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初めてのおつかい


 キールの素性を知るものは、この町に居ない。辛うじて知るのは、彼の妻くらいだろう。

 だが、彼女が何かを話すわけもなく。

 だから、本当に誰も知らない。

 それでも、話の端々に、そうだったのだろうというような、推測できる話をしたことがある。


 以前は大都市に居た事。

 大きな病院の医師であった事。

 父親が問題で、その都市を去った事。






 プライムは、扉の向こう側からそっと、診療室を覗きこんだ。


「大分、良くなったようだな」

「ええ、おかげさまで」


 グレンは笑った。

 額の包帯は取れ、代わりに巨大な絆創膏のようなものを貼り付けている。


「しかし、見え辛いの何のって……」

「だから最初に言っただろう。化膿しなかっただけ、ありがたいと思え」

「それはまぁ、そうなんですが」


 辟易するような声。彼は肩を竦める。


「化膿止めの不味いこと…先生、アレ飲んだ事あります?他の薬より、全然不味いですよ」


 グレンは顔を顰めた。

 キールは淡々としている。


「わざとだと言ったら、どうする?」

「…マジですか……?」

「冗談だ」


 グレンはがっくりと肩を落とした。情けない声で抗議する


「先生~、止めて下さいよ。そんな笑えない冗談」

「あれが不味い事は知っている。もう少し軽いものもあるんだが……化膿止めとしては一番良く効くし、副作用もない。それに、グレンだったら平気だろうと」

「……それ、冗談じゃないですよ」


 プライムは覗き込んだとき同様、そっと扉を離れた。



 この家に来た翌日、彼女はグレンの家に行った。

 キールは診察のついでと言うが、それだけではなかった事は明らかだ。

 全ての事情は、既に伝わっていて、彼らはプライムに優しかった。


 ただ一人の例外を除いては。




 あれから数日たつが、行く宛ての無い彼女は、そのままキールの家に居ついている。

 町の人たちとも、話し合った結果だと言われた。この家に居るのが、一番いいだろうという。


 少なくとも、母親に関しては死亡が確認されている。

 父親のほうも、あまり希望は持てない。

 親戚を探してもいいが、たらい回しにするのは、子供のためではないだろう。

 キールの家も、家族が一人増えたくらいで困ることもない。

 引き取り手が現れたら、その時点で考えればいいだろうという結果に落ち着いたのだ。


 だからといって、ただで置いて貰おうなどと、プライムは考えていない。

 キールの仕事にも、興味を持っていた。薬草園の手入れくらいだったら、いつでも手伝える。




 グレンが帰ると、キールはプライムを呼んだ。


「彼が来ると、いつも隠れてしまうね?」


 プライムは身を竦める。

 わかっているのだ。隠れても、何の解決にもならないことを。きちんと謝罪はしたし、グレンも許している。

 ただ、自分がつけた傷を見るのが、耐えられなかった。

 プライムは俯いて、困った様子を見せていた。キールは苦笑する。


「お使いを頼むよ」


 そう言って、貝殻の薬入れを差し出す。綺麗な薬入れだ。

 プライムはそれを受け取る。


「町長さんのお母さんに。町長さんの家は分かるだろう?」

「はい」


 彼女はクルリと身を翻す。


「ああ、ちょっと待って」


 キールは彼女を呼び止めた。

 プライムが振り返ると、彼は棚の上部に手を伸ばしていた。

 箱を下ろし、蓋を開ける。中には、雑貨が入っているようだ。


「これがいいかな?」


 中から取り出したのは、深緑の小さな鞄だ。長いベルト状の紐が付いていて、肩から下げられるようになっている。

 僅かに叩いて、埃を払う。


「とりあえず、これを使うといい」


 そう言って、プライムの肩から斜めにかけさせる。留金を外して、渡した薬を入れる。


「丈夫に出来ているから、落としても平気だし…… 手や、ポケットに入れて持っていくより、安全だろう?」


 ふわりと頭を撫でられる。


「気をつけて行っておいで」

「…はい……」


 プライムは照れくさそうに、撫でられた場所に触れる。それから慌てて、外へ向う。

 扉を出る直前に、キールを振り返る。

 キールは小首を傾げた。

 プライムが満面の笑顔を浮かべる。


「行って来ます!」

「…行ってらっしゃい」


 プライムは勢いよく、家を飛び出した。

 丘を下る彼女を見送るキールの隣に、シルフィーラが寄り添う。


「…あなたの考えていること、当ててみましょうか?」

「……何………?」


 キールは僅かに表情を緩めた。

 シルフィーラは真面目な表情になって、人差し指を立てる。



「女の子がいいなぁ」



 思わず、キールは噴出した。小さな笑い声を立てる。


「……相変わらず、突拍子もない……」

「あら、そうでしょうか。当たらずとも、遠からずでしょう?」

「…まぁな」


 キールは素直に認めた。

 丘を下るプライムは、もう豆粒ほどの大きさだ。


「あんな娘が居るなら、男の子でも構わないけれど」


 妻の肩を抱く。

 シルフィーラは腹をさすった。

 産まれるまで、後数日もない。今すぐ産まれても、おかしくないのだ。


「でも、あの子はこの家から、居なくなってしまうかもしれませんよ?」


 たとえ僅かな望みでも、父親が生きていれば、親元に帰すべきだろう。

 それはキールにも、良く分かっている。


「ここにいる間だけで構わないさ」


 そう呟いて、姿の見えなくなった丘のふもとを見つめていた。






 町長の家だからといって、特別大きな家というわけではない。ただ、赤い屋根が印象的な家だ。

 プライムが扉をノックすると、中から老婆が現れた。


「あら、キール先生のところのお嬢さん」


 老婆は微笑む。

 優しげな笑みに、プライムもつられて笑い返した。危うく、目的を忘れそうになる。


「今日は何の御用?」

「あ、えと、あの…先生に頼まれて、町長さんのお母さんにお薬を……」


 慌てて鞄の中を探った。貝殻の薬入れを取り出す。

 「町長さんのお母さん」である老婆は、ますます笑みを深くした。しわくちゃな手が、そっと薬入れを受け取る。


「まぁあ。わざわざありがとう」

「いえ…それじゃ……っ」


 大急ぎで引き返そうとするプライムを、老婆は引き止めた。


「お待ちなさいな。そんなに急ぐこともないのでしょ?」

「はぁ、まぁ……」


 プライムは立ち止まる。

 老婆は手招きをした。


「焼き菓子を作ったのよ。包んであげるから、ちょっと待っててね」


 招かれるがまま、家の中に入らされる。

 家の中はすっきりと片付けられていて、キールの家とは違った温かみがある。


「座って待っててね。」


 老婆に促され、彼女は椅子に腰掛けた。

 老婆は戸棚から、菓子入れを出す。

 中には焼き菓子が詰まっていた。それを油紙にとって、丁寧に包む。


「私は冬になると、皸が酷くてねぇ…先生の薬は良く効くんだよ」

「あかぎれ……?」


 プライムは老婆の手を見つめながら、聞き返す。

 老婆は頷いた。


「そりゃあ痛くてねぇ…でも、先生がくれる薬を塗っていると、ちょっと荒れるくらいですんじゃうの。私以外にも、この塗り薬に頼っている人は多いんだよ」


 確かに、それは凄い。

 プライムの知り合いにも、冬になると手が真っ赤になってしまう人がいたから、よく分かる。

 老婆は菓子包みをプライムに渡した。


「さ、持ってお行き。ちょっと多めに包んだからね。シルフィーラさんにもあげて頂戴ね」

「ありがとう」


 プライムはぴょこんと頭を下げた。包みを鞄にしまう。

 それからもう一度礼を言って、町長の家を出た。舗装されていない道を、小走りに駆け抜ける。

 途中、何人かとすれ違ったが、そのたびに足を止め、軽く頭を下げた。

 彼女の故郷よりは大きいが、それでも、小さな町であることに変わりはない。住人全てが顔見知りなのだ。

 まして、医師の家に居るのだ。知って当然である。


 頭を下げられた亜人種の女達が、彼女の背を見送りながら話し合った。


「いい子だねぇ」

「グレンさんに怪我させたって言うから、どんな乱暴者かと思ったけど……礼儀正しい子じゃないか」

「先生の手伝いも、進んでするっていうし…うちの子にも見習わせたいよ」


 どっと笑いが起きる。


 そんな噂話は露知らず、彼女は家路を急いでいた。

 突然、彼女の目の前を何かが掠める。

 足を止めた。視線の先に、石ころが転がっていく。


「親無しっ子~」

「犯罪者~!」


 からかうような、子供の声。

 プライムは顔を上げた。

 積み上げられたレンガの上に、町の子供たちの姿があった。主に男の子で、年は彼女とそう変わらない。


「…」


 プライムはぎゅっと鞄を握った。無視して、先を行こうとする。

 今度は、腐った野菜が飛んできた。


「罪人には野菜爆弾の刑だ!」


 どこから持ってきたのか。

 次々に飛んでくるそれを、彼女は生まれ持った運動神経の良さでかわした。急いで逃げようとするが、彼らはそれを許してくれない。


「よけんなよ!ブス!!」


 当たらないことに痺れを切らした中の一人が、木箱ごと持ち上げた。

 体格も良い彼にとって、それは何の苦にもならなかっただろう。大量の野菜が、辺りにぶち撒けられる。


「……!」


 プライムはギュッと目を閉じ、鞄を抱えた。

 中には菓子が入っている。せっかく貰ったそれだけは、ダメにしたくなかった。




 しかし、野菜は降って来なかった。




 いつまでたっても来ない衝撃に、プライムは恐る恐る目を開ける。


「あ…」

「……」


 プライムの前には、ガラが立っていた。

 彼は野菜の汁まみれになっている。しかも腐っているから、かなりの悪臭だ。

 二人の周囲にも、ぐちゃぐちゃになった野菜たちが散乱していた。

 高みの子供たちの顔から、血の気が引いた。


「ガラ……」

「おま、お前…なんで……?」


 彼は頭の上の瓜を捨てた。 

 プライムを振り返る。


「ケガは?」


 彼女は思わず身を引いた。

 その様子で、ガラは大丈夫だと判断した。今度は子供たちに目を向ける。


「てめぇらなぁ……」

「な、何だよ!」


 この後のガラの怒鳴り声は、町中に響いたのではないかと思われた。






 ◆◆◆◆◆◆






 いつもこの辺りを回る行商人が、見慣れない団体を見た。

 彼らは大きな荷馬車を幾つも随え、街道を我が物顔で進んでいた。


 さわらぬ神に、祟りなし。


 行商人は街道を外れ、林に身を潜める。

 箱状の荷馬車は、布で覆われていた。

 彼は以前よく目にした、奴隷運搬用の馬車に似ていると、直感的に思った。

 案の定、すれ違う際に、すすり泣くような声が聞こえた。

 刹那に。

 ほんの一瞬、覆いが風に舞った。中に乗せられた人影が姿を現す。


「ありゃあ……」


 団体が去った後、行商人は林から飛び出した。


「水妖じゃねぇか」


 行商人は身を震わせる。



 彼が昔住んでいた村にも、水妖の女性が居た。

 彼女は人間の夫と共に、幸せな生活を営んでいたのだが……



「あの先にゃあ…確か、ミンスの町が……」


 行商人は慌てて走り出した。



 彼がかつて住んでいた村。

 そこは、水妖に滅ぼされた。

 彼らは女性を連れ戻すため、夫を殺し、村を破壊した。




 行商人は必死の形相を浮かべていた。


「あの町にゃ、あの坊ちゃんが」


 彼は村の最期を思い出し、必死で駆け続けた。





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