第475話 アルバイトを終えて
昼食後もリュミエールの慌ただしさは変わらない。
むしろ午後の予約分の受け渡しが始まったことで、より一層忙しさを増している。
「怜君、次の生地焼けたよ!」
「了解です。晴臣さん、そっちお願いします!」
「分かった!」
互いの声が飛び交い、厨房は相変わらず戦場のようだ。
晴臣は奥でデコレーションを仕上げ、望は予約表を片手に次々と指示を出していた。
桜彩は再びチョコペンを手に取り、サンタやツリーを描いたプレートを量産している。
迷いなく線を引いていく桜彩を横目で見ながら、怜はイチゴを等間隔に並べていく。
ケーキの箱を閉じる音、予約票を確認する声。
リュミエールの厨房は、クリスマスイブ特有の熱気と集中で満ちていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
やがて時計の針が十五時を越える。
それは、怜達四人のアルバイトが終了する予定の時刻でもあった。
「怜君、桜彩ちゃん。ここまでで大丈夫だよ」
望の声に、怜は手を止めて顔を上げた。
「お疲れ様、助かったよ。午前中からずっと動きっぱなしだったでしょ?」
「いえ。それより本当に抜けてしまっても良いのですか?」
ここから先の時間は、一年の中で最も忙しいクリスマスイブの中でも更に忙しい時間帯。
ただでさえ人手が必要なのに、ここで四人抜けてしまうことになる。
「大丈夫だって。さすがにアルバイト組にこれ以上働かせるわけにはいかないわよ」
「そうそう。ほら、早いとこ彼女連れて上がりなって」
「ありがとね、怜君。助かったよ」
厨房からも、この忙しい中笑顔を向けてくれる者が何人もいる。
相変わらず仕事仲間に恵まれていることを自覚する怜。
そして怜は彼らに頭を下げて、桜彩の元へと向かう。
「桜彩」
「あ、怜。どうしたの?」
丁度書き終えたプレートを置いて、桜彩がきょとんとした顔を向けてくる。
こちらも集中しており、時間の経過に気が付かなかったようだ。
「桜彩、もう時間だぞ」
「え? あ、ホントだ」
桜彩も時計を見て驚く。
傍らには何枚ものチョコレートプレートが並べられていた。
「桜彩ちゃんもありがとうね」
そう言いながら、三宅がチョコレートプレートを回収していく。
プレートを見た時の顔が笑顔だったのは気のせいではないだろう。
「ほら、二人共早いとこ上がっちゃいなって」
「はい。それではお先に失礼します」
「失礼します」
丁度陸翔と蕾華も役割を変わったようで、四人揃って休憩室へと足を向けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
休憩室への扉が閉まり四人の姿が見えなくなった厨房は、これまで以上に忙しくなる。
これから閉店にかけてが一番の山場だ。
「……さて、ここからが本番だぞ」
光が深く息を吐きながら、ボウルを抱えた。
皆が頷き作業に戻る。
三宅はオーブンの前で焼き上がりを確認しながら、小さく笑みをこぼした。
「……あの四人、本当に頑張ってくれたね」
「うん。あの四人のおかげで午前中すごくスムーズだったよ」
晴臣が頷きながら、絞り袋を持ち替える。
「怜君と桜彩ちゃん、本当に仲良いよね」
「ふふ、そうね」
三宅はオーブンから香ばしいスポンジを取り出しながら、穏やかな声で続けた。
「お互いを気遣うのが自然というか、言葉にしなくても通じ合ってる感じ。ああいう関係って、見てるこっちまで優しい気持ちになるっていうか」
「うん。陸翔君と蕾華ちゃんも同じだよね。お互いを支え合ってて」
「ほんと、若いっていいよねぇ」
「まぁ、でもさ――恋人がいるのに、イブの日に手伝いに来てくれるなんて、普通できないよね」
「そうね。本当に助かるなあ」
望は頷きながら、ケーキの入った箱と伝票を確認する。
「怜君も桜彩ちゃんもさ、恋人同士だってのに、クリスマスイブに休みたい、なんて一言も口にしなかったのよ」
「店としても助かったしな。だけど、それ以上にリュミエールの一員としてここを大切に思ってくれてるのが嬉しいよ」
光のその言葉に周囲のスタッフたちも静かに頷いた。
誰もが忙しい。
手元の作業は止まらない。
けれど、全員の表情にはどこか柔らかい笑みが浮かんでいた。
「それにしても、怜君のポトフ、あれ美味しかったねぇ」
「そうそう。あんな短時間であの味出すとか、なかなかやるじゃん」
「桜彩ちゃん、あんな料理上手な彼氏持って、羨ましいなあ」
「だねぇ」
忙しさの中に笑い声が広がる。
しかしクリスマスはまだ終わってはいない。
光がパンパン、と手を打ち鳴らす。
「ほら、話をするのは良いけどちゃんと集中してくれよ」
「はーい」
「了解しました!」
光の声に、皆が会話を止めて作業へと集中する(手は動いていた)。
望は少しだけ遠くを見つめる。
「……多分、あの子達の未来には、今日みたいに一緒に何かを作る日がこれからもたくさんあるんだろうね」
「ああ。そうだろうな」
光が微笑む。
その横顔を見ながら、望は再び手を動かす。
イブの街はまだまだ賑わう時間帯。
リュミエールの厨房も忙しさの中で、静かに笑顔を絶やさずにいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ふぅ……終わったぁ……!」
休憩室で桜彩が小さく背伸びをする。
その頬は少し赤く、髪の先がうっすら汗で濡れていた。
「今日の桜彩、凄く頑張ってたな」
「怜もだよ。ずっと動いてたじゃない」
お互いのエプロンの裾をつまみながら、笑い合う。
「でも疲れたー! 今年も戦場だったな!」
「ほんとに! でも、あっという間だったよね」
「ケーキ買いに来たあの子供、ケーキ見て目キラッキラだったな!」
「うん。あれ見たら疲れも吹き飛ぶよね」
陸翔が笑い、蕾華がうなずく。
怜と桜彩も自然に笑顔を交わす。
「……終わってみると、ちょっと名残惜しいよね」
「そうだなあ。ってまだ明日もあるんだけど」
桜彩の言葉に、怜は静かに頷く。
「でも、俺達のクリスマスはまだまだだからな」
「うんっ! これからデートだもんね!」
怜の言葉に桜彩が嬉しそうに頷く。
これから怜と桜彩、陸翔と蕾華はそれぞれクリスマスデートの予定だ。
更衣室で私服に着替え、裏手から正面入口へと回る。
ガラス越しに店内を見ると客でごった返し、カウンターではスタッフが一生懸命に対応していた。
彼らに頭を下げて、四人でリュミエールを後にする。
慌ただしくも、どこか温かいクリスマスイブの午後。
疲労と達成感と、ささやかな幸福を胸に、冬の空の下へと歩き出した。




