知覚
暗い昏い、闇の底。
深い不快、心の奥。
絶望と呼ぶには赤く、嘆きと呼ぶには熱く。
だからきっと、こう呼ぶべきだろう。
『トラウマ』
その夢に触れるたびに、俺は苦しみ痛んだ。
その男に近づくたびに悲鳴を上げ、衰弱した。
その正体は、俺の過去。
だからこそ、今回は、俺自らの意思でここに来た。
そいつと会う、トラウマの夢に。
「悪いな、だいぶ遅くなっちまった」
笑いながら、そいつに声をかける。
今日まで俺は、多くのものに感謝し生きてきた。
特に、ぴよこ。
記憶喪失で空っぽだった俺がアラハバキに入れたのは……いや、人らしく生きられているのは、あいつのおかげだ。
けれど、それと同じくらい迷惑をかけてしまい、同時に感謝すべき相手がここに一人。
「全部、押し付けてしまったんだよな。俺が……」
辛い過去、苦しい気持ち。
そういうものが一切俺の中になかったのは、すべてをそいつに押し付けていたから。
その相手こそが、目の前にいる男。
つまり……。
「あんたは、『もう一人の俺』だったんだな」
男からの返事はない。
ただ、そこにいるだけ。
「どうすれば良いか考えたんだ。ない頭を絞ってな。けど、わからなかった。だから悪いんだが、ちょっと付き合ってくれよ」
そう言って俺は、意識を整える。
【この身は意思を貫く剣である】
俺は剣士の心得を、そのようなものだと解釈する。
人それぞれ皆剣であり、その形、在りようは異なる。
ゆえに、ここが夢ならば現れるはずなのだ。
自分という、剣が。
気づけば、俺の左手は刀を握って――。
「って、これ木刀じゃねーか」
何故か知らないが、中学の頃使っていた量産品の安物の木刀を俺は持っていた。
イメージは、あやねぇが持っているかっこいいカムイを想像していたのに。
「ま、へっぽこな俺らしくはあるか」
なんか気恥ずかしくて後頭部を掻き、ちらっと男の様子を伺う。
男は俺をあざ笑うことはなく、それどころか俺と同じように、木刀を片手に携えていた。
「あ、やっぱりこれで正解だったか。そうだよな」
そう……男の子なんてのは基本的に馬鹿なのだ。
難しい理屈をこねくり回して議論なんてするより、好きなものを振り回していた方が、よほど分かり合える。
「というわけで、殴り合おうぜ兄弟。俺はもう大丈夫だって、あんたに伝えてやるよ」
俺の言葉に合わせ、男は刀を構える。
見覚えはないけど、知っている。
そんな不思議な構えだった。
正面から、木刀と木刀がぶつかり合い、かつんかつんと小気味良い音が響く。
俺の記憶にはない。
けれど、身体が覚えているのだろう。
この木を叩くような音は、妙に心が安らぐ。
手に伝わる衝撃も、強すぎず、弱すぎず。
追い詰められるほどでもなく、
かといって、気が緩むほどでもなく適度な緊張感も残って。
そりゃそうか。
相手も『俺』なのだから。
足を止め、殴るように刀を振るい、俺は気づく。
これは、戦いじゃない。
技術も何もなく、倒す気もなく、ただ木刀をぶつけ合うだけ。
つまり……これはただのちゃんばらごっこだ。
それに気づくと、思わず笑ってしまいそうになる。
結局のところ、俺はその程度に過ぎない。
誰かのためになりたいなんて恰好つけている癖に、その本質は刀をぶんぶんしていたら満足な、ただのガキだった。
木刀が、より激しくぶつかり合う。
このくらいなら大丈夫。
いや、もっといける。
そうだな、もっといこう。
もっと、もっとだ。もっと全力で。
良いね。全力でいこう。
ただ木刀をぶつけ合っているだけだというのに、まるで会話しているような気分になってくる。
剣戟が、加速する。
こんなものは所詮夢なのだと言わんばかりに、現実ではありえない程に。
構えから切り払いの動作まで一秒を斬り、突きは一瞬で二発放ち。
これは夢だからと好き放題自分を盛って、気づけば俺たちの斬撃は視界に映らぬ速度となり、木を叩くような音だけが無数に響き続けた。
俺たちの間に差はない。
だから、この結果は当然のことだろう。
カツンという音と共に、木刀が揃って砕け散った。
小気味よい音が消え、静寂に変わる。
なんとも言えない寂しさが胸に広がった。
もっとやっていたかった。
もっと盛り上がりたかった。
もっと、もっと、もっと――。
直後――ガツンとした衝撃が頬に伝わり、俺は地面にダイブする。
崩れ、見上げたながら頬の痛みを覚える。
それで、横っ面をぶん殴られたのだと理解した。
そいつは拳を突き出したポーズのまま手を開き、くいっくいっと手招きで俺を挑発する。
あまりに楽しくて、つい笑みが零れてしまった。
立ち上がりながら拳を構え、全力でその横っ面をぶん殴る。
わざと受けることはわかっていた。
俺が同じ立場なら、絶対にそうする。
一度殴ったから、これであいこだろと。
そいつは殴られた頬が出血してないか確認するよう指ででこすり、拳を構える。
俺も構えを取り、第二ラウンドが開始された。
殴る。
殴る。
ぶん殴る。
戦略や戦術はない。
技術や知識さえも使わない。
ただノーガードで頭を空っぽにして、殴るだけ。
それが無性に気持ちよかった。
そう、これで良い。
俺自身が刀であるのなら、わざわざ刀を持つ必要などなかったのだ。
殴り拳が肉に埋もれる感覚と、殴られきしむ肉体。
それは喝采であり歓喜。
これこそが我らの剣戟。
血が熱くたぎる。
それは、限りなく単純な感情。
相手が自分だからこそ憎しみはなく、ただ純粋に願える。
勝ちたい。
俺はこいつに、負けたくないと。
お互いノーガードで殴り合い……そして、ようやく俺は、男の顔を識別できた。
今までどれだけ見ても認識出来なかった、謎の男。
そいつは想像通り、俺と同じ顔をしていた。
「良かった……やっと、この時が来た」
目の前にいる『俺』がそう口にする。
その声を聴くと、何故かゾワリとした恐怖が俺に広がった。
びくっと身体を震わせ、距離を取る。
目の前のそいつは微笑を浮かべたままとなっていた。
悪意も敵意も見えない。
むしろ、親愛や慈しみといった慈愛が宿っているくらいだ。
それなのに、俺の恐怖は加速していく。
違和感。
そう、違和感だ。
なにか……何か大切なものを見落としているような、そんな不安が胸でもやもやと広がる。
直後……男の姿が、一瞬薄れ、ぼやけた。
まるで古いテレビのように。
「……そうか。まだ、駄目か」
男は呟き、目を伏せる。
その仕草で、違和感の正体を理解した。
「お前……誰だ?」
男を警戒しながら、俺は問う。
俺はこいつが、夢に見た存在は『俺の過去』だと確信していた。
けれど、違う。
記憶があるなしとかそういう話じゃない。
目の前に見える、こいつは俺と違う。
確かに、俺と同じ顔もって、同じ声をしている。
なのに、仕草や雰囲気がまるで別物。
記憶があるなし関係ない。
こいつは、俺と違う。
「……悪い。話したいけれど、もう限界みたいだ。俺も、ここも……」
「何の話だ? それに、どうしてそんな遠くにいる?」
何故か離れたそいつに尋ねる。
それだけじゃない。
男との物理的は、徐々に、だけど確かに広がりつつあった。
「待て! まだ行くな! お前は誰なんだ!?」
「……それを知るのが、あんたのやるべきことだ。その時に、もう一度会おう。……信じてるよ。あんたなら、大丈夫だって」
「一体何の話をしている!? お前はいったい俺の何なんだ!? どうして俺の中にいる!?」
その返事はない。
もう、姿も見えなくなっていた。
そして、主を失ったからか世界が崩れはじめた。
『大丈夫。時間はあるから。――嫌というほどに』
空から、そいつの声が。
そして俺は、世界と共に消滅した――。
【始まりの朝】
早朝の目覚めは、心地よい日差しによりもたらされた。
珍しく、静かで穏やかな目覚め。
どうやらぴよこが来る前に目覚めたらしい。
そう思い窓を見て――ある事実に気づき、ゾワリとした恐怖を覚える。
――何故、俺はぴよこが窓から来ると知っている!?
慌てて、俺は窓の鍵を外す。
その直後だった。
窓が開けられたのは。
「おはようござい……あれっ? いーくん起きてる? ちぇっ。寝顔見損ねた……あっ、ううん。なんでもないよ」
そう言ってぴよこは笑う。
いつもの、たわいない会話。
だが、今の俺にそんな余裕はなかった。
「なあぴよこ。今日って……何の日だ?」
「何って……今日『アラハバキの入学式』じゃん。どしたの? 緊張して眠れなかった?」
「いや……そう……だよな。ああ……」
正直、頭の中が混乱している。
俺の中には、その記憶が確かに残っている。
数か月程度だが、アラハバキで生活した記憶が。
それなのに、俺は目覚めてすぐ、今の時間が『入学式の朝』だと確信していた。
それが当然のことで、これが始まりであると。
俺の体感では、入学式の朝は二度目である。
けれど……確かに、この身体が訴えていた。
もう何度も、この日を繰り返していると。
『嫌というほどに』
あいつの言葉が、脳裏に過る。
その言葉の本当の意味を、俺は理解した。
ありがとうございました。
申し訳ないですがこれで一旦終わりとさせていただきます。
全力を出したつもりですが力及ばずで情けない結果に終わったことを申し訳なく思います。
人気が出れば(犬のようにかけずりまわって涎垂らしながら)喜んで続編を書きますので楽しんでいただけたならリアクションなりブクマなりのほどをぜひともよろしくお願い申し上げます。




