プロローグ【白百合の乙女団】
肩を怒らせて、足取りも荒く――とはいえ、幼少のみぎりに徹底して行われた淑女教育の賜物(弊害?)か、ワガママ娘がむくれているようにしか見えない(実際、室内にいた家族はもとより控えていた使用人や護衛まで、父性・母性あふれる生暖かい)微笑ましい眼差しのままで――家令を筆頭に護衛や侍女、女官、メイドをぞろぞろと引き連れて、別室へと下がったクリスを見送り、扉が閉まって十分な距離が空いたのを確認して、長男のバルダッシュが気持ちを切り替え、露骨に顔をしかめて父であるクラヴィス公王に異議を申し立てた。
「父上、先ほどはクリスの面目を保つためにああ言わざるを得ませんでしたが、どう考えても世間知らずどころか、深窓の姫君そのもののクリスに社会見学……ましてや百万ゴールドを稼ぐなど不可能です。なんとか思いとどまらせるべきではありませんか? 先ほどのような無様な泣き落としはなしで」
そんな兄の忠言に次男であるファウスティーノもそれに追随する。
「その通りです。『美味い儲け話がある』という詐欺師の甘言に乗せられて、ホイホイ手持ちの全財産を巻き上げられて、無理やり花を散らされた挙句に、奴隷か男娼として娼館で春をひさぐ未来しか見えません。ドロップアウトしてルエーガー家とは無関係になるとはいえ、可愛い妹……じゃなかった弟が、そのような境遇に堕ちるのを座視するなど耐えがたいことです」
『無理やり花を散らされる』とか『男娼』とか『娼館で春をひさぐ』というエキセントリックな単語に、ショックのあまり不整脈でも起こしたのか胸のあたりを押さえて、
「ク、クリスちゃんが……儂の至宝たるクリスちゃんが……どこの誰とも知らない男に……ぐはっ! ぐぐぐぐぐぐっ……!」
脂汗を流して呻吟していたクラヴィス公王であったが、ほどなく駆けつけてきた専属医師の処方した気付け薬と治癒術を使える宮廷魔術師によって、どうにか平静を取り戻したようであった。
「……う、うむ。お前たちの懸念ももっともだ。そこで儂は一計を案じた――」
そうしておもむろにその『一計』の概略を「クリスちゃんには内緒だぞ」と念を押してから、長男、次男のふたりに打ち明ける。
「性転換薬……っ!? え、それって騙し討ちってことでは?! というかそれ絶対に父上の趣味――目論見ですよね? いくら何でも悪辣過ぎるのではないですか、ドサクサ紛れに一服盛るなど」
その内容の非常識さにバルドもさすがに唖然として、父親に食って掛かった。
「掟にも救済措置があるからな。才能はあっても蒲柳の質など何らかの理由で、諸国を旅するなど不可能と当主が判断した場合には、後継者からは外れるものの一族の末席として暮らすことは可能だ」
それがどうしたとばかり開き直るクラヴィス公王。
「いや、そもそも女性になった場合、『男子相続』条件から外れるので、自動的に後継者候補からは外れるわけですから、明日にもクリスが乗り込んできて『解呪しろ!』『公正な条件でやり直せ!』と直談判すると思うのですが?」
眉をひそめたファビオの懸念に対しても、クラヴィス公王は余裕の表情で、手をひらひら振って一蹴する。
「そうなった場合には失格と言うことで、離宮にでも蟄居……という名目で淑女教育の続きを行うので、お前たちは気にせずに当初の目的通り百万ゴールド以上を目指して励むがいい。それにいくらクリスちゃんが戻せと言ったところで、儂にもできることとできないことがある」
「「――えっ……まさか!?!」」
途轍もなく嫌な予感を覚えて声を震わせるバルドとファビオ。
「お前たちが飲む変身薬はあくまで見た目を変えるもの。言うなれば粘度をこね回して形を変えるだけで、粘土そのものは変わらないので元の形に戻すことも可能だが、性転換薬は根本的な部分から全部入れ替えるも同様の不可逆的な変化となる。あと無論の事、愛らしいクリスちゃんの容姿に変化はない……ま、副次的な効果で髪が長くなったりするそうだが、全く問題なかろう」
普通に子供だって産めるようになるそうだぞ、と満面の笑顔で付け加えるクラヴィス公王。
((うわっ、この親父やりやがったよ!!!))
声にならない絶叫を放つ兄弟ふたりであった。
(正直、親父が目に入れても痛くないほど可愛がる末弟に、嫉妬めいた感情がなければウソになる……と思っていたんだが、ここまで変質的かつ猟奇的な愛情を注がれると思うと、俺が対象でなくて良かったと思うわ)
まったく末息子の尊厳や矜持などを無視した――子供は道具だと割り切って、人権だと考えない王侯貴族の思想とは真逆ながら、結果的に似たような事態になっている――事実に、いまさらながらその苦難と苦悩を慮って、深く哀悼の意を示すバルド。
(どこから見ても父上の息子である威厳を持ったバルド兄上や、誰からも愛される天性の美貌を持ったクリスに劣等感を感じて、密かに羨んだこともあったが、非凡な才能・容姿というのはそれはそれで途轍もないデメリットを孕むものなのだなぁ。クリス、強く生きろよ……)
思いがけずにファビオも心の奥底にあったわだかまりが消え、真心から弟の行く末を案じて祈りを捧げるのだった。
ドン引きしている息子たちの内心を知ってか知らずか、クラヴィス公王ははしゃぎながら『性転換薬』の説明を続けていた。
「なにしろクリスちゃんに渡した性転換薬は、かの有名な東方の大賢者タ=セネト師が、残りの人生をかけて十五年がかりで作り上げ、『畢生の出来栄えであり、自分でも解呪は不可能』と太鼓判を捺して黄泉へ旅立った代物だからね。少なくとも儂の知る限りこれをどうにかできる魔術師や錬金術師に心当たりはないな」
「なんで伝説の大賢者がそんなものに残りの余生を捧げたんですか!?」
「金……ではありませんよね? かの大賢者は気に入らない相手と仕事は絶対に、どれだけ金を積まれても、権力を笠に着て恫喝しても首を縦に振らないことで有名ですから」
クリス本人が知ったら発狂しそうな内容の事を嬉々として話す父親に、思わず疑問の声を差しはさむバルドとファビオ。
「ああ、むかしルエーガー家の掟の旅の途中で知り合ってな、酒場で話しかけてきてからお互いに意気投合して、以来友人づきあいをしていたんだ。身を隠すのと素材の収集に良さげな場所に隠れ家と、たまにお忍びで城下町で酒と飯を奢る代わりに、面倒臭い頼まれごとをしてもらったりだったな」
何でもないことのようにサラリと「ズッ友だった」と暴露したクラヴィス公王だが、これには息子たちふたりも肝を潰すのだった。
「ど、どこの王室や魔術師ギルドも三舎を避け、お抱えにしようと爵位や金銀財宝、美女などあらゆる手練手管を使っても、頑として孤高を保っていた大賢者タ=セネト師と、そんな居酒屋の飲み友達のような付き合いをしていたとは……!」
ようやく喘ぐかのように、ファビオが感想を絞り出した。
「いや、本人は酒好きのスケベ爺だったぞ。実際、性転換薬だって、クリスが産まれて寿ぎに来てくれた時に、『この子が男だなど間違っておる! 神の手違い以外のナニモノでもないっ。ならば儂が誤りを正さねばならん!! この命尽きようとも!!!』と頼む前から使命感に燃えて、以来十五年その研究にだけ没頭していたわけだしな」
まあ、儂も私財から出せるだけの資金は拠出したが、と軽く続けるクラヴィス公王であったが、彼が個人で動かせる資産だけでも年間ちょっとした国の国家予算並み――それを十五年間湯水のごとく使っていた――と知って、軽く眩暈を覚える息子ふたりであった。
((変人同士気が合ったのだろうな))
げんなりと顔を見合わせるバルドとファビオのふたり。
なお、タ=セネト師はこのふたりの誕生にも顔を見せて、
「長男か。おぬしそっくりじゃの~」
「面白みのない顔じゃの」
と、素っ気ない一言を残して瞬間移動の魔術で帰っていったそうである。
「まあ、父上が何を画策していたかは理解できましたが、それでも――いえ、それゆえになおさら危険なのではないですか? 世間知らずで大金を持って、なおかつあの美貌の令嬢となれば、いくら護衛の精霊がいるとは言え、絶好のカモだと思われるのは必至。例え最高級ホテルに泊まったとしても、ホテルマンや支配人が強盗や暴漢に早変わりする可能性もあります」
どんなに訓練され、高潔な人間であろうとも、一生遊んで暮らせる大金と、人間離れした絶世の美貌をしたか弱い乙女が目の前に転がっていて、誰もが自制心を保てる……と思えるほど楽観的になれないファビオの言葉に、バルドも大きく頷いて同意した。
すると打てば響く勢いでクラヴィス公王は侍従長に合図を送った。
「うむ、お前たちの危惧ももっともだ。そこでクリスちゃんには密かに護衛を手配してある」
特別扱いもここに極まれりであるが、すでに現時点で競争から脱落している(無理やり胴元が八百長をしかけたとも言う)クリスの身の安全を担保する保険と考えれば、兄ふたりに嫌も応もない。
と、ほどなく赤毛で部分鎧をまとった気の強そうな二十代前半と思える長身の女性が、侍従長に案内されてこの執務室へ入ってくると、即座に片膝を突いて平身低頭をするのだった。
美人ではあるが、抜身の刃のような雰囲気が先だって、そうそう声をかけるのがはばかれるような、そんな女性である。
目線で何者か問いかける息子たちへ、クラヴィス公王がニヤリと悪戯っぽい笑みを向ける。
「女性ばかり六人の冒険者パーティ《白百合の乙女団》の団長で、女性ながらII級冒険者である――」
ここで一呼吸置いた主人の意を受けて、侍従長が彼女に問いかけた。
「名は何と申す?」
「はっ! クローデット・レーネックと申しますっ」
一国の王の御前にあっても臆した風もなく、凛とした彼女の態度に軽く感心しながらバルドが視線を再び父親に向ける。
「この若さでII級とは大したものですね。それに女性ばかりの冒険者パーティとなると、なるほど好都合ですね」
「うむ。むさ苦しい騎士や護衛をつけたら、いつ木乃伊取りが木乃伊になるか知れたものではないからな。その点、女性ばかりのパーティなら安全だろう? 彼女たちには自然な形でクリスちゃんに接触して、仲間になるように指示しておる」
「なるほど。堅苦しい騎士などより要人の護衛依頼などで世慣れた冒険者のほうが、こういった仕事には向いているかも知れませんね。――こちらの方は大丈夫ですか?」
いくら女性、いくらII級などといっても、冒険者など所詮は破落戸という認識から、指で丸を作って、金で転ぶ危険はないかと暗に尋ねるバルドに対して、軽く頷くクラヴィス公王。
「うむ、彼女はマグヌム王国男爵家の直系であり、身元は確かだ。本人は女騎士を嘱望していたようだが、マグヌム王国には女性騎士の登用制度がないため、冒険者となって実績を積んでいた……ということで、事が無事に済めばクリスちゃんの専属騎士団としてパーティ全員を、我がクラヴィス公国直轄騎士として認める約束になっている」
「ほう、なるほど。クリスの護衛と彼女たちの悲願も叶う一石二鳥の策と言うわけですね」
そうであるなら裏切る危険も限りなく少ないと、合点がいった様子で何度も頷くバルド。
「…………」
ただひとりファビオだけは、《白百合の乙女団》という名前に言い知れぬ不安を覚えて、微動だにしないクローデットのつむじのあたりを凝視するのだった。
更新のモチベーションとなりますので、評価、レビュー、感想など、ぜひともよろしくお願いいたします!
☆☆☆☆☆→★★★★★
だと嬉しいですけど、そこは皆様のお志しだいということで、よろしくお願いいたします。