(9)
8月は第9話から13話まで投稿予定です。14話からはおそらく9月以降になると思いますが、準備が出来しだいアップしていきます。
分厚い封筒を二つ胸に抱いて戦闘科舎の階段をのぼったフィデルマンは、ソンリッサとシュタルクが戦闘科長室から出てくるのを目にした。二人は肩を並べてフィデルマンとは反対のほうへ歩いていく。帰還したばかりのはずだが、さすがに班長だけあって二人とも疲労の影はないなとフィデルマンが感心していると、シュタルクがソンリッサの肩を抱き寄せ、こめかみに軽く口づけた。ソンリッサはくすぐったそうにしながらも照れることなく笑顔で話している。
交際を始めたのはたしか二人が一年生のときだったから、もう三年か。恋した相手が同じ種族でうらやましいと思いながら、フィデルマンは戦闘科長室の扉をたたいて入室した。
「初戦闘は無事に終了したようですね」
大机で書類に署名していたオペラツィオーネは、手をとめてフィデルマンを見た。
「無事どころか、すばらしいの一言につきるわ」
オストレアとカシェの活躍を聞き、フィデルマンも感嘆の息をついた。
「カエルラ・マールムは本当にいい人材を引っ張りましたね」
これからしっかり働いてもらいましょうと微笑むフィデルマンに、「そうね」とオペラツィオーネもうなずいた。
「それにしても、タキュスの直感には驚かされるわ」
モラの知り合いでもあるというので、オペラツィオーネは試しにタキュスに行かせたのだが、オストレアの歌力量までは伝えていなかった。にもかかわらず、タキュスはオストレアを一目見るなり迷わず乗せてきたという。そしてオストレアと対面したオペラツィオーネは、ソンリッサたちの憶測と同じことを感じたらしい。
総母は一学年に一人いるかいないかだが、メソス・スコラに入学せず集落にとどまる者を加えれば、もう少しいるだろう。そして総母の子も多くはないものの、それなりにいる。実際、オペラツィオーネも総母を母にもち、現役の頃はその美貌と剣技で名を馳せたのだ。
「半魚族となると、周囲への影響は計り知れませんね」
「あの子が本気を出せば、メソス・スコラを支配できるわよ」
ふふっと笑い、オペラツィオーネはフィデルマンのかかえている封筒へ視線を投げた。
「一つは私宛ね。処分してちょうだい」
「承知しました」
「あなたは見ないの?」
「興味ないので……本当に、示し合わせたように送ってきますね」
実は親同士通じているんじゃないでしょうかとフィデルマンが肩をすくめると、オペラツィオーネも小さく苦笑いを漏らした。
さっそく焼却しますときびすを返したフィデルマンを、オペラツィオーネが呼びとめた。
「その気になったら、いつでも言ってちょうだい」
寛大で執着がなさそうな態度のわりに視線をそらしている戦闘科長に、フィデルマンは灰青色の双眸を細めた。
「……たとえここを追い出されても、私の気持ちが変わることはありません」
きっぱりと断言し、フィデルマンは返事を待たず退室した。
翌朝、自分の部屋でオストレアは目を覚ました。起き上がろうとするだけで体のあちこちがきしんで痛い。のろのろと着替えを済ませて部屋を出ると、ちょうどモラが迎えにきた。聞けば、昨日オストレアとカシェは二人とも夕食を取ることなく眠り続けたという。
初めて戦闘に出た日はみんなそうなるとモラは笑い、カシェはマスィーフが、オストレアはタキュスがそれぞれ部屋まで運んだと教えてくれた。その際、タキュスは一人で行かずにモラを付き添わせたらしい。エグルやレッジェロにからかわれるのを防ぐためでもあったが、先にモラを入らせて自分に見られるとまずいものがないか確認させたと知り、オストレアは驚嘆した。入学初日に品のない暴言を吐いた人とは思えない配慮だ。
「あんなに乗るのを嫌がってたのに、まさかタキュスの背中で爆睡するなんて」
すごく気持ちよさそうに寝てたよとモラにからかわれ、オストレアは赤面した。
「昨日は私が落ちないよう、最初から走り方に注意してくれたみたい。けっこう優しいところがあるってわかったら、なんか気が緩んじゃって」
それでも、メソス・スコラに着いても起きなかったのはさすがにまずかったかなと、食堂へ向かいながらオストレアは反省した。ずっと動き回っていたカシェと違い、自分は基本的にほぼタキュスに乗っていたので、体力の消費量が違うと言われれば反論できない。
後でお礼をと考えていると、食堂の入口でレッジェロに会った。
「昨日はお疲れさん。もうすっかり回復したか?」
「レッジェロ先輩、お疲れ様でした。よく眠ったので元気ですよ」
関係が良好なものに変わった相手ににこりとする。そのまま三人で料理が並べられている場所に行って選んでいたとき、「あのさ」とレッジェロがためらいがちに言った。
「あー……その……」
レッジェロがちらちらモラを見たため、モラが苦笑した。
「はいはい、何かわからないけどお邪魔のようね」
ぱぱっと自分の分を盆に乗せ、ごゆっくりと冗談めかしてモラが離れていく。二人だけになり、オストレアは首をかしげた。そんなに口にしにくい内容なのだろうかと少し緊張していると、レッジェロが頬を赤らめてうつむいた。
「お、俺も……兄さんって、呼んでもらえたらなって……」
たとえばレジ―とか、とだんだん声が小さくなっていく。まさかの頼みごとに目をしばたたき、オストレアが口を開きかけた刹那、背後からレッジェロの首に誰かが腕を引っかけた。
「兄さん呼びはお前にはまだ早いんじゃないか?」
びくっと肩をはね上げたレッジェロに、エグルが顔を寄せてにんまりする。
「兄さんらしいこと何にもしてないよねえ」
「うぐっ……そ、それは、これからの俺を見てもらえればっ」
エグルに指摘されて必死のさまのレッジェロに、オストレアは吹き出した。
「そんなことないですよ。昨日レジ―兄さんは助けてくれました」
レッジェロが瞠目する。えー、とつまらなそうなエグルを払いのけ、「そうだよなっ」とレッジェロは勢いを取り戻した。
「オストレア、順応しすぎだよ。こいつは甘やかすとすぐ調子に乗るから」
「でも、レジ―兄さんと話すのは楽しいわ」
「オストレア!」
感極まった様子で抱き着こうとしたレッジェロの前にエグルが立ちはだかった。
「いいや、だめだ。長兄として許すわけにはいかない」
「なんでエグルの許可がいるんだよ?」
「オストレアはうちの班の子だからだ」
そしてエグルはレッジェロの後方を見やり、口角を上げた。
「ほら、タキュスお兄ちゃんも来たぞー」
「その呼び方はやめろ」
タキュスが露骨に嫌そうな面持ちでエグルをにらむ。
「あの、タキュス。昨日はいろいろありがとう」
最後までお世話になっちゃってごめんなさいと頭を下げたオストレアに、「ああ」と短く答え、タキュスは手早く料理の皿を取っていく。最後の一品を探しているのか視線をさまよわせたタキュスに、「あそこにあるよ」とオストレアは指さした。
今日は配置が変わってるよねと言うと、タキュスが軽く目をみはった。
「あれ? 違った?」
あの果物だけは毎朝必ず食べているので、好物なのかと思っていた。
タキュスは沈黙している。エグルとレッジェロからも凝視され、微妙な空気をいぶかったオストレアははっと気づいた。
「あっ、別に深い意味は――」
「へえー、オストレアってタキュスの好みをよくわかってるんだねえ」
阻止失敗。今日の獲物はお前だとばかりににまにまするエグルに、オストレアは後ずさった。
「だって、毎日同じものを食べていたら目につくじゃない。タキュスだけを観察してるわけじゃないわ」
「そう? じゃあ、俺がいつも選んでいるのはどれ?」
エグルにずいっと詰め寄られる。他の女の子なら嬉しさに悲鳴を上げそうな至近距離だが、オストレアにとっては恐怖だ。
「エグル兄さんは……あの肉がある日はいつもおかわりしてる」
慌てて見回したおかずの中から、ぱっと一つを見つけて指し示す。朝から食べると胃に負担がかかりそうな辛さなので、自分は苦手なものだ。
オストレアの回答に今度はエグルが目を丸くし、顔をほころばせた。
「正解。なんだ、タキュスが特別だったわけじゃないのか」
「さっきからそう言ってるわ」
内心ドキドキしているのを懸命に抑え、オストレアは得意げに見えるようにふんぞり返ったが、なぜかタキュスは眉間にしわを寄せていた。
「それとも、俺もオストレアにとって特別なのかな?」
今度は甘い口調でささやかれ、耳がぞくりとした。
「カエルラ・マールムみんなが私にとって大切な存在よ」
エグルを見習って博愛主義的な姿勢で立ち向かうと、エグルがますます面白そうに目を細めた。
「なんて清らかなんだ。よこしまな心に刺さるな、タキュス?」
「白々しいやり取りに俺を巻き込むな」
タキュスが苦々しげに舌打ちし、オストレアの示した果物を取って仲間のもとへ行く。
「オストレア、俺はこれが好きだから覚えといて」
「あ、これ、私も好き」
「おー、気が合うなっ」
不機嫌になったタキュスを気にしつつオストレアがレッジェロと盛り上がっていると、「それはそうと」とエグルが呼びかけた。
「オストレア、作品展の結果はもう聞いたかい?」
「ううん、まだ。今日の昼休憩にでも見に行こうかなって思ってて」
「君を描いた絵が最優秀賞だそうだよ」
「え、じゃあブジャルドが一位?」
ブジャルドは本当に宣言どおりのことをやってのけたのか。本人はここにいないがすごいと拍手したオストレアに、エグルが真顔になった。
「これからしばらくは、周りに気をつけるんだよ」
騒がしくなるだろうからと言うエグルはいつになく心配そうで、オストレアは一抹の不安を覚えつつ、カエルラ・マールムの仲間たちが待つ食卓へ向かった。
エグルの警告を、オストレアはすぐに身をもって体感することとなった。廊下を歩くだけで痛いほど視線が集まり、しつこく追ってくる。居心地が悪いという言葉では片付けられないほどだ。
原因は二つ。一つはブジャルドの描いた絵が話題になっていること。そしてもう一つは、タキュスに乗る半魚が自分だと知れ渡ったせいだ。
それでも昼休憩時、カシェと一緒に絵を観たオストレアは、あまりにもすばらしすぎる出来栄えに言葉を失った。これは誰だと思わずつぶやいたオストレアに、隣のカシェが吹き出した。
「どう見てもオストレアだよ」
「でも私、こんなに色気のある美人じゃないわ」
実際、周囲からも「あれが本物?」「誇張しすぎじゃない?」というささやきがちらほら漏れている。
「そうかな? 君の雰囲気がよく出てると思うけど」
憩いの噴水池の縁に腰かけた半魚姿のオストレアが水をすくっている構図なのだが、そのしぐささえ蠱惑的なのは、瞳のせいかもしれない。
口元は微笑みの形をつくっているものの、銀色の瞳は深い悲しみを奥に秘め、水を見ているようで実はどこか遠くへ想いを馳せているのが伝わってくる。主題が『輝いている異性』だったため、他の生徒の描いた絵は明るくきらきらしているか、溌剌とした印象のものが多く、哀愁漂うブジャルドの絵はある意味異質だ。それなのになぜかまぶしい。
「歌ってるときの君に近い吸引力だよ。本当に見事だね」
次席は昨年最優秀賞だったフリュールだった。彼が描いたジェローシアも圧倒的な存在感に満ち満ちた強い『輝き』を放っていたが、並べてみるとよくわかる。ブジャルドの絵からは、対象の魅力をあますところなく表現しようという意欲がはっきりにじんでいた。
笑顔が似合うと言いながら弾けるように笑う自分を描かず、長年ごまかしてきた重い気鬱を暴いたブジャルドの感性には、尊敬と畏怖の念をいだかずにいられない。できれば見て見ぬふりをしてほしかったという気持ちはあるが、ブジャルドの絵に嗜虐や揶揄の気配はなく、むしろ好意があふれていたので、オストレアも素直に受けとめることができた。
「カシェ! オストレア!」
呼びかけにふり向くと、ファルベが手を振って駆けてきた。互いに一仕事終えたので、お疲れ様とねぎらう。
「ブジャルドの絵、すごく素敵でしょ?」
同学年とは思えないとうっとり絵を見つめるファルベに、ファルベの絵もよかったよとオストレアはほめた。カシェの静かで落ち着いた面にのぞく強い意志がとてもうまく表されていたのだ。
「一年生では上位に入ってたよね」
「うん、カシェのおかげだよ」
ありがとうと頭を下げるファルベに、「僕は座ってオストレアとしゃべってただけだから」とカシェが苦笑した。
「ブジャルドはどこ?」
感想を言いたいのに姿が見えない。きょろきょろするオストレアに、ファルベが同情顔になった。
「あー……今ちょっと大変なことになってるよ」
展示期間が過ぎたらあの絵を譲ってくれという男子生徒たちと、自分を描いてほしいという女生徒たちにまとわりつかれているらしい。オストレアと話したいのにできない状況を嘆いていたと聞き、オストレアも残念に思った。
「受賞した絵は絶対に誰にも渡さないから安心してほしいって伝言を預かったの。どうにかしてちょっとでも会いたいって言ってたわ」
「私の寮の部屋は一階だから、こっそり話ができなくはないけど……今は私のほうも変に注目されてるから、噂が立つとまずいし」
それに、とオストレアは目を伏せた。ブジャルドと二人きりになるなと忠告されていることはさすがに明かせない。
「もう少し落ち着いたらまた四人で話したいな。ブジャルドにはおめでとうって伝えてくれる? あまり会えないようなら手紙を書くわ」
オストレアの頼みにファルベがうなずく。そこへ午後の授業の予鈴が鳴ったので、オストレアはファルベと別れて戦闘科舎へ急いだ。
もう少し落ち着いたらと言ったものの、好奇と嫉妬にまみれた視線は日毎に増える一方だった。へたに共同の場所へ赴けば、名前も顔も知らない生徒にわざとぶつかられ、足を引っかけられ、聞こえるように悪口を言われる。最初はタキュスにあこがれていた女の子たちで、ブジャルドがオストレア以外描かないと公言するやいなや、彼にすり寄ろうとしていた人たちも意地悪に加わった。
ジェローシアがフリュールからブジャルドに乗り換えたという噂も耳にしたが、ブジャルドは取り巻きへの参加を拒んだらしく、自尊心を傷つけられたジェローシアは怒り狂っているという。だから彼女にも遭遇しないよう常に警戒が必要で、鬱屈した毎日にいいかげんうんざりしたオストレアはある昼休憩、一人でふらりと療養の泉に向かった。
「うわあ……いかにもだわ」
薬のような匂いが立ち込める療養の泉を初めて目にして、オストレアは鼻をつまんだ。かがんで指をひたすとやはり温かく、泳いでも気持ちよくなさそうだ。
もしかしたらタキュスがいないかなとほんの少し期待したが、誰の姿もなく、オストレアは小さな落胆を安堵で覆い隠した。
快適とは言えないが、人目を気にしなくていいのは楽だ。オストレアは近くの木にもたれて座り、気分転換に小声で歌った。
ささくれていた心が徐々に凪いでくる。だんだんのってきたとき、そばの草むらに足が見えてオストレアはぎょっとした。
誰かが横たわっている。自分の声に反応しないということは、まさか死んでいる……?
一瞬バルバルス・オースが脳裏をよぎったが、それなら死体は残らないはずと思い直す。ただ、まだ完全に変化していない半蛇族が食事の途中で隠していった可能性もある。
迷ったすえにおそるおそる四つん這いで近づき、オストレアは悲鳴を飲み込んだ。
寝転んで目を閉じているのは、人の姿をしたタキュスだった。ベストの下の肌がかすかに上下しているので、とりあえず生きているようだ。
なぜこんなところで眠っているのかと問い詰めかけてやめる。起こさないようそろりと後ずさったとき、「歌わないのか?」と聞かれた。
半分だけ上がったまぶたの下で、金色の双眸が自分を見据えている。
「邪魔してごめんなさい」
オストレアがあやまると、タキュスは息をついて額に腕を乗せた。
「別に、邪魔じゃない。むしろ心地よかった」
いい声だなとほめられ、オストレアは照れた。
「一人で寝てて大丈夫なの?」
今、メソス・スコラ内では行方不明者数が増加しているし、もし食欲旺盛な半蛇族が近くに潜んでいたら大変だ。
「さすがに丸呑みされていれば、どれだけ鈍感でも寝ぼけていても途中で気づくだろう」
お前は知らんが、と付け加えられる。持ち上げたかと思えば馬鹿にしてくるタキュスに、「一言多いわ」とオストレアはむくれた。
タキュスの口元がふっとゆるむ。柔らかい表情に、オストレアの心音が大きくなった。
「お前がいいなら、歌ってくれないか」
「えっ――」
「昼休憩が終わる頃に起こしてくれ」
「は……?」
また目を閉じたタキュスに、オストレアは唖然とした。歌を望まれてときめいてしまったが、単なる安眠要員にされたとわかり、がっかりする。
「……二度と目覚めない歌にしようかしら」
「お前の得意な歌はそれか?」
ひやかしにますますむっとし、オストレアはとっておきの、先ほどより耳に優しい歌を控えめな声量でつむいだ。
風を受けてか、近くの木でカサリと葉音が鳴る。
落ち着いた呼吸を繰り返すタキュスのくつろいだ様子が新鮮で、つい見とれていると、不意にタキュスが目を開けた。
「誰か来るな」
オストレアもはっとして歌をやめる。軽い足音とともに現れたのはカシェだった。
「ああ、いたいた。寮にいなかったから捜してたら、どこかから歌声がして。ウィリディタース・マールムの半避役族の男子生徒が、こっちだって教えてくれたんだ」
オストレアに話しかけながら、カシェの視線はなぜかタキュスをとらえている。
「一人で来たのか」
「はい」
そうか、とつぶやき、タキュスが上体を起こした。
「声、そんなに響いてた?」
「オストレアの歌声は小さくても不思議と届くんだよ。耳をすませば、林の入口あたりまでなら聞こえてた」
カシェの返答にオストレアは驚惑した。これではうかつに口ずさむことすらできない。
「むだにうるさいだけの音痴なら蹴り飛ばすが、お前なら誰も文句を言わないだろう」
立ち上がって半馬の姿になるタキュスをオストレアは仰いだ。
またほめられた。
戦闘に出た日から、何だかタキュスがおかしい。いや、変なのは自分のほうかもしれない。
一言一言が妙に嬉しくて、過剰に反応してしまう。
「今度から――」
タキュスがオストレアを見下ろす。凛々しい顔立ちの中で金色の瞳がきらめいた。
「昼寝をするときはお前を同伴させるか」
言い置いて先に去るタキュスに、しばし呆気にとられてからオストレアは叫んだ。
「私は、自分より大きな子供の守りなんてしないわよっ」
笑い声が林を通って返ってくる。まったくもう、とぷりぷり怒るオストレアの横で、「タキュス先輩を寝かしつけてたの?」とカシェが尋ねた。
「そんなわけないでしょ」
気晴らしに人けのない場所で歌いたくてここに来たら、草むらでタキュスがゴロゴロしていたのだと説明する。
「もしかして二人でこっそり会ってたのを邪魔しちゃったかとあせったよ」
緑色の髪をかくカシェに、オストレアは慌てて誤解だと否定した。
「そうだよね。タキュス先輩もオストレアも、疑似恋愛を楽しむようには見えないから」
二人とも真面目に恋しそうだと言うカシェに、ますますうろたえる。
恋なんて、一度もしたことがない。そんな環境ではなかったから。
「ファルベ経由で聞いたんだけど、ブジャルドが部屋に積み上げていた君の下絵が四枚なくなったらしい」
ちょっと部屋を空けたすきに誰かが入って盗んだみたいだと、ブジャルドが怒り嘆いていたという。
「……かなりの量だったのに、消えた枚数がわかるの?」
「オストレアを描いたものはすべて覚えてるんだって。お気に入りも混ざってたから、ずいぶん悔しがってるそうだ」
想像がつき、オストレアは苦笑った。今は鍵付きの棚に全部保管しているという。
知らない人に自分の絵を持っていかれたというのは気持ちのいいものではないが、ブジャルドが危害を加えられて強奪されたとかでないならよかった。
「展示期間は明日までだから、また四人で集まろうか」
「うん。カシェも、迷惑かけてごめんね」
自分といることが多いので、今回カシェもけっこう巻き添えを食ってしまった。だからオストレアは単独行動に切り替えたのだが、やはり一人で過ごすのは寂しかった。
「君に非があるわけじゃないんだから、あやまる必要はないよ」
ちなみに、オストレアと親しくなりたいと下心有りで寄ってきた男子はすべて蹴散らせと班長命令が出ているので、カシェも容赦なく突っぱねているという。
頼もしい班長と仲間たちだ。友達は期待していたほど増えていないが、兄と姉がたくさんできたのは心強い。
まだまだ気は抜けないが、頑張るぞとオストレアはこぶしをにぎった。
一人で林から出ると、昼休憩を終えたエグルに遭遇した。
「うちのかわいい妹は一緒じゃなかったのか?」
「カシェがついてるから大丈夫だろう」
やはりオストレアが療養の泉に向かうのを見ていたらしい。おそらく自分がいることもこの男はわかっていたに違いない。
からかわれるかと警戒したが、予想に反してエグルは「重なったのはまずかったな」と嘆息した。
「あいつは総母の子で確定だな」
そうでなければ一年生であんな絵は描けないと、エグルが肩をすくめる。
「ジェローシアの誘いを断る気概は絶賛したいところだが、おかげで厄介事が増えた」
まず間違いなくジェローシアはオストレアを潰しにかかるぞ、と決して脅しではない懸念を語るエグルに、もう一つの厄介事をタキュスは報告した。
「なるほど……それにしても、カシェは賢いな」
エグルがあごをなでながらにやりとする。おかげでかなりしぼれそうだと。
タキュスも、あの自然な会話で情報を伝えてきたカシェに感心した。気配を察し、木登りが得意な種族をいくつか思い浮かべていたところだったので助かった。
現在、ウィリディタース・マールムに所属する半避役族は女生徒だ。また、班の印は緑のリンゴ。
緑は――知識科の色だった。