(14)
戦闘科総出での大捜索もむなしく、サエウムは見つからなかった。ジェローシアの取り巻きだった半鼢族の男子生徒とオストレア、そしてブジャルドの証言により、ジェローシアとサエウムの計画は明るみに出たが、実行役はサエウムであったことから、ジェローシアの処分は保留の状態となっている。
しかし『リンゴの乙女』の投票も迫る今、生徒たちの目はジェローシアに厳しかった。取り巻きは一人を残して完全にジェローシアから離れ、最初に噂を広めた半魚族も、最も苦しむやり方でオストレアを殺そうとしたジェローシアを非難し、それは他の生徒にも波及していった。
オストレアが総母ならなおさら自分を囮にしていれば友達は助かったのではという陰口も、一部では当然わいたが、やはりカエルラ・マールムの庇護は影響力が大きく、また今回の事件で同情をかなり集めたためにすぐ鎮静した。
人目を恐れてジェローシアが寮の自室に引きこもっている間、オストレアは総母の印を見せびらかすことなくきっちり封じて、いつも通り授業を受け、休憩時間は図書館や憩いの噴水池に足を運んだ。
特に噴水池で歌うのは気持ちよかった。モラやラクスと声をあわせていると他の半魚も加わり、最後は大合唱になった。
そんなある日、午後の訓練が終わったところで、一人の女生徒が話しかけてきた。ニグレードー・マールムのルビーナだ。
「魂読みの歌を、私が?」
ルビーナは真剣な顔つきでうなずいた。これまで何とか習得しようと頑張ってきたものの、悲しみによりやせ衰えた体はなかなか回復せず、高音の連続にどうしても途中でとまってしまうのだという。カルマール先生に頼めればよかったが、先生も体が弱く、早くに現役引退して教師になったので、無理はさせられない。
「泡魂の受け取り手以外が開封しようとすれば負担が増すのはわかってるけど、歌力量が桁外れなあなたなら……お願い。マレットの泡魂を開封して」
深々と頭を下げるルビーナに、オストレアは迷った。
泡魂を開封した経験はない。それでなくとも難しい歌を長々と一人で歌い続けられるだろうか。
「俺たちからも頼みたい」
練習場に入ってきたのは、ニグレードー・マールムの班長コルヴォと、二人の半馬だった。一人はアファブレだが、もう一人の男子生徒は初めて見る顔だ。
「ヴァルテン。半馬族の三年生で、ルビーナを乗せている」
紹介され、ヴァルテンがよろしくと手を差し出してきたので、オストレアは握手した。
「メソス・スコラ内を荒らしている半蛇族が一人でないことが判明した。俺たちが注意を払っている半避役族の他に、どうやら半鼢族の見た目をした奴もいるようだ」
昨夜、林で会っていた恋人同士が、悲鳴とともに地面に引きずり込まれる女生徒を目撃した。急いで巡回中の戦闘科の生徒に報告したものの、掘られた穴はからっぽで、犯人はわからなかったという。
「早く捕まえるには戦力が欲しい。ルビーナが必要なんだ」
どうか協力してくれとコルヴォたちにも請われ、オストレアは覚悟を決めた。
「わかりました。やってみます」
ルビーナが復帰すれば、ニグレードー・マールムは再び活気づく。
これ以上犠牲者を出さないためにも力を貸そうと。
その日からさっそく、オストレアは魂読みの歌の練習に集中した。一年生の授業で習う歌はすでに習得済みだったので、カルマール先生の許可を得て授業中も訓練を重ねた。
ファルベの話によると、ブジャルドはオストレアが見舞ってからようやく治療室を出たらしい。ただまだ本調子ではなく、寮で休んでいるという。
次の作品展に参加するのは難しいかもしれない状況に、ブジャルドの新作を楽しみにしていた生徒たちは残念がり、サエウムとジェローシアへの批判がいっそう強まっている。
あれだけもてはやされていたのに、落ちるのはあっという間だなとオストレアも自戒した。おごり高ぶることのないよう注意するのはもちろん、周りの無責任な声に足を引っ張られないようにしなければ。
今かかりきりの歌があるので、終わったらまた会おうねとオストレアはブジャルドに手紙を書き、今度はカシェに届けてもらった。それなら自分からだと信じてくれるだろう。
ところが、戻ってきたカシェは微妙な表情をしていた。ブジャルドの部屋に直接持っていって渡したが、様子がおかしかったと。
最優秀賞を取ったオストレアの絵を作業机に立てかけ、寝台にもたれてぴくりともせず眺めていたブジャルドは、カシェを見るなり一瞬殺気のようなものをゆらめかせたという。
とっさに腰の鞭に手をのばしたカシェに、ブジャルドは何かをこらえるように歯がみして顔をそらした。オストレアからの手紙を預かってきたとカシェが警戒ぎみに言うと、今度はぱっと興奮したさまで受け取り、何度も読み返したらしい。
オストレアが総母だという噂はブジャルドも知っていて、会いたいと鼻をすすっていたと聞き、オストレアは胸を痛めた。
「眠れないって言ってた。そのせいなのかどうか、すさんだ感じで、正直ちょっと怖かったよ」
オストレアの絵を見ていると心が悪いほうに向かないよう我慢できるが、それでもやはりどうしても抑えられなくなるときがあると嘆いていた。サエウムから受けた仕打ちが相当精神に影響を及ぼしているみたいだと。
戦闘科の、しかも大柄な半熊族に暴力を振るわれれば当然だと、オストレアは同情した。自分でさえ、水のないところで死にかけた恐怖は完全に消えていないのだから。
これは泡魂の開封を待たず、先に一度ブジャルドの具合を確かめに行ったほうがいいかもしれない。
「カシェ、明日私に付き合ってくれる?」
ブジャルドを訪ねたいとオストレアが告げると、カシェは少し黙考してから承知した。
その夜、オストレアは自室で魂読みの歌を復習した。もうあと少しのところまできているので、明日には形になりそうだ。音の高低差の激しいところ、速さの変わるところもなかなか大変だが、最初から全体的に高音寄りなので体力を削られる。もともと高音は得意なほうだが、この歌は本当に難しい。
軽く歌いながら明日の準備をしていると、コツンと窓が鳴った気がした。窓の外で何かが振られている。
(眼鏡……?)
黒っぽい。まさかブジャルドだろうか。
もしまた偽物だったらと息を殺してじっと凝視している間に、こぶしが控えめに窓を一回たたいた。オストレアを呼ぶかすかな声に、今度は確信をもって窓辺に寄る。
「ブジャルド?」
返事があり、オストレアは慎重に窓を開けた。誰もいないように見えたが、窓下で男子生徒が壁にもたれて座り込んでいた。
「どうしたの?」
「君に会いたくて、戦闘科の寮まで穴を掘ってきた」
適当なあたりで地上に出たらちょうど歌声がしてと言うブジャルドは、とても苦しそうだった。
「待ってて。何か食べるもの――」
穴掘りは疲れるので、半鼢族は非常食を携帯している。しかし今のブジャルドは手ぶらだった。
「いらない」
突っぱねるような鋭い響きに、オストレアはびくりとした。
「ごめん。食べたくないんだ」
ブジャルドが深くため息をつく。
「大丈夫? まだ調子が悪そうだってカシェが言ってたから、明日お見舞いに行くつもりだったんだけど」
「僕の心配をしてくれるのか」
「当たり前でしょ? 友達なんだから」
どこか投げやりな態度につい語気を荒げると、「友達……」とブジャルドがつぶやいた。
「君は総母だったんだね。もしかして、耳飾りは印を隠すための道具だった?」
「……うん」
だから誰にも触れさせないようにしていたのだとオストレアは答えた。もともと明かすつもりはなかったからと。
「そうか」とブジャルドがまた息をついた。
「これからもずっと隠し続けるのかい? それとも、好きな人の前でだけ解放するの?」
オストレアはどきりとした。一瞬頭をよぎった存在を慌てて打ち消す。
「好きな人ができても、わざと匂わせることはしないわ」
一時のまやかしで惹きつけてもうまくいかないもの、とオストレアは目を伏せた。それで相手が飽きて去ってしまったら、自分がみじめになるだけだ。
「君に飽きる人なんていないよ」
「ブジャルドは私を過大評価してるわ」
何でも好意的に見てくれるのは嬉しいけどとオストレアが苦笑すると、ブジャルドは壁に頭をコツンとぶつけた。
「僕は君といると楽しいよ。すごく癒されるんだ」
そしてブジャルドは服の胸元をぎゅっとにぎった。
「……なんで、僕は芸術科なんだろう」
カシェやカエルラ・マールムがうらやましいとブジャルドはこぼした。
「戦闘科だったら、簡単にやられなかったのに――戦闘科だったら、もっと君のそばにいられたのに」
呼吸が荒くなっている。ひどくつらそうなブジャルドに、オストレアは身を乗り出した。
「ブジャルド」
「頼む。歌ってくれないか」
君の声を聞くと落ち着くんだという切実な響きに、オストレアは「いいよ」と快く応じた。可能な限り声量を下げ、ブジャルドのためだけに口ずさむと、ブジャルドの息づかいが静かになってきた。
「ありがとう、オストレア……また来てもいい?」
「もちろんだよ。今日みたいに合図してね」
部屋には上げられないけどと念のため言うと、立ち上がったブジャルドが「残念」と以前のような明るい笑みを見せたので、オストレアはほっとした。一人でブジャルドに会うなという忠告が脳裏をかすめたが、こんなに弱っているブジャルドを放っておけない。
「おやすみなさい、ブジャルド」
「うん。おやすみ」
去っていくブジャルドにいい夢をと祈り、オストレアは窓を閉めた。
白金色の尾が揺れる。ファサリ、ファサリと、さわり心地のよさそうなその動きをぼんやり眺めていたオストレアは、「目を開けたまま寝るな。紛らわしい」と叱られ、はっとした。
「寝てないわよ。失礼ね」
療養の泉から上がってきたタキュスに言い返す。
「きれいなしっぽだなって思ってただけよ」
「……人の尻を見て楽しいか?」
「お尻じゃなくて尾!」
やや引きぎみに顔をしかめたタキュスに、変態扱いするなとオストレアは怒った。
昼休憩にカシェと見舞いに行ってみたら、ブジャルドは部屋で眠っていた。寝息が安らかだったので起こすことはせず、作業台にあった紙にお大事にと一言書いて部屋を出た。
早く元気になってほしかったが、昨夜の様子からするとまだしばらくは不安定な状態が続きそうだ。自分の歌が助けになるのなら、いくらでも協力しようとオストレアは思った。
午後の授業で魂読みの歌は整い、いよいよ明日の放課後に泡魂を開封することが決まった。今日は残りの時間をゆっくり過ごそうと考え、何となく気持ちが療養の泉に流れて足を運んでみると、タキュスが泉に脚をつけていたので、本人の許可を得てそばの大木に背を預けて座り、見学していたのだ。
腰までつかってはいないので水深は意外に浅いのか尋ねると、奥へ進むにつれ深くなるとタキュスは教えてくれた。
「正確な深度を知りたいなら潜ってみればいい」
「やめておくわ。生煮えになりそう」
温水は好きではないし、匂いも嫌だ。渋面したオストレアにタキュスが笑った。
最近、タキュスは笑顔を見せてくれるようになった。そのたびに鼓動がはねるので、それを隠すために今は自分のほうが無愛想になっている気がする。
「脚の傷、どう?」
「入学前よりはずっといい。時間はかかるだろうが、この調子なら完治するかもしれん」
タキュスは人の姿になってオストレアの隣に寝そべった。
ソンリッサたちから話を聞いたとオストレアが伝えたとき、タキュスは眉をひそめたが、余計な世話だと怒りはしなかった。いずればれることだと心構えができていたのかもしれない。
自分とは違い、タキュスは犠牲になった子供たちの親からなじられることはなかったらしい。慣例を汚す行為で先に陥れようとしたのは相手のほうだったから。それでも嘆き悲しむ大人を見るのは苦しく、また早駆け大会に参加したくないという気持ちもあって、十六になる年にさっさと集落を出たのだという。
「他の人たちはみんな郷に残ってるの?」
「数人はメソス・スコラに入学している。戦闘科に入ったのは俺だけだが」
両手を組んで頭の下に敷き、タキュスは目を閉じた。
「ねえ、タキュス。最初に私を見たとき、どう思ったの?」
何が決め手だったのか、ずっと気になっていたのだ。
「受付で私を囲んだ半馬族はたしか、みんな戦闘科だったでしょ? どうしてこんなに集まるんだろうって、あのときはびっくりしたし、ちょっと怖かったわ」
不足している半魚族を勧誘しようとしていたと今ならわかる。きっとタキュスがすぐに連れ去らなければ、どこか別の班に引っ張られていたはずだ。
「…………忘れた」
タキュスのそっけない回答に、オストレアはがっくりした。
「肝心なことは言わないんだから」
覚えていないなんて絶対に嘘だとぶつくさぼやくと、タキュスが尋ね返した。
「お前にとってそれは大事なことなのか?」
「……だって、知りたいじゃない」
「なぜ知りたいんだ?」
予想外に食いつかれ、オストレアは返事に困った。金色の双眸にじっと見つめられ、ますますたじろぐ。
「……忘れたわ」
タキュスが目をみはり、それから発笑した。
「肝心なことを言わない奴だな」
やっぱり返された。オストレアはかかえた膝にあごを乗せてふくれた。
ひとしきり笑ってから、タキュスがふと真顔になった。
「他の奴と組みたいか?」
えっ、とオストレアは驚いた。
「たとえば――アファブレ」
以前からよくオストレアのことを話題にしていたが、総母だと知れてから目の色が変わったとタキュスは告げた。
「あの半鼢族の見舞いで治療室に行ったときも、ずいぶんお前に熱心だったとエグルに聞いた」
オストレアは眉尻を下げた。
「初めて会ったとき、君なら大歓迎だとは言われたわ。でも、半馬族は背中に乗せる半魚族を見捨てないんでしょ? それなら私は……」
タキュスがいい、とはっきり口にするのはためらわれた。
自分でもとまどっているのだ。最初は乗るのが嫌でたまらなかったのに、こんな短期間で心境が変化すると思わなかった。
「――あ、でもプルプラ・マールムの班長は」
サルディーネを乗せているはずなのに、自分に誘いをかけてきた。つまり、義務感を捨て去る半馬もいるということだ。
「あいつは論外だ。一緒にするな」
半馬族の恥だとタキュスは吐き捨てた。
「じゃあ、もしこの先もっと乗せたい半魚が現れたらどうするの? 私を嫌いになったら」
不安が口をついて出てしまい、オストレアはうつむき膝に額を当てた。
「それは――ない」
断言とともに、タキュスが体を起こす気配がした。たくましい腕に肩がぶつかり、ぱっと顔を上げたオストレアは、間近でタキュスと見つめ合った。
「どっちがないの?」
「どちらもだ」
オストレア以外の半魚を乗せたいと思うことも、オストレアを嫌いになることもない、ということらしい。
「すごい自信だね」
からかいでごまかそうとしたが、熱のこもった金色の瞳にとらわれ、オストレアは動けなくなった。
「受付でお前を見て、乗せると決めたんだ。だから他の奴を相方にするつもりはないし、お前を誰かにやろうとも思わない」
ぶわっと一気に高まった嬉しさに、オストレアは顔を伏せた。
「せ……責任感が強すぎるよ」
心音が激しくて耳までひどく脈打っている。
これは誤解しても仕方ない。するなと言うほうが無茶だ。
「どうして私に決めたの?」
あのときは総母だと気づいていなかったはずなのに。
「勘だ」
今度は忘れたとは言われなかったが、オストレアは膝をかかえたまま地面にごろんと倒れた。すべてを勘で片付ける半馬族にだんだん腹が立ってきた。
「もういい」
むうっと口をとがらせてむくれたオストレアは、起き上がろうとして息をとめた。のぞき込むようにゆらりとタキュスの顔が迫ってくる。
武器をにぎり慣れたかたい親指に頬をなでられてオストレアがびくりとすると、一瞬タキュスの手が離れかけたが、嫌がっているわけではないと伝わったのか、また触れはじめた。
倉庫で無理やり本来の姿に戻されたときとは違う、甘い息苦しさに胸をしめつけられたとき、ドサリと物の落ちる音が響いた。
転がってきたのはタキュスが毎朝食べている果物だ。籠を落として青ざめているトレーネに、タキュスが目を細めた。
「何の用だ」
「あ……あの……故郷から届いたから……タキュスが好きだと思って……」
「いらん。余っているなら他の奴に配れ」
冷たく拒絶され、トレーネは涙ぐんだ。唇をきゅっと引き結び、籠をそのままに駆け出す。眉間にしわを寄せて舌打ちし、タキュスは腰を上げた。
「帰るぞ。明日は大仕事だろう」
休めるうちにちゃんと休んでおけと言って、タキュスが手を差し出す。つられて手を重ねると引っ張り上げられた。勢いでタキュスの胸に額と鼻をぶつけ、「ぶっ」とつぶれた悲鳴を漏らしたオストレアに、タキュスが小さく笑った。
「今の声は総母らしくないな」
「別にいいわよ。らしくなくて」
総母らしくありたいなんて思ったこともないしと言って離れようとしたオストレアを、タキュスが片手で抱き寄せた。まるで封じている匂いが漏れていないか確かめるように、首筋に鼻を近づける。吐息が肌に触れ、オストレアはぞくりとした。
タキュスが「行くぞ」と歩きだす。解放されたオストレアは慌てて追った。
行為の真意を尋ねても、きっとはぐらかされるに違いない。自分だけが意識しているみたいで、切なくなった。
(私が好きになっても、乗せてくれるの……?)
思わせぶりなことをしてその気にさせて、惚れるなと蔑んで放り出すようなまねをされたら困る。
もしかしてトレーネも同じように期待してしまったのだろうか。だとしたら他人事ではない。
やや赤みをおびた木漏れ日の中できらめいている白金色の髪を見つめ、オストレアは胸内でぐるぐる回るさまざまな感情にため息をこぼした。




