第46話 ロザリーとミングたちのこれから
「……あれから二ヶ月か三ヶ月か。いやはや、時の過ぎ行きは早いものだねえ」
ミングは天井を仰ぎ、遠い日々を懐かしむように目を細めた。
学園で過ごした時間が、ロザリーにはひどく昔のことのように思える。
「ミング先生は……ご存知なんですか?その、マグミスのことを……」
ミングはこくりと頷いた。
「それと、君の顛末についてもキャスリーン嬢から粗方聞いたよ」
「そう……ですの」
「ああ、あと正確には、知っているというよりは、あのフォグストという魔族の言ったことと状況証拠から導き出したと言った方が正しいね。それに、それが真実ならば色々と腑に落ちることも多いんだよ。文字の書き換えが出来るインクのことを覚えているかい、ロザリー・ローゼス・ロッソ?」
「ええ、覚えていますわ。ミング先生を陥れた憎き証拠ですもの」
「あれの製造法について誰にも話したことは無いが、その断片的なメモならば学園のボクの研究室に散らばっている。自慢じゃ無いけど、ボクは物をあまり捨てられない性質でね。ヒッヒッヒ」
ロザリーは、闇の力の訓練や勉強のために何度も通った懐かしの部屋を思い出す。
「それなりの知識と魔力があれば、その断片的なメモからでも近いものは作れる。マグミス先生……いや、マグミスの能力ならば、十分可能だろう。まあ、尤も最初からそれが目当てでボクに接触していたわけじゃあないだろうがね」
ミングの口許から笑みが僅かに薄れた。
「材料であるボクの血に関しても、ボクとの接触機会の多かったマグミスならば、そこまで難しくはない。大量に必要なわけじゃないし、紙で指を切ったとかそういう日常的な傷などの出血で壁や地面に付着したボクの血を採取すればいいわけだからね」
そこまで語ったところで、ミングはふと声の調子を落とし、探るような視線をロザリーへ向けた。
「ところでロザリー・ローゼス・ロッソ。君がマグミスの真実を知ったのは、どういう経緯があってのことなんだい?」
「それはですわね──」
あの日、マグミスから放出された闇の力を視たこと。
そのことで空き教室へ呼び出され、クラスメイトを人質に魔王の元へ連れ去られそうになったこと。
マグミスの闇の力「サーヴァント」についてのこと。
ロザリーは、マグミスについて自身が知っていることを全て二人へと話した。
「……!『サーヴァント』……そういうことでしたか」
キャスリーンは納得したように頷く。
「疲れる素振りも一切見せずに延々と走っていましたからね。道理で、追い付けなかったわけです。それに王子様を襲った何者かを追い掛けたあの時、殺気が全く無かったことも気になってました。優れた暗殺者ならば、無意識に相手を攻撃出来る者もいるのは知っていますが、狙撃でそれは流石に無理ですからねー」
「そうですね。遠くから矢を放つのであれば、どうしたってしっかり狙わないといけませんし、その状態で射ったならば、僅かでも殺気が漏れてしまうと思いますです」
元暗殺者であるテスカが、キャスリーンを補足する。
「……テスカさん、でしたよね?学園にいた時から、ただのメイドでは無いと思っていましたが……いえ、何でもありません。話が脇道に逸れましたねー」
キャスリーンは咳払いをして、話を本筋へ戻した。
「ともあれ、これで辻褄は合いました。まあ、問題はここからですけどねー」
「ああ。マグミスが黒幕だとしても、証明する手段が無い」
ミングは苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「現時点では状況証拠しかない。例のインクにしても、それだけでマグミスが製造したということを特定することは難しいし、仮に出来たとしてもそれを犯行に使用したのは別人であると主張されれば、覆す材料には乏しい。物証に関しては、何一つ残っていないに等しいからね」
「フォグストの奴が、マグミスが魔族であると認めたのは私とこのミング氏が聞いてますがー……まあ、証言としての効力は極めて低いと言わざるを得ないですねー。表向きは、私はミング氏を追跡しているという体になってはいますが……」
「実情は、お尋ね者とそれを匿う者だからねえ。ボクを庇っていると見なされても仕方無いというわけだ。ヒッヒッヒ」
「笑い事では無いですし、他人事でもないですけどねー」
キャスリーンは最早呆れることすら呆れたような顔で言った。
「せめて、あの会話の時にマギ司祭かアリーさんが居てくれたら良かったんですけどねー」
「……とまあ、これが現状さ」
ミングはそう言って、お手上げだとばかりに両手を上げた。
地下室に重い沈黙が落ちる。
と、そこへ石段を降りる足音が響いた。
片足を僅かに引き摺る、不規則な音である。
「おや、皆さんお揃いで。朝から難しい顔をされていますね」
足音の主はマギであった。
「連絡用の伝書鳩が来ましてね。その手紙を届けに来たのですが……」
キャスリーンはマギの手から手紙を受け取る。
「わざわざすみませんねー。立場上、私たちはここからあまり出られないですから。足は大丈夫ですかー?」
「ええ。アリーのお陰で傷口はもう塞がっていますので。まだ痛みは残っていますが、日常生活に支障が出る程ではありません」
「アリーさんの力は凄いのですのね」
ロザリーは感心して言った。
アリーの祈りによる「奇跡」の恩恵を、彼女自身も受けているだけに、その思いは一入である。
「ええ。やはり、あの子は聖女になるべき逸材ですよ。おっと、それよりも……」
マギは、懐から小さな筒を取り出した。
「詳しい内容までは聞こえませんでしたが、ここだけで解決するのは難しいことを話されていたのでしょう?でしたら、現状の情報だけでも、彼に報せるのは如何でしょうか。丁度、伝書鳩も来ていることですし」
「……そうですねー。隊長ならば、然るべき判断と対応をしてくれるでしょうから。というか、しないと怒りますけどねー」
キャスリーンは何処か含みのある言い方をした。
「いくら奴が周到でも、当たりを付けて調べられたら何かしらは出てくる筈さ。もしかしたら、奴自身がボロを出してくるかも知れないしね、ヒッヒッヒ」
「あとは学園側がどう動いてくれるか……ですわね」
「ん?それはどういう意味だい、ロザリー・ローゼス・ロッソ?」
ロザリーは学園長との面談で話したことを伝えた。
「……なるほど、仔細を語らず、話せないということだけ伝えたのか。それは賢明な選択だ」
「いくらワタクシが闇の力を持ってるとはいえ、ジュールと一緒に教師を襲うなんて、よくよく考えれば動機もありませんし、不自然にも程がありますわ。状況からあの場は押し通せても、冷静になればそこに違和感を抱かない程、学園長たちも間が抜けてはいない筈」
「それと、彼らに余計な情報は与えない方が良いと考えました。奴が魔族であるという情報をハッキリ伝えてしまうと、仮にマグミスを秘密裏に調べようとした際に、どうしてもそのことが動きに表れてしまいますからな」
「ええ。勘のいいマグミスですもの。それに気付いて慎重になられてしまったら、出る筈の尻尾も出なくなってしまいますわ」
ロザリーは傍らに控えるジュールへちらりと視線を送った。ジュールは何も言わず、静かに目礼を返す。
「あいつのせいで学園を去らねばならないとなった時にジュールと相談して、そうしようと決めたのですわ」
「布石を打っておいた……というわけですかー。クリフヴァルツ学園長は、元々は王国の軍師だったそうですからね。そういった意図は汲んで下さると思いますよー。勿論、過度な期待は出来ませんが」
「学園長ってそうだったんですの?知りませんでしたわ」
「色々と訳アリみたいですよー?おっと、これも脇道に逸れてますね」
「上手くいけば、王国と学園の両方からマグミスを調べることになるのか。これならば、奴とて穏やかでは無いだろうねえ。ヒッヒッヒ」
「……現状、ワタクシたちがここで出来ることはもうありませんわね。ミング先生たちはこれからどうなさりますの?」
「ボクたちは近い内にここを発つ。魔族のことがあった以上、大聖堂に王国から人が来るだろうからね」
ミングの言う通り、魔族が絡んだとなれば、王国がその調査をしにこの地へ来るのは必至。それを知った上でここに留まるのは自殺行為と言える。
「……安心して下さい。護衛騎士の名にかけて、ミング氏は私が護りきります」
静かに、だが確固たる意思を持ってそう告げるキャスリーンの姿は、紛れもなく騎士のものであった。
「ええ、お願いいたしますわ。でも、くれぐれも無茶はなさらないで」
ロザリーが心配そうに言うと、キャスリーンはふっと表情を緩める。そして、ロザリーの後ろに控えるサピオへと視線を向けた。
「心配なのは、貴女たちの方ですよー?『闇の力』と『光の力』が揃ったパーティ。どう見たってトラブルの温床じゃないですか」
「……言われてみるとそうですわね」
ロザリーはゆっくりと瞬きをした。
思い返せば、学園にいた頃から厄介事の中心にはいつも自分がいた気がする。
それは、自身の持つ闇の力が引き寄せたものだったのかも知れない。
そして、光の力を持つサピオもまた数奇な運命を辿ってここに居る。
「自覚無かったんですかー?……まあ、いいです。この変人獣人との二人旅も次で最後にさせて欲しいものです」
「ヒッヒッヒ。ボクは嫌いじゃないけどねえ?」
キャスリーンが「ほらね」と言いたげな目をロザリーへ向ける。
この中ではミングとの付き合いが長いロザリーは苦笑で返すに留める。
そんなこんなで地下室を後にしたロザリー一行。
大聖堂の石段を昇りながら、ロザリーは小さく溜息をつく。
「……そう言えば、ミング先生の討伐クエストはどうしますの?」
ミングの居場所についての情報を得るために受けたものの、実際に彼をギルドに突き出すようなことはするつもりも無く、ロザリーたちにとってはもう無用の依頼であった。
「クエストの掛け持ちは違反では無かったと思いますけれども、達成する気も無いクエストを何時までも受注したままなのは、何か落ち着きませんわ」
「ふぅむ。でしたら、『聖地サントに居ると聞いて訪れたが、見つけることは出来なかった。これ以上は、活動に差し障るので、ここでクエストを終了する』と、ギルドに報告して一先ずの区切りといたしましょうか」
ロザリーが首を傾げるのを見て、ジュールは補足するように言葉を継いだ。
「形としてはクエストの途中放棄となりますが、ギルドはそれで我々の評価を下げることは無いでしょう。受注後に状況が変わることはよくあるので、その都度クエストが達成可能か否かの見極めも冒険者としては必要な資質ですからな」
「では、そうしますわ。取り敢えず、冒険者ギルドのある街が次の目的地になりますわね。その後は……どうしましょう?」
マグミスについて気になるところはあるが、今のロザリーたちに出来ることは殆ど無い。
つまりは、当面の目標も白紙であると言えた。
何でもあり、行きたい場所へ何処でも行ける。という状況だからこそ、何処へ行けばいいのか分からないのが現状である。
「……一つ、よろしいですかね?」
背後から掛かった声に、ロザリーたちは石段の途中で足を止めて振り返る。
そこには、マギの姿があった。
会話に夢中で、彼が昇ってきていることに気付かなかったようだ。
「失礼ながら、話を聞かせて頂きました。どうやら、行き先に困っているようですね?」
柔和な笑みを浮かべたまま、マギが問い掛ける。
図星を突かれたロザリーは、小さく肩を竦めた。
「ええ。元々、当てもない旅でしたけれども、それにしても選択肢が多過ぎると思っていたところですわ」
「では、ゴトサイドを訪ねると良いでしょう」
「ゴトサイド?」
聞き慣れない地名に、ロザリーは首を傾げる。
「ゴトサイドは、この世界で初めて勇者が生まれたとされる町です。私に取り憑いた魔族を倒したという光の力について、そこならばきっと多くの学びがあるかと思います」
そう言うとマギは、視線をそっとサピオへ向けた。
昨日の地下で、取り憑いた魔族を打ち払ったのは、他ならぬ彼の光の力である。
その眼差しには、感謝と、それ以上の期待が籠もっていた。
「勇者が……生まれた町……」
サピオは噛み締めるように呟くと、拳をぎゅっと握り、力強く頷く。
「僕、そのゴトサイドに行ってみたい!」
「サピオ……」
普段は何処か控え目のサピオが、珍しく自らの意思を口にしていた。
その声には、これまでに無かった力強さを感じる。
サピオなりに光の力と向き合いたいのだろうと、ロザリーは思った。
「分かりましたわ。では、まずギルドで報告、その後ゴトサイドへ行きましょう!」
「有難う、ロザリーお姉ちゃん!」
キラキラと宝石のように輝いた目でサピオはロザリーを見つめる。
(〜〜〜〜!!こういうところ、やっぱり破壊力高いですわね、サピオ)
周囲の薄暗さから、紅潮した顔が見られなくて良かったとロザリーは思った。
「……どうやら、貴女たちの旅の助けになったようで幸いです。地図をお貸し頂けますでしょうか?」
「ええ」
ロザリーはジュールから受け取った地図をマギへ手渡した。
広げた地図に視線を落とし、指先で山々の稜線をなぞっていくマギ。その手つきは、地図を読み慣れた者のそれであった。
「……では、こちらに後でゴトサイドの町の場所に印を付けて返しますね」
「有難うございますわ」
ロザリーたちは軽く頭を下げると、再び石段を昇り始める。
地上に近付くと同時に、大聖堂の鐘の音が微かに聞こえたような気がした。
──二時間後
聖地サントの停留所には、既に移動馬車が停まっていた。
朝の澄んだ空気の中、馬たちが白い息を吐きながら蹄で石畳を軽く鳴らしている。御者が手綱を整える傍らでロザリーは、ふと荷を積み込む手を止めて振り返った。
朝日を浴びて白く輝く大聖堂。幾つもの尖塔が空へ伸び、鐘楼からは今し方鳴り終えた鐘の余韻が、まだ微かに尾を引いている。
(……ここでの滞在はたった一日でしたけれども、振り返ると色々ありましたわね。アリーさんとの出会い、学園の皆やキャス……キャスリーンさん、それとミング先生との再会、そしてフォグストという魔族との戦い)
小さく息を吐くロザリー。
マギから印を付けて貰った地図を開き、次の行き先を改めて確認する。
(学園の皆に何も言わず去るのは心苦しいですわ。でも、それがお互いにとって良いことなのですわよね?)
自分に言い聞かせるように頷くと、馬車へ足を向けた。
その時であった。
「ロザリーさーん!」
澄んだ声が、朝の静けさを破って響き渡った。
振り向けば、向こうからアリーが髪を振り乱して駆けて来る。
そしてその後ろには──。
「もう、ロザリー!また勝手に行こうとするー!」
「ったく、水臭いんだよ!」
「……今回ばかりはダイルさんに同意ですね」
ミシェル、ダイル、グレアー。
ガーデンドール学園の三人が、息を切らして並んでいた。
どうやら随分と走って来たらしい。それでも三人揃って、真っ直ぐにロザリーを睨みつけていた。
(……皆さん)
ロザリーは困ったような、それでいて何処か嬉しそうな顔で、親友たちを見つめた。




