悪魔殺しの聖人
「私は……このはじめの拷問で、自白してしまいました。神の名のもとで、嘘をついた。本当に、申し訳ない」
初めて会ったとき、彼が自分のことを卑下していた理由は、これだったのだ。秋葉の背中に、冷たいものが走る。
「自白してくださっていいんですよ」
「それでも負けずに神への信仰を貫いたものもおりますから……」
「しかし、もっと頑張ったところで、拷問がひどくなるだけだろう」
天目が言った。それを聞いたバルトロの顔がひきつる。
「はい、その通りです。焼けた靴、水責め、四肢の引き裂き。そして末は、磔にされて生きたまま火にかけられる」
「なんと……」
「自白すれば、絞殺してから死体を焼いてくれるのですよ。皆、最後にはそれを求める。奇跡などない。死だけが、この地獄から逃れる唯一の術だから」
バルトロは、十も老けたような顔で言う。思わず秋葉は、両手で彼の右拳を包んだ。隣では天目が、同じようにしてバルトロの左手を握っている。
「やろうか」
「やろう」
互いの考えが、ぴたりと一致した。同時に口を開き、治癒の祝詞を唱える。蛍の光に似た、穏やかな黄色い光が、バルトロの両手を包み込んだ。その光が消えると、秋葉たちは同時に握っていた手を開いた。
バルトロの傷は、癒えていた。傷一つない健康な手に、戻っている。
「動かしてみてください。おそらく、以前と同じように曲げ伸ばしできるはずです」
秋葉に言われて、バルトロは自分の手を見つめた。そしておそるおそる、手を動かしてみる。両手がなめらかに開くのがわかると、バルトロの顔が紅潮してきた。口を大きく開けて叫ぼうとするので、秋葉は慌てて止めに入る。その間天目は、ただ牢屋をにらみつけていた。
「ここの奴らが腐っているのはよくわかった。必ず戻ってきて、土塊になるまで叩きつぶす」
「天目ならそうするよね」
「止めるなよ」
「言っても聞かないでしょ」
秋葉が苦笑を浮かべると、天目は返事代わりに指を鳴らした。しかし突然、天目の動きがぴたりと止まる。
「まずいぞ」
天目がつぶやく。秋葉にも、原因はすぐにわかった。禍々しい気配が、急速に塔に向かって近づいてきている。秋葉はとっさにバルトロをつかみ、近くの壁を破って飛び出した。
次の瞬間、真っ赤な炎が秋葉の鼻先をなめた。轟音とともに石塔の最上階が崩れ、人間たちの悲鳴が響く。
「何か来る!」
秋葉は天目に向かって叫んだ。天目はうなずき、空に浮かんでいる影に向かって突進する。
次第に目が慣れると、影の正体が見えてきた。それは少女の姿をしている。腰まである長い金髪を、二つに分けて結んでいた。前髪も長く、片目はそれで隠れている。顔に大きな斜め傷があるため、それを隠そうとしているように見えた。
少女は天目をにらむ。幼児特有の明るさ、無邪気さはすっかりなく、品定めをするような冷めた視線だった。
「誰だ」
無礼な態度に憤慨して、天目が叫ぶ。これに少女が気を悪くした。
「貴様こそ、私が分からぬとはよほどの間抜けか。思い出せ」
しかし、少女の苛立ちは天目には全く通じなかった。
「いや、初対面だろ。そんな陰気くさい顔、一回見たら忘れん」
天目が言うやいなや、少女の額に青筋が浮いた。普段は大雑把きわまりないのに、相手が嫌がるところをつくのだけは天才的に上手い。
「我が名はユーリィ・フィオレンティーノ。記憶に刻み、地獄で慈悲を乞うがいい!」
少女は叫び、手を前にかざした。掌から放たれた真っ赤な炎が、鞭のように伸びて天目の足下にからみつく。天目が動きを止めたところで、炎の形が変化した。線状の炎からつぼみが開き、巨大な薔薇状の花が咲く。
花はみるみる大きくなり、天目を頭から飲み込む。すると花びらが一気に閉じ、天目もろとも爆発した。紅蓮の火球が空に出現し、ひとしきり燃えさかったあと、黒煙とともに消えていく。
これではひとたまりもない。……普通の神であったならば。
「ふん、面白くない」
黒煙の中から、天目が現われた。体にも鎧にも、傷ひとつない。ユーリィの顔に、動揺が走った。
「何故生きている!?」
ユーリィが再び炎を繰り出した。しかし、今度は花が出る前に天目が指を鳴らす。空中から小さな夜叉が、何人も現われた。夜叉の体と髪は漆黒で、顔のみが真っ白。そのため、仮面をかぶったような容姿だった。
夜叉たちは、目の前のユーリィを見て笑う。大きな口に、鋭い歯がびっしり並んでいるのが見えた。
「夜叉、行け」
天目が言うと、夜叉たちが一斉にユーリィに飛びかかる。何体かは炎にたたき落とされたが、大多数は少女のところまでたどりついた。夜叉は、ユーリィの全身に歯や爪をたて、がっちりとしがみつく。彼女がうめくのを見て、天目が笑った。
「誰彼かまわず吹っ飛ばした報いだ」
天目が珍しく、静かに怒っている。しかし、ユーリィは不敵な笑みを絶やさない。
「何をそんなに怒っている」
「無実の囚人まで巻き込んだろうが」
「異端の悪魔がどうなろうと知ったことか」
「誰が異端と判断する。お前は神か」
「何も気にする必要は無い。疑わしいものは全て殺して天の国に送り込めば、正しく神が判断してくださる」
ユーリィのこの言葉が、天目の怒りの導火線に火をつけた。大鋏が、彼の左手に握られる。
「では貴様も神に会いに行け!」
天目が叫び、突進した。大きく鋏の刃が開き、ユーリィの首を挟み込む。しかし次の瞬間、薔薇の炎が天目を包み込み、爆発した。
今度はさっきより衝撃が大きい。秋葉はとっさにバルトロをかばった。バルトロはすっかり怯えきって、ずっと祈りの言葉をつぶやいている。彼が落ち着いたところで、秋葉は上を見た。
そこには、天目しかいない。
「天目!」
秋葉の声を聞いて、天目が振り向く。その顔に、笑みは無かった。
「……しぶとい女だ。最後の最後で逃げられた」
「仕方無いよ、あの子は強い。僕も加勢できなかったし」
「それもそうだ。なぜ男を隠してこっちに来ない。二対一なら勝てたぞ」
「隠せるような場所がないよ。ユーリィが狙ってきたらどうするの。人間なんてあの炎に当たったら、即死だよ」
秋葉が論破すると、天目はしぶしぶうなずいた。
「で、今からどうする? 追う?」
秋葉の質問に、天目は首を横に振った。
「いや、力を使いすぎた」
「え? 残りは?」
「もうほとんど残ってない」
「考えなし!!」
「仕方無いだろ。あの炎を耐えきろうと思ったら」
肩をすくめる天目を見て、秋葉はしばらく考えた。
「……仕方ない、一回戻って対策を考えよう。あんなのがいるとは思わなかった」
秋葉はバルトロを抱え直しながら、そう締めくくった。
☆☆☆
秋葉たちは、マリスの家まで戻ってきた。玄関の呼び鈴を鳴らすと、使用人ではなくマリスが直接顔を出す。普通はありえないが、よほど父の安否が気になっていたのだろう。
「お父様!」
「マリス!!」
マリスとバルトロは、秋葉たちの目の前で抱き合って大泣きしている。ひとしきり泣いた後、マリスは秋葉たちに向かって頭を下げた。
「本当にありがとうございました」
「うむ。その調子で感謝し続けてもらうと、微々たるものだが霊力が回復する」
天目がじっと目を閉じているのを見て、マリスが不思議そうな顔をしている。
「神は民の信仰心が力になるので、そうやっていただけるととても癒されるのです。ご協力どうも」
秋葉が解説してやると、マリスははにかんだ。
「こんな私の祈りがお役に立つのでしたら、喜んで」
「旨い飯がつくとさらに嬉しい」
調子に乗った天目がのたまった。妙なところで欲が強いのだ。
「精一杯のおもてなしをいたします。使用人がほとんどおりませんので、手落ちがあるかもしれません。その時はお申し出ください」
バルトロが言う。秋葉はうなずいた。
「お構いなく。娘さんも使用人のことについてはおっしゃっていましたね」
「もちろん私が悪魔呼ばわりされてから辞めたものもおるでしょう。しかし、大半の使用人は、私より前に捕まっているのですよ」
「え」
「そして拷問され、『他にも悪魔がいれば申し出ろ』と脅される。そんな使用人の一人が、私を騎士団に告発したのです。そうやって冤罪を生み続けているのです」
「まあ……」
マリスの顔が憂いを帯びた。父を売った使用人は憎いが、そんな事情があっては単純に罵ることもできないのだろう。
「……事情は察するが、今は騎士団を潰すことを考えろ。全ての元凶は、そこだ」
天目が言うと、マリスは顔をほころばせた。
「そうですね。せっかく神の御使いが来て下さったというのに、暗い顔をしている場合ではありません」
マリスはそう言って、台所に消えていった。バルトロはさすがに疲れた、横になりたいということで寝室に赴く。そのため、秋葉たちだけが居間に残されることになった。
「さーて、どうしよう」
「まず、あの金髪女が何者かつきとめることだ」
「そうだね。何者なんだろう。あれは確実に、神の領域に片足つっこんでるよ」
「大神とは連絡がとれないし、後でマリスに聞いてみるしかないな。こちらの聖人が神格化したのかもしれん」
憮然としながらも、天目はちゃんと考えていた。秋葉は安心して、別の話題を振ってみる。
「さっきの祈りで、ちょっとは回復した?」
「たとえるなら、『喉が最高に渇いてるときに水一口』ってとこだな」
「足りないってことだね。かなり熱心にしてくれてたけど」
「信仰する人数が絶対的に足りん。いくら熱心でも、やってるのが親子二人ぽっちじゃどうにもならない」
天目は腕組みをしながら言う。思わず秋葉は、マリスが戻ってきていないか確認する。
「あの女対策に、もっと信者を増やすか」
「急には無理だって。僕らどころか、大神だって知らない人がほとんどなのに」
「わかりやすい敵を倒せば、一気に信者が増えるだろ」
「例えば?」
「騎士団とか」
「それが倒せないから、今困ってるんでしょ」
話が振り出しに戻った。秋葉と天目は、再び悩み出した。
「やっぱり、内情に詳しい人を裏切らせて、突破口をつかむしかないよ」
「お前やっぱり陰湿なのな。でも、『自分たちが正義』で固まってる騎士団に、そんな奴いるか?」
「望み薄でも、探してみるしか――」
そこまで秋葉が言ったところで、料理の皿を抱えたマリスが戻ってきた。バルトロを起こすのも悪いということで、秋葉たちだけで食事を始める。
「マリスさん、ちょっとお聞きしていいですか」
大半の料理がなくなったところで、秋葉が切り出した。
「なんでしょう?」
「この世界の神もしくは聖人で、幼い少女の姿をしていて、『ユーリィ』という名のものはいますか?」
「いえ、そんな名の聖人はおられなかったと思いますが」
「花、鞭か縄、顔に大きな傷。それに該当するものは?」
「それでしたら聖ゲオルギーですね。昔、荒れ狂った竜に立ち向かい、討伐を成し遂げた聖人のうちのお一人です。ただし、異教徒とはいえ無抵抗な者や、女子供も手当たり次第に殺したという言い伝えがあり、広く信仰されているとは言いがたいですが……」
「なかなか強烈ですね」
「そのとき彼女はまだ十五だったといいますから。未熟な正義が行き過ぎたのかもしれません」
うなずきながら、秋葉はさらに聞いた。
「人間としての彼女は、本当に死んでるんですね?」
「何せ竜退治の話は大昔からありますもの。もうとっくに天に召されておいでです」
なら、今日秋葉たちが会ったのは、間違いなく神になったやつだ。悪魔狩りに熱心なのも、生前の性格を聞けばうなずける。
天目がとどめをさせなかった以上、信仰の力を後ろ盾に、また復活してくるのは間違いない。なにか対抗する手段はないものか。秋葉はしばらく考えて、不意にひらめいた。




