第十五話 存在しないはずの魔物
足音が遠ざかり、聞こえなくなるとまずはロント小隊とワステード元司令官直属の雷槍隊が動き出した。
雷槍隊機が五機、起動状態に入り、立ち上がる。同時に、ロント小隊の精霊人機三機が起動して駐機体勢となった。
月の袖引くも森に対して三人一組での魚鱗陣形を組み、魔術戦の構えを整えつつ、スイリュウを駐機体勢にする。
続いて動き出したのは意外にもリンデたち随伴歩兵部隊だった。
雷槍隊機とロント小隊の精霊人機の間に横一列の陣形を組んだ随伴歩兵部隊が適度に力を抜きつつ森を含めて湿地全体を警戒する。
最後に、二つの小隊長が率いる部隊が河に向かって陣形を組む。足音を聞きつけた何らかの甲殻系魔物がやってこないとも限らないためだろう。増水した川に行く手を阻まれるのは人間だけで、甲殻系魔物にとっては障害物と認識すらしない。
俺はディアに跨り、ミツキと一緒にワステード元司令官がいる簡易テントへ急いだ。
すでにロント小隊長を含む三人の小隊長とワステード元司令官が揃っている。
「きたか。足音の正体は分かるか?」
「双眼鏡やスコープで森を確認しましたが、見えませんでした」
「君たちもか。となると、正体はつかめないままだな」
「それについて、一つ心当たりが」
推測ですが、と前置きしてから、俺は大型スケルトンの可能性を話す。
ワステード元司令官は納得の表情で頷き、険しい顔をした。
「報告にあった大型スケルトンだとしても、足音が重すぎるのが気にかかる。君たちが見た個体よりもさらに大きなモノがいるのか、もしくはテイザ山脈を越えてギガンテスでもやって来たのか」
「ギガンテスの足音にしては大きすぎました。あれだけ大きく聞こえていれば、索敵魔術に引っかかっています」
これは俺とミツキしか得られない判断材料だったが、デュラへの威力偵察を行ったロント小隊長も同意見らしく、首肯した。
「姿が見えなかった以上、敵は森にいたのでしょう。森から響いたギガンテスの足音だとすれば確かに大きすぎます」
話をしていると、タリ・カラさんとレムン・ライさんが簡易テントにやってきた。
「遅くなりました。先ほどの足音の正体については?」
「大型スケルトン種、もしくはギガンテスではないかと意見が出ているところだ」
「あの足音から察するに、人型は確定ですね」
タリ・カラさんも同意して、会議に加わる。
「先ほどの足音はボルス方面に遠ざかって行きました。ただちに追いますか?」
「いや、追う事はしない」
ワステード元司令官は断固とした口調で言い切った。
「人型魔物であればまだ良い。しかし、スケルトン種であるとすれば、今の戦力ではすり潰される。追撃は掛けない。計画通り、朝を待ってここを出発する。それまでは交代で密に警戒態勢を取れ」
「良いんですか? ボルスが落とされる可能性は?」
「ボルスにはホッグスと赤盾隊がいる。リットン湖攻略戦が失敗した今、ホッグスはこれ以上の失態を重ねるわけにはいかないはずだ。ボルスは必ず死守するだろう」
苦い顔をして、ワステード元司令官が言う。ロント小隊長たちも悔しそうな表情で頷いた。
旧大陸派の自分たちを見捨てたホッグスがボルスを守り切れると認めるのは業腹だが、それでも認めざるを得ないという顔だった。
会議は解散となり、警戒をしつつも夜を明かす。
俺も一応はディアの背中の上で眠ったが、安眠には程遠い。
浅い眠りから目覚めた時には日が昇り、各々が朝食を静かに食べていた。
ミツキと一緒にサンドイッチをかじり、出発の準備を整える。
ワステード元司令官が雷槍隊の副隊長とロント小隊長を連れてやってきた。
「昨夜の足音の正体と真っ先に遭遇するのは索敵に当たる君たちだろう。無茶はするな。正体がつかめたらすぐに報告に戻り、ロント小隊長の指示を仰げ」
「了解です。報告はしますが、指示通りに動くとは限らないと理解しておいてください。捨て石になる気も、囮になる気も一切ありません」
「それでいい。死ぬ気で何かされては救助に来てもらった者としても申し訳が立たないからな。いまから出られるか?」
「出てきますね」
ディアに跨り、部隊の側面を突かれないよう周辺の索敵に出る。
昨夜、俺たちを緊張させたあの足音がまるで幻だったかのように、湿地帯はもちろん森の外縁に至るまで魔物の姿はなかった。
ついでに動物の姿もない。鳥などもいなかった。
魔物が通ったことは明白だが、通った跡が見当たらない。
タラスクが通った跡を追って行ったのだろうか。
念のため、甲殻系魔物が通った跡とみられる木々がなぎ倒された地点にも足を運んでみるが、タラスクの甲羅の幅で木々がなぎ倒されているだけで真新しい足跡などは残っていなかった。
「報告に戻ろう」
「仕方ないね」
ワステード元司令官に報告すると、慎重を期して進む事が決まった。
月の袖引くを先頭に、ロント小隊が続く形で前衛が出発する。
俺たちも精霊獣機で横に並び、索敵を継続した。
空は雲が少しあるだけだ。湿度は高いが霧が出る様子もない。
最後尾の部隊が何度か湿地帯に出来た沼に整備車両を嵌まらせてしまい、進行が遅れる。
もしも昨夜の足音の主と戦闘になっていたら同じように車両を沼に嵌まらせ、整備士などの非戦闘員を逃がすことができずに損害を被っていただろうことは想像に難くない。ワステード元司令官の判断は正確だったらしい。
湿地帯を抜けて森に挟まれた街道に入る。湿地帯に向けて途切れたその街道は、ボルスへと通じている。
足音の主が魔物を片付けたのか、あるいは追い払ったのかは分からないが、森の中は静まり返っていて魔物はおろか野生動物とさえ遭遇しない。
静寂に包まれた森の中、ロント小隊の整備車両を覆う遊離装甲がこすれ合う金属的な音だけが響く。
「嫌な静けさだね」
「空が晴れても気分は晴れないんだからな。本当に嫌な静けさだ」
だが皮肉なことに、魔物の気配一つないからこそ街道に入ってからの進軍は順調そのものだった。
俺とミツキの索敵能力を信頼してくれている月の袖引くとロント小隊長が軍の先頭にいる事も大きい。
俺たちが魔物はいないと報告すれば、信頼して速度を上げるからだ。
日程を大幅に短縮しながら、魔物のいない森を走り続ける。
魔物がどこかに潜んでいる可能性も考慮して、俺とミツキは森を駆け回るが何も発見できない。
道を進むほどに、ボルスとの距離が縮むほどに、焦りが生まれる。
この森に魔物がいないという事は、あの足音の主がこの地点を通り、生息する魔物を殺すか遠ざけた可能性が高い。
つまり、足音の主はこの先に、ボルスにいる可能性が高いという事だ。
俺たちがロント小隊の救援のためにボルスを出た時、防壁の修復はまだ不十分だった。
ギルドは開拓者を呼び込もうとしていたが、増援は望み薄だった。
道を進むほど、嫌な予感が膨らんでいく。
何かを見落としているのではないかと、周囲の景色に気を配る。
だが、安心できるような材料などどこにも見当たらない。
そうしている内に、日が暮れはじめていた。
気温が急速に冷え込み、風が吹き始める。
森の木々が風に煽られてざわざわと音をたてはじめた。
もう少し進めば、ボルスに合図を送れる距離になる。
しかし、ここまで来てもいまだに魔物はおろか動物の姿さえ見当たらない。
「ミツキ、いったん戻ろう」
「そうだね。夜を徹して行軍するとしても、ワステード元司令官の判断を仰ぐことになるだろうし」
街道を進み、月の袖引くの下に戻る。
すでにワステード元司令官から停止の命令が出ていたらしく、周囲を警戒しながらも団員たちは休憩に入っていた。
ロント小隊も同じく休憩に入っているが、精霊人機三機に魔力を充填しているようだ。魔物の襲撃を警戒してずっと起動状態だったからだろう。
俺たちを見つけて、タリ・カラさんが駆け寄ってくる。
「お二人とも、この辺りに落ちていたはずの遊離装甲を知りませんか?」
「遊離装甲?」
訊ね返すと、タリ・カラさんははっとした顔で胸に手を当て、自らを落ち着かせる。
「そうでした。お二人は街道を通らず、森や湿地を抜けて河へ向かったんでしたね」
一人納得すると、タリ・カラさんは説明してくれる。
「街道上にはリットン湖攻略隊の車両が落とした遊離装甲が落ちていたはずなんです。少なくとも、私たちがこの道を通ってロント小隊の救援に向かった時には落ちていました」
言われて思い出すのは、ボルスの料理屋で窓越しに見かけた新大陸派の車両群だ。確かにどれも遊離装甲を纏っていなかった。
遊離装甲を纏っていると魔力を消費するため、撤退する際に捨て去ったのだと思っていたが森に来るまでは着けていたのか。
ボルスまでの距離が縮まった事で、遊離装甲による防御よりも途中で魔力切れに陥るリスクを排除する方向に舵を切ったのだろう。
「車両の遊離装甲って事は鱗状の奴ですよね?」
タリ・カラさんは深く頷いた。
「大きさは統一されていて、大体このくらいの大きさのはずです」
タリカラさんが手を広げて大きさを示す。大体、一辺が一メートルほどの正方形をうろこ状に切ったような大きさだ。
ロント小隊の整備車両を見て記憶を呼び起こし、ここまでの道の光景を思い出す。
「見てないですね。具体的にはどのあたりですか?」
「この直線に入る二つ前の曲がりくねった辺りです」
あの複合カーブか。
特徴的なカーブだったため索敵時の起点にしたから覚えているが、車両の遊離装甲なんて落ちていなかったはずだ。
「ありませんでしたね。付近の森も索敵の時に走り回ったので、見落としもないはずです。ミツキは見たか?」
「見てないね。ボルスから回収部隊が来たのかな?」
「もしもそうなら、ボルスは少なくとも一度、外の安全を確保したことになる。捜索隊が出てないのはおかしい」
そうでなくとも、遊離装甲だけを回収していったというのは腑に落ちない。回収部隊ならもっと高価な蓄魔石や魔導核を回収しに河の辺りまでは来そうなものだ。
「周辺から魔物がいなくなったかを確かめる偵察部隊を出したものの、ホッグスが偵察部隊を信用できずに偵察を行った証拠に遊離装甲の回収を命じた、とか?」
「それも少し厳しい気がするな」
嫌な予感がどうにも高まってくる。
ひとまずワステード元司令官に報告しに行こうと後続の部隊を待とうとした時、ディアとパンサーの索敵魔術が同時に反応した。
半ば反射的に索敵魔術の設定を弄って対象の大きさや距離を確認する。
「正面方向に小型の反応。ちょっと見てきます」
「お気をつけて」
タリ・カラさんに見送られて、ディアを反応に向かって加速させる。
後方のミツキを振り返って、声をかける。
「森を突っ切って進む。ディアを枝避けに」
「分かった」
ミツキがパンサーの速度をわずかに上げて、ディアのすぐ後ろに着く。
一列になって森に突入し、反応との距離を急速に縮める。
枝がディアの角に当たる耳障りな音を無視して、角の間からまっすぐに前を見据えた。
距離が縮まり、対象がもうすぐ見えてくると身構えた瞬間、正面の木がバキバキと大きな音を立てて幹の半ばから倒れた。
「ミツキ、左に緊急離脱!」
ミツキに指示を出しながら、左にディアの進路を強引に曲げる。
一瞬、何が起こったのか分からなかったが、倒れた木の向こうに立っていたそれを見てすぐに悟る。
それは、スケルトンだった。両腕に車両から落ちたと思われる遊離装甲を盾のように浮かせ、頭上にロックジャベリンを準備している。
存在しないはずの魔物、それは――
「敵は魔術を使うスケルトン!」