前編 SWEET RIDE, BABY!
赤茶けた荒野を、一本のハイウェイが貫いていた。低い灌木。禿げた岩山。陽炎に歪む路面。その向こうから、濃紫のオープンカーが突っ込んできた。
VROOOOM!
長いボンネットが朝日を弾く。縦長の男が脚を折り畳んでペダルを踏み、黒い手袋でハンドルを握っていた。黒紫の燕尾服に、えんじ色の大きなリボン。高いシルクハットには、渦巻きキャンディと一枚のカードが挟まっている。
男はダッシュボードの袋へ手を伸ばした。毒々しい青色の、指の形をしたグミ。口へ放り込み、ギザギザの歯で噛む。
「……バナナかよ」
左足がクラッチを踏み込んだ。赤白ストライプの硬質キャンディでできたギアレバーを掴み、叩き込む。
GRRK!
車体が跳ね、ドリンクホルダーのコーラが揺れた。氷がカラカラと鳴る。男はその音に合わせてハンドルを指で叩き、次のグミを選んだ。
後ろから、別の音が追いついてきた。
『前の紫色の車! 速度超過だ! 路肩に寄せて停車しろ!』
バックミラーの中で、パトカーが赤い光を回していた。男は細く釣り上がった黄緑の目を向ける。吊り上がった眉の片方が、さらに持ち上がった。
「速度超過ぁ?」
『ただちに停車しろ!』
グミを噛む顎が止まった。
「命令口調かよ」
男はミラーへ笑った。
「じゃあ嫌だね」
クラッチ。ギア。アクセル。
VROOOOOOM!
パトカーがみるみる小さくなる。男は吹きつける風の中で口を開け、楽しそうに笑った。
CACKLE CACKLE !
B.B.キャンディ・ジョーは、すこぶる上機嫌だった。
『停車しろ! ただのスピード違反だ!』
「おいおい、朝っぱらからサイレンまで鳴らして熱烈だねえ!」
ジョーは肘をドアへ引っ掛け、後ろへ声を張った。
「悪いなベイビー、デートなら予約してくれ! 今日はグミと先約がある!」
パトカーが速度を上げた。ジョーは前を走るタンクローリーの横へ車を滑り込ませた。
コーラが傾いた。
「おっと!」
右手でカップを押さえる。左手だけでハンドルを戻し、ローリーの鼻先をかすめて元の車線へ飛び出した。
「こいつをこぼしたら本気で怒るぜ!」
『車を止めろ!』
「そんなに俺のケツが好きなら写真にしな! 追っかけるより安上がりだぜ!」
ジョーはストローでコーラを吸った。喉が鳴る。口の中で何かが硬く転がった。唇を尖らせ、手袋へ吐き出す。ぴかぴかのピンク色をした、弾丸型のキャンディが六粒。
腰のホルスターから拳銃を抜き、開いたシリンダーへ流し込む。片膝でハンドルを支えたまま銃を閉じ、肩越しに構えた。
「プレゼントだ! 返品不可!」
BLAM!
パトカーの前で路面が弾けた。蛍光ピンクの煙と星形の火花。パトカーが蛇行し、助手席の警官の帽子が飛んだ。
『発砲! あのキチガイ、発砲したぞ!』
「聞こえてるよ! 撃ったの俺だもん!」
遠くの分岐から、さらに二台のパトカーが合流してきた。
前方に巨大な看板が現れた。笑う南瓜と、歯を剥いたクマ。その間に大きな文字。
WELCOME TO ZOMBIE TOWN
FAMOUS FOR GUMMY!
グミ袋と同じクマだ。ジョーは看板へギザ歯を覗かせた。
「見つけたぜ、ハニー」
街へ続く道は右へ急に折れていた。ジョーは拳銃を戻し、コーラを一口吸ってからハンドルを切った。
「悪いな諸君。デートはここまでだ!」
SCREEECH!
紫の車体が横滑りし、看板の支柱すれすれを抜けた。タイヤが路面を噛み直す。後続の一台も曲がった。二台目は曲がりきれなかった。
CRAAAAASH!
クマの笑顔をパトカーが突き破った。折れた南瓜が宙を舞い、道端でペンキを塗っていた男の頭に落ちる。
「看板ーーー!!」
隣の男が刷毛を投げた。
「昨日直したばっかりだぞ!!」
バックミラーの中で、WELCOMEの半分が炎上した。
「派手な歓迎だねえ。花火までついてら」
ジョーはクラクションを二度鳴らし、街へ入った。
墓地の鉄柵に色褪せたリボンが絡み、昼間からダイナーのネオンが点いていた。教会の尖塔には蝙蝠型の風見。街灯ごとに南瓜。商店の軒先には、ぶら下がった骸骨が風で揺れている。そのうち一体が脚立から降りて、隣の骸骨の位置を直した。
横断歩道を渡っていた男が、自分の頭を小脇に抱え直す。紫の車が鼻先を通過すると、抱えられた頭が怒鳴った。
「歩行者優先だろうが!」
ジョーは運転席から言い返した。
「手ぇ上げて渡りな!」
「頭で塞がってんだよ!」
ジョーは笑いながら角を曲がった。目玉グミの山。歯グミの瓶。脳みそグミの特売。ショーウィンドーの向こうで、菓子職人が心臓型のグミを秤へ載せていた。
「いい街じゃねえか!」
銃弾がサイドミラーを削った。
「買い物中の客を撃つなよ! レビューに星一つ付けるぞ!」
ジョーは車を屋台の間へ突っ込ませた。パラソルが倒れ、焼き菓子が飛ぶ。追ってきたパトカーが屋台の車輪を引っ掛け、そのまま引きずっていった。店主は屋台にしがみついたが、腕だけ残して落ちた。
「また取れた! 今日二回目だぞ!」
歩道のゾンビ犬が、その腕を追いかけた。三歩目で後ろ脚が外れる。犬は気にせず走り、飼い主が脚を拾って追った。
「うちの子に変なもの食わせないで!」
置き去りの店主が叫んだ。
「俺の腕だよ!」
オープンカーの後ろで、屋台とパトカーが果物店へ消えた。オレンジが道路いっぱいに転がった。
*
「はい、もう少しですよ♡」
診療所の軒先で、アンジェリカ・ステッチが針を引いた。患者の首を一周する蛍光グリーンの糸。その最後のひと目を、きゅっと締める。
プラチナブロンドの大きなツインテールが肩の両側で揺れた。青とピンクのリボン。小さなナースキャップ。水色の縁取りがある白いナース服は、丸く大きな胸元から、ハートのバックルを留めた腰へきゅっと絞られていた。
少し垂れた青い目を細め、アンジーは患者に笑いかけた。
「綺麗につきました♡」
アンジーは椅子へ立てかけていた裁ち鋏を持ち上げた。刃先が地面を擦るほど大きい。青とピンクの持ち手の下で銀の刃が開き、患者が身をすくめた。
「その鋏でかすぎない? 首まで持ってかれそうで怖いんだけど」
「大丈夫ですよ♡ 動かないでください♡」
SNIP!
余った糸が落ちた。
「ほら、大丈夫です♡」
「怖ぇよ」
「はい、終わりました♡」
アンジーは患者の肩を軽く叩いた。そこへ銃声がした。顔を上げると、サイレンと怒鳴り声が通りの向こうから近づいてくる。角を曲がってきた紫の車が、路上のオレンジを次々踏み潰した。
その先を、配達トラックが塞いでいた。
ジョーがフロントガラス越しに荷台を見た。
「おっと。予約席か?」
ジョーはブレーキを踏んだ。タイヤが滑る。荷台から降ろしかけの渡し板へ前輪が乗った。ボンネットが持ち上がる。
ジョーはコーラを掴み、運転席を蹴った。
CRASH!
無人のオープンカーが、トラックの荷台に刺さった。箱詰めのグミが噴き上がる。その手前へ、長い脚が降り立った。燕尾服の裾が翻り、赤白のステッキが腰の留め具で揺れた。
「最高のドライブだった! 次は運転手付きで頼むぜ!」
コーラを飲み切り、カップを近くのごみ箱へ投げる。外れた。
パトカーが通りの両側で急停車した。ドアが開き、警官たちが銃を構える。一人がジョーの顔を見て、胸ポケットの手配書を引っ張り出した。
「おい、こいつ、キャンディ・ジョーだ!」
ジョーは帽子のつばを持ち上げた。
「B.B.も忘れんな。看板なんでね」
警官が銃口を向け直した。
「両手を上げろ!」
「はいよ」
上げた両手には、拳銃が一丁ずつ握られていた。
BLAM!
BANG!
警官たちがドアの後ろへ沈む。パトランプが弾け、蛍光色の煙が通りを横切った。ジョーは長い脚でベンチを越え、着地しながら左右へ撃った。
「並べ並べ! 弾なら人数分あるぜ!」
患者が椅子ごと倒れた。アンジーはその襟を掴み、壁際へ引いた。空いた椅子が銃弾で跳ねた。
トラックの陰から、警官が太い銃身を持ち上げた。捕獲用ワイヤーが発射される。ジョーは身を低くした。ワイヤーはその上を抜け、街灯を一周して、壁際の患者へ跳ね返った。
「危ないですよ♡」
アンジーが踏み出した。鋏が開く。
同時に、向かいの警官が発砲した。ジョーは上体を大きく反らし、弾丸を顎の先でかわした。
「ハニー、そんな熱烈に――」
その首が、刃の間へ入った。
SNIP!
シルクハットが跳ねた。
頭が落ちた。
首から噴いた血が赤い弧を描き、診療所の白壁にかかった。
開いた鋏を手に、アンジーが瞬きをした。
「……あ♡」
「あ、じゃねえ!!」
路面のジョーが怒鳴った。
壁際で患者が両手を広げた。
「ほらぁ!!」
首のない身体が、拳銃を握ったまま立っていた。警官たちも銃を下げかけ、また上げた。路面のジョーが歯を剥いた。
「今日の占い大当たりだな、ベイビー! 『身軽になるチャンス』だとよ!」
アンジーは頭を拾い、帽子を指へ引っ掛けた。壊れ物を抱えるように胸元へ収める。
頭頂に、むに、と柔らかな重みが載った。
ジョーは上を見た。
「……エンジェル」
「はい♡」
「重い」
「そうですか♡」
アンジーは首の切り口を覗こうとして、さらに抱え直した。
「すみません♡」
「何に対する謝罪だ、それ!」
「縫えば治りますよ♡」
「なら今すぐ――」
首なし身体の指が動いた。
横倒しのグミ箱から、砂糖をまぶした菓子がこぼれていた。身体はそちらへ向き直り、拳銃を二丁ともホルスターへ収めた。
「……おい」
長い脚が一歩出た。
「おい!」
次の一歩で、走り出した。
TAP TAP TAP TAP!
「待て!」
身体はグミ箱を脇へ抱え、菓子屋の窓へ突っ込んだ。
「俺!!」
ガラスが砕けた。店内で棚が倒れる音。裏口から、さらに大きな袋を抱えた身体が飛び出した。止めようとした警官を肩で弾き、そのまま路地へ消える。
「俺の身体が俺より自由に生きてやがる!」
「元気ですね♡」
「感想それかよ!」
警官たちが走り出した。先頭の一人は診療所へ向き直ったが、身体の投げたグミ箱を顔で受け止めた。隣の二人も巻き込まれて倒れる。
アンジーは腰の裁縫ポーチを確かめ、鋏を持った。
「追いかけますね♡」
「追いかけろ! 今すぐ! あいつ財布まで持ってんだぞ!」
路地にはグミが点々と落ちていた。アンジーが小走りになるたび、ジョーの頭頂へ胸の重みがむにっと乗る。右手の鋏は壁にぶつかり、左腕の生首はずり落ちかけた。
「顎! 顎を持つな、舌噛む!」
「持ちにくいですね♡」
「持ち歩くために生えてねえからな!」
アンジーが足を止めた。ジョーを見下ろす。その青い目が、ぱっと明るくなった。
ジョーは眉を寄せた。
「その顔やめろ。ろくなこと思いついてねえだろ」
「少し失礼します♡」
アンジーはごみ箱の蓋へジョーを載せ、裁縫ポーチを開いた。針。蛍光糸。幅広の肩紐。
蓋の上からジョーが裁縫道具を睨んだ。
「待て待て待て。何作ってる?」
「動かないでください♡」
「その台詞で一個飛んだんだけど、俺の首」
アンジーは耳の後ろへ針を通した。ジョーが歯を剥く間に左右の留め輪を縫い終え、肩紐の金具を繋いだ。
鋏が鳴った。
アンジーは肩紐を斜め掛けにし、生首を腰の横へ下げた。
「できました♡」
「何が!?」
「バッグです♡」
「俺を革製品みたいに言うな!」
「両手が空きます♡」
ジョーは彼女の両手を見た。片方には巨大鋏。もう片方には自分の帽子。
「……合理的なのが腹立つな!」
アンジーは帽子を被せ、つばを整えた。
背後の足音にアンジーが振り向くと、警官が手配書と生首を見比べていた。アンジーは走り出し、ジョーを腰で揺らしながら角を曲がった。
最初の菓子屋では、店主が人体型の穴を睨んでいた。頭の部分だけ壁が残っている。空になった砂糖桶が床に転がり、ガラス瓶は中身だけ抜かれて整然と並んでいた。
店主がジョーを指差した。
「お前だろ!」
ジョーが即座に言い返した。
「違う! 犯人は俺の身体だ!」
「同じだろ!」
「裁判なら無罪を主張するところだぜ!」
アンジーが穴を覗いた。裏の塀にも、同じ高さの穴がある。
「こちらですね♡」
歩き出したアンジーを、店主が呼び止めた。
「代金!」
腰で揺れるジョーが、店主へ顎をしゃくった。
「財布は犯人が持ってる!」
アンジーは横の扉を開け、丁寧に閉めて出た。
次のダイナーでは、シロップタンクが床に横たわっていた。蛇口が根元から抜かれ、中は空っぽだった。カウンターのパンケーキには、バターだけが寂しく載っている。
「シロップを全部持っていきやがった!」
コックがフライ返しを振り回した。
厨房の奥で小さなものが跳ねた。赤い包み紙のキャンディ。床へ落ち、ころころと冷蔵庫の下へ転がっていく。
ジョーが床のキャンディを睨んだ。
「伏せな」
KA-BOOM!
冷蔵庫が天井へ刺さった。黄緑の煙の中から、冷凍ポテトがぱらぱら降る。ジョーは舌に載った一本を吐き出した。
「頭がねえと加減ってもんを知らねえらしい」
アンジーがジョーを見下ろした。
「元からでは♡」
「エンジェル」
「はい♡」
「その可愛い顔で毒吐くのやめてくれる?」
「すみません♡」
「反省してねえな?」
アンジーは裏口へ向かった。
店の裏には、砂糖の倉庫があった。扉が内側へひしゃげ、白い粉に大きな足跡が続いている。その向こうの搬入路へ、パトカーが横付けされた。
『いたぞ! 止まれ!』
ジョーが舌打ちした。
「またその言い方かよ」
アンジーが脇の通路へ入ろうとすると、そちらにも車が滑り込んだ。前方では、警官がパトカーの後ろから捕獲銃を構えている。足元の発射器には、太い網が畳まれていた。
ジョーは銃口を見て、右手の搬入口へ目をやった。錆びたシャッターの下に、砂糖の足跡が消えている。
「エンジェル。俺をあっちへ向けろ」
「こうですか♡」
肩紐の金具が外れた。アンジーは鋏を壁へ立てかけ、ジョーの頭を両手で掴んだ。片手を後頭部、もう片方を顎の下へ。両足を開き、銃のように前へ突き出す。
ジョーは手の中で目を剥いた。
「待て! 俺は武器じゃ――」
警官が捕獲銃を持ち上げた。
ジョーは目を細めた。
「……まあいい。しっかり持ってな、ハニー! こいつは蹴るぜ!」
「分かりました♡」
大きな口が開いた。舌の上に色とりどりの粒が集まる。警官の指が引き金へかかった。
BLAM!
キャンディ散弾がシャッターを吹き飛ばした。鋼板が内側へ折れ、砂糖の袋が弾ける。アンジーは反動で一歩下がった。ジョーの頭が彼女の胸元へ跳ね返る。
「だからしっかり持てって言ったろ!」
「持ってましたよ♡」
「首が取れるかと思ったぞ!」
「もう取れてますよ♡」
ジョーは黙ってアンジーを見た。彼女はにこにこしている。やがてジョーの口元にも笑いが浮かんだ。
「……最高だな、お前」
網が飛んできた。アンジーは頭を小脇へ抱え、鋏を拾って倉庫へ駆け込んだ。背後で網が崩れたシャッターに絡む。
砂糖の霧を抜ける。向こう側の壁には、見覚えのある頭抜きの穴が開いていた。アンジーはそこをくぐり、通用路へ出た。
抱えられたジョーが、アンジーを見上げた。
「そういやエンジェル、名前は?」
「アンジェリカ・ステッチです♡ アンジーでいいですよ♡」
彼女は肩紐の金具を留め直し、ジョーを腰の横へ下げた。ジョーは顎を上げた。
「俺はB.B.キャンディ・ジョー。B.B.も忘れんなよ」
「分かりました、ジョーさん♡」
アンジーは彼の帽子についた砂糖を払った。ジョーが口を曲げる。
「……好きに呼びな、エンジェル」
遠くでパトカーのドアが閉まった。アンジーは鋏を抱え直し、走った。
*
足跡は運河沿いへ向かっていた。売店ではキャンディが消え、倉庫では砂糖袋が消えていた。酒屋は無傷で、隣の菓子問屋には壁がなかった。
ジョーは腰の位置からそれらを眺めた。
「頭がなくても食い意地だけは一流か。さすが俺だ」
「褒めるところですか♡」
「自分を褒めるのに許可はいらねえ」
運河の橋へ出ると、甘い匂いが強くなった。砂糖に、果物に、何か焼けたような匂い。ジョーは鼻をひくつかせた。
「なあ。この街で一番砂糖を溜め込んでる場所は?」
「グミ工場ですね♡」
アンジーが橋の向こうを指した。
煉瓦造りの巨大な工場が、運河沿いを塞いでいた。屋根から何本もの煙突が突き出し、ピンクの煙を吐いている。壁には笑うクマ。正門には『工場見学歓迎』の看板。その下の鉄扉には、頭のない人体型の穴が開いていた。
ジョーが看板を見上げた。
「嫌な予感ってのは大抵、看板背負って立ってやがる」
「当たるといいですね♡」
「嬉しそうに言うな」
門番の詰所は空だった。二人が穴をくぐると、遠くのサイレンが別の通りへ曲がっていった。
アンジーが建物の扉を押す。熱と甘い蒸気が、顔いっぱいに吹きつけた。
工場の床を、何本ものベルトコンベアが走っていた。溶けたグミが型へ注がれ、冷却の霧をくぐり、ぷるぷる震えながら外されていく。目玉。歯。脳。指。心臓。砂糖をまぶす巨大なドラムが回り、できあがった菓子を下のベルトへ吐き出していた。
頭上を搬送籠が通過した。何段も重なる鉄骨の足場から、透明なチューブが降りている。中を蛍光グリーンの原液が流れていた。
アンジーがチューブを目で追った。
「ライム味ですかね♡」
「この街で色を信用するな。命より軽いぞ」
ジョーはタンクのラベルを読んだ。
「CHERRY。チェリーだ」
「緑なのに♡」
「ここの菓子職人、色彩感覚が犯罪者なんだよ!」
奥で何かが倒れた。
CRASH!
天井の配管が震えた。吊り籠からグミがこぼれ、二人の前へばらばら降ってくる。ジョーは落ちてきた目玉を口で受けた。
「こっちだ」
アンジーが巨大な撹拌槽の前で止まった。
いた。
黒紫の燕尾服。長い脚。二丁拳銃と、腰に留めた赤白のステッキ。首なし身体が槽の縁へ腹を引っ掛け、上体を原液へ突っ込んでいた。
GLUG! GLUG!
アンジーは槽の縁を覗き込んだ。
「飲んでますね♡」
「どこで!?」
「首です♡」
「見りゃ分かる!」
首の断面に渦ができていた。原液の水位が下がる。身体はさらに深く浸かった。
「おい俺! 飲み放題だからって元取ろうとするな!」
返事はなかった。
槽の脇で赤い警告灯が点いた。供給弁が鳴り、原液が追加される。身体はそれも吸った。手袋の指先に、ころんと小さなキャンディが現れる。もう一個。その次も。
ジョーが自分の身体を睨んだ。
「吐き出してるじゃねえか、手から」
「便利ですね♡」
「感心してねえで捕まえろ!」
身体が槽から起き上がった。緑の液を滴らせ、壁に走る太い配管へ向き直る。
パイプの継ぎ目から、ピンク色の雫が一滴落ちた。
身体が手を伸ばした。
「待て。そっちじゃねえ」
指が配管を掴んだ。金具が軋む。壁から留め具が抜け、パイプが曲がった。裂け目から糖液が噴き出す。
身体はそこへ首を押しつけた。
「まだ飲むのかよ!」
圧力計の針が振り切れた。足元へキャンディが落ちる。ジョーが息を吸った。
「下がれ!」
アンジーが撹拌槽の陰へ飛び込んだ。
KA-BOOM!
壁が膨れ、配管ごと吹き飛んだ。蛍光オレンジの煙の向こうで、首なし身体がよろめく。すぐに姿勢を戻し、開いた穴へ駆け込んだ。
アンジーが鋏でぶら下がる配管を押しのけた。壁の裏には、下り階段が隠れていた。
ジョーが階段の下へ目を向けた。
「見学コースにしては荒っぽいな」
「行きますか♡」
「俺の財布が行った」
階段の下から、規則正しい機械音が聞こえていた。アンジーが段を下りるにつれ、紫の明かりが鋏の刃を染めていく。
地下の紫の照明の下で、タンクの液が泡立っていた。太いケーブル。計器。床には黄色と黒の警告線。
新しいベルトコンベアの上を、クマ型のグミが流れていた。どれも同じように口を開け、目には小さなバツがついている。箱へ詰められ、蓋が閉まり、機械の腕が印字する。
ZOMBIE GUMMY
アンジーが読んだ。
「ゾンビグミですって♡」
「この街、ネーミングにひねりって概念がねえのか?」
さらに奥の壁には、巨大な文字が掲げられていた。
OPERATION GUMMY WORLD
ジョーは鼻を鳴らした。
「ねえんだな」
壁際の柵に、作業着姿の男が張り付いていた。隣の柵にも、その隣にも、人影がある。ベルトコンベアが近づくたびに腕を伸ばし、箱を追って同じ方向へ顔を動かした。
一粒のグミがベルトから落ちた。
男が柵へ頭を打ちつけた。手を伸ばす。届かない。さらに肩をねじ込み、指先で床を掻く。声をかけるより先に、隣の男も床へ這いつくばった。
アンジーの歩みが止まった。
ジョーは噛んでいたグミを、ゆっくり頬の内側へ寄せた。
「……趣味の悪い菓子工場だな」
柵の中の男は、二人を見なかった。落ちた一粒だけを見ていた。
奥で、鉄板の引きずられる音がする。ジョーが目を向けた。太い配管の向こうを、黒紫の裾が横切った。
「いた。エンジェル、あそこだ」
アンジーが一歩踏み出した。
照明が消えた。暗闇でジョーの声がした。
「おいおい。照明代までケチり始めたぞ」
機械音だけが続いていた。暗闇の中で、金属が何かを打った。ジョーが黙る。アンジーは鋏の持ち手を握り直した。
一灯。
床を丸く照らす光が点いた。
その先でもう一灯。さらに一灯。照明は二人の足元から奥へ、順番に伸びていった。
ジョーは光の先を見た。
「……俺より演出がくどい奴がいるとはね」
最後のスポットライトが落ちた。
高い足場の上に、小太りの老人が立っていた。染みだらけの白衣。丸い腹。禿げ上がった頭の両脇から、白い髪が跳ねている。尖った口髭の上で、ピンク色の丸眼鏡が光った。
胸にはクマの徽章。その下に、DOCTOR GUMMY。
老人は両腕を大きく広げた。
「ようこそ――B.B.キャンディ・ジョー!」
ジョーの笑いが、口元で止まった。
ドクター・グミーは、満面の笑みを浮かべた。
「君には、ずっと会いたかった!」




