第83話「自分自身を」
「……大丈夫か?」
低くて―――― 温かい、いつもの優しい声。
その声が緋色の背中に届いた。
緋色は、ゆっくりと顔を上げ振り返る。
そこにはU14/15代表のコーチでもある父、巧真がいた。
見慣れた父の姿に、緋色は少しだけホッとした。
「……お父さん」
巧真は緋色の前に立ち静かに止まり話し始める。
「……今日はどうだった? 楽しめたか?」
緋色は、答えられなかった。
代わりに、ただ俯いて……自分の手のひらを見つめた。
練習のしすぎでマメがつぶれた手のひらの跡が、薄く残っている。
……最後のシュートを打った感触が、まだそこに残っている気がした。
「……全然、自分らしさが出せなかったんだ」
ぽつりと、声が漏れた。
「…そうか。」
巧真は優しく応える。
「いつもの光が全然見えなくて…。得意なはずのパスも全然みんなに繋がらなくて…。」
「…そうか。」
「……もう、もうU15は受からないと思う」
巧真はしばらく黙っていた。
夕暮れの空気が、二人の間をそっと通り抜けていく。
「…そうか。」
そして、ゆっくりと言った。
「……緋色は今、高い壁にぶち当たってるんだな。」
巧真は緋色の肩に軽く手を置いた。
「でもさ、顔あげて見てみろよ」
緋色は言われるまま顔を上げた。
そこには宿舎の明るいロビーの入り口で心配そうに見ている藍人たちがいた。
蒼、藍人、焔、凜太郎。
多那、澪凪、瞬。
みんなが緋色を見ていた。
チェックインの手続きもあるだろうがそれでも緋色を気にして、待ってくれている。
「お前には気にして助けてくれる仲間が…あんなにも沢山いるじゃないか」
――その瞬間。
緋色の中で、何かが広がっていく。
みんなの顔が見える。
成磐中の校庭で初めてスティックを握った日。
照先輩の豪快なシュート。
焔の3Dドリブル。
蒼が最後まで守り切ってくれた試合。
凜太郎との北海道。
功多、瞬とのライバルたちとの激闘。
颯真との力の限りの勝負……あの瞬間。
そして――。
さっきの最後のワンプレー。
澪凪の声。
多那の笑顔。
瞬のリターン。
四人で描いた、確かな青い光の円。
(……そうだ)
(僕はいつも1人じゃなかった…。)
(いつも…いつも誰かが助けてくれた)
「……昔、俺も壁にぶち当たった事があってな」
巧真の声が静かに続いた。
「1人で悩んで、悩んで、悩んで――」
「結果、逃げてしまったんだ。」
「……え?」
緋色は思わず父の顔を見た。
父がまっすぐに、ただ優しく緋色を見ている。
そこにわずかな苦さが滲んでいた。
「俺は自分の目の前に立つ、その高い…高い壁を乗り越えるのに何年もかかってしまった。」
巧真が俯く。
―――そして顔を上げ
「知ってるか?」
巧真がふっと笑った。
「神様は超えられる壁しか作らないみたいだぜ?」
その言葉が緋色の胸に突き刺さる。
「壁の越え方は、そいつにしかわからない」
巧真は緋色の目を見て続けた。
「……さて。お前はどうやってその壁を乗り越える?」
緋色はもう一度ロビーを見た。
仲間たちがまだ待ってくれている。
心配そうに、でも誰もが信じる眼差しで。
――そうだ。
僕は1人じゃない。
いつも。
…いつも誰かがそばにいてくれた。
みんながこんな僕を信じて力を貸してくれていた。
「……緋色ならきっと大丈夫だよ。」
巧真のその温かい言葉が緋色の背中を、足を前へと押してくれた。
(……そうか)
(僕の心のせいだったんだ)
胸の中で何かが静かに解けていく。
緋色は止まっていた歩みを1歩…また1歩と進める。
今ならきっとできるような気がする。
みんなの顔が確かに見える。
今の自分にしかできないことを全力でやってみよう。
そう―――
信じてもらえるように――――
信じてみよう。
まずは「自分自身」を




