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「最初から言うことを聞いていれば、こんな目にあわずにすんだのに、馬鹿な奴だ」

 力一杯背中を踏みつけられ、ブジャルドは低くうめいた。殴られ、蹴られ、体中のあちこちが痛い。

 体格と腕力からしておそらく半熊(ウルスス)族だろう。常にジェローシアの傍らにいたサエウムは、強さの面でもきっとジェローシアに気に入られていたに違いない。総母の自分を全力で守るたくましい取り巻きは、自尊心を大いに満足させる大事な存在だ。

 よく考えれば、オストレアが手紙で呼び出すなどということをするはずがないのに。最優秀賞を取ってからなかなか会えなくて、やっと会えたと思ったら、悪意にさらされるオストレアをかばうためにカエルラ・マールムが囲ってしまった。

 彼女が歌うのを遠くから眺めることしかできなかった。その歌声に近づきたいと願う大勢の生徒の一人という位置づけが悔しかった。

 彼女の魅力を知らしめたのは自分なのに。こんなことなら、最初から自分の手の中に閉じ込めてしまえばよかった。

 日も暮れかけた時分に療養の泉に来るような者はいない。戦闘科の生徒も薄暗い林を抜けてわざわざ寂しい場所を訪れるまねはしないだろう。特に今は、生徒を食い荒らしている半蛇(オピース)族がいるらしいと皆が警戒しているのだから。  

「せっかくの才能がここでついえるのは残念だな。だが、すべてお前が自分で招いた結果だ」

「……僕はジェローシア先輩の取り巻きには入らないってきちんとお断りしたはずです。なのになぜそんなに粘着するんですか」

「お前は来年もあの半魚だけを描くつもりだろう。それでは困るんだよ。ジェローシアも俺も」

 いぶかるブジャルドに、サエウムはゆがんだ笑みを漏らした。

「俺は総母を妻にする。しかも四年間『リンゴの乙女』に選ばれた女をだ」

 どこの班の班長もなしとげない栄誉を手にするんだと語るサエウムに、ブジャルドはようやく納得した。虚栄心を満たしたいのはジェローシアだけではなかったのだ。

 髪をつかんで頭を引き上げられる。そのとき、首元にのぞいた首飾りにサエウムが反応した。

「ずいぶん格好つけたものを持ってるな。さすがは最優秀賞を受賞した芸術科の生徒だ」

 戦利品としていただいてやろうと、サエウムが首飾りをつかむ。取られたらまずいというあせりと首が圧迫された息苦しさに、ブジャルドは抵抗した。しかし引っ張り合ったことで結局首飾りはちぎれたあげく、半分が療養の泉にボチャンと落ちた。

 舌打ちしたサエウムが自分の手にある残りも泉に放り投げ、ブジャルドの頭を水面に押しつけた。生ぬるい水と薬のような味が口の中に広がる。息ができなくてもがくブジャルドに、サエウムがせせら笑った。

「死んだらこの泉に沈めてやるよ。お前の愛しい半魚がもしかしたら捜しにきてくれるかもしれないぜ」

 苦しさと体の異変にブジャルドの心拍数がどんどん上がる。

 だめだ。

 腹の底からわく欲を受け入れてしまったら、いずれ彼女も手にかけてしまう。

 子ができるかどうかはわからないが、半鼢(タルパ)族の相手を探しなさいと母には言われた。そうすれば、あなたの素性はごまかせるからと。

 でも、入学時に目にとまったのは。

 不思議なくらい心惹かれたのは――。

 ごぼっ、と最後の息を吐き出し、ブジャルドは体の力を抜いた。動かなくなったブジャルドの顔をサエウムが水から上げる。

「死んだか?」

 地面に放り投げられても、ブジャルドはぴくりともしなかった。

「眼鏡くらいは没収するか。お前が生きていた証を残しておいてやるよ」

 サエウムがかかんで黒眼鏡を奪い取ろうとしたとき、ブジャルドはその手をつかんで相手を引き寄せた。油断していたのだろうサエウムが目をみはる。半人の中でも力の強い種族が本気で抗うより先に、ブジャルドは泣きながらそののどにかみついた。

 


 あちこち歩き回り、ようやくイレイズを食堂で発見した。今日の料理を並べる手伝いはルボル・マールムだったのだ。

「捜していると聞いたんですが」

 カシェが声をかけると、「うん。さっきようやく見つかったの」とイレイズは破顔した。

「……僕に用事があったわけではないんですか?」

 カシェは胸騒ぎを覚えた。

「え? 違うよ。私が探してたのは、おばあちゃんにもらったお守り袋」

 イレイズが不審げに首をかしげる。カシェは記憶をたどり、蒼白した。

 彼はイレイズが()()()捜していたとは一言も口にしていない。うまく会話をつなげてそれらしくみせただけだ。

「何だ? どうかしたのか?」

 料理の盛られた大皿をかかえてきたレッジェロが尋ねる。そこへモラもやってきた。

「あれ? カシェ、オストレアは一緒じゃないの?」

「まだ部屋に帰っていませんか?」

 図書館の本はなかったか聞くと、モラはかぶりを振った。

(やられた!)

 カシェは額を押さえ、険しい顔でモラを見た。

「ラーウス・マールムの班長に出会って、イレイズ先輩が捜していると言われたんです。てっきり僕に用があるとばかり……オストレアを捜さないと!」

 カシェの訴えに場が緊迫した。

「ラーウス・マールムって、サエウム!?」

 ジェローシアに一番近い存在が絡んでいたことに、モラも青ざめる。話が聞こえたらしく、食堂の入口でタキュスが凝然としていた。

「レントゥス! オストレアの匂いがわかるか?」

 シュタルクの呼びかけにレントゥスがうなずく。

「何の騒ぎ?」

 今度はソンリッサとマスィーフが現れ、オストレアがサエウムに連れ去られたかもしれないとタキュスに聞いて顔色を変えた。

「オストレアと別れた場所は?」

 レントゥスの問いにカシェが「図書館と寮の間です」と答える。

「行こう。そこからたどる」

 走りだすレントゥスにカシェとタキュス、マスィーフ、そしてモラを乗せたソンリッサが追う。

「あ、ちょっと待って、俺もっ」

「だめだ。今みんなが行くと夕食の準備が間に合わない」

 慌てて大皿を台に置いて駆け出そうとしたレッジェロをシュタルクはとめ、寄ってきたソリドとウラーカ、フォセ、ラクスにも指示した。

「急いで並べろ。終わりしだい俺たちも向かう」



 人の状態でもかぎわけることはできるが、本来の姿のほうがより精度が高くなるため、レントゥスは黒く長い毛並みの犬に変化してオストレアの足取りを追った。途中でエグルとタオヘンも合流し、カエルラ・マールム全員で後に続く。

「芸術科舎?」

 レントゥスの行き先にソンリッサが眉をひそめる。嫌な予感が増し、タキュスは唇を引き結んだ。まさかあの芸術科の半鼢族がジェローシア側と手を組んだのか。

「オストレアは自分の足でここまで来たみたいだね」

 校舎に入ったレントゥスが床を丁寧にかいで進んでいく様子に、エグルが言う。

 カシェの話では、サエウムは一度二人のもとを去っている。ということは、やはりブジャルドに誘われて……? 

 まもなくレントゥスは、地下へ続く階段の前で足をとめ、人の姿に戻った。

「この先です」

 モラがソンリッサから降りる。「俺から行こう」とマスィーフが一番に動き、タキュスも人になって腰の剣を抜いた。

 降りた先は行きどまりだった。ただ、先ほどからほのかにリンゴの香りがしている。中にジェローシアがいるのかとも思ったが、どうも微妙に違う気がする。

 マスィーフがタキュスとうなずき合い、把手をにぎる。しかし木製の扉は鍵がかかっていたので、マスィーフは体当たりした。

 二度で扉が破れ、リンゴの匂いが一気にあふれ出る。中に飛び込んだタキュスは瞠目した。

 血まみれのもぐらのそばで、後ろ手に縛られて倒れているのは――。

「オストレア!?」

 駆け寄ったタキュスは剣で縄を切ってから鞘に戻し、オストレアを抱き起こして息をのんだ。肌がすっかり乾いてひび割れているオストレアは、破れたシャツからのぞく白い胸元にリンゴの痣を浮かび上がらせていたのだ。

 濃厚な果実の香りにむせ、酔いそうになる。ぐらりとめまいを起こしかけたタキュスは、モラの悲鳴で我に返った。

「早く水場へ連れていって! 早く!!」

 半魚姿のオストレアをかかえ、半馬になってタキュスは部屋を出た。狭い階段で仲間たちができるかぎり端に寄って道をあける。

 脇目も振らず芸術科舎を駆け抜けたところで、反対側からシュタルクがラクスを乗せて走ってきた。レッジェロもいる。

「タキュス!」

 返事もせず三人の横を過ぎる。通りがかった生徒たちも皆、タキュスに跳ね飛ばされないよう慌てて逃げた。

 すっかり日が沈んだ憩いの噴水池ではまだ数名の半魚が涼んでいた。オストレアを横抱きに猛然と突っ込んできたタキュスに目を丸くしている彼らに、タキュスは声を張り上げた。

「すまん、緊急事態だ!」

 他種族が泉に浸かるのを嫌うと知っていたが、相手の許可を待たずにタキュスは噴水池に飛び込んだ。

 ザブンと沈んでみれば、予想以上に深かった。オストレアを抱いたまま人の姿になって浮上しようとしたが、急激に水を吸収しはじめたかのように、オストレアの体はどんどん重くなっていく。

 このままでは自分が溺れてしまう。だがオストレアを手放せず一緒に底へと向かっていると、オストレアが薄くまぶたを上げた。

 意識が戻ったのか。安堵していいのかわからずただ見つめるタキュスに、やがてオストレアがゆっくりと手をのばした。

 頬をはさまれ、口づけられる。驚いたはずみでわずかに残っていた空気を吐いてしまったタキュスは、急に呼吸が楽になったことに気づいた。

 オストレアは再び目を閉じ、力なくタキュスに身を預けている。結局底にたどり着き、タキュスが地を蹴ってもう一度浮上を試みたとき、半魚になったモラとラクスが泳いできた。

「オストレアは私たちに任せて、タキュスは先に上がって」

 離れがたい想いはあったものの、タキュスはモラにオストレアを託して水面を目指した。

「タキュス!」

 顔を出したタキュスは、噴水池の縁で身を乗り出してのぞき込んでいた仲間たちのほうへ行った。池から上がり、頭を振って水を散らす。

「オストレアは?」

「モラたちが見てくれている」

 心配そうなソンリッサに答え、タキュスが倉庫の様子を聞き返すと、エグルが説明した。空になった薬瓶が床で割れていたので、オストレアは強制的に元の姿にさせられた可能性が高いこと。そして瀕死のもぐらはブジャルドではなく、ジェローシアの取り巻きだったらしい。

「あいつはこのところオストレアの歌をよく聴きに来ていたから、ジェローシアに懲罰をくらったんじゃないか」

 エグルの意見にマスィーフも歯ぎしりする。

「何か仕掛けてくるかもと予想していたが、さすがにここまでやるとはな」

 タキュスは動きのない水面を見やった。

 半魚族は陸で本来の姿に戻ると呼吸困難に陥り、最悪の場合死んでしまう。

 あんなに干からびるまで放置され、相当苦しかったはずだ。かかえて走る間ずっと鼻孔をくすぐっていたかぐわしい香りは、水に入った後もまだ取れず、自分の周りの者たちがどことなく落ち着かなげにしている。

 まもなく、待ち望んだ存在がゆっくりと上昇してきた。リンゴの匂いが広がる中、モラに抱きしめられているオストレアはまだぐったりと目を閉じている。

 タキュスが自分のベストを脱いでモラに放ると、モラはオストレアを仰向けに浮かべながら胸元にベストをかけた。 

「無事なのか」

「どうにか命はつなぎとめることができたわ。でもかなり衰弱してるから、今日はこのままここで休ませたほうがいいと思う」

 今、水から上げるのは危険だわと、モラがオストレアの髪をなでる。

「ひどすぎるよ。本当に……あと少し発見が遅れていたら死んでた」

 ラクスも怒っている。そこへシュタルクがやってきた。

「戦闘科長に報告してきた。取り巻きの奴とは別にもう一人――ブジャルドといったか? あいつも療養の泉で大けがを負って倒れていたのを、巡回中のコルヴォたちが見つけて治療室に運んだらしい」

 ブジャルドまでがと、タキュスたちは驚いた。

「オストレアからの手紙に誘われたそうだ。偽物だったそうで、サエウムにやられたと言って気絶したと聞いた」 

 そのサエウムは現在行方不明になっているとシュタルクが告げる。

「逃げたんだろう。ブジャルドに対してはただの暴行かもしれないが、オストレアは完全に殺す気だったとしか思えない。オストレアが救出されたこともどこかで見ていたんじゃないか?」

 班長の地位を剥奪どころか退学処分ものだと、エグルが憤然とため息をつく。

「念のため、見張りを立てましょう」

 ソンリッサの提案に、モラとラクスがまず手を挙げた。夜通し水に浸っていても自分たちは大丈夫だからと。

「俺も残る」

「僕も」

 タキュスに続き、カシェも立候補する。眉間にしわを寄せてオストレアを見つめるカシェは、後悔とともに自分を責めているようだ。

「じゃあ、俺たちは引き上げよう。もし明日以降も警護が必要なら交代要員がいる」

 こういうとき、先を見て判断できるのはエグルの美点だ。すきあらばからかうのは非常に迷惑な難点だが。

 ソンリッサが後で夕食を届けると言い、仲間を連れて去る。シュタルクの班からはレッジェロも付き添いに名乗りを上げた。

「すみません。僕がそばを離れたせいで……」

 水気を失ってパリパリになっていた肌は回復してきたものの、まだ生気のないオストレアを見守るカシェは悄然としている。

 傍観していた半魚たちもいつの間にか姿を消し、噴水池の周辺は恐ろしいほど静かになっていた。

「オストレアって、やっぱり総母だったんだな」

 レッジェロが感慨深そうにつぶやく。タキュスは金色の双眸を細めてオストレアを凝視した。

 もともと高い歌力に総母としての魅力まで加われば、バルバルス・オースを虜にするのも納得だ。

 心無い悪態から守ろうと班で奮起したが、放っておいてもいずれ勝手に自分の力で苦難を乗り越えたかもしれない。実際、歌えば歌うほど男女関係なく人を惹きつけているのだから。

 ただ、班で行動したことにより牽制にはなった。いや、自分たちの所有欲が満たされたと言うべきか。

 オストレアはカエルラ・マールムの一員だと周りに認識させるには十分だった。これでしばらくは、オストレアを引き抜こうという動きはおとなしくなるに違いない。

 班のほうはいい。後は――個人だ。

 先程触れ合った感触が頭から離れず、タキュスは自分の唇を指でなぞった。

 あのとき、水中で普通に息が吸えるようになった。半魚族の接吻にはそういう効果があるのか。

 オストレアは単に自分を助けようとしただけか?

 時が時でなければそのまま自制がきかなくなったかもしれない行為に鼓動が速まり、タキュスは目をそらした。

 ここまでの状況に至り、くだらない感情だと振り捨てるほどの強がりは、もはやもてなかった。

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