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 すっかり暗くなった林の小道を、サルディーネは憤然と歩いていた。一緒に行動するはずだったゲファールは、練習場でオストレアが泡魂を開封するために歌っていると聞くや、任務を自分一人に押しつけて行ってしまった。

 先日まで同じ半馬のトレーネにちょっかいをかけていたのに、今はオストレアに夢中らしい。そして自分の前で何度もこれ見よがしにため息をついてはぼやくのだ。お前は遠目には彼女と似ているが、全然違うと。

 オストレアの歌力が高いのは知っている。合同訓練でその歌声を耳にしたときは、嫉妬と羨望に鳥肌が立ったくらいだ。総母の子だと言われていたのに、実は総母でもあったなんて、恵まれすぎではないか。

 髪の色と髪型が近いうえに同じ戦闘科の赤いベストを着ているので、オストレアが有名になればなるほど、見間違えて話しかけてくる男子生徒が増えた。最近では自分を偽物と揶揄する者までいる。しかもあのプルプラ・マールムの生き残りだと、余計な一言を添えて。

 先代の班長と副班長がいた頃はまだましだった。カエルラやルボル、ニグレードーみたいに班員が仲良しというわけではなかったが、少なくとも後ろめたさにこそこそ過ごす必要はなかった。ゲファールが新しく班長になったのも、単に一番年上だったからだ。

 戦闘科において半魚はとても貴重なのに、ゲファールはちっとも自分を大事にしようとしない。けなされてばかりなことにいいかげんうんざりして、今日ついにゲファールに抗議した。もうあなたには付き合い切れないから他の班に移りたいと。

 しかしゲファールは慌てるどころか嗤ったのだ。抜けたいならいつでも許可を出してやる。ただ、どの班も歓迎してくれると思ったら大間違いだと。

「お前が入学したとき、半馬(エクウス)族はみんなお前を嫌がったんだよ。タキュスなんか一番にそっぽを向いたんだぜ」

 だから仕方なく俺が引き取ってやったんだとゲファールが明かした当時の事情に、サルディーネは呆然とした。受付で目が合うなりタキュスがきびすを返したのは覚えているが、引く手あまたなはずの半魚(じぶん)がまさか誰からも拒まれていたなんて。

 半馬族(かれら)は乗せる相手を直感で選ぶと言われている。いったい何が気に入らなかったのか。顔? それとも能力?

 タキュスはオストレアが総母だと一瞬で見抜いたのだろうか。

 サルディーネは唇をかんだ。自分だってゲファールなどよりタキュスに乗せてもらいたかった。見目よく強いタキュスにまたがって颯爽と駆ければ、どれほど気分がいいか。

「いなくなってしまえばよかったのに」

 ジェローシアとサエウムの企みが露見し、『リンゴの乙女』はオストレアになるのがほぼ確実だ。あの二人が失敗しなければ、今頃オストレアは死んでいた。

 自分がみじめな思いをすることはなかったのに。

 カサリと後方で葉がこすれる音がして、サルディーネは身をこわばらせた。現在メソス・スコラに潜り込んでいる半蛇(オピース)族は、半避役(カマエレオーン)族と半鼢(タルパ)族の外見をしているらしい。いきなり足元から現れるのも怖いが、見えないのも怖い。

 せめて自分の印象だけでもよくしようと今まで真面目に巡回していたが、移籍できないなら馬鹿らしい。さっさと帰ろうとサルディーネがきびすを返した目の前に、緑色のベストを着た男子生徒が立っていた。悲鳴を上げる間もなく茂みに引きずり込まれ、手で口をふさがれる。もう一方の手でサルディーネのシャツを強引にくつろげたところで、相手が動きをとめた。

「……匂いも痣もないな。お前はあの総母じゃないのか」

 人違いかと舌打ちし、男子生徒の目が獰猛な殺気をおびる。

「ならば食う」

「ひっ……」

 骨格がおかしいのではないかというほど大きく開かれた口に、サルディーネはおののき、もがいた。

「嫌あっ、やめて! 助けてっ」

「うるさい。せっかく総母を捕まえたと思ったのに」

 男子生徒のいらつきが肌をなぞる。死にたくない一心でサルディーネは訴えた。

「つ、連れていくから! 総母のところに案内するから!」

「俺をだまそうとしてもむだだ」

「本当よっ。あの子の部屋を知ってるの。だからお願い、殺さないでっ」

 ガタガタ震えながら涙目で懇願したサルディーネを、男子生徒は凝視した。

「きょ、今日あの子は疲れて眠っているはずよ。行くなら今すぐがいいわ」

 そうだ、オストレアはこの男のものになればいい。そうすれば今後、自分も変に見下されずにすむ。

「あの子が欲しいなら手伝うわ。ううん、あの子を連れ去ってほしいの」

 恐怖をこらえてひくひく笑うサルディーネに、やがて男子生徒が言った。

「……いいだろう。案内しろ」

 もしおかしなまねをしたら、その時点でお前を吞み込んでやるとおどされ、サルディーネは何度もうなずいた。

 男子生徒がすうっと姿を消す。見えなくなっただけでほっとしたサルディーネが上体を起こすと、すぐそばで声がした。

「俺はここにいるからな」

 びくっと肩をはね上げ、サルディーネはよろめきながら立ち上がった。

 林を抜けて戦闘科の寮へ向かう。やがて前方からぞろぞろと男子生徒がやってきた。その中にはゲファールもいる。

「……泡魂の開封は終わったの?」

「ああ、さすがは総母だ。すばらしい歌声だったぞ」

 ゲファールたちは皆、頬を上気させている。

「どうせなら歌ってる姿も見たかったな」

「部外者は立ち入り禁止だって拒否されたからなあ」

「でも、ルボル・マールムは関係ないのに入ってたじゃないか」

 ずるいと文句を垂れつつ、歌の余韻に浸った様子で男子生徒が散っていく。やっぱり偽物とは違うよな、と嫌味を残して。半避役族もいたと思うが、サルディーネのそばに張り付いている生徒のことは気にとめなかったらしい。

「巡回はすんだのか?」

「後は寮の周辺をするだけよ」

 班長然として確認だけは偉そうにするゲファールに蔑視を投げ、サルディーネはまた歩きだした。

 プルプラ・マールムが内部警備を担当しているのは知られているため、サルディーネがうろついていても誰も怪しまない。オストレアの部屋へ近づくにつれ、サルディーネの鼓動はどんどん速まった。

 戦闘科としてあるまじき行為だが、自分とて命は惜しい。何より、ここでオストレアが消えてくれれば――半蛇族に何度も貫かれて泣き乱れるさまを想像し、サルディーネは卑しい笑みを浮かべた。どれだけもてはやされても、能力が高くても、彼女は結局母親と似たような道をたどるのだ。

「あそこよ」とサルディーネは窓が全開の部屋を指さした。明かりはほぼ落とされていて薄暗いが、リンゴの香りが漂ってきている。

 あれでは忍び込んでくれと言っているようなものだ。それとももうすでにいろんな種族の男を迎えているのか。

 現場を抑えるのも面白いかもしれない。タキュスたちは知っているのだろうか。

 サルディーネは巡回のふりをして窓辺に近づいた。首をのばしてのぞくと、椅子にベストがかけられていた。

 魂読みの歌は歌い手にかなり負担がかかる。他人宛の泡魂を開封しようとすればなおさらなのに、オストレアは成功させたのだ。

 明日にはきっと、『リンゴの乙女』の投票にあわせて称賛が駆け巡るだろう。妬ましさにサルディーネは歯がみした。

「大丈夫よ。そう簡単には起きないわ」

 もし気づいたとしても、疲労が濃すぎて抵抗できないはずだ。

 荒い息づかいとともによじ登る音が聞こえた。室内に侵入したようだ。サルディーネは周囲を見回して人がいないか確かめ、そばの木にもたれた。

 交わるときも姿を消しておくのか。傍から見ればオストレアが一人で喘いでいるようで滑稽だろうと、サルディーネが嗤笑したとき、頭上の枝から赤いベストを着た男子生徒が飛び降りてきた。緑色の髪の彼は、いつもオストレアと行動している半避役族だ。

「侵入しました!」

 カシェの大声に部屋の扉が開き、ぱっと室内に明かりが広がる。驚いたのか姿を現した半蛇族の男は、部屋の入口をふさぐ形で立つマスィーフに慌てて窓から逃げ出したが、待ち構えていたカシェの鞭を食らって悲鳴を上げた。再び消えても半避役族の目はごまかせない。その間に木のさらに高い位置からエグルが降りてきた。

「くそっ、だましたな!」

 取り押さえられて地面に倒れた男子がののしる。呆然としていたサルディーネは最悪の状況に青ざめた。まさかカエルラ・マールムが潜んでいるとは思わなかったのだ。

「知識科一年、ペウゲインだね?」 

 半避役族の性質をもつ半蛇族を縄で縛って背中を踏みつけ、エグルが「捕獲」と宣言する。

「カシェ、そこの共犯者も捕まえておいてくれ」

 エグルの指示を受け、カシェがサルディーネに縄をかける。

「ま、待って、違うわ! そうよ、私はわざとここへ案内してきたのよ。総母のもとへ連れて行くと言ったらあっさりだまされてくれたわ」

 戦闘科の生徒として、また内部警備担当として、メソス・スコラを荒らしていた半蛇族の拘束に貢献したのだと、サルディーネは弁解した。

「そうだね、真面目に巡回していたから彼に遭遇したんだろう。でも、だますならなぜ本物の総母のもとに誘導したのかな?」

「そ、それは――オストレアにはきっとエグルたちがついてるはずだと……!」

 現行犯を足で押さえつけているとは思えない穏やかな口調で尋ねるエグルに、必死に出任せを並べる。保身をはかればはかるほどどんどん追い込まれていく感覚に陥ったが、とめられなかった。

「今日俺たちが待機していたのは、一番親しいルボル・マールムでさえ知らないはずなんだけどな」

 張り込みを決めたのはついさっきだしね、とエグルが青緑色の瞳を細めた。

「俺たちの動きをよく把握しているようだけど、君はいつからカエルラ・マールムの一員になったんだい?」

 凍りつかせるほどの冷気をともなった皮肉に、サルディーネはついに答えられなくなり、大きく唾を飲み込んだ。

「お前、明らかにあいつをけしかけてたよな」

 木の裏側の地面からタオヘンが出てくる。穴を掘って隠れていたらしい。

 ばっちり聞こえてたぞと指摘され、サルディーネはしゃくりあげた。

「だって、そうしないと殺されてたわ! ゲファールが巡回の任務をさぼってオストレアの歌を聴きに行くから、私一人で見回って……そしたらその男に捕まって、私をオストレアだと思って襲ってきたのよ。間違えたとわかったら食うって言うからっ」

「それで、命乞いして代わりにオストレアを差し出そうとしたのね」

 オストレアの隣部屋の窓が開く。モラが不快げにサルディーネをねめつける奥で、タキュスがオストレアを抱き支えていた。

 オストレアは自室にいなかった? ではこのリンゴの匂いは――?

 サルディーネははっと瞠目した。椅子にかけらているベストから香っているのだ。

「……まさか、知ってたの? この男が半蛇族だって」

 先程エグルは男子生徒の所属する科と学年、名前を口にしていた。彼らは、メソス・スコラに紛れ込んでいる半蛇族が忍んでくると予想していたのか。

「確証を得ていたわけじゃない。疑ってはいたが」

 ニグレードー・マールムとの情報交換で浮上したのがペウゲインだよとエグルが答える。

「どうして? 私は何も聞いてない。私たちは――内部警備なのに教えてもらってなかったってこと!?」

 ひどい。あんまりだ。カエルラだけでなく、同じ任務を担当していたニグレードーからも連絡がなかったなんて。

「完全にのけ者じゃない。いつまで私たちを弾くの? ちゃんと連携できていればこんなことにはならなかったのにっ」

()()()()()()()()あなたたちだからこそ、伝えなかったのよ」

 オストレアの部屋の窓辺にソンリッサが現れた。万が一マスィーフの壁を突破された場合に備えて、廊下にいたのかもしれない。

「戦闘科で警備を担いながら、我が身かわいさに他の生徒を犠牲にするような人を、誰が信用するの?」

「私だって助けてくれる人がいたらもっとちゃんと頑張れたわ。カエルラやルボルみたいにみんなで協力できる班に所属すれば! でもプルプラはそうじゃないもの。こんな班にいたらどうしようもないじゃないっ」

 サルディーネは声を荒らげた。なぜ自分だけが責められなければならないのか。

「助けてもらうことを先に考えている時点で、少なくともうちの班には入れられないわね」

 己の行為をいまだに反省しない他責思考を改めないかぎり、この先も連携を承諾する班は出てこないわよと、ソンリッサが冷ややかに告げる。

「みんなで協力っていうのは、全員が積極的に動いて成り立つものよ。頼る前にまず自分から誰かを助けようとする気持ちがなければ、関係は崩壊する」 

「そんなの、機会さえもらえれば、私も――!」

「機会なら今あっただろう。それをふいにしたのは自分自身だ」

 ずっと黙っていたマスィーフまでが語気を強める。

「一人で戦えって言うの? おどされたのに? 私は食われる寸前だったのよ!?」

 仲間がいる人たちにこの怖さはわからないと激昂するサルディーネに、カシェの眼光が鋭くなった。

「怖いと言うわりに、あなたは嗤ってましたよね。オストレアが襲われるのを楽しもうとしていた」

 僕にはそれが一番許せない、と静かながら憤りのにじんだ口調のカシェに、エグルがため息をついた。

「おおかた、さんざんオストレアに間違われ比較された腹いせもあるんだろう。更生は難しいね」

 厳罰は必至だと言われ、サルディーネは泣いて抗議した。

「そんな! 私はすごくつらかったのよ。どうして誰もわかってくれないの!?」

 オストレアばかりかばわれてずるい。斟酌されてしかるべきだと訴えるサルディーネに、ソンリッサが嫌悪感丸出しで口の端を曲げた。 

「今夜私たちがここにいなければ、オストレアはあなたの企みの餌食になっていた。それなのに、卑怯なまねをしようとしたあなたの心情を、なぜ私たちが理解しないといけないのかしら」

 黄赤色の瞳が不快一色に染まる。情けをかける気はこれっぽちもないと悟りサルディーネがおびえを募らせたとき、「何の騒ぎだ?」とゲファールがやってきた。

「ん? リンゴの匂い……オストレアか。いい香りだな」

 ベストが椅子にかけられている部屋へ視線を向けたゲファールが、だらしなくにやける。剣呑な空気にも気づいていないのんきで無責任な班長に絶望したサルディーネの前で、ソンリッサが「ちょうどいいわ」と呼びかけた。

「あなたの班員がうちの班員にしようとしたことは下劣極まりない。カエルラ・マールムへの侮辱行為よ。班長として、私はプルプラ・マールムに対して断絶を申告するわ」

「は……?」

 ようやくとんでもない事態が起きていると察したらしく、ゲファールがこびへつらうように頬を引きつらせて笑った。

「おい、ソンリッサ。何の話だ。断絶なんてそう簡単に言っていいものじゃないだろう」

「ニグレードーのように『永久』をつけないだけましだと思ってちょうだい。どこまでもクズなあなたたちとはこれ以上関わりたくないの。カシェはペウゲイン、エグルはサルディーネを連行して。マスィーフとタオヘンは警戒継続。私は戦闘科長に報告に行くわ」

「やれやれ、やっとか。いつ正式に宣言するのかと待ちわびてたよ」

 きびすを返すソンリッサに、うちの班長の温情がようやく切れて安心したよとエグルがにんまりする。

「待ってくれ。俺にはさっぱり……サルディーネ! お前いったい何をやらかしたんだ!?」

 エグルに縄を引かれてよろめくサルディーネに、ゲファールが怒鳴る。

「あんたのせいよ。あのとき逃げたのも、今こうなったのも、全部あんたが悪いんじゃない!」

 もう何もかもが嫌になり、サルディーネは泣きわめいたが、普段女の子に優しいはずのエグルはもちろん、同情する者は一人もなく、騒ぎを聞きつけて自室から外をのぞいた寮生たちの目の前で、サルディーネは引き立てられていった。

 

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