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「それ、恋じゃない?」と親友に言われてから、彼の何気ない優しさに振り回されています  作者: 入多麗夜


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19. 愚者の金

 黄鉄鉱――それは別名『愚者の金』と呼ばれている鉱石だ。


 見た目は黄金色に輝き、光を受ければ本物の金と見分けがつかないほど美しい。結晶は立方体や十二面体を成し、整然とした幾何学模様を見せることもある。採掘現場ではしばしば金と誤認され、歓喜した採掘者が後に失望することから、その名が付いた。


 だが、本質はまったく異なる。


 黄鉄鉱は硫化鉄の一種で、硬く脆い。金のような粘りも延性もなく、強い衝撃を受ければ割れる。金は叩けば延びるが、黄鉄鉱は砕ける。その違いは、見た目ではなく“性質”にある。


 比重も金よりは軽いが、工夫次第で外見や重量をある程度近づけることは可能だ。表面だけを金で覆えば、目視や簡易的な打診では見抜けない場合もある。


 つまりそれは、素人だけでなく、場合によっては専門家すら欺くことができる鉱石だった。


 国家の金庫に置かれていたそれは、まさにその“愚者の金”だったのである。


 問題は、それが偶然ではあり得ないという点にあった。


 採掘現場で誤認される黄鉄鉱と、国家の金庫に収められた金塊とでは話が違う。


 工程を知り、検査を理解し、重量や音まで計算した上で施された偽装だった。表面を金で覆い、比重を可能な限り近づけ、簡易検査では見抜けない構造に仕立てる。偶発的に紛れ込んだとは到底考えられない。


 誰かが、どこかの時点で、本物と入れ替えた。

 それも一つや二つではない。ロット単位での偽造だ。


「ど、どうしましょう!?これって大変じゃないですか」


 ローズの声は明らかに震えていた。


 その通りだった。


 アルディナ王国は、金の信頼性で成立している国だ。豊富な金保有量を裏付けに通貨を発行し、対外貿易の信用を保ち、国債の価値を維持している。各国がアルディナの通貨を受け入れるのも、その背後に金準備があると信じているからに他ならない。


 もしそれが偽物だったと知れ渡れば――。


 セシルが深く息を吐いた。


「はぁ……。私も最初は信じていなかったけど」


 割れた金塊を睨みつけたまま、肩をすくめる。


「アリスったら、やっぱり変な所で勘は当たるのよね。金が偽物だった場合の損失額とか、誤差とか、そんな小さい数字の話をしてる場合じゃなかったわ」


 立ち会い担当の職員は、顔を真っ青にしたまま部屋を飛び出していった。

 足音が廊下の奥へと遠ざかる。その慌ただしさは、この場所に似つかわしくないものだった。


 それもそのはず、世界で最も安全と謳われる金庫。その内部から、国家金の偽物が見つかったのだから当然だった。


 石造りの静かな部屋の中央で、割れた黄鉄鉱がその象徴のように横たわっていた。黄金色の表皮の内側に潜んでいた、くすんだ鉄の色。それは、長い時間をかけて築かれた信頼が、腐食していたことを示しているようだった。


 やがて、廊下の奥から複数の足音が近づいてくる。


 最初に入ってきたのは、白髪をきっちりと撫で付けた壮年の男だった。濃紺の外套には、の 紋章が控えめに刺繍されている。年齢は五十を越えているだろうが、背筋はまっすぐだった。


 アイソレイド金庫総監、エドガー・ヴァルミリオン。


 その名を知らぬ者は、この王都の財務界隈にはいない。元、財務省の官僚で、三大公家の政争に巻き込まれてしまったという。派閥の利害に沿わない報告書を上げ、特定の予算案に異を唱え、結果として政争の渦中に放り込まれた。失脚と噂されたこともある。


 そして最終的に彼が行き着いたのが、ここ――アイソレイド金庫だった。


 その選択が左遷だったのか、それとも保護だったのかは、今でも意見が分かれている。


 ただ一つ確かなのは、エドガー・ヴァルミリオンという名が、当時から既に“厄介だが有能な官僚”として広く知られていたということだ。

 そして年月を経た今もなお、その鋭さは衰えていない。


「おや、アリス様ですか。お久しぶりですな」


 ウェールズ家とエドガーの関係は深かった。


 財務省時代、アリスの父――ウェールズ家当主とエドガーは、幾度となく同じ会議の席に着いていた。派閥は違えど、信念は近しいものがあったらしい。

 また、彼女自身は深い縁があった訳ではないが、小さい頃の兄の師匠だという。兄の英才教育の一貫には、エドガーの存在があったとかなかったとか。

 そういう訳もあってか、ウェールズ家にとってエドガーは親戚同然でもあった。

 

 政治に巻き込まれたエドガーが完全に切り捨てられなかった背景には、ウェールズ家がクライゼン家に働きかけたのではないかとも噂されている。


「ジール様は元気ですかな?」


 アリスは小さく息を整える。


「ええ、お陰様で。今では兄は、雲の上の存在だわ」


 エドガーはわずかに口元を緩めた。


「……でしょうな」


 エドガーはわずかに口元を緩めた。改めて机上の破片へと視線を戻す。


 柔らかな物腰は消え、官僚としての顔に変わる。


「さて、これは、いつの搬入分ですかな」


 ローズが慌てて開く。


「き、昨日付けです。財務省経由で正規搬入されています」


 エドガーは無言で頷いた。


「……この部屋にいる者以外、まだ詳細は知らぬな?」


 立ち会い担当の職員が、顔面蒼白のまま首を横に振る。


「い、いえ……私が総監をお呼びしただけで……外部への連絡は、まだ」

「よろしい」


 エドガーは一歩、机に近づく。


 割れた断面を指先でなぞり、粉の質を確かめるように軽くこすった。


「見事な偽装ですな」


 感心とも皮肉とも取れる声だった。


「表層は金で覆われている。重量も規格値内。軽い打診では誤魔化せる設計。これはしてやられました」


 ローズが話す。


「内部犯の可能性はありますか?」

「否定はできませんね」


 即答だった。


「私の権限であれば、アイソレイド金庫内に保管されている金は、全ロット洗いざらい調査できます。封印も、検収記録も、保管履歴も、すべて開示させましょう。しかし――」


 エドガーの声がわずかに低くなる。


「財務省地下の搬入経路、保管前の通路、検収前の一時保管区画。そこは私の管轄外です」


 ローズが息を呑む。


「じゃあ……もし、すり替えが地下通路で行われていたら……」


「私は手を出せない、ということになりますな」


 金庫が最終地点である以上、ここで見つかれば責任は金庫にも及ぶ。だが、すり替えの場所が搬入前なら、問題は財務省内部にある。つまり――。


「管轄の問題、ってわけですね」


 セシルが皮肉っぽく言う。


「ええ。組織とはそういうものです」


 エドガーはあっさり認めた


「それと、出来れば、監査局への告発は、どうか遅らせていただきたい」


 空気が変わる。ローズが目を見開き、アリスの眉がわずかに動く。


「……それは隠すってことですか?」

「いえいえ。そういう訳ではないのです。情報統制ですよ」


「監査局が正式に動けば、調査は公的記録として残る。そして同時に関係部署への照会も。噂は半日で王都を回るでしょう」


 そして、割れた黄鉄鉱に視線を落とす。


「今それを行えば、“金庫に偽物があった”という事実だけが先に広まります。原因も確定していない段階で、です」


 アリスは黙って聞いていた。


「誰がやったのか。そして可能な限り、犯人を特定し、事件になる前に握りつぶす事が最善の策であると思われます」


 つまるところ、隠蔽だった。それが良いのか悪いのかは、立場によって答えが変わる。


 国家を守る者にとっては必要な判断かもしれない。だが、制度を信じている者にとっては裏切りにも等しい。


 アリスは沈黙を保ったまま、割れた黄鉄鉱の断面を見つめていた。


 真実を暴くことは簡単だ。報告書を上げ、監査局を動かし、全てを公にすればいい。だがその代償はあまりにも大きい。


 一方で、ここで握りつぶせば……


 だがそれは、腐食を見て見ぬふりをすることでもある。信頼とは、守るものか。それとも、試されるものか。

 

 エドガーは急かさなかった。判断を下すのは、あくまでアリスだと分かっているからだ。

黄鉄鉱は、小学生の頃にツタンカーメンに関する漫画の中で解説があり、そこで初めて知りました。

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