74.報復
「止まれ!!」
俺の大声が、怒号の渦巻く王城前に鋭く響き渡る。
その場にいた民衆も兵士も、弾かれたように一斉に動きを止め、すべての視線が俺へと集まった。
「……それ以上、やるな」
低く、地を這うような声音で告げる。
声を荒らげた叫びでも、威圧するための怒鳴り声でもなかった。
「で、でも勇者様!」
我に返った民衆の一人が、悔しさに顔を歪めて叫ぶ。
「こいつらは……このクソ王家と貴族どもは、俺たちを見捨てて自分たちだけ助かろうとしたんだぞ!許せるわけねぇだろ!」
「分かってる」
その言葉を遮りつつ、俺は地面に這いつくばるカノン王や貴族たちを見下ろした。
泥にまみれ、美しい礼服をボロボロに引き裂かれ、恐怖でガタガタと無様に震え上がっている。
「……ムカつくよな。ふざけんなって思う。俺だってそう思ってるよ」
自分でも驚くくらい、静かな声だった。
「……でも」
一歩、暴徒と化した民衆の前へと踏み出した。
「だからって、そいつらをなぶり殺しにしていい理由にはならない。ここで貴方たちがやっていることは、民を平気で切り捨てたこいつらと同じだ」
その言葉が、鉄の塊のように重く広がる。誰かがハッと息を呑む。
「貴方たちが本当に守りたかったものは何だよ。こんな血みどろの復讐劇か?違うだろ。国だろ。家族だろ。みんなで帰るための、まともな場所だろ。それを自分たちの手で狂気へ変えて、この街を壊してどうするんだよ」
深い沈黙が、王城前を支配した。民衆の瞳に宿っていた盲目的な怒りが、困惑と我に返った気まずさで揺れ始める。
「当然、罰は必要だ」
俺は冷たい視線をカノン王へと向けた。
「自分が犯した罪の責任をきっちり取るべきだ。今ここで殺して楽に終わらせることじゃない。自分たちがしてきたことの重さをわからせるんだ。……だから、ここで終わりにしよう」
その一言で、張り詰めていた空気が完全に消える。
数秒間、風の音以外は誰も動かない。やがて……
「……ちっ」
群衆の誰かが忌々しげに舌打ちをし、握りしめていた無骨な拳を渋々と下ろした。
それが合図となったように、また一人、また一人と民衆の手から武器が落とされ、拳が下がっていく。
「……勇者様がそこまで言うなら」
「そうだな。こんな無能どもを殺したって、死んだ家族が戻ってくるわけじゃねぇしな」
「むしろ、すべてを奪われて這いつくばる生き地獄を、じっくり味わってもらおうじゃねぇか」
口々に呟きながら、民衆は一歩ずつ後退していく。
完全に納得したわけではないし、長年の恨みが消えたわけでもない。それでも、最悪の暴走と虐殺は、俺の言葉によって瀬戸際で食い止められた。
「……はぁ」
胸の中に溜まっていた息を一気に吐き出す。
途端に全身の緊張が解け、膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪えた。
ふと振り返ると、少し離れた位置からヤマトがこちらをじっと見つめていた。
何も言わないけれど、その目は少しだけ、俺の成した綺麗事を認めているように見えた。
ハヤミは不満そうに腕を組み、ぽつりと呟く。
「……相変わらず甘いよ、ユラは」
けれど、その表情はどこか救われたような、複雑な色を帯びていた。
サクラコさんは、いつも通りおっとりと、だけどどこか誇らしげに静かに微笑んでいる。
「……優しくて真っ直ぐな、あなたらしい選択です」
「甘いかもしれないけど……でも、これでいいんだ」
小さく、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。
王城前には、まだ民衆の不穏なざわめきが残っていた。けれど、さっきまでの狂ったような暴動の熱は完全に収まっている。
その中央で、地面に引きずり出されたカノン王と貴族たちは、ただ縮こまるしかなかった。もはや彼らを敬う者も、助けようとする憲兵も一人として存在しない。
彼らの前へ、ヤマトがゆっくりと歩み出た。
静かに、無駄のない洗練された動作。それだけで、周囲の空気が一瞬にして王族の威厳に染まる。
「……カノン王国の王族として、ここにいる全員に告げる」
低く、ひび割れた石畳によく通る声だった。
場が一瞬で、水を打ったように静まり返る。
「今回の十万の魔物襲来における一連の対応は、完全なる失政だ」
逃げ場のない、冷徹な断言。カノン王が絶望に身を震わせる。
「民を守れなかった。指揮官としての判断を誤った。王家としての責任から醜く逃げた。……何か弁明はあるか、現カノン国王」
氷の刃のような問いかけに、カノン王はガチガチと歯を鳴らして口を開いた。けれど、そこからまともな言葉は紡がれず、ただ情けない嗚咽だけが漏れる。
ヤマトにとっては、それだけで十分だった。彼は冷めた視線を、集まった民衆へと向ける。
「王族として、この無能どもに処分を下す。現国王はただちに退位。今回の失政に関与した貴族は、全員の権限を剥奪し、資産はすべて没収。今後は一平民として離宮で厳重な監視下に置く」
短く明確に告げた。
「この処分に異論は」
返ってきたのは、圧倒的な沈黙。
それは、誰も逆らうことのできない完全な支配だった。
「……あ、あ、う……っ」
現カノン王が、完全に崩れ落ちる。骨抜きになったように石畳へと両膝をつき、その頭から金色の王冠が地面へと虚しく転がった。
その瞬間、静寂を破って、民衆の中から一際大きな声が上がった。
「ヤマト様が次の王になれーーっ!!」
一人の叫びが、導火線となってすぐに大連鎖を起こす。
「そうだ!ヤマト様しかいない!」
「このボロボロの国を任せられるのは、あんただけだ!」
「最低な王家の中で、あんただけが俺たちのために声を上げてくれた唯一の良心だよ!」
「ヤマト様!次の国王にっ!」
怒号から一転し、地鳴りのような歓声に近い熱が広がっていく。
期待、信頼、そして新しい時代への救いを求める必死な声。そのすべての重圧が、ヤマト一人へと向けられていた。
「……」
ヤマトは黙ってその歓声を浴びていた。
「……王座なんてものには、一ミリも興味ねぇ」
ぽつりと、誰にも聞こえない音量で吐き捨てた。
けれど、民衆に対して完全にその要請を否定し、突き放すこともしなかった。
*
暴動の事後処理を他の仲間に任せ、城内の長い廊下へと入る。外のすさまじい喧騒が嘘みたいに、ひっそりと静まり返っていた。
「……ヤマト」
前を歩く背中に、後ろから声をかける。
ヤマトのブーツが止まり、ゆっくりと振り返った。
「……なんだ、ユラ」
いつも通りの、ぶっきらぼうで静かな返事。
でも、俺を見つめる青い瞳は、すぐに逸らされることはなかった。俺は少しだけ、ヤマトとの距離を詰める。
「さっきの広場の……」
改まって言うのは、なぜか少し照れくさい。
「……すごく、カッコよかった。ちゃんと、みんなを引っ張る本物の王様みたいだったなって」
ヤマトの整った表情が、ほんのわずかに不自然に強張った。
「……オレは自分のやりたいようにやっただけだ」
短く返ってきた声はいつも以上に低い。どこか余裕がなさそうな、押し殺した響きが混ざっている。
「それでも、俺はお前に憧れちまう」
もう一歩、ヤマトへと近づく。
その瞬間、胸の奥の感情が大きく揺れ動いたせいで、性別が勝手に女の子の姿へと切り替わってしまった。日本に帰ってから、感情の変化で変わるようになってしまったようだ。
慌てながらも、俺は言葉を続けた。
「頼りになるし、やっぱり兄みたいだなって」
「…………っ」
至近距離で笑顔の俺に、ヤマトの大きな手が、ピクリと不自然に動いた。
「……近い」
低く、どこか警告するような声音。
「え?」
「近いって言ってんだ、お前」
喉の奥で押し殺したような、獰猛な響きすらある声だった。
俺は意味が分からず、小首を傾げる。
「そうかな?別にいつもと同じくらいなんだが……」
「……オレにとっては、同じじゃない」
ヤマトの青い視線が、射抜くように俺の顔から外れない。なのに、どこか必死に何かを耐えているみたいだった。
「……でもさ、ヤマトが隣にいてくれると」
真っ直ぐな言葉は止まらなかった。
「すごく、安心するんだ」
ハヤミやサクラコさんとのことで悩んで、ぐちゃぐちゃだった心が、ヤマトの存在で救われているのは確かだった。
俺が真っ直ぐに伝えると、ヤマトの目が、すっと獣のように細くなった。
「ほんと、お前って奴は……そうやって無自覚に煽るような事ばかり……」
ヤマトが苦しげに言葉を漏らす。
「……もう帰れ、ユラ」
「え?でも……」
「いいから帰れ」
ヤマトはそれだけを冷酷に言い捨てると、強引に俺との距離を切った。
地を這うような低い声、明らかに荒くなっている呼吸。
「……なんなんだよ、一体」
一人残された廊下で、俺はぽつりと不満を呟いた。
せっかくお礼を言ったのに、あんな風に突き放されるなんて。ヤマトの態度に、俺の胸の奥がまたもやモヤモヤとざわつき始める。
ヤマトは一度も振り返ることなく、足早に王城の奥へと去っていってしまった。




