05
宿に戻ると、腹時計が正午を訴えた。
そんなに大きな音ではなかったけれど、部屋に入る前で良かったと、ちょっとした安堵を覚えながらドアを軽くノックして、特に反応がないのを確認してから中に入る。
すると、途端にシャワーの音が聞こえてきた。どうやらこの部屋、防音機能には優れているようだ。まあ、それはともかく、利用しているのはアネモーだろう。ミーアはまだ出かけた時と同じ位置で眠っていて……心なし、顔が赤いように見えた。
近寄って観察すると、それが気のせいじゃない事が判る。
「……あぁ、熱あるな」
それも微熱じゃない。さすがに三十九℃まではいってないが、結構しんどそうな状態だというのは彼女の額の温度が教えてくれていた。
仕事が終わって気が抜けて、どっと疲れが押し寄せてきた結果といったところだろうか。
今回の旅で把握した事だけど、ミーアの身体は環境の変化に弱く、体調を簡単に崩しやすい。
それに対して当人がこれといった懸念を持っていなかったのは、以前はそんな体質ではなかったからだろう。
つまり、魔力量が減った事による弊害というわけだ。
アルドヴァニア帝国から、このルーゼ・ダルメリアという国に長距離転移する際に、彼女が手放した自らの核――魔力の源といっていいそれを失った過去が、今彼女を苦しめている。
そういう意味では他人事でもなくて、申し訳ないような心苦しい気持ちが、胸を締め付けてきていたりもした。
それを少しでも解消するべく……というのは、なんだが嫌に打算的な物言いだな、と自分の思考にちょっとげんなりしつつも、とりあえず濡れたタオルを用意するかと、片膝をついて彼女の目線に合わせていた身体を立ち上がらせる。
ちょうどそのタイミングで
「あぁ、服もってくるの忘れてるし……」
という嘆きの呟きと共に、勢いよく浴室のドアが開かれた。
出てきたのは案の定アネモーで、その姿は言葉のままに素っ裸だった。
タオルでさっと身体を拭いただけの、まだところどころに水滴のついた身一つで、彼女は自分の荷物がある方に大きく一歩足を踏み出し、そこでこちらに気付いたようだ。
「あ、お、おはようございます」
羞恥を滲ませた挨拶。
ただし、それは裸を見られた事に対する反応ではなくて、
「っていうか、レニさん組合に行ってたんですよね? それならわたしも起こしてほしかったっていうか、や、そんなの昨日言っとけよって話なんだけど……はぁ」
どうやら、すごい寝坊をしてしまった事の方を恥じているみたいだった。
「……そういえば、今日は誰かと会う予定があるんだったっけ?」
立ち上がらせた身体を、とりあえずもう一度しゃがませてミーアの寝顔を視界の中心に置きつつ、俺は訪ねる。
「はい、ここの友達と廃都市に向かう前に会って、仕事終わったら一緒に食事しようって事になってて……っていうか、そんな事より、もしかしてミーアさん体調悪いの?」
裸のまま、アネモーが俺の隣にまでやってきた。
本当、物凄い無防備である。
まあ、レニ・ソルクラウは同性なわけだし、それが自然の反応なのかもしれないけど、それに対する自然な反応が出来るほどには、俺もまだ男を捨て切れているわけではなかった。
欲情というほど強い感情ではないのだが、虚しい習性というべきなのか、ついつい視線がそちらに流れてしまいそうになるのだ。
一度や二度くらいなら別に見ても不自然ではないだろうに、という認識なんかもあったりして、その誘惑はなかなかに手強かった。
だが、それはアネモーの信頼を裏切る行為でもあるし、何より卑劣だ。下着泥棒と大差のない醜悪である。あの無精髭を生やした二重アゴの、黄色い歯がどこまでも不快な汚物みたいな男と同程度という事だ。
そんなものには死んでもなりたくはないので、自制心を総動員して視線をミーアに固定しつつ(これはこれでどうなんだろう、と思わなくもないが)俺は言った。
「みたいだね。……それはそうと、早く服を着た方がいい。風邪をひくかもしれないし、また突然ドールマンさんが入ってきて、アネモーも見られてしまうかもしれないしね」
「え? グゥーエ入って来てたの? ――いや、っていうか見られてしまうってなに!?」
ぎょっとした反応を見せたアネモーが、ドアの方にちらちらと視線を向けながら慌てて荷物をもって、浴室に戻っていく。
その忙しない足音を聞きながら、俺は心の中で彼に謝罪した。
ごめん、ドールマンさん。こう言えばすぐに服を着てくれると思って、貴方を売ってしまった。…………いや、でも別に嘘をついたわけでもなし、他言しないと宣言したわけでもないから、特に問題はないのか。それなら、ちくちくと嫌味を言っただけでは怒りが収まらなかった、という事にして納得しておこう。
「……うん、そうしよう」
そうして自己正当化が済んだところで、服を着たアネモーが再び浴室から出てきた。
膝丈のワンピースの上にジャケットを羽織ったスタイルだ。女の子らしいが、男っぽいジャケットがそこにちょっとしたカッコよさも付与している。
「ごめんなさい。わたし、全然気づかなくて」
「いや、私もさっき気付いたばかりだから」
申し訳なさそうなアネモーにそう返して、立ち上がろうとした時、今度は左腕を引っ張られる感触が届いた。
見るとミーアの手が俺の服の袖を掴んでいる。
決して強い力ではなく、親指と人差し指で摘まんでいるだけなのだが、引き剥すのには抵抗があった。なんというか、うなされて不安そうな表情をしているというのもあってか、その手が迷子の子供みたいにも見えたからだ。
とはいえ、しゃがんだままの姿勢を長時間続けるのは辛そうなので、手が解けないように気を遣いつつ、ベッドの隅に腰を下ろす。
「そんな事より、時間危ないんじゃないの?」
「あ、そ、そうでした。でも……」
「私は元々、今日は宿でのんびりするつもりだったし、病人の看病は一人で十分だよ。ちょうど、時間を潰すためのものも買ってあるしね」
上着のポケットから、帰り際に購入した祭りに関するパンフレットを取り出して見せると、アネモーも少しは後ろめたさのようなものを拭う事が出来たのか、
「わかりました。それじゃあ、行ってきますね」
と言って、バッグを手に取り部屋を出て行った。
ドアが閉まる音を最後に、ミーアのか細い息遣いだけが聞こえる静かな時間が流れる。
普段はやけに大人びている彼女だけど、相変わらず寝ている時はどこか幼い。……そういえば、お酒を飲んだ時もそうだったか。
酒の力は人の素顔を暴く。それは母の友人の言葉だけど、間違いなく一理はあるんだろう。普段それを晒せなくなる事が大人になる事だとも、その人は言っていたっけ。
だとしたら、昔のミーアはどんな感じだったんだろう? 両親がまだ生きていた頃の彼女は、普段からちゃんと子供らしい子供だったのか……。
……意外と、やんちゃだったり?
ないとは言い切れない想像が少し可笑しくて、思わず笑みが零れた。
そこで、またも突然にドアが開かれて、アネモーが戻ってくる。
その手には袋がぶら下げられており、
「はい、これ使ってくださいね。じゃあ、今度こそ行ってきますから。また夜に」
俺にそれを手渡すと、しゅたっ、と片手をあげて、彼女は颯爽と再び部屋を出て行った。
袋の中にはタオルと水石、それと比較的消化に良さそうな弁当が入っていて……なんだろう、しみじみと、本当いい子だよなぁ、という感想が込み上げてくる。
ともあれ、これでこの場にいるままで、最低限ではあるが彼女の看病が出来る状態になったわけだ。
俺はタオルを取り出し、そこに水石に宿っていた冷水で濡らしてから(絞れないので、量には気を使った)ミーアの前髪をのけて露わになった額の上にそれを乗せた。
うなされて少し苦しそうだった彼女の表情が、徐々にだが和らいでいく。その様子を前にしながら、俺は短く安堵の息をはいた。
「……明日には、治るといいんだけどな」
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




