第22話 掃除
遅くなりました。
病室から出た二人は、そのまま石川邸に立ち寄ることになった。予定ではお見舞いを終えたらそのまま智菊を帰宅させる予定だった中田さんは、予想外の事態に恐縮しきりだ。
「智菊ちゃん、付き合わせてごめんね。本当に無理に付き合わなくても平気だからね」
「いえ。特に用事もないですから気にしないで下さい。それより、石川さんの具合が良さそうで安心しました」
全然気にしていない様子の智菊を見て安堵したのか、笑顔で中田さんも同意した。
「そうよね! 私も気になってたけど、彼女の顔色見て安心したわよ。あとで近所の人にも連絡してみるつもりよ。ご近所にも世話好きはたくさんいるからお見舞いに何人かは行くだろうしね」
「そうですね。何人か見知った方の顔を見るだけでも安心するでしょうしね」
そんな会話をして石川さんの家に辿り着いた。腕時計で時刻を確認すれば3時半近い。
智菊は車のドアを開ける手が躊躇する。車という箱のお陰で現状では不快感に襲われることはない。だが一歩ドアを開けてしまえば嫌な空気が自身を覆うことを察して智菊の動作はのろい。
会話に集中しようと努力したが、相変わらず空気が重たくてあまりこの土地に近寄りたくはない。深呼吸してゆっくりと車のドアを開けた。
案の定、ドアを開けて外に出た途端に智菊はその不快な空気に纏わりつかれる。外に身体全部を出した状態でどうにか心を落ち着けて中田さんの後ろから玄関に足を向けたときだった。
智菊たちに聞きやすい落ち着いた男性の声がかかる。
「失礼ですが、石川さんの親戚の方たちですか?」
振り返るといつの間にか若い二人の男性がすぐ側に立っていた。
一人は20代後半のやけに色気のある人で、もう一人は智菊より少し年上になるかどうかといった青年だ。どこか陰のある青年は存在感が薄いがよくよく顔を見ればかなり整った顔立ちだ。二人の身長の差はそれほどなく、目元がよく似ているからもしかしたら兄弟なのかもしれない。
智菊はこの二人に似た人を知ってるような気がした。しかし今はそれどころではないとすぐに思い直して、突然現れた見知らぬ二人の様子を窺う。その二人にはなぜか一般人だとは思えない胡散臭さがあった。
警戒する智菊をよそに、中田さんは二人を見て嬉しそうな表情を浮かべている。モテそうな若い男性を見て喜んでいるのがよく分かった。
「失礼ですが、今日はこちらの家にどういったご用ですか?」
「ご近所なんです。今日はここの奥さんが入院したのでその準備で寄ることになったんだけど……。ちゃんと鍵も預かってるのよ」
手に持った鍵を彼らに見せて少し上ずった声で中田さんが答えた。
独特の雰囲気のある男性二人を近くで見れて、中田さんはあからさまにウキウキしている。
そんな中田さんを無視して智菊は逆に質問を返す。
「……あなた方こそ誰なんですか? 親戚かどうか聞いたんだから他人ですよね?」
「ええ、違います」
答える気がないのか、それ以上の回答がないのが智菊の不信感を煽る。
突然現れた二人の若い男性は一体誰なのだろう?
智菊の敵意を感じ取ったのか愛想良く男性が答えをくれる。
「実は我々は調査会社の者です。内密にこちらのご子息の件で少々調査したいことがありまして……」
「あらまあ。じゃあ息子さんが亡くなった場所を調べに?」
「ええ、そうです。警察で事故だと断定されていますが保険金のこともありますので念のために事故現場を確認する予定で来たんです」
「そういう事情なら私たちが着替えを準備している間に庭を調べたらどうかしら?」
「それは助かります。奥さんはいらっしゃると聞いていたもので留守にされていて、どうしようかと困っていたもので……。そう言っていただけて非常にありがたいです」
「お仕事だものね。大変ね」
中田さんは調査会社の人間だという怪しい人たちを簡単に信じた。
智菊はどうしようか迷ったが、胡散臭いことは確かだが庭を調べるくらい大した問題にはならないだろうと傍観を決め込んだ。中田さんが庭に案内するのを待ってから二人で一緒に家の中に入る。着替えの準備は同性といえどあまり何人も他人が見るのはと気が引けた智菊は、簡単に家の中を掃除をすることを告げる。
「中田さん。私、ここの掃除をしちゃいますね。さすがにこのままにしておくと虫とか出そうだし……」
「悪いわね。お願いしちゃって良いの?」
「はい」
「じゃあ私は用意しちゃうわね」
智菊は掃除を台所から始めることにした。庭にいるはずの二人組は正直気になるが、今は掃除に専念しようと集中することにした。掃除用具を探して家主に申し訳ない気持ちになったが、あまり気にしないようにした。それからはあっという間に集中した。
あらかた片付けに区切りがついて肩を回してリラックスする。
「……あれ? もう1時間近くなるんだ」
ふと台所の壁にある時計に目をやった智菊は中田さんが二階にいるままなのが気になった。区切りもついたところで階段をゆっくりと上って行く。
「中田さん?」
おそろく奥さんの寝室だと思われる部屋で中田さんは汗をたらしてベッドのシーツ交換をしていた。よくよく見れば廊下には大きなゴミ袋が封を閉めた状態で置かれていた。智菊が掃除していたように中田さんも掃除をしていたようだ。
それとは別に大きなバッグもあってそこに荷物を詰め込んだようだ。
「智菊ちゃん」
「持ち物は揃いました?」
「ええ。もう終わったわ。智菊ちゃんは?」
「大まかには終わりました」
「ありがとうね」
「中田さんもお疲れ様です」
「石川さんが戻って来たら残りは自分でやるでしょう。……そういえば、さっきの二人はどうしたかしら?」
「もう帰ってるかもしれませんね」
「そうだと残念だわ。あんなに素敵な男性を見るなんてめったにないチャンスだもの」
ふふっと笑う中田さんはかなり嬉しそうだ。その様子に智菊は何とも言えない顔になりながらも黙っていた。
「とにかく一度庭の様子を見てみましょうか」
「そうね」
ゴミや荷物を手にして二人で一緒に一階に下りる。台所に行って他のゴミと一緒にまとめて置いてサンダルが複数あったのでそれを履く。中田さんはそのまま病院に持っていく荷物を外に出すということでそこでまた別行動になった智菊は裏口を開けて外に出た。智菊が周囲に目をやれば、そこの庭の空気は昨日とは打って変わって清浄な状態になっていた。信じられない智菊は周囲をきょろきょろと見回すが嫌な空気はやはりない。
「……」
庭には二人組の男性はいなかった。しかしこの空気の清浄さは誰かが何かをしなければありえないと分かる智菊は出て来た裏口を戻った。施錠して玄関に向かうと中田さんがちょうど玄関に姿を見せた。
「どうだった?」
「もう用事はすんだみたいです」
「あら残念ね。智菊ちゃんはどうする? 送って行きましょうか?」
「いえ。少し寄り道して帰ります。石川さんによろしくお伝え下さい」
「ええ。今回は本当にいろいろとありがとう。助かったわ」
「じゃあまた職場でお会いしましょう」
「気を付けてね」
中田さんに別れを告げて向かう先はあの荒んだ神社だ。どう考えても庭を正常にしたのは彼らに違いない。神社に続く道も前よりも遥かにマシになっている。ここまできてようやく智菊は彼らが祖母の言っていた専門家なのだと気付いた。多少の不安はあるが、祖母以外の本物の専門家を見る機会など初めてな智菊は好奇心に負けた。どんな風に穢れた土地を治すのか気になった。
神社に近付くにつれて空気は重くなってくる。だが好奇心で感情が高ぶっている智菊は慎重さを忘れてゆっくりと神社の前まで来た。
朗々とした声が神社の中より聞こえてくる。祝詞と思える言葉を紡いでいるのは、あの男性二人組の内の調査員だと名乗った人物だ。さっきまでの服装とは違い装束を身に纏った姿は神社の神主のようにも見える。智菊はあの二人が急に現れたのを不審に思っていた。だがこうして自分にはできないことをやって神社を清浄にすることができるのは、常人ではないと分かっている。
近くまで来て祝詞を聞くに至って高揚していた気分が落ち着いてきた。冷静になってみれば智菊がここにいるのは良くないのではないだろうか。変にモノを視る力がある分だけモノも智菊の周りに来やすいということだ。まだ彼らの仕事は途中のようだし、そこへ中途半端な智菊が行っても邪魔にしかならない。
「お祖母ちゃんの知り合いの人たち……プロが来てるんだし、近寄るなって注意も受けてる。……今更だけど帰ろう」
好奇心を抱いていた気持ちが急速に冷めて危機感を抱いた智菊が踵を返そうとしたときだった。
ゾワッ
一瞬にして空気が淀んだ空気が周辺を覆った。智菊は自分の身に危険が迫っているのを本能的に察して身体を思い切り横に飛んだ。それまで智菊がいた場所に黒いモノが突如現れた。
「……っ!」
背中を見せてはいけない!
本能的にそう感じた智菊はじりじりと黒いモノを見つめたまま後ろに足を進める。祝詞は変わらない調子で続いている。少しずつ神社の気配が良くなりつつあるが、まだまだ先は長いようだ。こうして智菊の前に黒いモノがはっきりと現れている以上は危険な状態だ。
目の前のモノから目を離さずに鞄の中から水を取り出す。
「どうしようか。とにかく逃げるためにはまずアレを何とかしないといけないよね」
冷や汗が浮かぶのを感じつつも智菊は足の動きを止めないように動いていた。準備した水を手にして考えるのは祖母の言葉だ。
「アレは気持ちが沈んでいると来やすい。だから対峙するような事態があれば気持ちをしっかり持ちなさい」
怖がってたら駄目だ。前に病室で視たモノよりも小さな黒いモノにどうこうされてたまるもんか!
智菊が気持ちを落ち着かせて病院のときのように霧散させようと身構えたときだった。
間近に迫っていた黒いモノが一瞬にして消えてしまった。
「な、なにが?」
キョロキョロと周囲を見回す。祝詞はいまだに続いた状態なのになぜ消えたのかと智菊は混乱した。
するとその智菊に声がかけられた。
「大丈夫か?」
「うわっ! びっくりした。……あ、あなた……調査会社の人」
いつの間にか智菊の側には、背の高い青年が立っていた。




