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12/22

悪魔殺しの聖人

「私は……このはじめの拷問で、自白してしまいました。神の名のもとで、嘘をついた。本当に、申し訳ない」


 初めて会ったとき、彼が自分のことを卑下していた理由は、これだったのだ。秋葉あきはの背中に、冷たいものが走る。


「自白してくださっていいんですよ」

「それでも負けずに神への信仰を貫いたものもおりますから……」

「しかし、もっと頑張ったところで、拷問がひどくなるだけだろう」


 天目あめのが言った。それを聞いたバルトロの顔がひきつる。


「はい、その通りです。焼けた靴、水責め、四肢の引き裂き。そして末は、磔にされて生きたまま火にかけられる」

「なんと……」

「自白すれば、絞殺してから死体を焼いてくれるのですよ。皆、最後にはそれを求める。奇跡などない。死だけが、この地獄から逃れる唯一の術だから」


 バルトロは、十も老けたような顔で言う。思わず秋葉は、両手で彼の右拳を包んだ。隣では天目が、同じようにしてバルトロの左手を握っている。


「やろうか」

「やろう」


 互いの考えが、ぴたりと一致した。同時に口を開き、治癒の祝詞を唱える。蛍の光に似た、穏やかな黄色い光が、バルトロの両手を包み込んだ。その光が消えると、秋葉たちは同時に握っていた手を開いた。


 バルトロの傷は、癒えていた。傷一つない健康な手に、戻っている。


「動かしてみてください。おそらく、以前と同じように曲げ伸ばしできるはずです」


 秋葉に言われて、バルトロは自分の手を見つめた。そしておそるおそる、手を動かしてみる。両手がなめらかに開くのがわかると、バルトロの顔が紅潮してきた。口を大きく開けて叫ぼうとするので、秋葉は慌てて止めに入る。その間天目は、ただ牢屋をにらみつけていた。


「ここの奴らが腐っているのはよくわかった。必ず戻ってきて、土塊になるまで叩きつぶす」

「天目ならそうするよね」

「止めるなよ」

「言っても聞かないでしょ」


 秋葉が苦笑を浮かべると、天目は返事代わりに指を鳴らした。しかし突然、天目の動きがぴたりと止まる。


「まずいぞ」


 天目がつぶやく。秋葉にも、原因はすぐにわかった。禍々しい気配が、急速に塔に向かって近づいてきている。秋葉はとっさにバルトロをつかみ、近くの壁を破って飛び出した。


 次の瞬間、真っ赤な炎が秋葉の鼻先をなめた。轟音とともに石塔の最上階が崩れ、人間たちの悲鳴が響く。


「何か来る!」


 秋葉は天目に向かって叫んだ。天目はうなずき、空に浮かんでいる影に向かって突進する。


 次第に目が慣れると、影の正体が見えてきた。それは少女の姿をしている。腰まである長い金髪を、二つに分けて結んでいた。前髪も長く、片目はそれで隠れている。顔に大きな斜め傷があるため、それを隠そうとしているように見えた。


 少女は天目をにらむ。幼児特有の明るさ、無邪気さはすっかりなく、品定めをするような冷めた視線だった。


「誰だ」


 無礼な態度に憤慨して、天目が叫ぶ。これに少女が気を悪くした。


「貴様こそ、私が分からぬとはよほどの間抜けか。思い出せ」


 しかし、少女の苛立ちは天目には全く通じなかった。


「いや、初対面だろ。そんな陰気くさい顔、一回見たら忘れん」


 天目が言うやいなや、少女の額に青筋が浮いた。普段は大雑把きわまりないのに、相手が嫌がるところをつくのだけは天才的に上手い。


「我が名はユーリィ・フィオレンティーノ。記憶に刻み、地獄で慈悲を乞うがいい!」


 少女は叫び、手を前にかざした。掌から放たれた真っ赤な炎が、鞭のように伸びて天目の足下にからみつく。天目が動きを止めたところで、炎の形が変化した。線状の炎からつぼみが開き、巨大な薔薇状の花が咲く。


 花はみるみる大きくなり、天目を頭から飲み込む。すると花びらが一気に閉じ、天目もろとも爆発した。紅蓮の火球が空に出現し、ひとしきり燃えさかったあと、黒煙とともに消えていく。


 これではひとたまりもない。……普通の神であったならば。


「ふん、面白くない」


 黒煙の中から、天目が現われた。体にも鎧にも、傷ひとつない。ユーリィの顔に、動揺が走った。


「何故生きている!?」


 ユーリィが再び炎を繰り出した。しかし、今度は花が出る前に天目が指を鳴らす。空中から小さな夜叉が、何人も現われた。夜叉の体と髪は漆黒で、顔のみが真っ白。そのため、仮面をかぶったような容姿だった。


 夜叉たちは、目の前のユーリィを見て笑う。大きな口に、鋭い歯がびっしり並んでいるのが見えた。


「夜叉、行け」


 天目が言うと、夜叉たちが一斉にユーリィに飛びかかる。何体かは炎にたたき落とされたが、大多数は少女のところまでたどりついた。夜叉は、ユーリィの全身に歯や爪をたて、がっちりとしがみつく。彼女がうめくのを見て、天目が笑った。


「誰彼かまわず吹っ飛ばした報いだ」


 天目が珍しく、静かに怒っている。しかし、ユーリィは不敵な笑みを絶やさない。


「何をそんなに怒っている」

「無実の囚人まで巻き込んだろうが」

「異端の悪魔がどうなろうと知ったことか」

「誰が異端と判断する。お前は神か」

「何も気にする必要は無い。疑わしいものは全て殺して天の国に送り込めば、正しく神が判断してくださる」


 ユーリィのこの言葉が、天目の怒りの導火線に火をつけた。大鋏が、彼の左手に握られる。


「では貴様も神に会いに行け!」


 天目が叫び、突進した。大きく鋏の刃が開き、ユーリィの首を挟み込む。しかし次の瞬間、薔薇の炎が天目を包み込み、爆発した。


 今度はさっきより衝撃が大きい。秋葉はとっさにバルトロをかばった。バルトロはすっかり怯えきって、ずっと祈りの言葉をつぶやいている。彼が落ち着いたところで、秋葉は上を見た。


 そこには、天目しかいない。


「天目!」


 秋葉の声を聞いて、天目が振り向く。その顔に、笑みは無かった。


「……しぶとい女だ。最後の最後で逃げられた」

「仕方無いよ、あの子は強い。僕も加勢できなかったし」

「それもそうだ。なぜ男を隠してこっちに来ない。二対一なら勝てたぞ」

「隠せるような場所がないよ。ユーリィが狙ってきたらどうするの。人間なんてあの炎に当たったら、即死だよ」


 秋葉が論破すると、天目はしぶしぶうなずいた。


「で、今からどうする? 追う?」


 秋葉の質問に、天目は首を横に振った。


「いや、力を使いすぎた」

「え? 残りは?」

「もうほとんど残ってない」

「考えなし!!」

「仕方無いだろ。あの炎を耐えきろうと思ったら」


 肩をすくめる天目を見て、秋葉はしばらく考えた。


「……仕方ない、一回戻って対策を考えよう。あんなのがいるとは思わなかった」


 秋葉はバルトロを抱え直しながら、そう締めくくった。



☆☆☆



 秋葉たちは、マリスの家まで戻ってきた。玄関の呼び鈴を鳴らすと、使用人ではなくマリスが直接顔を出す。普通はありえないが、よほど父の安否が気になっていたのだろう。


「お父様!」

「マリス!!」


 マリスとバルトロは、秋葉たちの目の前で抱き合って大泣きしている。ひとしきり泣いた後、マリスは秋葉たちに向かって頭を下げた。


「本当にありがとうございました」

「うむ。その調子で感謝し続けてもらうと、微々たるものだが霊力が回復する」


 天目がじっと目を閉じているのを見て、マリスが不思議そうな顔をしている。


「神は民の信仰心が力になるので、そうやっていただけるととても癒されるのです。ご協力どうも」


 秋葉が解説してやると、マリスははにかんだ。


「こんな私の祈りがお役に立つのでしたら、喜んで」

「旨い飯がつくとさらに嬉しい」


 調子に乗った天目がのたまった。妙なところで欲が強いのだ。


「精一杯のおもてなしをいたします。使用人がほとんどおりませんので、手落ちがあるかもしれません。その時はお申し出ください」


 バルトロが言う。秋葉はうなずいた。


「お構いなく。娘さんも使用人のことについてはおっしゃっていましたね」

「もちろん私が悪魔呼ばわりされてから辞めたものもおるでしょう。しかし、大半の使用人は、私より前に捕まっているのですよ」

「え」

「そして拷問され、『他にも悪魔がいれば申し出ろ』と脅される。そんな使用人の一人が、私を騎士団に告発したのです。そうやって冤罪を生み続けているのです」

「まあ……」


 マリスの顔が憂いを帯びた。父を売った使用人は憎いが、そんな事情があっては単純に罵ることもできないのだろう。


「……事情は察するが、今は騎士団を潰すことを考えろ。全ての元凶は、そこだ」


 天目が言うと、マリスは顔をほころばせた。


「そうですね。せっかく神の御使いが来て下さったというのに、暗い顔をしている場合ではありません」


 マリスはそう言って、台所に消えていった。バルトロはさすがに疲れた、横になりたいということで寝室に赴く。そのため、秋葉たちだけが居間に残されることになった。


「さーて、どうしよう」

「まず、あの金髪女が何者かつきとめることだ」

「そうだね。何者なんだろう。あれは確実に、神の領域に片足つっこんでるよ」

「大神とは連絡がとれないし、後でマリスに聞いてみるしかないな。こちらの聖人が神格化したのかもしれん」


 憮然としながらも、天目はちゃんと考えていた。秋葉は安心して、別の話題を振ってみる。


「さっきの祈りで、ちょっとは回復した?」

「たとえるなら、『喉が最高に渇いてるときに水一口』ってとこだな」

「足りないってことだね。かなり熱心にしてくれてたけど」

「信仰する人数が絶対的に足りん。いくら熱心でも、やってるのが親子二人ぽっちじゃどうにもならない」


 天目は腕組みをしながら言う。思わず秋葉は、マリスが戻ってきていないか確認する。


「あの女対策に、もっと信者を増やすか」

「急には無理だって。僕らどころか、大神だって知らない人がほとんどなのに」

「わかりやすい敵を倒せば、一気に信者が増えるだろ」

「例えば?」

「騎士団とか」

「それが倒せないから、今困ってるんでしょ」


 話が振り出しに戻った。秋葉と天目は、再び悩み出した。


「やっぱり、内情に詳しい人を裏切らせて、突破口をつかむしかないよ」

「お前やっぱり陰湿なのな。でも、『自分たちが正義』で固まってる騎士団に、そんな奴いるか?」

「望み薄でも、探してみるしか――」


 そこまで秋葉が言ったところで、料理の皿を抱えたマリスが戻ってきた。バルトロを起こすのも悪いということで、秋葉たちだけで食事を始める。


「マリスさん、ちょっとお聞きしていいですか」


 大半の料理がなくなったところで、秋葉が切り出した。


「なんでしょう?」

「この世界の神もしくは聖人で、幼い少女の姿をしていて、『ユーリィ』という名のものはいますか?」

「いえ、そんな名の聖人はおられなかったと思いますが」

「花、鞭か縄、顔に大きな傷。それに該当するものは?」

「それでしたら聖ゲオルギーですね。昔、荒れ狂った竜に立ち向かい、討伐を成し遂げた聖人のうちのお一人です。ただし、異教徒とはいえ無抵抗な者や、女子供も手当たり次第に殺したという言い伝えがあり、広く信仰されているとは言いがたいですが……」

「なかなか強烈ですね」

「そのとき彼女はまだ十五だったといいますから。未熟な正義が行き過ぎたのかもしれません」


 うなずきながら、秋葉はさらに聞いた。


「人間としての彼女は、本当に死んでるんですね?」

「何せ竜退治の話は大昔からありますもの。もうとっくに天に召されておいでです」


 なら、今日秋葉たちが会ったのは、間違いなく神になったやつだ。悪魔狩りに熱心なのも、生前の性格を聞けばうなずける。


 天目がとどめをさせなかった以上、信仰の力を後ろ盾に、また復活してくるのは間違いない。なにか対抗する手段はないものか。秋葉はしばらく考えて、不意にひらめいた。

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