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 夕食後、たまには女の子だけで話そうとソンリッサに声をかけられ、オストレアはモラと連れ立ってソンリッサの部屋を訪ねた。

 あまりごちゃごちゃ飾り立ててはいない清潔感あふれる室内を、オストレアはぐるりと見回した。壁のすみにはソンリッサが愛用している弓と矢の入った矢筒、そして剣が置かれている。

 どの種族でもゆったり使えるよう、寮の各部屋に設置されている寝台は大きく、種族によってはニ、三人で寝ることができる。そこに当たり前のように並べられている二つの枕から、オストレアはそっと目をそばめた。ソンリッサとシュタルクの睦まじさは科を越えて有名で、もはや割り込むどころか軽いちょっかいさえ誰もかけられないという。

 二人とも四年生なので今年修了証をもらえるが、来年以降も研究生としてメソス・スコラに残る予定らしい。エグルとマスィーフも留まると聞き、オストレアは喜んだ。みんな戦闘ではとても頼りになるし、何より知り合って一年でいなくなってしまうのは寂しすぎる。

「オストレア、今日の昼休憩、療養の泉に行ったんだって?」

 ソンリッサが飲み物を用意している間に、部屋のすみにある円卓と丸椅子のほうへオストレアを誘いながらモラが尋ねた。

「うん。誰もいないかなと思って……タキュスがいたけど」

 タキュスの睡眠誘導係に任命されたと告げると、二人は目をみはり、笑った。

「すっかり仲良くなったようでよかったわ」

 今のあの子はちょっと警戒心が強いから、と三人分の飲み物を円卓に置き、ソンリッサも腰を下ろした。

「昔はもっとみんなの輪の中でやんちゃしてたのよ」

 今度はオストレアが驚いた。友達とじゃれあってはしゃぐ姿がまったく想像できない。

「リサ姉さん、タキュスって大きなけがでもしたの?」

 療養の泉は熱気も匂いも癖があるので、いくら人けがなくても昼寝に適した場所とは言いがたい。それなのにちょくちょく通っている理由は何なのか。

 オストレアの問いに、ソンリッサは自分のコップに視線を落とした。

「タキュスの左脚にはバルバルス・オースのかみ跡があって、今でも時折痛むみたい」

 郷にいた頃からタキュスはモテていたが、本人は同性と駆け回るほうを好み、女の子には関心がなかったので、男の子たちもタキュスを中心に遊んでいたという。

 ところが、半馬(エクウス)族恒例の早駆け大会に出場する十五歳になると空気が変わった。この行事は嫁取りの儀とも呼ばれていて、男性は基本的に参加が義務づけられ、優勝者から順に意中の女性に求婚することができる。お互いの意向があわなければ来年に持ち越しとなるが、年の近い女の子の多くはタキュスとの結婚にあこがれ、その中に人気の少女もいたことで、友情に亀裂が入った。タキュスが自分たちより上位にならないよう男子が結託し、妨害行為に及んだのだ。

 大会前から皆の様子がおかしいことはタキュスも感じていたが、自分はともかく皆にとっては大事な行事なので、気が立っているのだろうと考えていたらしい。しかし走り出してまもなく、タキュスは遊び仲間に囲まれる形で何度も進路をふさがれ、徐々に端へと追いやられた。そしてある場所で親友に体当たりされ、道を踏み外して斜面を転げ落ちてしまう。命を失うほどの高さではなかったが、タキュスが今年誰にも申し込みをしないと知っていたはずの親友をはじめ、皆が暗くにごった目つきでタキュスを見下ろしたとき、バルバルス・オースが襲いかかってきた。

 一番に食われたのは、バルバルス・オースに最も近かった親友だった。その後は混乱をきたし、皆が逃げ惑った。動くものに反応しやすいバルバルス・オースは手当たりしだいに少年たちを呑み込み、最後に脚をくじいてじっとしていたタキュスに迫った。

 タキュスは茂った木々を利用してうまく攻撃をかわし続けたが、ついに引きずっていた左脚にかみつかれたところで、駆けつけた大人たちによりバルバルス・オースは退治されたという。

 生き残ったのはタキュスと、まだ消化されていなかった数人だけだった。早い段階で腹におさめられた親友たちは助からず、治療を受けたタキュスの左脚の傷も完全にはふさがらなかった。その古傷がたまにひびくため療養の泉につかっているのだとソンリッサに聞き、オストレアは涙ぐんだ。

 タキュスも目の前で友達をバルバルス・オースに食い殺されていたのだ。しかも彼らは、親しくしていたタキュスにひどい仕打ちをした――。

 無愛想なのは彼なりの自衛だった。親友でさえ裏切るのに、たいして付き合いのない者を簡単に信用できるはずがない。

 メソス・スコラには他の種族もいるので、自分だけが注目されることはないとタキュスは期待したらしい。本人にとっては不本意なことにここでももてはやされたが、あれ以来ますます異性を寄せつけなくなってしまったという。

「あの子の見た目に惹かれて好かれたい、乗りたいと思ってしまう子は、最初の時点でもう受け入れられないのよ。だからあなたが来たとき、やっと大丈夫な子が現れたってほっとしたの。しかもすばらしい歌力の持ち主だし、モラの推薦付きならなおさらね」

 本当にオストレアが入ってくれて嬉しいと、ソンリッサが微笑む。

 半魚(ピスキス)族は唱法という独特な技を使える唯一の種族にもかかわらず、あまりメソス・スコラに来ない。歩行練習がきついのが一番の理由だった。

 もし半魚族の男子が今年戦闘科に入学していたら、タキュスは自分ではなくその人を選んだのだろうか。

 胸がざわりとした。自分以外の半魚を乗せるタキュスを見たくないという想いがよぎり、動揺する。

 何だろう、この奇妙な感情は……。

 タキュスの雰囲気が少し親しみやすいものに変わったから、欲が出たのか。でもタキュスに恋したら乗れなくなってしまう。

 自分がすべきは、班のためにもタキュスと良好な関係を築くこと。その点だけをしっかり注意して行動しよう。

 無意識に耳飾りに触れていることを、オストレアは気づいていなかった。そしてそんなオストレアを、モラとソンリッサが観察していたことも。

 


 ようやく作品展の絵が展示場所から撤去された数日後、オストレアは久しぶりに他の科の生徒も往来する場所へ足を運んだ。まだ周囲から刺さる視線はやまないが、ずっと人目を避けるわけにもいかず、できるだけ堂々と前を向いて歩くことにしたのだ。

 カシェと一緒に待ち合わせ場所に行くと、円卓を囲んで先に座っていたファルベとブジャルドが気づいて手を振った。特にブジャルドは黒眼鏡をかけていてもわかるくらい嬉しそうにしている。

「久しぶり、オストレア! ようやく会えた」

 立ち上がったブジャルドに両手で手をにぎられ、オストレアは笑った。

「ブジャルド、最優秀賞おめでとう。お祝いの言葉が遅くなってごめんね」

「作品の長期展示を断ったんだって?」というカシェの質問に、「取り外さないと、いつまでたってもオストレアに会えない気がしたから」とブジャルドは答えた。

「まさかこんなことになるとは思わなかったよ」

 オストレアを自分の隣に座らせ、ブジャルドが大きく息をつく。

「だってブジャルドの絵、本当に素敵だったもの」

 おかげで本物を見に来た人たちががっかりしてたわ、とおどけるオストレアに、ブジャルドは眉をひそめた。

「彼らはわかってないんだよ、君がどれほど魅力的か」

 熱を込めて語り出したブジャルドを、オストレアは慌ててとめた。ほめられると悪い気はしないが、過剰になるとかえって恥ずかしくなる。

 話題を変えるため、オストレアは自分たちの初戦闘について報告した。オストレアの歌声がすごくてとカシェが称賛したので、ブジャルドとファルベがぜひ聞きたいと食いついたが、ここで歌えば注目を集めてしまうからまた今度ねとにごす。それでも四人でのおしゃべりは楽しくて、あっという間に昼休憩が終わった。

「これからはもっと会えるかな」

 次の課題は風景画だから大丈夫だよねと言いつつ、ブジャルドはやや心配そうだ。立って椅子を円卓の下に押し込み、オストレアは苦笑した。

「私はもう放っとかれると思うけど、ブジャルドはまだまだ追い回されるかも」

 そういえば、ジェローシアの誘いを拒否したんだっけと思い出したオストレアがブジャルドに尋ねようか迷ったとき、カシェたちの顔色が変わった。

「ずいぶん盛り上がってるわね」

 背後からの呼びかけに、オストレアはぞくりとした。ふわりと鼻をかすめたリンゴの香りに息をのむ。

 そろりとふり返った先にいたのは、取り巻きを引き連れたジェローシアだった。

 艶やかな唇は笑みの形をとっているが、目が笑っていない。

「……やっぱり理解できないわ。どうしてこんな冴えない子を気に入ってるのかしら」

 オストレアを熟視し、ジェローシアが悩ましげに嘆息する。

「完成された美より磨きようがあると言えなくもないけど」

「実物がこんなにみすぼらしいなど、詐欺だろう」

 戦闘科の大柄な男子生徒も舌打ちする。

「この時期に大々的に話題をさらって『リンゴの乙女』に名乗りをあげるつもりだろうが、まやかしに引っかかるほどメソス・スコラの生徒は馬鹿ではないぞ」

「リンゴの乙女……?」

 首をかしげたオストレアに、ジェローシアが半目になった。

「わざとらしいこと。無知なふりをしてしたたかね。さすがは友達を犠牲にして逃げた半魚だわ」

 ジェローシアの言葉が響き、周囲が揺れた。どういうことかと顔を見合わせている生徒たちに聞こえるよう、さらにジェローシアが非難する。

「バルバルス・オースに襲われたとき、友達を囮にしたんですって? しかも総母だった自分の母親まで差し出して……助かりたいからとそんな卑怯なまねをする人が入って、カエルラ・マールムは大丈夫なのかしら」

 ざわつきが広がる。特にカエルラ・マールム贔屓の女生徒たちから怒りの声が上がりはじめた。

 自分も半魚の友人に教えてもらった。本当の話だったのか。

 あんな子がタキュスに乗るのは許せない。タキュスたちは知っているのか。

 母親を生贄にするなど。

 危なくなれば仲間を裏切ってまた逃げるのではないか。

 向けられる激しい嫌悪と疑いのまなざしに、オストレアは真っ青になった。体がこわばり、動けない。

 違う。囮になんてしていない。みんなで必死に逃げたのだ。それでも、泳ぐのが遅い子から捕まっていった。そして集落を目前にしたところで母が来て、バルバルス・オースに――。

「総母の子だけあって、歌力はあるそうね。その歌でカエルラ・マールムの人たちを惑わせ、取り入ったのね」

「タキュスを誘惑したんでしょう? どんな歌を使ったの?」とジェローシアが顔をのぞき込んでくる。嗜虐の色濃い微笑みは、周りを味方に巻き込んでオストレアを徹底的に苛もうとしていた。

 そのとき、モラを乗せてソンリッサがやってきた。班長の登場に緊張が高まる。

「ブジャルド、その子はあなたが思っているほど輝いてないわ。むしろあなたの功績を汚す害悪よ。私ならもっと栄誉を与えられる。早く私のもとへいらっしゃい」

 艶然と呼びかけ、取り巻きを率いてジェローシアが歩きだす。あえてソンリッサたちと逆の方向に去る一団に生徒たちが道をあけていく中、ソンリッサから降りたモラがオストレアに駆け寄った。

「オストレア!」

 いつも自分を気にかけてくれる年上の幼馴染の顔を見て、オストレアは膝からくずおれた。一緒に座り込みながら、モラがオストレアの両肩をつかんだ。

「大丈夫よ、大丈夫だから」

 だめだ。モラにすがれば迷惑をかけてしまう。モラにも、ソンリッサにも、カエルラ・マールムみんなに。

「ごめ……ごめんなさい」

 こらえようとしたのに、涙があふれた。

「オストレア――」

「ごめんなさい」

 自分のせいで……自分がいれば、カエルラ・マールムの印象が悪くなる。

 とまらない。しゃくりあげたオストレアは、モラと入れ替わって人の姿で目の前にしゃがんだソンリッサに頭をなでられた。

「私のかわいい妹は何をあやまっているの?」

「……リサ姉さん」

「あなたは私たちの大事な仲間よ。あなたを傷つける口さがない人たちは、カエルラ・マールムの名にかけて張り倒してやるわ」

 周囲をにらみ回すソンリッサに生徒たちがびくりと縮こまる。やかましく乱れ飛んでいたののしりがやみ、気まずい空気が漂う中、ソンリッサが「乗りなさい」とオストレアに背を向けた。

 ためらったものの、自力で抜け出す力もなかったオストレアがおずおずとおぶさると、ソンリッサが立ち上がって半馬の姿になった。

「半馬族の勘を侮っている人が多すぎるわね」

 肩越しにソンリッサが冷笑する。美人がすごむと半熊(ウルスス)族以上に迫力があると、オストレアは初めて知った。

「ふふ、たまにはこういうのもいいわね。かわいくない弟しかいなかったから、何だか嬉しいわ」

 ソンリッサの声は弾んでいる。

 甘えていいのだろうか。もしソンリッサたちがそしりを受けたら……?

 でも、あたたかい。

 傷ついた心をなぐさめてくれるのは歌だけではないと、ソンリッサにしがみつきながらオストレアは目を閉じた。


 

「オストレアは?」

「今日は食欲がないからこのまま休むって」

 夕食時、食堂でカエルラ・マールムの輪に加わったモラは、ソンリッサの問いに答えて席に着いた。  

 半魚族から少しずつ広がっていた噂は、ジェローシアの悪意ある暴露により大きな波となってオストレアを責め立てた。その影響は班にも及んでいる。

 エグルとタキュスはそれぞれ放課後女生徒に囲まれ、オストレアを参加させるのはやめてほしいと訴えられた。カエルラ・マールムが心配だから、あんな子は外したほうがいいと。 

「俺の妹をそんなふうに言われると悲しいなあ」といつになく眼光鋭く応じたら一斉に退いていったけどとエグルはぼやき、タキュスも明らかにむすっとしている。

 最初に憩いの噴水池でオストレアの事情を漏らした同郷の半魚たちは、後でモラにあやまってきたという。軽い噂話のつもりだったが、バルバルス・オースに遭遇したことがないよその集落出身者たちが異常に嫌悪感をいだいてばらまいてしまったと。

 悪口に熱心なのは知識科と芸術科で、戦闘科はまた別の意図をもって騒いでいるらしい。訓練や初戦闘の様子を見聞きしてどうにかオストレアを引き入れたいと考えている班が、悪評を気にしてソンリッサがオストレアを放出するのを期待しているのだ。

 戦闘科は半魚が圧倒的に不足しているため、毎年どこの班も入学の適性検査で半魚を待ち構えている。タキュスが即決したオストレアは他の班の半馬からも好印象で、カシェを迎えに行ったとき、ソンリッサはあちこちから交渉をもちかけられた経緯がある。

「まったく、なめないでほしいわ。こんなことでオストレアを手放すわけないじゃない」

 憤りを露わにして、ソンリッサは食器を乱暴に置いた。

「そもそも、『リンゴの乙女』にどれほどの価値があるっていうの?」

「経験者の発言は重みが違うねえ」

 エグルがややからかいぎみに笑う。

 ジェローシアが入学する前年、『リンゴの乙女』に選ばれたのはソンリッサだった。勝手に持ち上げられただけで本人はまったく乗り気でなかったので、翌年やる気満々のジェローシアが現れると、これ幸いとばかりに引っ込んだのだ。向こうは、ソンリッサは勝ち目がないから逃げたのだろうと嘲笑していたそうだが。

「無意識に脅威を感じているのかもしれんな。半犬(カニス)族は鼻がきく」

 マスィーフが魚を頬張りながら告げる。

「にしても、やり方がえげつないわ」

 モラは卓上でこぶしをにぎった。

「あの子、郷で私を見送るときに、自分も行って友達をたくさん作りたいって言ってたの。根はすごく明るくて話好きな、親しみやすい子なのよ」

 だから遊び相手も多かったのが結果的に最悪の事態を招いてしまったのだ。

「どこかの色ボケと違って、自分をちやほやしてくれる異性より楽しく過ごせる友達を欲しがってたのに……許せないわ」

 もしオストレアの所属先がカエルラ・マールムでなければ。乗る半馬がタキュスでなければ、ここまで嫉妬されることはなかったかもしれない。名前を聞いて、戦闘科になったならぜひ自分の班にと希望しただけに、モラは責任を感じていた。

「是が非でも流れを変える必要があるね」

 この際、あの子の魅力をへたに隠すよりとことん出したほうがいい、とエグルが口角を上げる。鼻息の荒い連中を黙らせ、絶対にかなわないと尻込みさせるほどに。

「ついでに班の結束も見せつけてやりたいわ」

 ソンリッサの意見に、「じゃあ」とモラが笑顔で手を打った。

「みんなで遊びましょう!」

 


 人けのなくなった暗い中央校舎で、生徒は『リンゴの乙女』の申し込み箱の前に立った。見た目で気づかれないよう帽子をかぶってきたものの、念のため注意深く周囲を確認する。

 おそらく箱の中にはまだ一人分の用紙しか入っていないはずだ。誰も彼女と張り合おうとはしないから。

 用意してきた紙を箱に入れ、生徒は黒眸を細めた。あの絵を描いたブジャルドの感性を信じるなら、きっと面白いことになる。

 ずっと機会をうかがっていたが、ようやく手に入れることができるかもしれない。

 そっときびすを返し、校舎を出る。遠回りして寮への道をたどろうとしたとき、一瞬だけ悲鳴が聞こえた。

 ああ、誰かが捕食している。この時期にむさぼるのはたいてい一年生だ。あまり欲張ると発見されてしまうよと、生徒は心の中で親切に警告した。今日、ニグレードー・マールムの班長と半避役族の班員がさりげなく知識科舎をうろついていたので、何か情報をつかんでいる可能性が高い。

 敷地内警備を担当している班はおもに二つ。そのうちプルプラ・マールムの職務姿勢は怠慢そのものだが、ニグレードー・マールムには協力する班がいるので侮れない。

 やはりよけいな食事は我慢しておこう。せっかくの獲物を逃がす危険だけは避けなければ。

 生きるために。生きのびるために――。

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