影
掠夜の話が終わるとほぼ同時に,応接間のドアが開かれた。
「そんな事もあるんだな。」
そう言って入ってきたのは声楽家の醒。空いているソファーにどっかりと座り,いつものように皮のアタッシュケースを足元に置いた。
「廊下で立ち聞きとは。」
「話の腰を折りたくなかっただけだ。ワイン。」
グラスとワインボトルがまた空を滑るようにして醒の前に行き,ワインを注いだ。
「これ,新しいやつだな。」
「この間お金を貰ったからね。」
「そうだったな。あんたが玻紅璃だな。掠夜をかわすなんて,いい勘しているな。ま,以後よろしく。それから。」
醒は葵に向かってグラスを掲げた。
「ようこそ。俺は醒。一応名の知れた声楽家だ。」
「初めまして。僕はチェリストの葵です。よろしくお願いします。」
陰をおおった様子の薄い様を,醒は驚き顔で見る。
「どうしたんですか?」
自分が不興を買ったのかと,少し不安そうに醒を見る。その横で玲がクスクスと笑い出した。
「まったく。醒,葵は礼儀正しいのよ。」
「けど,白に近い感じじゃねーか。」
「いつも黒を纏っているのは,ひよっこって事でしょ。彼の能力は熟練したものよ。だから,醒だって仲間に入れたかったんでしょ。」
「まぁ,そうだがな。」
醒も葵の力量を見抜いていたからこそ欲しがっていたのだが,実際対面すると物足りなく感じたのだ。
「いいじゃない。ここにいるってことは,本物なんだから。」
そう言って美濃天狗をスッと飲み干す。
「今度は何がいいかい?」
すかさず聞いてくる掠夜をチラリと見て,それから玻紅璃を見た。
「玻紅璃ちゃん,貴女は何がよろしくて?」
「私ですか?えっと…八海山がいいです。」
「掠夜,お願いね。」
玲が人を気にして注文するのを珍しく思いつつも,掠夜は手を一振りする。すると,すーっと2人の前にガラス製の徳利が現れた。
「ありがとう。」
「ありがとうございます。あの,今更って感じなんですけど,聞いてもいいですか?」
遠慮がちに言う玻紅璃に視線が集り,その主が全員うなずく。
「仲間になろうって言われたけれど,何か大事でも起こすんですか?」
「あ,確かに。」
葵の呟きから少し間があったのち,玲が笑い出した。
「あはははは。なんだか分からないのに手を取ったの?」
醒は鼻で笑う。
「少しは察して入ったのかと思いきや。掠夜,話してやれよ。」
掠夜は呆れた表情を浮かべて肩をすくめたが,玻紅璃と葵にじっと見られ,口を開いた。
「大事をするにはメンバーが少ないからまだしないよ。するかどうかも,微妙だけどね。とりあえず今のところは,自分の手柄とかを話すくらいだ。誰にも話せないと,つまらないからね。」
「なるほどぉ〜。確かにこの事は誰にも言えないから,なーんかスッキリしないんですよね。ふふ,入って良かったです。」
玻紅璃はにっこり笑って言う。逆に葵はホッとしたようにため息をついた。
「あら,どうしたのよ?」
「あ,いや。僕の力を使って何かしろって言われたらどうしようかと思っていたので。」
「ふふ,可愛いわね,まったく。私たちはそんな事をしなくてよ。」
「ああ。俺たちに上下はないからな。一応掠夜がトップって事にしているが,命令するようなことはない。俺たちはあくまでも対等だ。」
「そういう事だ。安心したかい?」
掠夜が葵にワインボトルを傾けると,葵はホッとした表情を浮かべてグラスを持った。
「ええ。すいません,くだらないことを。」
「そんなことはないさ。俺たちは全員陰を持つからね。何かしら構えてしまうのは当然だ。まぁ,安心しておいで。」
葵に注ぎ,醒にも注ぐ。
真っ赤なワインを。
注がれる様子を見て,玻紅璃は少し悲しい表情を浮かべながら掠夜を見た。視線に気付いた掠夜は玻紅璃の横に座って頭を撫でるが,玻紅璃は何も言わずにお酒を口にした。
夜も更け,終電間際になった頃,洋館の主以外は席を立った。
「そろそろ帰ります。」
「醒,今度カクテルドレス買うから,またお願いしていい?」
別れ際に玲がおねだりし,醒は苦笑しながらもうなずいた。その様子を見た葵と玻紅璃は首をかしげる。
「醒はよくお金を持って来てくれるのよ。もちろん,声を生かして頂いてくるんだけどね。」
「なるほど。」
「お前たちも欲しいものあったら言っていいぞ。これくらい安いもんだ。」
一緒に話しているとさほど感じないのだが,このように言われると,改めて醒が1番の年長である事を感じた。1番年少の玻紅璃は年の離れた兄に懐くように,喜んでお願いをしていた。それを見た葵は,真似できない,というふうにため息をつく。
「言ったっていいのよ。まぁ,人それぞれだけどね。じゃあまたね,掠夜。」
「ああ,気を付けて帰れよ。」
それぞれ挨拶をして,洋館をあとにした。