後編 Komm, süßer Tod♡
「悪いなドクター。俺はハゲた男とのデートは予約してねえ」
アンジーの腰で揺れながら、ジョーが言った。
ドクター・グミーは足場の上で両腕を広げたまま、笑顔を動かさなかった。白衣の袖から小さなリモコンを出し、親指で押す。背後のスクリーンが点いた。
巨大なクマ型グミが、画面いっぱいに回転した。
「これは私が開発した究極のグミ――ゾンビグミだ!」
「名前はさっき見た」
「口にすればまず脳内に強烈な多幸感が生じ、特殊な作用によって継続的な摂取への欲求が増大し――」
グミーが指を振るたび、画面に矢印が増えた。脳の絵。グミの絵。笑う顔。もっと笑う顔。その下を、実物のグミを詰めた箱が次々と流れていく。
ジョーの目が半分閉じた。
「話が長い」
グミーの指が止まった。
「……何?」
「長い。三行で言え」
「これは歴史的発明なんだぞ!」
「こっちは生首で吊るされてんだ。時間を大切にしろ」
グミーはスクリーンを叩いた。
「食えばハマる! ハマれば理性が飛ぶ! 最後はグミしか考えられなくなる!」
「つまり?」
「とにかくヤバいグミってことだ!」
ジョーが頷いた。
「最初からそう言え」
「分かりやすいですね♡」
アンジーも頷いた。グミーは二人を睨み、もう一度リモコンを押した。
世界地図が映った。工場を中心に、真っ赤な矢印が四方へ伸びている。脇には出荷までの時間が表示され、秒の数字だけが忙しく動いていた。
「この工場から、世界中へ送り出す! 一度食べれば、誰もが私のグミなしではいられなくなる。その供給を握るのは誰か!」
グミーは一拍待った。
ジョーは足場の下を見ていた。太い配管の陰で、自分の身体が砂糖袋を引き裂いている。
「私だ!」
「へえ」
「……それだけか?」
ジョーはグミーへ目を戻した。
「他に何を言えって? で、俺はあれを連れて帰る。話は終わりか?」
「待ちたまえ!」
グミーが身を乗り出した。丸い腹が手すりに載る。
「君の能力は知っている。糖分から爆薬、弾丸、武器を生み出す! この工場の供給力と組み合わせれば、兵器を無尽蔵に生産できるのだ!」
ジョーはアンジーに目で階段を示した。彼女が一歩進むと、グミーも手すり沿いに移動した。
「私と組まないか!」
「嫌だね」
「まだ条件を言っていない!」
「聞く必要がねえ」
「なぜだ!」
ジョーは吊り眉を上げた。
「俺は人の下で働くほど行儀よく育っちゃいない」
アンジーが腰の横を見下ろした。
「世界征服だから断るんじゃないんですね♡」
「当たり前だろ。雇われるのが嫌なんだよ」
グミーはリモコンを振った。
「給料も出すぞ!」
ジョーがべえ、と舌を出した。
「うわ。もっと嫌になった」
足場の下で砂糖袋が破裂した。白い粉を浴びた首なし身体が、配管へ蹴りを入れる。継ぎ目が外れ、糖液が噴き出した。身体はその真下へ潜り込み、切り口を上へ向けた。
片手にキャンディが生まれた。握り潰しかけたそれを放る。
POP!
小さな爆発が、グミーの靴底を跳ね上げた。
老人は足元を見た。次に身体を見た。丸眼鏡の奥で目が輝く。
「……待て。頭部がない。それなのに能力は機能している!」
「嫌な顔してんな」
「つまり――君の頭はいらない!」
グミーがジョーを指差した。
ジョーは黙ってその指を見た。
「……今すぐそのハゲ頭撃ち抜くぞ」
グミーは聞いていなかった。手すりの操作盤を叩く。天井のアームが降り、首なし身体の腰を掴んだ。身体が蹴る。二本目のアームが脚を押さえ、三本目が手首を捕まえた。
「おい! それ俺のだ!」
「頭は持って帰っていいぞ!」
「親切みたいに言うな!」
アームが身体を持ち上げた。奥の搬送台に下ろし、胴と脚を太い帯で固定する。頭のない襟元から、緑の糖液が床へ流れた。
グミーは口髭を撫でつけた。
「素晴らしい。余計な口答えもない。やがて世界中がこうなる! 誰も私に逆らわなくなるのだ!」
ジョーが目を細めた。
「……誰も?」
「そうだ!」
「全員、あのグミだけ欲しがる? 朝から晩まで?」
「もちろんだ!」
グミーはまた両腕を広げた。ジョーは柵に張り付く実験体を見て、それから画面の地図へ視線を上げた。
「……最悪だな」
「何だと!?」
「グミに支配された世界なんか、つまんねぇだろ!」
ギザ歯がずらりと覗いた。
「パイもコーラも売れなくなるじゃねえか。俺の朝飯までお前の都合に合わせろって?」
アンジーが鋏を握り直した。
「世界を救うんですか♡」
「違うね。気に入らねえ奴のパーティーを台無しにするだけだ」
グミーの笑顔が消えた。
「グミーズ! 捕まえろ!」
*
搬送口の扉が一斉に開いた。
クマ耳のフードを被った戦闘員が、黒い全身スーツの膝を揃えて床へ飛び降りる。着地のたびに胸のクマの紋章が揺れ、ピンク、緑、青、黄色と毒々しい光を散らした。全員同じ背丈で、白いマスクには大きなギザ歯が描かれている。
アンジーの正面をその列が塞ぎ、奥ではジョーの身体を載せた搬送台が昇降機へ動き始めていた。グミーだけが、頭上の足場からそれを眺めている。
「GUM! GUM!」
ジョーが顔をしかめた。
「うわ。趣味の悪いファンクラブまでいやがる」
グミーが指を振った。
「囲め!」
「GUM!」
「逃がすな! そこの床も片づけろ!」
「GUM!」
一体がモップを取りに戻った。ジョーはそれを目で追った。
「便利だな、お前ら」
「働き者ですね♡」
アンジーが感心したように言った。その足元へワイヤーが走る。
SNAP!
巨大鋏が閉じた。切れたワイヤーを引きずって、黄色いグミーズがつんのめる。アンジーは鋏を横に払い、隣の一体へまとめて叩きつけた。
「GUM――!!」
二体が壁へ刺さった。片方の腕が肘から抜け、床を跳ねた。落ちた手は指で走り、アンジーの足首を掴んだ。
「まだ元気ですね♡」
壁の本体が手を振った。
「GUM!」
「返事すんな!」
ジョーの怒鳴り声に、右から巨大ハンマーが飛び込んできた。
「ハニー、三時方向!」
「三時ってどっちですか♡」
「右だよ!」
アンジーが屈むと、透き通ったクマ型のハンマーがツインテールをかすめた。その勢いで泳いだマスクへ、足首から引き剥がした手を押しつける。五本の指に目元を塞がれたグミーズは、彼女の蹴りを避けられずに転がった。
空いた通路へ踏み出したアンジーの前で、搬送台の車輪が昇降機の敷居を越えた。
「上へ運ぶ気だ。エンジェル、あの台を追え!」
通路の向こうで、グミ弾ライフルがずらりと並んだ。
アンジーは箱の陰へ滑り込み、鋏を足元に置いた。肩紐の金具を外してジョーを抱え込む。頭頂にまた、むに、と柔らかな重みが載った。
「……またこれか」
「持ち替えてます♡」
彼女は帽子をジョーの頭へ押し込み、両手で生首を構えた。
「ジョーさん、お願いします♡」
「言い方だけ聞くとまともなんだけどな!」
マスクの列へ大きな口が向いた。
「しっかり持ってな、ハニー! こいつは蹴るぜ!」
BLAM!
散弾が列の真ん中を薙いだ。白いマスクが割れ、蛍光色の火花と赤い飛沫が散る。二体が後ろへ転がり、三体目が手すりへ引っ掛かった。
「GUM――!!」
手すりの向こうへ落ちた仲間を見て、最後の一体が一歩下がった。胸元から煙が上がる。
「……GUM」
膝が折れた。
「拍手はあとでいいぜ、ベイビー!」
ジョーが笑った途端、アンジーは次の列へ照準を移した。
BLAM! BLAM!
二発続けた反動でブーツが滑り、アンジーの踵が箱へぶつかった。そこを支えに踏ん張ると、彼女はさらに次の射撃を求めてジョーを持ち上げた。
「おい! リロードくらい休ませろ!」
「まだ出ますよね♡」
「出るけど!」
口の中でキャンディが鳴った。
BLAM!
最後に残ったマスクが弾け、昇降機までの通路が開いた。
アンジーはジョーを肩紐へ戻し、鋏を拾った。走り出す前に、足元へ転がってきた大型のグミ投射器をつま先で起こす。長い銃身に円筒形の弾倉。肩掛けのベルトもついていた。
「これ、借りますね♡」
持ち主は上半身だけで床を這っていた。銃を持ち上げられ、残った腕を伸ばす。
「GUM!」
「返事はいいから急げ!」
ジョーの声で、アンジーは銃を背中へ回した。昇降機の扉は閉じ始めている。巨大鋏の先を隙間へ差し込み、両手で押し開く。その中へ滑り込んだ。
搬送台の向こうで、首なし身体の指が動いた。天井へ向かう糖液のチューブを掴もうとしている。
「おい俺。もうちょっと待て。俺が来たぞ」
身体は返事をせず、拘束帯を引っ張った。
「無愛想な野郎だ」
昇降機が止まった。扉が開くと、二人の前には巨大な製造棟が広がっていた。高い屋根の下をコンベアが何層にも交差し、頭上ではクレーンがグミ型を運んでいる。
搬送台が床のレールへ走り出すと、待ち構えていたグミーズがその後ろへ雪崩れ込んだ。身体へ続く道を塞がれたアンジーは、レールに沿って走るコンベアへ飛び乗った。
ブーツの下で目玉グミが潰れ、その跡を踏んだ追っ手が滑る。後続が倒れた仲間を踏み越える間に、アンジーは搬送台との距離を詰めた。腰のジョーが見上げると、上階の通路では別の一団がライフルを構えている。その真上を、クレーンに吊られた大きな半透明のクマがゆっくり横切っていた。
「上のロープ!」
アンジーが鋏を突き上げた。
SNIP!
クマが落ちた。
SPLAT!
通路いっぱいにピンク色の腹が広がった。グミーズの足が何本もはみ出す。潰れた頬の下から、くぐもった声がした。
「GUM……」
「甘い墓石だな!」
ジョーが笑った。直後、配管の陰から伸びたハンマーが鋏を打った。刃先が横へ逸れ、太いパイプを断ち切る。
蛍光ブルーのシロップが噴き出した。コンベアに青い波が乗り、アンジーの足を払う。彼女はしゃがみ込み、そのまま流れに押し出された。
「エンジェル! ブレーキ!」
「ありません♡」
「知ってた!」
青い波に押されてコンベアの端から滑り落ちたアンジーは、閉じた鋏を前へ突き出した。刃先が作業台を蹴散らし、その向こうのグミーズまで巻き込んでいく。二体、三体と玉突きになった列の先に、搬送台の車輪が迫った。
CRASH!
最後の一体が搬送台の車輪へ挟まった。台が急停止する。首なし身体が上体を起こし、胴を縛っていた帯を引きちぎった。
アンジーが手すりを掴んで立ち上がる。ジョーは自分の身体を見た。
「俺の身体だ! 傷つけるなよ!」
「分かりました♡」
アンジーが鋏を振った。身体のすぐ横にあった機械が真っ二つになった。
「今の絶対ちょっと切る気だったろ!」
「大丈夫です♡」
割れた機械から、四角いグミの塊がこぼれた。身体がそれへ飛びつこうとする。脚はまだ台に固定されていた。腰が浮き、手が空を掻く。
アンジーは落ちたグミを鋏の先で押し、身体の両手の間へ滑らせた。抱え込んだ腕が揃うのを待って、外れかけていた拘束具をその上へ掛け直す。身体が肩を跳ねさせるたびに金具が軋んだが、今度は外れなかった。
止まった搬送台を挟んで、アンジーの背後には青い糖液が広がっていた。その先の上階通路をジョーが振り返ると、グミーズがクマの腹を切り裂いて這い出してくる。
「エンジェル! 縫え!」
アンジーは鋏を台の縁へ掛け、ポーチを開いた。蛍光ピンクの糸巻きが出てくる。
「待て。その色しかねえのか?」
「一番丈夫です♡」
「色の話してんだよ!」
肩紐の金具が外れた。彼女は帽子をいったん自分の腕に掛け、ジョーの頭を身体へ載せた。首の向きを合わせ、顎を押さえる。
「動かないでください♡」
「身体に言え! 俺は止まってる!」
針が走った。襟元をくぐり、首の後ろへ回る。ジョーの片目が引きつった。向こうでライフルが発射され、台の端が削れる。
アンジーは腰を低くしたまま、糸を引いた。
「ちゃんと縫えよ!?」
「大丈夫です♡」
「その返事が一番怖えんだよ!」
残った帯を身体が引っ張った。アンジーは膝で胸元を押さえ、最後のひと目を締めた。台の縁に掛けた鋏を取り、糸へ刃先を寄せる。
SNIP!
ジョーの指が止まった。
今度はゆっくりと、自分の意志で開いてみる。握り直した手を返すと肩まで動いた。アンジーが拘束具を外すのを待って、長い脚を床へ下ろす。立ち上がったジョーは、首をぐるりと回した。
「……ああ」
アンジーから受け取った帽子を、自分の手で被る。つばを下げたジョーは、目だけで笑った。
「これだよ」
*
上階の制御室で、グミーが窓へ顔を押しつけた。
ジョーはその顔へ帽子を持ち上げてみせ、製造棟の中央へ歩き出した。背後の搬送台ではアンジーが裁縫道具をしまい、彼の左右にはコンベア越しに白いマスクが並んでいる。
「レディース・アンド・ジェントルメン!」
両腕が大きく開いた。
グミーズが銃を構える。
「お待たせしました――」
手が腰へ落ちた。二丁の拳銃が、光を弾いた。
「SHOW TIMEだ、ベイビー!」
BLAM! BLAM!
左右のマスクが同時に割れた。ジョーはその間を抜け、低い作業台を軽々と跳び越えた。追いすがる銃声に肩越しの一射を返すと、階段の手すりがクマ耳の列ごと崩れ落ちた。
グミーの声がスピーカーから響いた。
『グミーズ! 総員、かかれ!』
「GUM! GUM! GUM!」
上階、搬送路、階段。黒いスーツが次々と現れた。コンベアを逆走する列の先頭で、緑色の一体が巨大ハンマーを担ぐ。
ジョーは両手の銃を回した。
「数だけは景気いいじゃねえか! だが残念、主演は一人で間に合ってる!」
振り下ろされたハンマーを、ジョーは後ろへ反ってかわした。鼻先を抜けるクマの顎へ一発。内側から膨れたグミが破裂し、持ち主のマスクへ貼りついた。
目を塞がれたグミーズを蹴り倒し、ジョーはコンベアへ乗り移った。右の拳銃を収めると、腰のステッキの赤白の鞘からレイピアを抜く。突き出されたライフルを刃で払い、がら空きのマスクへ踵を叩き込んだ。
CRACK!
砕けた破片の向こうからワイヤーが飛び、ジョーの右腕を締めつけた。黄色いグミーズが、彼をコンベアから引きずり下ろそうとしていた。
張った線に逆らわず一歩踏み込み、巻き取る手首へ刃を滑らせる。落ちた手をワイヤーごと振り払うと、それは持ち主の顔へまともに当たり、後続までよろめかせた。
ジョーが肩越しに目をやると、搬送台から出てきたアンジーが追っていた。脇から迫ったハンマーを鋏で受け、柄ごとコンベアの下へ押し込んでいる。
ジョーは正面へ目を戻した。立て直そうとするクマ耳の列へ、レイピアを握る指先から小さな包みを弾く。
「プレゼントだ! 返品不可!」
一体が振り向いた。
「GUM?」
KA-BOOM!
蛍光グリーンの爆煙が膨らんだ。吹き上げられた黒い腕と脚が、天井の配管へ引っ掛かる。
ジョーがその下を抜けると、箱の陰から白いマスクが飛び出した。こめかみへ向く銃口に、顔だけを向けて口を開ける。
BLAM!
グミーズは飛び出した箱へ逆戻りし、箱もその向こうへ飛んでいった。
ジョーは舌に残った糖衣を舐め、左の銃をホルスターへ戻した。
「アンコールは一列に並びな!」
追いついたアンジーは、ジョーの背後で鋏を腰へ留めた。背中から回した投射器の弾倉を開け、粘着グミを床へ捨てると、空になった筒を彼へ向ける。
「ジョーさん、弾をください♡」
ジョーはレイピアを鞘へ戻して腰に留め、傍らの砂糖袋を引き寄せた。口へ流し込みながら空いた手を差し出すと、指先から大粒のキャンディがこぼれ、アンジーの弾倉をがらがらと満たした。
「景気よく使いな。俺からの退院祝いだ」
「ありがとうございます♡」
アンジーは弾倉を閉じた。太い銃身を腰の横へ抱え、足を開く。
「撃ちますね♡」
ジョーが銃口の先を見た。自分のすぐ横を向いている。
「待て待て待――」
KABOOM!
巨大なキャンディ弾が彼の脇を抜けた。階段の中ほどへ命中し、手すりも敵もまとめて吹き飛ばした。ジョーは片手で帽子を押さえた。燕尾服が真横へ翻る。
「先に言えばいいってもんじゃねえ!」
「言いましたよ♡」
アンジーは薬莢口から飛び出した包み紙を払い、もう一発撃った。反動でブーツの踵が床を削る。飛び降りてきたグミーズが、着地する前に天井へ戻った。
ジョーは肩をすくめ、二丁拳銃を抜いた。
コンベアの左側へ回った彼を、アンジーが右側から追う。中央を流れるグミ箱の向こうで、ジョーは細い手すりを渡っていた。彼女へ迫るワイヤーを撃ち切ると、その銃声を合図にしたように、彼を狙っていた白いマスクが箱の山ごと吹き飛んだ。
上階のスピーカーから、グミーが喚いた。
『立て! 持ち場を離れるな!』
「GUM!」
天井の配管に引っ掛かった下半身へ、床の上半身が律儀に敬礼した。ジョーは、敬礼をやめて伸びてきた手をまたいで通り過ぎた。
その先には、一段高い搬送路が張り出していた。そこにもクマ耳がずらりと並び、コンベアの両側にいる二人へライフルを向けている。
「エンジェル、上へ行く!」
ジョーは拳銃を収め、アンジーへ走った。彼女は銃を背中へ回し、腰の留め具から鋏を抜いた。開いた刃を斜めに差し出す。
ジョーがそこへ片足を載せた。
「投げますね♡」
言い終わる前に、鋏が跳ね上がった。
「それ先に言え!」
「今言いました♡」
ジョーの長い身体が宙を回った。逆さまのまま抜いた二丁拳銃が、並んだ銃口を横切る。
BLAM! BLAM!》 BLAM!
白いマスクが左右へ弾け、空いた手すりに彼の靴が下りた。
頭上の配管を見つけたジョーは、二丁拳銃を収めてステッキへ持ち替えた。その刃で継ぎ目を裂くと、蛍光ピンクの糖液が搬送路を伝い、階下へ滝になって落ちた。
流れの先には、投射器を背負ったアンジーがいた。彼女は鋏の腹でグミーズの列を押し返し、ピンクの滝へ追い込んだ。足場を失ったクマ耳がもつれ合い、そのまま流れにさらわれていく。
「GUM! GUM! GUM――!」
突き当たりのグミ型へ黒い手足が詰まり、最後の一体が縁から顔を出した。傍らの表示灯には〈充填完了〉。白いマスクがそれへ頷くのと同時に、自動プレスが下りた。
WHAM!
平たいクマが一枚、コンベアへ排出された。
ジョーは手すりから飛び降りた。
「最高だぜ、エンジェル!」
「ありがとうございます♡」
アンジーは鋏を肩へ担いだ。背後で平たいクマが、ぴくりと耳を動かした。
二人が並んだコンベア脇から奥の壁まで、急に広い床が見えるようになった。上階の通路には倒れたクマ耳が並び、制御室の窓だけがまだ騒がしい。ジョーはステッキを戻し、その窓へ帽子を傾けた。
「さてドクター。次はお前の番――」
床が振動した。
奥の壁が左右へ開き、巨大なクマの顔がせり出してきた。鋼鉄の顎の下では押し出しローラーが回り、腹の透明窓いっぱいに濃いグミ原液が渦を巻いている。足元のレールが軋むたび、二人の前に残った床が狭くなった。クマの口では、太い砲口がこちらへ回り始めていた。
『無駄だ! それは私の最高傑作だ!』
グミーの声と同時に、クマが弾を吐いた。二人は左右へ飛び退き、その間を粘着グミの塊が厚く埋めた。手すり際で踏み止まったアンジーが背中の銃を回し、反対側でジョーが帽子を押さえる。
KABOOM!
アンジーのキャンディ弾がクマの胸で爆ぜた。煙の切れ間から現れたのは浅い焦げ跡だけで、その上ではもう鋼鉄の口が回っている。
ジョーは粘着グミの縁を回ってアンジーの側へ渡り、胸の焦げ跡を見てにやりと笑った。
「最高傑作? じゃあ派手に壊さねえとな!」
アンジーが二発目を込めようとする。ジョーはその銃身を軽く押し下げ、前へ出た。
「何するんですか♡」
「切り札って奴さ」
アンジーを背に、ジョーは長い脚を踏み開いた。クマを見据えて口を開けると、喉の奥で光が渦を巻き始めた。ピンクに青が絡み、黄緑を巻き込みながら膨らんだ光が、歯の隙間から漏れ出す。
VVVVVMMMMM!
足元の破片が震えた。首に残る蛍光糸が、ぴんと張る。
アンジーがその糸を見た。
「それ、大丈夫なんですか♡」
ジョーは光を歯の奥へ押し込め、口の端だけで笑った。
「大丈夫じゃねえから必殺技なんだよ!」
クマの口が、二人を向いた。
ジョーの口が、それより大きく開いた。
KRAAA-BOOM!
極彩色の光が製造棟を貫いた。鋼鉄の顎が消え、腹の原液が沸騰する。巨大な胴体の向こうに穴が開き、工場の壁も、屋根の一角も、一直線に吹き飛んだ。
クマの両耳が違う方向へ飛んだ。
爆風が床を舐め、アンジーのツインテールを真後ろへ引いた。彼女はすぐ脇の手すりにしがみつき、踏み止まった。
光が消えた。
ジョーが煙の中に立っていた。帽子のつばを下げ、片方の口角を上げる。
「お代は――」
ぶちっ。
首の糸が切れた。
THUD!
頭が落ちた。
帽子を被ったまま、アンジーのブーツの前で止まった。
「取れましたね♡」
「見りゃ分かる!!」
首なし身体が一歩よろめいた。その膝へ、崩れた作業台が倒れ込む。身体は床へ転がり、鋼板の下へ半分埋まった。
ジョーは横目でそれを見た。
「……お前はそこで待ってろ」
アラームが鳴った。
壁の向こうで、出荷用のコンベアが動いていた。積み上がったゾンビグミの箱が、倉庫の扉へ吸い込まれていく。頭上の表示板には、出荷まで三分。
アンジーはジョーを拾い、肩紐の金具を耳の後ろへ繋いだ。
「まだ動いてますね♡」
「しつこい工場だな!」
ジョーは倉庫の左右を見た。別のコンベアも動いている。奥にはさらに別の搬入口。トラックのエンジンまで聞こえた。
制御室から、グミーの笑い声が響く。
『止められるものか! 世界中が私のグミを待っている!』
ジョーは吹き抜けの中央を見上げた。高い搬送タワーが、製造設備と倉庫の間に立っている。上部の足場からなら、全部が見渡せそうだった。
「エンジェル。もっと簡単な方法がある」
「何ですか♡」
「全部吹っ飛ばすぞ」
アンジーは搬送タワーへ目を上げた。
「分かりました♡」
ジョーは彼女を見上げた。
「……普通そこは一回止めるところじゃねえの?」
「急いでるんですよね♡」
「最高だな!」
アンジーは脇の砂糖袋を開け、ジョーの口へ傾けた。白い山が減っていく。頬が膨らみ、口から包み紙付きのキャンディがこぼれた。空き箱に一杯。次の箱にも一杯。
アンジーは銃を背中へ回し、鋏を腰へ留めた。ポーチからハート柄や星柄の端切れを引き出し、針に蛍光糸を通す。
「……何してんの、エンジェル」
「パラシュート付けてます♡」
「なんで?」
アンジーは縫いかけの端切れをジョーの鼻先へ広げた。
「遠くまで届くようにです♡」
小さな傘が一つできた。糸の先には爆弾キャンディ。アンジーが指先で広げると、ピンクのハートがふわりと膨らんだ。
ジョーはそれを見た。
「……お前、たまに俺より物騒だよな」
「ありがとうございます♡」
「褒めてねえよ」
アンジーは箱と裁縫道具を手押し台車へ載せ、タワー脇の荷物用リフトへ押し込んだ。上昇する間にも針が走る。ジョーは砂糖を飲み、キャンディを吐き、彼女は傘を縫って袋へ詰めた。
リフトが上部の足場へ着いた時には、袋が三つになっていた。
ジョーは足元の一点を見下ろした。鋼板の下から、自分の靴が覗いている。
「あとであれも拾うんだぞ」
「分かりました♡」
ビームで開いた屋根の穴から、風が吹き込んだ。ちぎれた看板が音を立てる。向こうには工場敷地、運河、橋。その先にゾンビタウンの尖塔が見えた。
アンジーは最初の袋を抱えた。
「その辺に景気よく撒け!」
「分かりました♡」
彼女が袋を逆さにした。
爆弾が散った。小さな傘が次々と開く。ハート。星。リボン。蛍光色のキャンディを吊ったパラシュートが、製造ラインへ降りていった。
一つが糖液タンクに着地した。別の一つはコンベアへ。三つが出荷箱の隙間へ吸い込まれた。
「いいねえ! 景気いいじゃねえか!」
ジョーが笑った。アンジーは二袋目を開けた。
「……まだ撒くの?」
「念のためです♡」
傘が増えた。風を受け、壊れた壁の外へ流れていく。運河を越えた一つが、橋の街灯に引っ掛かった。
「おい。今そっち飛んだぞ」
「パラシュート成功ですね♡」
「成功を喜ぶところじゃねえ!」
アンジーは三袋目を持ち上げていた。ジョーが口を開く間に、袋の底を叩く。
小さな傘が、空いっぱいに広がった。
「エンジェル。何個撒いた?」
「いっぱいです♡」
「数を聞いてんだよ!」
足場の隅から、グミーズが這い上がってきた。アンジーが空き袋を被せ、鋏の柄で押し戻す。敵は梯子を滑り落ち、その下の仲間を巻き込んだ。
ジョーは残った一粒を吐いた。赤白の包み紙から、細い飴の紐が伸びている。
「こいつが合図役だ。紐を切れば、下の連中も一斉に目を覚ます」
アンジーはキャンディを足場の外へ吊るした。背中の銃をベルトで締め、片手で手すりを掴む。もう片方で鋏を開いた。
制御室の窓から、グミーが身を乗り出した。
「待て! 何をする気だ!」
「閉店時間だよ、ドクター!」
ジョーが歯を剥いた。
アンジーは笑って、刃を閉じた。
SNIP!
「 Komm, Süßer Toooood ♡」
小さなキャンディが落ちた。
一瞬、すべての音が消えた。
KA-BOOOOM!
工場が膨れ上がった。
屋根が持ち上がり、タンクが裂け、出荷箱が光の中へ消えた。ピンクの火球が倉庫を呑み込む。黄緑の煙が煙突を内側から吹き飛ばした。
タワーの脚が折れた。瓦礫の下から黒紫の身体が鋼板ごと弾き出され、煙の向こうへ消えた。アンジーの掴む手すりごと、上部の足場も宙へ投げ出された。
「着地しますよ♡」
「どこへ!?」
下には街があった。
橋の街灯で、小さな傘が光った。
BOOM!
道路が跳ねた。
ガソリンスタンドの屋根へ落ちた傘が光った。
KABOOM!
隣の商店が跳ねた。教会の尖塔が根元から折れ、裏返しになったパトカーが鐘を鳴らした。
アンジーの足場は噴水へ落ちた。石の天使を押し倒し、広場を滑り、町内会の掲示板にぶつかって止まった。
静かになった。
アンジーは手すりを離した。ジョーは彼女の腰で逆さまになっていた。
遠くでもう一つ、家が跳ねた。
「エンジェル」
「はい♡」
「何個撒いた?」
アンジーは煤のついた頬を指で拭った。
「……ちょっと多かったですね♡」
*
工場の跡から、小さな飛行装置が浮かび上がった。クマ型の機体に、黒焦げの老人が跨っている。白衣は裾しか白くなかった。
「覚えてろ、ジョー!」
アンジーは腰で逆さまになったジョーを抱え直し、声のした方へくるりと向けた。
「嫌だね! ハゲの顔覚えとくほど暇じゃねえ!」
「この借りは必ず返すぞ!」
「次は菓子以外にしろよ! 飽きた!」
機体が煙を噴き、街の外へ飛び去った。
広場では瓦礫が動き始めていた。腕。脚。頭。店の看板を背負った住民が這い出し、隣の住民を引っ張り出す。
片脚の男が辺りを見回した。
「俺の脚知らない?」
隣の女が、傾いた教会を指した。
「あれじゃない?」
「教会の屋根だぞ」
「そうだな」
「なんで?」
「知らない」
アンジーは銃を足場へ下ろし、鋏を立てかけた。ジョーを掲示板の下のベンチへ置くと、裁縫道具を広げた。
「縫う人は順番に並んでください♡」
列ができた。自分の腕を抱える男。その腕に噛みついた犬。犬の後ろ脚を持った飼い主。
アンジーが最初の針を通す横で、瓦礫を運んでいた住民が足を止めた。手には工場から飛んできた看板がある。OPERATION GUMMY WORLDの下に、グミーの世界征服宣言が大書されていた。
「でもあんた、結果的には世界を救ったんだろ?」
ジョーは帽子のつばの下から住民を見た。
「知らねえよ。俺は気に入らねえ工場を吹っ飛ばしただけだ」
住民は看板を裏返し、瓦礫の山へ放った。
掲示板の前では、片腕の警官が歯で画鋲を押し込んでいた。新しい紙が貼られる。WANTED。B.B. CANDY JOE。懸賞金は、古い紙の数字を赤線で消して書き足してあった。
その下にも、罪状が続いている。
速度超過。逃走。危険運転。警察への発砲。器物損壊。工場破壊。市街地爆破。
ジョーが目を向けた。
「……お」
アンジーが縫う手を止めずに言った。
「増えてますね♡」
「そこじゃねえ。前より似てるじゃねえか」
新しい肖像には、首から下がなかった。
「これなら貼られても悪くねえ」
「そこ気にすんのかよ!」
警官が怒鳴った。アンジーは彼の外れた腕を受け取り、椅子を勧めた。
広場の端で、二人がかりの住民が鋼板を持ち上げた。その下から黒紫の燕尾服が現れた。爆風で工場から飛ばされてきたらしい。長い脚が瓦礫に埋まっている。
ジョーが口笛を吹いた。
「さて。今度こそ縫え。二重でな」
「分かりました♡」
アンジーは警官の腕の糸を切り、ジョーを持ち上げた。
瓦礫の中で、身体の指が動いた。
「……おい」
身体がむくりと起き上がった。片足を抜き、もう片方を抜く。腰には二丁拳銃。赤白のステッキも、まだ留め具に収まっていた。
頭と身体が向き合った。
ほんの一瞬、どちらも動かなかった。
「やめろ」
身体が踵を返した。
「おい」
TAP TAP TAP TAP!
「待て!」
黒紫の裾が瓦礫を越えた。倒れた街灯を飛び越し、煙の向こうへ遠ざかっていく。
アンジーが見送った。
「また逃げましたね♡」
ジョーの顔いっぱいに、怒りが広がった。
「FUCK!!」
THE END♡




