思い出した
よろしくお願いします
わたしは、ここを去らねばならないでしょう。
愛する人さえあればいい。そうね。きっと誰もが、そう願っている。
両親と後継の長姉が事故に遭った報せを聞いた瞬間から、シュヴィアの記憶は曖昧だ。
気づいたら、兄のルドルフと二人、国葬を取り仕切っていた。つまり、両親と姉は亡くなったのだ。
────待って……シュヴィア? ルドルフ? これ、『マリアンヌは美しく成り上がる』の……。
ぐら、と目眩に踏み出す足を縺れさせかけた時、ぐんっと強い手が二の腕を荒く掴んだ。
あまりに強く掴まれて顔を上げると、冷ややかな兄のサファイアの瞳とぶつかって、反射のように身を竦める。
「しっかり歩け」
「……申し訳ありません」
素直に謝ると、片眉を器用に上げたルドルフは、意外そうに頷いた。
さっさと腕を放し、躊躇なく背が向けられる。
小説『マリアンヌは美しく成り上がる』のヒーロー、第一王子ルドルフの妹シュヴィアは、我儘で甘やかされた末っ子そのもの。
そのせいで、兄にはとにかく嫌われていた。
脳内にものすごい勢いで流れ込んでくる情報に苦心しながら、振られた仕事をとにかくこなしていく。
両親、つまり国王夫妻と王太女が急逝したのだ。やるべきことは山ほどある。
「姫様……少々、休憩されては。お顔の色が……」
「そいつを甘やかすな。つけあがるだけだ」
官吏の一人が気遣わしげに言ってくれたが、すかさずルドルフから冷たい声が飛ぶ。
気まずそうに頭を下げた官吏に、シュヴィアは苦笑した。
「ごめんなさい。ありがとう、大丈夫よ」
「いえ、そんな……メイドに飲み物を指示しておきます」
「ありがとう。お兄様にも、お願いね」
「承知しました」
小声でやり取りしてから、いまだぐらぐらと揺れる意識を必死に手繰り寄せ、襲ってくる情報をひとまず無視する。
額に冷や汗が浮かび、背筋がずっと寒い。でも、止まっている暇はない。
第二王女シュヴィア、十二歳。蝶よ花よと育てられ、世界で一番愛されるべきは自分と信じて疑わないお姫様。
厳格な両親や、大変優秀な王太女である姉にも可愛がられていたため、我儘を抑える者はいなかった。
そんなシュヴィアの悪気ない我儘を唯一諌めたのが、第一王子ルドルフ。
姉とは十歳、兄とも八歳離れているシュヴィアは、普段は家族と顔を合わせることはない。
けれど、時折り公の場で顔を見れば、兄はいつも怖い顔をして一挙一動を厳しく注意した。
今思えば、妥当と思える指摘だったそれを、シュヴィアは泣いたり誤魔化したりと逃げていた。
単純に、怖かったのだ。優しい人だけに囲まれていたシュヴィアは、怒りにも叱責にも慣れていなかったから。
とうに大人の男性になっていた兄は、特に恐ろしい存在だった。
だから、両親や姉に泣きついたり、使用人を盾にしたり、要領よく避けてきた。
────それは嫌われるよね……。
きっと兄は、両親や姉に理不尽に責められたり、注意されたりしたのだろう。
両親も姉もとても立派な人だったが、いかんせんシュヴィアに甘すぎた。今ならそう思う。
初日を何とか取り仕切り、執務室へ向かう兄の背中を見送ったシュヴィアは、ようやく少し深く呼吸をした。
自室へ戻るより先に、両親と姉にもう一度会いたい。いまだに実感が湧かなくて、どこか現実味が薄い。
護衛に見送られて安置室に入ると、やっと周囲から人の気配が遠ざかって、ほっとした。
だだっ広い大理石の部屋の真ん中に、三つ、豪奢な棺が鎮座している。物悲しい光景に、胸が詰まった。




