急げ、急げ
両親と姉は、避暑のため王家領の別荘に向かっていた。
本当に久しぶりの休暇で、シュヴィアが担える執務や公務の幅が増えたため、張り切ってもいた。
王家領は、そう遠い場所ではない。道路もそれなりに整備されている。
だというのに、運悪く降り続けた雨による土砂崩れに、馬車ごと巻き込まれたという。
確か小説では、ヒーローの過去として語られる内容だ。
なぜシュヴィアに小説とやらの記憶があるかは不明瞭だが、とにかくここによく似た世界の物語だった。
ヒロインは、昔ルドルフが街を視察した時に、互いに一目惚れをした平民の女の子。
言葉を交わしたわけでもなく、ただ目が合っただけ。それでも、互いに一瞬で恋に落ちた。
あんな堅物で厳しい兄が、今この時もヒロインに恋をしているなんて、ちょっと面白い。
まあとにかく二人は恋に落ち、しかし会わないまま大人になる。
そして、戴冠式で最前列にいたヒロインを見つけたヒーローは、人脈を駆使して彼女に王宮内の仕事を与える。
メイドとして働くヒロインと逢瀬を重ね、気持ちを通じあわせていく、という恋愛小説だ。
まあもちろん、ご都合主義で実はヒロインが王弟の庶子であることが発覚して、身分を手に入れて二人はゴールイン。
シュヴィアは、兄と平民の恋を邪魔する悪役だ。
悪役というか、きゃんきゃん吠えてあしらわれる小物というか。
小説では、執務も公務もせず遊び回り、あれこれ問題を起こしてはルドルフの手を煩わせる存在だ。
最終的に、ぶちギレた兄にいがみ合う国の王の八番目の妻として、放り出すように嫁がされる。
まあ、ちゃっかり友好まで結んでしまうので、無駄ではないが。
この小説を読んでいる〝誰か〟の視点の記憶があるのだが、いかんせん物語のインパクトが強すぎる。
ただ、このままだとシュヴィアはまずい、ということだけは確かだ。
頭を振って強く息を吐き、ゆっくりと棺に歩み寄った。
この国では、死ぬと『大地の神』に身を返し、『空の神』に心を返すと考えられている。
だから、特殊な処置をした後、遺体は埋葬される。
「お父様、お母様……お姉様」
シュヴィアを愛し、可愛がってくれた。
少々いきすぎて偏っていたかもしれないが、この身や心には、彼らの愛情が息づいている。
はふ、呼吸に熱が籠って、シュヴィアは咄嗟に天井を見上げた。
だめ。まだだめ。まだ、泣いてはいけない。
やるべきことは、明日からも恐ろしいほど積まれている。王女が目を腫らしていれば、周囲に影響してしまう。
握りしめた手のひらに刺さる爪の痛みに意識を向け、涙の衝動を何とか堪えた。
一番大変なのは、突如次期国王になることが決定した兄だ。
シュヴィアの担える範囲など、兄の半分にも及ばない。手を煩わせてはいけない。
兄は、泣く猶予すらないのだから。
小説の内容と一緒に〝誰か〟の記憶や感情や知識が流れ込んだ影響か、シュヴィアは以前よりも色々なことを考えた。
もちろんシュヴィアはシュヴィアのままで、〝誰か〟の存在すらぼんやりしているのだけれど。
ふ、ふ、と短い呼吸を落ち着けようと努めながら、思考を回す。
確か小説では、ヒーローがヒロインに過去を語る場面があった。両親と姉の死、妹との確執の理由を語るのだ。
あれは、そう。国葬の初日、泣き喚く妹に苦慮しながら何とか務めを果たした後。
疲れた身体を引きずって執務室に入り、出された紅茶に────
ひゅっ、と喉が鳴る。何を考えるまでもなく、シュヴィアは踵を返し、駆け出した。
出入り口にいた護衛たちが慌てている気配はするが、とても止まれない。
王女にあるまじき駆け足で、ドレスを足首までたくし上げて、一心不乱に走る。
なぜだろう。走ったことなどほとんどないのに、理想的な走り方を知っている気がした。
「お兄様!!!」




