進化し続ける猛禽
私の作品が誰の目にも止まらず消えていくの悲しかったのでダイレクト投稿しました。一人でも読んで下さる人がいれば嬉しいです。
「進化し続ける猛禽」
房音智生
どこかの惑星のどこかの国、どこかの公園の夜。10人の若者が拳銃を握り締めて周囲
をうかがっている。若者たちがそれぞれが構えている銃は、メーカーも生産国もバラバラ
だ。ついでに着ている服も迷彩服のように統一されておらず、寒さをしのげる服という点
以外はまちまちだ。
彼らの緊張感から、夜間のゲームに興じているわけではないことは明らかだ。一体何と
戦っているかは、はたから見れば不明だが、今日はいつにも増して彼らの旗色が悪いよう
だ。
通常は”3機”の敵を想定して”1機”に対して3人。1人がバックアップで、10人
体制のチームで行われている”対処”と、呼称される仕事なのだがなのだが、どういうわ
けか今、彼らは”4機”の敵と交戦中だった。事前の”予測情報”が間違っていたのだ。
しかし彼らは撤退することを許可されていない。-これがサバゲーならどんなに良かった
か-全員がそう思っていた。
しかし気がつけば味方の数は4人になっていた。うち一人はバックアップ要員だ。
「”また”こんな状況になるなんて」
バックアップ要員である若い男は、出動の度に思い出す”初めてのミーティング”を回想
していた。
□□□
とある日の昼間。目隠しをされ、何の説明もなく突然拉致された十数人の男が車から降
ろされ、乱暴に無理やり複雑な経路を歩かされ、目隠しを外されたとき、彼らは真っ白で
パイプ椅子だけが並べられた狭くも広くもない、そう”会議室”のような部屋の入り口付
近に立たされていた。彼らは=同じ境遇であろう=お互いを確認しようとしたが。知り合
いは一人もいなかった。会話を試みようと何人かがお互いに話しかけようとしたが、部屋
の全ての出入り口に拳銃を構えた黒服の男たちが立っている。会話を試みる前にどうして
もそれが先に目に入ってしまう。拳銃が偽者であることを信じたいが、違えば命が無い…
ようだ。良くても怪我をさせられると想像すると、とても会話ができる状態ではなかっ
た。こんな乱暴な手段で十数人も拉致する”組織”が、まっとうな組織であるはずがない
のだから。
やがて彼らをここに連れて来た黒服の男が一人、パイプ椅子に座るよう顎で若者たちに
指示をした。しばらくの後、彼らが入ったのとはちょうど反対側の入り口から、灰色の
スーツに身を包んだ黒ぶち眼鏡、オールバックの男性=40歳くらいであろうか=が入っ
てきた。そして何の挨拶もせずに突然現状の説明を始めたのである。
「訊きたい事はいくつもあるだろうが、まずは私から君たちがどういう立場にいるのか、
説明をさせてもらいたい」
言い終わるかどうかというタイミングで、彼らから見た正面の壁が一瞬にして大型スク
リーンへと姿を変えた。彼らにしてみればそんな現象は初めて見た。未知のテクノロジー
が使われているようだった。
「まず、ここに集められたのは、全員同じ境遇の大学2年生である。キミたちが各々の
大学に推薦入学し、また返済義務のない奨学金を得ることができているのは、すべてこれ
から説明する”義務”のためであること。これを忘れないようにしてもらいたい。」
これだけでも驚愕の事実だった。その場にいる大学生たちには、一瞬何の事だか理解でき
ないでいた。しかし、これからの説明を聞いているうちに察するのだ。彼らは何者かに周
到に準備された”罠”にかかったのだと…
「次にそこに並んでいる銃の中から1つを選びたまえ。特殊な銃だがまだ銃弾は入って
いない。”義務”を果たすには、そこにある拳銃が必要なので、真剣に吟味することだ。
選んだら、以後はキミたち一人一人に合うようその銃はチューニングされ、”義務”を果
たす際に貸与される。」
並んでいる銃はオート(自動拳銃)ばかり。彼らの中の一人、高宮という青年はあれこれ
握って試していた。青年は銃の知識などまったくないので、握ったときの感触で決めるし
かなかった。-コレに決めよう!-と思った…ときにはその銃は既に無く、大型拳銃1丁
しか残っていなかった。その”残り物の銃”は、彼の手に余るほど大きく、今の彼が満足
に扱えるとは到底思えなかった。
「拳銃で”義務”を果たす…となれば”何かと戦う”ということはキミたちの緩んだ脳
でも想像できるだろう?戦う相手とは、こいつら…”生体ロボットらしい”とだけ言って
おこう。我々は”敵機”と呼称している。」
男の背後にある、先ほど出現した巨大スクリーンには、3DCGで描かれた妙な生物が前
後左右上下と忙しく、くるくると回転してその姿を彼らに見せていた。CGの両サイドに
示されたスケールを見ると、身長?が1.2~1.5メートル。背後から見ると甲殻類、
例えばロブスターのように見えるが、前から見た姿は爬虫類のようでもある。甲殻という鎧
を着た大型爬虫類だ。これが”敵機”ということになる。”敵機”に関してはこれ以上の
説明は一切なかった。
彼らの”義務”とは、毎日深夜2時から眠らず待機し、呼び出しがかかればすぐに=今
回のように目隠しで=車に乗り、ここに集合すること。但し、いつも同じ”メンバー”が
集合するとは限らない。ランダムである。
集合時にはこの”会議室”で先ほど選んだ自分専用の銃をホルスターに入ったまま受け
取り、指定された場所に移動すること。しかし与えられる弾倉は1つのみ
で、どの銃も1つの弾倉に6発、特殊な銃弾が入っているという。これが”表の世界”の
銃とは明らかに違うところだ。
指定された場所=この”組織”が予測した場所=で朝まで待機する。もし”敵機”が出
現したら”1機”に対して3人ずつで”対処”即ち”戦う”こと。決して周囲の住民に
”敵機”を見られてはならないこと。1回の出動時にバックアップ要員が一人。その者の
主な仕事は”対処不能(主に死亡)”になったメンバーから装備である”銃と弾丸”を回
収すること。しかし必要に応じて”対処”も行う。そのバックアップ要員も毎回ランダム
に選定される。これが”義務”である。
”対処”が終了したらまたここに戻り、銃と弾丸を返却すること。義務が深夜であるた
め、大学の授業やレポート提出は免除される。試験の結果が悪くても”生きていれば”進
級も卒業も可能である。
「それから、これはあくまでキミたちがこの状況を外部に漏らさないための必要な処置
だが…」
彼らの家族は彼らには知らされない”どこか”に監禁され続ける。”事実上の人質”であ
る。家族…主に両親と不仲な若者というものはどこにでもいるものだが、人質となれば話
は別である。兄弟姉妹がいればなおさらだ。彼らが”義務”を果たさなければ、家族が殺
されることは容易に想像することができた。
説明はこれだけだった。あまりの異様な事態に誰も口を開かなかったが、誰かが”皆が
訊きたい事”の1つを質問した。
-1回の出動で無事にここに戻るのは何人か?-
「平均7割」
「…ざわ…」
「…が戻ってこない。」
「…ざわざわ…」
と短い答えが返ってきただけだった。しばらくの”間”の後に堰を切ったように質疑応答
がはじまる。しかし事の核心にせまる質問については一切回答を得ることができなかっ
た。
□□□
回想を終えた今回のバックアップ要員である青年は、回想中も機械的に自分の”義務”
を果たしていた。既に動かなくなっている”元、今日のメンバー”から銃を回収中であ
る。何回かの出動を経験した彼=高宮=は、このような作業も動揺せずに行えるように
なってしまっていた。余裕がある場合のバックアップ要員は、メンバーが”敵機”に対し
て撃ち損じた弾丸の回収まですることになっているが、今回はそんな余裕はなかった。そ
のような場合の弾丸の回収は、彼らとはまったく性質の異なる人員で構成された”回収
班”の仕事になる。そして遺体も。…要は現場の隠蔽工作全般が回収班の仕事であった。
何故余裕が無いのか?今回の”敵機”はいつもと違っていた。前回まで、奴らの大きさ
は身長1メートル前後のモノばかりだったが、今回はかがんだ状態でも2メートル近くあ
る。しかし体は大きいのに動作は今までの機体と同様か少し速いくらいだ。”敵機”は飛
び道具を持たないが、長くて強靭な腕と三本のツメ、口?から飛び出す伸縮自在かつ硬軟
自在の触手という強力な武器を持つ。背中と手足、そして後頭部に甲殻類=初回のミー
ティング時には背中はロブスターに似ていると思ったアレだ=のような強固な鎧を着てい
るため、鎧の無い真正面に立ち、胸や腹に”特殊な弾丸”とやらで射撃するしかないので
ある。
右の2体はメンバーが発射した”無音の弾丸”を受けたものの、既に放っていた腕のツ
メや触手がメンバーの体を引き裂いた。だが、弾丸は確実にその威力を発揮し、2体の敵
機はどろどろに溶け、やがて2つの水溜りとなった。相打ちになったのだ。コレが特殊銃
弾の3つの特徴のうちの2つ「無音」「敵機を水に変えてしまう」である。他に「薬莢が
ない」という特徴もあり、回収班が薬莢の回収を行わなくて済むという利点があるのだ
が、銃弾を詰める作業を行わない彼らメンバーにとってはどうでもいいことだった。もち
ろん銃弾の”ただの弾丸”としての威力は、”表の世界”で使われているどの拳銃よりも
強力である。しかし、なぜ撃たれた敵機が水になってしまうのか?その説明も”組織”か
らは一切無い。
先に倒していた1機と合わせて3機の敵機を仕留めたものの、左方の残り1機はメン
バーの銃弾をかわし、地面に垂れていた触手を硬化させ、そのメンバーの腹部を簡単に貫
いてしまった。
卑怯だと思った。非情だと思った。しかし”敵機は触手攻撃後の一瞬だけ体が膠着し、
隙を見せる事”を高宮は知っていた。今まで一緒に出動したメンバーの中で、おそらく彼
だけが知っていた事実である。しかしメンバー間で情報を共有したくとも、あの”会議
室”でも、こうした現場でも、メンバー同士の会話は厳禁とされていた。彼らの話す声は
首に付けられたマイクで盗聴されているため、会話をした場合に簡単にバレてしまうので
ある。
他にも何とかして”この情報”を他のメンバーに知らせようと試みてきたのだが、毎回
失敗している。今回の出動もそうだった。こんな馬鹿な話はないのだが、それが現実で
あった。高宮は考えるのを止めて目の前の危機に集中する。触手はまだメンバーの腹に刺
さったままのため、次の動作に移ろうとしない。高宮が知っている経験則どおりだ。やが
て敵機は腕を振り回してこちらを弾き飛ばそうと思ったようだが、高宮は敵機の腕が動き
始めるかどうかというタイミングで銃弾を放った。…そして今晩の”対処”はすべて終了
となった。
「また俺だけ生き残ったか…」
敵も味方も、動いているモノは何も無い。これではまるで自分は死神ではないのか、と考
えながら、メンバーから回収した装備を抱えて立ち尽くしていると、=どこからか一部始
終を監視していた回収班が連絡したのだろう=やがてどこにでもあるような目立たない黒
塗りの車がやってきた。高宮は目隠しされ、車に詰め込まれた。彼は今夜も”義務”を果
たしたのだ。
会議室に戻ると、例の灰色のスーツの男が拍手をしながら現れた。口では新しいタイプ
の”敵機”を屠ったことを賞賛していたが、一人だけ生き残って帰還したことを揶揄して
いることも間違いなかった。男は”高宮のレベルが上がった”と妙な事を告げると、夕方
もう一度呼び出すからと彼に伝えた。その後、また目隠しをされた状態で、彼に与えられ
たアパートに戻された。
高宮はこの異常な環境に置かれてから、一ヶ月も経たないうちに不眠症になっていた。
”組織”おかかえの医師の診断では、現在も治る見通しはまったくない。
高宮は”義務”の直後のため疲れてはいた。しかし今回の”義務”の結果ゆえか、眠る
気にはならなかったため睡眠薬は飲まず、今となっては彼には無意味である大学へ行くこ
とに決め、日が昇るまでの間、アパートの煎餅布団に横たわった。
□□□
あの衝撃の拉致から2年が経過し、今では高宮は大学4年生だ。授業には出ない。レ
ポートも提出しない=白紙で形だけ提出することはある=。部活にもサークルにも所属し
ていない。しかし何故か留年しない。そんな光一は当然どこでも独り。古い表現を使えば
”ボッチ”だった。大学に来たのはただ単に”日常”を忘れたくないためだったのかも知
れない。或いは、”組織”によって両親とともに住んでいたアパートを追い出され、その
後押し込まれた、大学に近い6畳1間のアパートが狭すぎて、息が詰まっていたのかもし
れないが…
しかしいざ来てみると、キャンパスの人ごみに嫌気がさしていた。高宮の身長は172
センチ。体重は66キロ。まさに中肉中背である。元々目つきが悪く、さらに不眠症のせ
いで、漫画に出てくるような三白眼に近い目になっていた。おまけに常に目にはクマがあ
る。頭髪は毎朝軽くブラシをかけるだけなのでいつもボサボサだ。さらに、グレーのジャ
ケットに紺のスラックス。これまたグレーのロングコート=かなりボロボロ=という出で
立ちである。こんなにたくさんの学生が歩いているキャンパスなのに、高宮が歩くと
「モーゼの十戒」の海が裂けるシーンのごとく、彼が歩く場所だけ学生たちがが避けて
通って行くのだった。
高宮は仕方なく、新築されたキャンパスから少し離れた場所に取り残された、体育会用
のグラウンドに足を向けた。高宮自身は大学でスポーツとは無縁の男だったが、何となく
歩いてみたかったのだ。大学から取り残されたグラウンド。日常から隔離された自分。そ
んな両者の比較をして。自分にお似合いの場所だと思ったのだ
すると突然、死角からサッカーボールが飛んできて高宮の後頭部を直撃した。昏倒こそ
しなかったが、何とか体制を建て直した。高宮は珍しく腹が立った。ぶつけられたことも
そうだが、何より-ボールが飛んで危ないから避けろ-というような声さえなかったから
だ。
ボールを拾ってその無礼な人物に文句を言うつもりだったが、その人物は悪びれるどこ
ろかにこやかにこちらに向かって
「ピカイチせんぱ~い」
と叫びながら走ってきた。ボールを蹴ったのは2年後輩の相川保奈美だった。スポーツ女
子らしく綺麗な黒髪をショートにまとめ、暑苦しさを感じさせない。青いユニフォームに
白い短パン。そんな女子がこちらに走ってくるのだ。この光景だけ見ていると、まるで少
女漫画の1ページでも読んでいるかのようだ。
そんな高宮の妄想を破壊して話をはじめた彼女によると、
「メンバーがだ~れも来ないんですよ?酷くないですか?」
と左腕にすがりついてくる。どうやら女子サッカーサークルの集まりが悪く、むしゃく
しゃしてボールを蹴ったら、たまたまそこをボロボロのコートを着たしょぼくれた男が猫
背で歩いていて、一目で高宮だとわかったと言う。
「あんな感じで歩いてるのはピカイチ先輩くらいですよ。だからボールに当たってもいい
かなぁ…なんて」
「まったくの他人だったかもしれないじゃねーか!いや、それ以前に『俺だったら構わな
い』とはどーいうことだタコがっ!」
「いえいえ、実際先輩だったじゃないですかぁ。それにまさかあんなに見事に直撃すると
は思わなかったんでぇ、驚かすつもりで声をださなっかったんです」
と迷惑なことを言っている。
「ええい、腹が立つ…それに何度も言っているが、その変なアダナはやめろ!俺の名は光
一だ。こういち!」
この二人、光一と保奈美の間に恋愛関係は一切無いが、高校時代からの腐れ縁からか保奈
美が光一に一方的に懐いていた。
「いーじゃないですか”ピカイチ”で。おーむかしに流行った…なんでしたっけ…そうそ
う”キラキラネーム”?みたいな?」
「……」
もう光一には彼女の言動に逆らう気力がなくなっていた。
-好きでもないのに懐いたりからかったり、女子というのは本当に不思議な生き物だ-
とは高校時代の光一の弁。その彼女への印象は今でもまったく変わらない。
「ん?サッカーって、ハーフパンツでやるんじゃないの?」
「試合の時だけです。全身ユニフォームになるのは。それ以外は自由です。部活じゃなく
てサークルですからね。」
やがて保奈美の隣に別の女子がぱたぱたと走ってやってきた。着ている服は保奈美と同
様である。
「キミ…誰?」
光一はほぼ本気だったのだが、
「先輩…そのボケ何回繰り返せば気が済むんですか?恵理華ですよぅ、え・り・か」
そう言いつつ、その女子は保奈美と反対の腕、光一の右腕にすがりついた。
「あ?ああ、そうそう。恵理華クンね」
保奈美が光一と同じ大学に進学したとき、同学年で保奈美の親友になったという子だっ
た。名前は阿川恵理華。苗字が似ている事も親友になるきっかけだったに違いない。保奈
美も明るい子だが、恵理華は輪をかけて”元気”な子であった。そして光一がリアルの世
界で”ツインテール”という髪形を初めて目にしたのが恵理華だった。高校時代にも教師
や友人から、髪形についてはそうとう色々な事を言われたらしいが、頑として変えなかっ
たとの事。大学に入ってからも変える気はないそうだ。しかしそんな髪型でまともにサッ
カーができるのかは甚だ疑問なのだが。
「二人とも、もうとっくに廃れたサッカーなんてやめて”普通のサークル”にしたら?」
「いやですぅ」
「サッカーが好きなんですぅ」
女子二人が相手では分が悪い。何より短パンから”にゅっ”と伸びる二人の生足が眩し
過ぎた。高校時代には気にならなかったのに。
(俺、オヤジ趣味になったのかなぁ)
生足をちらちらと見て変な気持ちになる前に、サッカーボールをぶつけられた事も忘れる
ことにして、早々にその場を退散する光一だった。
「よくもまぁ生足で寒くないもんだなぁ…」
そう独り言を呟くと、自分でコートを着てきたくせに”今は冬なんだ”と改めて感じて帰
途についた。
□□□
夕方、例の会議室に拉致されると、今までとは打って変わって男は饒舌になっていた。
これから今まで伝えていなかった謎のほとんどを光一に説明してくれるという。
「私が”レベルアップ”したとか言ってたが、情報制限もレベルアップして色々と説明し
てくれるってわけか?」
「そのとおり。…しかし気持ち悪いな、今までは自分のことを”俺”と言っていなかった
かね?」
「基本的に目上の人の前では”私”、同年令以下には”俺”と使い分けているんでね。」
「そういうことか。ならばこれからもそのポリシーを守りたまえ。」
光一の皮肉になどまったく気づいていないかのような男の態度である。
「嬉しそうだな。」
「いやなに、情報を隠蔽…キミたち若者に話さないというのも、これはこれでストレスが
溜まるものなんだよ」
男はパイプ椅子の前足を浮かせ、まるでゆりかごのように前後させてギシギシと音を立て
ている。意外に行儀の悪い男だった。
「残念なのは今回説明する相手がキミ一人だという事だが、”対処”の困難さを考えれば
仕方のない事かもしれんな」
男は立ち上がると、例のスクリーンの前まで移動した。
「まずはこの惑星が置かれている状況から説明せねばいかんが……あああぁ……まぁい
い。私も初めて知ったときは、『そんな馬鹿な』と笑ったものだ……」
状況とはこうだ。この惑星上の各国は、それぞれ別々の異星人とコンタクトし、連絡を取
り合っているという。ただ、どの程度友好にコミュニケートしているかはまちまちであ
り、わが国は相手国(相手星?)からかなり低い扱いを受けているとのこと
「各国がコンタクトしている異星人は、”グレイ”だの”レプタ…なんとか”だの、オカ
ルト雑誌でよく耳にする連中だ。」
「この国、いや”組織”とコミュニケートしてるのは?」
「知らん。いやいやまぁまぁまぁ、大人しく座っていろ。正確には我々の言語では発音で
きない名前だそうだ。私は興味がないのでね、知らんというわけさ」
一度は立ち上がりかけた光一だったが、ぐっと堪えてもう一度座り直した。
「まぁオカルト誌というのも我々にとっては好都合でね。例え真実を記事にしたとしても、
我々が…いや”表の政府”が無視さえしていれば…そう、ムキになって否定するような愚
かな事をしなければ、国民の方で勝手に馬鹿にして、そう”オカルト”として単なる笑い
話扱いされるのだからね。こちらとしては大助かりというわけだよ。」
「さて次に、”敵機”の説明をしたいのだが、何せわが国がコミュニケートしている異
星人はなかなか情報を提供してくれないので、実は我々としても断片的な情報しか入手し
ていないのが現状だ」
スクリーンには、突然宇宙空間のような画像が表示されていた。中心には我らの故郷であ
る惑星。そしてかなり離れて1つ小さな衛星も浮かんでいる。
「我々の惑星の衛星には各種族の異星人の拠点がそれぞれ存在している。かつて衛星探査
船11号が衛星に初めて着陸したとき、”彼の大国”は既にとある異星人…これはわが国
とコミュニケートしている種族とは仲が悪いのだが…その種族とコミュニケートを開始し
ていた。探査自体が異星人への”連中の科学力のパフォーマンス”だったらしい」
『”彼の大国”は昔から頭悪いな。”北の大国”も似たようなもんだが…』
「しかし11号の着陸場所が当初の予定より、異星人からの指定座標よりずれたのが悲劇
の始まりだった」
スクリーンには始めは小さく映っていた衛星が徐々に拡大表示されている。
「11号の着陸船に、土壌にばら撒かれていた多量の”胞子状物体”が付着。それが帰還
準備のため衛星の軌道上でドッキングした際、指令船にも付着。またそれがこの惑星への
帰還カプセルにも付着。大気圏突入時の高温にも耐え、多量の胞子がこの惑星全土に散ら
ばった。着水したときには既に全胞子が飛び散った後だったので、帰還カプセルにかけら
れたイソジンでは殺すことができなかった。この”胞子”こそ実は”幼体”だったのだ。
この幼体が成長したのが、我々が”敵機”と呼称している存在なわけだ。」
スクリーンには、最初に拉致されたときに見たのと同じ、3DCGの”敵機”画像がくる
くると回転している。
「総数は?」
「言っただろ?多量だ。計測不能と表現してもいいほど多量の幼体だ。ちなみにこの幼体
の持ち主は”彼の大国”とコミュニケートしている異星人だ。奴らもそんな危険な場所の
近くを探査船着陸地点にしなくてもなぁ……」
(なぁ…じゃねぇよ、緊張感の無い奴だぜ…)
光一の中で、この男の評価がぐんぐん下がっていった。
「幼体から成体に変化するなど、どう考えても生物だよ。しかし”彼ら”からの情報に
よれば、間違いなく機械…生体ロボットということだ。」
「待てよ?……衛星探査船11号って……60年以上も幼体はどこに隠れていたんだ?」
「土の中。或いは海水中だな。本来は衛星上の土にばら撒いておけば数日で身長5メート
ル程度の成体になるらしい。まるで植物のようだが……。これだけ長い期間眠っていた?
ということは、衛星とこの惑星の環境の違いとしか考えられんな。大気だの重力だの、土
壌だの…な。」
「………」
「奴らには消化器官も生殖器もないようだ。何がエネルギー源なのかも不明のようだ。そ
の存在目的すら、異星人は教えてくれなかったようだ。……”ようだようだ”としか説明
できないのは、我々が”敵機”の捕獲に成功していないからだ。異星人の情報を鵜呑みに
するしかないのだよ……話が横道に逸れたな……ただ、重力が衛星よりもこの惑星の方が
大きいため、成体の大きさも小さく、動作も遅いのではないかと、わが国では推測してい
る。」
次々と新しい情報を脳にインプットされ、光一の不眠症の頭には酷な状態になってきてい
たが、ここが堪えどころ。この男の話をすべて聞き逃すまいと必死に耳を傾けていた。
「なお、この現象は全地球規模で発生しているが、各国国民には一切情報開示しない事
で国連にてコンセンサスが取れている。そのため、キミたちのような扱いを受けている
チームは世界各国に存在しているはずだ。”彼の大国”も例外ではない。」
光一は頭が痛くなった。それではこの2年間。いや、もっと昔からかも知れないが、どれ
だけの若者の命が失われてしまったのだろう。しかもその理由がおそらく彼同様”若いか
ら”というだけなのだから。
「さて、問題は”敵機”に対する”対処”だが、繰り返しになるが、わが国と国交?の
ある異星人からはなかなか情報をもらう事ができず、やっと入手したのが例の弾丸なの
だ。この弾丸は直接衛星から運搬されており、わが国の科学技術では成分解析もできない
即ち自力作成できないのだ。よってとても貴重な弾丸であり、これが警察や自衛軍や一般
の研究施設の手に渡らないよう、”対処”後は必ず回収している。それがキミも知ってい
る”回収班”の仕事の一つでもある。ちなみに銃のメンテナンスや改良も異星人からレン
タルしている自動機械が行っていて、やはりブラックボックスだ。」
俄かにはとうてい信じられない説明を聞きながら光一の怒りは頂点に達していた。どう
考えてもこの男は典型的な高級官僚だろう。しかも”裏”の官僚だ。今まで話した情報を
国民から隠蔽する。そのうえで理由も説明せずに若者たちを脅迫し、”敵機への対処”を
強制する。”情報の隠蔽”。ただそれだけのために、多数の若者の命を奪い続けてきたの
だ。男を心底軽蔑しながらも、光一は最後の質問を止めることはできなかった。
「俺たちを”対処チーム”として選別した理由はなんだ?」
「一つ。若いこと。但し中学生や高校生のようにまだ身体が完成していないほど若い状
態では”対処”が困難なので、大学2年生以上からスカウトすることにした」
光一は右腕に力を入れた。
「二つ。総合的に学業の成績の低い者。わが国の未来を背負っていく有能な若者をみす
みす死なせるわけにはいかない」
光一は拳を握った。
「三つ。ニート予備軍であること。”うつ病検査薬”が実際に市場に出回ったのは記憶
に新しいが、実は”ニート検査薬”とでも言うべき…そうリトマス試験紙のような血液試
験薬が完成していて、これで陽性反応が出た者が最終的にスカウトされてきた。以上。」
ついに怒りに任せて飛びかかった光一だが、複数人の屈強な警備員に阻まれ、やがて昏
倒させられてしまう。
気がつくと光一は、過去に強制的に押し込まれた自分用のアパートに転がされていた。
自分一人なら国外逃亡でもなんでも試すことができるのだろうが、例え絆が浅くても家族
=決して好きではない両親=が人質になっていてはどうすることもできなかった。また、
大学で完全なボッチでない事もやっかいだった。光一が逃亡すれば保奈美や恵理華に危害
が加えられるかもしれなかった。「手械足枷だな…」両親や後輩に対して不遜な物言い
だったが、”裏官僚”への怒りが持続しているため、そう呟かずにはいられなかった。
□□□
あれから一週間も経たないうちに、次の呼び出しがかかった。
あの新しい”敵機”が出現した事もあり、各国、わが国、わが国の各エリアのチームが
少なくなっているのかもしれない。光一にそんなネガティブな考えが浮かんでも仕方のな
い状況だった。
会議室に入ると。いままでのチームとは異色のメンバーが揃っていた。人数は6名。皆
が光一より間違いなく年上で、装備しているのも拳銃だけではなく、メインはアサルトラ
イフルやサブマシンガン、所謂自動小銃のようだ。また、ダークグリーンのヘルメットを
脇に抱えている。ヘルメットには小型通信機のような器具も見え隠れしていた。
「前回は口頭での”情報公開”しか行わなかったが、コレがキミがレベルアップしたと
いう”物理的”な証拠と言えるだろう」
例の”裏官僚”がやってきたのだ。
「今後はキミにはこうした上級チームの一員として働いてもらうことになる。念のためだ
がこれは”義務”だ」
光一はふんっと鼻を鳴らすだけで応えた。
「だがすぐに彼らのように自動小銃を使いこなすことは困難だろう。しばらくキミの装備
は以前の様に拳銃のまま。そして役割はバックアップ要員に徹してもらう。キミが慣れる
まではこのメンバーは固定だ。そうそう。通信機付のヘルメットは使って構わない。先輩
たちに使用法を訊いておくといい」
即ち上級チーム内ではお互いの会話が自由だと暗に示していた。
「よろしくな!若人よっ!」
「カノジョいるか?いるんなら今のうちに別れておけよ!そういう仕事だからな」
「目つき悪いなぁ、クマもあるじゃん!ちゃんと飯食って寝てるのか?ええ?」
「上級チームに新人が増えるなんて、このエリアでは初めてかもしれないぜ?」
「ま、しばらくはバックアップだ。でも気は抜くなよ!」
裏官僚がいなくなってから、年上のメンバーに早速おもちゃにされる光一。ただ、上級
チームといえども互いを本名で呼び合うのは不可、というのが暗黙の了解だった。それぞ
れお互いをニックネームで呼び合うのだが、一回の出動で必ず一発しか撃ったことがない
ためか、光一は”LLS=ラスト・ロング・ショット”と以前から呼ばれていたらしい。
しかし敵も味方も皆死んでしまうケースも多いため”死神”或いは”レオ”と呼ばれる事
もあるという。二つ目のニックネームまではわかるが、最後のニックネーム”レオ”につ
いては意味がわからなかった。
そしてもうひとつの暗黙の了解が…
「親しくなり過ぎないことね」
驚いたことに女性のメンバーが居た。別にマッチョというわけではない。年上なのはわか
るが、正確な年齢は想像もつかない小柄な女性だ。そして、光一はそれこそニート予備軍
と認定されてしまうほど他人とのコミュニケーションが苦手なのだ。質問したいことがい
くつもあったが、この女性の出現で全部頭から吹き飛んでしまった。
その後は、この暗視装置付のヘルメットの使用方法を丁寧に教えてもらった。ヘルメッ
トの装着に悪戦苦闘している光一を見て、女性メンバーの”M”は、「考えてみれば、
ジュニアチームは暗視装置も無しで”対処”してたわけだけど、それって”やっぱり”
『死ね』って言ってるようなものよね」
(!?)
やがて全員が今夜の現場の配置につく。すると”M”からプライベート通信が入る。
「こうして待つだけってのも暇だし。新人の緊張をほぐしてやろうと思ってね。”レオ”
くん?」
光一にとっては願ってもないことだった。だが、
「でも深夜の団地ですよ?できるだけ音をたてないようにしないと」
「あんた団地って……公営高層住宅ってな感じで言いなさいよ!」
「私は生まれたときからアパート暮らし。”組織”に用意されたのも木造二階建てアパー
トの6畳一間なんですよ。生まれも育ちもアパート暮らしなんで”団地”はバカにしてる
わけじゃなくて褒め言葉、というか”憧れ”なんですが…」
話をするうちに、段々と”M”のさばさばした性格がわかってきた気がした。敵機への警
戒は怠らないが、”M”とできるだけ会話して、光一は少しでも多くの情報を得たいと考
えた。
「ええと、”M”さんは…」
「”M”でいいよ。学校や会社じゃないんだから、フランクにやりましょ?」
「そ、そうすか。んじゃ”M”。さっき『”やっぱり”死ね』…みたいな事言ってました
よね?あれって……」
「うーん、まずいこと言っちゃったなぁ。単に上級チーム内での噂でしかないんだけど。
『ジュニアチームは殺されるために存在してるんじゃないか』ってね」
「……なんとなく感じてましたが、”やっぱり”そうですかね?」
「なかなか勘がいいじゃない?結局ジュニアチームはテストされている人員なのよ。あん
たのような”優秀なメンバー”を絞り込むためにね」
「証拠みたいなモノはあるんすか?」
「”組織”は当然何も言わないし、そんな素振りは見せないけれど、あなたたちの前回の
対処で遭遇した中型機…身長2メートル前後の奴…アレは別に最近出現し始めたわけでは
なく、昨年あたりから出没していたの。ジュニアチームは原則的に小型機の出現予測時だ
け出動させるルールにされた、と私たちは聞いていたのに、おかしいでしょ?敵機の数も
多かったし」
「確かに…俺は予測が外れただけだと思い込んでいました。中型機の存在も現場で初めて
知りましたし…」
「予測の外れはたまにあるけど、前回は明らかに…ね……」
「………」
「怒る気持ちはわかるわ。でも結果的にあなたは生き残った。あたしたちは”罠”に嵌っ
た”囚人”みたいなモノ。子供みたいに泣き喚いてもしょうがない……わかるよね。」
結局、この夜は光一が怒りに震えただけで、敵機は出現しなかった。会議室に戻り、裏
官僚に予測の外れを問いただすと、
「予測しているのは我々ではなく異星人だ。こればかりはどうしようもないな。」
-天気予報と違うんだ!-と飛び掛ろうとした光一を、他のメンバーが必死に抑えつけて
いた。
次の日の朝=というか昼近くになっていたが=、光一は久しぶりに眠ることにした。
「もう一週間以上眠ってないのか…さすがに脳も視神経も限界だよ」
独り言をブツブツと呟きたくなるのも無理はなかった。不眠症の苦しみは、いくら言葉を
並べて説明しても、誰にもわかってもらえないのだから。
幸い睡眠薬は効力を発揮し、浅い眠りにつくことはできたが、
「…たった3時間か…酷いもんだ……」
その後、薬の副作用で頭がぼーっとしてしまうので、どうせ何もやることはないとばか
り、夕方まで布団に横になっていた。
夕方、いつもどおり光一は拉致され、また今夜も異星人の予測に従い、前夜と同じ団地
で張り込むこととなった。しかし情報収集のため、”M”との会話も欠かさない。
「予測では敵機は何でしたっけ?小型が1匹?」
「あんたミーティングで寝てた?”中型”が2機よ。”匹”って言うなアホ。」
「アレを中型って呼んでますが、大型っているんですか?」
「衛星上では5メートル程度なんでしょう?本当は。だからそれと比較しての話よ。私が
上級チームになったときも、中型は出現していなかったからね」
「”M”は何年前から”囚人”になったんです?私は2年前からですが」
「もう5、6年経つかしらねぇ…」
「5、6年。大学2年から囚人になるから…って、やめてやめて!レーザーサイトをこっ
ちに向けないでっ!」
「歳の計算なんてしようとするからよ。それから声が大きい!」
”M”は自動小銃の狙いを光一から外した。
「すいませんっした。声も気をつけます。…って、そんなの銃に勝手に付けていいんです
か?」
「おもちゃのレーザーだからね。この程度の”遊び”もとい”息抜き”を入れないと、常
に緊張しっぱなしだとびょーきになるわよ?うつ病とかね」
「もう手遅れです。今朝も薬を飲んだ……」
「クスリ?あんたクスリやってんの??」
「声大きいっす。危ないクスリじゃなくて睡眠薬ですよ。囚人になって一年も経たないう
ちに不眠症になりました。はは。」
「ああびびった。メンバーがクスリやってたらたまんないわ。そいつだけじゃなくこっち
の身も危険になるからね。…でも不眠症ならちょうどいいんじゃない?こうして夜通し敵
機を待つ仕事?なんだから」
「それは不眠症を知らない人の意見ですね。大体が『眠らなくて済むからいーじゃん』
てな感じ。眠らないとういことは脳や視神経が休むこと無く動き続けるわけで、頭痛と目
の奥が痛くなります。それだけじゃなく身体の動きもおかしくなり、意識が飛んだり物忘
れが酷くなったり。そのうえ記憶は”眠り”でリセットされなくなるわけで、例えば一昨
日見た遺体もその前見た遺体もそのまた前日見た遺体も、全部”今日見た遺体”として
記憶が続いていくわけで…」
「ストップストップ、もういい。わかったからもうやめて。こっちがうつ病になるわ」
「まぁそんなわけで、不眠症なんてならない方がいいっすよ。私は最長一ヶ月眠らない状
態が続いたことがありますが、ほとんどゾンビ状態でしたね」
二人によるゾンビ談義はまだまだ続いたが、この夜も敵機が出現することはなかった。
次の日の昼はいつもなら定例の射撃訓練であったが、二日も予測が外れた件で、”組
織”が異星人と会合をするという。そんな会合で何とかなるとは思えないが、いくらやっ
ても実戦では役に立たない射撃訓練が中止になったことに、光一は素直に喜んだ。
「…そういえば今日はレポート提出だっけか……」
また開始された不眠症という名の”途切れない記憶の蓄積”が、光一を憂鬱にさせるが、
こんなときぐらいしか学生らしいことはできないので、睡眠薬は飲まずにいそいそと大学
へと向かった。もちろん鞄に入ったレポートの内容は白紙である。
「どおりゃっ」
大学に到着すると、どこからか聞こえた女子(?)の野太い声の後、キャンパスを歩く光
一の後頭部をゴム製のソフトボールがクリーンヒットした。
「………」
あまりの痛さと怒りでその場にうずくまった光一は、ボールが飛んできたと思われる方向
を恨みがましい目で見据える。
「よしっ、命中!」
「何が『よしっ』だ!気を失ったらどうするっ!」
予想通り、声の主もソフトボールを投げたのも後輩の保奈美だった。キャンパスの人ごみ
の中に一瞬人だかりができるが、二人のうち一人が光一だとわかると、潮が引くごとく学
生たちはその場を後にした。
保奈美はさすがにサッカー用のユニフォームではなく、トレーナーにジーンズという無
難な=色気はないが=私服姿である。
「こんなことばかりしてっ!俺に恨みでもあるのか!?」
「恨みはないですけど、先輩が学校に来たのが嬉しくて、つい」
「『つい』、じゃねーよ。アレか?お前の頭の中では、俺は射的の的扱いかっ!?」
「そ、そこまで怒らなくてもいーじゃないですか…」
急にしおらしくなった保奈美に対して、どういう態度を取ればいいのかわからず、光一は
押し黙ってしまう。
「…で、せっかく来たんですから、昼食奢ってください!」
「なんだそりゃ!全然話が繋がってないぞっ!」
すると、どこから現れたのか、もう保奈美とペアと呼んでも構わないもう一人の女子が光
一の背中から声をかける。忍者のように光一の後ろを取った恵理華。保奈美と違って水色
のワンピースに身を包んでいる。今日はいつもより暖かいので上着はショルダーバッグに
かけてある。
「聞きましたぞよ。何やら先輩が昼食を奢ってくださるとか。ご馳走様です!」
「ぐ…ぬぅ…」
-その礼は食べ終わってから言うんだっ!-と叫びたかったのだが、またしても光一はこ
の女子二人に敗北してしまった。
「まぁ、もうレポートも出したしな…」
(さっさと食事を済ませて、逃げるとするか。)
光一は学食からの逃亡ルートを今から考え始めていた。
この日の夜。またしても同じ団地。新メンバーの光一を含む上級チームが敵機の出現に
備えていた。しかしどんなに緊張していても暇なものは暇。そして”M”にとっては幸い
なことに、お守りという名目で隣には”おもちゃ”の光一がいる。今夜もひそひそ声での
おしゃべりが続く。
「後輩女子にいじめられてる?何ソレ?あんた惚気てるの?」
「どこがノロケですか!もうわたしゃ大学に行きたくないっすよ!」
「登校拒否児童だ…いや引きこもりのヒッキーだったっけ?面倒くさい奴」
「ううう……あの二人、誰か何とかしてくれませんかね…」
「わかってないわねー。そんなのあんたに気があるに決まってるじゃん」
「……うそついてますね?」
「はは、するどいね。でもおそらく…確率的には半々だね。少なくともあんたに好意を
持ってることは確かなんじゃないかな?」
「…いや、それはまずいです」
急にまじめな口調になる光一に”M”が戸惑う。
「ただでさえ両親が人質になってます。これであの二人にまで何らかの危害が及んだら…
やっぱりもう大学に行くのは控えます」
つられて”M”も真面目な口調に戻る。
「そう…だね。それがいいと思うよ。」
それにしても今夜は寒い。昼間が暖かかっただけに余計に寒く感じる。二人がよくお
しゃべりをしていることが、他のメンバーにバレてしまい、二人の待機場所は地上から団
地の屋上に変更されてしまった。風をさえぎるものが何もないのである。せめておしゃべ
りでもして寒さを忘れるしかなかった。
「ところで、私のニックネームなんですが、”LLS”だの”死神”だのはわかるんです
よ。…悪意は感じますが…。でも”レオ”ってなんでです?有名な漫画のライオンが俺で
すか?」
「違うわよ。他のメンバーが苦労した後、美味しいところだけ持っていくから、ライオン
になぞらえてのモノよ。こっちも悪意がある名前ね。ま、他人がつけるニックネームやア
ダ名なんて、だいたい悪意がこもってるわよね。」
「そうか。ハイエナが苦労してゲットした獲物をライオンが横からかっさらっていくって
いうアレかぁ…本当かどうかは知りませんけどね。」
「怒らないの?」
「”LLS”だの”死神”だの言われてる時点で諦めてますって。」
今夜の風はいままでより強い。まだまだ二人のおしゃべりは続く。
「そんな大きな銃を良く使いこなせるわねぇ」
「実は…この自分の銃…名前を知らないんですよ。コレには色々ありましてね。」
「ふーん。なになに?」
「銃に刻まれた名称やロゴなんかは、もしも警察等に回収された場合、改造モデルガンに
見せかけるため、というテキトーな理由で削られてるじゃないですか。名前すら刻まれて
なければ、銃に詳しくない私にはどの銃もさっぱりわからんですよ。」
そして左脇に隠しているショルダーホルスターの場所をぽんぽんと叩き、
「それに誰かに名前を尋ねようにも会議室では出動時、銃を渡されるときに既にホルス
ターに入ってますし、さらにそもそもジュニアチームのときは会話厳禁でしたからね…」
「あんた…その銃を好きじゃないの?何となくそんな気がしただけなんだけど…」
「残り物でしたから…それに銃の種類に関係なく、どんな銃にも興味はないですよ…い
や、ひとつだけあったかな?”P226”ってやつ。アレは手にしっくりきたんですけど
ねぇ」
光一は初めての会議室で銃を選ばされたときの事を”M”に話す。
「私らに用意されたて銃はP99、M92F、P85、M4505、P36、3566に
P228、P226、18C、17。それぞれ銃の前に立って、銃の名前をブツブツ言っ
てる奴がいたんで、数字だけ憶えちゃいましたよ。同じ種類で複数置いてある銃もあった
かな?」
「無駄な記憶力ね」
「今ではP226以外、数字と銃が頭の中で一致しないです。んで、そのブツブツ言って
た奴はこの銃の前では何も言わず、素通りしてました。よほど悪い銃なんだと思いました
よ。でも、私はのろのろ選んでたので、もうこの銃しか残ってなかったんで…」
「残り物か…福があるっていうけど、どうなんだろうねぇ……」
この夜、またも敵機は出現しなかった。またまた”予測”が外れたのだ。-もう予測は
当てにならないのか?-光一は悲しい現実を恨むしかなかった。
帰還後に聞かされた修正された予測では、翌日の夜に出現するという。休息の間も無
く、連日連夜の出動だった。拉致された”M”と光一の二人は、またもや団地の屋上であ
る。
「”M”はジュニアチームの時はどんな銃を?」
「最初はコンバットマグナム。その後は今も持ってるCZ75。」
「コンバットマグナムは古い漫画?アニメ?の登場人物が使ってた奴ですかね?P38み
たいに」
「皆は無理だと言ってたけど、私もそれが残り物だったのよ。この”組織”が発足して最
初の頃は、薬莢無しの弾丸なんて異星人が創ってくれなかったらしくて、薬莢回収の手間
を省くためにリボルバーしかなかったの。今でも全ての銃がオートで、弾丸もそれぞれ別
モノで互換性も無いのに6発しか撃てないってのは、その名残りかもね」
”M”は手の中でCZ75をくるくる回している。
「リボルバーの後、オートを貸与されるようになって、その銃にした理由は何です?”C
Z75”なんて記号と数字だけの名前で、例によってまったく知らない銃ですけど」
「当時のチーム全員が『.380オートにしろ』って言ってたわ。私の手は小さいから」
そう言って”M”は自分の左手を光一の目の前で開く。面食らったが”確認してみろ”と
いう意味だと解釈し、光一も自分の右手を開いて重ねてみた。
「うわ、ちっさ…」
「ね?だけどこいつは残り物じゃない。自分で選んだ銃なの。直線と曲線が融合した独特
のデザイン?が気に入ったのね。結局私たちは軍人じゃないんだから、形で選ぶしかない
わ。…でも、”レオ”がその銃を嫌ってるのはよろしくないわね」
「なぜです?」
「”レオ”の命を守ってくれるのはその銃だけ。だから……大事にしなさいよ?」
光一は一瞬、気に入らないことを見抜かれているこの銃をホルスターに隠そうかと思った
が、また抜くのが面倒なほど巨大な銃なので、やめることにした。
光一は話題を変えて、自分たちの今後について話し始めた。
「私ら…引退ってできるんですかね?」
「まともに引退した人間は一人もいないらしいわ」
「一人も?」
「そう。戦闘…じゃなかった”対処”できない身体になっちゃった場合か……ご遺体に
なった場合は別にしてね……」
「俺がここまで生き延びたのは奇跡ってわけ………しっ!皆さん、第5棟の奥、奥の茂
み!」
光一独特の”動物的勘”だった。光一と”M”は第4棟の屋上で警戒していたのだが、光
一はオープン回線に切り替えて呼びかけ、全員がその場所を注視する。上級チームの武器
が拳銃ではなく自動小銃であるとしても”甲殻”を貫けるわけではない。また、狙撃手
・スナイパーほどの腕を有しているメンバーなどいるわけでもない。長距離射撃ができな
いのだから、言ってしまえば弾倉の装弾数が6発から12発と多くなっただけで、結局
は敵機の真正面から射撃するしかないのだ。光一と”M”は、急いで1階まで降りる。そ
こで二人は、他の5人のメンバーと同様、違和感を感じた。
「あれは…」
「い、いかん!でかい、でかいぞ!」
メンバーが口々にオープンチャンネルで叫ぶ。その敵機はかがんだ状態でも身長5メート
ル程度あった。バックアップ要員として最後尾にいる光一にも、その大きさがはっきりと
わかった。だが、
「…おかしい…何かがおかしい…」
光一は銃をホルスターに挿して、暗視スコープを外し、肉眼で必死に敵機の状態を注視す
る。
「いったいどうしたのよ新人君!」
「びびったのかよ、”レオ”!」
”M”やその他のメンバーの問いかけを無視し、光一は敵機の警戒を続ける。
「待ってください。動きがおかしいんですよ。俺の知ってるタイプより身体が大きいぶ
ん、俊敏な動きはできないでしょうが、それにしても動きが遅すぎます。」
確かに大型機=仮称=はのろのろと茂みの中を歩いているだけ。まるで酔っ払いの様だっ
た。こちらの殺気を感知していてもいいはずなのに。
そんな光一の指摘により、チームの緊張感が高まった。
「とにかく撃ってみないことには”義務”は終了しない!”M”は”レオ”と一緒にいて
やれ。残りは全員前に出て射撃だ。」
「身体が大きい分、1発じゃだめかもしれん。回収班に文句を言われても構わん!連射で
いくぞっ!」
光一が止める間もなく、5人の精鋭が射撃を開始した。改めて冷静に敵機を見た光一は愕
然とした。口が、触手を出す口が3つもあるのだ。小型機、中型機は大きさは違っても両
者ともに口は一つだった。
「いけない、こいつは違う。別物ですよ!退却を進言します!!」
”M”には光一が何を言っているかわからなかった。しかしすぐそのことを嫌というほど
知ることになる。
「ダメだ!何発当てても効果がない。水にならないっ!」
前衛5人は半ば半狂乱になって撃ちまくっていた。そのうちの一発の狙いがそれて、甲殻
に当たってしまう。さらに跳ね返った場所が悪く、リーダー格メンバーの頭部を直撃し
た。おそらくこの惑星上最強の銃弾は、メンバーが被っていたヘルメットなどたやすく貫
いた。当然そのメンバーの命は失われた。光一は今更ながら銃というモノの恐ろしさを思
い知った。
一人減った前衛4人はとうとう弾丸を使い切ってしまった。自動小銃を捨てて拳銃を抜
こうとするが、ここにきて初めて、大型機はチームを敵と認識したのか、さながら熊が相
手を威嚇するかのごとく、その巨大な上体を起こした。そして、3つある口から鞭のよう
な触手を伸ばし、そのすべてを一瞬にして硬化させる。
「まずい!は、速く逃げ…」
光一がオープンチャンネルで呼びかける前に、4名の精鋭は見るも無残な状態になってい
た。動いている者は一人もいない。
「う、うわあああああっ!!」
唖然としている光一をよそに、彼のお守り役だった”M”が敵機に向かって行った。だが
どう考えても彼女は平静を欠いていた。
「ダメです。冷静になって!奴には我々の持つ弾丸は効果がないんですよっ!」
0.数秒か、それとも2、3秒だったのかもしれないが、その場に立ち尽くしていた光一
は、遅れて”M”を追いかける。しかしやはり精鋭。既に”M”は敵機の真正面で射撃体
勢に入っていた。
敵機は動かない。やはり彼奴らは触手での攻撃後は隙ができるのだ。しかしこちらの武
器が通用しない以上、そんな知識は何の役にも立たない
「このおっ!」
”M”が連射した弾丸はすべて敵機に命中し、甲殻よりは柔らかいであろう爬虫類のよう
な皮膚に僅かに食い込んでいる。しかし”我々”が、いや”人類”が望んでいる効果は
まったく表れないのだ。一瞬の間の後、敵機は左腕で”M”を薙ぎ払った。”M”は敵機
の十メートルほど先に飛ばされてしまう。
「かはっ」
ヘルメットは外れ自動小銃も藪の中に飛んでいった。その自動小銃の持ち主は背面全体を
地面に叩きつけられ、身動きが取れない状態だった。
光一の選択肢は2つ。一人だけ逃げるか、それとも自分も特攻するか、である。前者は
敵前逃亡で、通常なら帰還してから銃殺だが、バックアップ要員なので命だけは助かるか
もしれない。しかし何故かそんな選択はしたくなかった。そして後者は自殺行為。どうに
もならない状態だった。
(こんな…何の取り柄もない俺に…どうしろってんだ!)
心の中で叫んでみても答えはみつからない。
そのとき、また敵機が動いた。まだ僅かに動いている”M”に止めを刺すつもりなの
か、のそり、のそりとこちらに近づいてくる。その様子を見て光一が走り出すのと、敵機
が右手を振るうのと、ほぼ同時だった。だが光一の火事場のくそ力か、運が良かっただけ
か、さっきまで”M”がいた場所に敵機の右手の3本ヅメが突き刺さっただけで、”M”
は既に光一によって2メートルほど先に引きずられていた。しかし上級チームほどの腕力
がない光一では、ここまで引きずるのが限界だった。右腕を”M”から離し、条件反射の
ように自分の銃をホルスターから引き抜く。
「銃で殺すことはできない。…考えろ…どうするか考えろ!」
実際に光一が思考して次の行動に移すまで0.数秒しかなかったのだが、しかしそれでも
思考中の光一には時間が足りないとさえ思えた
(生体ロボットと言えどもほとんど生物。生物なら目は弱点のはず。しかも通常の生物な
ら目の奥の周辺には脳がある。…しかし俺の銃の腕で性格に目を撃ち抜くのは無理だ。そ
れに目の奥に脳があるという保証も無い…真正面で一番皮膚が薄いと思われる場所を狙う
しかない)
「………喉かぁっ!」
左腕で”M”の身体を抱えたまま光一は右手で自分専用の大型銃の引き金を引いた。久し
ぶり=前回の定例射撃訓練以来=の片手撃ちだ。大型銃であるため結果が不安だった。事
実、光一が目標としていた場所、人間で言えば喉仏に相当する場所から少し外れてしまっ
た。しかし謎の物質で造られた弾丸は、今日、今まで射撃されたどの弾丸よりも、敵機の
喉に深く深く突き刺さった。敵機は自分の腹に軽く突き刺さった多数の弾丸を左腕で振り
落とした。しかし喉に深く食い込んだ弾丸は簡単に取れそうにないので諦めたようだっ
た。喉に傷がついて戦意を失ったのか、ただ単に”人間への対応”が面倒くさくなったの
か、大型敵機はのそり、のそりと闇の中に消えていった。
習慣とはおそろしい。こんな状況下でも、光一はあくまでバックアップ要因に徹して、
ご遺体が抱えている自動小銃と、まだ息がある”M”が手放してしまった自動小銃を藪の
中から探し出し、彼女の横に並べると、自分もその横に座り込んだ。これだけが今回の彼
の本来の仕事のはずだったのに…。可能なら彼女に応急処置を施したかったが、彼にはそ
んな知識さえもなかった。彼にできるのは、黒い車と回収班が来るのを待つことだけだっ
た。
「これで俺のあだ名は”死神”あたりに統一されそうだな…」
光一はこのあまりの惨状を少しでも考えまいとしていた。しかし、それは所詮無駄な努
力。彼の”途切れない今日の記憶”に鮮明に残るだけだった。
□□□
時間にして2時間も経っていないだろう。上級メンバー5人が死亡という異常事態のた
め、光一の証言を回収班が現場検証していたが、どうやら確認がとれたようだ。
”収容所”というアダ名の区画。そこの監視員が、今まで閉じ込められていた光一を独
房からを出そうとした。しかし光一は疲れたのでしばらくこのベッドの上で休ませてくれ
と懇願した。監視員は変な奴だと呟きつつ、この収容所から出たくなったら監視室の扉の
前まで来いと伝え、去っていった。
しばらくぼーっと天井を眺めていた光一だったが、やがで独房のドアが再び開いて、車
椅子に乗り全身包帯だらけの人間が現れた。そう、”M”だった。彼女は-少し話したい
から-と看護士に席を外すように頼んだ。その背中に
「どうせ盗聴はしているんでしょうけどね」
と嫌味を付け加えるのは忘れなかった。
「自分独りだけ生き残ってきた…美味しいところだけ持っていく”レオ”くんが…どうし
て危険を冒して私を助けたの?」
光一は固いベッド=それでもアパートの布団よりはまし=の上で横になったまま答える。
「あなたは勘違いしてますよ。俺だって助ける事が可能な距離にいるメンバーは、極力助
けてきました。」
光一はがばっと起き上がった。
「でも”必ず”助けられる距離ってどのくらいですか?1メートル?10メートル?上級
チームなら50メートルですか?誰が何をどう判断して、そんな線引きをできるって言う
んです!」
光一はすぐに冷静さを取り戻し、またベッドの上に横になった。
「たまたま助けることに成功した。たった…たったそれだけのことなんです……」
「ごめん。…そうだよね。あんたがそんな冷たい人間じゃないってわかってたのに…つい
苛ついてて…本当にごめん」
”M”は自分の発言を謝罪するために頭を下げようとした。しかし包帯とギプスだらけの
彼女の身体は、それを許してはくれない。
「お詫び、ってわけじゃないけど、私のニックネームの由来を教えてあげるわ。ミリメー
トル、ミリの”M”よ。身体も手も小さいからですって。馬鹿にしてくれるじゃない。
まったくさ」
「………」
「ふふ、こんなんじゃお詫びになりゃしないわね。じゃああなたのニックネームを変える
ことにするわ。…そうね…”LLS”からLを一つ取ればいいわ」
「…ロングショットですか?」
「違うわよ!”ラストショット”よ。」
光一は再度身体を起こす。
「今回の敵機は死なずに逃げましたよ?」
「それでもよ。結果として撃退したんだから、胸を張っていいわよ?」
そんなこと、と反論する気力も光一には残っていない。”唯一の有効な武器”であったあ
の弾丸が、通用しない敵機がとうとう現れた。この絶望的な状況をどうしても考えずには
いられない。しかし彼女は会話を続けた。
「私はこの闇の世界でどうやら初めて、生きたまま引退できる人間らしいわ」
「え?それは……おめでとう、でいいんですよね?」
それに応えないまま彼女は話を続ける。
「両親の監禁もなくなり、”家族で生活”ができるようになった。監視は一生付くらしい
けど。」
光一は包帯だらけの”M”の姿を改めて眺め、どうしても確認しなければならない事を尋
ねた。それがどんなに彼女にとって辛いことであろうとも。
「その包帯が取れれば、あなたは”普通の生活”ができるんですよね?”普通”に歩い
て、”普通”に買い物をして…”普通”に家族と……」
尋ねながら、自分の目から涙が溢れていることに光一は気づいた。
「あ、あはっ、あははははははは……」
目に涙を溜めて笑う”M”。光一にはその涙が笑いによるものなのかそうではないのか、
はっきりとわかってしまった。
「あんたって、変なところで勘が冴えるのね。さっきの”対処”のときもそう。敵機の出
現をすぐに察知するし、ギリギリのタイミングで私を助けるし、銃撃を命中させた場所
も……」
光一の目は、もはや涙で霞んで何も見えない状態になっていた。こんなに、こんなにも泣
いてしまうなんて、いったいどれくらいぶりだろうか?
「それじゃ…カワイイ後輩女子たちによろしくね。」
(よろしく言えるわけないじゃないですかぁ…)
それ以上、”M”も光一も会話することはなかった。
やがて呼んだわけでもないのに看護士がやってきて”M”を連れて行く。光一に対して
は”会議室”に行くようにと促しながら。
「困った事になった」
”裏官僚”は会議室で、光一に対して後ろ向きのまま話し始めた。
「君の証言を回収班が確認している間、そしてキミと…”M”だったか?彼女とが会話を
している間に、我々は異星人からできる限りの情報を入手した」
裏官僚はいままでの典型的官僚の規則正しい態度からは考えられないほど崩れた姿勢で、
パイプ椅子の一つに斜めに寄りかかるように座った。今にもずり落ちてしまいそうだ。
「あの大型の敵機は”昼用”の生体ロボットだそうだ」
「昼用?」
「そうだ。我々が…いやキミたちが今まで対処してきたのはすべて”夜用”。日光が出て
いるかいないか、の昼と夜。その”夜型”ということだ。」
官僚は例の”薬莢の代わりに特殊な炸薬が付いた弾丸”を机の上に転がした。
「”こいつ”は”夜型敵機”にしか効かんそうだ。ソレであの大型機を退却させたのだか
ら、キミは大したメンバーだよ」
もちろん本気で賞賛していないことは光一にもわかった。
「例の異星人と敵対している異星人…ややこしいな…敵対異星人から”夜型敵機”に与え
られた仕事は、”昼型敵機”が衛星の地中に埋まっている資源を楽に採掘できるよう、地
面を整地することだ。もちろん資源が浅いところにある場合は”夜型”自身も採掘をする
そうだがね」
「そ、それじゃあの”触手”は!」
「採掘用の掘削機だと思えばいい。武器ではないのだ。そうだな…我々が使っている土木
作業機械を想像してみたまえ。使い方を誤れば簡単に人を殺してしまう。故意に人を殺す
ことも可能だろう?…”夜型”より”昼型”の方が触手が多いのはそういう理由だよ。」
「じゃ、じゃあ!こちらから攻撃しなければ、ほとんど無害だったって言うのか?…のろ
のろ歩いて、地面を整地するだけだったなんて!くそっ、くそっ!」
「だがどのみち放置はできなかった。国民が奴らの存在を知ったらパニックが起きる。そ
れに整地だろうが掘削だろうが、地上の建物を破壊しないという保証は無い。”対処”は
必要だった!」
この期に及んで保身のような発言をする裏官僚を、光一はキッと睨みつけた。しかし裏官
僚はそんな視線は簡単に受け流す。
「初めからわかっていれば、我が組織で”異なる対処”のしようもあったものを…」
そんな言葉を聞き終わる前に、今まで裏官僚の横に立っていた光一が、突然彼の襟首を掴
んで立ち上がらせた。すぐに黒服&サングラスの警備員が反応しようとしたが、裏官僚自
身がそれを制した。
「話はそれだけじゃないだろう?あの”昼型”が夜間に出現したのは単にこの惑星環境に
慣れていなかったからだろう?おそらく昼と夜を間違えただけだ。そうするとこれからは
”昼型”が、まさに”この惑星の昼”にこの国、いや世界中に出没するようになるんじゃ
ないのか?ええ?」
「………」
「そしてそこに転がっている”弾丸”が効かない、しかもいずれ何らかの理由で…例えば
”進化”でもして、さっきよりも大型の”昼型敵機”が現れる可能性もある。そいつらが
一斉に地上を掘削し始めるんじゃないのか?人間も建物も除外しながらっ!」
裏官僚は乱暴に光一の手を振りほどくと、襟を正してから答えた。
「そのとおりだ。そしてあくまで件の異星人の推測だが、”昼型敵機”に我々の通常兵器
は役に立たない。機関銃も戦車砲も対戦車ミサイルも空対地ミサイルも!何一つだっ!
甲殻どころか、そこに転がっている”弾丸”から見れば”柔らかい皮膚”にさえ、かすり
傷をつけるだけでも精一杯だそうだ。キミがその目で見て、実際に確認したとおりだよ」
官僚は両手で机を何度も何度も叩く
「もし昼間に奴らが現れたら、もう我々でも隠し通す事はできない。警察、自衛軍が対抗
しようとするだろう。そしてそれは全部失敗する事がもうわかっているんだっ!昼型敵機
が1機出現する度に核兵器でも使えと言うのか?冗談ではないっ!!」
一時は頭に血が昇っていた光一も、この哀れな裏官僚の醜い狼狽ぶりを見て冷静さを取り
戻しつつあった。こんな状況下でも、この男は国民から情報を隠蔽するつもりなのだか
ら。
「………しろ」
「…なに?なんだって?」
「もっと異星人と緊密にコミュニケートするんだよ!そして”彼ら”と”敵機”の正体を
国民に周知させ、避難や迎撃体制を整えて…」
「……」
「そんな当たり前の事ができないのか?あんた”裏の政府の人間”とはいえ”高級な裏官
僚”なんだろ?頭いいんだろ?この期に及んでまだ隠蔽かよ!」
「……情報開示は…できない。国連決議が必要だ…」
「あんたら、馬鹿の集団だなオイ。じゃあ昼型が出現したら、また俺たちを出動させる気
か?歯が立たないんだぜ、死にに行けってのかよ!」
「キミたちにはこれからも夜型への対処を続けてもらう。それから、昼型にも通用する弾
丸を供給してくれるよう、例の異星人には要求し続けてはいる。だが”新しい弾丸”が手
に入ることになっても、奴らの出現に間に合うかどうかは…わからん……」
□□□
光一は気がつくと自分に与えられたアパートの布団に、仰向けに倒れていた。起き上が
ろうとすると後頭部がズキズキと痛む。おそらく怒りに任せて裏官僚に殴りかかった挙句
に、黒服の警備員に昏倒させられ、ここに運ばれたのだろう。彼を殺さないのは、単にま
ともに”対処”を行うことができるメンバーが極端に減っているからだろう。今から急激
に”囚人”の数を増やすなど不可能だからだ。
翌日、光一の心配のとおり、とうとう複数の”昼型敵機”が首都に出現した。喉に例の
傷を負った機体も含めて大型が2機。今まで見たことがない10メートル近くあるさらに
大きな機体が1機。計3機である。
怪獣映画に登場する、身長100メートル以上ある敵ならともかく、10メートル程度
という半端な大きさも自衛軍にとって不利に働いた。自衛軍の最新型戦車はこの国のビル
群が集中して建っている狭い道を自由に移動することができない。戦闘ヘリも同様だっ
た。
仕方なく戦闘装甲車で怪物を広い場所にじりじりと誘導し、待ち伏せした戦車とヘリか
ら一斉攻撃を行う。が、まったく効果が無く、地対地ミサイル、艦対地砲撃、空対地ミサ
イル、さらには”彼の大国”から購入したばかりの巡航ミサイルまで使用したが、すべて
予想通り無力で、敵機を中心に大きなクレーターをいくつも作っただけであった。後に知
る話だが、”彼の大国”では完成したばかりのレーザー砲を上空の航空機から放射した
が、まるで効果がなかったという。
3機の敵機は、目的地がまったく”整地”されていないことに不満だったのか、周囲の
ビジネスビルや雑居ビル、そして首都に存在する高層建築物のほとんどを、ある時は足で、
またある時は3本ヅメの腕で薙ぎ倒し、踏みつける。さらに強力な触手は高層ビルを破壊
する場合にも役に立った。そうして敵機は地上を地道に破壊しつくして”荒い整地”を
行った。
しかし日が沈む頃になると、首都中心部に有用な資源は埋まっていないと判断したの
か、”勤務時間”が過ぎただけなのか、最後に副都心の高層ビル群を破壊した後、アス
ファルトを突き破り地中へと消えていった。
敵機の派手な出現の後、なぜか”昼型”も”夜型”もパッタリと姿を現さなくなった。
光一は今のうちとばかり、久しぶりに睡眠薬で浅い眠りにつき、今まさに目が覚めてきた
ところだった。効果の強い睡眠薬特有の、寝覚めの頭痛や悪心に顔を歪ませながら、昨晩
のミーティングを回想する。
明日=即ち今日であるが=の昼の定期射撃訓練は中止となった。今更自動小銃の訓練を
しても”昼型敵機”には意味がないし、今の”組織”の状況はそれどころではないよう
だった。
”表の政府”は、国民への迅速な情報提供や避難指示を出す、という名目で海上に避難
した。実態は、”表の閣僚”と高級官僚、国会議員や自衛軍幹部、およびその家族たちが
自衛軍の艦船に避難しているだけで、一切仕事はしていない。
昼型敵機への攻撃は、現場の自衛軍将校が独自の判断で行うことになっている。
国民の避難や治療も、現場の警官や消防隊員が自発的に行うに過ぎない。敵機の目的は
地上にしかない。衛星に海はないのだから、大型河川や海上、海中に敵機が出現すること
はないと判断された。だから”連中とその家族”は海上に逃げたのだ。事実上国民を見捨
てたのである。
しかし、海上に避難して安全は手に入れたが、艦船に備蓄できる食料には限界があるの
だ。あの人数では一ヶ月保つかどうか…その事に連中が気づくのはいつになることか。し
かしそのころには、わが国の国土は壊滅的な打撃を受けているだろう。
既にインターネットの使用不能状態を含めて、有線による通信は一切断絶。首都にある
巨大な電波塔は2本とも倒されてしまったため、ラジオも途切れ途切れ。民間の衛星放送
がかろうじて映る程度である。このような状態で、国民が入手できる情報がかなり制限さ
れているため、光一には首都圏や大都市の簡単な状況しかわからなかった。他国がどう
なっているのかすらも…
敵機は地中から出現そして地中に潜伏するという行動を見せたため、地下鉄は全面運
休。地上の鉄道も一時は運行を諦めかけたが、一部区間が奇跡的かつ断片的に破壊から逃
れていたため、首都への生活に必要な物資は、この鉄道がピストン輸送していた。しかし
いざとなればこんな鉄道網は簡単に破壊されてしまうだろう。
次の襲撃に備えて全国各所に用意された各避難所へは、鉄道を頼らず自衛軍の装甲車両
や装軌車両によって食料や水が運搬されていた。しかし、一部の人間=光一のような=や、
自暴自棄になった人間は避難所へは行かずに自宅に転がっていた。食料等は申し訳ない
が、放棄された近所のコンビニやスーパーから保存の効くものを拝借して生活していた。
数日後、保奈美と恵理華が光一のアパートの扉を叩く。
「ピカイチ先輩!!起きてますかー!!」
こんな状況でも一瞬世間体を気にした自分自身を自虐的に笑いながら、光一は頭痛と闘い
つつよろよろと入口を開ける。一瞬二人のユニフォーム姿を期待したが、二人とも濃い青
のジャージ姿であった。-ちっ-と心の中で軽く舌打ちする。よく考えてみればそんな格
好で外を出歩く状況ではないのだが、光一は自分が急速に”オヤジ化”してるのではと心
配になってきた。
「もう昼過ぎなのに、やっぱり寝てたんですね?……なんだか薬臭くないですか?」
「睡眠薬を飲んだからね。体臭から臭うんだろう」
「睡眠薬?現実逃避でもしてるんですか?今世界中が大変な事になってるのに!」
「うちにテレビは無いけど、たまに聞こえるラジオで何となく知ってはいるよ」
「何となくってなんですか!何となくって!!近くの避難所をいくつも訪問して、でもど
こにも居ないからほんっとーっに心配してたんですよ!!」
「まぁまぁほなみん、落ち着いて…」
「エリは黙ってて!先輩がこんな状態なんだよ?放っておけないじゃない!」
「それはそうだけど…でも…」
「恵理華の言おうしているとおりだ。俺たちに何ができる?避難所だろうがなんだろう
が、…アレはまだこの国では一回しか出現していないが…、諸外国では神出鬼没らしい
じゃないか。どこに逃げたって……まぁ”怪獣”みたいに巨大じゃないので、踏み潰され
る心配は少ないが、……地上に現れたときに出くわせば逃げ場はないよ」
「でも…でも…」
「それより、二人とも大事な話を聞いてくれないか?」
「「何です?」」
そのとき運悪く地震がきた。実際は例の怪物が地中を進んでいるのかもしれない。今や
国民たちは地中からの振動はすべて”コレは地震だ”と思い込むようにしていた。そうで
もしなければ正気を保っていられないから…
気がつけば光一は二人の後輩を両腕に抱えていつでも外に逃げられるようにひざ立ち状
態…だったのだが、抱えている場所が悪かった。光一の両手にはそれぞれ柔らかいふくら
みが収まっていた。
「先輩…いつまで触ってるんです?」
「…」
「誰が揉めと言いましたか!」
「いや、一生に一度あるかないかの状況だったのでつい…」
(これが伝説の”ラッキースケベ”かぁぁぁ)
光一の感動もすぐに女子二人によって叩き壊される。
「「つい、じゃない!!」」
光一の腕を振りほどいた二人から、ダブルドロップキックをくらった光一は床に叩きつけ
られた。痛い代償だったが、しかしこれで二人の恐怖や緊張も少しは和らいでくれること
を願った。
光一は上半身だけ起き上がると、変わらぬ真剣な顔で二人に告げた。
「例の怪物たちは今のところ昼間に1回しか出現していないが、夜間に出ないという保証
は無いんだ。夜は絶対に外出しないでくれ。絶対にだ!」
女子二人は光一の真面目で真剣な表情にキョトンとしている。一方の光一は、この期に及
んでも事実を公表しない”組織”に対して、もう呆れるだけでなく嫌気がさしていた。
□□□
それから2日後、光一は拉致されて会議室にいた。保奈美と恵理華の訪問以後、彼の記
憶は途切れないままである。
「眠っていないのか…体調は大丈夫なのかね?」
「3日くらいどうということはない。しかし久しぶりに”拉致”されたな。」
「こちらも必死に動いてはいる。皮肉はやめてもらおう。少なくとも”表の政府”なんぞ
よりは、我々は働いているよ」
「そうかい。私は居心地の悪いアパートで毎日のように地震に遭い、嫌気がさしていたと
ころさ。……あの地震は昼型の仕業か?」
「なんとも言えん。ただ、地中に昼も夜もない。どちらの敵機が動いていても不思議はな
い。…それより、昼型敵機があれからまったく出現しないのが不気味だがね。」
裏官僚が促し、二人はそれぞれ安物のパイプ椅子に座った。
「そうだ。これから私の勝手な想像をあんたに話したいと思う。構わないか?」
「…夜までまだ時間がある。構わんよ。」
「そうか…夜に何かさせるつもりなんだな…ココにいるんだから当たり前か。まぁいい」
光一はいつかの裏官僚の真似をして、パイプ椅子の前足を浮かせ、ゆりかごのように椅子
を前後にゆすりながら話を続けた。
「奴らは、昼型も夜型もだが、地中で幼体から成長するときに”進化”しているんじゃな
いか?」
「進化?この惑星の環境に適応…順応しているのではなく進化していると?」
「そうだ」
光一は”ゆりかご座り”をやめた。
「何せ私は学校の成績が悪かった」
裏官僚は肩をすくめただけで続きを話すよう促した
「その私の理解では、順応とは”自分自身は変化せず、環境の変化に対応する事”だと
思っている。一方進化とは、”自分或いは世代交代した者自身が変化をして、今までより
容易かつ有利に生活できるようになる事”だと考えてる。氷河期を乗り切った哺乳類が順
応。進化では乗り切ることができなかった恐竜、というように私は習った……はずだ」
「何を言いたいのかよくわからんな。それは、”順応”は短期間で可能。”進化”は長期
間。だから進化だけで繁栄していた恐竜は滅びた、という説じゃないか。それなら奴らも
進化ではなく順応…………!!」
「そう。奴らは触手以外には”道具”を使うわけじゃない。服も着なけりゃ火も使わな
い。しかしたった数年で小型敵機から中型、そして大型、10メートル超はまだ昼型でし
か確認されていないが、とにかく巨大化している。これは順応ではなく進化だよ。自分た
ち自身が変化しているんだからな」
「………」
「それにこの惑星環境に順応するというなら、敵機はずっと小型のままのでいいはずなの
に、逆に巨大化している。重力差に逆らってね」
「……結論はなんだ?」
「成績が悪いんで、上手く表現できないが、1つ目は”奴らの進化速度はこの惑星上のど
の生物よりも速い事”。2つ目は…”奴らの進化は世代交代で行われるわけではない事”
だ。」
「…そうか。小型と中型、中型と大型が親子関係であるとは考えられない。何せ生体ロ
ボットだからな。しかし異なる個体で、どうやって”進化すべき”という情報が……」
「我々がずっと使ってきたインターネット。それと同様な何らかのネットワークで繋がっ
ているとしか考えられないね。もちろん有線ではなく”無線”的な…何らかのネットワー
クだろう」
「…そ、そのキミの仮定が正しいとして、敵機が巨大化した理由はなんだ?」
「想像の範囲を出ないが…”地上に自分たちの敵がいる”と、その”進化ネットワーク”
で認識したとしか考えられない。小型敵機は数年間、散々破壊されてきたからな」
しかし触手を放った後、敵機が一瞬膠着するのは、土中の成分を調べるような、奴らが最
初から持っている”本能”のようなものだと、光一は推測していた。だから”進化で改
善”されずに、いつまでも弱点として残っているのだろう。
「…すると…キミの考えでは今後はどうなる?」
「仮にあの巨大な昼型敵機を倒せたとしても、次はまたさらに巨大になるか、より効率的
に奴らから見た敵、即ち人間を排除する敵機が出現するんじゃないだろうか?いや、この
昼型敵機が出現していない空白の期間が不気味だ。もう”次の進化”を始めているかもし
れない」
「……おそろしい仮説だな。だが無視することができないだけの説得力がある。」
裏官僚は席を立つと、ネクタイを締め直した。
「しばらく…少し長くなるかもしれんが、このまま会議室で待機していてくれ。私は今の
キミの仮説を上層部に伝えてくる。今夜のためのミーティングは、私が戻ってからにす
る」
つかつかと歩いていく裏官僚の背中を見ながら光一は思った
(もう色々と手遅れかもしれんぜ……)
去り際に言われたとおり、光一は長時間会議室で待たされてしまった。一方の裏官僚は
光一よりもさらに疲れた表情を見せていた。
「政府というのは”表”も”裏”も同じようなものでね、何をするにも紙ベースで書類を
作成し、提出せねばならん。キミたちは私のことを裏官僚などと馬鹿にしているようだ
が、私から言わせれば”裏政府”の方が私よりよほど頭が固い」
裏官僚が壁の前に立つと、例によって壁が巨大なスクリーンと化した。
「愚痴を言っても始まらんな。ようやく今夜の”対処”のミーティングができる」
「やっぱり”対処”か。また夜型か?何機だ?」
「慌てるな。今回は特殊だよ。もしかしたらキミの”進化説”を証明することになるかも
しれんのだからね」
裏官僚がスクリーンに触れると、3DCG化された海と、その上に浮かんでいるいくつも
の巨大船舶が表示された。
「これは現時点で海上に避難している”表政府”らの艦隊を示している。」
「ああ、そんなのもいたな。軍艦だけで、民間のタンカーとかはいないんだろう?とうと
う持ち逃げした物資が尽きたか?」
「まぁそう言うな。あんな連中でもまだ少しは使い道がある……う、うんっっ」
裏官僚は咳払いを一つはさんだ。
「話が逸れた。問題は、…キミがいきなりこの図を見てもわからんだろうが…艦隊の護衛
艦が一隻居ないという事だ」
「おいおいおい…待ってくれよ……」
「おそらくキミが想像したとおりだろう。居ないのではなく、夜間”何者”かに沈められ
たのだ。因みに生存者はいない」
「海に…奴らが……」
「私も半信半疑だったが、近くにいた艦船の乗員が夜間警戒中に、タコだかイカだか、軟
体動物のようなモノが水中を泳いでいるところを目撃している事、そしてさきほどのキミ
の仮説。海中で活動できるよう”進化”した敵機が出現したとしか考えられない」
「それで私は?どうやって”対処”すればいい?海の中じゃ手が出せないぜ?」
「ここで異星人からの予測データが出てくるわけだが、敵機はただ海の中を泳いでいるわ
けじゃなさそうだ。護衛艦は”単に運悪くぶつかった”だけ。目的はおそらく”上陸”。
とのことだ」
光一は天を仰いだ。
「そうか、海底から鉱物資源を掘削するより、地上から掘削したほうが楽だと……」
「奴らの”進化ネットワーク”が判断した可能性があるな」
「俺……私に何とかできるのか?」
「予測された敵機は5機。弾倉は予備と併せて2つ用意する。今まで何年か知らんが、
”進化前”の奴らは日光が届かない海底で掘削していた事。泳げるようになった新型は、
夜間に姿を目撃された事から、”夜型の一種”と判断された。”海中型”は初めてだ…こ
ればかりは五分五分だよ」
光一はいつの間にか机上に置かれていた、銃が入ったホルスターを手に取り、素早く装着
する。机上に残った予備の弾倉もホルスターの所定の場所に挟んだ。
「12発で倒せればいいがな」
「キミは上級チームメンバー扱いなので、本来は回収班は監視しないのだが、今回は初め
ての敵。同行してキミのかなり近くに待機する手はずになっている。不利だとわかったら
撤退も許可する。」
「不利だとわかってから、俺が撤退するまで奴らがじっとしていてくれればな……」
光一はジャケットを着てボロボロのロングコートを掴むと、黒服のところまで歩く。
「もう拉致…目隠しはいらないんじゃねーの?」
「私もそう思うがね、諦めてくれ。おそらく今回の”対処”で目隠しは最後になるだろ
う」
そう答えたのは黒服ではなく裏官僚であった。
「わかったよ。んじゃ手早く頼むぜ」
今までの”対処”同様、目隠しをされて出動する光一であった。
『睡眠薬飲んで寝ておきゃよかったぜ』
頭の回転が鈍くなってきているため、そう考えながら車に乗せられるが、後の祭りであっ
た。
車が止まり、目隠しを外されると、かつて訪れたことはない海岸に到着していた。車は
光一を降ろすと脱兎のごとく消えていった。
「ま、車なんていたって邪魔になるだけだしな。……おーおー。確かに人間がこっちを監
視してるような気配がするぜ」
それは裏官僚の言葉どおり。かなりの近距離に回収班が待機している証拠である。
「コートは……着ない方がいいな。一度に5機も相手にするんだ。できるだけ身軽にして
おかないとな。」
光一は自らの頭を戦闘モードに切り替えるため、ぶつぶつと独り言を呟きながら徐々に緊
張感を高めてゆく。ヘルメットは黒服のススメで被ることにした。このような海岸には明
かりが少なく、暗視スコープが必要になるからとのアドバイスだった。
「海から来るのか?それともこの砂の中からか?…突然砂の中から出現したら逃げ場がな
いな。……どうやらあの岩場に潜んでいた方がよさそうだ。」
回収班からはやや離れることになるが、用心に越したことはない。光一は海側から見て左
手の小さな岩場に身を隠すと、大型銃をホルスターから抜いて敵機の出現を待った。
1時間ほど警戒していただろうか、海岸からやや沖のほうに、ぽつん、ぽつんと”何
か”が水面上に浮いているのがわかった。
「ここから少し離れてるな。仕方ない、あっちの岩場まで移動だ。」
光一は音を立てないよう慎重に移動を開始したが、下が砂なのでわずかに音がするのはど
うしようもない。やがて先ほどの岩場からかなり左=海から見て右=に位置しているこれ
また小さな岩場に到着し、身を隠しながら敵機の様子を確認する。
(ゆっくりだがこちらに近づいているな。やはり上陸が目的か。)
時簡にして数分。息を殺して待つ光一には数10分にも感じられたが、予測どおり5つの
敵機が砂浜に上陸を開始した。砂浜に対して横一列に並んでいる。水中に浮いているとき
は全体像がわからなかったが、タコともイカとも違う、だが5本の足だか腕だかを持つ平
べったいシルエット。全長はそれぞれ5メートル前後であろう。
「ヒトデみたいだ。あんなモノを背負って泳ぐなら、このくらいの大きさが限界ってこと
かね?」
光一が”あんなモノ”と表現したのは、今までの夜型・昼型敵機が背負っていた甲殻のこ
とである。厚さは陸上の敵機より薄いようだが、あんなモノを背負われていては、いつま
で待ってもこちらからの攻撃は不可能だ。
「何とか腹…かな?甲殻の無い部分をこちらに見せてもらわにゃいかんが……やっぱりこ
ちらから仕掛けるしかないのかぁ…どんな武器…掘削機を持ってるかわからないってのに
よ」
言葉とは裏腹に、光一は一列に並んだ5機の敵機の前面に移動を開始した。当然敵機は光
一を認識し、ずるり、ずるりと音を立てて近寄ってくる。敵機から10メートル程の距離
で光一が動きを止めても、まだ敵機は接近を続けている。
「原始的だが、これしかないよなぁ…それ!」
光一は先ほどの岩場で入手していた拳大の岩を、5機のうち中央にいる敵機に向けて投げ
つけた。すると中央の敵機は腕?の1本を像の鼻の様に持ち上げ、そこから触手を伸ばし
て岩を叩き落した。その後腕は何事も無かったかのようにゆっくりと砂浜に横たわった。
「甲殻の下を見せるのはあれだけか?銃で狙うのはあんなに狭い範囲かよ」
攻撃のタイミングは敵機が腕を上げたとき。腹側をこちらに見せる範囲はとても狭い。
「どうする?さっきの岩場に戻り、岩を5つ持ってくるかね?」
しかしここからの敵機の動きは速かった。岩を投げつけた人間、光一に向かってずるずる
と近づいてくる。しかも今度は横一列ではなく、光一を取り囲むように、だ。
「どうやらスピード勝負だなっ」
そう言って左に横っ飛びする光一。さっきまで立っていた場所には一番左の敵機から伸び
た触手が突き刺さっていた。ここで光一の予想どおり、例の敵機の弱点である”触手発射
後は一瞬膠着する”という現象は、この型の敵機にも当てはまるようだった。
「1つ!」
光一はその手に持った大型銃で敵機の腕の裏、甲殻の腹側を射撃した。そしてその効果を
確認せずにすぐに左から2機目の敵機に向かう。
「次いくぜ!」
1機目の敵機がどろどろ溶け始めるのを視界の隅で確認しながら、2機目が腕を上げたと
ころを銃で射撃した。数の上で不利なのだ。チャンスがあれば即座に射撃しなければ簡単
に囲まれてしまう。しかし2発目の弾丸は僅かに上に逸れて甲殻に当たり、さらに跳ねた
弾丸は3機目の甲殻に当たり、海の方に消えていった。
「やっぱり弱点を狙わなきゃだめかっくそっ!」
光一は何度も横っ飛びを続け、チャンスが来るのを待つ。やがて2機目と3機目がほぼ同
時に触手を放つ。光一はそれぞれを紙一重で避け、銃撃を続ける。
「2つ!3つ!」
さすがに今度は狙いを外さない。2機目と3機目も水になって砂に吸われてゆく。だが4
機目は止まったまま攻撃をするのではなく、素早く近づきながら、今度は2本の腕を持ち
あげて光一に襲い掛かる。
「ちぃ」
光一はけん制も兼ねて1発放つが、またしても甲殻に当たってしまう。しかも今度はどう
いうわけか撃った光一の方に弾丸が跳ね返り、ヘルメットの右側をチュンッとかすめる。
「うはっ!、黒服に助けられたかっ!」
光一はまだ掲げられたままのもう一つの腕の裏を、今度は慎重に狙って射撃する。触手と
射撃、どちらが速いか賭けのようなものだ。次の瞬間、音こそ聞こえないが、光一の放っ
た弾丸が敵機の腹側に突き刺さる。
光一はここまでは冷静だった。しかし銃の弾倉が空になっている”ホールドオープン”
状態に気がつくと、スライドストップを解除してデコッキングする。解除前に弾倉を差し
替えた方が速いが、貴重な弾丸である。安全性を優先した。そしてすかざず予備弾倉に差
し替えようとする。しかしこの一連の動作は今までの”対処”では実際に行ったことがな
いため、また、不眠による動作の遅れで僅かにてこずってしまう。弾倉の交換が完了し、
次弾射撃可能状態にしたが、目線を海に向けたとき、光一は絶望的な状況に気づいた。
「しまった!5機目はっ!?」
最後の5機目は既に光一の後ろに回りこんでいたのだ。弾倉交換により確認が遅れたほん
の数秒の間に、敵が攻撃をする隙を作ってしまった。
「ぐわあああっ」
5機目の敵機から放たれた触手は、光一の後ろから右腕に巻きついている。刺さっている
のではなく巻きついているためか硬化はしていないものの、猛烈な強さで光一の腕を締め
上げた。
「ぐ、ぐぬぅ…銃が危険だと気づきやがったのか?だが、仮に腕一本失ったとしても、て
めぇと心中なんてしてやらねぇぞっ」
光一は動かない右腕の手首のスナップだけ効かせて銃を下に投げる。そこには彼の左手が
待ち構えていた。
「これで終わりだっ!!」
光一は身体を左回りに回転させ、左手による片手撃ちで5機目の腹を撃った。
確かに光一の言うとおり、今回の”対処”はこれで終わりだった。5機目の敵機は、光
一の右腕を締め上げていた触手と共に水となって消えていったのだ。
「回収班の皆さんよ?医者がいたら来てくれないか?さっきはあんなこと叫んだが、大事
な右腕を失いたくはないんでね!」
光一は失いそうになる意識を必死でつなぎ止め、破れた服の袖から見える自分の右腕が、
とんでもない状態になっていることに青ざめるのだった。
およそ30分後、光一は海上の人となっていた。回収班にいた元看護士の判断から、
”組織”の医療施設や近隣の病院に行くより、”例の艦隊”に救援を求めた方が速いと判
断されたのだ。光一は艦隊のうちの一隻である中型空母の医療室に居た。
「痛ぇ、いててててっ」
「静かにしたまえ。眠っている乗員もいるんだからな。しかしキミ…どうすればこんな…
酷いことになるんだね?骨までは砕けていないようだが、右腕を戦車にでも轢かれた
か?」
そんな医師のジョークなど耳に入らないとばかりに、光一はひぃひぃ言っている。
一時間程度で応急処置が終わり、医療室に取り残された光一に二人の訪問者がやってき
た。一人は白い海軍の制服に身を包んだ恰幅のいい軍人。かなり上の階級だろう。そして
もう一人は、あまり会っても嬉しくない男、裏官僚であった。空母に運ばれたのも、裏官
僚が空から駆けつける事を想定していたからかもしれない。
「ふむ、あんな若者が怪物を屠ったというのかね」
軍人の問いに裏官僚が事務的に回答する。
「”あんな”と申されましたが、”アレ”でなかなか有能なメンバーです。」
「ほう……。キミ、名はなんというのかね?」
「ボンド、ジェームス・ボンド」
軍人はやれやれといった顔をしながら、左腕で”もうかえれ”というジェスチャーをしつ
つ、今通ってきた通路を戻っていった。
「あの人はこの艦隊の艦隊司令官だぞ。”裏政府”のことも限定的にではあるが、ある程
度の情報を知っている。これからも”使う”可能性があるんだ。あまり怒らせないでくれ
たまえ。ボンドくん。」
「こっちは麻酔も効かず、痛くてしょーがないんだよ。ジョークでも言って気を紛らわせ
ないとやってらんないのさ。」
「とにかくよくやってくれた。撤退もせず、5機をすべて破壊してくれたのだからな。」
「こっちは危うく腕1本失うところだったぜ。よく”ザクロのように”なんて表現される
けど、今の俺の右腕がそんな感じだ。見るかい?」
「やめてくれ。……しかしこれで一安心、となってくれればいいんだがな。」
「無理じゃねぇかな?こんな調子で新型敵機が次々と出現したら、あんたたち”組織”で
も対応しきれなくなるだろうぜ。」
「……とにかく、どの程度敵機が時間をくれるかわからんが、できるだけ早く右腕を直す
よう専念することだな」
光一の言葉に答えることなく、裏官僚は話を続ける。
「私ももうへとへとだ。不眠症のキミは更に疲れているだろう。傷が痛んで、余計に眠り
にくいだろうが、睡眠薬を飲んで身体…脳と視神経だったか?休息させるといい。」
「そうさせてもらう。睡眠薬をもらえるよう手配してくれ。早速これからこの船上で眠ら
せてもらうぜ。」
船上で短い睡眠をとった光一は、同じく船上で仮眠していた裏官僚とともにボートに
乗っていた。やがて昨夜の戦場であった海岸に着くと、そこには見慣れた黒い車が待機し
ていた。
「予告したとおり、もうキミに目隠しをすることはない。過去の戦績による報酬だと思っ
てくれ。」
「報酬ねぇ…」
「どうする?このままアパートに直行かね?」
「いや、さっき調べてもらった避難所に向かってくれ。少し…やることがある」
光一はコートの左ポケットに入っている紙袋を握っていた。
「わかった。もしかしたらまた例の異星人が小出しの情報をくれているやもしれん。その
場合は夕方にでもアパートに車を回す。」
「すまんが、そんな感じで頼むぜ」
裏官僚は皮肉もジョークも言わない光一の態度を不思議に思ったが、運転している黒服に
素直に指示を出した。
□□□
光一が指定した避難所に立つと、黒い車は走り去っていった。光一はたくさんの避難民
で溢れかえっている避難所の中に足を踏み入れた。家族や友人との会話による騒音、週に
一度しか風呂に入ることができないため鼻を突くような体臭、そしてなによりこの避難所
に詰め込まれた人数による圧迫感。聴覚・嗅覚・視覚による避難所の酷さは想像以上だっ
た。
(これじゃ戦争映画に出てくる捕虜収容所より酷いぜ)
光一がそう思うのも無理はない惨状だった。
道なき道を進み、避難民をかきわけて二人の少女を捜す。先に見つかったのは恵理華
だった。水色のセーターに白いショートパンツ。偶然だろうがサッカー時のユニフォーム
と似た色の動きやすそうな私服だ。両親とともにできるだけ場所を取らないように身を寄
せ合っていた。やはりこのような場所ではまともに眠れないのか、3人とも目にクマがで
きていた。
「失礼。私は娘さんの友人です。ちょっとよろしいですか?」
「こ、光一先輩!」
光一は両親の許可を得て、三人の輪の中に入れてもらった。
「私は両親と離れて暮らしてきた気ままな独り者なので、避難所のやっかいになるのは遠
慮してまして…」
両親がいる手前、いつものような気軽な会話ができないことがもどかしかった。
「これ、とっても弱い睡眠薬です。」
光一はコートのポケットに入れておいた小さな紙袋を恵理華に手渡すと、話を続けた。
「差し入れってわけじゃないんですが、おそらく”この”環境では満足に眠れていないだ
ろうと思いまして。…ただ、弱いといっても副作用がゼロではないので、どうしても眠れ
ない状況が続いたら使ってください。」
このように両親に向かって説明すると、光一は改めて恵理華に話しかけた。
「…保奈美の家族の分も入ってるから…」
そう小さな声で恵理華に話しかける。
「俺はしばらく首都を離れる。仲が悪いとはいっても家族だからな。両親の様子を見に行
くことにした」
当然嘘である
「ナニ、となりの県だからな。交通事情が悪いことは確かだが、遅くても1ヶ月後には戻
れると思う。」
「せ、せんぱぁい…」
恵理華は涙目で光一を見つめている。
「そんな顔するなって。…でだ。その間あのアパートは留守にするんで、ここの環境がど
うしても耐えられなくなったら、あそこに行くといい。ガスは無理だが、幸い電気・水道
は生きているし、保存食も備蓄してある。その紙袋にアパートの合鍵も入ってるからね。
…ほかの避難民には内緒だぜ……」
恵理華はまだ光一と話し続けたかったが、ここしばらくの彼女の精神的苦痛。そして両親
の手前諦める他はなかった。光一はすっくと立ち上がった。
「保奈美はどこかにいるかい?」
言葉の代わりに恵理華は、避難所の中を忙しくかつ器用に走り回っている保奈美を指差し
た。いつか見た、濃い青色のジャージに身を包んだ保奈美は簡単に見つかった。どうやら
自衛軍による保存食や水の配布等を手伝っているようだ。
「ありがとう。本当に…色々と…無理はするなよ?」
恵理華は光一にすがり付いてでも止めたかったが、自分よりも弱っている両親を放置して
移動することはできなかった。光一には素直に-はい-と答えて、保奈美の方に去ってゆ
く彼の背中を目で追い続けていた。
光一はようやく保奈美のところにやってきた。保奈美は、自分の前に姿を現した光一の
顔を見て、あやうく泣きそうになった。それだけではなく抱きついてしまいそうだった。
できれば抱きしめてもらいたかった。だが今は自分と同様に疲れきっている避難民のため
に補給物資の運搬や配布を手伝わなければならない。
「……せんぱい……」
それでもどうしても涙が溢れてくるのを止めることはできなかった。
「せんぱい…せんぱぁい…」
「よくもまぁ、こんなに頑張って、偉かったな」
光一も本当は保奈美を抱きしめてやりたかったが、こんな目立つ場所でできる行為ではな
い。頭をぽんぽんとたたいて、撫でてやるのが精一杯だった。
「頑張ってるのは偉いが、ご両親は大丈夫なのか?」
「…両親は弟がついてますから大丈夫です。それより自分で補給品を取りに行けないお年
寄りに、こちらから配布してあげないと…」
保奈美は両手に補給物資を持っているので、服の袖で涙を拭った。
「そうか。じゃあこれ以上邪魔するわけにもいかないな。今日来た理由は、さっき会った
恵理華に話してある。時間が取れたら彼女から話を聞いておいてくれ。」
光一はもう一度保奈美の頭を撫でた。
「絶対に無理はするな…」
保奈美が返事をしようとしたとき、この避難所の唯一の情報源である大型スクリーンに、
民間衛星放送のニュースが映し出された。
アナウンサーの表情もかなり疲れが見えていたが、さすがはプロ。淡々と原稿を読み始
める。
「皆様こんにちは。本日の定時ニュースの時間です。」
後ろから-見えないぞー-という文句が聞こえてきたため、保奈美と光一の二人はその場
に小さく丸まって座り込む。
「前回、怪物からの襲撃の際に自衛軍が何とか守り抜いたMGO、メトロポリタン・ガバ
メント・オフィスですが、次回の襲撃に備え、建物前の広場に…原始的ですが”落とし
穴”を堀り、怪物を後ろに倒す作戦を開始しました。後ろに倒した場合、亀のように自力
では起き上がれない、或いは起き上がるのに時間がかかるのではないかという自衛軍の予
想によるものです」
「目の付け所は悪くないが、何せ地中を掘り進むような怪物だ。成功しても時間稼ぎにし
かならないような気がするね。」
「せんぱい!しっ」
保奈美は口の前に人差し指を立て、光一に黙るようにヒソヒソ声で静止する。
「現場に中継がつながっています。現在の状況を聞いてみましょう。」
アナウンサーは現地レポーターに呼びかけている。この衛星放送の会社は、現地に中継車
を出しているようだ。大したプロ根性である。
「現場では落とし穴の掘削も終了し、ダミーのコンクリートブロックで穴も隠し終えてい
ます。準備は万全と言え、……う、うわあああああ」
光一以外の視聴者には、一瞬何が起きたかわからなかった。
「出やがったか。」
カメラは、地中からアスファルトを破って出現した大型、本当に大きい大型敵機の映像を
とらえた。
「お、大きいです!あ、今立ち上がりました!全高は…20メートルはあるでしょうか?
前回出現した怪物よりも一回り大きいです!いったいどこから…地中の振動なんてなかっ
たのに!」
(しばらく昼型が出現しなかったのは、こいつの完成を待っていたからか?)
光一は心の中で舌打ちしていた。
(地中を移動する振動がなかったという事は、もともとあそこに埋まっていた幼体が進
化・成長したんだな。現場の連中はついてなかったな)
「せ、せんぱい…」
保奈美はとうとう我慢できず、手に持っていた補給物資を落として、光一にしがみつい
た。光一はそれを振り払おうとはせず、逆にまだ痛みが消えていない右腕で彼女の小さな
身体を抱きしめていた。
「あの大きさだと…だめだ。おそらく落とし穴の大きさが足りない。逆効果になるぞ!」
保奈美には光一が何を言っているのか、恐怖も手伝ってよくわからなかったが、大型敵機
が落とし穴を踏み抜くと、光一の言うとおり大きさが足りず、転ばせるどころか単にふら
つかせるだけにとどまった。そしてあっけに取られている自衛軍が見守る中、敵機はふら
つく自分を支えるために、すぐそばにあるモノに手をついた。皮肉にも、そばにあるモノ
とは、MGOの超高層ビルであった。
ニュース映像には、超高層ビルが倒れていく映像と、必死に逃げようとする自衛軍が映
し出されていたが、中継車も落下物に潰されてしまったのか、映像は途切れてしまった。
「な、なんてこと……あれ?先輩?光一せんぱーい!?」
映像に夢中になっている間に、光一は保奈美のそばから姿を消してしまっていた。しか
し、光一が怖くなって逃げたとは考えられなかった。-そんなに弱い人じゃない!-保奈
美はそう信じていた。
光一は避難所を出て、かなり離れている自分のアパート目指して歩き始めたところだっ
た。-大型といえども、単機では、いつぞやのように広範囲の”整地”はできまい-。そ
う考えていた。
その光一の後ろから、誰かが駆け足で追いかけてくる音が聞こえてくる。
「せ、せんぱい…ある…くの速い…ですね…はあ、はあ…」
「コンパスの差かな。どうした保奈美、バテたのか?サッカーサークルなんだろ?」
光一はこんなときでも”笑えない冗談”を言う自分自身に呆れていた。保奈美は青い
ジャージのまま、サッカーシューズを履いて追いかけてきたのだ。
「…じゃなかった。どうして追いかけてきたんだ?」
「私、…先輩に伝えることがあるんです」
ようやく呼吸を整えた保奈美が真剣な表情で近づいてくる。思わず後退する光一。
「な、何かな?」
「好きです。先輩。ずっと、ずっと前から。高校生のときから…好きです!」
「お、おぅ…」
保奈美とは大学でちょくちょくじゃれあっていた仲だが、こんなに真剣に、しかも”こん
なとき”に冗談を言う子ではない。
「どうして俺なんだい?」
自然と表情も口調も優しくなる光一。告白したほうの保奈美が、告白の続きを忘れてしま
いそうなほど、優しい笑顔だった。
「え、えと、…先輩…サッカーやってました」
「?」
「私が高校に入ったとき、3年生の先輩ですごくサッカーが上手い、まるで空気の中を泳
ぐようにサッカーをする人がいたんです。それが光一先輩でした。」
「さすがに褒めすぎだろ。俺は…そう、子供のころから家が貧乏で、それでいつもいつも
いじめられてた。小学校、中学校、高校でもね。野球のグローブも買ってもらえなかった
んだぜ。だからボッチの俺は、自然と学校の備品のサッカーボールを無断で使用して、よ
く独りサッカーをやってた。だから、上手いかどうかなんて…」
「3年生の体育の授業でサッカーやってましたよね?普段の先輩の”一人”サッカーも見
てましたけど、教室から見た先輩の動きは、ほんとーに綺麗だったんです」
「そんなモノ見てたのか。ちゃんと授業に集中しないと…」
「茶化さないでください!」
「は、はいっ!」
光一は直立不動の姿勢をとった。
「あのとき決めたんです。”あの人と一緒にサッカーしよう”って。でもそれが、単に
一緒にサッカーをしたいんじゃなくて、”好き”なんだってことがすぐにわかりました。
本当なら先輩が卒業するときに告白したかったんですけど、まだサッカーも上手くなって
なかったし、勇気が出なかったんです」
「それで俺と同じ大学に入学した、と?俺がサッカー止めてて幻滅しなかったか?入学の
推薦取るための勉強も大変だったが、大学の授業についてゆくのも無理っぽかった。知ら
ぬ間に独りサッカーもやめてたよ。でも世間ではサッカーは廃れてた。プロサッカーリー
グも、プロ野球リーグ同様なくなったしな。まぁ他の国では今でも盛んだし、この国でも
ワールドカップのときはかろうじてテレビ中継されてるようだしな。まぁなんだ、話が逸
れたけど、とにかく俺は”独り”サッカー止めるのにちょうどいいタイミングだと思った
よ」
「でも私は、先輩にまたサッカーしてもらいたくて、…一緒にサッカーしたくて、サーク
ルを作ったんです。人数は少なくてもいいから、最悪私の”一人”サッカーでもよかった
んですけど、エリが入ってくれたんで」
「…悪いことをしたな。二人がサッカーサークルを始めたのが、俺の”独り”サッカーが
原因だったとはなぁ……」
「でも、やっぱりサッカーは口実。本当に先輩のこと好きです。さっき抱き寄せてくれた
ときも、他の何も考えられなくてドキドキしてたんです。」
「そうか」
後輩からの告白を聞いて、少なからず嬉しいはずの光一であったが、自分のすべきことを
忘れるほど恋愛に溺れる気にはなれなかった。
「でも俺は…恵理華には話したが、しばらく、一ヶ月くらいかな、両親の様子を見に首都
を離れる。でも必ず、必ず帰ってくる。保奈美は真剣に俺に告白してくれた。戻ってきた
ら必ず告白の答えを言うよ」
内心では-死亡フラグみてぇだ!-と思った光一だが、保奈美が今のところはこれで満足
してくれることを願った。
「わかりました。先輩は嘘をつくのが下手ですから。本当はご両親のところに行くわけ
じゃないとわかっちゃいました。右腕、怪我してますよね?コートの下にジャケット着て
ないし、かすかに血の匂いがしました。…でも、きっと先輩にとって何か大事なことをす
るために、怪我をしてでもやるべき何かのために行くんですよね?」
「……そうだ……」
「だったら待ちます。自分に告白する勇気がなかったせいですけど、もう5年も先輩の事
だけ見てきました。一ヶ月くらい何てことないです。無事に帰ってきてください!」
保奈美は何を思ったか、自衛軍だか何だかわからないような、へなへなした謎の敬礼をす
ると、避難所の方に戻っていった。光一が自衛軍の特殊部隊に所属しているとでも、勝手
に勘違いしたのかもしれない。
「……そこにいるのは恵理華だな?覗きなんてあんまりよろしくないぞ?」
避難所からここまでは、小道を無視すれば一本道である。しかも保奈美越しに避難所方向
も見ることができる光一には、途中からやってきた恵理華が、少し離れた路地に隠れると
ころがばっちり見えていたのだ。
「覗きじゃなくて…結果的には覗きですけど。本当は先輩だけを追いかけてきたんです。
でも、ほなみんに先を越されちゃいましたね」
恵理華は下をぺろっと出した。さきほどの私服の上に茶色のハーフコートを羽織ってい
る。
「何しに来たんだ。ご両親についてなくていいのか?」
「その両親が”行け”って言ってくれたんです。両親とも先輩からの差し入れを本当に喜
んでました。その後、先輩とほなみんの距離…心の距離が近いのを見て、”負けるな!”
って。……こんな状況でも結構元気なんですよ?うちの両親は。」
「え?いや、じゃあ”親御さん公認”で俺を追いかけてきたって…え?……」
「好きです。光一先輩。一年生のときからずっと好きでした!」
「お、おぅ…」
この手の話に縁がなかった光一は、もう全てを投げ出して女子二人と逃避行でもしたい気
分になったりもしたが、ふらふらと飛んでいきそうになる理性を必死に取り戻し、恵理華
との話を続けた。
「好きって…なんで俺なんだ」
「ほら、その顔です!」
「???」
「先輩、いつも三白眼で、誰も近寄れない雰囲気で大学を歩いてますけど、実はそんな優
しい顔を見せてくれるときもあるんですよね。”作り笑顔”でそんな顔はできないです。
そのくらい私でも判別できます」
「う…ううう…」
光一はなんだか気恥ずかしくなって、頭を掻いてしまう。
「そんな顔してたかな俺。…でもな、恵理華…」
「はい。ほなみんがさっき告白したとこ。先輩が答えを先延ばしにしたとこ。全部見てま
した。」
「だよね」
「はい。確かに先輩を好きだった期間はほなみんに負けますけど。こういうことって時間
は関係ないと思うんです!」
「お、おおぅ…」
恵理華は言葉だけでなく、顔もずいずいと近づけてくる。見かけによらず、いや普段の元
気な姿からすればこれが素なのか?光一は完全に圧倒されていた。
「私も、先輩が本当はご両親のところにいくわけじゃないと、何となくわかってました。
でも、どこに行くのか?何をするのかは訊きません。それを聞いたら、先輩のこと止めた
くなっちゃうかもしれないから……」
「そうか」
(女子ってのは勘がするどいなぁ。それとも本当に俺の嘘はわかりやすいのかな?)
光一はもうはぐらかすのは止めることにした。
「それなら、保奈美と同じだ。告白の返事は、俺が戻ってくるまで待ってくれないか?絶
対にごまかさない。本心を答えるから。」
「わかりました」
恵理華はさらにぐっと光一に近づくと、爪先立ちになりながら光一の右の頬にそっと唇で
触れた。
「待ってます。できれば、良い返事を聞きたいです」
今頃になって恥ずかしくなったのか、恵理華は真っ赤になって避難所に戻って行った。
「死亡フラグ2連発じゃん!」
光一は口ではそんなことを言っているが、内心はドキドキして倒れてしまいそうだった。
しかし自分がこれからやるべきことを思い出すと、すぐに正気を取り戻し、また猫背に
戻って自分のアパートに戻るために帰途についた。
夕方になり、光一は黒い車に乗りアパートから”会議室”に向かっていた。
「こんな道を通っていたのか?」
「いや、いつもはオマエに気づかれないようにするため、ぐるぐると遠回りしたり、色々
工夫をしていた」
黒服&サングラスの男がぶっきらぼうに答える。
「だがもうそんな必要がなくなったからな。最短ルートだ。」
「そりゃ助かる。時間は貴重だからな。」
それ以後、二人はまったく口を開かなくなった。
会議室に着くと、またもや裏官僚がずり落ちそうになりながらぐったりとパイプ椅子に
座っていた。
「来たか」
「機密だろうから、さすがに口に出しては言わないが、ここは”こんなところ”にあった
んだな」
「そういうことだ」
「施設の強度は?」
「中型敵機、夜型だな。その程度の攻撃なら耐えられる。異星人の建材を使っているから
な。だが、集中攻撃を受けたら……」
裏官僚はいつものように光一に座るように促す。
「用事とやらは済んだのかね?」
「ああ、ちょっと知人に会ってきただけだからな。」
「……キスマークくらい消してから来てくれ。知人とやらとは、かなり親しいということ
がバレてしまうぞ?」
「!!」
それほどまでにぽーっとしていたのか、光一はそんな事にさえ気づかなかった自分を呪い
つつ、右の頬をハンカチで拭いた。
(恵理華のやつ、あんな環境でも口紅をっ!いや化粧すること自体は女子の鑑かもしれん
が!)
「ま、まぁ用事と言っても色々だよ。色々。」
この裏官僚に色々を詮索されたくはなかったのに。
(黒服も黙ってやがったな?くそっ)
「色々ね。キミも若いんだ。色々あるだろうさ」
「納得してくれて助かる。」
上級メンバーとしてそこそこ働いているので、もう大丈夫だとは思うが、保奈美や恵理華
に自分の両親のような目に遭ってほしくはない。しかし今はこの裏官僚の態度を信じるし
かなかった。
「ところで、簡単な要望なんだが、俺はしばらくここに寝泊りさせてもらうぜ?いちいち
アパートからここに出勤じゃ、時間が勿体ないからな。」
「”俺”か。…いつから自分をそう呼ぶようになったかな?」
「もうあんたへの皮肉のためだけに”私”とか言うのが面倒になっただけさ。それより寝
泊りの件はどうなんだい?」
「別に構わんが…どこで寝るつもりだ?」
「”収容所”に独房があったろう?あそこなら快適だ。皮肉でもなんでもなく、アパート
の布団より、あの硬いベッドの方が断然快適なんだぜ。」
「そうかね。……ところで、」
裏官僚は姿勢を正して椅子に座りなおした。
「あの巨大昼型敵機は見たかな?」
「ああ避難所で見たよ。」
「どう思うね?」
「単なる勘でしかないが、これ以上巨大なサイズの敵機は出現しないだろう。なんかのテ
レビ番組か何かで見た気がするんだが、動物だろうがロボットだろうが、アレ以上サイズ
が大きくなると、自分の2本の足で自重を支えきれなくなるんだそうだ。」
「ほう」
「まぁヒトデ型の例もあるんで、2本足ではなく4本足になるってケースも考えられなく
はないが、奴らもそこまで大きさに拘る可能性は低いだろう。現に今日は原始的な”落と
し穴”で転びそうになってるからな。はは」
「そうだな。MGOの高層ビルがなければ転んでいたろうな。」
裏官僚はよっこらしょと言いながら立ち上がると、壁のそばに立った。-アイツもよほど
疲れてるらしいな-と考えながら、光一は例によって出現したスクリーンを注視する。
「今日のミーティングの議題は二つ。我々”組織”の現状把握と、異星人からの追加情報
の伝達だ。」
スクリーンにはこの国の国土が表示され、その上に多数に区分された”敵機撃退エリア”
が表示されている。裏官僚がスクリーンに触れて各エリアをなぞると、そこに棒グラフが
上書き表示されてゆく。
「棒グラフは青が元々そのエリアにいたチームの人数。黄色が他のエリアから応援に来た
チームの人数。そして赤が現在稼動可能なチームの人数だ。」
「気のせいか赤は全部一桁なんだが?」
「全部一桁だ。このエリアもキミを入れて4人。しかも他の3人はジュニアチームだ。」
「絶望的な数字だな。」
「まさしく絶望的だ。国内がこのような状況では、ジュニアチームを新たに増やすことは
不可能。お互いのエリアに応援を出すこともままならない。」
「もう本当にさ、国民に情報開示しようぜ?そうすればチームも増やせる。」
「それができれば苦労はしない。それができれば…ここの職員もこんなバカバカしいグラ
フの図を作ることもなくなるんだがな。」
「ええい、くそっ。……ところで、この図を見ると、”敵機撃退エリア”とやらが、国土
全体を覆っていないように見えるが」
「元々そんなことは不可能だからだ。全国土を敵機から守るのに…”まだ小型敵機しか出
現していなかった条件”で計算したとしても、一体何人のメンバーが必要になったと思う
ね?」
裏官僚はスクリーンを指で下になぞると、棒グラフをのせた国土図が消えた。
「わが国の国土は、面積もそれほど広くはないが、人が文化的かつ快適に生活できる場
所、即ち平野部の面積はもっと狭い。ほとんどが山河の国土だからな…」
「…だから平野部以外に”敵機撃退エリア”がないんだな。見捨てたわけだ。」
「そう、見捨てたんだよ。だからエリアが存在しない地域でどの程度の被害があるのか、
我々もその全貌を把握できてはいないのが現状だ。被害者がごく少数であることを祈るし
かないんだ。我々は非力だよ」
裏官僚はスクリーンを左手でバンっと叩く。その拍子に次の議題の表示が行われてしまっ
た。光一は”組織”の現状と、平野部以外が見捨てられていたことに腹が立ってしょうが
なかったが、次の議題の画面が表示されたことで、何とか頭を切り替えようと努力した。
「その図…なんだまた敵機の図だな。…それが次の議題か?」
「ん?あ、ああ。そうだ。異星人からの新情報だ。だが今回は我々の行動にほとんど有益
ではない、瑣末な情報だ。」
「また敵機のCGがくるくる回ってるが、敵機がどうかしたんかい?」
「奴らが背負っている甲殻。”鎧”と呼んだこともあるが、アレの正体がわかった。」
「一体なんだっての?」
「あれが、敵性異星人が求めているもの。特殊な鉱石だ。奴らが建材等にも使っている、
硬くて頑丈な、有益な物質というわけだ。敵機が地中から掘り出した、何の変哲も無い鉱
物を敵機の体内で変化させ、あんな形にして背負わせているのさ。」
「ってことは、掘れば掘るほど甲殻は厚くなると?」
「そうだ。そしてこれが衛星上の場合、敵性異星人があの甲殻を刈り取る。そして敵機た
ちはまた甲殻を厚くするために掘削を続ける。本来はそんな単純な生体ロボットなわけだ
よ。」
「まるで羊飼いが羊の毛を刈り取るようなものか……なんだって11号はこんなものをこ
の惑星に持ち帰ってしまったのかねぇ……」
「それは今更言ってもしょうがないことだ。我々の仕事はできる限り敵機に対処すること、
……だが、もう限界にきていることも確かだ。」
裏官僚はスクリーンを閉じ、元の壁に戻した。
「本日のミーティングは以上だ。我々のエリアには夜型敵機の出現予測は出ていない。」
「そうか。なら早速、ここの独房で待機させてもらうよ。」
「いや、睡眠をとってもらって構わんよ。待機はジュニアチームに担当させよう。キミは
できる限り睡眠をとって、脳と視神経を休めてくれたまえ。」
「いや……と言いたいが、そういうことなら休ませてもらうぜ。二日連続で眠れるなん
て、贅沢なもんだ…」
光一は裏官僚の付き添いを断り、以前行ったことのある”収容所”区画を訪れた。またオ
マエか、のようなことを監視員が言っているが、既に裏官僚から指示が来ていたらしく、
前回と同じ独房の鍵を渡された。
独房に入ると、アパートから持ってきた、生活に最低限必要な物が入っているバッグを
開け、彼専用の強い睡眠薬を取り出した。
「保奈美や恵理華は、ちゃんと眠れているんだろうか……」
光一はそう呟きながら、睡眠薬を飲み込み、硬いベッドに横になった。
□□□
また昼型敵機の出現がぱたりとなくなった。そのかわり、夜型敵機=”小型+中型”=
の出現が続いていた。光一が船上で眠ってから=保奈美と恵理華に告白された日から=、
もう一週間以上が過ぎようとしていた。
「うぁ~」
この日の夕方、光一は会議室の机に突っ伏してだらけていた。
「もーなんとかしてくれ。相変わらず右腕は痛いし、連日慣れない左手で銃を撃ち、しか
もまったく眠ってないときた!」
「うるさいぞ。休息がほしければ、何もしゃべらずに机上に転がっているんだな。」
かく言う裏官僚も、かなりまいっているのか、光一と同様、机に突っ伏している。
「あんたと馴れ合う気はまったくないが、この状況下でその灰色のスーツに皺一つないの
には驚くよ。さすがは”官僚様”だね。」
「…少し黙ってくれ。キミのだらだらとした話し声にだんだん腹が立ってきているんだ。
どうしても辛ければ、独房で仮眠してきたらどうかね?」
「だ・か・ら!俺は不眠症だって言ってんだろボケ!」
「仮眠は眠って脳を休めるだけでなく、身体の休息にもなるんだ。そのぐらい理解してお
きたまえクズがっ!」
二人は同時にむくっと上半身を起こすと、臨戦態勢に入った。しかし、
「やめよう。こんな不毛なことで体力を削りたくないぜ。」
「キミと私は永遠に敵対する運命かもしれんな。とにかくもうしゃべるのはよしたまえ。
また異星人からの予測が来るかもしれん。」
「もー来ないでくれー!1日くらい休ませろー!」
光一の魂の叫びの後、会議室を静寂が包み込む。しかし今度は裏官僚がその静寂を破っ
た。
「しまった。私としたことがすっかり忘れていた!」
「な、なんだよ急に。」
「珍しいことだが、”彼の大国”の”裏の政府”から、我々に対して贈り物が届いてい
る。使うのは主にキミ、ということになるがね。」
「あんまり嬉しい贈り物とも思えないが…」
「敵機の出現予測が来る前に、キミに渡しておかねばな。急で悪いが、射撃訓練場に先に
行ってくれたまえ。」
「どーせ暇なんだ。わかったよ。先に行って待ってるぜ。」
裏官僚は今までのダレダレの状態が嘘だったかのように、素早く会議室を後にした。
「まだあんなに動けるんじゃねぇか。見かけによらずタフだな…」
対する光一の方は右腕だけでなく、左腕や両足まで負傷しているかのように、のろのろと
約束の場所まで歩いて行った。
以前の組織の状態なら、ここに来れば最低一人は射撃訓練をしているところを見かけた
ものだが、今では誰も利用者がいない。照明をつけるのも久しぶりである。光一は、せっ
かく足を運んできたのだから、左手での射撃訓練でもしたかったが、肝心の銃がない。裏
官僚がやって来るのを待つ以外にやることはなかった。
やがてこつこつと靴が鳴る音が聞こえてきて、扉を開けて裏官僚が姿を現した。両手で
何かの包みを抱えている。どう考えてもアレが”贈り物”とやらであろう。
「ずいぶん大事そうに抱えてきたが、爆弾か何かかい?」
「いや、ここで使うものだから銃だよ銃。”彼の大国”にて造られた試作品だそうだ。」
裏官僚は慎重に包みを開け、かなり大型かつ黒塗りの銃を取り出す。
「…また大型銃かよ、勘弁してくれ……」
光一はその場に座り込んでしまう。
「形は大きいが、実はとても軽い。”彼の大国”が造ったと言ったが、実際には敵性異星
人が造ったものだと、組織では考えている。」
「…試作品と言ったが、軽い以外に何の特徴が?」
「まぁ、かなり突拍子もない話だが、”レーザーガン”だそうだよ」
「はああ?…なんとまぁ…それが本当だとすりゃ、いよいよSFのような世界になってき
たぜ」
「敵機が存在していること自体、充分にSFだよ。いいから撃ってみてくれ。その右手
で。」
「な、右手だと!」
光一は大げさに右腕を庇う様に身構える。
「怪我してるって言ってるだろが!銃なんて撃てねぇよ!」
「まぁ落ち着け。普通の銃なら確かにまだ無理だろう。だがさっきも言ったとおり、こい
つは”軽い”。そして”レーザー”ということは”反動が無い”。倫理的な問題こそある
が、子供でも撃ててしまうということになるな。」
「そうか、反動が無いのか。なら使えるかもしれねぇな…」
しかし光一は、以前この施設で事務方たちのおしゃべりから入手した情報を思い出した。
「いや待てよ?確か…”彼の大国”はレーザー”砲”を敵機に対して使ったが、効果は
まったく無かった…て話じゃなかったか?」
「そうだ。よく知っているな。だが何もこのレーザーガンで敵機を葬ろうというわけでは
ない。今のキミは右腕が満足に使えない状態。しかも左手での射撃にもまだ慣れていな
い。だからこいつの使い道は敵機を怯ませること、というわけだ。私は戦闘の素人だが、
目、或いは目の周辺を狙ってみれば、敵機に隙を作ることも可能ではないかね?」
「……なるほどね。サブウェポンってわけか」
「とにかく試しに撃ってみてくれ。今のキミの右手で。実戦で使えるようなら、早速”次
の対処”で使ってみるといい。」
「例え使えても、実戦で壊しちまうかもしれないぜ?」
「わざわざ”試作品”と言って渡してきたんだ。壊しても構わん。それに彼らには”この
惑星を敵機に蹂躙されるきっかけを作った”という負い目がある。全世界にな。気を使う
必要はなかろう。」
「へぇ、あんたもなかなかのワルだな」
光一はニヤリと笑みを浮かべ、銃を左手で受け取る。
「所詮私は役人だ。処世術、とでも思ってくれて構わんよ。」
つられて裏官僚もニヤリと笑う。
さて、ここからは光一の仕事だった。まずは件の銃を左手から慎重に右手に持ち替え
る。
「っ痛…」
腕が完治していない以上、どうしても痛みを感じてしまう。だが、確かに大きさに比べて
軽くできている銃は、それ以上右腕に負担をかけることはなかった。
「持つだけならなんとかなる、っと」
光一は銃を撃つ手順を一つ一つ教えられたときのように、慎重に試射の手順を進める。
「んで。右腕を伸ばして的に向ける。」
これはあくまでもサブウェポンなのだ。実戦時には左手は自分の銃を握っているはず。試
射といえども、いや試射だからこそ、右手に左手を添えるようなことはしなかった。あく
まで右手だけの片手撃ちである。
「的を狙って、引き金を……引く!」
SF映画等で見るような、太い光の線は見ることができなかった。一瞬キラっと光ったか
光らないかという程度である。そして心配していた反動だが、
「当たり前だが。確かに反動はなかったよ。」
裏官僚が、厚さが数センチもある鋼鉄製の的をこちらにスライドさせると、的の真ん中に
直径1センチ強の穴が、鋼鉄を溶かしたように貫通していた。
「お見事!」
裏官僚は皮肉でもなんでもなく、光一の射撃の腕を褒めた。
「なるほどね。”彼の大国”が各国に配ろうという気になるのも頷ける。…そうなんだ
ろ?」
「そうだ。わが国だけではなく、まだ戦いを継続している国には、この試作品を配ってい
るようだな。」
「敵機に対してはどの程度の効果があるかはわからねぇが、目眩まし程度にはなると思う
ぜ?」
「そうか、では早速”次の対処”即ち”今夜”から使ってみるといい。」
「……なに?なんだって?よく聞こえなかったが?」
「異星人から、今夜も敵機が出現するという予測がきた。…すまないな…」
光一は目を瞑りながら大げさに天を仰ぎ、やがて大きなため息をつくと、戦闘前のギラギ
ラとした表情に変わっていた。
「会議室で待機する。場所と時間、敵機の出現予測数を教えてくれ」
「キミはもう1週間以上も寝ていない。大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃなくても、俺しかいないんだろ?やってみるまでさ。」
光一の頭の中には、避難所で苦労を強いられているであろう、保奈美と恵理華の顔が浮か
んでくる。
(今、俺が弱音を吐くわけにはいかない)
光一はレーザーガンを腰のベルトに挟むと、両手で自分の頬を叩いた。しかし実際に痛
かったのは頬ではなく右腕の方だった。
「気合いを入れるつもりが、失敗したぜ。やれやれ」
「戦闘中にそんなドジを踏んでくれるなよ。」
裏官僚から容赦ない激励?が光一の耳に入る。しかし既に光一の脳は戦闘モードに入って
いた、余計な皮肉も冗談も、もう光一の頭の中には何一つ浮かんではこなかった。
場所は、首都でまだ生きている変電所の裏手。避難民の生活を支えるには、避難所、医
療施設、発電所と変電所は最低限守る必要があった。このエリアに残っていたはずの3人
のジュニアチームも、”小型+中型”のような複数の敵機に対応する訓練続きのため、体
力の限界で倒れてしまったという。今、このエリアで頼れるのは、光一ただ一人なのだ。
「2メートルの中型が2機…か」
敵機の動きをできるだけ速く察知するために、感覚を研ぎ澄ましておきたいのだが、変電
所特有の低く唸るような”ブゥーン”という音に光一は苛ついていた。
「この音を止めるということは、送電を止めるということか…この状況のままで対処する
しかないんだな……」
やがて、いままで自分が立っている足元から、微小な振動を感じるようになってきた。そ
の振動は徐々に大きくなっているように思えた。
「おぉ、お、おおお、真下を動いてやがるな!」
光一は素早く近くの茂みに隠れると、顔に寄って来る虫を追い払うこともせず、じっと地
面を見つめた。
-ぐばっ-そんな音が聞こえるようなイメージがわくほど、さっきまで光一がいた場所
が盛り上がり、そこから2体の敵機が姿を現した。
「あんなふうに出てくるのか。実際に近距離で見るのは初めてだからなぁ…」
光一は2体の動きを慎重にうかがっていた。すると敵機の目標はあきらかに変電所である
ことが判った。
「これじゃ撤退はできないな…っと」
組織から見れば光一は虎の子のメンバーだ。しかもまだ怪我が完治していない。もしもの
場合は撤退も許可されている。しかしここで撤退すれば、周辺一体の送電が完全にストッ
プしてしまう。光一はできる限り音をたてないように敵機の後ろにつく。
「さ、始めようか」
光一は左手で右のショルダーホルスターからいつもの愛用?銃を。右手で左のショルダー
ホルスターから”レーザーガン”を。それぞれ引き抜いた。その動作に気付いた後方の敵
機は、何事かと大きく後ろを振り向く。しかしそれは自殺行為だった。既に光一は左手の
銃を構えていたのだから。
「喰らいなっ」
振り向きざまに、光一に腹と胸を見せてしまったその敵機は、どろどろと溶けてその場の
水溜りとなった。
「くっ、速いな」
しかし倒した敵機の前を歩いていたもう1機は、光一が銃撃できない程の充分な距離を
取ってしまった。そして、口から伸ばした1本の触手をだらりと地面に垂らしている。こ
れが奴らにとっての”臨戦態勢”だ。
「…とと、忘れるところだったぜ。こいつの運用テストも兼ねてるんだっけ。」
決して本気で忘れていたわけではなかったが、右手に握っていた”レーザーガン”を、い
よいよ実戦で試すときがやってきたのだ。
「この距離では確実に弾丸を当てることは困難。でも”こいつ”なら何回も撃てるし、ト
リガー引きっぱなしでジリジリ焼くことも可能なんだぜ?」
光一は敵機の腹と触手を横一文字に斬り捨てるがごとく、トリガーを引いたまま右から左
に敵機の腹部を狙って銃を動かした。
「どうだ?少しは効果が…って!おい、何ともないのかっ!?」
いくらヘルメットの暗視スコープを使っているとはいえ、そうそうはっきりと敵機の状態
がわかる距離ではない。しかし光一の聴覚は、レーザーで焼かれたはずの腹と触手が、じ
わじわと修復されていく”ぐちゃぐちゃ”という様な音を捉えていた。
「効果が無いと言うより、すぐに回復してしまうわけか。俺の腕もあんなふうに簡単に
治ってくれれば…」
光一が呟き終わるのを敵機は待ってはくれなかった。一気に距離を詰めて左右の腕に付い
た合計六本のツメで光一を引き裂こうとする。
「ツメじゃなくて触手を撃て触手をっ!」
光一は横っ飛びでかわし、自分がいた場所を駆け抜けていった敵機に対してくるりと正対
した。
「んじゃ、裏官僚が言っていたように、目でも狙ってみるか」
何せ”レーザー砲”でも倒すことができなかった敵。今度も瞬時に回復してしまうだろ
う。だが、ほんの一瞬でも、そう”触手を放った後の一瞬の隙”、ソレと同じ程度の隙さ
え得ることができれば、敵機に対する新しい戦法として有効だと証明できるのだ。
「んじゃ……それっ」
わざわざ声を出す必要は無いのだが、これが光一のいつもの癖であった。今度のレーザー
は敵機の顔、口の上あたりを横一文字、左から右へと焼いてくれたはずだ。
「やった!」
そう言うより速く、光一は左手の銃で敵機の腹に狙いを定めていた。望んでいた”隙”が
できたのだ
「オマエも喰らいな」
左手の銃からは無音の弾丸が発射され、敵機の甲殻と左胸の境界ぎりぎりのところに突き
刺さる。もちろん境界の胸側に、である。
「こいつはいける!このレーザーガンはジュニアチームに渡してやるべきだな。」
これで今夜の対処は終了となった。光一は控えている回収班に”撤収”の合図を送った。
2機目の敵機が水溜りに変わったのは、そのすぐ後であった。
日付が変わって昼。光一はまた射撃訓練場に居た。自分の銃は自動機械でメンテナンス
中。レーザーガンはどのくらいでエネルギー切れになるか不明。ということで、以前
”M”の話の中で出てきた”.380”を組織から借り、試し撃ちをしているところだっ
た。
「うーん。確かに小さいけど、良いような悪いような…って、俺には向かない銃だな。」
的をこちらにスライドさせて結果を確認してみると、合計18発の弾丸は同心円の真ん中
にほとんど集弾していた。だが数発が周囲に外れていた。
「いや、初めての銃でしかも左手で撃っているんだ。良い結果だろう?」
いつの間にか裏官僚が室内に入ってきていた。
「どうせ今日も敵機の出現予測が入ると思っていたんで、とりあえずここで練習させても
らっていた。構わないよな?」
「練習用の銃弾だし、現在その銃の持ち主もいない。まったく問題ない。」
光一は弾倉を”慌てずに”交換すると、的を入れ替え、また射撃を開始した。
「ところで、”昼型敵機用の銃弾”は、まだ完成しないのか?」
射撃をしながら光一は背後にいる裏官僚に訊ねた。
「残念ながらまだだ。だが代わりにまた小さな情報を送ってきた。練習が終わったら会議
室に来てくれたまえ。」
「いや、ちょうど終わったところだ。俺も一緒に行く。」
そう言うと光一は、空になった弾倉とともに、撃ち終わった銃を台の上に置いて裏官僚の
後に続いた。今度の的には、弾丸が全弾中心に命中していた。
「情報というのは、実はキミについての事だ。」
二人しか居ない会議室は、いつ見てもだだっ広く感じる。そんなことをぼーっと考えてい
た光一に、裏官僚が説明を開始した。
「俺?俺なんかまずい事したかな?」
「いや、例の異星人たちがキミに対して興味を持ち始めたのさ。どうしていつもキミだけ
が成果をあげ、キミだけが必ず生き残るのか?…とな。」
「そんなこと知るか!俺としては生き残るのに必死なだけだがな!」
「そう。そこで異星人たちはキミについて隅々まで調査したそうだよ。おっと怒るなよ?
我々は何もしていない。そう、キミの戦闘データや生体データを彼らに渡しただけだから
ね。」
「そんな事するほど暇なら、新型銃弾を創ってくれりゃよかろうに…」
「そんな事というが、彼らも必死なのさ。仮に新型銃弾が完成しても、この惑星の人間が
使いこなせないようでは意味がないからな。」
光一は射撃練習の前に医務室で包帯を替えたばかりの右腕をさすりながら、興味なさそう
に会話を続けた。
「んで?結局何がわかったんだい?」
「キミは異常だということだ。」
「…殴っていいか?」
「表現が簡潔過ぎた。キミの脳と神経は、情報伝達速度が異常に速いのだそうだ。」
裏官僚は、壁をスクリーンではなく白板として使用し始めた。ペンは指。消去は手のひら
である。
「人間が五感、ここでは視覚と聴覚と触覚の3つに限定するが、そこで感じた事に対し
て、何らかのアクションを起こす場合、情報の流れはこうなる。」
裏官僚は人間の頭と脳の模式図と、”流れる情報”の代わりに線を描いてゆく。
「身辺で何か変化が起きる。ソレを感じ取る。感じ取った内容が脳に伝わる。脳で情報を
解析する。どんなアクションを起こすか決定する。手足や身体全体にアクションを起こす
よう脳から指令を出す。身体がアクションを起こす。という感じだ。」
「意外に段階が多いんだな。何せ成績が…」
「悪かったんだろう?だからこうやって図まで描いて説明しているんだ。黙って聞きたま
え。」
「へいへい」
「さて、この各プロセスにおいて、大きく二つに分けるとすれば、”外部の変化を察知す
る能力”、”神経や脳の情報伝達能力”になる。キミはこの後者が異常に速いのだそうだ
よ。前者は変化が伝わる速度、視覚には光、聴覚には音速、触覚には振動、といように、
同じ場所に立っていれば、目を瞑ったり耳を塞ぐような事をしない限り、誰にでも同じ速
度で伝わる。即ち個人差はほとんどないわけだ。」
「神経や脳が速いって言われてもなぁ…俺の感じでは睡眠薬のせいで逆に遅い気がするが
ね。…具体的にはどのくらい速いんだ?」
「”対処”の内容や体調等々にも左右されるので平均値でしかないが、同年代の人間と比
較して、約半分しか時間がかかっていない。つまり倍も速いことになる。キミが”敵機が
触手を撃った直後にできる隙”を確実に活かせるのは、コレが原因だったのだよ。」
「…地味…地味だなぁ……」
光一は机の上に突っ伏した。
「これは一人の人間として凄い事なんだが、何か不満でもあるのかね?」
「いや、もっとこう…突然眠っていた素敵な能力が覚醒して、敵をバッタバッタと薙ぎ倒
せるスーパーヒーローだった…とかならよかったのに、と思ったもんでね」
「キミはアレか。漫画やアニメに毒されているクチかね…」
「あんたの口から”アニメ”なんて言葉を聞くとは思わなかったが、確かにそうだな。そ
んな都合のいい事、実際には起きないよなぁ。へいへい、地味でいいよ地味で。」
「まぁ妄想に逃避するのではなく、もっと現実を直視することだ。……ところで、例の
レーザーガンだが、回収班の報告では”なかなか使える”という話だったが。実際使って
みてどうかね、感想は。別にレポートを書けとは言わんから教えてくれたまえ。」
光一は上半身をゆっくりと起こすと、だるそうに話し始めた。
「俺はもう1週間以上眠っていないことを前提に聞いてくれ。流暢にはしゃべれないから
な……えーと…敵機の甲殻以外の場所。それなら”一瞬”効果がある。『じゅ』って焼け
るような効果だな。焼肉みたいに…」
「それで?」
「だがすぐに元に戻ってしまう。とんでもない復元力だ。でもあんたも言ってたように、
目の周辺…直接目玉に当てるのがベターだが、その辺に当てると、当然目が焼けて動けな
る。待望の”隙”ができる。」
「そ、それは凄い。キミのような超人的な動きで敵機の触手を紙一重で避けなくても、敵
の隙を突くことができるようになるんだな!?」
「ああ。俺もそう思った。今苦労しているであろう、ジュニアチームに持たせてやると、
彼らが生存できる可能性も上がるだろう。」
「すぐに”彼の大国”に試作品ではなく、完成品を送るよう手配した方が良いかね?」
「うーん。…そうだな…あと1回。あと1回だな。こういう場合は”石橋を叩いて渡っ
た方が良い”ってね。もう1回この”試作品”で出動して様子を見させてくれ。」
「了解した。良い結果が出てくれるといいんだが…」
「問題は敵機だよ。奴らは時々こちらの予想を上回るからな。ヒトデ型敵機のようにね。
アレにはレーザーも効果ないだろう……そ、そういえば、あれからヒトデ型は出現してな
いのか?」
「あ?ああ。出現していない。それに確かに海から来る場合、今度はどんな形態で出現す
るか、まったく予想できないな。」
「予想できないっても、さすがにマンボウみたいのは来ないと思うぜ?消去法で。」
「…マンボウ……キミはホントウに休息した方が良さそうだが?」
「ああ…独房に…行って…仮眠してくる…よ。身体を休める…だけ…だがね。……何か
あったら呼びにきて…くれ」
そう言うと、光一はよろよろと危ない足取りで会議室を後にした。
監視員が、独房に寝転がっている光一を呼びにきた。またしても出動だった。
8日か9日か、或いは10日以上かもしれない。もう日数など真面目に数えていない。睡
眠薬で構わないから眠りたい。そんな状態の光一にとって、全てが真っ白な会議室は非常
に辛かった。ただでさえ目の奥が痛いのに、明るすぎて刺激が強いのだ。
「今夜も出るのか?敵機が」
「異星人の予測ではな。数は一機だが…5メートルの大型機の可能性が高いそうだ。」
「とうとう大型か。それで頭打ちになってくれないと、夜間に10や20が出たら国民に
隠蔽することは不可能だぜ?ま、俺が心配するこっちゃないが」
「5メートルでも充分その可能性がある。速やかに対処してほしい。今回もレーザーガン
が効果的に使われることを期待する。以上だ。」
光一は既に左のホルスターにレーザーガンを準備してあったので、ホルスターごと渡され
た自分の銃を、のろのろと右に装着する。
「おいおい!大丈夫かねキミ。そんな状態で!」
「知らん。敵機に聞いてくれ。」
光一は外に待機しているであろう車に、できる限り急いで向かった。
今度の敵のターゲットは大型病院のようだった。さすがに0時を過ぎるとほとんどは消
灯しているが、救急外来を受け付けるため、一部にはまだ明かりが灯っていた。
「”整地”のターゲットが段々と明確になってきたな。昼型が散々都市を破壊したので、
残った構造物を全て破壊しようというわけか」
保奈美に気付かれたように、光一の一張羅であるジャケットは、ヒトデ型に右腕を締めら
れた際に破けてしまった。現在はYシャツの上に直接コートを着ている状態だ。寒さが身
に凍みる。
「敵機の攻撃対象が明確になれば、予測もし易いわけだ。的中してくれよ…」
やがて、地中を微小振動が走る。今回は真下というわけではなかった。目的地は病院の裏
手のようだ
「連中は”表”から突入するのは嫌いなのか?こっちは助かるがな」
裏手ならば救急外来の担当医たちにも気付かれにくいだろう。やがて昨夜同様、ぐばっと
いう擬音が聞こえるかのように土が盛り上がってから割れ、敵機が姿を現してゆく。
「やっぱり5メートルはでかいな。しかし背中からじゃ本当に夜型なのか判別できんな。
……接近するしかないのか…」
光一は2丁の銃を構え、慎重に敵機に接近する
「レーザーを持ってるから、無理して近づきたくない。できるだけ離れていたいんだよ
な。自然にこっちを見てくれないかなぁ。口の数で判別できるんだ」
いまにも病院に突撃しそうになったのを見て、光一は仕方なく小石を投げつける。しかし
敵機近くに転がすつもりが、見事敵機に直撃してしまった。
「やべっ」
敵機は周囲に移動物体がいることを察知し、その場所を探そうと身体を回す。
「そうくるくる動くなって!……見えた、口は1つだっ!」
暗視スコープで夜型であることを確認すると、レーザーガンを構える。
「レーザーなら長距離でも直進してくれる。夏みたいに空気が揺らいでいないからな」
光一は敵機からかなり離れた場所で、目を狙い撃ちしようと試みるが、どうも敵機の=爬
虫類のような=顔に違和感を覚えた。
「目の周辺が今までと違うような。………まさかとは思うが…」
光一は以前ヒトデ型敵機に銃弾を撃ち込んだとき、自分に向かって跳弾したことを思い出
していた。
「まさか、本当にまさかとは思うが……」
光一は敵機の正面から狙うのではなく、右に約30度斜めの位置から射撃することにし
た。
「頼む。杞憂であって…くれっ!」
レーザーは当然ながら光の速度で進む。反動も手ごたえもない。暗視スコープで敵機の顔
を確認するが、まったく変化がない。射撃が外れたのだろうか?
「こ、この臭いは…焦げ臭いぞ…」
光一が左手の雑草地帯に目を向けると、具体的に炎までは上がっていないが、一部が焼け
焦げていた。焦げるような臭いの発生源はここだったのだ。
「入射角と反射角…だっけか?奴は目の周囲に光を反射する”サングラス”でもかけや
がったのか!?」
敵機はレーザーに対抗して進化したのだ。たった1日しか経っていないのに、である。
「もうレーザーは役に立たない」
光一はレーザーガンを左脇のホルスターにしまう。
「しかも俺はもう得意の”横っ飛び撃ち”ができないほど弱っている」
目も脳も、機能しているのが不思議なくらいだった。
「奴に接近しつつ、飛んでくる触手を紙一重でかわすしかない」
光一は左手の銃を構えながら、一歩、また一歩と敵機に接近する。対する敵機の方は、
レーザーが自分の目=を被った薄い膜=に命中したことを知ってか知らずか、光一を”石
を投げつけた者”との認識で近づいてくる。
「それっ!」
突然光一が敵機にダッシュすると、自分の巨体ではそのスピードに対応できないと判断し
たのか、予想どおり触手を撃った。絡め取るような柔らかい状態ではなく、刺し貫くため
の硬質化した状態で!
「こっちだっ」
できるだけ左手での射撃をし易いように、光一は身体を右に半回転して触手を紙一重でか
わし、自分の横を通り過ぎた金属棒のような硬い触手の、その左側に立っていた。
「悪いが水になってもらうぜ。」
触手の射出後、膠着してしまっている一瞬の隙をつき、光一が放った銃弾が敵機の腹に突
き刺さる。
手強い敵機がどろどろに溶けるのを確認すると、光一は独りで車を待つ。なぜなら回収
班が一人もいないのである。
「妙だな」
光一は小さな不安を抱えたまま、やってきた車に乗り込み、会議室のある場所へと連れて
行かれた。
光一が会議室に戻ると、裏官僚が悲痛な面持ちで光一を迎えた。
「何があった。レーザーが効かなかった事以外に、事件でも?」
「あ?ああ。そうか、レーザーが効かなかったか…そうか」
「おい。どうした?おいっ!」
裏官僚の肩を揺する光一の左腕を、黒服が止めた。
「本来は、私が話す内容ではないのだが。彼があの状態なので、私から説明しよう。」
黒服は壁をスクリーンにすると、スクリーン上にどこかの海岸線を描いたCGを表示し
た。その海岸線の近くには、煙突を何本も持った巨大な施設が描かれいる。
「火力発電所だ。近年運用が始まったばかりの波力発電とのハイブリッド発電所として、
首都圏の電力をまかなっている。」
「”発電所”、”海岸線”、”海”。」
光一は、なかなか動いてくれない自分の脳みそにやきもきしながら、一つ一つ状況を整理
していた。
「”発電所”…夜型敵機の破壊目標。”海岸線”…ここから、或いはここを通って夜型敵
機が出現した…」
「くっ」
裏官僚は光一が話す一言一言に反応して、苦悶の表情を崩さなかった。
「”海”………ヒトデ型が出たのか?そうなんだなっ!」
「仕方がなかった。オマエが出動してすぐ、ヒトデ型1機の出現予測が来た。場所はCG
に描かれているとおり。今、発電所を失うわけにはいかない……」
「ジュニアチームを出動させたな!?なぜ、なぜ俺を待たなかったんだっ!!」
「オマエが戦闘状態に入るのと、ヒトデ型の出現予測時刻にほとんど差はなかった。実際
にヒトデ型が出現したのは、オマエの”対処”が終了したころだが、そんなもの誤差の範
囲だ。誰かがオマエの代わりに行く必要があったのだ。」
机に両手をついて、かろうじて身体を支えている裏官僚の代わりに、黒服がそのように答
えた。
「そ、それで回収班がいなかったのか。全員この発電所に行ったんだな?」
「そうだ。」
「無茶なことをっ!」
「無茶ではない。彼らには充分な訓練を行っていた。オマエの戦闘データや敵機のデータ
等々、持てる全てのデータを使って戦闘シミュレーションまで行っていた。そして幸いに
も出現したヒトデ型は1機。彼らを出動させた判断は正しい。」
「それで……彼らはどうなったんだ…」
いくぶん冷静さを取り戻し、光一が尋ねた。
「一人に2丁ずつの銃を持たせ、二人が囮。一人がトドメを刺すはずだった。実際には囮
の二人は触手で腹を抉られ重体。最後の一人は相打ちとなって敵機を倒した。…回収班に
よれば見事な最期だったそうだ。」
「くそっ……ちくしょうめえぇっ!なんだって一夜に二箇所も出現しやがったっ!!」
「すべては私の判断。責任は私にある…」
「仕方がなかったのだ。我々は夜型敵機は1箇所にしか出現しないものと…そういう状況
下でしか対処をしてこなかった。想定外の事態だった。責任どうこうを言ってもしょうが
ないんだ。」
黒服はそういうと、裏官僚の肩に手を置いた。しかし裏官僚はその手をゆっくりと離す。
「…レーザーは無効となり、我々は最後のジュニアチームを失った。これ以上の対処は自
殺行為に等しい。夜が明けたら”組織”に情報公開を進言してみる。例えそれでクビに
なったり拘束されてでもだ…それが、多くの若者を死に追いやってきた、私にできうる唯
一の償いだろう……」
裏官僚はそれだけをぼそぼそと話すと、会議室を後にした。黒服は光一から2丁の銃をホ
ルスターごと回収し、裏官僚の後に続いた。
「本当にこれまでか…これまでなのか……」
会議室に取り残された光一の問いかけに、答える者は誰もいなかった。
また一夜明けて、光一は医務室で包帯を交換してもらっている際、重体だった二人のメ
ンバーは亡くなったと教えられる。もうこのエリアで”対処”できる人間は光一のみと
なってしまったのだ。
光一が会議室に行くと、既に裏官僚がパイプ椅子に座り、机の上で手を組んで彼が来る
のを待っていたようだった。ここにいるという事は、組織に拘束されたり処分されたりは
していないということになる。
「組織への”直訴”は結局どうなったんだ?」
「”保留”だ。ああいう組織ではよくあることだ。即断即決、なんてできやしないの
さ。」
「保留ねえ。」
光一も裏官僚の対面に座る。
「このままじゃどうしようもないと解りきっているのに、悠長だな。」
「もしかしたら自衛軍に、極秘扱いで”例の弾丸”を配給することを検討しているのかも
しれんがね。…それから……ジュニアチームの二人。…亡くなったそうだよ。」
「医務室で聞いた」
「そうか。」
裏官僚は眼鏡を外し、手で顔を覆う。
「あんた、そうとう疲弊している様だな。ま、俺も人のことは言えんが…」
「…しつこくてすまんが、レーザーは、結局無効なんだな?」
「ああ。これで奴らの”進化ネットワーク”説は、ほぼ証明されたな」
「どうしてだね?」
「俺がレーザーで初めて倒したのは中型だ。しかし昨夜の”サングラス付き”は…」
「5メートルの大型…か…」
「そうだ。たった1日で、しかも異なるサイズの敵機がレーザーを無効化した。進化ネッ
トワークがなければ不可能だろう」
「そうか…そうだな……」
「まぁ、わかったところでどうなるものでもないんだが…あんた、本当に大丈夫かい?」
光一は裏官僚の顔を覗き込む。
「大丈夫だ。単に今後の対策が何も浮かばないことに悩んでいるんだよ…」
「そうかい。実はまた一つ、奴らについて気が付いたことがあるんだ」
「またか…また我々に不利な話かな?」
「どうかな?まぁ明日には話せると思う。俺の考えが正しければ、今夜は出動はないぜ」
「何!?異星人でもないのに、敵機の出現を予測できるとっ!?」
「おそらくね。俺もさすがにしんどい。今夜は睡眠薬で長時間眠れると思う。いや、そう
あってほしいぜ。」
果たして、その夜0時になっても異星人からの敵機出現予測は無かった。光一は0時に
なったらさっさと独房へ行き、睡眠薬のお世話になった。
「今夜は何時間眠れるかねぇ」
やがて強力な睡眠薬の威力で、光一の意識は徐々に失われていった。
□□□
翌実昼過ぎ、頭痛と悪心という強敵と戦いながら、光一は会議室にやってきた。光一の
話を聞くためか、裏官僚だけでなく黒服も同席していた。
「よく眠れたかね?」
「4時間も眠れたよ。最近では快挙だね。その代わりまだ副作用に悩まされていてふらふ
らだけどな。…ところで黒服の旦那。あんたは一体何者なんだい?ただの運転手ではなさ
そうだが」
「彼の表向きの立場は私の部下だ。実際は組織直属の、私の監視役だ。最近わかったこと
だがね。」
黒服が口を開こうとする前に、裏官僚が説明をした。いつぞやの逆である。
「そうかい。どこを見ても拉致だの監禁だの監視だの、酷い世の中になったもんだ」
「さて、無駄話はこのくらいにして、キミの話を聞かせてもらおう。」
ところが当の光一はパイプ椅子にふんぞり返って座りなおすと、両腕を空中でふらふらと
動かし、照明でも掴もうとしているかのように話し始めた。薬の副作用がそうとう堪えて
いるようだ。
「ふむ。本当はここにいる三人なら、簡単に気付くことができる話さ。ただ、日々の対処
や雑務、怪我の治療や監視業務に追われて気付かなかっただけさ」
光一は二人の顔を交互に見やると、左手で頭を掻いている。
「…先を続けたまえ。」
「すまない。薬で頭がぼーっとしてるもんで。……でだ、その単純な話というのは、”衛
星の昼と夜”の話だ」
「この惑星ではなく、衛星の昼と夜?」
「そう。確かあの衛星は、昼と夜が14日ずつ続くんだったよな?そんな話を聞いた記憶
がある」
「そう。確かにそう……ま、まてよ?待ってくれ」
「そういう事。敵機の事を昼型夜型と呼称していたもんだから、ここにいる全員。いや組
織の全員が勘違いしていた。この惑星の昼と夜。単純な半日交替だと思っていた。でも奴
らは短いスパンでは半日勤務。長いスパンでは14日交替で活動しているんだ。多分ね。
…異星人の予測に頼り過ぎていたな。」
裏官僚は机のスイッチを入れ、自席の前にキーボードとワイドモニターを出現させた。
「この机はそんな機能もあんの?俺も使いたいんだが?」
「使用許可を持つのは我々だけだ……うん…確かに。キミの言うとおりだ。ぴったり14
日ではないが…」
「誤差の範囲だろ?」
「うむ。ほぼ14日おきに夜型敵機が頻出する間隔と散発的にしか出現しない間隔が繰り
返していた。なんてことだ!」
「おそらくこの惑星上の動物でいうところの体内時計のようなものが、約14日周期で破
壊活動するかどうかを決定してるんだろうな。いや、”整地”と”掘削”だったな。…完
全にこの惑星の14日間と一致しないのは、衛星との違いによるんだろう。星の大きさや
自転速度の違い、とかな。」
「くっ、最近出没した昼型敵機も、ほぼ二週間おきだ。」
「するとオマエが、昨夜は出現しないと言い切ったのは?」
さすがの黒服もこの事実に驚いたのか、光一に尋ねた。
「半分は希望だよ。はは。俺はそのパソコン?に出てくるようにきちんと日数を把握して
いるわけじゃないからな。”そろそろかな?”と思っただけだよ」
「なんということだ。しかしそうなると…」
「ああ。夜型敵機の頻出期間が終わったわけだから、ここ2、3日の間に昼型敵機が散発
的に出現するはずだ。頻出しないという根拠は……まぁ昼型はまだ地中で眠っている奴の
方が多いってことだな」
光一の話が終わると、裏官僚は黒服に目で合図をした。黒服はホルスターに包まれた2丁
の銃と、1発の弾丸を机上に置いた。
「キミの仮説…いやおそらく事実だろう。そうするとこの弾丸は本当にギリギリ間に合っ
た事になるな。」
「もしかしてそれは…」
「ああ。異星人がようやく創ってくれた、昼型敵機用の試作弾だよ。1発しかない。非常
に貴重な弾丸だ。だが彼らはこの弾丸に絶対の自信を持っているらしい。現在量産型の弾
丸を急ピッチで製造中とのことだ。」
「でもまだ1発しかないと」
光一は触ると壊してしまいそうな気がして、弾丸を手に取るのはやめておいた。
「しかし銃が2丁あるのはどういうことかな?」
「片方の銃には今までどおり夜型敵機用の弾丸を6発。もう1丁には…」
「この弾丸を入れろと?」
「そういうことだ。キミの銃は、ここのところの連戦でくたびれているはずなので、メン
テナンス中だ。もし敵機の出現予測が来たら、この2丁を使いわけてくれ。一つは夜型用
で、”P226”だ。使ってみたかったんだろう?」
「…ちっ…”M”との会話を盗聴してやがったな?」
「さすがに眠った後は勘も冴えているな。しかし盗聴とは失敬な。対処中のメンバーの会
話をモニタリングするのは、指揮官の義務だ。」
-指揮官ときたか-裏官僚は光一の話に希望を見出したのか、いつもの調子に戻りつつ
あった。
「そしてもう1丁。昼型敵機用の銃が”CZ75”だ。」
「………」
「そんな目で見るな。これに関しては”M”本人の要望なのだ。『可能ならこの銃をキミ
に使ってほしい』とね。」
それが事実ならもう遠慮は要らない。光一はCZ75をホルスターから引き抜くと、机上
に置いてあった1発の弾丸を弾倉に装填し、その弾倉を銃にガチャリとはめこんだ。
「後は予測が来るかどうかだけだな。来ないに越したことは無いが、この1発の弾丸、試
作品を試さねばならんからな。先ほどあの端末で計算してみたが、今日…はもう昼過ぎな
ので、明日の出現が有力だ。」
「ま、体内時計が狂った奴が出現するくらいだ。どちらがきてもいいように心の準備をし
ておくよ。それから昼型が2機以上出ないことを祈るさ」
「誰に、或いは何に祈るのかね?」
「そういえば…俺は”神さん”が居たとしても”人間を見てるだけ”だと思ってるんで…
んじゃ祈るんじゃなくて敵機に願うことにするぜ。」
ようやく睡眠薬の副作用が薄れてきた光一は、緊張感を高めて待機モードへと突入した。
しかし出現予測は夜になってから来た。-夜型か?-と多少拍子抜けした。
「出現予測は何機だ?複数なら弾丸が足りない可能性もあるが?」
「安心したまえ。予測では1機だ。ただ…確実に”夜型”と断じる事はできないと言って
きたよ。」
「?」
「またいつぞやのように、昼と夜を間違えた、間抜けな昼型かもしれないからだ。単機だ
しな。」
「そうか、もう昼型はでかいのと5メートルタイプを併せて、何機も確認されているん
だっけ。5メートル以上は全部ひっくるめて大型と呼称してるが…今後大型の連中が大挙
して出現したら、もう逃げるしかないよな?」
「そういうことだ。量産型の弾丸が間に合えば別だがね。」
光一は両肩にショルダーホルスターの装着を終え、2丁の銃を素早くしまう。もう右腕の
痛みもだいぶ我慢できるようになっていた。そう思い込むことにした。ただ痛み止めの注
射に関しては-勘が鈍るから-と拒否していた。
「……いつも俺が使っている銃は、早めにメンテナンスしといてくれ。それに改造も頼み
たい。理想は弾倉単位の弾丸数の増加だが。」
「敵機の進化スピードほど速く改造するのは不可能だろうな。諦めてくれ。」
裏官僚の言葉に、光一は肩をすくめるしかなかった。
敵機の出現が予測された場所は、多くの雑居ビルが乱立していたであろう繁華街の成れ
の果て、瓦礫の山の中だった。
今のところ”夜型”と”昼型”が連携した事実はない。即ち、夜型が出現した同じ場所
に昼型が出現したことは無く、その逆のケースもまた無かった。しかし、この一帯は昼型
が2回も出現した場所であるため、もし昼型と夜型が初めて連携するとしたら、この場所
に夜型が出現して、翌日の昼型のために”整地作業”を行うだろう
「…というのが異星人の予測か……」
光一は、多くの瓦礫と、おそらくその中に埋もれているであろう罪のない人々のご遺体を
何回も乗り越えつつ、周囲を警戒する。
すると突然、光一の左後方のアスファルトを突き破って敵機が現れた。数は1機。大き
さは5メートル強の大型だが、まだ安心はできない。仮にこいつが夜型だとしても、この
サイズの”寝ぼけた”昼型敵機が追加で出現しても、何の不思議もないのだから。
光一は瓦礫を盾にして少しずつ近づいてゆく。右手で握り、構えているのはP226
だ。だが、十数メートルの距離まで近づいたときに、敵機の顔を見て愕然とした。口が無
い、いや口が見えないのだ。
「新種…いや、新型かっ!?」
実際は目の周りだけでなく、顔全体を何か幕のようなもので覆っているだけだ。しかしこ
れで口の数だけによる”夜型”、”昼型”の判断はできなくなってしまった。
「まさかこんな”顔面マスク”野郎が出るとはね」
顔は笑っていたが、内心それでころではない。できる限り音を出さずに左手でCZ75を
ホルスターから引き抜く。
「どっちなんだ?ええオイ…」
光一は敵機の動きを注意深く観察する。そこでようやく光一は冷静さを取り戻し始めた。
「今までは”夜型”が出現したら、俺たちがすぐに”対処”していた。もしも”対処”
していなかったとしたら…敵対行動を取らなかったら…整地作業を始めたんじゃないだ
ろうか?」
そしてもう一つの判断条件。
「今は真夜中。”夜型”なら俊敏な動きで、”昼型”なら鈍重だ。しかも今回は大型。こ
の二つ目の条件も間違いないはずだ」
”昼型”でも”夜型”でもない”新型”だとしたら…そんな想像はしたくはなかった。
ある程度まで近づくと、これ以上敵機と光一の間に姿を隠せそうな瓦礫は一切なかっ
た。この距離で、かつ敵機が反応してこちらを向いたら、”どちらかの弾丸”を叩き込む
しかないのだ。光一は敵機の動作を充分に確認し、片方の銃を静かにホルスターにしまっ
た。このかなり離れた距離で、片手で撃って弾丸を命中させるほど、彼は実戦での銃の腕
に自信が無かった。光一は選んだ銃を左手で握り、右手でそれを支えている。そして敵機
の動きと自分が飛び出すタイミングを計っていた。
永遠とも思える時間が過ぎ、光一は飛び出した。敵機は丁度彼の正面にいる。サイレン
サーも付けていないのにまったく発射音を出さない、未知のテクノロジーで改造された
銃=CZ75から”昼型用の弾丸”が発射された。弾丸は見事敵機の腹に命中すると、淡
い光を放ち、その光はすぐに消えてしまった。代わりに敵機の体表が仄かに光り始め、小
麦粉を入れた風船を針で割ったときのように、細かい粒子を全方位に放出して姿を消した。
光一は銃と身体全体にふりかかった粉をはたき落としていた。そして自分が浴びてし
まったこの粉の成分を気にしていた。
「ぺっぺっ…人体に悪影響はないんだろうな?…はんっ…どうせ誰に訊いてもわからない
んだろうが……」
今夜の”義務”も無事終了したが、光一は敵機が2機以上出現しなかった幸運に安堵し
ていた。
(昼夜を間違えるなんて、クスリでもやってたのかよ)
光一は迎えの車を待った。回収班も撤収作業に入っているだろう。
「目隠しがないと、車で送迎なんて、ちょっとしたお大臣気分だな」
瓦礫を巧みに避けてこちらにやってくる黒い車を見ながら、光一はそんなことを呟いてい
た。
□□□
光一が対処終了する少し前、即ち対処中に、彼のアパートを訪問している二人の人間が
いた。二人とも濃い青のジャージに身を包み、疲労困憊という言葉にふさわしいほど疲れ
きっていた。両手両足を広げて伸ばし、”大”の字になって畳の上に横たわっている。女
子としては少々はしたない格好だが、どうせ誰が見ているわけでもない。手足を好きなだ
け伸ばせるこのパラダイスのような環境を充分に堪能していた。
「やっぱり手足を伸ばせるっていいよねぇ~」
髪をショートにまとめた女の子は、身体だけでなく顔まで緩みきった状態で、もう一人の
女の子に話しかけている。
「ああ…髪が伸びてきちゃった…みっともないなぁ~」
「ほなみん、ホントにそう思ってる?まぁ世の中がこんな状態じゃあ、美容院なんて開い
てないもんね」
もう一人の女の子は自分のツインテールの毛先を見て、
「傷んでるなぁ」
などと呟いている。
「そう言えばあの避難所、床屋さんがいて、たまーに避難所内で無料開業してるよ。今度
頼んでみようかぁ~?」
「ほなみんはいいかもだけど、私のツインテールは無理じゃないかなぁ~」
とうとうこの女の子にも、このだらけたしゃべり方がうつってしまった。
「光一先輩、ここで『息が詰まる』とか言ってたけど、それって贅沢だよねぇ~」
「うん。贅沢贅沢…。それにぃ、この辺一体のライフラインはぁ、避難所を優先するか
らってぇ~、みんな強制的に止められてるはずなのにぃ~、ここだけ電気と水道が使え
るって変だよねぇ~」
「それだっ!」
相川保奈美が急に上半身を起こして叫ぶ。
「ど、どうしたのほなみん?急に…」
つられて阿川恵理華も上半身を起こす。
「私たちは別に、ここにだらだらするために来たわけじゃない。確かに家族からは『あっ
ちで寝てきなさい』とは言われてるけども、二人で光一先輩の謎を話し合うためにきたん
だ。ライフラインの謎も含めてね。いくら避難所よりくつろげるからって、だらけている
場合じゃなーい!」
保奈美はとうとう立ち上がってしまう。しかし今度は恵理華はそれにつられることはな
かった。
「そんなこと言っても、何もわからないよ。謎は謎のままじゃないかなぁ。本人が話して
くれないことには……」
恵理華はそう言うと俯いてしまう。
「…う~ん、そうかなぁ。やっぱり……」
「そうだよ。このアパートだって…先輩には悪いけど…何度も家捜ししたんだよ?でも謎
に関わるような物は、うぅん、服と保存食以外何も見つからなかったんだよ?…あ、鳴ら
ないラジオがあった。電池切れてるね、アレ。」
「確かにね。いや、ラジオの事じゃないよ?全体の話。よく先輩はこんなところで生活で
きてたよね。……ということは、ソコに何か謎の鍵が?」
「単純に考えれば、普段私たちが見ていた光一先輩の生活って、本当は”見せかけ”の生
活だったんじゃない?」
「というと?」
「本当はただの大学生じゃなくて、何か”裏の仕事”があったんでしょうね。たぶん。」
「やっぱりかー。いつも沈着冷静なエリもそう言うんだから、まず間違いないでしょ。ち
なみに私は、実は自衛軍の特殊部隊にでも所属してるんじゃないかと……」
「またその話ぃ~?あの若さでそれはないって。漫画じゃないんだから。」
「結局何もわからずじまいかぁ…」
立ち上がっていた保奈美は、また畳の上に横になってしまった。
「……ねぇ……」
「なんでしょうほなみん?」
「エリ……先輩に告白したよね?」
「うぐっ…なぜそれをっ!」
恵理華は心臓を銃ででも撃たれたようなポーズでおどけて見せる。
「冗談ぬきで。さ。…だって、先輩が行っちゃったとき、私が避難所に戻っても、エリは
居なかったもん……」
恵理華も再び畳に寝転がって、静かに答える。
「うん。告白した。ほなみんが告白した直後に。ね。」
「やっぱり見ていやがったかぁ。」
「まぁね。ちなみに会話もばっちり聞こえました。」
「ずるいぞエリ!私はあんたの告白シーンは見ても聞いてもいない!」
「ほなみんとそんなに変わらないよ?『一ヶ月くらいしたら帰ってくる』って言うから。
『そのときに返事をする』って言うから。だから…こうして先輩を待ってるだけよ。」
保奈美は首だけを恵理華のほうに向ける。
「そうか。なら、確かに大して変わらないね。」
やがて二人の間に沈黙が流れる。
「……ねぇほなみん。ほなみんと先輩って、過去はどんな歴史があるの?」
「歴史ねぇ…。先輩がここに引っ越す前は、私の家と先輩の家はけっこう近くにあったん
だ。だからちょくちょくからかいに行ったり、勉強教えてもらったり、そんな感じかな。
残念ながら、全然色っぽい話はなかったよ。…ふぅ…」
「いやいや、それでも私にとっては羨ましい話だよ?やっぱり私はほなみんより不利だ
わぁ~……」
「どうかな?エリはいつも可愛い服着て雌豹のように先輩を狙ってたからねぇ」
「バレてた?」
「バレバレです。はい。」
「それなら二人とも条件は同じって事で」
「…なんか納得しかねるけど。エリがそう言うならそれでいいわ。正々堂々と勝負。だ
ね?」
「うん。それじゃ……わっ、もうこんな時間だ。せっかく家族がくれた機会なんだから、
そろそろ寝ようよ?」
「オッケー」
二人は一緒になって光一の煎餅布団に横になり、毛布と掛け布団にくるまった。
「まだまだ寒いね。…でもやっぱりこの布団は薬臭いわ~」
「睡眠薬かぁ。薬って怖いねほなみん。」
「うう~ん。でも私も今夜は睡眠薬のお世話になりそうな気がする」
「そうなの?……はぁ。先輩、”一ヶ月の約束”、守ってくれるかなぁ?」
「………」
「あっ、そう言えば、仮設住宅の件だけど…」
「………」
「ほなみん?」
「ZZZZZ………」
「…ふふふ。私も眠れるかなぁ……」
二人の乙女を、夜の静寂と睡魔が包んでゆく。
「…ぶぇーっくしょい!!」
光一は射撃をいったん中止し、大きなくしゃみを一発。
「なんだ、風邪かな。いつもYシャツとボロコートだけで外出してるからなぁ……」
「なんなら服を貸そうか?黒い背広の上下ならあると思うぞ?」
「やめておく。色はともかく、金取られそうだ。」
「よくわかったな?」
「ぬかせ。」
光一は”はぐれ昼型敵機”を屠った後、会議室に戻るとすぐにこの射撃練習場に足を運ん
だ。今回はP226とCZ75、そして自分の専用銃の3丁…の同型銃を貸してもらっ
た。その3丁は現在自動機械でメンテナンス中であるためだ。
「P226は普通の銃だな。CZ75は確かに良い銃だ。手に馴染む。」
「敵機が1機で良かったな。こうしてキミの訓練時間が取れた。」
-次回の対処が最終決戦になる-。光一も、そして裏官僚も、そんな感触を肌でピリピリ
と感じていた。そうなると当然訓練にも熱が入る。光一はこの3丁用の練習用模擬弾を使
い果たす勢いで訓練に熱中する。
「そうそう、訓練中に悪いが、異星人からまた小情報が届いた。おそらく彼らから我々
組織に対しての最後の小情報だろう。」
「瑣末な…大した情報でなくても構わない。教えてくれ。」
光一は射撃も止めず、振り向きもせずに答えた。
「そうか…。敵機を倒したときの話だ。夜型は水に、昼型は粒子状に変化するが、あれは
異星人の趣味でやっているわけではなく、元々そういう体組織の構成からそうなっている
のだそうだ。」
光一は射撃を止める。
「元々ああだって?」
「そうだ。実際敵性異星人は、古くなった敵機をそのようにして処分するそうだ。水にな
るのは衛星に水分がほとんど無いため。粒子になるのは…幼体に対しての養分なのだそう
だ。あの養分を土中に蒔いておくと、幼体の成長が早い。つまり植物に対する肥料のよう
なものだな。」
「肥料か…。俺は被ってしまったが、人間に害はあるのか?」
「無い。…はずだそうだよ。だがそういう未知の粒子だ。被るのは仕方がないとしても、
肺に吸い込むのは極力避けるべきだろう。」
「いくらか吸い込んじまったが…まぁいい。いまさらだ……」
「で、最後に。異星人はその情報をようやく敵性異星人から入手し、まだ若い状態の生体
ロボットでも、強制的に処分するモノを創った。それがあの特殊弾丸というわけさ。」
「なるほどね。しかしたったそれだけの情報を俺たちに教えるのに、異星人はずいぶんと
時間をかけたもんだ」
「そもそも時間の概念が我々とは異なる…そのぐらい長命なのかもしれんが、やはり敵性
異星人と仲が悪いのが主な原因だろう。この惑星でいう”彼の大国”と”北の大国”のよ
うにな。」
「そりゃ最悪だ。情報を入手できただけで大したもんだよ!」
光一は話を聞き終えると射撃訓練を再開する。そしてまた射撃をしながら話を続ける。
「話は変わるが、俺は”M”に感謝しているよ。たった3、4日の短い会話だけの付き合
いだったが…」
「ほう?会話をモニタリングしていた我々にはよくわからなかったが?」
「よく考えてみてくれ。俺は両親と仲が悪い。小学校からボッチだった。大学に入っても
友人はできない。仕舞いにはあんたら組織に拉致され、他のメンバーとの自由な会話も禁
止された。普通ならコミュニケーション障害……そんな俺が、今ではあんたや黒服と、険
悪ではあるが会話ができるようになった。これはひとえに”M”のおかげとしか言いよう
がない。俺は”ニート”予備軍だったんだろう?組織の検査では」
「そうだ」
「そんな俺に、他人とのコミュニケーションの重要さを教えてもらったんだ。”M”には
いくら感謝しても足りないくらいだ。”M”本人はそんなこと思ってないだろうがな。」
「………」
裏官僚は何も答えることができなかった。小学校から大学入学まではともかく、大学2年
生から今までの間、人間らしい会話・コミュニケーションを奪ったのは裏官僚を始めとす
る組織の人間なのだ。-すまない-、そんな一言をいうことさえはばかられた。仮に謝罪
したとしても、この目の前の若者の今までの人生が、彼の心が救われるわけではないのだ
から。何も聞かなかったように会話を続けること。それが裏官僚から光一に対しての謝罪
のようなものであった。
「そんな話をするということは、射撃訓練は順調なのかね?」
光一は左手で射撃していたP226を台の上に置いた。そしていよいよ愛銃を”右手”で
掴んだ。
「おいおい、もう右手は大丈夫なのか?それにまだその銃のメンテナンスは……」
「大丈夫でなくとも明日、いやおそらく明日の対処では、銃が何であろうと両手で撃たな
くてはならないだろう。訓練で勘を取り戻さないとな。…1発も外すわけにはいかな
い……」
誰にも話していないが、光一の右腕はまだズキズキとした痛みを抱えている。それでも光
一は訓練を続ける。自分に今できることはコレだけだから。しかし無茶はしない。いくら
なんでもこの大型銃を右手だけで撃つつもりはなかった。一番最初の射撃訓練で教わった
ときを思い出し、右手でグリップをしっかりと握り、左手でグリップ下部と左手の一部に
被せるようにして、銃を支える。両手撃ちでは他にも方法があるが、光一にとってはこれ
一つ知っていれば充分だと思えた。
いきなり連射で6発をターゲットに向かって発射する。銃はいつかのヒトデ型への対処
時のようにホールドオープンしている。残弾が無いのだ。スライドストップを解除し、デ
コッキングし、ターゲット即ち数センチの鋼板に同心円を描いたシンプルな的、これを手
前にスライドさせて結果を確認する。
「全弾命中か。やれやれ、いつもどおりだな」
「いつもどおりか。ふむ…」
裏官僚は右手で顎を掴み、考えをまとめながら光一に話しかける
「静止時は全弾命中で、対処時は僅かに狙いからずれる…」
「そうだ。ちゃんと自分の動く方向への補正はしているつもりだ」
「…以前キミの脳や神経が異常だと話したことがあるな」
「ああ」
「おそらく、キミの高速な思考と神経伝達で狙った場所のイメージに、この銃が追いつか
ないだけかもしれん。銃と銃口の動きがキミのイメージとかみ合わないのさ」
「銃の重さや振り回すときのモーメントも考慮はしているつもりだが…」
「それでも、だよ。そうなるともう、キミ個人でどうこうできる問題ではないな。完全に
銃を改造してしまうか、別の銃を相棒にするかだ。…変更してみるかね?」
「………」
「どうする?もうあまり時間の余裕はないが…」
「改造は時間的に無理だろう。変更は…これも今から慣れるには時間が足りないだろう
な。この銃でやる。…メンテナンスが間に合えば、だがね…」
光一の愛銃は、いつぞやの”夜型頻出期”のせいで思ったより疲労していた。そのため今
でも自動機械の中でメンテナンスが継続されているのだ。夜が明けて…昼ごろの出現を想
定されている敵機。奴らとの最終決戦までに、メンテナンスが終了するかどうかは微妙な
状況であった。
光一は弾倉が空になった銃を台の上に置くと、裏官僚とともに会議室へと足を向けた。
□□□
会議室には既に黒服が来ており、紙ベースの資料を裏官僚に手渡した。
(本当に紙なんだな)
光一は呆れていた。
「我々にとっても、この首都の住民にとっても残念なことだが、異星人から敵機の出現予
測が届いていた。」
光一がパイプ椅子に座るか座らないかというタイミングで裏官僚は話し始めていた。
「出現時刻の予測は……”午前中”だそうだ。大雑把だな…」
「いつものことだよ……続きをたのむ」
「うむ。予測される敵機は、前回の20メートルタイプ1機と、10メートルタイプ2
機、合計3機だ。」
「また3機。しかもヘビー級ばっかりか」
「前回、20メートルタイプは、転ばされそうになって怒っただけ。MGOのビルを半壊
させ、周辺の一部をさらに”整地”しただけで地中に去ったが、今回は自衛軍も”落とし
穴”などという原始的な対策は採らない。従って今度はMGOビルを中心にして念入りに
破壊活動を継続し続けるだろう。あの巨体だ。奴を止めなければ、今度こそ首都は壊滅
だ。変電所、発電所、医療施設に避難所、仮設住宅。一部生き残った鉄道さえも、キミ、
いやキミたちが守った全てのモノが失われてしまうだろう」
「ということは、出現予測地はMGOビル前なんだな?」
「うん?…そうだ。すまない。言い忘れていたよ。これだから紙の資料は……などと愚痴
を言っても仕方ないな。」
-疲れが溜まっているんだろ?-光一はそんな当たり前の事は口にせず、情報を聞き逃す
まいと必死だった。あの紙に書いてあるすべての情報を聞き終わったら、後はもう光一独
りの仕事だ。敵機との戦闘、いや”対処”のシミュレーションをしなければならないのだ
から。
「まさか前回の落とし穴を根に持っているわけでもなかろうが、まぁ首都制圧の開始地
点としてはMGO前がちょうど良いのだろう。さて、これを迎え撃つ人類の体制だが」
光一は思わず身を乗り出す。
「まず自衛軍。彼らは迎撃はしない。防衛に総力を結集するそうだよ…」
光一は椅子からくずれ落ちそうになった。
「戦う気がないのか。まぁ連中の手持ちの兵器は敵機に対しては無力だからな」
「そうだ。陸軍は先ほど話した各重要施設の防衛。海軍は……現在と同様、沖合いに停泊
したままだ。彼らは例のヒトデ型が今でも怖ろしいらしい。毎日ソナーで海中探査ばかり
しているよ。さすがに”裏の政府”も、あの”表の政府”に見切りをつけたそうだ。もし
も今回の決戦で我々、いやキミが勝利した場合、あの艦隊上で怯えている連中は首を切ら
れる。無職になってもらう手はずになっている。」
「まぁ……昔から何も仕事しないのにふんぞり返っているだけだったからなぁ。当然と言
えば当然の処置だろうなぁ」
「しかし」
裏官僚は確認のため紙の資料に再度目を通す。
「現在はまだ彼らはこの国の代表だ。海軍は彼らを守るためだけに行動することになって
いる。」
「やれやれだ」
「そして空軍の大部分が艦隊の支援用に待機となった。」
「もういっそ巨大なヒトデ型でも出現してほしいぜ。きっと怪獣映画みたいな感じになる
だろうさ」
「冗談じゃない。そんなことになれば、艦隊が全滅した後、巨大なヒトデ型が上陸してく
るぞ?」
「う、ううんっ……」
裏官僚が光一の冗談に乗ってしまったため、黒服が咳払いで裏官僚に合図をする。
「う、うむ。冗談はここまでだ。なお空軍の有志と陸軍所属の攻撃ヘリ部隊は、陸軍の防
衛作戦に加勢できるよう、こちらも待機とのことだ。」
「ふむ。とにかく真正面から迎撃するのは俺だけだという事が改めてわかった。そういう
認識でいいんだな?」
「そうだ……」
「なら、あとは俺が”対処”するための弾丸についてだが?」
裏官僚は資料のページをめくっている。
「弾丸は…本来なら量産型…これは陸軍の自動小銃でも撃てるようなもの…を間に合わせ
たかったらしいが、我々組織が持っている専用銃の弾丸だけが、かろうじて間に合ったそ
うだ。この弾丸は良いぞ。1発で夜型にも昼型にも対応可能な弾丸だ。まぁ今回は昼型だ
け出現するという事がわかっているので、せっかくの効果も確認はできんがな…」
「いや、とにかく昼型を倒すことができれば満点なんだ。”はぐれ昼型”を倒したときは
試作弾だったんだから」
「そうか…そうだな。では、他に訊きたい事はないかね?なにせ決戦だ。この戦いさえ乗
り切れば”量産型の弾丸”を待つことができる。ソレが手に入れば、もうキミだけを死地
に送り出さなくても良くなる!」
だんだんと裏官僚もテンションが上がってきたようだ。と、光一はあくまで冷静に会話を
続ける。
「そうだな。まずは回収班だが、今回彼らは同行しないという認識で合っているか?」
「む…そうか。これも話し忘れていたな。キミの言うとおりだ。今回は夜間ではないので
彼らが随行すると目立ってしまう。報道は…へりが1機か2機飛んで遠距離から撮影する
とは思うが、”念には念を”っということだ。それに…あまり言いたくはないことだが、
今回は大型敵機。仮にキミが負傷したら、その右腕を負傷したときのような軽症では済ま
ないだろう。…キミの治療のためだけに回収班を危険にさらすことはできない。分かって
くれたまえ。」
「…大丈夫、分かっているさ。単に確認をしただけだ。あとは…車だが。これも無しでい
い」
「現場まで歩くつもりか?」
車担当の黒服が口を挟む。
「ここからだとかなりの距離だぞ?」
「さっき聞いた自衛軍の体制だと、MGOに行くまでにいくつか防衛対象を抜けないと行
けない。車では目立ってしまう。ボロボロのコートを着た俺が独りで歩いた方が、連中も
見て見ぬ振りをするかもしれん。ま、そもそも見つかるつもりもないがな。うまく連中の
目を盗んで現場まで行くさ」
光一はすっくと立ち上がり、Yシャツの上にホルスターだけ装着した状態で裏官僚と黒
服に頭をさげた。
「まさかあんたたちに頭を下げる日が来るとは、拉致されたばかりの俺は想像もしていな
かったよ。……今まで世話になった。敵機を屠れば、後の対処は量産型弾丸を持つ自衛軍
の仕事だ。敵機を倒しても俺が倒されても、世話になるのは今回が最後だろう。」
しばらくして光一は頭を上げる。
「まぁ、俺が無事に帰還できるよう祈る……願っていてくれ。」
黒服は直立不動の姿勢をとり、その後見事な敬礼をする。
「私は元軍人だ。軍の中でもオマエ、いや貴様のように度胸のある奴は見たことがない。
ギリギリになってしまったが、メンテナンスが終わり次第銃を持ってくる。その銃を使っ
て思う存分に暴れてこい!そして、生きて返って来い!そうしたら酒でも飲もう。いい酒
がある。隠し持っていたヤツがな。」
「…わかった。なんとしてでもその酒を飲んでやるぜ。」
黒服は敬礼を解くと、会議室を後にした。
「私は武官ではなく事務方なので敬礼は知らん。酒も飲まない。さっきキミは我々に世話
になったと言ったが、逆だよ。今日まで組織が、組織の中の中心であるこのエリアが無事
だったのは、ひとえにキミと、そして散っていった若者たちのおかげだ。ありがとう…」
裏官僚はそう言うと、先ほどの光一同様、深々と頭を下げた。
「何だか死亡フラグみたいになっちまった。頭を上げてくれ。最初に頭を下げた俺のせい
かな?慣れないことはするもんじゃないな…」
裏官僚は頭を上げると、はっと気がついたように口を開いた。
「夜明けまで、午前中までまだ時間がある。キミが稼いだ時間だ。有効に使うべきだろ
う。仮眠したらどうだね?」
「俺は…」
「わかっている。不眠症だろう?だが、いつも飲んでいると言っていた強い薬ではなく、
軽い睡眠薬を飲んでみたらどうかね?仮に眠れなくても身体は休まるし、もし短時間でも
眠ることができれば、副作用も少ない。良い案だと思うのだが、どうかね?」
「不眠症はそんな簡単じゃなくて、薬を切り替えてもすぐにその効果が出るとは限らない
んだが、まぁ駄目元だ。医務室で薬をもらって仮眠することにするよ。アドバイスありが
とう。」
光一はそう言うと会議室の出口へ向かう。裏官僚はその後姿が消えるまで、いや消えてか
らもずっと、光一に頭を下げたままであった。
光一は今収容所区画を歩いていた。医務室でもらった弱い睡眠薬だが、これは恵理華に
渡したモノと同じであった。-ここにある薬で一番弱いもの。副作用もほとんどない-と
いう代物である。
実は光一も、不眠症になったばかりのころ、2、3回試したことがあるのだが、まった
く効果がなく。すぐに次の薬、次の薬と変更されてゆき、今の強力な睡眠薬にたどり着い
たのである。しかし光一がこれを見て最初に頭に浮かんだのは、やはり保奈美と恵理華の
事であった。
「二人とも、ちゃんと眠れているだろうか?」
そのほかにも、ちゃんと食事は摂っているか?アパートは活用しているか?仮設住宅には
入れたのか?等々、次から次へと心配事が頭に浮かんでしまう。
「それに、”一ヶ月の約束”…か……守れるかな?……」
”一ヶ月”という期間は、まったくテキトーな数字だった。そのくらい経てば事態は好転
している。敵機の対処にも光明が見えてくる……そんな楽観的な、或いは希望をこめた数
字でしかなかったのだ。まさか現在のような”決戦”を迎えることになろうとは、夢にも
思わなかった。
「いかんいかん。考え事すると余計眠れないからな。」
光一は弱い睡眠薬を飲むと、独房のベッドに横になり、いつものように頭の中をからっぽ
にして意識を失うのを待った。
ところがやはり弱い睡眠薬では効果がない…と思いきや、意識を失ってはいない、眠っ
ていない状態なのに、頭がぼーっとして、やがて周囲の景色がぼやけてゆき、とうとう完
全に周囲は真っ白な空間となっていた。
(待て待て、こりゃ変だな?あの医者、睡眠薬に変なクスリでも混ぜやがったか?)
意識がはっきりしている分、余計にふわふわとしておかしな状態が明確に分かってしま
う。
(明晰夢?それとも白昼夢か?いや、そんなモノ今まで見たこと無いが…)
やがてその白昼夢のような白い空間に、一人の女性が立っているのが見えてきた。女性
は黒皮のジャンパーに紺のジーンズという動きやすい出で立ちで、ヘルメットを左脇に抱
えて立っているのである。まだ顔もはっきりとは見えていないのに、光一にはこの女性が
”M”だとはっきりわかってしまった。
(おいおい、酷いな俺って。”M”は死んでない。生きてるんだぜ。それなのに死人が夢
に出てくるようなシチュエーションって…)
「よう、レオ。なに柄にもなく緊張してるんだ?」
『緊張なんかしてませんって。…あれ?ニックネーム変えてくれたんじゃ?』
「そうか。もうすぐ決戦だからな。」
『話を聞いてくださいよ。今仮眠中ですから緊張なんてしてないですよ』
「それじゃあその緊張をほぐすために、少しの間、話し相手になってあげるよ」
(だ、だめだ。話が通じない。明晰夢ではないのか?手も届かないしなぁ)
「何の話がいいかな。やっぱり恋愛…コイバナってやつかな。いや、あたしはこれでも女
だからね、そういう話に興味くらいあるさ」
『だから俺は”M”が女性である事を否定なんてしてないよ!』
「後輩の女子。二人も相手にしてるんだっけ?そのうち刺されるんじゃないの?ははは」
(もういいや。話しかけても無駄みたいだ。とりあえず聞くだけ聞いとこう…)
「”一ヶ月の約束”かぁ、見かけによらずロマンチックなヤツ。」
『なんで知ってんだ!…いやいかん。会話できないんだって』
「どっちを選ぶにしろ、後悔しないようにね?一人を選んだらもう一人が可哀相とか、変
な事考えて二股、なんて、余計こじれるからね。ホントに刺されるぞ?」
『………いや、そんなこと考えてないから』
「ホントかなぁ?怪しいもんだね」
(あ、会話がかみ合った感じ!)
「とにかく、あんたがやろうとしてる二股は絶対禁止!わかったね!」
(…やっぱりかみ合ってないや…)
「あとは何を話そうか…。そうだ、決戦に臨むにあたって聞いときたい事があったわ」
(話が飛ぶなぁ…本物の”M”みたいだ。…いかん!夢なのに泣きそうになってる!)
「あんた。いったい何のために命を懸けてまで戦おうとしてるの?逃げたっていいのに」
(はいはい。今度はそういう話か。そういや自分でもはっきりしてないな。それは。)
「両親が人質になってるから?」
(……すっかり忘れてた。まだ生きてるのかね?あの二人。)
「戦わないと組織に殺されるから…つまりは自分の命のため?」
『今はもう俺が逃げたって殺そうとはしないさ。まぁ逃げるつもりもないけど。』
「今まで殺されてきたすべての人の復讐?」
『あ、それは少しあるかも。』
「人類を救うため?」
『また大きい話になったなぁ。俺が戦うのはこのエリア内だけだってば!』
「ヒーローになりたい?」
『異常な人間だけど漫画みたいなヒーローではないらしいです。はい。』
「じゃあやっぱり後輩の女子二人のためだ」
『………』
「違う?他に何かあるかなぁ。あ!あたしのため!?」
『………』
「そうか………のためかぁ。そうなの?まったく、嘘が下手な奴」
『いや、何も言ってないじゃん!!』
「そろそろ時間みたいだね。また会議室で会いましょ。じゃーねー」
(もうあなたと、会議室で会うことは………)
気がつくと光一は横になったときと同じく、独房のベッドの上にいた。どうやら泣いて
いたらしく、顔が濡れていた。
「なんだってこんな時に、あなたの夢なんて…」
時計を確認してみると、既に2時間が経過していた。どうやら睡眠を取っていたのは間違
いないようだ。もうすぐ夜明けの時刻である。
「でも、例え明晰夢だろうが白昼夢だろうが、”M”と話せてすっきりしたぜ。もう俺は
迷わない。とにかく戦う。大型だろうとヘビー級だろうと、対処してやるぜ!」
光一は不眠症になって以来、心も頭も身体も、最もすっきりした状態であった。やがて
ベッドから身軽に起き上がると、自分の、自分だけの戦場へ行くため会議室に向かった。
□□□
会議室に人影は無かった。既に仮眠前に”別れ”の儀式は済ませたのだ。これ以上話す
ことはお互い何もない。決戦の出撃前としてふさわしい状態だ。机の上には銃が置いてあ
る。そして銃の横には1枚のメモ用紙が置いてあった。
「また紙か」
光一は苦笑しながら内容に目を通す。
-既に弾倉には新型銃弾が装填してある。予備の弾倉も同様だ。異星人によると、10
メートル以上の敵機には、1発ではなく3発。できれば4発撃ち込んでほしいとの事だ。
体積の問題だと思われる。以上-
非常に簡潔だが、弾丸について重要な情報である。光一は出撃前にこの情報が間に合った
ことに感謝した。
光一は外に出るため、極秘の階段を上っていた。そしてやっと、これまた極秘の扉、普
段は”錆びて開かない非常口”に偽装している扉から外に出た。この会議室のある施設
は、とある原子力研究施設の、実験用炉心の下に造られていたのだ。普通の人間が近づか
ない、近づきたくない場所として、組織にとってはありがたい場所であった。
銃と銃弾を手に入れた光一は、頭の中で戦闘のシミュレーションをしながら、目的の場
所であるMGOに向かっている。対処で鍛えられた光一の足ならば、少し速めに歩けば1
時間程度で到着可能な距離であったが、今日は自衛軍が重要施設だけでなく、色々な場所
に配置されている。それを避けながら歩かねばならないので、自然と歩くスピードは落ち
る。
「2時間程度かな?敵機の出現に間に合えばいいが…」
時刻は午前9時を回ったころ、敵機は予測どおり昨夜の”はぐれ昼型”と同じ、MGO
ビル近くに姿を現した。早朝、というには遅い時刻だが、各地で待機していた陸軍は急遽
防御態勢を固めた。やがて報道のヘリが1機、現地に急行し、現場を撮影している。
ところが、である。出現した敵機の構成は異星人の予測である3機とは異なり5機で
あった。20メートルタイプが1機、これは間違いないのだが、随行する10メートルタ
イプは4機もいた。うち1機は約1ヶ月ほど前に5メートルタイプ2機とともに出現した
機体に間違いはなかった。しかし10メートルタイプの残りの3機は=光一は既に遭遇し
ているが=薄い膜で顔を覆っている”顔面マスク”タイプだ。光一が持つ銃の弾丸は新型
で、昼型でも夜型でも通用する弾丸なので、口の数で型を判別する必要はないのだが、こ
の”顔面マスク”タイプが一挙に3機も出現したという事実、これが”進化ネットワー
ク”の恐ろしさを物語っていた。尤も、それに気がついているのは”組織”の人間だけで
あるが。
報道のヘリから送信された映像は、衛星放送を通じてさまざまな施設で見ることができ
た。保奈美と恵理華が居る避難所も例外ではなかった。
「ほ、ほなみん~。あ、あんな大きいのが5匹もいるよぅ」
「あ、あんまり考えたくないけど、今度は本気で首都全体を壊滅させる気かもね」
二人は他の避難民をこれ以上怯えさせないように、ヒソヒソ声で会話していた。
「ほ、本気って何?本気って?前回も前々回も”充分本気”だったじゃない!」
「し、声が大きいってエリ。…だって5匹だよ?1匹でも止めることができなかったの
に、5匹もいたんじゃ手も足も出ないよ…」
避難所の大型スクリーンに映し出される映像では、5機が楔形陣形で移動している事が
わかる。それぞれがバラバラに行動するのではなく、連携していることの証拠であった。
それはまるで光一が対処した5機のヒトデ型の時のようであった。しかし、避難民たちが
そんな細かいところまで見ているわけがない。ただただ、敵機の動向と自分たちの未来を
悲観的に考えるのみであった。
報道のヘリからは、自衛軍がまったく姿を現さないことにレポーターが憤慨している様
子が伝えられてくる。今回の自衛軍の作戦は”表の政府”と”裏の政府”しか知らないの
であるから無理もなかった。カメラを上空に向けたり、或いはまた地表に振ったりして、
自衛軍が現地に居ない事を盛んにアピールしている。そのとき、MGOビルからはかなり
離れた場所に、一人の男が歩いている状況が映像の片隅に映っていた。しかしそのことに
気がついたのは、この避難所では保奈美ただ一人である。男はボロボロのコートを着、ふ
らふらと猫背で歩いていた。
「あ、あれって?」
しかし次の瞬間には、報道のカメラは再び5機の敵機を映し出していた。5機のヘビー級
たちは、人間たちと同様、自衛軍がまったく姿を現さないことに疑問を持っていた。しか
し自分たちの最初の制圧目標は変わらない。周囲を警戒しつつも、楔形隊形のままMGO
ビルに向かって歩き続けていた。
「ギリギリ間に合った…のかな?」
はたから見れば能天気な声でしゃべっているようにしか見えないが、ボロボロのコートを
着た猫背の男は、よく見ると肩で息をしている
「なんだってあんなに自衛軍がちらばってるかね?ここに来るまで時間がかかることかか
ること!あんなにいるんなら戦えばいいじゃんかよ!!」
どうせ叫んでも辺りに人間なんぞ一人もいない。遥か上空にいる報道のヘリに聞こえるわ
けもない。猫背の男、光一は存分に独り言を呟く事ができた。
「予測で3機なのに5機だった、なんてのはもう慣れた。但し、追加が現れない場合だが
ね」
光一は昨夜のように、所々に散らばっている瓦礫を盾にして、少しずつ少しずつ接近して
ゆく。
「敵機は5機なので新型弾丸は5×4の20発必要。P226とCZ75にはそれぞれ予
備弾倉が1つずつで合計24発。ギリギリだなオイ」
ブツブツと呟きながら、頭の中のシミュレートも続けつつ、また、少しずつ接近すること
も忘れてはいない。
「体がでかくなって的の大きさも大きくなったとはいえ、ほぼ正面から撃たなきゃいけな
いことに変わりはない。あいつらの正面かぁ~。気が進まないなぁ」
そんなことをぶつぶつ言いながら、相変わらず少しずつ少しずつ接近している。
「合計弾丸数がギリギリ足りているとは言っても、やはりネックは弾倉の交換だな」
光一はいつぞやのヒトデ型5機との対戦を思い出していた。”.380”や今持っている
同型銃での射撃訓練の際、実は弾倉の交換訓練も行っていた。しかしホールドオープン状
態からスライドストップを外して弾倉の交換、という流れがどうしてもスムーズに行えな
かった。ましてや今度の銃は2丁、しかも実戦である。スムーズにできませんでした。で
は済まないのである。
「どうしたもんかねぇ」
そうこうしているうちに、敵機部隊の側面から約50メートル付近まで近づいていた。
「人間が一匹近づいたところで、ホントなら気にも留めないサイズの奴らだが、拳銃を
持っていると知れば容赦なく襲ってくるだろう。今まで奴らの仲間を屠りまくってきたの
はそういう人間、銃を持った俺たちだからな。進化ネットワークがそのことを伝えていな
いわけがないぜ」
そう言いながら、光一は敵機の真正面、目前まで走り出すタイミングを窺っていた。
10メートル強の巨体を持つ4機の昼型敵機は、この辺り一帯がまだ整地されていない
ことに苛立っているのか、楔形隊列で進みながら瓦礫を踏み均している。その真正面に一
人の人間が立っていることに気づくのはしばらく経ってからだ。だがその男からは敵意は
感じられず、距離もまだ50メートルは離れていた。しかし、先頭の20メートルタイプ
が気付くと同時に、他の4機も、そのちっぽけな人間の様子が変わった事に気がついた。
その敵機たちが警戒すべき人間、光一は、左手にP226右手にCZ75を握ってい
たのだ。これにより光一は敵機らに”倒すべき敵”と認識された。
「ひ、人だ!人間がいるぞ!!」
ヘリに乗っているレポーター同様、カメラからの映像を見ていた避難所の人々も、皆口々
に呟いたり叫んだりしていた。
「ほなみん!あれ!人がいるよ?ほらほら!」
「やっぱりさっきのは見間違いじゃない…そんな…せんぱい……」
ヘリからはかなりの距離があるため、その人間の衣服までカメラが詳細に捉えるはずはな
かったのだが、ほなみにはボロボロのコートに身をつつんだ光一の姿が見えた。少なくと
も見えている気がした。
「せ、せんぱい?まさかっ!」
保奈美の言葉にあらためて映像を見る恵理華。どうやら彼女にもあのちっぽけに映ってい
る人間の正体が判ったようだった。
「そ、そんな!そんなことって…」
僅かに震えている恵理華の手を、同様に振るえている保奈美の手が包んだ。
「先輩、何かする気だ。そうでなきゃ、あんなの自殺行為だよ!」
「で、でも…」
「信じようエリ。先輩が何をするつもりか、この目で確かめなきゃ!」
恵理華は、保奈美が何の根拠も無く光一を信じていることに気がついた。-私だって、私
だって先輩のことを信じてるっ、大好きなんだからっ!-恵理華は保奈美に包まれている
反対の手を、震えている保奈美の手に被せた。
「もうちょっと近づいてこいよ……よーしよし…両サイドからきっちり片付けてやる
ぜ!」
光一は楔形隊形の、最も外側である左右の2機に、確実に”昼夜両用弾丸”をきっちり4
発ずつ命中させた。しかしその両機は動きを止めただけでまだ効果が現れていない。その
間に内側の2機が行動を開始した。50メートルという距離は、拳銃で狙うにはギリギリ
の距離だが、10メートルオーバーの怪物にとっては数歩の距離でしかない。確実に足で
踏み潰すつもりか、それとも触手を撃つすもりなのか、どちらにしても光一の命は風前の
灯火に思えた。
ここで光一は博打に打って出た。6発全部撃ち終わってから弾倉を交換するという動作
をあきらめ、まだ弾倉に銃弾が残っている状態で交換しようというのだ。成功すれば確か
に速く交換できるかもしれないが、実戦でも練習でも行った事のない方法だ。
そのとき、どこからか光一にヘリの音が聞こえてきた。報道のヘリではない。もっと大
型の、しかも複数のローター音であった。ローター音はどんどん近づいて、やがてその姿
を現した。光一の後方から4機の攻撃ヘリが高速で飛行してきたのだ。光一を真下から見
上げることができたとしたら、光一の背中から4機のヘリが飛び出したような光景を見る
ことができたであろう。
「へ、裏官僚め、やってくれるぜ」
光一は彼が手を回したのだと確信した。3機の敵機はヘリの出現に目を奪われたものの、
まだ光一への接近は続けている。
「成功させる!必ず!」
光一は両銃をデコッキングし、マガジンキャッチを解除して、まだ弾丸が入っている2つ
の弾倉を地面に落とした。すかさずそれぞれの銃の予備弾倉を入れ、ハンマーを起こし
た。弾数よりもスピードを優先したのだ。
「ヘリなんか見てる暇はないぜ?喰らいやがれっ!」
光一に近づいていた2機の10メートルタイプは、ヘリに気を取られたのが運の尽き。光
一に弾倉交換の時間を与えただけでなく、銃撃も行わせてしまったのだ。この2機も先の
2機同様、4発ずつの弾丸を喰らうと、まったく動かなくなってしまった。
「ヘリです。自衛軍の攻撃ヘリです。どうしたことでしょう?攻撃しにきたのでしょう
か?しかし4機では数が少な過ぎ……あっ、これまたどうしたことでしょう。我々が乗っ
ているヘリに近づいています。現場から離れろという合図でしょうか?わっ、わわわっ」
自衛軍のヘリのうち、1機が報道のヘリを現場から遠ざける。これも光一に、戦闘に集中
させるための行動なのだろう。残りの3機は最後に残ったヘビー級、20メートルタイプ
に対して、近づき過ぎず、離れ過ぎず、光一から注意を逸らそうと飛び回る。しかし動き
を止めた20メートルタイプが見ているのはヘリなどではなく、自分のやや先にいるちっ
ぽけな生き物。自分の仲間たちを屠ってきた宿敵。”銃を持った人間”である光一を睨ん
でいた。少なくとも光一からはそのように見えた。
しかし当の光一は、P226とCZ75を=まだ残弾があるにも関わらず=ホルスター
に挿入してしまった。組織の人間がこれを見たら、何故だっと叫び狂っているところだろ
う。20メートルタイプを眼前にして、まったくの自殺行為であるからだ。
果たして最後の敵機は、3つあるうちの1つの触手を光一に向かって放った。しかし光
一は、まるで始めからそこにいたが如く、硬化した触手より少し前、敵機に少しだけ近づ
いた場所に立っていた。触手は光一の頭の上を通過し、瓦礫が転がる地面に突き刺さって
いた。
「”M”がさぁ…”コレ”を大事にしろって言ってたんだ…俺なんかのことを心配してく
れたんだぜ?そんな大人の女性は初めて見たよ…」
光一はそう呟くと、まだズキズキと痛む右手をコートの中、自分の背後に回した。
「自分は敵機の攻撃で…あんな状態になっちまったのに、自分の銃を俺に託して…さ」
今度は敵機も手加減はない。残りの2本の触手を同時に光一向けて叩き込む。しかしまた
もや光一は異常なスピードでその攻撃を脳内処理し、地面に突き刺さった2本の触手より
敵機側に立っていた。もう敵機と光一の間隔は20メートルも無かった。
「悪いが、俺はお前たちの存在を許さないっ。許すもんかあああああっ!」
光一はバックホルスターから自分の愛銃を抜くと右手でグリップをしっかりと握り、左手
でグリップと右手をホールドするよう、しっかりと支えた。
「喰らえっ、でかぶつがっ!」
光一は4発の弾丸を敵機の腹に命中させ、トドメとばかりにもう1発叩き込んだ。
残り物の銃だった。出動の度に毎回1機だけ敵機を屠ってきた銃だった。デカくて素人
には扱いにくい銃だった。持ち歩くのが嫌になるほど重たい銃だった。それでも2年間、
光一の命を守ってきた銃なのだ。その大型銃が連続して火を噴き、新型の弾丸を目前の敵
機に次々と食い込ませたのだ。
ついに5機すべての動きが静止した。触手を撃ったあとの一瞬の隙ではなく、完全に動
きが停止しているのだ。光一は地面に落としてしまった2つの弾倉を大事そうに拾い上げ
ると、その場所から静かに歩き始め、遠ざかってゆく。やがて、敵機の周りを旋回してい
た攻撃ヘリが、光一が充分に離れた事を確認すると、20ミリ機関砲を静止している怪物
たちにこれでもかと連射した。すると、5匹の怪物たちは仄かに光り始め、やがて5匹す
べてがまるで石膏でできた彫像のように変化してゆく。やはり巨体。光一が叩き込んだ弾
丸の効果が完全に現れるまで時間がかかったのだ。3機のヘリは今までの鬱憤を晴らすが
ごとく、改めて20ミリによる射撃を続ける。すると4機の10メートルタイプはガラガ
ラと左側に崩れてゆく。そして先頭の20メートルタイプは、自らの重さに耐えられなく
なったかのように、やはり左側に崩れていった。運が悪い事に、そこには前回の敵機襲撃
で半壊したMGOのビルが存在した。まるでどこかの画家が描いた”バベルの塔”のよう
に半壊していたMGOビルは、5匹の化け物の石膏攻撃を受けて、今度こそ完全に崩れ落
ちてしまった。
「や、やった…やったぞーっ!うおおーっ!!」
避難所で誰かが突然雄叫びを上げた。すると堰を切ったように他の避難民も喜びの声をあ
げる。まるで地の底から響くような歓声が巻き起こったのだ。避難所だけではない。幸運
にも報道ヘリからの中継を見ることができた人々は、感涙に咽びながら見ず知らずの人々
と抱き合いながら、共に喜びを分かち合っていた。
光一は思った。-あの二人もこの映像を見ただろうか-。避難所で辛い思いを強いられ
てきた二人の女子大生もきっと元気にはしゃぎ回っているだろう。そんな姿を想像してい
た。-あの男が俺なんかだとはわからなくてもいい。それでいい。それでいいんだ-
光一はさきほどの現場からかなり離れた場所に移動し、その場に立ち尽くしたままだっ
た。ここは背の高い瓦礫がまだ残っており、上空の報道ヘリからは陰になって見ることは
できない場所だ。しかし彼は決して敵機を倒したヒーローとして悦に入っているわけでは
なかった。未だ険しい表情のまま、周囲の状況を窺っていた。
そのとき光一の背後から、5メートルの昼型=但し顔面マスクではない=敵機が地中か
ら姿を現す。マスクが無いということは、レーザーガンを使用する以前に出現したことが
ある敵機だと判断する事ができる。しかし光一はこの敵機の出現を予想していたらしく、
突然の遭遇にもまったく動じてはいなかった。既に右腕でCZ75をホルスターから抜き
放っており、そのハンマーを起こしていた。
この敵機の喉?を見ると、何か金属の様なものが深々と突き刺さっており、太陽光を反
射してか、キラキラと輝いている。
「地面に微少振動を感じたからな。そんな気はしていたんだ。しかしまさか本当に”オマ
エ”とはね」
何の前触れも無く、敵機は3本の触手を硬化させて光一に放った。しかしその触手はボロ
ボロのコートを刺し貫いただけで、地面へと突き刺さった。光一は横っ飛びで、敵機の鋼
より硬く鋭い触手をかわしていたのだ。一瞬、敵機の動きが止まる。
「そのコート、ボロボロなんでくれてやる。オマエだけは絶対に許さん。コートだけじゃ
なく、こいつも喰らいなっ!!」
光一は片手で銃をを構えると、1発の銃弾をこの敵機に叩き込んだ。
「俺のニックネームは”ラストショット”だっ!」
敵機は10、20メートルタイプとは異なり、風船を割ったように破裂し、細かい粒子を
周囲に撒き散らした。
「これで”M”も少しは気が済んだかな?……って、また小麦粉かよ!!ぺっ…ぺっ…」
自衛軍の攻撃ヘリや報道のヘリが現場に着陸したときには、既に現場およびその周辺に
は、人間は誰もいなかった。彼はヒーローだったのか、しょぼくれたコートに身を包んだ
ただの浮浪者だったのか、今となっては誰にも確認することはできなかった。
(俺は欲張りだったんだ。”M”の夢でやっとわかった。俺が戦う目的は、”M”が
言っていた全てだった。しかしあいつらを葬ったのは、結局は異星人のテクノロジー。そ
して石膏彫像に止めを刺したのは自衛軍の攻撃ヘリだ…)
「…やっぱり俺はスーパーヒーローじゃねぇなぁ…」
(もう途中で自衛軍に出くわしても構うまい。色々と疲れた。)
光一は3つものホルスターに銃を入れているという異常な姿であったが、幸いなことに、
自らのアパートへの帰途で、誰にも出くわすことはなかった。
その日の夕方、保奈美は家族にきちんと説明をして、光一のアパートを訪問する事にし
た。本当は”正々堂々と勝負”と約束した恵理華にも伝えたかったのだが、彼女の家族は
この避難所のすぐそばに建設された仮設住宅に引越しする事になっていたため、準備で大
忙しであった。抜け駆けするみたいで嫌だったが、今日の午前中の出来事について、どう
しても光一に問いただしたかったのだ。保奈美はいつものジャージにやや大きめのリュッ
クという出で立ち。少し前の平和なときであればキャンプにでも行くのか?とも思える姿
である。
「絶対にアパートにいるはず。待ってなさいよピカイチめ!」
光一は久しぶりに戻ってきたアパートの布団の上にうつ伏せに寝転がっていた。光一の
ショルダーホルスターは、銃の先端・銃口部分を覆う場所の横にベルトを通す穴が開いた
布が付いていた。今日は、P226とCZ75という2つの銃を入れるため、右利き用と
左利き用の2つのホルスターが両肩とベルトに装着されている。おまけに背中、正確には
ベルトの腰部分にもバックホルスターが付いていて、窮屈この上ない。しかし丁寧に3つ
のホルスターを全部外してから寝転がるような、気力も体力も残っていなかったため、そ
のままうつ伏せに倒れてしまったのである。気がつけばもう夕方から夜になろうとしてい
た。
「しかし我ながら無茶な戦法だった。こいつのメンテナンス終了が間に合ってなかった
ら、俺は踏み潰されていたかもな。」
光一はバックホルスターに挿されたままになっている愛銃を左手の指でこんっと弾いた。
さすがに両脇に収納されていた2つの銃は既に抜いてあり、ちゃぶ台の上に転がしてあ
る。
「よく考えたら、こいつらは”組織”に返さなきゃいけないんじゃ……あんな恥ずかしい
”別れの儀式”をやった後だし、行き辛いなぁ……しばらく放っておくかぁ。」
しかし光一の右腕は、包帯交換等々の処置を行っていないため、血がにじんできてしまっ
ている。
「普通の病院…開いてればだけど、診てくれるだろうか…いてて」
さっきから喉が渇いていたので水でも飲もうと立ち上がりたいのだが、この右腕の痛みと
疲労のせいで、なかなか立ち上がることができずにいた。
そんなときに、玄関の扉をダンダンダンと元気良く叩く音が聞こえてきた。
「せんぱーい!ピカイチせんぱーい!いるんでしょう?外まで薬臭くなってますよー!」
-まさか-とは思ったが、あの後輩女子はこういうアグレッシブな子だ。近所には誰も居
ないので世間体を気にすることはないが、このまま扉を叩かれると精神的に”痛い”。
「わ、わかった。開ける。開けるから少し黙るか、声を小さくしてくれ!」
光一は左腕に体重をかけてまず膝立ちになると、よっこらしょとようやく立ち上がること
ができた。
「一体なんだって…うおっ!」
扉を開けた光一の前に現れたのは、まるでこれから遠足に行くかのように満面の笑みを浮
かべている小学生、もとい相川保奈美の姿であった。
「な、なんだそのカッコはっ!ジャージはともかくとして、そんなリュックなんて背負っ
てると遠足帰りみたいだぞ!」
「もう世の中ぐちゃぐちゃなんで、そんな細かい事気にしないでくださいよぅ」
「細かいって……あ、おまえ俺との約束忘れたのか!?夜は外出するなって言ったろ!?」
「そんなこと言っても、もう来ちゃったし」
「あああ、もういい。とにかく入れ。入って戸を閉めろ戸をっ!」
「おっじゃまっしまーす!」
-バタン-。扉を閉めると、保奈美はさっさと靴を脱いで6畳一間に上がりこんだ。
「いったい何しに来た…って、突然脱ぎ始めるな!おい!」
「へっへーん。ジャジャーン!」
ジャージを脱いだ保奈美は、その中にサッカーのユニフォームを着ていた。下も短パンで
はなく、以前試合用と言っていたハーフパンツである。
「これが私の勝負服なんで。へへ。」
「へへ、じゃねぇ!勝負服って、一体何の気合を入れてんだ!?」
「それはこれからわかりますって。ああ疲れた。」
保奈美はリュックから取り出した配給品のミネラルウォーターをごくごくと飲んでいる。
「っかあぁー、ぅんまいっっ!」
「おまえは”おっさん”か。」
「さて、じゃ色々と話をしましょうか。どうぞ座ってください先輩」
「もともと俺んちだ。ったく。」
ちいさなちゃぶ台の上に2丁の銃とミネラルウォーターのペットボトル。そのちゃぶ台を
挟んで、保奈美は正座。光一は胡坐をかき、向かい合って座っている。シュールな絵柄だ。
「この銃、ホンモノですね?先輩?」
「何のこと…いやごまかしてもしょうがないか。本物ではあるけど、ちょっと特殊な銃だ
よ。持ってみるか?」
「イヤです。おっかないです。」
「そうだよな。元々は人を撃つ道具だからな。それが正常な反応だよ」
「元々は?……じゃあやっぱり、今朝あの怪物たちと睨みあってたのは?」
「俺だよ。よく見えたな。報道のヘリはかなり上空を飛んでたのに。最近のテレビカメラ
は馬鹿にできないなぁ。」
光一はちょっと待て、と保奈美に言うと、水道からコップに水を汲んで持ってきた。さっ
きから、いや夕方から喉がからからなのである。口も渇いてしゃべるのも辛くなってきて
いた。
「…ふう。落ち着いた。それで?なんだって?確かに俺は無意味に怪物と睨みあっていた
が、それが何か?」
「どうしてそんな危険な事したんですか!」
「ああもう、誤魔化すのも面倒になってきた。正直に言うとな、その銃の弾丸は特別製で
な、あの化け物たちを石膏のように変えてしまう力がある。その銃で俺はあいつらを撃っ
た。それで陸軍の攻撃ヘリが怪物を倒せたわけだよ。…一気にまくしたてたが、理解でき
たか?なんならもう一回説明するが?」
「いえ、何とか…大丈夫です。でもわからないのは、どうして先輩がそんな危険なことし
てるかって事です!それから、どうしてそのことを私や恵理華に話してくれなかったか、
という事も!」
光一は保奈美の話を聞きながら、コップに残っていた水を飲み干した。
「うーん。実はその辺は色々とややこしい話になる。しかもそれだけじゃなくて、全部話
してしまったら、保奈美も俺も殺されてしまうだろう。そのくらいヤバイ組織に俺は所属
している。自衛軍とはまったく関係ない組織だよ。だから…だから今まで保奈美にも恵理
華にも話す事ができなかった。これからも話せない。…許してくれ……」
光一は素直に頭を下げた。しかし保奈美からは何の返答もない。1、2分そうしていたで
あろうか、不思議に思って光一は頭を上げる。てっきり保奈美はペットボトルの水でも飲
んでいるのかと思っていたが、
「うっ、うっ…うううっ……」
保奈美は泣いていた。理由はわからないがとにかく涙をぼろぼろと零しながら嗚咽してい
るのだ。
「ど、どうした?俺、おまえの事傷つけたか?な、泣き止んでくれよ、保奈美…」
コミュ障ギリギリの光一に、こんな時の対処法などわかるわけもない、ただおろおろと保
奈美の前で心配そうな顔をしている。
「うっ、私…自分が許せないです…ううっ、先輩がそんな、そんな組織にいたなんて!そ
れに気付く事もできなかったなんて……うう…全然先輩の力になれなかった……」
(信じてくれたのか)
こんな突拍子も無い話を、そのまま素直に信用してくれた。それ
だけではなく自分の力になってくれるつもりだったとは……光一はいままで保奈美をやっ
かいな後輩と思っていた自分自身を恥じた。
「いいんだ、いいんだよ。その組織の力はとっても大きいんだ。逆らえる人間なんていな
いんだから。それに俺は今まで、いや保奈美と出会うまではずっとボッチだった。保奈美
や恵理華には本当に感謝している。そんな組織に所属していながら、二人のおかげで日常
を忘れずに生きることができたんだから。」
その言葉を聞くと保奈美は丸いちゃぶ台をぐるっとつたって光一の左横に座ると、彼のY
シャツの袖で涙を拭いた。
「…俺のシャツはティッシュか?」
「う、こ、この部屋…ティッシュないじゃないですかぁ…ううう…」
ようやく普通にしゃべることができる状態になってきたが、まだ保奈美の涙は止まらない
ようだった。
「それに私、変に慌ててたんで、ハンカチもティッシュも忘れてきちゃったんですよぅ」
「そんなデカいリュック背負ってきたくせに。ドジだなぁ。」
「何とでも言ってください。ううう」
「ま、まて!鼻水はやめてくれ鼻水はっ!流しで顔を洗ってくれ。タオル持ってくるか
らさ」
保奈美は素直に顔を洗いに台所まで歩く。光一は急いで未使用のタオルを押入れから取り
出してきた。
「ずびばせん。お手数おかけします。」
「いいから、これで顔を拭いてくれ」
光一は二人の間の緊迫した雰囲気が少し和らいだので、多少ほっとしていた。そしてまた
さっきのちゃぶ台横の同じ場所に正座した。
「とにかく俺の境遇については深く考えなくていいよ。今日、あのでかい怪物たちがいな
くなったので、今後は俺も少しは楽ができそうなんだ」
異星人がくれることになっている量産型の弾丸の話である。これが実現すれば、もう光一
ごとき戦闘の素人が敵機撃退に送迎されることもなくなるはずだから。
「そうなんですか?それなら……それを聞いて少し安心しました…」
保奈美はまだタオルを鼻と口に当てたまま、ちゃぶ台そばの、さきほどと同じ場所=光一
の対面=に正座した。
「でも、それならなおさら、光一先輩のそばに居て、生活のお世話をする人間が必要だと
思いませんか?思いますよね?」
-ぎくっ-ここでこの話が出てくるとは。
「な、なんのことかな?」
「さっき”夜に出歩くなって約束”って言ってましたけど、もう一つ”約束”がありまし
たよね?」
-やっぱりかぁっ-もはや逃げることはできない。しかもこの”一ヶ月の約束”をする
際、”もうはぐらかさない”とも約束していたのだから。
「お、おう。覚えてるよ。うん。」
光一は一気に挙動不審になった。-所詮コミュ障かっ-自分の小物さ加減に呆れるばかり
だった。しかし約束は守らなければならない。光一は覚悟を決めた。
「確かにあれから一ヶ月くらい経っているな。よし、あのときの告白の返事を……」
「せんぱい。なんだか変わりました?もしかして好きな女性ができたとか。」
「……は?……何を言って…」
光一には何のことかさっぱりわからない。
「…女性…じょせいですね?好きな女性ができたんでしょ!今までの先輩なら、そんなに
堂々と”一ヶ月の約束”の話ができるわけないです。コミュ障なのに!」
酷い言われようだが、何故だか反論できない。
「………!」
(そうかっ”M”のことかな?)
光一は”M”のおかげで他人とのコミュニケーションが楽しいものだと考えるようになっ
たのだ。その”M”の存在をあっさり見抜いた保奈美の洞察力が怖ろしかった。しかし
”M”との間に恋愛関係は存在しなかった。単に人生の先輩と後輩、それだけの関係だっ
たのだ。誤解を解かねばならない。
「ま、待て。お互い落ち着こう。…まず好きな女性とやらだが、これは本当に居ない。
誓ってもいい。」
「本当ですかぁあ?」
「本当だ。保奈美が何を根拠に見抜いたのか怖いんだが、確かに年上の女性と3、4日話
すようになって、”脱コミュ障”に頑張ったことはあるんだ。」
「と、年上の女ですか!私には先輩の趣味の方が怖ろしいです。」
「いやだから!その女性とは話しただけなんだよ。恋愛関係は一切なかった。こればかり
は信じてもらう以外にない。そう、もう会えない女だからね。彼女に証明の証言
をしてもらう事はできないんだ…」
「…そ、そうなんですか…それは……すみませんでした…」
光一があまりにも真剣な表情で話したので、保奈美は”M”が亡くなったものと勘違いし
たらしい。光一は”M”に心の中で謝罪すると、話を続けた。
「いや、いいんだ。もう過去のことだし。」
「それなら、遠慮なく告白の返事を聞くことができますね。」
保奈美は、またちゃぶ台のふちをくるりと回って、今度は光一の右側に座った。
「この腕の傷を治す手伝いをしたいです。先輩。」
一難さってまた一難である。光一は再度覚悟を決めた。
「俺は保奈美が好きだ。恵理華からも告白されてる事、知ってるかもしれないが、それで
も保奈美が好きだ。まだ俺のことを好きでいてくれるなら。俺とつきあってくれ!」
「……ほんとですかぁあ~?」
(こ、こんなに真剣に答えてるのにっ!どうして信じてくれな……)
「ふふふ、冗談ですよ。-ぶちゅう-」
(う、う、うおぉ……不意打ちとは卑怯な!しかもキ、キ、キ、キスっ!)
まるで光一の狼狽振りを楽しんでいるかのように、保奈美は話を続ける。
「私を選んでくれて嬉しいです先輩。あ、今日からは”せんぱい”じゃなくて”こうい
ち”って呼びますね?」
(う、う、うがぁぁぁ!)
光一が悶絶している横で、保奈美はけろっとして会話を続ける。
「そう言えば、エリの家族は仮設住宅の抽選に当たったんです。避難所に私一人取り残さ
れて…おしゃべりできなくて…」
「ご両親と弟さんがいるじゃん!」
半泣き状態で答える光一。しかし唇を拭うような無神経なことはしない。
「黙っててください!」
「はい!」
さながら忠犬のように、体を固まらせる光一。
「で、色々とおしゃべりできる相手がいなくなったんで、明日?いえ今日からここで暮ら
したいんですけど、いいですか?いいですよね。よしっ」
「せめて返事くらいさせてくれ!」
「そうすると、このリュックの荷物だけじゃたりないんですよね~。もう1回…2回か
な?避難所まで荷物を取りに行きますね。」
-はっ-
そこまで聞いて光一はやっと正気を取り戻した。
「だめだ保奈美。約束したろう?夜中は出歩いちゃだめだって!!」
「平気ですよぅ。確かに暗いのはちょっと乙女として怖いですけど、私は鍛えてるんで、
足が速いですからっ」
「違う。そうじゃないっ。夜にも怪物がっ!」
「怪物は光一がやっつけてくれたじゃないですか。心配しないでください。それじゃ、
行ってきまーす!ふふ、なんだか奥さんみたい。」
「ま、またんかぁ!」
下手に慣れない正座をしたのがいけなかった。光一は足が痺れてしまって上手く立ち上が
れない。それでも強引に立とうとして失敗し、畳に倒れてしまう。
「ぐはっ!……ううう…は、話を聞けやあああああ!」
しかし光一の叫びももはや保奈美に届いてはいないようだ。現在は14日交替の昼型頻出
期。夜型は滅多に出現するとは思えないが、”まぬけな昼型”が出没する可能性はあるの
だ。光一は足の痺れが治まってくると、多少の痺れは我慢してアパートを飛び出した。
「くそっ、足速いな保奈美のヤツ!」
既にアパート周辺に彼女の姿はない。サッカーサークル所属は伊達じゃなかったようだ。
「避難所までの道をまだ覚えていたのが救いか」
一方の保奈美は、後方を見て光一を撒いたと思ったのか。走るペースを少し落とした。
「ふう、まだまだサッカーサークルは続けることができそうね。……ん?何だろアレ?」
光一は保奈美を追いかけながら舌打ちをしていた。銃を1丁しか持ってこなかったの
だ。よりによって背中にしょっている愛銃のみ。残弾は”1”である。
「なんてこった。例え小型でも2機以上出現したらお仕舞いだぞ!」
しかし今からアパートに戻っている暇はない。なんとかして保奈美に追いついて、ア
パートに戻るか、避難所まで一緒に行くか、近い方へ護衛しながら行くしかないのだ。
「き、きゃぁぁぁ!」
その時運悪く、光一の心配が当たってしまったのか、確かに保奈美の悲鳴が聞こえてきた
のだ。
「くそっ、くそっ、何てことだ。もっと”敵機”のことを教えていることができていたな
らっ!」
今更言ってもしょうがないことではあるが、組織を怖れることなく、すべてを保奈美に話
してさえいれば、こんなことにはならなかったはずだ。今となっては、まだ彼女が敵機か
ら逃げ続けている事を望むしかなかった。
「ちょっ、ななな何この大きい奴!」
節電のため生きている街灯の数が少ないため、よくは見えないのだが、テレビで見たあの
巨大な怪物に似ている気がした。あの怪物をそのまま小さくするとこんな感じであろう。
しかし、”小さく”とは言えども身長(?)は5メートルはあるように感じられた。
「な、何でこんなのがいるのよーっ」
保奈美は腰が抜けたのか、その場に座り込んでまったく移動できない。その5メートルの
怪物は、保奈美の方にやってくる…わけではなく、何かを探すようにその場でうろうろと
しているばかりだ。
(ああーん。今なら逃げることができそうなのに、なんで足が動いてくれないのよー!)
しかしそれ以後、保奈美は一言も声を発しない。何がトリガーになって、この怪物が自分
を襲ってくるのかわからないのだ。刺激はあたえない方が懸命だと思えた。
やがて光一は信じられない光景を見た。2年以上に渡る敵機との交戦で、暗視スコープ
がなくてもある程度夜目が利くようになっていたが、10メートルほど先に保奈美がへた
りこんでおり、そのさらに先数メートルの位置に5メートルタイプの敵機がうろうろと歩
いていた。単なる勘でしかないが、整地もせずにその場をうろうろしているということ
は、いつか”M”に重症を負わせた敵=今朝倒した5メートルタイプと同じ行動であっ
た。そこで光一はようやく思い出した。
(しまった、昼型はもう一機いたんだ!)
今朝、”M”の仇をを獲ったので安心してしまっていた。昼型の5メートルタイプはもう
1機いたのだ。それは初めて10メートルタイプの昼型が出現した際、そのお供のように
出現した2機の5メートルタイプのうちの1機だ。ここからみても、”顔面マスク”がな
いことから、光一の考えに間違いはないだろう。
(しかし何だってこんなときにうろうろしてやがるんだ!昼型のくせにっ!)
やがて敵機は後ろを振り返ると、明らかに光一の存在に気が付いたようだ。すると、もう
うろうろするような行動はやめて、光一を鋭く睨みつけた。
(まさかと思うが、今朝の連中の敵討ちかっ!?)
”敵討ちは連鎖して終わる事が無い、愚かな行為だ”というような内容を漫画か何かで読
んだ気がするが、それをこんな形で体験することになろうとは。しかし、もしもここで奴
が敵討ち=光一を倒す事=に成功したら敵討ちは連鎖しない。光一はボッチなのだから。
(たのむから俺を、俺だけを睨みつけてくれ!手前の女の子に気付いてくれるな!)
しかしそれは叶わぬ願いだった。敵機と光一の線上に保奈美が腰を抜かしているのだ。敵
機が気付かぬわけはなかった。やがて敵機は保奈美に向かって少しずつ歩を進める。
(なんでだよ!今までの敵機は銃を持たない人間には興味を示さなかったのに!!)
”進化ネットワーク”が、人間そのものを”敵”として認識したとしか考えられなかっ
た。もう銃を持とうが持っていまいが、人間は殺すべき対象となってしまったのだ。
(保奈美っ)
光一は持続力こそないが自身の持つ瞬発力をフルに使って保奈美に駆け寄る。光一のその
行動に気付いたのか、敵機はその歩みを速める。
-ざくっ-
僅かな差であった。光一が先に保奈美を抱き寄せ、敵機から遠ざかろうとした直後、敵機
の右腕が敏捷に動いた。走り始めていた光一の背中を右肩から左腰にかけてザックリと切
り裂いていた。
「せ、せんぱーいっ!」
保奈美は光一の身体を心配して叫んだ。幸い自慢の瞬発力で走り始めていた光一である。
音はともかく、3本ヅメで切り裂かれた背中の傷は、それほど深くはなかった。だがそれ
以上保奈美をかかえて走り続けることができないだけの痛みと苦しみを光一に与えるには
充分な攻撃だった。
「せ、せんぱい。速く逃げて。私はもう自分で走れます。だから私に構わず逃げてくださ
い!お願いですからっ!!」
当然保奈美の嘘である。まだ彼女は腰が抜けた状態のままだ。光一はそんな嘘くらい簡単
に見抜いて、そして彼女にそんな事を言わせる自分自身に腹が立った。”M”に問われた
戦う理由。そのうちの大きな理由の一つである”後輩女子の安全を守る事”、そして今で
は晴れて恋人となった保奈美を守る事。光一はそのためだけに、今、背中の愛銃を抜く。
「大丈夫だ保奈美。あんな奴、昼間の連中に比べたら子供みたいなもんだ…」
光一はくるっと身体を回し、敵機に向き直り、保奈美を背中に庇う。
「ひっ!」
そのせいで光一の背中に走る3本の傷が保奈美に丸見えとなった。だが今はそんなことを
気にしている場合ではない。
「てめぇも散々仲間を壊されて怒っているのかもしれねぇが、こっちだって多くの若者が
殺され、或いは再起不能にされているんだ。なめんじゃねぇぞっ!」
光一が愛銃を構えると、背中や右腕から耐え難い痛みが襲ってきた。しかし光一は慎重に
狙いをつけて、敵機の動きを窺う。一方敵機は動きを止め、今にも触手を撃とうという体
制に思えた。保奈美を後ろに庇った状態では、いつものように紙一重で触手をかわす事は
できない。光一はこの1発の銃弾に全てを懸けた。
「……喰らえっ!」
暗闇のなか、無音の弾丸が、渾身の1発が、光一の愛銃から放たれた。
□□□
ここは首都でも有数の大型病院。その個室の一つで、わしは介護ベッドに横になり、電
気仕掛けのスイッチで上半身を起こしていたが、孫娘が遊びに来てくれたので、昔話を
語ってやっていた。
「それでおじいちゃんは、ほなみさんとけっこんしたの?」
「そんなこと言ったらおばあちゃん泣いちゃうぞ?おばあちゃんの名前はえ・り・かじゃ
ろ?」
おじいちゃん、即ちわしが若いころの話を、組織の話や残酷なシーンは伏せて、わし自身
を”ヒーローもどき”として、面白おかしく語っている最中なのだ。
「えー。ぜったいほなみさんとけっこんするとおもったのに。」
「それには色々と”事情”、じゃわからんか。まだお話があるんじゃよ。」
「そうなんだー。」
「それでじゃな、その怪物とわしが一騎打ちで……」
「えりかおばあちゃんとどうしてけっこんしたの?」
「うぐ」
話の腰を折られたわい。
「わかったー。おじいちゃん、ふたまたしたんだ。ふたまたー。」
「うわー、人聞きの悪い事を言うんじゃありません!」
ここが個室でよかった。しかし何で”二股”なんて言葉を知っちょるんじゃ?
「わー、ここはたかいところだから、おはながきれいにみえるね。」
「あ?ああぁ。」
さすがにこのころの子供は話題がころころ変わるのぉ…
「あのお花は桜というんじゃよ?さ・く・ら。」
「さくらかー。きれいだねー。」
「よく見たかったら窓を開けてもよいぞ。落ちないように気をつけてな?」
この個室には、ベッドの右側、ベッドから少し離れたところに大きな窓があるのじゃ。わ
しが自分で開けてもよかったが、これも教育じゃ。孫娘にやってもらおう。
「はーい。よいしょ。よいしょ。」
幼い子供にとっては、病室の窓を開けるだけでも一苦労じゃ。かわいいものじゃの。
「では話の続きじゃな。その怪物は見かけは怖かったが…」
「あ、おかあさんにおつかいをたのまれてたんだ。おかいものにいかなきゃー。」
「そ、そうか…残念じゃのぉ…それでは帰りに看護士さんに伝言しておくれ。おじいちゃ
んが来てほしいと言ってた、とな。」
「はーい。おじいちゃんばいばーい」
ホントに伝えてくれるかの?やれやれじゃわい。
「しかし本当に桜が綺麗じゃな。周囲に高層建築物がないから、よーく見えるわい。年老
いたわしにこんな豪華な個室を無料であてがってくれるとは。組織も最後には役に立って
くれたのぉ」
そう呟きながら、わしはベッドの裏側に隠された、大型銃に右手を回した。
□□□
今でも人々の語り草となっている、MGOビル前での決戦から50年。人類の生活は大
きく変わっていった。特にこの国では、いち早く自衛軍用の量産型弾丸が極秘扱いで配給
されたこともあり、昼型だけではなく、夜型敵機の存在も、広く国民に知らされた。しか
し、異星人や”組織”の存在は未だに隠蔽されたままである。これはこの国だけではな
く、世界各国同じである。裏官僚の直訴は半分しか通らなかったことになるわけだ。
自衛軍に弾丸が供給されることになったとはいえ、敵機の数は極めて多い。衛星探査船
11号に付着した時点で”計測不能”だったのである。いったいあとどれだけの幼体が土
中に埋まって成体になるのを待っているか、予想もつかないのである。単に自衛軍が36
5日フル稼働で警戒態勢になるだけでは突然の出現に対処しきれない。今でも異星人の予
測は組織に頼りにされていた。
海上に逃れていた”表の政府”云々の人々は、当然国民の批判を浴びて、あっさり職を
失った。代わりに政府の役職についたのは、今まで”裏”で活躍していた”裏の政府”
だった。”裏の政府”は自らが保持していた”組織”からの情報をフル活用できたため、
国民の信任も厚く、”基本的にこの異常事態が続く間”、改選や人事異動もなく、働き続
ける事となった。
一方、国民の生活レベルは必要最低限のモノとなった。今でも自衛軍の警戒網をかいく
ぐって昼型・夜型敵機は地表に姿を現し続けている。いくらビルを建設しても、高速道路
や鉄道を建設しても、すぐまた奴らに整地・掘削されてしまうのである。電気・水道を確
保し、医療施設や避難所、仮設住宅をを守るだけでも手一杯である。また、何かを新たに
建設するということは、それを自衛軍が警護するということになる。対して、仮に今後警
察の手を借りることができるようになったとしても、明らかに人手不足だ。そこで、-1
日中避難所に籠っているよりは-といことで、自ら自衛軍や警察に志願する人々が続出。
それが新しい、しかしほぼ唯一の”雇用”となっていた。その他の人は、仮設住宅の数も
徐々に整ってきたものの、まだ避難所生活を強いられている人々が多かった。ただ、避難
所の建物自体は大きく改造され、中もパーティションで区切られるなど、なんとか仮設住
宅に近い状態になるように、プライバシーを守る事ができるように改良されていった。し
かし人々は、その避難所のことを自虐的に”居留地”と呼ぶようになっていた。なお、子
供たちへの教育が復活するには、それから数年の時間を要していた。
”組織”は、あれからも地味に暗躍していた。本当なら以前のように”対処”のための
”メンバー”を集め、”ジュニアチーム”や”上級チーム”を養成したいところだが、こ
の現状ではまったく不可能な話であった。そこで、本来は引退するはずであった光一を始
めとする”メンバー”たちは、そのまま継続して”対処”を行うことになった。だがもう
組織本体も人員不足に悩まされており、メンバーの家族を監禁、などという業務を行う事
すらできなくなっていた。光一を始めとするメンバーたちは、久しぶりに自分の家族らと
対面することになったのである。しかし、こと光一に関しては、両親が-仕事もせずに食
事や住居をあてがわれて快適だった-などと言い放ち、実際ぶくぶくと太っていたことに
腹を立て、絶縁することに決めた。以来50年、両親が亡くなっても、光一は葬式にも出
なかったという。
光一とその愛銃は、この50年間も水面下で活躍し続けた。彼は組織にとって、最も信
頼できるメンバーなのだから当然といえば当然である。住居もアパートではなく、組織の
施設内に、まるで高級マンションのような一画が造られ、そこをあてがわれた。しかし仕
事に疲れた裏官僚や黒服が、気軽にちょくちょく訪れるため、以前のアパートを懐かしん
だという。その古いアパートは、今までも何者かがちょくちょく利用していたとの噂も
あったが、それが何者だったのかは不明である。
光一は阿川恵理華と結婚し、子供をもうけ、孫娘も産まれた。恵理華や子供たちは、光
一の行ってきた事を組織内のマンションで聞かされ、最初は驚いたのだが、所謂普通の人
間とは思えない光一の人となりを知っているため、すぐに気にならなくなっていたし、組
織の存在に怯えることもなかった。-恵理華や保奈美が人質されるかもしれない!-と独
りで怯えていた光一にとっては肩透かしもいいところである。そんな光一も今では72
歳。既に両親はもちろん、裏官僚や黒服もこの世を去っていた。光一本人も、自らが余命
いくばくもないことは充分に自覚していた。今では組織内のマンションではなく、大型病
院の個室、ビップルームにお世話になっていた。組織内の若者から見れば、光一は”伝説
のメンバー”である、光一自身はビップルームを辞退したがったが、組織の人間は全員一
致で光一の待遇を決めてしまったようである。
そんな光一の波乱に満ちた人生。光一は孫娘が顔を見に来てくれるたびに昔話として
語っているようだが、メンバーになってからのまだ2、3年分しか話し終わっていないよ
うだ。この先50年以上の話を、孫娘であるエリが聞いてくれるかどうか、甚だ疑問であ
る。
季節は、暦上は春。桜も咲いて、そろそろ散り始めようかというのに、まだまだ肌寒い
日が続いていた。それは今日も例外ではなった。
「今日も寒いのぉ……!」
一瞬にして光一はベッドの下の愛銃を抜き去ると、窓の外に向けて発砲した。すると今ま
で姿が見えなかった小型敵機(昼型?)が見えるようになった。ここまでよじ登ってきた
ことも意外だったが、”進化”により光学的に姿を消す能力を得たのであろうか。撃たれ
た敵機は、小麦粉のような粉状になり、地上へと落ちてゆく。
「昼型だったか。相変わらず進化が続いているようだな。しかし今度の奴は一瞬で屠って
やったからな。もう出現しないかもしれんな。いや、しないでほしい。それが進化ネット
ワークの怖ろしいところでもあるのだが……」
これが組織が光一をこの病院に入れたもう一つの理由であった。自衛軍が常に警護してい
るとはいえ、今のような新型敵機の出現に、満足に対応できるような人材はいない。彼に
も病院警護に一役買ってもらおうというわけだ。
「ちゃっかりしているな」
光一は自分の銃をすぐにはベッドに下に隠さず、自分の膝の上に置いた。この病院の院長
や担当医、そして担当看護士には光一の正体をそれとなく知らせている。光一自身は否定
しているが、50年前のヒーローである。彼らは二つ返事で光一の秘密を厳守する約束を
してくれたという。
「おまえとも長い付き合いになってしまったなぁ。結局おまえの名前はわからずじまい
だ。まぁ、そんなものはただの”記号”でしかないからな」
敵機は進化し続けている。対する人類は現状に順応するのがやっとだ。
「氷河期の哺乳類と爬虫類、いや恐竜か。…こんどはどちらが生き残るのかのう。」
光一の膝の上にある銃。”砂漠を翔る鷲”という大層な名前を持つ銃、”デザート・イー
グル”である。考えてみればこの銃も=自らの意思ではないが=進化させられ続けてき
た。今では弾倉あたりの弾数も6発から19発になっている。
「おまえも進化してきた。わしが死んで、別の者の手に渡ったとしても、おまえは進化し
続けるのだろうな。」
窓の外の遥か遠くで、数羽のカラスが多数の鳩を追い回している。餌を失ったカラス
は、非常に凶暴な鳥に進化してしまったのだ。数に勝る鳩の群れは、やがて逃げるのをや
め、カラスに立ち向かってゆく。しかし次々と凶暴なカラスの餌食となってゆく。
「……平和だなぁ…」
窓の外の景色を見ながら、光一は呟いていた。
(やはりまだ寒い。エリには申し訳ないが、看護士が来たら窓を閉めてもらおう)
光一はもう一度、愛用の大型銃を撫でると、ベッドの下にあるホルスターに隠した。
「ついでに睡眠薬も頼むかな。今日はいい天気。ゆっくり眠れるかもしれんなぁ。」
そう言い終わると、睡眠薬を飲んでいないにも関わらず、光一はゆっくりと目を閉じ、深
い眠りについた。
季節はもう春。だが暖かくなるのはもっと先のことだ。
おわり
主人公光一はこの後どうなったのでしょうか?読んだ方の想像にお任せいたします。