長としての器
「――ということなんだけれど、ここまでは大丈夫かい?」
「えっと、もう1度ここを教えていただきたいです」
憩は申し訳なさそうにノートを指し示す。
それを見て、旭はにっこりと笑った。
「もちろん。最初は難しいから、ゆっくり進めよう」
「はい! ありがとうございます!」
昨晩、特務部隊としての初任務を終えた憩のために、朝から書斎で勉強会が開かれていた。
吸血鬼の特性、特務部隊としての戦い方、帝国陸軍との関係性など、覚えることは多い。
講師はもちろん旭だ。
「……旭さん、細小波さんが寝てます」
「おい、起きろよ。いびきうるせぇんだよ」
朔夜が、机に突っ伏して寝ている漣の肩を思いっきり揺さぶる。
「……もう……、食えねえ……」
「……何の夢見てんの、この人」
「漣ならこうなると思っていたけれどね」
旭はため息を吐くが、起こそうとする様子はない。
「いいんですか? 起こさなくて」
「うん。最後にテストをしようと思っていてね。
50点以下の不合格者には、ちょっとした罰を受けてもらおうと考えていたんだ」
旭は優しく微笑むが、朔夜と千歳の表情は凍りついている。
「……細小波さん、短い間でしたがお世話になりました」
「お前のこと、なんだかんだ嫌いじゃなかったぜ」
千歳と朔夜は漣に手を合わせる。
「それなら、起こしてあげた方がいいのでは?」
「……どうせ起きてても変わらないでしょ」
「いこ、お前は人の心配してないで自分の心配しろ」
憩の手が止まっていることを朔夜が指摘する。
「じゃあ朔夜、ここ教えて?」
「え? 俺?」
「うん、だって朔夜は余裕なんでしょ?」
憩は朔夜の目をじっと見つめる。
「いや……、余裕ってか、お前よりはわかっけどよ」
「……僕が教えようか?」
「おい、いこは俺に聞いてんだよ!」
「はいはい、朔夜落ち着いて。
2人には簡単すぎるだろうと思って、応用編を用意したんだ」
旭は、厚さ1センチほどの冊子を2人に手渡す。
「……あの、これも出題範囲ですか?」
「もちろん。軍の規律や、法令なんかがまとめられているだけだからね。
四門である2人には、何も難しくはないだろう?」
「旭、これはさすがに……」
「なんだい? 特務部隊のエリートである四門の2人が、まさか答えられないなんてことはないよね?」
旭の言葉に朔夜と千歳はテーブルに身を寄せる。
「おい、寒凪。お前、法令なんか覚えてるか?」
「……隊士を殴っちゃいけない、ぐらいしか覚えてません」
「だよな、普段使わねぇからな」
「……文句言う奴は、力でねじ伏せてきましたし」
「俺も同じようなもんだ」
旭に聞こえないよう、2人は小声で話す。
が、2人の隊での様子など、旭は既に把握していた。
「お兄様、ここもわかりません」
「うん、すぐに教えるね。
朔夜、千歳。僕は2人のこと、信じているよ?」
旭の心からの笑顔が、2人には悍ましく見えたのは言うまでもない。
「さて、テストを始めようか。
まずは基礎知識・理解力を確認する筆記テスト。
その後に、実戦での判断・応用力を確認する実地テストを行う」
笑みを浮かべる旭の言葉に、憩・朔夜・千歳の3人が、ゴクリと唾を飲み込む。
この3人にはわかっていた。笑顔の旭ほど怖いものはないと。
「おい! テストってなんだよ! 聞いてねえよそんな話!!」
そして、状況についていけない者が1人いた。
「……寝てたのが悪いんでしょ」
「悪いが、助けてやれねぇからな」
「漣様! 頑張りましょうね!」
「大丈夫さ、普段から正しい行いをしていれば答えられるよ」
旭は笑顔で答案用紙を手渡す。
「……真逆の位置にいる人なのにね」
「それは俺らも変わんねぇだろ、寒凪」
「憩! どこが出るか教えてくれ!!」
漣は目を見開き、必死の形相で頼み込む。
「えっと……、教わったところ全部です!」
「教わったところ全部……?」
「はい、全部です!」
「具体的にはどこだよ!!」
「はい、静かに。
それじゃあ、筆記テスト開始」
旭の一声で、書斎は静まり返った。
「はい、終了。回収するね」
旭は4人の答案用紙を回収すると、トントンと揃える。
「いこ、書けたか?」
「一応、全部答えられたけどあってるかなぁ」
「……僕も書けた。杣さんは?」
「俺も一応は書けたけど……」
3人は漣を見る。明らかに終わった顔をしていた。
「お前ら……、起こしてくれてもよかっただろ……?」
「声かけたのに、起きなかったのはテメェだろうが」
「……もう食べられない、って言ってたよ」
「きっと、漣様なら大丈夫ですよ!」
憩の励ましも、漣の耳には届かない。
「次は、実地テストを始めるよ。
実際に何かをやってもらうわけではなくて、一問一答方式で行うからね」
「わかりました!」
「……1人ずつ個別でテストするんですか?」
「いいや、問いに対して順番に答えていって欲しい」
「わかりました」
「漣は? 何か気になることはあるかい?」
「いや、ねえよ……。もう、さっさと始めようぜ」
旭の問いに、漣は諦めたように答えた。
「うん。じゃあ、始めるよ。
昼間、1人で街を歩いていると、吸血鬼と思わしき人物に遭遇しました。
さて、どうする? 経験に引っ張られないよう、憩・千歳・朔夜・漣の順で答えていこうか」
4人の視線が憩に集まる。
「えっと、その方の特徴を朔夜に報告します!」
「うん、1人では対処しないんだね。
とてもいい答えだけれど、先に僕に報告してくれると嬉しいかな」
憩の回答に、旭が悲しそうに笑う。
「あ、申し訳ございません……」
「一応、リーダーだからね。
じゃあ、次は千歳。どうする?」
「……とりあえず、チェインを見せて脅します」
「うん、やめてね。
相手が吸血鬼じゃなかった場合も考えて行動するように」
千歳の悪気ないストレートな言葉に、旭は困ったように笑った。
「……わかりました」
「千歳なら、上手く立ち回れると信じているよ。
次、朔夜。キミならどうする?」
「まずは、跡をつけます。
問題があれば、その場で対処して報告。
問題がなくても、情報共有も兼ねて報告します」
「うん、流石だね。
どのような場合でも報告、これが大事だよ。みんなも覚えておいてね」
旭の言葉に、4人はこくりと頷く。
「じゃあ、最後に漣。キミならどう対処する?」
「あー……、まず、その相手は女性か?」
「……それ、何か関係ある?」
千歳が呆れたようにつぶやく。
「はあ!? 大事なことだろうが!!
男なら多少手荒でもいいけどよ、女性にはそうもいかねえだろ?」
「回答がアホすぎて、話になんねぇ」
「おい杣!! お前、相手が女性でもおんなじように対処すんのかよ!!」
「当たり前だろ……。相手は吸血鬼かもしれねぇって言われてんだぞ……」
漣の問いに、朔夜は哀れみを込めて答えた。
「うん、漣の考え方はよくわかった。
僕はそういうところ、嫌いじゃないよ」
「だろ!? さすが旭!!」
「でも、任務中に相手が異性かどうか、
そういうところに意識が向くのはいかがなものかと思う。
もう少し、最年長として考えて行動して欲しいんだけれど、どうかな?」
書斎に、旭の静かな雷が落ちた。
その後も数回、一問一答が繰り返され、テストは終了した。
「さて、筆記テストの採点も終わったし、結果発表をしようかな」
旭の言葉に、皆がソワソワとしている。
不合格者にはどんな罰が与えられるのか、まだ言い渡されていない。
「まずは憩。頑張ったね、合格だ。
理解力は流石だよ、実戦経験はこれから身に付けていこうね」
「はい! 頑張ります!」
憩は嬉しそうに飛び上がった。
「いこ、頑張ったな」
「ありがとう! 朔夜もきっと大丈夫だよ!」
「じゃあ次は、千歳。合格だよ。
冷静な判断力、そして知識量は流石だね。
ただ、合理的に判断しすぎるところがあるから、そこは気をつけていこうね」
「……はい、ありがとうございます」
「次は、朔夜だね。合格だよ。でもギリギリかな。
これまでの経験から、実務の方は申し分ないね。
ただ、経験に頼りすぎているところがあるから、自分の身を守るためにも
そして、白銀を守るためにも、規律や法令は遵守しようね」
「わかりました。気をつけます」
千歳も朔夜も、合格を言い渡され、安堵の表情を浮かべていた。
残るは漣だ。
「旭! 俺は? 俺はどうなんだ?」
「きっと、みんな合格ですよ! そうですよね、お兄様!」
憩が興奮気味で旭へと視線を移すと、なんとも言えない表情をしていた。
「……お兄様?」
「あぁ、ごめんごめん。最後は漣だね。うん、不合格」
「え……? 俺……、不合格なの……?」
「うん。とても清々しく不合格さ」
清々しく不合格。その言葉を慰められるものは、1人もいなかった。




