26句 春霞
「よし! 今日も頑張ろうぜ!」
「そうだね。みんな、着替えて任務だよ」
旭の声がけで着替えを終え、あとは班毎に行動開始だ。
「ねぇ朔夜。髪、結ってくれる?」
「当たり前だろ。ほら、リボン寄越せ」
いつもと同じ日常。何も変わらない行動。
「よし、できたぞ」
「ありがとう、朔夜」
「なぁ、ネクタイ結んでくれるか?」
「うん、もちろん!」
何も変わらないはずなのに、何かが変わっている。
「できたよ!」
「ありがとな」
「えへへ、どういたしまして!」
目の前でニコニコと笑うその子に、想いを伝える覚悟はまだできていない。
「無理、すんなよ?」
「うん、朔夜もね」
言えない想いを込めるかのように、朔夜は憩の頭を優しく撫でた。
「……憩、行くよ」
「うん! 朔夜、また後でね!」
「あぁ。気をつけてな」
笑顔で手を振るその子の背を、朔夜も手を振りながら見送った。
千歳と憩はカフェーを目指し、並んで歩いていた。
「……今日もよろしくね」
「うん! また一緒なの、嬉しいなぁ」
「……そうだね。僕も嬉しい」
これは任務、仕事だ。
でも、この子と一緒で嬉しい、それも事実だ。
「今日も、いつも通りでいいの?」
「……うん。そうしてくれると助かる」
「わかった! じゃあ本持ってきて正解だね」
いひひ、と憩は悪戯っぽく笑う。
「……なんの本持ってきたの?」
「千歳さんが、読んでみようかなって言ってたのを持ってきたの。
隣に座れば一緒に読めるでしょ?」
「……1冊の本を一緒に読むの?」
「うん! 私はもう何度も読んでるから、千歳さんのペースで読んだらいいかなって」
この子は笑顔で何を言っているのだろう。
それがどれだけ近い距離になるか、わからないのだろうか。
「……それは、ちょっと近すぎると思う」
「うん? 何が?」
「……物理的な距離が」
憩は首を傾げている。
どう見ても理解していない。
少し考え、千歳は憩に半歩近づく。
腕が触れそうな距離だ。
「……ほら、これだと近くない?」
「たしかに、近いね」
「……さすがに嫌でしょ?」
「全然!」
「……そっか」
これ以上あれこれ言うと、憩が落ち込む。
それならカフェーで、自分が距離を取ればいい。
千歳はそう考えることにした。
「よかったなー! 憩にネクタイ結んでもらえて」
「うるせぇよ……」
大人組の3人は、まだ書斎を出ていなかった。
連日近くの喫茶店で時間を潰していても目立つからだ。
今日は完全に時間を空けて、カフェーの2階へと潜入する。
「いいなー、俺もネクタイ結んでほしいぜ」
「なら結んでやるよ、ほら首出せや」
「お前、絞め殺す気だろ!!」
旭はギャイギャイと騒いでいる2人を見ながらコーヒーを啜る。
元通りではないが、とりあえず朔夜もいつも通りに見える。
朔夜は優秀な隊士だが、感情に振り回されやすい。
憩が絡むと尚更だ。
「2人には、今日も頑張ってもらうよ。
女の子たちの情報をもう少し詳しく知りたい」
「そうだな。吸血鬼が絡んでるなら、さっさと処理しちまいたいしなー」
「別の店で働いてるだけなら、それはそれですし」
2人の言葉に旭は頷く。
「うん。消えた女の子たちと、親しい子にでも会えるといいんだけれどね」
「店に、1人ぐらいはいそうですけど」
「そうだね。今日はそのあたりを調べたいかな」
「じゃあ、昨日の子には会えねえのか!?」
漣が身を乗り出す。
気に入った子でもいたのだろう。
「別に誰でもいいだろ」
「よくねえよ!!
なあ、旭。ゆりちゃんは呼んでもいいだろ?」
「誰だよ、そいつ」
「ゆりちゃん!!」
「うるせぇな! 耳元で騒ぐなよ!」
「はいはい、喧嘩しないでね」
千歳と憩の方がよっぽど大人だと、旭はため息を吐いた。
カランカラン
千歳が扉を開けると、鈴の音が辺りに響き渡る。
なんだか、今日は店内が騒がしい。
「いらっしゃいって、昨日の2名様ですね!」
「……はい。今日も窓際は空いてますか?」
「申し訳ありません、今日は空いてなくてですね……」
店主が申し訳なさそうに頭をかく。
昨日は数名の客しかいなかったが、今日はたくさんの客で賑わっている。
女給たちがわたわたと動いていた。
「……そうですか。
ゆっくり過ごせそうな席はありますか?」
「それでしたら、あちらの席はいかがですか?」
店主は柱の陰の席を手で示す。
窓際よりかは仕事しにくい席だが、カウンターよりはいいだろう。
「……じゃあ、そこでお願いします」
「ええ、どうぞどうぞ!」
店主に連れられ歩いていると、客たちの視線が2人に集まる。
その中には、男性客だけではなく女性客も含まれていた。
2人が席に着くと、店主が口を開く。
「申し訳ございません。
昨晩、窓際でお過ごしになっていたお2人を見た方々が、お客様としてたくさんいらっしゃっていまして……」
「……そういうことですか」
「はい、申し訳ございません」
「……別に、気にしないでください」
「お詫びと言ってはなんですが、本日はサービスさせていただきますので、何卒ご容赦ください」
店主はぺこりと頭を下げると、カウンターへと戻って行った。
「……大丈夫?」
「うん! 今日は何食べようかなー」
周りからの視線などには目もくれず、憩は楽しそうにメニュー表を開く。
こんな笑顔が素敵な子が窓際にいれば、目を惹くのは当然のことだろう。
それと同時に、自分の容姿が優れていることも知っている。
女性客から憩に向けられる目は、いろんな意味を含んでいるだろう。
「……今日は、離れない方がいいな」
「うん?」
「……なんでもない。決まった?」
「全部美味しそうだから悩んでる……」
「……憩らしい悩みだね」
「千歳さんは何食べるの?」
憩はメニュー表を、千歳が見やすいように回転させる。
こういうさりげない気づかいに、千歳の心は温かくなる。
「……僕は、オムライスにしようかな」
「オムライス! 昨日すごく美味しかった!
私もオムライスにしようかな……」
「……僕の半分あげる。全部は多いから」
「いいの?」
「……うん。
それなら1つ多く、食べたいの頼めるでしょ?」
「ありがとう! じゃあ私はビーフシチューにする!
あとは、これとこれと……」
嬉しそうに笑うその子を見ていると、一瞬任務中であることを忘れそうになる。
今日は客も多い、しっかりしないと。
今、この子を護れるのは僕しかいない。
千歳は、グッと拳を握りしめた。
「失礼いたします。ケーキをお持ちしました」
憩と千歳の2人は食事を終え、デザートを待っているところだった。
客は入れ替わりで入ってきており、店主は忙しそうにしている。
「ありがとうございます!
今日は、すごく忙しそうですね」
憩はケーキを運んできた女給に声をかけた。
「お客様たちのおかげですよ。
忙しいと給金が増えるのでありがたいです」
「そうなのですね。でも、大変ではないですか?」
「上で働く子たちに比べれば全然。
友人も上で働いているのですが、大変みたいですし」
「お友達もここで働いていらっしゃるのですね」
「はい、ただ今日は見ていなくて……。
忙しいので、稼ぐチャンスのはずなんですけれど」
女給は困ったように笑う。
千歳は黙って聞いていた。
憩が無意識で上手く聞き出しているからだ。
「あら、それは心配ですね……。
体調を崩されたりしていないといいのですが」
「それはないと思います。
昨日、ゆりに会ったときは元気そうだったので」
「そうでしたか。何事もないといいですね」
「はい。ご心配していただきありがとうございます」
女給はぺこりと頭を下げると、いそいそとカウンターへと戻っていった。
「お友達が来てないなんて、心配だろうなぁ」
「……そうだね」
「上で働いてるって言ってた」
「……うん。憩は話を聞くのが上手だね」
「そうかな? 普通にお話しただけだよ?」
「……そっか、さすがだね」
「えへへ、よくわかんないけど褒められちゃった!」
憩は少し照れたように笑う。
「……ケーキ、食べようか」
「うん! 美味しそうだね!」
目の前のケーキに目を輝かせる少女は、自らが知らぬ間に大きな成果を上げていた。




