Love, the itch, and a cough cannot be hidden.
魔法基礎演習の場所に私と、ミゲル以下略が到着したところ、女子生徒の黄色い歓声が上がった。
忘れていたけれど、もともとヴィクターとミゲルは学校の王子様である。
魔法構造理論なんていう地味な教科を取るお嬢様方はさして二人に熱はないが、魔法基礎演習にはミーハーな方々がたくさんいる。
毎回彼らはピーチクパーチク鳴く女子生徒に囲まれているのだ。
ヴィクターは愛想がないので、とりあえず全部無視。ミゲルは全員に笑顔を振りまくけど、誰も特別扱いはしない。
それが彼らなり女子生徒達の包囲を逃れるための方策なのだ。
「おはよう、シフォン」
「おはよ、ステラ! もう、聞いてよ」
私は今日も女子生徒達に囲まれた二人を放置して、親友ステラの元へ駆け寄った。
「知ってるよ。学校中の噂だもの」
「げ、やっぱり? 私も悪いっちゃ悪いんだけどさぁ……」
ステラは穏やかに微笑んでうんうんと聞いてくれる。その微笑みは、ミゲルのように胡散臭くもないし、ヴィクターのように魔法薬によるものでもない。
ああ、私の癒し。
彼女はふわふわとした肩までの髪がよく似合っている、愛らしい少女だった。背も低いし、声も透き通ったソプラノ。おっとりとした性格で、純粋無垢だけど、案外しっかりと自分の意思を持った芯の強い子である。
ちょっと性格がキツくて、負けん気の強い私とは、全然違うタイプだけど、不思議と気があう。
そうやって私がステラのほんわかとした雰囲気に癒されていたところ、後ろから自分の名前が聞こえてきて思わず振り返る。
「悪いけど、俺にはシフォンがいるから。こういうの止めてくれる?」
だーかーらー! そういうのは彼女が出来てから言えってば!
「ヴィクター君は、やっぱりシフォンが好きなのね?」
「ああ、シフォンが羨ましい!」
「シフォン先輩っ! ヴィクター様を傷つけたら許しませんから!」
やっぱりってなんだよ。やっぱりって。まるで元々ヴィクターが私のこと好きみたいじゃない。
周りの取り巻きの子達があまりにも好き勝手言うので、私はどう収拾をつけようかとため息をついた。
私としては、取り巻きの女の子と仲良くやっておいてほしいぐらいなのだが、それは無理な話だ。
「わぁ、本当にヴィクター君、素直になったんだね!」
「うんうん、似非フェミニスト降臨でしょ……え、素直?」
その様子を見ていたステラが、胸の前で手を組んで優しく微笑みながら言った。
「だって、いつもシフォンに意地悪なのは、ヴィクター君がシフォンのこと好きだからでしょう?」
「いやいやいや。そんなことないって。それは気のせい。あいつが意地悪なのは、むしろ私を女の子だと思ってないんだよ」
ステラはほんわかしているので、そういう夢見がちなところがある。ヴィクターが私を好きなんてこと、魔法薬を被らない限りありえない話だ。
でも、こうやって否定しても、多分ステラは信じてくれないけれど。
「ミゲル君、今日は私と組んでくれますよね?」
「いえ、私と組んでください!」
「いいえ、ミゲルは私と組むのよ」
ヴィクターはいつものごとく、攻略を諦められたらしく、ミゲルに女の子が殺到した。この魔法基礎演習では、ペアを組んで練習する。そのため、ミゲルは毎回違う女の子と組んで適当に相手していた。
ちなみにヴィクターが組むのは私だ。これには誰も異議を唱えない。何故なら、彼は相手が女であろうと容赦なく全力で攻撃魔法を編み上げるので、かなりの技量を持った者がペアにならないと怪我をする。
つまり私は生贄なのだ。
最初の授業で、ペアの女の子をコテンパンにしたのを見てからは、ミーハー集団もヴィクターとペアを組むという夢を見るのは止めたらしい。
残念なことだ。
「ねえ、ヴィクター」
ミゲルは何かを思いついたとばかりに手を叩いて、そしてにっこりと笑った。天使の笑顔は周囲をのぼせさせたが、次の瞬間、彼女たちは地獄へ突き落とされる。
「シフォンって可愛いよね。僕も好きになっちゃいそうだよ」
な、な、な、なにを言ってるのこの子。
私はびっくりして、何も言えず固まってしまった。
驚いたのは取り巻きの女子生徒もだったが、彼女たちはワンテンポ遅れて悲鳴に似た声を上げた。
しかしそんな騒ぎをスルーして、ミゲルは微笑んで言った。
「いいよね?」
「おい、ミゲル!」
ヴィクターは低い声で唸るようにミゲルの名を呼んだ。すると、ミゲルはこてりと首を傾げて言う。
「あ、もちろん友達としてね」
「……! 紛らわしい!」
今だけはあんたに賛同するよヴィクター。
この外面は天使のミゲルは、ただ場を引っ掻き回したいという困った悪戯っ子なのだ。私とヴィクター、それから周りにいる女の子たちをからかって楽しんでいるのだろう。
ミゲルは私とヴィクターから睨まれているのも気にせずに、さらに言葉を続けた。
「だから、可愛い友達の友達と仲良くなるために、この子を借りてもいいかな、シフォン?」
ミゲルは私とステラに向かって近づくと、さっとステラの腕をとった。
ステラがアタフタとして私を見る。この子は外面天使に騙されいるのだった。
困った顔をしているけれど、ステラは本当はミゲルとペアを組みたいに違いなかった。それに、この状況なら、ミゲルの取り巻きの女の子たちの敵意を、私が被ることができる。
「あなたも惚れ薬、少しだけ被っちゃった?」
私がにっこりと笑いながら、しかしじっとルビーレッドの瞳を見つめていえば、ミゲルは了解とばかりに素早くウィンクした。
「……そうかもね。でも、ヴィクターと違って、あくまでも友達として好きだよ。だからこそ、シフォンの友達とは仲良くしたいなって」
「いいわ。許可する。くれぐれも大切にしてね」
「分かってるよ」
傷つけたら許さないという私の圧力に、ミゲルはしっかりと頷いてくれた。ミゲルがステラをどう思っているかは知らないが、ペアを組んで話してみればステラの目は覚めるかもしれない。
「え、ちょっとシフォン!」
「ありがとう。さ、行こう。ステラさん」
「あ、えっと……その……」
おどおどとしているステラの手を、優しく、しかしやや強引にとってミゲルは歩き出した。
ステラは困った様子ながらも、まんざらでもない表情だ。
それと引き換えに、私はその場の女子生徒の殺気を一手に引き受けることになったが、それは構わない。
おっとりしたステラは敵意を向けられることに慣れてないが、私なんてしょっちゅう向けられているから、別に怖くない。
「どうして嘘をついた? ミゲルのことは好きじゃないと否定したのは、嫌がらせされたくなかったからだろう?」
気づけば隣にいたヴィクターに驚きながらも、私は肩をすくめて言った。
「親友が殺気を向けられるのを阻止したかっただけよ。私なら嫌がらせされ慣れてるし」
何を隠そう、ヴィクターとライバルになった直後は、私はかなり嫌がらせされたのだ。ある時からピタリと止んだが、たぶんそれは、私がヴィクターの恋人でなく宿敵だと分かってくれたからだろうと考えていた。
「ずっとされてたのか?」
恐ろしいほど低い声が聞こえたと思ったら、急にヴィクターに抱きしめられていた。力加減を誤っているのか痛い。
ついでに言うなら、ヴィクターとミゲルに振られたばかりの女子生徒達の悲鳴で耳も痛い。
「ちょっと離してよ!」
「嫌がらせされてるの、隠してたのか?」
私はどうにかほどこうと動いたが、耳元で囁くように尋ねられて、腰が砕けそうになった。
その声色は、魔法薬が効いて色っぽくなっている、というよりむしろ、何かに怒っている様子だったので、私はとりあえず質問に答えることにした。
「最初だけよ。数ヶ月で収まったわ。それ以降は一年間何もなかった」
「本当だな?」
「ええ」
私がそう言うと、ふとヴィクターの腕の力が緩んだ。その隙に彼の腕から逃げ出すと、彼の顔を見た。
そのエメラルドグリーンの目を見た瞬間、私は思わず息を飲んだ。
恋の浮かれた熱だけではない、仄暗い後悔と怒りの感情が揺らめいていたからだ。
彼は、切なげに微笑んでいた。それがあまりに苦しげで、しかし美しく、私は何も言えなくなっていた。
今になって、惚れ薬を被ったからといって過去の私に対するイジメを悲しんで、あるいは怒ってくれるものなのだろうか。
目の前にいるヴィクターの感情は薬によって作られたものであるはずなのに、何故かひどく私の心を揺さぶってくる。
「好きなのに、傷つけて、悪い」
ヴィクターがポツリとそう言ったその言葉は、うるさいと跳ね除けることができなかった。
偽物の感情だといくら言い聞かせても、本当に彼が言っているような、そんな気分になってしまったからだった。




