第17話 袋を変える代金
正しさは、やはり無料ではない。
袋一枚にも、麻と糸と手間が要る。
公開計量の翌日、レオンは職人区へ出た。
領主館の会議へ呼ぶのではなく、自分から工房を回った。エレナも同行したが、質問するのは兄に任せた。
「一度に何枚なら、収穫仕事を止めずに縫えますか」
「麻糸はいつ届く」
「古い袋を捨てたら、誰がいちばん困る」
レオンは一人ずつ聞いた。同じ質問でも、答えは違った。
袋職人は、冬なら縫えると言った。今は農家から補修の注文が集中している。
工房の壁には、裂けた袋が順番を待っていた。新しい麻布より、古い布の方が色が濃い。繕い跡を切り捨てれば早いが、職人は一枚ずつ糸をほどき、まだ使える部分を残している。
「新袋一枚で、補修なら何枚できますか」
レオンが訊く。
「傷次第だが、四枚。糸だけならもっとだ」
「今年、新袋を優先したら?」
「破れた袋を畑へ持っていく家が出る。運ぶ途中で落とすぞ」
エレナは、全面交換の費用だけでなく、後回しになる補修の損失も帳面へ足した。こうした表に出にくい負担を命令前に拾うため、公開計量の翌日の日程を空けていたのだ。
荷運び人は、背負うなら細長い袋がよいと言った。
粉挽きは、口の広い袋でなければ石臼から受けにくいと譲らなかった。
農家は、新袋の代金より、古い袋を空にして移し替える日の方が惜しいと言った。
エレナは答えを帳面へ写した。
即時全面交換の欄には、最初から二つの条件を書いていた。
収穫を遅らせないこと。
使える袋を無駄にしないこと。
どちらも満たせない。
彼女はその案へ一本の線を引いた。
「残念?」
帰り道でレオンが訊いた。
「最も早い案ではあったわ」
「早く決めることと、早く根づくことは違う」
兄は職人区を振り返った。
「人は負けた制度を守らない。あの人たちが、仕事を奪われたと思う形では続かないよ」
「なら、袋の形を一つにするのをやめる」
「目的は?」
「一袋と言われた時、中身の量を誰でも確かめられること」
「それなら、まだ作れる」
*
ニコが作ったのは、袋ではなかった。
底と四方だけの、頑丈な木枠だった。
「ここまで入れれば、同じ量です。袋の方を木枠に合わせるんじゃなく、袋に入っている量を木枠で読む」
彼は倉前へ木枠を置き、昨日の古袋から麦を移した。
一枠、二枠。最後に半端が残る。
ソフィが数を受領証へ書く。
「北村の大袋は二枠分なので青印。川沿いの袋は一枠半なので黄印。容量ごとに色で見分ければ、受領のたびに最初から量らなくて済みます」
袋職人が木枠を持ち上げ、角を確かめた。
「木は乾けば縮む」
「倉の基準枠と市場の枠を、月に一度重ねます」
ニコは即座に答えた。
「狂ったら削るんじゃなく、作り直す。直した跡で容量が変わるから」
それはニコの勝ちだった。
木と水と摩耗を知る者にしか出せない条件だった。
次の会議には、職人たちも農家も座った。
領主館の長机では席順で身分が決まるため、クラリッサが食堂ではなく倉前の作業台を選んだ。立つ者も座る者も、同じ紙を上から覗ける。
「全部を領主家が払えば早いのでは?」
アルベルトが言う。
クラリッサは冬の帳簿を開いた。
「払えば、橋の石代か、来春の種の貸付を削ることになります」
「では農家へ」
「返済を一年延ばした直後です」
資金を出す場所を変えても、負担そのものは消えない。
エレナは一つの完成案を置かず、役割の空欄がある紙を広げた。
古い袋は捨てない。実容量を測り、色印をつけて三年間使う。
印を押すのは、職人とソフィの二人が立ち会う検査日だけ。印章は職人組合が保管し、色ごとの換算表は倉、市場、水車小屋に一枚ずつ置く。
受領時には色だけで決めず、破れや伸びが大きい袋を木枠で再検査する。毎月、ニコが二つの基準枠を重ね、角と高さが一致するか確かめる。
「面倒は残るな」
トマが言った。
「残ります」
エレナは認めた。
「三年の間は、新旧を一緒に扱う分だけ仕事が増えます。だから検査日と換算を書く人手を、領主家から出します」
「いつまでか、紙に書くか」
「三年目の収穫後に旧袋の受け入れを終える。その半年前に、残っている枚数を村ごとに知らせます」
終わりのない仮制度にしない。
移行の負担だけでなく、終了条件も全員の前に置いた。
新しく作る袋には、用途ごとの共通型紙を無償で渡す。荷運び用と粉挽き用で形は変えてよいが、基準枠何杯分かは同じにする。
領主家は初年度に必要な分を発注する。
ルカは王都販売用の袋を一定数買い取る。
検査の日程は、トマと職人たちが収穫の空く日を選ぶ。
「三年も?」
アルベルトが眉を上げる。
エレナより先に、ルカが答えた。
「一年で揃える費用を払えないなら、三年で信用を買う方が安い。旧袋の換算が帳面で追えるなら、私は今年から取引できます」
ユゴーは受領証の見本を長く見ていた。
「粉挽き料や運び賃の取り分も、ここへ書くのか」
「はい。量だけでなく、何のために差し引いたかを」
「昔からの取り分まで、泥棒のように疑われる」
「疑わなくて済むように書きます。受け取る理由と量が残れば、次の担当者も同じ仕事ができます」
ユゴーは口を結んだ。
やがて羽根ペンを取り、自分の取り分の名称を余白へ書いた。
拒まなかったことが、彼の答えだった。
制度は、エレナの紙から始まった。
けれど検査日はトマが決め、色印は袋職人が選び、木枠はニコが守り、買い取り条件はルカが書き足した。
誰か一人が勝った形ではなかった。
だから、全員が自分の仕事として持ち帰った。
*
新旧の袋が混ざる最初の収穫日。
倉の机で、ソフィは前年の帳面と今年の受領証を重ねていた。
彼女の指が、同じ欄を二度なぞった。
「お嬢様」
声に驚きより、確信があった。
「減っています」
エレナは積み上がった袋を見た。
収穫ではない。
失くした麦の方が、減っていた。




