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You can't be wise and in love at the same time.

 ヴィクターが私の失敗魔法薬を被ってから二日経った。

 今日は晴天だ。

 朝起きてカーテンを開けた時、窓の外に青空が広がっているというのは気持ちがいい。寮の窓は西向きなので、朝は太陽の光はささないけれど。


「眠いなあ……」


 一昨日ヴィクターに薬をぶっかけてからは、毎晩遅くまで魔法薬の本と格闘している。苦手とはいえども、自分が原因でヴィクターがああなったのだ。文句ばかり言っているわけにもいくまい。

 教授は一週間で切れるといっていたけれど、私はどうにかして解毒剤を見つけたかった。解毒剤を作る方法を見つけたところで、私が調合するのは不安が大きいが、それはまあ、ステラに頼むなど方法はある。

 ステラは違う教授の魔法薬の授業をとっているのだが、そのクラスでトップの成績を収めているらしい。うらやましい限りだ。


「こればっかりは……努力で埋まらない溝よね」


 自分で言うのもなんだけれど、私はけっこう努力家だ。負けず嫌いだからこそ、人より多く努力することで成績を維持している。ヴィクターは宿敵で、勝ちたい相手ではあるし、ちょっと嫌味な奴だ。でも、彼もまたきちんと努力している様子がうかがえるので、人間としては実はそんなに嫌いなタイプではない。


 私は机に広げた魔法薬の本を閉じると、身支度を始めた。

 一通りの身支度を終えると朝ごはんを食べるために食堂へと向かう。

 ステラは朝ごはんを食べるより寝ていたい人間なので、大抵、私は一人で朝ごはんを食べる。

 寮は男子と女子で完全に分かれており、寮に併設された食堂もそれぞれにあるため、ここではヴィクターに遭遇する危険性はなかった。

 ただし、男子の目がないということは、女子の負の感情の発露を抑圧するものがないということである。

 私は朝からそれを思い知る羽目になる。





 私はいつもの通り、食堂に行き、食事を貰うための列に並んだ。いつもかなり長めの列だが、こういう日もあるだろう。

 食堂での飲食は寮費に含まれていないのだが、それでも破格の値段で飲み食いができる。食堂のおばちゃんに好きなおかず頼みそれをトレーに乗せ、好きなパンを選んで乗せる。飲み物も五種類から選べるので毎日飽きなくていい。

 私はぼーっと列に並んで待っていたが、ある瞬間に、列が全く進んでいないことに気がついた。

 それに最初に思った通り列が長すぎる。私はまさかと思って、そっと前の人の肩に手を乗せた。

 すると私の眼の前にあった長蛇の列はぱっと泡のように弾けて消え、私の立っている位置から、かなり遠い位置に列の最後尾の人が見えた。


「幻覚……」


 クスクスと笑う声が聞こえてそちらを見ると、年上のお姉さま方が束になってこちらを見つめていた。その中心にいる美人で、長くスラリとした足を組んだお姉様と目が合った。

 たしかこの美人はミゲルの熱狂的なファンかつ、五年生の中で五指に入る魔法の腕前を持っている。


 そりゃ、騙されるわ。


 私は本当の列に並び直しながら、詠唱して自分の周りに簡易結界を張った。視界確保なので、炎や水が降ってきたら防げないが、そうそう私に魔法で挑む女子生徒も多くないだろう。

 私は二年生の中ではヴィクターと主席の座を争っている。

 たぶん、下手な三、四年生よりも魔法が上手い。だからこそ、私に魔法攻撃をしかける人間は、かなりのやり手とも言える。


 しかしながら、五年生の、それも成績上位者の魔法には全く歯が立たない。そもそも五年生からはかなり専門的なものを習うので、いくら基礎魔法を応用してもかなわないことがあるのだ。

 だから幻覚には簡単に引っかかったし、こうして結界を張らない限りは、発見すら出来ない。

 あのお姉さまもあれだけの才能があるならば、違うところにその能力を使ってほしいところである。こんなちゃちな嫌がらせじゃなくて。


「ミゲルって、やっぱり人気なのね……」


 ヴィクターのみならずミゲルにまで手を出しやがってと思われているに違いない。手は出してないし、ミゲルの悪ふざけだが、ステラの恋路を応援、あるいは彼女の目を覚まさせるためだ。多少の犠牲は仕方がない。


 私はパンとトマトベースのじゃがいもとベーコンの入ったスープ、それからヨーグルトを選んでトレーに乗せた。

 そしてそのお金を払おうと歩き始めると、迫り来る魔法の気配を感じて、とっさに上を見た。すると空から大量の水滴が降ってきた。私はびしょ濡れになりたくない一心で、炎を呼び出し水を一気に蒸発させる。

 それは概ねうまくいき、水分は全て蒸発してくれた。しかし朝から攻撃されたことで集中が上手くいかず、スープとヨーグルトも半分くらい蒸発してしまった。

 パンも半分くらいが、炭になっている。

 しかしもう一度取りに行く時間はないので、私はそれのお金を払い、食堂のすみでさっと食べきった。

 いつもの半分しかない朝食は物足りなかったが、仕方がない。昼食はたくさん食べようと心に決め、私は一限目の授業へと向かった。


 一限目の授業は、魔法詠唱学で、これはヴィクターもいなければミゲルもいないので至って平和だった。

 隣のステラとともに、魔法詠唱にどんな単語を選ぶべきか、という方法論について学ぶ。これはたまに実践もするが、基本的に座学なので過激な女の子は少ない。

 授業が終わって教科書やノートをしまうと、私は時間割を見てため息をついた。


「次は……魔法歴史学か……」


 これも座学なのだが、この授業は教授が簡単に単位をくれることで有名で、非常に人気の授業だった。

 そしてなにより、ヴィクターとミゲルがいる。


「ヴィクター君の近くに座ろうね。せっかく、彼があんなに素直なんだから」

「いやだからあれは素直なんじゃなくて、惚れ薬……まあいいや。そうね、どうせなら近くに座りましょう。ステラはミゲルの隣に座ればいいわ」

「シフォンったら……」

 

 照れているステラもかわいらしい。癒しだ。私の癒し。

 そういえばミゲルも天使のような容貌なのだから、見た目だけは癒しキャラかもしれない。ミゲルとステラが並んだら、見た目だけはふんわりして癒しの究極カップルだ。ただミゲルの中身はいたずら好きの天邪鬼な少年なので、癒しからほど遠いけれど。

 

「今日は何をやるのかな……どうせなら惚れ薬の歴史について授業してくれればいいのに……」


 二人で次の教室に移動しながら、私はぼんやりとそんなことを口にした。


「惚れ薬の歴史か……あ、昔、惚れ薬を使われた男と、使った女の悲恋物語を読んだことはあるよ」

「それって、実話(ノンフィクション)?」

「いや……小説だと思う」

「そういうお話って、女はずっと男に惚れ薬を飲ませ続けるの?」

「そうそう。でも良心の呵責に耐えられなくなって、女はある日、惚れ薬を使うのを止めるの」


 ありがちな話だ。

 ただ、惚れ薬を故意に使った女が幸せになるよりは、そうやって苦しんで使うのを止めるという筋書きのほうが私は好きだ。

 人の心を魔法薬で操作してどうこうしようだなんて、傲慢だし、気持ち悪い。

 今の私は周りから見たらそういう状況なんだろう。だからほかの女子生徒にねたまれるし、嫌がらせも受けるわけだ。とはいっても、私は神に誓って、故意に魔法薬をぶっかけたわけじゃない。もっというなら、惚れ薬なんてものを作る気もさらさらなかった。

 授業の一環として、自白剤を作ったはずだったのだ。どうして惚れ薬に変化したのかは不思議だけど、でも私の魔法薬が期待通りの効力を持たないのはいつものことだ。


「悲恋ってことは、男はそれで女を捨てるのよね」

「そうだよ。女はそれがショックで、結局また、男に薬を飲ませる生活を続けていくんだったと思う」

「げ……恋する女はバカになるっていうのが何だかわかる気がするな。そんなことしても虚しいだけなのにね」

 

 私だったら好きな人にそんな虚しいことはしたくない。好きな人からもらえる言葉は、たとえ大嫌いという言葉であったとしても、それがその人の本心であってほしいと私は思うのだ。

 虚飾にまみれた”好き”なんて、百回言われても嬉しくない。


「でも私は……ちょっとだけ、わかるかもしれない。その女の人の気持ち」

「え?」


 ステラが穏やかに微笑みながら、その場に立ち止まった。


「上辺だけでも、好きな人に好きって言われたいって……一瞬でいいから振り向いてほしいって……思うかも」

「ステラ……」

「私は片思い歴が長いから、そう思うのかも」


 詳しいことは知らないけれど、ステラは一年生の時からミゲルのことが好きだった。それは私が納得するような理由があるのか、それともないのか、わからない。

 でも誰にも堕ちないミゲルを見ていると、そんな気分になるのかもしれない。

 私は共感はできないけれど、ステラの言いたいことを理解はできる。


「だから、嬉しかったの。昨日ペアが組めて。それがたとえ、シフォンとヴィクター君をからかいたいからっていう理由でもね」

「……シフォンは、ミゲルが見た目ほど天使じゃないって、分かってる?」

「ふふ。分かってるよ。どっちかっていうと悪魔、というか……小悪魔だよね」

「そっか……それなら、応援する」


 私がそういうと、ステラは嬉しそうにうなずいた。

 私たちは仲がいいけれど、実はあんまりこの手の会話をしたことがない。もともと私たちがそういうことに興味がないというのもあるけれど、それ以上にたぶん、私に好きな人がいないというのも一つの原因だ。 


 私たちは珍しく、普通の女子生徒のような話に花を咲かせながら教室を移動した。受講人数のやたら多いこの授業は、大講義室で講義が行われる。一度に四百人は収容できるかなり広い教室だ。

 教室に入ると、ヴィクターとミゲルの場所はすぐにわかった。何せ人だかりができている。いつもならこういう授業のときは絶対に彼らから離れて座る。彼らの周りはうるさすぎて、集中できないからだ。


「どうする……?」


 近づきたくないな、と思っているのが顔に出ていたらしい。ステラがこちらをうかがうように見た。正直に言って、本当は近づきたくない。でも、ステラがミゲルとお近づきになるチャンスを逃すのは嫌だ。


「行こう。どのみち、こんなに後ろじゃ聞こえにくいから」


 私は意を決して、ゆっくりとその二人がいる近くまで歩いていく。ある程度近づいたところで、ヴィクターがこちらを向いた。彼はいつものように不愛想な様子で女の子たちを相手していたのだが、私を見つけた瞬間に笑顔になった。

 その変化があまりにも劇的で、なぜか虚しくなった。あんなに不愛想な男を、ここまで愛そうよくするとは、私が失敗して作った惚れ薬は強力すぎるんじゃないかと思う。


「シフォン!」


 名前を呼ばれて、私はヴィクターに近づいた。

 取り巻きの女子生徒の視線が痛いが、仕方がない。これもステラのため、と自分を言い聞かせて、ヴィクターの座っている列まで足を進めた。


「どこに座るんだ?」

「私がどこに座っても、隣に座る気なんでしょ?」

「そりゃもちろん」


 輝かんばかりの笑みで言われて、私はこれみよがしにため息をついてみせた。そしてヴィクターとミゲルが座っている席が四人で一つのテーブルを共有するタイプで、かつ二人がその真ん中に座っていることを確認すると、ちょっとだけ計算してから言った。


「私、端っこじゃないと嫌なの。二つほど向こうにずれてくれる?」

「それだと俺はシフォンじゃなくてステラさんの隣になるってことだよな?」

 

 よかった。気づいてくれた。


「まあ、そうなるわね」

「それは嫌だ。ミゲル、一個ずれて。ステラさん、先に入って」

「はいはい」


 私の希望通りに事が運んだ。ヴィクターは立ち上がると、一度左側の通路にはけた。そしてステラを通し、もともとミゲルが座っていた位置に座らせる。そしてヴィクターがもとに位置に戻り、私が一番左端に座れば、私の計算通りの席順だ。

 ヴィクターが席順についての指示を出してくれたおかげで、ステラに対しては女子生徒の羨望の目こそ向けられても、負の感情は向いていなそうだ。


「シフォン……寝不足なの?」


 ステラとミゲルの様子に気を取られていた私は、ヴィクターが私の顔にそっと手を当てて、目の下を親指でそっとなぞったことに驚いて小さく飛び跳ねた。本当に細かいところによく気が付く男だ。

 私はすばやく彼の手を払いのけると、首を横に振って言った。


「ちょっと……調べ物をしてただけよ」

「調べもの? ……もしかして、魔法薬?」


 図星を指された私は、ぐっと言葉に詰まった。たしかにその通りだけれど、それを認めるのはなんとなく悔しい。私がそうやって逡巡していると、ヴィクターはふっと柔らかな笑みを浮かべて言った。


「俺はこのままでもいいよ」

「私がよくないの! 私のためよ!」

「そうなの? こんな俺は嫌?」

「嫌に決まってるじゃない。あんたなんかヴィクターじゃないわ」


 私はそこまで言ってから、こうなったのは自分のせいでもあるのだと思い出し、慌てて口をつぐんだ。しかしなぜかわからないが、ヴィクターは嬉しそうな顔をして、うんうんと頷いている。

 

 結局授業は、惚れ薬の歴史なんてものを扱うわけもなく、いつも通り、魔法士の歴史についてひたすらに教授が語る形式だった。

 授業のノートをとりながら、たまにふとお互いの肘が当たって、ごめんと言う。

 ヴィクターがおかしいのは継続しているけれど、こころなしか、一日目よりは薬の効果が薄まってきている気がする。最初よりは自然なコミュニケーションがとれている気がするのだ。

 ただもしかすると、私がヴィクターの異常性に慣れつつあるのかもしれない。そうだとすれば、それはそれで恐ろしいことだ。


 授業が終わると、お昼の時間ということで、生徒は一斉に食堂に向かう。学校内に食堂は三つあり、寮にある食堂と違って、そこでは男女が一緒に昼食をとることもできる。


「シフォン、一緒にご飯を食べに行こう」

「そうね。それがいいわ。そうしましょう」


 朝の事件のせいでお腹がすいていた私は、深く考えずにヴィクターの提案に乗ってしまった。すると、ミゲルが不思議そうな顔をしてこちらを見た。


「やけに素直だね」

「あ……いや……その……」


 ステラがいる前で、ミゲル好きのお姉さまに絡まれたとは言いたくない。どういう言い訳をしようかと私が言葉に詰まっていると、ヴィクターが急に険しい表情をして、私にぐっと顔を近づけた。


「もしかして、また嫌がらせを受けたのか?」

「え? いや、なんていうか……別に大したことじゃないから」


 私はごまかすようにそういうと、机から立ち上がって荷物をかばんにまとめた。ヴィクターはまだ何か言いたそうな顔をしていたが、私はそれを振り切るようにして歩き始める。

 するとヴィクターはぴたりと私の横に寄り添って歩いた。後ろを見ると、ミゲルとステラが何やら話しながら歩いている。

 私はこのままヴィクターと歩いていたほうがよさそうだ。


「何食べようかな……」

「悪い」

「……謝らないで。別にヴィクターのせいじゃないから」


 どうしてこんなにヴィクターが謝るのかわからない。それに一年生のときはたしかにヴィクターが原因だったけど、今回はミゲルが原因だし、もっといえば自分で選んだことだ。

 ヴィクターに謝られる筋合いはない。


「悪い」


 私はそう思っているのに、ヴィクターは表情を曇らせてただそう言った。

 その表情が本当に苦しそうで、これも惚れ薬の効果なのだとしたら、申し訳ないな、と私はそんなことを考えていた。


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