を起こした際に布団の上に落ちた、まだ冷たいタオルを軽く握りしめつつ答える。
その声は、親身に看病をしてもらっていたことを改めて実感した事からくる気恥ずかしさと申し訳なさで、少し上擦ってしまっていた。
(嫌だな……)
今回の件、どうにも自分は彼女に醜態を晒しすぎている。
凍えて、吐いて、あげくに熱まで出して……そんなに甘えてしまって大丈夫なのかと不安になる。そのマイナス分を補えるだけの貢献が出来ていたのかと自問してしまう。
……これは、杞憂だ。
きっとレニはそんな事で自分を見限ったりはしない。友人というのは、そういうものじゃない。
判っている。判ってはいるのだ。でも、それでも時折無性に怖くなる。
特に、弱っている時なんかは、色々と悪い事ばかりを考えてしまって落ち着かない。
そのくせ「そう、良かった」と彼女が安堵を見せてくれると、大事にされているのが嬉しくて、自分から甘えてしまいたくなる。
上手く感情がコントロールできていない。望ましくない。
ついでに、身体の方も制御が杜撰だったみたいで、よりによってこんなタイミングでお腹が音を立ててしまった。恥の上塗りである。ここまでくると、羞恥より自己嫌悪の方が強くなってくる。
そんなミーアに、レニはさしたリアクションも見せることなく、おもむろに手近にあった袋からお弁当を二つ取り出して、
「ミーアはどっちがいい?」
と、訪ねてきた。
ちなみにその中身は、片方がから揚げにスープ、もう片方が肉団子にスープという定番のもので、個人的には後者の方が食べやすいとは思ったけれど、使っている食材は同じみたいだし、どちらでもあまり大差はないように感じられた。
「わ、私はどちらでも……」
「それじゃあ、こっちね」
肉団子の方をこちらに手渡して、レニは立ち上がる。
「飲み物を買ってくる。夕食には少し早いけど、戻ったら一緒に食べよう」
「は、はい」
その手の店は宿の傍にあるので、すぐに戻ってくるだろう。
レニが出て行き独りになった部屋で、ミーアは長々とため息をついた。
出来れば彼女が戻って来る前に、このネガティブな感情の渦から抜け出しておきたい。せっかく無事に仕事が終わったのに、こんな気持ちを引き摺るのは嫌だ。
とはいえ、上手く感情を持ち上げる術に長けているというわけでもなく、自分だけの意志でそれを行うのは困難だった。だから、なにか前向きな思考を齎してくれるものはないかと、視線を彷徨わせてみる。
結果、レニが置いて行ったパンフレットに行きついた。
(……お祭り、か)
たしか、二日後に開催されるのだったか。
この街についてからは仕事が第一という認識だったこともあり、正直ミーアは祭りについて殆ど情報を仕入れていなかった。
(それにしても、ずいぶんと分厚い)
パンフレットなんて十ページもあれば事足りるだろうに、これは少なく見積もっても五十ページはある。それほどの容量を使用して、一体なにが書かれているというのか?
奇妙なところからではあるが、ちょっとした好奇心が湧いてきた。
でも、これはレニの所有物なので、今勝手に読むわけにはいかない。それに、自分で知るよりも彼女から話を聞いた方が色々と都合もいいだろう。話のタネになるし、なにより流れで一緒にお祭りに行けるかもしれないし……なんて打算を巡らせている間に、レニが戻ってきた。
それから約束通り一緒に食事を取り、いつものように自分が先に完食し、彼女が食べ終わるまでちびちびと水を飲みながら時間を潰したところで、
「そういえば、ここのお祭りって、一体どのような感じなのでしょうか?」
と、ミーアは頭の中で用意していた話題を切り出した。
すると隣に腰を下ろしていたレニは、パンフレットを手に取りつつ少し難しそうな表情を浮かべて、
「……人生みたいな感じ、かな」
「人生、ですか?」
「うん。ここのお祭りって五日間あるんだけど、初日が生誕祭、二日目が狩猟祭、三日目が豊穣祭、四日目が後継祭、そして五日目が死別祭で、それら全てを纏めて五色祭って呼ぶらしいから」
「なるほど、それはたしかに人の一生を表したようなお祭りですね。……もしかして、厳粛な類なのでしょうか?」
だとしたら、気軽に参加するのは難しそうだが……。
「いや、どちらかといえば大衆向けの娯楽なんだと思うよ。名称は堅苦しいけど、やる内容は初日が貴族の大盤振る舞いで、二日目が魔物狩りと、それに関連した賭け事で、三日目が大食い競争。で、四日目が告白大会って感じみたいだから」
「では、五日目だけが真面目な祭事なのですか?」
「多分ね。でもそれだって貴族だけの話みたいだし、基本的には最初から最後まで気楽に愉しむものでいいみたい」
そこで、レニは紫色の飲料で喉を潤して、
「ミーアはどの日に興味ある?」
と、訪ねてきた。
これは多分、凄く重要な質問だ。
「そうですね……最後の日以外でしょうか」
「それじゃあ、その日以外は一緒に見て回らない? もちろん風邪が治っていたらの話になるけど」
そう言って、レニは柔らかく微笑んだ。
おおよそ予期した通りの提案に、安堵と歓喜が胸に広がる。一つ後悔があるとすれば、最後の日がそうではない事くらいだろうか。まあ、それでも上出来だ。同じ気持ちだという事が確認できた。おかげで、こちらも比較的強い覚悟を持たなくても、素直な言葉を口にできる。
「今日中には治します。……その、私も一緒に回りたいですから」
そうして話が纏まったところで、不意にレニが眉を顰めた。
同時に感じる微かな魔力。これは、音の魔法だ。
誰かが彼女に声を届けようとしている。体調不良で感覚が鈍っているとはいえ、接触する段階まで気付かなかったあたり、かなりの使い手のようだ。まあ、ラウ・ベルノーウほどではなさそうだが。
「その声、アカイアネさんですか? ……はぁ、それは構いませんけど、私、教授が泊まっている場所なんて知りませんよ。……ええ、まあ、それなら」
ちょっと嫌そうな表情。
どうやら厄介事を頼まれてしまったようである。
殆ど一方的に用件だけを告げて消えた魔法の気配を前に、レニは短くため息をついてベッドから立ち上がり、
「ちょっと届け物をしてくる。込み入った話もあるみたいだから、少し帰りは遅くなるかもしれない。もしなにかあったら、そうだね、コーエンさんあたりに声を掛けてみて。彼は宿に残っているみたいだし、色々頼りになると思うから」
と言って、再び部屋を出て行った。
帰って来たのは、それから二時間後。
一体なにがあったのか、その表情にはどこか影があって、だけどそれを隠すような笑顔を浮かべ、彼女は明るい声で言ったのだった。
「……ただいま」
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




