償うということ
朝の日差しがまもなく顔を出す頃。激戦の跡が激しく残る白い建物の屋上で、一人の男の野望が燃え尽きた。
全身を雷に焼かれ満身創痍だが、何だか諦めがついた……、というよりも吹っ切れたすがすがしい様子で倒れたまま天を仰ぐ。
浪が神化を解いてエルを体へと戻し息を整えているところで、階段のある方から強力な魔力を感じ橘とともに視線をやった。
逆光に照らされるのは、ひび割れたサングラスをした黒ずくめの男の姿。
「良いザマだな、橘。 できれば俺の手でつぶしてやりたかったがな」
「ふ、ふふ。 申し訳ない、とは思っているよ。 後悔などしていないがね」
「こんな結果に終わってもか」
そう、結果的に橘は浪達に敗北し、十年近い時をかけていたであろう計画も頓挫したのである。それでも橘は、薄笑いを浮かべてこう話した。
「僕の手で世界を救うことはできなかった。 でも、僕の残したものは無駄ではないと確信しているよ。 ふふふ……、君やミナ、ミセル君が世界の救い手となってくれれば、すべてが無駄ではなくなる。 君はミナのためにその道を選ぶしかない」
「ふん、最後の最後まで気に入らん男だ。 それで、言い残すことはそれだけか」
威圧感を表し一歩踏み出すヨミにも橘は動じる様子を見せない。代わりに浪が慌てて、痛む体をおしてヨミの前に立ちふさがった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!! 許せないのも仕方ないけど、この人にも事情があって……」
「死にたくなければそこをどけ」
「くっ……。 それに、この人の研究も正しく使えばきっと……」
「そいつはもう助からん。 俺にはわかる」
ヨミはひび割れたサングラスの奥で少し憂いの表情を見せ、ため息交じりでそう言った。
「ミナが救出された後にも力を使ったな?」
「君は本当に優秀だね。 そう、ヨルムンガンドシステムはミナの魔力を中心にして制御していた。 安定を失った状態で力を使い続ければ……」
「変異体になって暴れ出す……、そうだな?」
肯定するようににやりと笑う橘に、浪は言葉を失った。ヨミが話を続ける。
「本当ならばしばらく苦しむさまを見てから始末してやりたいところだが……、まあいい。 覚悟を決めろ」
「ひとつふたつ、いいだろうか」
「なんだ、さっさとしろ。 意識が保てるうちにな」
死を目前とした男の態度とは思えないほど飄々とした橘に半ば呆れながら、ヨミが言葉をせかす。
「ミセル君のことだが……、君ならもう気づいているだろうが」
「あの女が俺たちを連れてきたことだろう。 最初はイオのこともあって忘れていたが……、思い返せば未熟な実験体時代に戦闘訓練でさんざん苦い思いをさせられた恨みもあるな」
「ははは……、僕から彼女を許せと言われる筋合いもないだろうが……。 そうする前にミナに話を聞いてみてほしい。 ……、ただ一人ファクター開発処理を受けていない彼女だけは、事の真相を知っている」
「……!! そうか、ミナのファクターは実験とは無関係……、自分の力で発現したものだったのか。 なぜミナだけにファクター発現処理をしなかった?」
「彼女ほどの魔力の持ち主に力を与えるのは危険すぎたからね。 彼女の力は研究所から逃げ出した後に発現したものだろう。 あと、もう一つ」
一呼吸おいて、続ける。
「君のもう一人の妹はちゃんと生きているよ。 どこにいるかはわからないがね」
「な、なに!? 本当だろうな!?」
「あの時捕らえた中にはいなかったからね。 イオがだいぶ派手に暴れてくれたものだから手が回らなかったのだろう」
「そうか……、イオは最後まで俺たちのために……」
「おっと、そうそう」
「なんだまだあるのか、早くしろ」
橘のからかうような態度に、ヨミもさすがに呆れにいら立ちが混じってきた様だが、その表情が一瞬にして凍り付く。
「君の手には、かからないよ。 残念だった……、ね」
橘は懐からナイフを抜くと、ヨミに反応する暇も与えずにその首を掻き切った。二人ともしばし言葉を失い呆然とした後、ヨミは大きくため息をついた。
「最後の最後までこいつという男は……」
仇のあっけない最期に、しばし目を伏せ再び静寂が訪れる。
その後十数分して、SEMMの医療班、調査班などがシトラス製薬本社へ立ち入り、雪菜や凛を中心とするけが人も無事に治療が行われた。激闘を演じたSEMMの面々は入り口前の広場に集まっているようだが、雪菜の姿はない。空良が心配そうにこぼす。
「ゆきちぃ先輩大丈夫ですかね……? カレイドの時よりひどいけがだったみたいですけど……」
「御剣が応急処置してくれたおかげで心配ないみたいだ。 本当、どうなるかと思ったよ……」
浪はいまだに少し青い顔で伝えた。お互いの状況を伝え終わったところで、シロが本社の建物を背にみんなに向き直り、真剣な表情で口を開く。
「みんな、本当にありがとう。 またみんなといられるようになって本当にうれしい。 変なこと思い出しちゃったりもしたけど……、私は何も変わらないから。 これからも、一緒にいてくれる……?」
「何を当たり前のこと言ってんだ。 俺たちの答えは、レミアと戦った時からずっと変わらないよ」
浪が皆の言葉を代弁し、皆もそれに頷く。感極まって涙を浮かべるシロだったが、そこでふと何かを思い出したようにあたりを見渡した。
「そういえば、ヨミ兄がいるって聞いてたんだけど……」
「……!! そうだ、ミセルさんを探さないと!!」
シロの言葉を聞いて焦ったように叫んだ浪に、翔馬がいぶかしげに話しかける。
「ミセルとヨミになんか関係でもあんのか?」
「橘は、実験体達を自分に引き渡したのがミセルさんだって言ってた……。 それが本当ならヨミがあの人のこと橘と同等くらいに恨んでいても不思議じゃない!!」
「ッ!! まずいな、ミセルと違って多分ヨミの奴は体力有り余ってる……。 急がないと!!」
翔馬がそう言ってあたりの様子を伺ったところで、ズンッ、と空気が震えた。翔馬は誰よりも早く反応し、残る力を振り絞り全力で魔力の感じられるほうへと駆けだしていった。
木々に囲まれた散策路の奥まったところに、一か所だけ不自然に木がしなり、葉を散らしている地帯があった。
「まだこんなところにいたとはな、性悪女。 貴様ならば逃げ切ることはたやすいはずだが。 いや……、SEMMの連中がバタついているうちに俺だけが気付くように誘っていたのか?」
「あ、はは。 勘違いじゃないかなあ。 私は自分のために誰かが苦しむことをいとわない奴だから」
翔馬と閃人との戦いで消耗しきっているミセルに、ヨミを止める手立てはない。しかし彼の言うように、戦いが終わった後逃げ出す隙はいくらでもあったはずだが。
「ミナは優しい子だ。 どんな事情があろうが貴様のことをかばうだろう。 だから、貴様自身から聞き出さねばならんのだ」
すさまじい威圧感を放つヨミを前にして、ミセルは苦笑いでつぶやく。
「死んだりしないって約束したけどさ。 これは……、仕方ないよ。 死ぬよりつらいことがあるんだって、子供の私はわかっていなかった」
「何をぶつぶつと言っている」
ミセルの懺悔に似た独白は、ヨミの耳には届いていない。
「事情なんてないに決まってるじゃない。 私がそうしたいからやっただけだからさあ」
「……、そうか」
小馬鹿にするような笑みで言ったミセルにヨミはため息をつくと、這いつくばる彼女の元まで歩み寄る。そこで、けたたましい叫び声が響き渡った。
「うおおおおォォォッ!! 間に合えええええぇぇ!!」
気を引くためか単なる興奮の為か、叫び声とともにヨミの背後へと突進する翔馬のナイフをヨミが振り返ることなく左腕で受け止める。そしてすぐさま、範囲を広げた重力でミセル同様地面へと叩き落された。
ヨミが疲れたように息を吐く。
「まったくどいつもこいつも……」
「そいつは……、確かに性格悪いし素直じゃねえし、人をおちょくってばっかりで何考えてんのかさっぱりだけど……。 実験体に子供差し出すような奴じゃないんだ!!」
地面に突っ伏したまま叫ぶ翔馬にミセルはあきれ顔で返す。
「犯罪組織の元幹部が悪人じゃないって笑える冗談だねえ」
「うるせー!! お前が任務でいつもターゲット殺せずに若頭に呼び出されてたの知ってんだからな!!」
「っ!? それは……」
ミセルが何を思っているのか、ヨミもなんとなく察し始めてきたようだ。
おそらくは償い……、ヨミにその命を預けることで、死をもって許されることを望んでいるのだろうか。
真意を聞き出すことは不可能か、とあきらめるようにため息をついたところで、シロを先頭にしてほかの面々が追い付いてきた。シロがヨミへと向かって叫ぶ。
「ヨミ兄、お姉ちゃんを殺しちゃダメッ!! その人は……、私たちを助けようとしていたの!!」
シロの言葉に、ミセル以外の全員が驚いたような顔になる。そうしてようやく、ミセルと翔馬が重力の呪縛より解放された。
「助ける、だと? どういうことだ」
ミセルは問われても決して答えようとはしない。仕方なくヨミはシロへと視線をやった。
「私はもともと治らない病気で、ベッドから出られなかった。 死を待つばかりの私を、お姉ちゃんはアニマ細胞を埋め込めば生きながらえることができるからって……。 みんな、そうして生きるすべを持たない子たちを選んで連れて行っていたの」
存在意義を失い見捨てられることを恐れ、命令に逆らえない弱いミセルの精いっぱいの抵抗。たとえ実験体として使われるとしても、死ぬくらいだったら……。幼い彼女には力はあっても、想像力はなかった。
「まさか……、俺もそうだというのか?」
「はは……、君はねえ。 アルカディアに敵対する組織のアタマの一人息子だったのさ。 始末しろと言われたんだけど、ねえ……」
観念したミセルがポツリとこぼした。
「殺すくらいなら何とかしたい……、ってね。 想像力がたりなかったのさ。 死ぬよりつらいことがある現実をわかっちゃいなかった。 私は正しいことをしたって思い込んでたよ。 実験の様子をこの目で見るまでは」
「おかしいと思ってはいた。 俺たちが脱走した時はまだ、貴様にかかれば俺たちなど簡単にたたき伏せられたはずだったからな」
「仕方なかった、橘さんがあそこまでの事をしてるなんて知らなかったって自分に言い聞かせても、変異体になっていった子たちは私を呪っているだろうって思うとおかしくなりそうだった。 ……、君にだったら殺されても仕方ないから、君に全て委ねようと思ったんだ」
目を伏せがちに呟いたミセルの独白に、ヨミは周囲に聞こえるくらいの舌打ちをした。そして初めて、威圧でも皮肉でもない、ただただ単純な怒りを見せる。
「どいつもこいつも本当に……!! 俺の心を勝手に決めるなッ!!」
「ッ!?」
ヨミが声を荒くしてミセルを怒鳴りつけたのを見て、全員がびくっと身を引いた。そのままヨミは、あふれるままに感情を吐き出す。
「俺が復讐を望むかどうかをお前たちが決めるな!! 俺から生きて償わせる選択肢を奪うな!! ……、楽になりたければ自分で勝手にしろ。 俺にはやらなくてはいけないことができたからな」
ぽかんとして声の出せないミセルをよそに、ヨミはシロへと歩み寄る。
「久しぶりだな、ミナ。 大きく……、はあまりなってないな」
「久しぶりに会えたのにそういうこと言う……」
「ふっ、そうむくれるな。 悪いが……、俺はまだ一緒には戦ってやれん」
「っ!! どこか行っちゃうの?」
「フタバが生きているらしいのでな。 イオの為にも放ってはおけん」
「本当!? ……、分かった。 気を付けてね」
ヨミは頷くと、そのまま木の生い茂る森のほうへと歩いていった。
浪が翔馬におずおずと尋ねる。
「いいのか、あのまま行かせて」
「まあ、いいさ。 本部には適当に報告してごまかしとく」
その言葉を聞いて、浪も安心したように微笑んだ。
そこで、残されたミセルのほうへ翔馬が歩み寄る。
「お前も好きなとこ行っていいぞ。 お前はもう『いない人間』だからな。 ま、妙なことしなきゃもう会うこともねえ」
「君も……、私に償いをさせてはくれないんだね」
顔を伏せたままため息交じりの笑顔でこぼすミセルに、翔馬はあきれたように息を吐いて踵を返すと、ひらひらと手を振った。
「アホくせー事言ってんなよ。 償いは誰かに与えられるもんじゃねーんだよ。 誰に、何をしたいか自分で考えてみろ」
そういってそのまま広場の方へと戻っていくと、ほかの面々も気まずそうな顔で彼について去っていった。
静寂の中木々のざわつきだけが響く森の中、しばらくの間ミセルはただただぼうっと空を見上げて考え事をしていた。
「私がしたい様にすることが、償いになんてなるのかな。 でも……、『あの子』も私によくなついてくれてたから……、私が助けになれるのなら」
そしてすっと立ち上がると、森の中へと駆けて行った。
日が昇り切ったころ、森の中でさまよい腹を鳴らしている男の姿があった。
「しまったな……。 格好つけて去ってみたがここがどこだかよくわからん……。 まっすぐ歩いているはずなのにいまだに通りに出られる気配すらないが……」
ヨミは小さく息を吐き、木の根元に腰掛ける。
「死ぬよりつらい、か。 確かにそうだったかもしれんが……、奴がいなければミナもフタバもいなかった。 いや……、俺という人格もそもそも存在していなかった。 それでも、割り切るのは難しいものだ」
そのまましばし顔を伏せ葛藤していたが、再び空腹に襲われはあ、とため息をついて立ち上がる。と、その時
「お困りの様だねえ」
突然声を掛けられ身構えると、そこには先ほど別れたばかりの女が、心の読めない顔で木に寄りかかって立っていた。
「……、何の用だ」
「私もね、やらなきゃいけないことがあったんだよねえ」
「俺には関係ない」
「そうかもね。 でも、目的地が一緒だから」
そう言われて、ヨミはすべてを察した。
「君がどうしたいか決めかねるのなら……、ひとまずこの命、預かっておいてよ。 君の目的のために、私を使ってくれて構わないから」
「俺が他人の助けなど必要にすると思うか?」
「道分かるよ?」
「うっ……」
痛いところを突かれて苦い顔のヨミは、一呼吸おいて呆れ笑いで返す。
「戦闘訓練で容赦なく殴られた恨みは決して忘れはせんからな、覚悟しておけ」
その言葉に隠されたやさしさと真意に僅かににじみかけた涙を、ミセルはいつもの張り付いたような笑顔に隠した。




