『UNREAD SIDE』第1章
スマホの通知音で目が覚めた。
——ピロン。
いつもと同じ、軽い音。
なのにその朝は、なぜか妙に大きく聞こえた。
画面を見る。
新着メッセージ、1件。
知らないアカウントからだった。
「まだ、そっち?」
意味がわからない。
寝ぼけたまま、既読もつけずに画面を閉じた。
——その時は、何も気にしていなかった。
違和感に気づいたのは、家を出てすぐだった。
マンションの廊下で、隣の住人とすれ違う。
いつもなら軽く会釈する相手だ。
なのに——
目が合わない。
いや、正確には。
こちらを“見ていない”。
すぐ目の前を通ったのに、視線が一度も交わらなかった。
スマホを見ているわけでもない。
ただ、まっすぐ前だけを見て歩いていく。
俺の存在を、最初から知らないみたいに。
「……おはようございます」
声をかけた。
反応は、ない。
足音だけが、遠ざかっていく。
気のせいだと思った。
たまたま聞こえなかっただけ。
そういうこともある。
そう思って、エレベーターに乗る。
一階で扉が開く。
数人が待っていた。
だが——
誰も、乗ってこない。
開いた扉の前で、全員が一瞬止まる。
そして、俺を避けるように左右に分かれて階段へ向かっていく。
まるで——
そこに“何か”があるのを避けるみたいに。
外に出る。
朝の空気が、やけに軽い。
通勤の人波に混ざる。
肩がぶつかる。
……はずだった。
すり抜けた。
違う。
相手が、微妙に避けている。
ぶつかる直前に、ほんのわずかだけ進路を変える。
全員が、そうする。
誰一人として、俺に触れない。
駅に着く。
改札を通る。
ピッ。
……反応しない。
もう一度。
ピッ。
通れない。
後ろに人が並んでいる気配がする。
振り返る。
誰もいない。
さっきまでいたはずの列が、消えている。
いや——
最初から、いなかったみたいに。
電車に乗る。
座席はほとんど埋まっている。
一席だけ、空いている。
俺はそこに座る。
隣の男が、わずかに体をずらす。
目は合わせない。
一度も。
ポケットの中で、また音が鳴る。
——ピロン。
さっきの知らないアカウントからだ。
今度は、画面を開いた。
「気づいた?」
喉が、少しだけ乾く。
返信を打とうとする。
指が止まる。
代わりに、別のアプリを開いた。
いつも使っているメッセージアプリ。
友達の名前をタップする。
「おはよう」と送る。
送信。
数秒待つ。
既読は——つかない。
別の友達にも送る。
既読は、つかない。
家族に送る。
既読は、つかない。
グループにも送る。
既読は、つかない。
嫌な予感がする。
SNSを開く。
投稿する。
「なんかおかしい」
送信。
反応は——ゼロ。
いいねも、コメントも、閲覧数すら増えない。
更新ボタンを押す。
何度も押す。
変わらない。
その時、気づく。
画面の右上。
いつもなら表示されるはずの数字。
既読数。
それが——
最初から、存在していない。
手が震える。
もう一度、さっきのアカウントを開く。
メッセージが、増えていた。
「君は今、“薄くなってる”」
「このままだと、落ちるよ」
「未読側に」
心臓が、大きく鳴る。
電車の中を見渡す。
誰も、こちらを見ていない。
誰一人として。
震える指で、打ち込む。
「なんだよそれ」
送信。
——既読がつく。
一瞬で。
初めて、誰かに“読まれた”。
その安心が、ほんの一瞬だけ胸に広がる。
だが次の瞬間。
返信が来る。
「よかったね」
「これで繋がった」
一拍、間が空く。
そして——
「君も、こっちから“見える”ようになった」
その瞬間。
隣に座っていた男が、ゆっくりとこちらを向いた。
目が、合う。
初めて。
はっきりと。
男は、微笑んでいた。
見たこともない顔で。
だが、どこかで知っているような気がする笑い方で。
ポケットの中で、また通知が鳴る。
——ピロン。
画面を開く。
新しい表示。
見たことのない通知。
「1 message from UNREAD SIDE」




