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アイスオーガ奮闘記  作者: ポンタロー
6/13

回想2

三年前

俺、騎神凍士が組織に入って二年が過ぎた。多くの任務をこなすうち、いつしか俺は東京支部で最強と呼ばれるようになっていた。腕利きのエージェントにはナンバーとやらが与えられるらしい。今日はその任命式とやらで、楓から呼び出しを受けていた。いつも通り支部長室の扉を開けると、そこには紫苑と楓が待っていた。

「なんだよ。二人だけか?」

「そうよ。寂しい?」

「寂しくはないけどさ。任命式って言うくらいだから、もっと派手なのを想像してた」

「そういうのもあるけど、ナンバーズの任命式は少し特殊なのよ。色々な意味でね」

楓は口調こそいつも通りだが、その表情は今まで見たこともないくらい真剣だった。紫苑も同様である。

「それじゃあ、始めるわよ。凍士、覚悟はいい?」

「いつでもどうぞ」

たかだか任命式くらいでなんの覚悟がいるんだろうと思ったが、楓の表情がとてつもなく真剣だったのでとりあえずそう答えた。

「それでは、騎神凍士を本日付でナンバーⅡに任命します」

「了解。騎神凍士、ナンバーⅡを拝命しました」

一応ちゃんと答えておく。わずかな静寂が流れた。

「……それだけ?」

「いいえ、もちろん違うわ」

そう言って、楓が机の上のコントロールパネルを操作した。大きな音を立てて、支部長室の床がゆっくりと下降する。知らなかった。こんな仕掛けがあるなんて。やがて下降は止まり、別の場所と連結した。そこはアニメなどに出てくる戦艦か何かの管制室に似ていた。所狭しと設置された無数の計器類と、それを操作するエージェント。今まで見てきた組織とは全く違う空間がそこにはあった。

「ここは?」

「組織のもう一つの顔、『対魔組織アーカイブ』。その東京支部よ」

「対魔組織? なんだそりゃ?」

あまりに急な展開に、俺は全くついていけない。

「順を追って説明するわね。まず、ここでの話は一切他言無用よ。いい?」

「ああ」

「それから、今から説明することは全て真実よ。それもいいわね?」

「分かったから、早く説明してくれ」

楓を急かす。もったいぶられるのは好きじゃない。

「それじゃ、始めるわね。凍士、あなたは今自分の住んでいるこの地球上に、全く別の空間があるって言ったら信じる?」

楓は至極真面目な声で尋ねた。

「信じないって言いたいところだが、二人の表情を見るにあるんだろうな」

「察しが良くて助かるわ。そう、あるのよ。とびきりやばい空間がね」

楓が重々しい口調で告げる。

「とびきりやばい?」

「そう、その空間を私達は『冥界』と読んでいるわ。もちろん、神話みたいに死んだ人間が行く場所じゃない。代わりに、冥界には魔と呼ばれる者達が住んでいるの」

「魔? なんだそりゃ」

「と言っても、これは私達が便宜上そう呼んでいるだけで、正式名称じゃないわ」

「で、その魔がどうやばいんだ?」

「魔が冥界からこちらの世界、現世に出てくる時に通る場所を冥戸めいどって言うんだけど、この時点では危険性はないわ。まだね」

「この時点では?」

「そう、魔はね、煙状の思念体なんだけど、単体では現世にその存在を定着させることができないのよ。だから、何も無い場所に現れても自然に消滅するわ」

「だったら、問題無いんじゃないのか?」

「言ったでしょ。何も無い場所に現れた場合よ」

「つまり?」

「長い歴史の中で、魔は現世に定着する方法を見つけたの」

「どんな?」

「妖怪を喰らうこと」

「何?」

背筋が急に寒くなるのを感じる。手には嫌な汗を掻いていた。

「妖怪の生命の源は?」

「妖力」

「そう、正確には魔は妖怪の妖力を食べて現世に定着するのよ。定着と言ってもその妖怪の身体を乗っ取るといった感じだけど」

「喰われた妖怪はどうなる?」

「妖怪の生命の源である妖力が残っている内は、魔に体を乗っ取られながらも自我を保つことができるけど、完全に妖力を喰われた場合は……」

「場合は?」

「消滅するわ。光の粒になってね」

「まじかよ。確かにやばいな」

知らなかった。そんな奴らがいるなんて。

「何言ってるの? まだ終わりじゃないわよ」

「えっ?」

「今のは低級魔の話。本当にやばいのはここから」

「まだあんのか?」

「ええ。アーカイブの定めた魔のレベルは五つ、S、A、B、C、D.。それぞれ大きさ、密度、色などでで分けられているわ。さっきまでの話はB、C、Dに限った話よ」

「つまり?」

「通常冥戸が発生しても、冥戸自体は一定時間が立つと消滅するんだけど、冥戸から出て来る魔はB、C、Dレベルだけなのよ」

「残りのSとAは?」

「冥府の門」

「冥府の門?」

「そう、SレベルとAレベルの上級魔は、冥府の門と呼ばれる場所から出てくるわ」

楓がそこで言葉を切った。その表情が、この話の深刻さを物語る。

「冥戸は不定期に、そして様々な場所に出現するけど、冥府の門は違うわ。出現する場所が決まっているの」

「どこだ?」

「富士山よ」

「富士山?」

「そう、冥府の門は富士山にあるの。で、ここからが本当にやばい話」

楓が再び間を置く。

「冥戸と違って、冥府の門は自然消滅しないのよ。数十年に一度の割合でその門は開き、SランクとAランクの魔はここから出現する」

「じゃあ、どうやって門を閉めるんだよ?」

「ある特殊な方法でね。門を閉じることができるのよ。閉じた門は、やがてゆっくりと消滅するわ。と言っても、この門が開いたのは長い歴史の中で数えるほどしかないけれど」

「で、出て来た魔は?」

「それよ、低級魔と違ってね、上級魔にはある特徴があるの」

「特徴?」

「そう、低級魔の場合、一体の妖怪を喰らって、その妖力が無くなったらそれで消滅。その間、多少暴れるでしょうけど、それほど深刻な被害にはならないわ。だけど、上級魔は違う」

「どう違うんだよ?」

「上級魔はね。その妖怪の存在を喰らうのよ」

「存在を喰らう?」

「そう、妖力はもちろん、記憶、知識、能力、文字通り全てね」

「喰われるとどうなる?」

「存在とはそこにあるもの。妖力のように増減するものではないから、喰われたからといって消滅することはないわ。そして、魔はその喰った妖怪の記憶を元にある行動を開始する」

「なんだよ。ある行動って?」

「喰った妖怪の望みを叶えるのよ」

「は?」

「分かりやすく言うとね、喰った妖怪の本能をむき出しにするの。理性を失くすって言ってもいいわね。要するに、その妖怪の一番したいと思っていることを実行に移すの」

「それで、その妖怪の望みを叶えた後は?」

「そこからが一番やばいところ。その妖怪の望みを叶えた魔はね、今度はその妖怪を完全に侵食して自分の望みを叶えに行くのよ」

「魔の望みって?」

「喰うことよ」

「え?」

「上級魔にとって存在を喰うこととは、いわば増殖と同じなの。喰った相手を侵食して自己と同一化し、また別の者を喰らって同一化する。無限に続く増殖の連鎖。一度この連鎖が始まってしまうと、止めるのは至難の業ね。」

「…………」

「しかも、一度存在を喰らって完全に侵食した上級魔は、その妖怪の記憶や知識、そしてその能力も持っている訳だから、今度は別の生物も喰らうわ。ねえ、凍士、今でこそそんなことはほとんどないけれど、昔、妖怪が何を食べて生きていたかさすがに知っているわよね」

「まさか……」

「そう、人間よ。もちろんそれだけではないけれど」

背筋が凍りつく。

もはや、俺は何も言うことができなかった。

「そうなったら、もう本当にお終い。ほら、人気のゲームに良くあるでしょ。あれと同じよ。ゾンビパラダイスってやつね」

空気がどんどん重くなっていく。少し息苦しいほどに。

「勘違いしないで。今話したのは、あくまで最悪のケースよ。そして、それを阻止するために私達がいるの」

「え?」

「組織の目的は、表向きは協定違反者への対処だけど、アーカイブには、それに加えてもう一つ別の目的があるの。それが魔の滅殺よ」

楓が、また言葉を切る。

「この任務は、ナンバーズと組織の中でもアーカイブに所属するエージェントしか知らないわ」

「そんな化け物どうやって倒すんだよ?」

「凍士、あなたは半妖がどうやって生まれるか知ってる?」

「妖怪が人間に魂の一部を与えて生まれるんだろ」

「そう。じゃあ、何故半妖が生まれたかは知ってる?」

「それは……」

分からない。人間が何故生まれたかと言う質問と同じだ。

「長い歴史の中で、まだ妖怪達が魔への対抗手段を持たなかった時代、魔の存在にただ恐怖するしかなかった妖怪達は、あることに気付いたの」

「あることって?」

「妖怪しか喰われないことよ」

「あ!」

「妖怪達は考えたわ。何故、自分たちしか喰われないのか? 現世には、人間だって、動物だって、他の生物だってたくさんいるのに、何故自分達だけが喰われるのかってね」

楓は続ける。

「そして、ある時妖怪達は見つけたの。魔が妖力を食べるだけでなく、自分達以外の生物が持つあるエネルギーを嫌うことにね」

「あるエネルギーって?」

「霊力よ」

「霊力?」

「そう、妖怪以外の生物が持つ生命の源であるエネルギー。そして、人間の術者が使う力の源でもあるわ」

言葉は続く。俺は口を挟むこともできず、ただ黙って聞いていた。

「そのことを知った当時の妖怪達の長、鬼一族が人間の術者一族に助力を頼んで来たのよ。自分達妖怪が人間を襲わないことを条件に、自分達に力を貸して欲しいってね。これが今日まで続く協定の礎って訳」

言葉は、次第に熱を帯びる。

「妖怪と術者達は考えたわ。魔がまだ現世に定着していない場合は、術者達の霊力で滅することができる。自然消滅を待つのもいい。でも、すでに現世に定着してしまった場合、単純な戦闘力の差で術者は敵わないのよ。魔に喰われた妖怪は、その力を爆発的に高めるの。今の基準で言えば、レベル1の妖怪でさえ、魔に喰われるとレベル4を軽く凌ぐほどよ」

「マジかよ……」

「マジなの。だから、妖怪と術者達は考えたの。妖力と霊力、この両方を持つ者を創れないかってね」

「それが半妖だってのか?」

「そう、妖力と霊力を兼ね備えた存在、それが半妖よ。でも、あなたの場合は少し特別なの」

「特別って?」

「妖力と霊力はね、反発し合うのよ。だから、本来妖怪はその魂をなかなかうまく譲渡することができないの。例え魂を受け取る人間が、〇歳だろうと五〇歳だろうと魂の譲渡さえ成功すれば、その人間は半妖になれるんだけど、その成功確率は約一〇〇〇〇分の一。つまり、一〇〇〇〇人に一人の割合でしか譲渡は成功しない。半妖達の個体数が少ないのもそのためね。だから妖怪達は、少しでも成功率を上げるために、魂を与える際、できるだけ霊力の低い者を選ぶのよ。うまく二つの力がなじむように。魂が譲渡できなかったら元も子もないからね」

「俺が特別ってのは?」

「ごく稀に高い妖力と霊力が、奇跡的に交わることがあるのよ。交わった力を私達は『真力しんりょく』と呼んでいるわ。簡単に言えば、通常一足す一が二のところ、あなたの場合は、一足す一が一〇〇にも一〇〇〇にもなってるってこと」

「それが、俺の強さの秘密か?」

「それだけじゃないわ。妖力と霊力が高い次元でブレンドした半妖はね、元の妖怪には無い特殊な力を持つようになるの。そうなると、もはや元の妖怪とは言えないかも知れないけどね。私達はその存在を『真生』と呼んでいるわ」

「俺がその真生だと?」

「そう、そしてそれが、あなたがナンバーズに選ばれた真の理由でもあるわ。先に言っておくわね。ナンバーズは全員、なんらかの半妖の真生よ」

「つまり、俺達は魔を滅するために生み出された?」

「そういうことね。私の話はこれで全てよ。どう、引き受けてもらえる?」

俺は間を置かずに答えた。

「やるさ」

「即答ね」

「さすがに、ゾンビだらけの場所で暮らしたくはないからな」

「そう、ありがと」

「あんたに礼を言われる筋合いはない」

「そうかもしれないわね」

そこで、ようやく楓が笑った。楓の笑顔など、俺には気持ち悪いだけだが。

「紫苑、あれを」

楓が紫苑に指示を出すと、それまで黙っていた紫苑が、俺の前にあるものを差し出す。

それは二つの腕輪だった。一つは白色でもう一つは薄い水色。共にⅡの刻印が打ってある。

「これは?」

「ナンバーズだけに許される特殊装備よ。私達は『リング』と呼んでいるわ。着けてみて。ああ、利き手には水色の方を着けてね」

言われてリングを腕にはめる。右手に白色、左手に水色のリングを。

少し大きいと思ったリングは、はめるとすぐに俺の腕にフィットした。

「着けたわね。じゃあ、まず右手のリングから。頭の中で念じてみて。自分の身を守る鎧。あなたにとっての理想の鎧のイメージを、そのまま頭の中に思い浮かべて」

「何じゃそりゃ?」

「いいから、さっさとやる」

「はいよ」

楓に言われたとおり、頭に鎧を想像する。

すると、腕輪が発光し、レジストスーツの上から白い胸当てが出現した。腕にはガントレット。肩には、肩を丸ごと覆うような肩当て。足には、脛当てのようなレッグガード。その全てが真っ白だ。どこぞのアニメに出てくるクロスのようである。

「これは?」

「自身の霊力を極限まで高めるための闘衣とういよ。聖鋼と呼ばれる精神感応鋼で造られているの。精神感応鋼って言うのはね、着けた者の脳波に反応してその形状を変える特殊な金属。ちなみに戻す時もあなたの頭の中でただ念じればいいわ。元のリングに戻れってね」

言うとおりに念じてみると、すぐに鎧は元の腕輪へと戻った。

「すげー! ○イント○イヤのクロスみたいじゃん!」

俺のテンションが急激に上がる。男の子はみんな、こういうものが好きなのだ(多分)。

「アニメと一緒にされても困るんだけど。まあ、いいわ。次は左手。今度は武器よ。あなたの

頭の中でイメージしてみて。自分にとって最も使いやすく、そして最も戦いやすい武器を」

言うとおりにしてみる。すると、俺の左手に見事な日本刀が現れた。

「今度は刀か」

「そう、そちらも同様に聖鋼でできているわ。ただ、リングが刀の形をとったのは、あなたが無意識の内に、自分の一番使いやすい武器に刀を想像したから。使う者によって武器の形状は異なるわ」

「ふーん、そういうもんか」

「最後にもう一つ」

「まだあんのか?」

「これからあなたには、魔に関する任務の際、常にツーマンセルで行動してもらうわ」

「ツーマンセルって?」

「要するに、相棒をつけるってこと」

「えー、いいよ。めんどくさい」

「そう言わないの。これは決まりよ。とても優秀な術者だから、きっと頼りになるわ。そうそう、魔に関する任務だけじゃなくて、互いの連携を高めるためにも、常に一緒にいなさい」

「えー、やだよ」

「だめ。これは命令よ。言うこと聞かないと、そのおもちゃ取り上げるわよ」

そう言って、楓がリングを指差す。それは嫌だ。

「うー、分かった」

「よろしい。じゃあ、さっそく紹介するわね。入って」

そして、一人の少女が部屋に入って来た。


入って来た少女は、一言で言えばとてつもない美少女だった。歳は俺と同じくらいだろうか。ぱっちりした瞳と腰まで伸びた長い黒髪が印象的で、身長は俺より頭一つ小さいから一六〇センチくらいかな。今は俺と同じレジストスーツを着用しているが、綺麗に着飾ればそこいらのアイドルなんぞお話にならないくらいだ。しかし、ただ一点。恐ろしく無愛想であった。

東岡舞乃ひがしおかまいのだ。よろしく」

声まで愛想がない。完璧なまでの事務的口調。

「この子は日本最高峰の対魔術組織である四大家の一つ、東岡家の術者よ。歳は確か、あなたと同じ一四ね。歳の近い子と接するの珍しいから嬉しいでしょー♪」

ニヤニヤしながら喋る楓の言葉をスルーして、俺は舞乃に言い放った。

「騎神凍士だ。お前に聞きたいことがある」

「なんだ?」

「お前、ツンデレだろ?」

ズボ!

「ぐあ!」

舞乃の蹴りが鳩尾に突き刺さる。痛みのあまり蹲った。

「蹴るぞ」

「蹴ってから言うな」

それが、俺と舞乃の出会いだった。


変な女、それが舞乃の第一印象だった。間違いなく美少女ではあったが、その無愛想のせいで逆に怖い印象を与える。連携を高めるといった名目で、当初同じ部屋にされそうになったが、俺がそんなことしたらやめてやると駄々をこねて、なんとか隣部屋ということで落ち着いた(不思議なことに、舞乃は同部屋という意見に全く反対しなかった)。

生真面目というかクソ真面目というか、楓の言った通りに、俺と常に一緒に行動しようとする。食事にしても、プライベートにしても。もっとも、一緒にいる割には特に親交が深まったりはしなかったが。そんな中、俺達はついに初めて魔と接触することになる。


冥戸が出現したのは、日が暮れた直後のことだった。場所は渋谷区の路上、しかも道玄坂のど真ん中だった。俺達が到着した時には、すでに警察によって非常線が敷かれ、辺りは人で溢れていた。通常、魔が出現した場合、できる限り秘密裏に対処するのが暗黙の了解ではあるのだが、今回のように人通りが多い場所に出現した場合は、二次被害を防ぐためアーカイブと警察との連携作業になる。

冥戸から出てくる低級魔は、一体の妖怪の妖力を喰い尽すとその妖怪ごと消滅するのだが、その間、力と凶暴性が異常に高まり、周囲に被害をもたらすのだ。俺達は近くの警察官に身分証を見せて中に入った。中では先に到着していたアーカイブの結界師が、魔に喰われた妖怪の周囲に結界を張り、妖怪の暴走を防いでいる。

結界とは空間術の一種で、結界内に閉じ込めたものを外の世界と隔絶する術である。

当然術者の力量により、結界の大きさ、強度などは異なり、高位の結界師になると妖怪を閉じ込めたまま結界を徐々に縮小していき、中にいる妖怪をそのまま押し潰してしまうこともできる。今回の結界師にはそこまでの腕はないのだろう。結界の大きさ、強度共にそれほどのものは感じない。どうやら周囲に被害が及ばないようバリケード代わりの結界を張るのが精一杯のようだ。俺は、まだ俺達とさほど歳の離れていない若い結界師に状況を聞いた。

「ご苦労さん。状況は?」

「あ、お疲れ様です」

少女はこちらには目を向けず、声だけを返した。集中が途切れると結界を維持できないからだろう。額に汗を掻きながら、懸命に結界を維持している。

「今回、冥戸から出て来た魔はC級魔一体。残念ながら、すでに定着済みです」

少女が唇を噛み締める。結界の中を見ると、一人の女の妖怪が中でもがき苦しんでいる。

その背中からは一対の翼が生えていた。妖怪と言っても、魔に喰われた状態でまだ人型を保っているということは、どうやら半妖のようだ。

そういえば楓が言ってたっけ。いくら半妖が妖怪より強い対魔能力を持っていると言っても、妖力を宿している以上、完全に喰われない保障は無いって。

一度魔に喰われた妖怪を元に戻す方法はまだ見つかっていない。つまり、一度喰われたら終わりということだ。まあ今回は低級魔だったので、これ以上誰かが喰われることは無いが。

つまり、自然に消滅するのを待つか、さっさと殺して終わりにするかということになる。

幸い、もう確保しているので暴走の危険性は低いが、消滅を待つには人が多すぎるな。

「俺がさっさと片付けるわ。合図したら、結界を少し開けてくれ」

そう言って、結界内に入ろうとする俺を舞乃が引き止めた。

「待て、凍士」

「なんだよ。今回はお前の出番じゃないだろ」

魔が定着前の状態なら、舞乃の術で簡単に祓うことができるが、喰われてしまってはもう遅い。単純な力の差で術を唱える前にやられてしまうのだ。

「違う、そうじゃない」

舞乃はそう言って、ある方向を指差す。

そこには七、八歳くらいの小さな女の子が人形を抱きしめ、結界の前で泣き叫んでいる。

どうやら、喰われた女の子供らしい。

「今回は消滅を待つんだ」

「何でだよ。殺した方が早いだろうが」

俺には、舞乃の言っていることが全く理解できなかった。万が一、結界が破れれば二次被害が出る可能性もある。

「子供の前だぞ!」

「それがどうした。これ以上時間を掛けるのは得策じゃない。さっさと殺して終わりだ」

「本気で言っているのか!」

舞乃がさらにしつこく食い下がる。

「これ以上は無駄だ。おい、開けろ!」

「待て、凍士!」

少女結界師に命じて、結界を開けさせる。舞乃が俺の腕を掴もうとしたが、軽く振り払った。結界内の女は、なおももがき苦しんでいる。さっさと終わらせるか。

魔に喰われた妖怪を殺るのはこれが初めてだが、不思議なことにたいした強さは感じない。

楓から聞いていたほどでもないな。これなら闘衣は必要無い。

俺は、左手のリングに念じて日本刀だけを呼び出した。さてと、舞乃が今も何か喚いているが、結界の外なので何も聞こえない。子供は今なお泣いていた。その声が耳障りに響く。まあ、どうでもいいが。

斬。時間を掛けるのは好きじゃない。俺は一撃で女の首を切り飛ばした。一瞬の間を置いて、女の首から鮮血が溢れ出す。飛ばした首が子供のいるところに転がった。子供はその光景に放心して、持っていた人形をポトリと地面に落とした。

「さて、帰るか」

結界を出て、待機していた車に乗る。後は他のエージェントに任せても大丈夫だろう。

舞乃も無言で乗り込んできた。

「なんとも思わないのか?」

「はっ?」

車に乗ってしばらく経った後、舞乃が口を開いた。

「子供の前で親を殺してなんとも思わないのか?」

口調こそいつも通りだが、今回は少し苛立っているように見える。

「ああ、思わないね」

「何!」

舞乃が信じられないといった顔で目を見開く。

「親なんかいたことないからな。そんなの分かる訳ねーだろ」

「…………」

舞乃はまだ不機嫌そうなままだ。

「お前こそ何言ってんだ。これが俺達の仕事だろうが」

「…………」

「他人がどうなろうが、誰がくたばろうが俺の知ったことじゃない」

「……分かった。もういい」

それ以降、都庁に着くまでの間、俺達が口を開くことは一度も無かった。



舞乃と組んで一年が経った頃、俺達はいつしか日本最強の対魔コンビとして知られるようになった。もっとも、俺達の仲は相変わらずで、舞乃の無愛想も相変わらずだった。

しかし、術者としての腕は歴代最高との評判どおりピカイチだった。

組んだ当初はただの足手まといだと決め付けていた俺も、その認識を改めざるをえなかった。

そんなある日、紫苑から呼び出しが掛かる。その声には、かつてないほどの悲壮感が漂っていた。俺がアーカイブの支部長室に着いた時、そこには楓と紫苑、そして舞乃が待っていた。

「来たわね」

楓が重々しく口を開く。まるで、口に重りが付いているかのように。

「冥府の門が出現したわ」

「何?」

俺の思考が一時停止する。だって、あの門は。

「あの門は、何十年かに一度の割合でしか現れないんじゃなかったのか?」

今まで冥戸については何度も対処してきたが、冥府の門とは。

「そうよ、その何十年に一度が今日な訳ね」

その場にいる三人の顔が、事態の深刻さを物語る。

「じゃあ、どうすんだよ?」

「落ち着いて。手が無い訳じゃないわ。上位の魔ほど警戒心が強いから、上級魔が出てくるのは、門が完全に開いた後よ。まだ門は完全には開いていない。言ったでしょ。ある特別な方法で門を閉じることができるって」

「特別な方法ってなんなんだよ?」

「それは舞乃が知っているわ。現場では結衣乃の指示に従って」

舞乃の方を見る。いつにも増して無愛想だ。しかし、その顔にはある種の覚悟のようなものが見て取れた。

「今更だけど、今回の任務は冥府の門の消滅。いい、確実に消滅まで確認して」

「はいはい」

「頼むわね。これはあなた達にしかできないの」

「はいはい、分かった。分かった」

俺は投げやりにそう言って部屋を出た。

しかし、俺には全く分かっていなかった。舞乃の気持ちもこの任務の本当の意味も。


富士の樹海は恐ろしい程の瘴気で満ちていた。瘴気というのは、冥戸や冥府の門が出現する際に発する負のエネルギーで、アーカイブではこれを感知して魔の出現を察知する。

しかし凄い瘴気だな。だんだん気分が悪くなってきた。レジストスーツとこの闘衣が無かったらとっくにやられているな。

この闘衣、自身の霊力を極限まで上げてくれるとあって、正直、このような瘴気に満ちた場所ではかなり重宝する。普通、生身でこんな濃い瘴気に包まれたら、気分が悪くなるだけじゃすまない。最悪、戦闘不能になる。この闘衣のおかげでこの程度で済んでいるのだ。

一方の舞乃は瘴気など全く気にせず、どんどん先に進んでいく。

レジストスーツと特殊な対魔巫女服を着ているとはいえ、平気なはずはないのだが。

ここに着くまで、舞乃は一度も口を開いていない。いつもはここまで無愛想じゃないんだが。それだけ事態は切迫しているということか。

「おい、舞乃」

「なんだ?」

「深刻な事態だってのはわかるが、緊張しすぎだ。それじゃ、本来の力を出せないぞ」

「お前に心配されるとはな」

「なんだと、人がせっかく気を使……」

「お前は変わらんな」

俺が言い終えるより早く舞乃が呟いた。その言葉にどんな想いが込められていたのか、その時の俺には分からなかった。

「お前は一年前から何も変わらない。だが、その方がいいのかもな」

「何言ってんだ?」

「いや、なんでもない。ただの独り言だ」

「ふーん、まあいいや。で、門を閉じる方法ってのはなんなんだ?」

「すぐに分かるさ。……見えてきたぞ」

前方に視線を戻すと、そこには三階建てのビルのような馬鹿でかい門がそびえ立っていた。

冥戸の大きさは普通の窓枠くらいなので、比べてみると事態の深刻さが良く分かる。しかも、

「門が開きかけてる」

そう、門はわずかではあるが、その入り口を開いていた。

「まずいな、急がないと」

そう独り言のように呟くと、舞乃は当然のように入っていった。冥府の門の中へと。

「マジかよ……」

いくら魔が人間を喰わないと言っても、こっちは半妖なんだぞ。妖怪よりは、遥かに対魔防御力が強いと言ったって、体に妖力を宿している以上、絶対喰われない保障は無いってのに。

一瞬、置いていこうかとも考えた。しかし……

「クソッ!」

俺はそう毒づいて、自分も冥府の門に入っていった。


門に入ってまず最初に着いたのは、ちょっとした公園ほどの広さを持つ空間だった。周りには水晶でできた柱のような物が幾つも立っている。冥界は異質な場所だった。まず、空が赤い。

そして、その空は常に雷を孕んでいた。

しかし、不思議なことにここには瘴気が無い。魔もいないようだ。入って早々魔の大群にでも襲われるんじゃないかと思っていた俺は、いささか拍子抜けした。いつの間に追いついたのだろう。目の前には舞乃の背中が見える。

舞乃も俺の気配を感じたのか、俺の方に向き直った。

「来たか」

「来たか。じゃねーだろ!」

遅いと言わんばかりの態度で告げる舞乃に、俺は怒鳴った。

冗談じゃない。こっちは、魔に喰われる危険も顧みず来たってのに。

「さっさと出るぞ。今はまだ魔はいないようだが、いつまでも安全とは限らない」

腕を掴んで強引に帰ろうとする俺。しかし、その手を振りほどいて舞乃は言った。

「その必要は無い」

「何?」

「凍士、仕事だ」

舞乃が静かに淡々と告げる。そう、静かに、淡々と。

「私を殺せ」

「は?」

突然の言葉に、俺は絶句した。

「何言ってんだ? 瘴気に頭でもやられたのか?」

「私を殺せ。それが今回のお前の任務だ」

「言ってる意味が分かんねえよ」

「冥府の門が開き始めた。もう、時間が無い」

「そんなことは分かってるさ。でも、それとお前を殺すのになんの関係がある」

「周りを見ろ」

そう言われて周りを見てみる。周りには何本もの柱が立っていた。

大きさは異なるが、乳白色でスモークガラスのように中は見えない。

「何に見える?」

「何にって、ただの柱だろ」

「そう、柱だ。でも、ただのじゃない。これはな、人柱さ」

舞乃の言葉に、俺は思わず息を呑む。人……柱だと。

「これはな、今まで冥府の門を閉じ続けてきた神巫女かみみこ達の人柱さ。冥府の門を閉じる方法を知りたがっていたな。教えてやる。その方法とはな、門の内側から人柱の霊力によって、強引に門を閉じることだ。知っているだろう。魔は霊力を嫌う。門自体も魔の集合体のようなものだからな。内開きの門を、中から強引に閉じることが唯一の方法なのさ」

「何故お前がその柱になる必要がある?」

俺の声は少し震えていた。何故震えているのかは自分でも分からなかった。

「それは、我が東岡家が代々その役割を担って来たからだよ。東岡家は、日本随一の霊力を誇る一族。人柱になることは、代々一族最強の霊力を持つ神巫女の使命なのだ」

舞乃は淡々と続ける。なんの感情も篭らぬ声で。

「門が開くのは数十年に一度。それはちょうど、人柱になった神巫女の霊力が尽きるのを意味する。霊力が枯渇し、神巫女が朽ちゆく時、再び門は開くのだ」

そして、舞乃は静かに俺を見据えて言った。

「だから、凍士。私を殺せ。なーに、別に難しいことじゃない。私の体にこの水晶石を埋め込むだけでいい」

そう言って、透明な拳大ほどの石を投げる。まるでお使いでも頼むかのように告げる舞乃。俺はそれを受け取らず、石はポトリと地面に落ちた。

「何をしている。拾え」

「ふざけんな!」

俺は怒鳴った。頭に血が昇っているのがはっきりと分かる。

「人柱にする為に石を埋め込んでお前を殺せだと。馬鹿じゃないのか」

激昂する俺を見据えたまま、舞乃は口を開く。

「だが、他に方法は無い。それとも、お前にこの門を閉じることができるのか?」

「ぐっ!」

そう言われては黙るしかない。

「とにかく、俺は御免だ。そんなに死にたいんなら、自分で死ね」

「それができるならとっくにやっている。だが、私の腕力ではできない。だから、お前に頼んでいる。心配するな、殺せとは言ったが厳密には死ぬ訳じゃない。水晶石が私を生きながらにして、この地に霊力を流し続けるからな。だから、完全に死ぬ訳じゃない。それに、これはアーカイブも了承していることだ」

舞乃の口調は変わらない。

「だったら、他の奴でもいいだろうが」

「なんだ、できないのか?」

その時、初めて舞乃の顔に感情が浮かんだ。侮蔑の感情が。

「できるよな、凍士。お前は私に言った。仕事なら誰でも殺す。他人なんてどうなろうと知ったことではないと。早くしろ、これはお前の仕事だ、アイスオーガ」

冷徹なる声で命じる。アイスオーガというのは俺の別称。なんの躊躇いも無く標的を始末することから付いた、俺の二つ名。

永遠にも感じられるほどのわずかな時間を置いて俺は立ち上がった。左手に水晶石を持って。

「恨むなよ」

「恨みはしないさ。これが私の使命だ」

舞乃は静かに目を閉じる。気が付くと俺は、力一杯水晶石を握り締めていた。地面には、いつの間にか血がしたたり落ちている。

俺は唇を噛み締めると、一瞬で間合いを詰め、舞乃の心臓を…………・貫くことができなかった。

「できない」

俺は、その場に崩れ落ちた。

「何故?」

舞乃が再び目を開く。

「敵は殺すさ。躊躇いなんか無い。他人だってそうさ。何人死のうが知ったこっちゃない。でも、お前は……」

「私は?」

「お前は、相棒だ。だからお前は殺せない」

「ふふっ」

不意に舞乃が笑った。先ほどまでの侮蔑は微塵もなく、心からの嬉しそうな笑顔。

「ありがと、凍士」

綺麗だ、と思った。今まで見たどんな人間よりも。

そう、今まで俺が見てきたどんな女よりも、目の前にいる女は綺麗に見えた。

「でもね、凍士。私には守りたいものがあるの。自分の命を懸けてでも守りたい大切なものが。だから、お願い。こんなことを頼めるのは、相棒のあなただけだわ」

どこまでも澄んだ表情。澄んだ笑顔。そして、どこまでも高潔な覚悟。こいつが、足手まとい? ふざけるな。弱いのは俺の方。だが、せめて、せめてこいつと肩を並べられる位の強さを持たなくては。俺はこいつの相棒なのだから。だから……

ダカラオレハ……


全てが終わった後、俺は楓の元に報告に来ていた。

「門の消滅は確認した。……以上だ」

「そう……」

あっさりと報告は終わる。もう、ここに用は無い。踵を返す。……一つだけあった。

「知っていたのか?」

背を向けたまま尋ねる。今、自分がどんな感情を抱いているのか、自分でも分からなかった。

「全部知っていたのか?」

「……ええ、知っていたわ」

楓が少し躊躇いがちに答えた。

「……そうか」

それだけ聞いて、ドアノブに手を掛ける。

「それだけ?」

今度は、楓が尋ねてきた。

「てっきり殺されると思っていたわ。あなたにね。あなたにとっては、あの子もただの他人だったってこと?」

楓の話の意図は読めない。だが……ただの他人? 何言ってる。

「そうしてやろうとも考えたが、あいつはそんなこと望んじゃいない」

そこで、一旦言葉を切る。

「それに、やるべきことができた」

「やるべきこと?」

「ああ、あいつの守りたかったもののある、この世界を守る。それが俺のやるべきことだ。あいつは俺の相棒だからな」


支部長室を出た俺は、その足で自室へと戻る。部屋の前に着き、ふと隣の部屋に目を向ける。隣はあいつの部屋だった。コンビの連携を高める為、楓が手配したあいつの部屋。

しかし、今はもう誰もいない。自分の部屋に入る。あいつの笑った顔を見たのは、あれが最初で最後だった。思えば喧嘩ばかりしていたな。いつも大人ぶった態度をとるあいつに、それをからかう俺。口より先に手が出る女でもあったな。でも、もういない。もう……会えない。

何故だろう。心の中に穴が空いたような気がする。今までこんなこと一度も無かったのに。

標的を殺す時だってそう。他のエージェントが死んだ時だってそうだ。こんな気持ちになったことはなかったのに。それなのに、あいつがいなくなっただけで、なんで……なんでこんなに……


自分が泣いていることに気付くのに、少し時間が掛かった。

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