第九話
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私はアルドに連れられて、細い路地の隙間にある小さな服飾店にいた。抱えて運ばれる姿を見て意味深に微笑む店員のお姉さんは、多分あまり私が考えたくない何かについて、誤解している。だが、いちいち事情を説明するのも面倒くさいし、なかなかややこしい。私は怠惰なのだ。
「サイズもちょうど良いようですね。スカートの切り替えが可愛いでしょう?」
嬉々としてお姉さんが見繕ってくれた服の中から私が選んだのは、白地に淡いブルーの切り替えが入ったシンプルなワンピースだった。
それを着て鏡の向こうからこちらを眺めるのは、全体的に色素が薄く儚げな様子の少女である。私が手を上げれば同じように手を上げ、頬を摘んでみれば残念な顔を晒す。
元がクラゲだからなのか、私の髪は白とも銀ともつかない不思議な色をしていた。光の当たり方によってはまた違った色合いにも見え、それが何かを連想させる。自分の髪色を知らなかった訳ではないが、こうやって全体を引いて見るのは初めてだ。だから今まで気が付かなかったのか。
「なんかこれって…光り輝くイカに見えない?」
自分で自分の言葉に傷付く私は馬鹿なんだろうか。癒しを求めてそれほど広くもない店内を見回すと、ソファで退屈そうに欠伸をするアルドと目が合ったような気がした。
「ニトの髪は光り輝く真珠のようだ」
「アルド⁉︎ いや、何言って…」
「…って、シャイフィーク様が言ってたぞ」
褒め言葉など簡単に口にしなさそうなアルドの台詞に思わず狼狽えてしまったが、続く言葉に力が抜けた。どのタイミングでそんな砂を吐きそうなことを言ったのか分からないが、シャイフィークならば違和感は無い。頷きながら一人で勝手に納得している私を、アルドはじっと見ていた。
「シャイフィーク様の言葉なら素直に受け取るんだな」
「だってフィーの目は、今ちょっとおかしくなってるから。単純にそう言ってくれるのは嬉しいし」
シャイフィークは恋だ何だと自分で言ってはいるが、あれは思春期に良くある一過性のものだと、私は確信している。これまで仕事ばかりの生活だったようだし、新しい環境で出会った私をその対象だと思い込んでしまっただけだろう。それに私は昔から、一目惚れなんて信じない派だ。
「あと何着か見繕ってキルケのアルザス宛に送っておいてくれ」
私が黙って考え込んでいる内に、アルドは支払いを済ませてしまったらしい。いつか返せるだろうか。申し訳ない気持ちで見ていると、彼はそのまま一人で店を出ていってしまった。なんだかんだ言っても世話焼きの性質を見せてくれたというのに、どうしたというのだろう。
「…アルド?」
「あら、キルケの若様に縁のお嬢様でしたか」
歩ける距離は自分で歩くつもりだったから、抱えられないことは却ってありがたいと思う。だが初めて来た土地で、先に行かれるのは困るんじゃないだろうか。アルドを見失ったら、私は迷子確定だ。
「あ、あのお姉さん、ありがとうございました!」
のんびりと話しかけるお姉さんに慌ただしく挨拶をして、私はアルドの後を追いかけた。歩くスピードが遅いせいで、お姉さんが開けてくれた扉に辿り着くまでに、気まずい時間が流れてしまったが、そこはまあご愛嬌である。
「あれアルド、先行ったんじゃなかったの? なんだ、焦って損した…」
私の中の最速スピードで店を飛び出したのに、その甲斐も無くあっさりとアルドが見つかった。扉を出てすぐ左、建物の壁に凭れるようにして立っていたのだ。何か言いたいことでもあるのだろうか。アルドはこちらを見て、口を開いたり閉じたりしている。
「どうしたの?」
「オパールみたいだ」
「…何が?」
「だから、髪が……ああ、もう忘れろ!」
「オパールみたいな…あ!」
「いいから忘れろ! ほら、運ぶぞ!」
慣れない褒め方をしようとして玉砕するという中学生のような態度に、にやけ顏を抑えられない。視線が高くなったおかげか、首筋まで真っ赤に染まったアルドが私からは良く見えた。
「アルド…」
「何だよ」
「いやいやアルド」
「だから、何だ⁉︎」
何だよお前、可愛過ぎか! 私はそう言いたいのを震えながら我慢すると、気持ちを切り替えてアルドの頭にげんこつを落とした。
「いてえな!」
当然ながらアルドが不満の声を上げたが、この場所の地理に疎いクラゲを置いて行くとは何事か。不届き千万である。
「そこはそこ、これはこれ。地図も無いのに置いてかれちゃ、不安になるでしょうが!」
「…だよな。悪い」
「それと服の代金、すぐに返せるあてが思いつかないよ…。ごめんね、ありがとう」
「シャイフィーク様は返せだなんて言わねえよ。気にするな。後で直接礼をすればいい」
「うん、そうする」
来た道を少し戻って広い通りを歩いていくと、隣り合って隙間なく並んでいた家が少しずつ減っていることに気付いた。その代わりに敷地に余裕を持たせた建物が増えていく。
次の目的は、確かバア様とやらに会いに行くんだったか。シャイフィークとアルドの話を聞いた限りでは、一族の相談役としてのバア様なのか、単に血縁上のバア様なのかが分からない。色々あって聞くのを忘れていた。
「これから会いに行くのは、フィーとアルドのお祖母様なの?」
「ああ、ウラニス キルケ アルザス。人魚だから人の世界にも詳しいぞ。色んな知識に長けてるから、周りから智慧の魔女と呼ばれることもあるな」
キルケというのはアルザスの一族の中でも当主筋の者が名乗るミドルネームだそうだ。だからシャイフィークも正式には、シャイフィーク キルケ アルザスだし、アルドも直系ではあるけれど、当主の息子では無いので違うミドルネームだと言う。
「アルドも長い名前があるのか。私なんかあんまり名乗らないもんだから、名字なんて忘れちゃったよ」
「…話し相手はいなかったのか?」
「今はアルドもフィーも相手してくれるじゃない。これから体も鍛えないといけないし、ある程度動けるようになったら仕事もしたいし。楽しみだよ」
思いがけずクラゲになっていた時には迷わず神を呪ったけれど、助けてくれる友人も出来て新しい世界を知った。やっと自分の生が動きだした気がしてわくわくする。
「それより、人の世界って何? 人間ばっかりが住んでる所があるってこと?」
「ああ、陸地にな」
人間が住んでいる土地は陸の平地に集中していて、それらが各々国家を名乗り日々戦乱に明け暮れているらしい。山脈や谷間には獣人が住む国が点在していて、人の世界には不干渉を貫き、また人も獣人の世界に立ち入ることはないそうだ。
「アルドは行ったことあるの?」
「いや、そこまでの興味も無いしな。獣人ならともかく人間には関わりたくもねえ。あいつら食いもしねえのに、殺し合いばっかだ」
「…人間が嫌い?」
「いや、どうでもいい」
何の温度も含まれていない筈のその言葉は、却ってアルドの感情を波立たせているようで、さっきから抱えられた足が締め付けられて痛い。あまり不用意に聞かれたくない話なのかもしれない。私は雰囲気を変えようと話題を探した。気にはなるけれど、別に今聞かなくても良いのだ。
「アルドのミドルネームを教えてよ。さっきは言ってくれなかったし」
「ニトの記憶力に配慮してやったんだが。覚えられるか?」
口許を歪めて減らず口を叩く様子は、もういつものアルドと同じである。ほっとした私は、その憎らしい顔を摘まんで伸ばしてやったが、アルドの手にすぐ阻まれた。
「アルシャッド クァイル アルザス」
「…思わく名前が伸びたね」
「まあ、そう呼ぶのはバア様しかいねえしな。んで、ニト。覚えられたか?」
「あ、ええと…アル、アルシャッド クアイル アルザス!」
「クァイル、だ。クアイルじゃねえ」
「細かっ、アルシャッド細かっ!」
「…ばーか、当然だ」
さっきのお返しとでもいうのか、今度は私の頬を伸ばしながらアルドは楽しそうに笑った。