審判の火は汝を焼くか
街中はすでに、なだれこんできた諸侯の軍によって制圧されていた。地の利は騎士団にあるのだが、彼らの振る舞いに怒った住民たちが、積極的に諸侯を招き入れたのだ。これでは、ひとたまりもない。
かくして交渉のカードを全て失った騎士団長は、嫌々ながら王との交渉に臨むことになったのだった。
(何故こんなことになったのだ)
騎士団長がいくら考えても、あのおかしな二人組がどこから出てきたのかがわからない。あいつらのせいで、塔の中身を見られてしまった。それが原因で、住民たちの不満が爆発している。
図々しくも、自分の像まで引き倒して地べたに落とし、歓喜の声をあげているものまでいるという。なんとしてもこの場を切り抜けて、不信心者どもを悔い改めさせねばならない。団長は背筋を伸ばし、精一杯外見を取り繕った。
待ち合わせの場所に指定された市役所の最上階まで、歩を進める。すると、いきなり女の声が飛んできた。
「遅いですね。迅速にことを運びたいとお伝えしてあったはずですが」
目の前に座っている女こそが、忌々しいことに王なのだ。夫が早死にしたため即位したに過ぎない女が、冷たい目でこちらをにらんでいる。数年前までありえなかったことが、起きているのだ。団長は歯ぎしりをした。
「……安全にここまで来るのは、並大抵のことではございません」
「自分の悪行が原因では、仕方無いでしょう」
女王が切り返すと、部屋の中にいた諸侯たちがどっと笑い出した。全員地獄に落ちるがいい、と心の中で叫びながら、団長は口を開く。
「今回の件について、ひどく誤解をされておられるようですな。騎士団はあくまで、人心を乱す悪魔を正しく裁いたのみ。褒められこそすれ、責められるいわれはどこにもございません」
今までは、これ以上の説明など必要なかった。神の名を出せば、たちまち相手がひれ伏すのだから。しかし、今日の相手は平然としたものだ。女王が軽く顎をしゃくると、傍らに控えていた背の高い男が一歩進み出た。
「悪魔に罰を与えている、とおっしゃいましたが、まだ自白もしていない者に拷問を行っています。これでは、痛みから逃れようとして嘘の自白をするものも多いでしょう」
「はは、どこからそんな話を聞いてきたのかな。どこの文書をひっくり返しても、そんな記述はないはずだ」
余裕たっぷりに団長は答えた。自白前の拷問は全て、文書に残さぬよう徹底してある。今更探したところで、どうにかなるはずがない。
だが、のっぽの男はあろうことか、団長に向かって「つくづく、愚かだねえ」と吐き捨てた。団長は生まれてこのかた、こんな無礼なことを言われた経験が無い。頭に血が昇るのを感じた。
「無礼にもほどがあるぞ! 私の顔を知らぬか。まあ、育ちが悪そうだから仕方がないがな」
「……育ちが悪いってのは否定しませんけど、あんたのその豚によく似た面は毎日見てきましたよ」
「ふん、そんなはずはない。私にはそんな覚えはないぞ」
「そりゃ覚えはないでしょうよ。騎士団の宿舎に、あんたの肖像画がやたらかかってたってだけですからね」
それでは見たとは言えぬではないか、と言い返そうとして、団長ははっと言葉を飲み込んだ。
「宿舎、だと?」
「はい。私、騎士団所属の医者でして。あの塔の中で起きたことの、一切合切に関わっておりました。これでも結構真面目に働いていたんですがねえ」
団長は顎が外れるほど、自分の口が開くのを感じた。まさか、信仰によって固く結びついているはずの団から、裏切り者が出たとは。
「俺は、結構な数の尋問に立ちあってます。そこで起こったことは、思い出せる限り文書にして、陛下にお渡ししてあります」
「そんなものは無効だ! 貴様一人がしゃべりたてたところで、それが嘘かもしれぬではないか」
「あんたらだって、たった一人の自白で死刑宣告をしてただろ。何を偉そうに」
男が卓を叩いた。今までじっと話を聞いていた女王が、おもむろに口を開く。
「……その公式に残っておる自白とやらも、なかなか面白い。皆、判で押したように同じ内容の自白しかしていません。何らかの介入がなければ、とてもそうはならないでしょう。これは騎士団の記録にも残っていますから、知らないとは言わせませんよ」
団長は体を強ばらせた。握った拳に、汗がわいてくる。それでもなんとかごまかそうとした矢先、今度は白髪の紳士が手をあげた。団長は彼の顔に見覚えがある。
「証拠が欲しいとおっしゃるなら、私からも。団長、あなたもヴィアラテア市長を捕らえたことくらいは覚えておいででしょう。そして、自白する以前に拷問したことも」
「……元市長、何を。少しお話をしたまででございます」
「とぼけられても困りますよ。団長自ら拷問し、死刑のお話まで出たではないですか」
涼しい顔で嘘をつく元市長を見て、団長の中で何かが切れた。団長は立ち上がり、彼の手元を指さしながら怒鳴る。
「よくもぬけぬけとそんな嘘を! 私は関与しておらぬし、そもそも木ねじの拷問を受けて、指がまともに動くはずがない!」
室内がざわついた。女王と背の高い男も、なにやら会話を始める。乗り切ったのかと思っていたが、それにしては空気が冷ややかだ。
冷や汗をかく団長に、市長が告げる。
「団長、『木ねじの拷問』とは何のことですかね。あなた自らしてくださった、というのは誤りだと今し方気づきましたが、その後の一言は腑に落ちませんな」
団長は完全に墓穴を掘ったことを、ようやく悟った。全身が小刻みに震え、足の感覚がなくなってくる。さらに元市長はとどめとばかりに巻紙を出してきた。
「団長。あなたの罪は、拷問と自白の強要だけではない。犠牲者が何も言えぬのをいいことに、一切の資産をむしりとって騎士団を肥やした」
広げられた巻紙には、処刑者から取り立てるための覚え書きがしっかり残っていた。証拠を奪われるとは、なんというヘマをやらかしたのだ。あれだけは絶対に外部に漏らしてはならぬと言い渡したのに。まさかそれも、裏切り者の仕業か。
団長が焦る間に、女王は指で巻紙をつまみ上げる。
「私も拝見しました。なんとも徹底したものですね。身ぐるみはぐとはこういうものだ、という見本のようなものです。さぞかしため込んでおいででしょう。今頃あなたをはじめ、騎士団幹部の自宅には財務からの使者が調査に入っています。公式収入と釣り合わぬ資産は、没収となりました」
女王の言葉をうけて、顔の半分が髭に覆われた老人が大きくうなずいた。
(……終わりだ。今回は、こちらの分が悪すぎる)
団長は腹をくくった。相手の言う条件を、出来るだけ受け入れる他なさそうだ。今は騎士団が存続することが、何よりも大事である。
「今後、このようなことがないように、騎士団に対しては法を設けて活動を制限します」
女王がそう言って、横をちらりと見た。目線の先にいた市長がうなずく。
「主な要項だけかいつまんでここで説明いたしましょう。
一、今後悪魔に関する裁判を行う際は、必ず市議員を同行させること。
二、裁判は必ず国法のみにのっとって行うこと」
市長はここで言葉を切った。
(なんだ、その程度か)
団長は密かに胸をなで下ろす。議会にはすでに、内通者が多数いる。市議員なら買収に応じるだろうし、法も時間をかけて整備していけばよい。それまでは国外追放という扱いにして、女王の目の届かぬ範囲で処刑すれば済む。
大規模な処刑は無理だろうが、これなら確実に執行できる。神の信徒は、ゆっくり進むことには慣れているのだ。
しかし、団長が安心したのを見透かしたかのように、女王が口を開いた。
「……どうしました、バルトロ。その先を読まないのですか」
「失礼いたしました、陛下。いや、歳をとると目が見えにくくなって困りますな。
三、新たな法を可決したり、制定を促すよう働きかけないこと。
四、被告を勝手に国外へ連れ出さないこと。
五、今後悪魔裁判において、証拠がない場合の肉体的処罰を一切禁じること」
元市長はしたり顔で、長文をすらすら読み上げる。諸侯も同意した。全て決まっていた流れらしい。わざと安心させてから突き落とすとは、なんと意地の悪い連中か。そうは思ったが、団長は黙って屈辱に耐えるしかなかった。
「では、本日午後より正式に発令するということで。一旦、集まりはここまでとしましょう」
女王が宣言し、団長はやっと苦行から解放された。大きく息をついて立ち上がろうとすると、いきなり肩を押さえつけられる。団長の体が、下に沈んだ。
「な、何をする」
わめいても、団長の肩を両側から屈強な兵士たちがしっかり押さえ込んでいる。立ち上がるどころか、振り向くことさえ困難だった。
「いや、そのまま帰られちゃ困るんだわ」
「むしろ何故、このまま放免されると思ったんでしょう」
元市長と元従騎士団医が、そろって肩をすくめている。そして奥にいる女王が、口元にうすら笑いを浮かべながら言い放った。
「団長。これから、あなた自身の裁判が行われるのですよ。ありとあらゆる者を裁いてきたあなたには、どんな判決が下るのでしょうね」
女王の表情からは、なんの希望も感じ取れない。今度こそ団長は、意識を手放し現実から逃げ出した。
☆☆☆
「……確かに、なかなか面白い」
このやりとりを、秋葉たちは天井からじっと見ていた。天目が満足そうに顎をなでる。
「ね、来て良かったでしょ」
秋葉は笑いながら、人間たちの前に姿を現した。事情を知らない諸侯が文字通り飛び上がったが、王がとりなして事なきを得る。
「見ておられましたか」
「面白かったぞ」
「それはどうも」
偉そうな天目にも動じず、王はひとしきり笑った。それから、急に真面目な顔になって言う。
「……お帰りになるのですね?」
「ああ、元いた世界にな。寂しいか?」
「いえ、後は我らが。天から見守って下されば、それで十分にございます。これまで無節操に甘え続けた結果が、騎士団の暴走を招いたのですから」
秋葉と天目は、回答に満足した。王は、それくらい頼もしくあって欲しい。
「そうだな。ここは人の世だ。しかし限度を超えたなら、神もまた力を貸そう」
王と神々は、歩み寄る。天目が差し出した手を、王が握った。秋葉がほほえましい思いで見守っていると、後ろから肩を叩かれた。
「よう」
「本当に、この度はありがとうございました」
ラウルと、バルトロがそろって立っていた。秋葉は軽く手を上げて答える。
「いや、こちらも楽しかったです」
「言ってくれるわ。こっちは自分以外全員お偉いさんで、死にそうだってのに」
「大丈夫ですよ。あの世もラウルさんみたいなのは入り口で追い返してくれますから」
「おい」
「神の使いに破廉恥な格好をさせた罰です」
「お前、意外と執念深いな」
「ふん。……まあ、せいぜいこの世でゆっくりしてから来てくださいよ」
ラウルに向かって、秋葉は捨て台詞を吐く。バルトロが笑いながら、秋葉に向かって礼をした。
「娘共々尽力いたしましょう」
「マリスさんにもよろしくお伝え下さい。全ての始まりは、彼女ですから」
秋葉たちが別れを楽しんでいるところへ、歩兵が駆け込んできた。
「ご報告申し上げますっ」
「一体なんの騒ぎですか。御使いが帰られるというのに」
王が言うと、兵士は困惑した顔で頭をかいた。
「実はそのことで……市民たちが、御使いのお姿を一度見たいと、広場につめかけておりまして」
「まあ」
「その数、増える一方で……隊長も困り果てております」
兵士は天目を見たが、彼は首を横に振る。
「いや、面会してる時間はない。大神の作った出入り口なんぞ、いつまでもつか分からん」
ひどい言いぐさだが、否定もできない。秋葉は窓から、広場を見下ろした。確かに、結構な場所があったはずなのに、全て人で埋まっている。個人的に対応するのは、とても無理だ。
「しかし、なにもなければ市民も納得しないでしょう。……私が何か申すことにしましょうか」
王はそう言ってくれたが、なんとなくそれではしこりが残る気がした。考えた末、秋葉は案を思いついた。
しばらく後、市庁舎から突然光があふれ出す。その中から、夜叉たちが鳥のように、後から後から出てきた。できるだけ目立つ消え方をして、民衆を納得させよう。秋葉はそう提案したのだ。
「御使いだ!」
どっと広場から声が上がる。夜叉たちに混ざっている秋葉たちは、必死にうすら笑いを浮かべた。天目など、いつもやったことのない顔をしているので、よく見ると頬のあたりがわずかに痙攣している。しかし苦労の甲斐あって、民はそれなりに満足しているようだ。
「もう崩していいか」
「我慢して!」
嫌がる天目を何度かしかりつけながら、無事に秋葉は光の輪の中へ吸い込まれていった。
☆☆☆
異世界から帰ってきて数日。秋葉たちは力がたまっていくのを感じつつ、元通り仕事をしていた。
「なんというか、見慣れた世界だな」
天目があくびをする。全く異なる世の中の刺激と比べると、やや退屈に感じているのだろう。気を取り直して欲しいが、どうしたものかと秋葉は困っていた。
そんなある日、また大神がやってきた。なぜかこそこそと辺りをうかがいながら、社の中に強引に入り込む。
「何だ。とうとうやらかしたのか」
「いや、悪いことはなにもしてないけどさあ。遊びたくなっちゃって」
勉強に疲れた子供のような口ぶりで、大神がぼやく。
「そんなに忙しいんですか?」
「変な時空のゆがみがいっぱい見つかっちゃったでしょ。天照と月読が直せ直せって、うるさいのなんの。どうしてあんなに必死なのかな」
「……そりゃ、何かあったときに動くのはあの方々ですから」
秋葉に切り捨てられて、大神は頭を抱えた。そしてスネた。
「ふーんだ。あたしだって、いざとなったら誰の力も借りずに歪みを直すもん」
「それは本当ですね?」
「当たり前じゃん」
「それは良うございました」
「……ん?」
会話しているのが、秋葉たちではないとようやく気づいたのだろう。大神がぎこちなく振り返る。そこには、憤怒の表情で腕組みをする、天照と月読がいた。
「うげっ」
「……ご自身で何もかもできると。姉さん、良かったですね。僕らの力は必要なさそうですよ」
「帰って引きこもろう」
「ということで、僕たちは家で下界の『げえむ』とやらをしています。くれぐれも邪魔をせず、お仕事頑張って下さい」
そう言い捨てて、全く振り向かずに天照たちが去って行く。その後を、血相を変えた大神が追いかけていった。
「……やっぱり、普段から真面目にやるってのが大事だな」
騒動を見ながら、珍しく天目が素直なことを言った。
「そうだね。さ、今日も行こう」
うまく悩みが片付いた。そう思った秋葉だったが、口には出さなかった。




